完全にとはいかなかったが、この段階でクシャトリアの計画は七割方は成功したといっていい。
馬剣星と逆鬼至緒は双方ともに一影九拳クラスの豪傑。ジュナザードならいざしれず、クシャトリアが単身で挑んだところで勝ち目などありはしない。勝算はゼロだ。
ここにアケビとホムラが加わったところでそれは同じ。或は一人を道連れにすることはできるかもしれないが、二人目は無理だ。そもそもクシャトリアの受けた任務は女スパイと彼女の奪った闇の情報を抹消することであって、梁山泊の達人を殺すことではない。
仮に梁山泊の達人を殺すことに成功したところで、女スパイに逃げられてしまえばミッションは失敗だ。
かといって梁山泊の達人を無視して女スパイを狙おうにも、どこに潜んでいるかクシャトリアは掴んでいない。そのため女スパイの居場所を知るためにも、護衛に来た梁山泊の達人に案内して貰う必要があった。
女スパイの居場所を見つけ、彼女を殺害する――――クシャトリアが今回のミッションにて行うべきはこれだ。
そのためにアケビとホムラを使い、梁山泊の達人の一人を引き離した。女スパイを発見できても、達人が二人いては迂闊に手が出せない為に。
後は馬剣星と白浜兼一を尾行し、女スパイを発見。然る後に逆鬼至緒に変装して、女スパイに近づき、彼女を始末すればいい。
尤も最後の仕上げである『逆鬼至緒に変装して女スパイを始末』するということだけは、馬剣星の慧眼により失敗してしまったわけだが。
「第七のジュルス!」
「天王托塔!」
ジュナザードの流派にある18の流派のうち、特に殺傷力に優れたジュルスによる流れる連撃。それを剣星は体重を乗せた放った猛虎の如き拳打で、その流れを真っ二つに断ち切る。
中華では剛の槍月、柔の剣星とされていたそうだが、伊達に〝あらゆる中国拳法の達人〟などと呼ばれているわけではない。柔拳のみならず剛拳においても馬剣星は凄まじかった。
空中でくるりと回転しながら、クシャトリアは岩の上に着地する。
「その小躯でこの力……。馬槍月殿と比べれば劣るにしてもこのパワー。一体全体その体はどういう構造になっているんだか。余程自分の肉体を弄ったんだろう」
「おいちゃん生まれつき体が小さくてね。寸勁はよく練ってあるね。それと人を改造人間みたいに言わないで欲しいね。改造人間は秋雨どんの方ね」
「……ああ、あの御仁も凄かった」
DオブDで拳を交えた梁山泊の柔術家、岬越寺秋雨。
全身を瞬発力と持久力を併せ持つ筋肉に改造した彼の肉体は、もはや人間のものと言っていいのか不安になるほどのものだった。
肉体改造についてはクシャトリアも余り人の事は言えないが、中でも岬越寺秋雨は極め付きである。
「と、お喋りしている暇はなかった」
アケビとホムラが逆鬼至緒を抑えていられるのは、どれだけ多く見積もっても30分。それまでに勝負を決することができなければ、クシャトリアの負けだ。
体内時計を確認する。逆鬼至緒が交戦を始めてから既に26分が経過している。ここまで到着するのに10分としてタイムリミットは14分。約0.25時間だ。
「噂によればあの拳豪鬼神・馬槍月を倒したほどの柔拳。相手にとって不足どころかお釣りがくるが――――こちらも与えられたミッションはこなさなければならない。突破させて貰う」
「やれるものならやってみるね。人を守る時こそ真価を発揮する、それが活人拳。そして可愛いおんにゃのこを守る時に炸裂する。それがエロね!」
「…………すまない。こっちは真面目にやっているんだが?」
「何を言うね! 男であれば、どんなムッツリでも心の奥底に熱いエロ魂を持っているもの。人類皆エロ! エロがあるから人生ね!」
「………………」
必ずしも優れた精神の持ち主に、優れた実力が宿るわけではない。才ある者が善人とは限らず、溢れんばかりの才をもつ外道もいる。
そのことは師匠が師匠なだけあって身に染みて理解していたクシャトリアだが、どうやら馬剣星も同じ類らしい。
実力はあっても性格に問題があり過ぎるのは、どうも一影九拳だけの問題でもなかったようだ。
深すぎる溜息をつきたくなるのをどうにか堪え、クシャトリアは気分を変えて目の前の敵に全神経を集中させる。
(言動がアレでもやはり達人か。立ち振る舞いに隙がまるでない。それどころか、こちらが僅かにでも隙を晒せば一気に呑み込んでくる威圧感がある)
これほどの実力者相手だ。岬越寺秋雨の時と同様、命の危険がない故に殺意が鈍ったクシャトリアの拳では倒すのは困難。
であれば岬越寺秋雨と戦った時と同じく、強引にでも自分の内側にある殺意を引き出すしかない。
「
練り上げた殺気を、自分自身に向けて発射。自身の中にある生存本能を刺激し、生存のための殺意を呼び覚ます。
それを見て剣星の目が鋭く細まった。
「自分に殺意を向けることによる自己暗示かね。やっぱり殺人拳は好きになれないね」
「その余裕がいつまで続くかな。今頃……そっちの弟子がやられているかもしれないのに」
「!」
そう、クシャトリアの戦力は自分とアケビとホムラだけではない。
小頃音リミ、自分の一番弟子もここに連れてきている。そして弟子クラスが狙うのは弟子クラスだけだ。
クシャトリアが自分自身に向けた膨大な殺意は、クシャトリアの生存本能を刺激するだけに留まらず、その余波が山々にまで伝わった。
鳥などの小動物はその強烈なる殺気に耐え切れず絶命し、ある程度の生命力をもつ動物たちは恐怖の鳴き声をあげながら離れていく。
殺意は山を下る兼一にも伝わってきたが、兼一には殺意に慄く暇もなかった。
「リミリミキークッ!」
女スパイの手をひいて下山する途中、いきなり物陰から一人の少女が奇襲を仕掛けてきたのである。
「うわっ!」
皮肉にもこれまで不良たちに付け狙われてきた経験が活きた。リミの蹴りを喰らいながらも、兼一は吹っ飛ばされず、その場で踏みとどまる。
足場の悪い山でありながら、地面から足を離さずに済んだのは、梁山泊の修行でしつこいまでに足腰を強化されたお蔭だった。
「き、君はっ!?」
「クシャ師匠の命令で颯爽登場。銀河美少女!」
少女はバーン、と擬音が鳴りそうなポーズをとる。だがそんなツッコミどころ満載のポーズに、兼一はツッコむ余裕すらない。
小頃音リミ。DオブDで龍斗と一緒にいて、美羽が叶翔に連れ去られた時には助けてくれた少女が、兼一の行く手を遮るように現れた。
(そうだ……彼女は)
DオブDで聞いていたではないか。小頃音リミ、彼女は拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの一番弟子。
以前アレクサンドル・ガイダルの議員襲撃に弟子のボリスが同行したのと同じ。拳魔邪帝クシャトリアが来るのならば、その弟子のリミも来ているのは自明の事だった。
「やっほー、また会ったね。龍斗様の幼馴染。悪いけど師匠命令だから、そこの女スパイはリミが貰うお」
「…………スパイさん! 彼女は僕が相手をしますから、逃げて下さい!」
「だ、だけど!」
「早く! 僕なら大丈夫ですから」
「……わ、分かったわ。死なないでね」
女スパイが逃げ出すと「逃がさないお!」と叫び、リミが追ってくる。兼一は自分の体を盾にして、リミの追撃を遮った。
その代償にリミの蹴りがクリーンヒットしたが、前に喰らった叶翔の蹴りほど威力は大したことではない。歯を食いしばって耐えきった。
「ぐぅぅ、痛つつっ」
「あれ喰らって倒れないなんて、流石は龍斗様の幼馴染。ガンダリウム合金を蹴ってるみたいだお」
「いや、僕はガ○ダムじゃないから。あと……ここは通さない! 彼女を捕まえたいのなら、僕を倒してから行って貰う!」
「へぇ~。活きがいいじゃん。リミ、アンタみたいのは嫌いじゃないお」
「…………」
兼一は肘をやや曲げて腕を前に出す前羽の構えで防御を固める。リミは虎のような徹底攻撃の構えをとった。
しかし活きのいい発言をした兼一だったが、内心では心臓バグバグだった。
(ど、どうしよう~! 僕は女性は殴れないし、師匠達もいないし美羽さんもいないし。ジェロニモ~!)
恰好よく決めておいて、最後は締まらない兼一だった。