会場は上空からド派手な乱入をしてきた謎の男に拍手喝采だった。いや会場だけではない。大会主催者であるディエゴやフォルトナまでも「ブラボー」と叫んでいる。
気持ちは分からないでもない。対空防衛システムのミサイルを掻い潜りながら、リングに降下を果たした乱入者などDオブDの長い歴史でも初めての事だろう。
これが試合会場ではなくサーカスであれば、田中も拍手の一つはしていたかもしれない。が、これはサーカスではなく武術の試合だ。
そしてこのタイミングで乱入してきたということは、ほぼ確実に彼は新白連合の隠し玉ということになる。それを示すかのように、空中より現れた男は新島に恭しく頭を垂れた。
「遅ればせながら馳せ参じました、親愛なる我が魔王よ」
「うむ、良く来た。待っていたぞ、ジーク。……ミスター・カーロ!」
新島がニヤリと口端を釣り上げて、玉座のディエゴ・カーロに向かって叫ぶ。
ディエゴは分かっていると言わんばかりに、こちらも口端を釣り上げると、
「ははははははははははははははは! 言わずとも良い! この私がこんなオモシロ生物の参戦を認めないわけないだろう? 飛び入り参加上等!! 試合への乱入を認めよう!!」
マイクではなく地声。会場どころか空の果てまで響く大音量がコロシアムを震わす。
新白連合の隠し玉――――ジークフリート、彼はあくまでも乱入者。大会における異物。彼を新白連合チームに加えるにしても、既にこの試合においては定員の五名を出し切っている。
故に通常のルール規定においてジークフリートが田中との試合に参加することは出来ない。
だがそこは一影九拳屈指のトラブルメイカーたる笑う鋼拳。大会規定などその場のノリで好き勝手に変更し特例を認める。
「ケッケッケ。悪く思うなよ、田中さんよ。我が新白連合のシークレット・ウェポン! ジークフリートが来た以上、さっきまでと同じになるとは思うなよ!」
「その通り。チベットの墓前で修行し更なるパワーアップを遂げて帰参を果たしたジークフリート! もはや菩提樹の葉ほどの弱点もない!」
「北欧神話かい? いや北欧神話ならばシグルズ、ジークフリートならニーベルンゲンの歌か。どちらにせよどこかの誰かの好きそうなネーミングだね。そういえば君も彼の育成機関出身だったか。納得だよ」
ニーベルンゲンの歌の主人公、英雄ジークフリートは悪竜を退治した際、その返り血を浴びたことで不死身の肉体を手に入れた。しかし背中に菩提樹の葉が一枚貼り付いていてため血を浴びられず、この場所だけが彼の弱点となったという。
〝拳聖〟緒方一神斎は武術をなによりも愛し、その発展の為ならば己の死すら厭わないある種のマッドサイエンティストであるが、彼は武術以外に各地の神話を好んでいる。
そのため彼が主催する育成プログラムの幹部級には神話や英雄譚に因んだ異名が与えられる、と田中は地道な調査から掴んでいた。ジークフリートと名乗る彼も同じ口だろう。
「だが例え菩提樹の葉ほどの隙がなくても、やることは変わらない。如何な不死身といえど、不死身を超える破壊をもってすれば突破も出来るだろう」
「…………なんと
「心配するな。とっくに俺様は後退済みだぜ」
いつのまにかリングの近くで野次を飛ばしていた新島は、梁山泊の達人たちのいる所まで後退していた。
田中は目を見開く。凄まじい早業だ。妙手の自分すら新島がいつ退避してのか分からなかった。見たところ武術の経験は皆無のようだが、危機回避能力の一点ならある意味既に弟子クラスを超えている。
ダイヤの原石ばかりの新白連合のボスを務めるだけあって、彼も一代の傑物なのは確からしい。
「さぁ!」
ジークフリートが地面を蹴り、
「殴~り~な~さ~い」
自分から殴られやすいように無防備を晒した。
常人なら不可解ととる行動だが、田中は一瞬で看破する。隙だらけのようで、絶対回避と防護を念頭においた待ちの態勢。あの見事な受け身。力を受け流す技術。
緒方がどうして不死身の英雄ジークフリートの異名を彼に送ったか納得する。
「成程。後の先、カウンターの使い手というわけか。どれ、試してみよう!」
梁山泊の豪傑達ならいざしれず、未だ修行中の田中勤にはその人物を視ただけで完全に実力を把握できるほどの眼力はもっていない。
菩提樹の葉ほどの弱点も消えたと豪語する彼がどの程度の実力なのか。一度拳を交えねば把握できない。田中は挨拶代りに威力を抑えた正拳突きを叩きこんだ。
「
拳が触れた瞬間、ジークフリートの円運動に取り込まれ威力が吸収・減衰していく。拳は弾かれ、防御を成功したジークフリートはパーフェクトなタイミングでのカウンター攻撃を放ってきた。
だが田中も妙手。パーフェクトなカウンターを弟子クラスとは一線を画す身体能力で強引に躱す。
(驚いた……! これほどのものか!)
ただの一度の交錯だったが、ジークの実力を知るには十分だった。
田中は後退してずり落ちてきた眼鏡をクイッと上げる。
「あれを躱しますか。やりますね」
「それはこちらの台詞だ」
威力を抑えたとはいえ、田中の正拳突きではトールの防御を突き破り気絶させるだけの威力があった。それを彼は全くのノーダメージで防いでみせたのだ。
ただの防御ではこうはならない。ジークフリートの独楽の如き円運動が、破壊力を完全に0にして受け流してしまったのだ。
「その年で見事なものだ。君はまだ弟子クラスだが、攻撃を無力化する術については完璧にマスターしている。そのまま研鑽を続けていれば、いずれ達人へ至ることも不可能じゃないだろう。私などより余程才能があるよ」
「褒め言葉と受け取っておきましょう。ラ~ラ~♪ 失礼、素晴らしいメロディーが浮かんでき――――」
「だが今は私が強い」
彼に対しては、これまでの田中勤では些か力不足。
手加減を完全に止めるわけではない。だがこれまでの強さからもう一段上の強さへ武術家としてのレベルを切り替える。
「天地無真流! 数え抜き手!」
相手がカウンターで来るのならば、カウンターを無効化する技を使うのみ。嘗て師が無敵超人より伝授された秘技をここで使う。
ジークフリートはさっきと同じようにカウンターで迎撃する構えだが、そんなものはこの技には無意味。
「数え抜き手! 四ッ!」
最初の一撃、ジークフリートは巧みな円運動で抜き手を受け流すことに成功する。
しかし次はこうはいかない。今度は円運動を無効化する気の練りを込めての抜き手を放つ。
「三ッ!」
「ぬっ……
カウンターしきれなかったジークの腹に、抜き手が容赦なく突き刺さる。
これで二撃目。だが数え抜き手はまだ後もう二撃残っているのだ。残り二撃で完全に彼を倒すことが出来るだろう。
田中は三撃目を放つ、寸前。
「ニャニャニャニャニャ!」
「っ!」
先ほど倒したキサラが復活し、強烈なる蹴りを飛ばしてきた。咄嗟の事態に田中は慌てず、制空圏で蹴りを全て弾く。
だが復活してきたのはキサラだけではなかった。
「ウルトラボロパンチ!」
「どぉぉぉすこい!」
「久賀舘流極意“閃雲”!」
これまで倒れていたフレイヤ、トール、武田の三人も戦線復帰して各々の必殺を繰り出してきた。
しかも三人が三人とも戦いが始まった最初のものとは技のキレが違っている。この年代の弟子クラスは伸びやすいものだが、このわずかな期間で更なる成長を遂げたのだろう。才能というものは恐ろしいものだ。
田中は制空圏を維持したまま三人の猛攻を防いでいく。
「ミケヨプチャギ!」
「突撃のGoaTrance!」
自分としたことが、少しばかり復活した三人に気を取られ過ぎたようだ。ジークフリートとキサラに対応するのが一拍遅れた。
南條キサラの最初のそれとも風を切る羽とも異なる、まったく未知の動き。そう例えるなら猫の動きで繰り出された蹴りが腕を弾き、ジークフリートの突撃が服を掠める。
攻防は時間にしたら数秒のことだった。其々の必殺を回避しきった田中は、逆襲の裏拳を五人に喰らわせた。
「まだ……まだ」
「わし等はまだ戦える……っ」
だが倒してもまだ彼等は立ち上がる。田中は苦笑してジークフリートの突撃が掠めた服を見下ろす。
手加減したとはいえ、まさか自分が弟子クラスから一撃喰らうとは。まるで予想していないことだった。
「私もまだ修行が足りないということですか。もういいでしょう、この試合。棄権します」
「っ! どういうことだい。僕らは満身創痍だけど、そっちはまだまだ全然余裕じゃな~い」
「簡単なことですよ。私のDオブDで果たすべき目的は既に終わっている。この試合に出たのはあくまで拳魔邪帝との約定があったからこそ。
その約定も十分に果たしたでしょう。そこまでダメージを負えば、次の試合での勝ち目がどうかくらい、君たちのボスなら分からない筈はないだろうし」
だからもう田中勤がこの大会にいる意味はない。そもそもこれは弟子クラスたちの戦いであるべきだ。妙手の自分が大会に交じるのは無粋というものだろう。
それだけ言い切ると田中はあっさりとリングから降りて行った。
『え~~~~。というわけで、田中選手の突然の棄権宣言により……勝者! 新白連合っ!!』
気を取り直すような実況者の声で、漸く新白連合の彼等に勝利の実感が湧いてきたのかほっと一息ついているようだった。
しかし大変なのはこれからだ。彼等がこれからも闇やYOMIと戦おうとすれば、互いの命を懸けた本物の殺し合いに直面する日も遠くないだろう。
(果たして彼等全員が生き延びることができるか)
それは神ならぬ田中勤には分からないことだった。