史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第75話  疑問

 DオブDでの騒動から数日後、叶翔は闇の医療施設のベッドでゆっくりと閉ざされていた目蓋を開けた。

 起き上がろうとすると痛みが奔った。痛みの発生源を見下ろせば、そこには包帯で巻かれた自分の腹部。数日間も寝ていたせいで曖昧になっていた記憶が、その痛みと共に蘇ってくる。

 

(そうか……。俺、生きているのか。ちょっと意外。完全に死んだと思ってた)

 

 まるで他人事のように『自分が生存していた』という重大事を認識する。

 師より教え込まれた自分の状態を客観視する能力の賜物であるが、それ以上に現実感のない夢遊病めいた気分を翔は味わっていた。

 腹部の痛み、薬品のにおい、白い天井、ベッドの肌触り、空気の味。五感の全てが自分がいる場所が紛れもない現実世界だと教えてくれているのに、どうにもそれを実感することができない。

 原因は不明だ。こんな気分、これまでの人生で味わったことがなかった。

 だが思い当たる節がないでもない。

 

(やっぱりあそこで明確な死を感じ取ったからかな)

 

 DオブDで美羽を庇い、そして死ぬ。叶翔という武術家はあそこを己の死地と定めた。

 だからこそ憎い恋敵であり、この世で一番気に入らない相手である白浜兼一に自分の片翼を託したのである。

 なのに結果的に自分はこうして生き残ってしまった。別に生きていることが嬉しくないわけではない。死ぬより生きている方がいいとも思うし、命の恩人であろうクシャトリアには感謝の念もある。

 だが――――死に場所で死ねなかった武人の心は、どうしても行き場をなくし迷ってしまう。

 

「――――目覚めたようだな」

 

「げっ」

 

 翔は露骨に顔を真っ青にした。

 病室のドアの前にポケットに手をつっこみ君臨するは人越拳神・本郷晶。叶翔が最も長い時間を共にした師匠である。

 サングラスをかけているのと、元々の無愛想さのせいで表情は全く分からない。しかし彼の弟子である翔には、ゴゴゴゴゴという擬音が聞こえてきそうなプレッシャーから怒気を発しているのが丸分かりだった。

 

「は、ははは。先生、どうにか生きています……。ええと」

 

「翔、俺はDオブDなど出る必要はないと言ったな」

 

「えーと、はい先生」

 

 冷や汗を流しながら答える。

 さっきまでの死に場所で死ねなかったことによる迷いなど、もう宇宙の果てまで吹っ飛んでしまっていた。鬼も泣いて逃げ出す怒気に、翔はこここそが自分の死に場所だと悟る。

 

「なのに強引にDオブDに乱入し、あまつさえ史上最強の弟子に敗北した。相違ないな?」

 

「そ、相違ありません」

 

 史上最強の弟子、白浜兼一に敗北した。

 自分でもそのことは認識していたつもりだったが、こうして師に改めて言われると胸の奥からなにかが込み上げてくる。

 煮えたぎる熱い感情。水を求めて彷徨う狼の飢餓感に近いそれ。

 初めての感情だ。或はこれこそが悔しいと――――負けたくないという思いなのかもしれない。

 

(悔しい……悔しいか。はははは、そうだ。俺はまだ生きているんだ。次は勝ってやる。勝って美羽を……)

 

 ふつふつと湧き上がる獰猛な闘争心。白浜兼一との再戦を想像し、翔は自然と笑みを浮かべた。

 

「史上最強の弟子に敗北したのが笑うほど嬉しいか?」

 

「へ、あいや違いますって! 夏……あーうーんと、ハーミットの勝ちばかりじゃ得られない経験値っていうのが少し分かったというかなんというか……」

 

 翔はあたふたと言い訳する。

 

――――勝ち続けろ。

 

 それが本郷晶が叶翔に言い聞かせ続けてきた教えだ。師である本郷晶が強く言いつけたことを敗ればどういうことになるのか、翔は身をもって体験していた。

 だというのに自分は師が最も強く言い聞かせてきた教えを破ってしまった。

 本気ではなかった、心のどこかで敗北を期待していた、相手には数多の声援があった。叶翔とて武人。そんな下らない言い訳で己の敗北を覆い隠すことなどできない。あれは完膚なきまでに自分の敗北だった。

 しかし翔の恐れを裏切るように、予想していた激昂が訪れることはない。恐る恐る顔を上げると、分かる人にしか分からぬほどうっすりと笑みを浮かべた師がいた。

 

「翔、お前は今回の失態でYOMIのリーダーから降ろされることになった。YOMIからも一時的に除名されることになる」

 

 本郷晶は翔がこれまで持っていた〝空〟のエンブレムを見せると、それを自分の懐にしまう。

 エンブレムは一影九拳がYOMIの象徴。YOMIではなくなった翔にそのエンブレムを持つことは許されない。

 

「別にYOMIのリーダーに拘りはないんですけど、エンブレムまでなんて徹底してますね」

 

 YOMIのリーダーから降ろされ、YOMIからも除名される。普通の弟子であれば最大の罰であろうそれ。

 しかし翔にとってはYOMIから除名される悔しさよりも、余計な束縛から自由になる開放感が勝った。だからそのことに否はない。だが師との繋がりであるエンブレムまで失うのは少し寂しいものがあった。

 

「リーダーの座は兎も角、時間が経てばYOMIに戻されるだろう。〝落日〟のこともある」

 

「あぁ。世界にまた大きな戦い起こしてドンパチやろうっていう」

 

 武術家が短期間で成長するには実戦に次ぐ実戦を潜り抜けるのが一番の早道だ。

 だからこそ戦争が日常となる戦乱の世では、多くの武人が戦場で散る一方で多くの武人が短期間で達人に至ったという。

 闇の目的からいっても、落日により世界規模の戦争が起こる前にできるだけ多くの若い武人を確保しておきたいはずだ。

 

「だが、例え一影がどう言おうと俺は半端者をYOMIに戻すつもりはさらさらない。お前は白浜兼一に敗北した。ならば何故自分が敗北したのか、その理由について考え……次は勝て」

 

 次は勝て、という言いつけ。それはどんな指示よりもすんなりと翔の心に入り込んできた。

 

「はい、先生」

 

「快復してからは地獄が待っていると思え。――――だから早く傷を治すがいい。お前がここで寝ている間にも、史上最強の弟子は更に力を磨いているのだからな」

 

 そう言い残して本郷晶は去っていく。その背中を見送りながら、翔は「はっ」と気づく。

 

「先生。なんで言いつけを破ったことや負けたことを怒っておいて、美羽を庇ったことは怒らなかったんだろ?」

 

 へんなの、と呟き翔は天井を見上げた。

 

 

 

 

 クシャトリアがビルの屋上へ行くと、そこには既に美雲が待っていた。

 

「遅くなりました。なんの御用で?」

 

 風にあおられ、夜の闇のような黒髪を靡かせながら美雲は振り返る。

 月を背にしたその出で立ちは、その艶やかな佇まいと相まって神秘的ですらあった。

 

「人越拳神の弟子がやられ、一影の弟子がYOMIの主導権を握った。こちらの史上最凶の弟子がやられたのじゃ。YOMIと史上最強の弟子の戦いもより激しさを増していくことじゃろう」

 

「……ええ」

 

 緒方一神斎の梁山泊への宣戦布告、ボリス・イワノフの梁山泊への道場破り。この二つで破られた冷戦構造。だが今回の叶翔の敗北は決定的だった。

 これまでのような小競り合いではない。梁山泊と闇の戦いはこれより食うか食われるかの本格的なものとなっていくだろう。

 相手が活人拳であるが故に可能性は低いが、一影九拳の何人かが削れるかもしれない。

 

「ご自身の弟子が、千影が心配ですか?」

 

「わしは人越拳神ほど未熟ではない。わしの弟子であれば万が一にも負けることはあるまいて」

 

「…………」

 

 否定はできない。櫛灘千影が13歳でありながら優れた武術家であるというのもある。しかしなによりも櫛灘千影は相性という点で、白浜兼一にとって最悪の相手だ。

 白浜兼一は女子供を殴らないという信念をもっている。そう、信念だ。白浜兼一は例え自分が殺されることになろうとも、女子供に手をあげることはないだろう。

 そしてよりにもよって櫛灘千影は〝女〟で〝子供〟でもある。殴らずに組技を用いて無傷で制圧しようにも、彼以上の柔術家である千影にそんなことをするのは不可能。

 千影が叶翔より強いということはできないが、相性的に千影が兼一に負けることはまずありえまい。

 

「わしが気にするのは落日のことじゃ。梁山泊と戦いながら、闇は久遠の落日のため動くことになるじゃろう。わしは活人拳を軽蔑しておるが軽視はしておらぬ。梁山泊は闇にとって最大の敵。これと当たるには一影九拳も一致団結せねばならぬ」

 

「……それは、難しいですね」

 

「そうじゃ。我が強い九拳といえど、一影の命があればある程度は制御もできる。じゃが一名ほど一影ですら縛りきれぬ男がいるのでな」

 

 誰であるかなど言うまでもないことだ。クシャトリアの師、拳魔邪神ジュナザードのことである。

 

「独断専行だけならばまだ良し。じゃがあの男の場合、下手すればこちら側に牙を向きかねん。奴が弱ければどうとにもできるが、最悪なことに奴の実力は一影九拳随一。一影ですら抑えられるか怪しいもの。

 やれやれ、これでは一影九拳の纏まりなど夢のまた夢じゃな。どうすれば一影九拳が纏まると思うかえ。拳魔邪神の一番弟子クシャトリアよ」

 

 挑発するような笑みを浮かべて言い放つ美雲。

 それを受けたクシャトリアは怒るでも無表情でいるでもなく、つられるように口端を釣り上げた。

 

「簡単なことです。拳魔邪神ジュナザードが死ねばいいんですよ」


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