史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第80話  戦力二分

「ここが……女スパイさんの隠れている場所ですか?」

 

 逆鬼師匠と馬師父に連れられて恒例の裏社会科見学にやって来たのは、観光開発に失敗してくたびれた感のある錆びた街だった。

 風雨に晒され文字が削れた看板が、なんとも言えない物悲しい雰囲気を醸し出している。きっと元々は『ようこそ、湯の街へ』だったであろう看板は、今では『よう、湯の街』になっていた。

 

「正確には隠れている山の麓ね。近くに露天風呂があるらしいから、やることをやったら帰りに覗き……入っていくのも良いかもしれないね」

 

「言っとくが女湯覗いてる時間はねぇからな」

 

 馬師父の発言に逆鬼師匠が冷静にツッコミを入れる。

 自分が梁山泊に入門して暫くの間は、逆鬼師匠のことを梁山泊で最も恐ろしい人だと警戒していたが、こうして一年以上も内弟子をやっているうちに、もしかして逆鬼師匠は師匠たちで一番まともな人なのかもしれない、と思えてきたのだから、未来というのは分からないものだ。

 それと温泉があるといっても、街の寂れ具合からして、馬師父(と自分)が好きな若い女性の観光客などいないだろう。覗きを慣行しても、そこにあったのは絶世美女(ただし七十年前)などという悲惨なことになりかねない。

 

「そういえば逆鬼師匠と馬師父が二人で行動するのって珍しいですよね」

 

「あぁ? そうかぁ?」

 

「そうですよ」

 

「兼ちゃんに言われてみると、確かにそうかもしれないね。言われてみると逆鬼どんもおいちゃんも、秋雨どんやアパチャイと行動することが多いね」

 

 よく逆鬼師匠が競馬に行く時に連れていくのはアパチャイさん。ロシアの議員の警護のような〝仕事〟の際には岬越寺師匠と行動を共にすることが多い。特に岬越寺師匠やアパチャイさんとは日常的にもよく話しているのを見たことがある。

 対して馬師父は日常的にはいつも……と、そこまで考えて兼一は頭を抱えた。

 

(駄目だ。馬師父の日常なんてセクハラしてるとこしか思い浮かばない)

 

「あっ! 兼ちゃん、なにか失礼なこと考えているね!」

 

「仕方ないじゃないですか! 全部事実なんですから!」

 

 馬師父の日常といったら盗撮したり、ボディタッチを慣行したり、温泉を覗きに行ったり、エロ本を売りに来たり、そういうセクハラ関連ばかりだ。

 改めて自分の師父の駄目人間っぷりを思い知って、兼一はなんとも言えない気分になった。

 だがいつまでもこんな気分では入られない。気を入れなおすために、多少強引に話を進めることにする。

 

「そ、それで逆鬼師匠と馬師父はあんまり二人で行動しませんけど、なにか理由とかあるんですか?」

 

「ねぇな。単なる巡りあわせだろう。今回はこうして二人で来てるわけだしな」

 

「強いていうなら、おいちゃん一応鳳凰武侠連盟の元最高責任者だから、逆鬼どんの仕事内容によっては、おいちゃんが行くと事態がややこしくなることもあるね」

 

「な、なるほど」

 

 日常的にはただのエロい人でしかない馬師父も、人は見かけだけで判断できないもので、黒虎白龍門会と中国を二分する鳳凰武侠連盟の元総帥だ。

 師父の娘の蓮華によれば「なんかめんどくさくなった」と言って妻に全責任を渡して日本に来てしまったそうだが、師父がその気になれば直ぐにでも中国に戻り総帥に還り咲くことができるだろう。というより、今でも馬師父に総帥に戻って欲しいと願う武人は数多いと聞く。

 謂わば馬師父は中国武術界のトップとすら言っていい超大物。兼一は良く分からないが、そんな人が政治などが関わる逆鬼師匠の仕事に参加すれば、問題が発生することもあるのだろう。

 

「二人ともお喋りはそこまでにしておきな。来客だぜ」

 

 空気が一気に緊迫したものへと変わる。ピリピリと肌を焦がす敵意のようなものが、弟子クラスの兼一にも感じられた。

 けれど兼一の実力では敵意がどこから放たれているのかまでは分からない。縋るように師匠を見ると、逆鬼師匠と馬師父の目は右にある看板へと向けられていた。

 

(あの看板の裏に敵が……シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが、いるのか?)

 

 その考えは正解だった。DオブDの前夜祭で出会った仮面の男が、看板の裏側からぬっと姿を晒す。

 以前会った時と違うのは、前回が洒落なスーツをしっかり着込んでいたのに対して、今は民族衣装らしきものを纏っていることだろう。

 なんとなく冬山で戦ったジェイハンの着ていた服と意匠が似ている。きっとあれがティダートの民族衣装なのだろう。

 

「やれやれ。梁山泊の豪傑相手では、気配を消して接近するのも一苦労だ。だがまさか、30mたらず近づいただけでばれるとは恐れ入った」

 

「ばーか、70mだよ。下手なタイミングで気付いた素振り見せたら逃げられるかもしれねえからな。わざと近づけさせてやったんだよ」

 

「…………ふっ。やはり人越拳神殿の好敵手という話は嘘ではないというわけか。ケンカ100段・逆鬼至緒。それとあらゆる拳法の達人・馬剣星。改めて名乗ろう、シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。拳魔邪神ジュナザードの一番弟子だ」

 

 逆鬼師匠と馬師父、そしてシルクァッド・サヤップ・クシャトリアが縦長の二等辺三角形を描いて対峙する。

 数の上では2:1。梁山泊の戦いに多対一はないから、逆鬼師匠と馬師父が二人掛かりでクシャトリアを相手することはないにしても、これは兼一の目から見ても有利な状況だ。

 

「おい剣星、お前は兼一を連れて女スパイのとこへ急げ。こいつは俺が相手をしておく」

 

「逆鬼師匠? どうしてですか、わざわざ別行動をとらなくても――――」

 

「分からねぇのか。あの野郎がこのタイミングで出張ってきたって事は、既にスパイの隠れている場所が露見してる可能性が高ぇんだよ。

 あいつの目的はスパイを殺すことだ。俺達を殺すことじゃねえ。それが俺達の前に現れたってことは、俺達からスパイの情報を吐かせるか――――」

 

「囮!」

 

「そうだ」

 

 ここに逆鬼師匠と馬師父を釘づけにしつつ、別働隊が女スパイを殺す。

 闇に潜入するくらいだ。女スパイもそれなりの戦闘技術は会得しているかもしれないが、よもや達人級の強さをもっているわけではないだろう。闇の武人が刺客として差し向けられれば一溜まりもない。

 兼一の目つきが変わる。

 

「分かりました。急ぎましょう、馬師父!」

 

「いい返事ね。逆鬼どん、武運を祈るね」

 

 逆鬼師匠はこれまでも闇の刺客と戦い、護衛対象を助けてきた。今回も心配は要らない。きっとクシャトリアを倒して、追いついてきてくれるだろう。

 達人たちの戦いで、一介の弟子でしかない自分がどこまでやれるのかは分からないが、自分は全力で拳を振るうだけだ。

 

(だ、だけど……)

 

 やはり覚悟を決めようと恐いものは恐い。達人たちの戦いを背に、兼一は恐怖で全身を激しく振動させていた。


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