「うぅ……酷い目にあった」
龍斗やリミがやったように、やっとの思いで我流Xこと長老から「合格」の二文字を引き出した兼一は、千鳥足で梁山泊チームのベンチへ戻る。
昨日の黒虎白龍門会や叶翔との戦いのダメージが抜けきってない中での我流X戦。良い経験はつめたかもしれないが、兼一の体はボロボロだった。
「大丈夫ですかですわ、兼一さん」
「み、美羽さん!」
倒れかけた兼一を美羽が支える。
我流Xと0.0002%組手という常軌を逸した組手をしたのは兼一だけではない。美羽も兼一と共に我流Xと死闘を繰り広げた。
風林寺美羽という少女は同年代の武術家の中でも抜きん出た実力の持ち主だが、それでも長老との0.0002%組手は決して易しいものではない。あの組手で美羽もかなり消耗したはずだ。
だというのにボロボロで今にも倒れそうに歩く自分に対して、美羽は自分を気遣ってくれている。この優しさに甘えては、史上最強の弟子の名折れだ。
「ぜ、全然へっちゃらですよ! このくらいなら、いつもアパチャイさんにやられ慣れてます!」
「まぁ!」
「そうよ! 兼一、よくアパチャイに殴られてお星さまになってるよ! 死んでないし全然ダイジョーブよ!」
アパチャイの暴論に苦笑いしつつも、兼一はどうにか震える足を押さえつけ自分の足でベンチへ戻ってきた。
不思議なものである。本当は立っているのも辛いのに、虚勢を張っていると少しだけ楽になってきた。
「人間の体なんてそういうものね。空元気でも元気を出すのは重要ね。病は気からという諺もあるくらいだしね」
「馬師父、ナチュラルに心を読まないで下さいよ」
ベンチに腰を下ろして、ふと周囲を見回すとそこにさっきまでいた人達がいないことに気付く。
「あれ? 新白連合の皆はどこに?」
「あいつ等なら作戦会議に行ったぜ。次の試合だからな」
逆鬼師匠の言う通りトーナメント表における次の試合のカードは、新白連合VS天地無真流となっている。
兼一は黒虎白龍門会との試合の後、気絶していたので見てはいないのだが、天地無真流の田中勤なる人物は一見すると何処にでもいるサラリーマン風の男だが、岩のような大男たちを指先一つでKOした猛者だそうだ。
新白連合の皆も勝つために作戦会議に余念がないのだろう。
「だけど幾ら強くたって相手は一人だし、きっと勝てますよね」
「……いいえ。それはどうでしょう」
「美羽さん?」
「美羽の言う通り…だ。あの男が本気でくれば全員で襲い掛かっても勝てな…い」
「そんな! しぐれさんまで!?」
元第三拳豪フレイヤ、元第七拳豪トール、元第八拳豪のキサラ。それに達人級のボクサーに教えを受けることで格段に実力を伸ばした武田。
新白連合にはこれだけの戦力が揃っているのである。それこそ我流Xやらケンシロウなんてルール違反な別格を除けば、たった一人で打倒するなんて出来ないだろう。
(いや僕は一人だけ、それが出来そうな男を知っている)
叶翔、YOMIのリーダーのスパルナ。
あの男の実力であれば新白連合全員を一人で相手取るなんてことも不可能ではないかもしれない。
「まさか田中さんって人は叶翔並の使い手なんですか?」
「いいや。それは違うのう」
「長老! で、ですよね。叶翔みたいなのがそう何人もいるわけが……」
「彼、君の言う叶翔くんより数段以上は格上じゃ」
「う、うっそーん……」
叶翔はどれほど素質溢れていようと未だその位階は弟子クラス。対して田中勤は十九歳でありながら既に弟子クラスより一つ上の位階、妙手に至っている武人。
十年後がどうなるかは分からないが、現時点では田中勤は叶翔よりも遥かに強い実力者だ。
そう聞かされた兼一は叶翔より遥かに強い武人ですら達人ではないという事実に、思わず空を仰ぎたくなった。
「あれ?」
そこで兼一は違和感に気付いた。兼一が質問する度に、適格な助言をしてくれる人が見当たらない。
「岬越寺師匠が見当たりませんけど、なにかあったんですか?」
「秋雨くんはちょっとばかし野暮用があってのう。なぁに、秋雨くんならば心配はいらんよ」
「はぁ。野暮用ですか」
闇の巣窟、裏社会のドンたちが集まるデスパー島でよりにもよってヤクザ嫌いの岬越寺秋雨が野暮用。
寒気がしたが、兼一は心の平穏のため努めて考えないようにした。
DオブDの試合が一層盛り上がりを増していた頃、クシャトリアはリミと龍斗を伴ってデスパー島のセキュリティーに来ていた。
セキュリティールームにはクシャトリアの予想通り見張りの兵士やウェイター、メイドなどに擬態して潜入していた国連軍の狗がなにやらコンピューターを弄っている。
大方国連軍の攻撃のための前準備だろう。
「いたいた。埋伏の毒発見」
「っ!? シルクァッド・サヤップ・クシャトリア!? 何故ここに! お前はDオブDのコロシアムにいるはず」
「あれは優秀な部下の変装だよ」
「くっ……!」
「無駄な抵抗は止めた方がいい」
拳銃を取り出そうとした男に、気当たりをぶつけて動きを硬直させる。
クシャトリアにとって拳銃など玩具のようなものだが、一々避けるのも面倒だったので、石ころを蹴り飛ばして拳銃を破壊しておいた。
「俺もこんな島が消滅しようとどうでもいいんだが、一影からの命令でね。デスパー島陥落は出来る限り阻止しなくてはならない。
達人未満の相手は例え殺意をもって挑んできても殺さない主義だが、今回は一影から邪魔者は殺せという言いつけがあるから…………残念ながら君達を皆殺しにしなきゃならないんだ。すまないけど」
『――――ッ!』
デスパー島に潜入するくらいだ。彼らは達人ではないとはいえ、達人の出鱈目さを知る者ばかりだ。
その達人に皆殺しにすると宣告された彼らは、まるで死刑判決を受けた被告人のように蒼白だった。
「リミ、龍斗くん。下がっていろ。穏便にやるが、少し刺激が多い。ま、君たちもいずれ経験することだから目を慣らしておくといい」
「了解ですお」
「……はい」
こういう場所だというのにリミは呑気に、龍斗は冷たく答えた。
龍斗は緒方が仕込んでおいたのだろうが、リミも何度かヤクザの抗争のど真ん中に突き落したりしてきただけあってそこそこ度胸がついてきたらしい。
殺人拳の弟子としては悪くない兆項だ。
「せめてもの情けだ。痛みは与えず眠るように絶命させよう」
先ずは最初にクシャトリアを拳銃で撃とうとした男を、その勇気を称えて一番恐怖を感じずに済む最初に終わらせる。
だがクシャトリアの手は男の命を刈り取ることはなかった。
「やめたまえ。人生は一度きりの得難い財産。命令だからと易々と奪うものじゃない」
「っ!」
自分の腕を掴んでいた手を振り払い、後ろへ飛びのいた。
達人であるクシャトリアの腕を容易く捕えたのであれば、その者もまた達人なのは道理。
「哲学する柔術家、岬越寺秋雨殿。やれやれ面倒な人が来られたものだ」
「ふっ。君も武術家なら命の尊さについてじっくり思索に耽るのも悪くはないよ。どれ考える時間を与えようじゃないか」
若者たちが命を懸けるコロシアムの外れで、二人の達人の命を懸けた死闘が始まろうとしていた。