超低空飛行するジェット機の如き勢いで、小頃音リミは正確無比な蹴り技を繰り出してくる。
ここは山岳地帯。言うまでもなく足場は最悪だ。畳の上や平地と比べれば、その差は歴然としている。
だというのに小頃音リミ、彼女の動きには足場の悪さに戸惑う様子は欠片もない。寧ろ斜面を逆に利用して、滑る様に動き兼一を翻弄する。
――――シラットの真髄はジャングルファイト。
以前ジェイハンと戦った時、美羽に言われたことを思い出す。
ここはジャングルではないが、急な下り坂のある三次元的なバトルフィールドだ。ならば基本的に平地での戦いを想定している空手や柔術より、シラットは有利に戦うことができるのかもしれない。
(だが。にしてもこれは……!)
リミが海に飛び込むように兼一の死角へ入り、そこから刺突を思わせる蹴りが飛んでくる。
制空圏の修行を積んで〝観の目〟を養っていたのが幸いした。そうでなければ兼一は、脳天に直撃を受けて昏倒していたことだろう。
ぎりぎりの所で蹴りを回避すると、体を回し視点を変えることでリミのいる『死角』を捕捉する。
「くっ」
冷たい汗と一緒に赤い血が滴り落ちた。蹴りを躱した際、完全に回避しきれずに頭を掠めたのだろう。側頭部にはナイフで切り付けられたような傷が出来ていた。
(凄い……なんて速さだ)
デスパー島で一度だけ会話したことはあったし、彼女の戦いを観戦したこともあった。だがやはり本当の強さというのは観戦するだけでは分からないもの。こうして彼女と対峙して初めて兼一は、小頃音リミという武術家の強さを正確に把握した。
力が強いだとか技が巧みだとかいうのではなく、彼女は純粋に〝疾い〟のである。兼一は師匠や美羽との修行や組手で、速さにはそれなりに目が慣れているが、その自分をもって捉えきれぬスピードをリミは持っていた。
あんまり考えたくないことだが、ことスピードで言えば叶翔や美羽以上かもしれない。
「くすくす。リミのスピードに手も足も出ないみたいだね。龍斗様の親友でマグレとはいえ勝ったって言うから、きっと凄く強いと思っていたけど拍子抜けだお。フリーザ様を想像してたらヤムチャだった気分」
「し、失敬な!」
「リミの直感も全然ビビッてこないし、もしかして実は打たれ強いだけで弱い? キリトさんだと思ったらキバオウだった気分だお」
「更に失敬な!」
兼一は新白連合の皆から満場一致で〝お人好し〟と太鼓判を押される人間だが、梁山泊にて修行に励む武術家の端くれ。弱いなどと言われたらカチンとくるものがある。
ただそれ以上は反論しなかった。武術家としての強さを証明するのは己の拳ですべきこと。口ですることではない。少なくとも師匠ならばそうするだろう。
悔しさを拳に込めて、ぎゅっと鬱血しそうなほどに握りしめる。
「…………ふーん」
そんな兼一を見て何か思うことがあったのか、リミが興味深げに視線を送ってくる。
「やっぱり雑魚ってことはないかな。だってあの龍斗様を雑魚が〝マグレ〟でも倒せるはずないし……なんか不思議だね。龍斗様が興味津々なのがちょっと分かったかも。リミは龍斗様一筋だけど」
リミが前傾姿勢をとる。美羽も体得している難場走りを行うのだろう。長老が編み出し、そこから緒方一神斎やジュナザードにも伝わった走法だ。
ただの走法と侮るなかれ。これを完全に体得すれば、垂直な壁を走ることさえ不可能ではなくなる。達人級ともなれば海面を疾駆することすら可能だろう。
現にリミはこの走法を用いて、最悪の足場である山岳地帯にて縦横無尽の戦舞を披露してみせたのだ。
「本当は龍斗様との過去エピとか聞きたいこと山ほどあるけど、
「断る!」
跳ねるようにリミが疾走を始める。こうなっては兼一からは手が出せない。せめて足場がもっとマトモならば少しくらい追いすがることが出来たかもしれないが、こんな所では不可能だ。
今更ながらいつぞや兵法を身に着けておかなかったことを後悔する。こういう場所でこそ兵法というのが活きただろうに。
(ええぃ! 無いものねだりしても仕方ない! 師匠から教わったことを思い出せ。あの人たちが教えてくれたことの中に、きっと現状を打開する方法があるはずだ!)
己の本能を解放し、直感を武器にして戦う者こそが動のタイプならば、冷静な思考を武器に敵を分析しながら戦うことこそが静のタイプの本領。
高速移動から放たれる数多の蹴撃を躱し、回避しきれないものは防御しながら必死に頭を回転させる。
「はははははははははははは! 防御ばっかりじゃ勝てないお! ずっとリミのターン!」
正にその通りだ。例えピッチャーがパーフェクトなピッチングをしようと、攻撃で1点も入れられなければ勝利することはない。
それに回避しきれないダメージが徐々に兼一の体に蓄積されている。このまま防戦を続けても、いずれ耐久力にも限界がくることだろう。
いつも師匠に吹っ飛ばされているせいである種ギャグ染みた耐久力を誇る兼一だが、決して不死身のモンスターというわけではないのだ。死ぬまでしぶといだけで死なないことはない。
一つだけ救いがあるとすれば、リミの攻撃力がスピードにまるで比例していないということだろう。
小頃音リミ、彼女はスピードでこそ叶翔や美羽に匹敵、凌駕するほどのものがある。反面、技の威力そのものは然程ではない。お蔭で兼一の限界がくるまでは、かなりの時間的余裕がある。
(きっとクシャトリアさんは長所である〝速度〟を重点的に強化したんだな。となると攻撃力じゃなくて耐久力も低いかも)
これは推測に過ぎないが、兼一には自分のそれが正解だという自信はあった。
恐らくは一発。一発だけでも攻撃を直撃させることができれば、防戦一方の現状を打開できる。
(かといって女性には手をあげられないし…………こうなれば、やるしかないのか)
これだけは絶対にやりたくなかった。人間として、男として、そして朝宮龍斗の幼馴染として。
だが今使わずして使うべき時はない。兼一は目をライトのように輝かせると〝禁断の技〟を解放した。
「うおおおおおお!! とぅぅぅぅう!!」
「っ!」
奇声をあげながら、まるでプールに飛び込むようなポージングで2mほどゲインする兼一。余りにも異様な行動に、リミがビクンッと肩を震わせた。
そのまま兼一は色んな意味で良い子には見せられない卑猥な指使いでクネクネさせると、雄叫びをあげながらリミに突撃していった。
「秘技! 馬師父エロモード!」
「なっ! へ、変態になった!?」
自分の貞操の危機を感じたリミが、これまでで一番の殺意ののった蹴りを放つ。しかし今の兼一はある意味において、動の気の解放以上に心のリミッターが外れている。蹴りくらいで止まることはなかった。
指をワキワキさせながら、兼一が明らかにアレな顔付でリミに迫る。もしここに善良な一般市民がいれば、通報されるのは間違いないだろう。
「い、いやぁああああああああああああ! へ、変態だおぉおおおおお! 師匠、ヘルプミー!」
「あちょーーーっ!」
エロは全てを凌駕する。エロモードに突入した兼一に恐いものなどない。これまで苦しめられた悪路を平然と突っ走り、不審者のオーラ全開でリミを追う。
ここに完全に攻守は入れ替わった。
リミはゴシックロリータなファッションを好むオタク女子。当然その手のことにも理解はあるが、一方で非常に一途で純情な所もある少女だ。
そんな少女が目から桃色光線を放つ変態に追われれば、もはや冷静さなど保っていられるはずがない。
「うぅ! 親友の事が大好きな女の子にセクハラしようとするなんて最低だお!」
「だからこれだけは使いたくなかったんです。大丈夫、指先をちょこっとだけ! ちょこっとだけですから!」
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああ!!」
戦いは完全に喜劇に落ちた。シリアスは明日の彼方へホームランされ、混沌だけが場を支配する。しかしこの茶番劇は唐突に終止符を打たれることとなった。
まるで天雷が落ちたのではないかと恐怖する爆発音が響き渡る。途轍もない衝撃に山が鳴動し、大気が慄き震えた。
「あれは!」
兼一は見た。自分達の眼上、山の中腹にて二人の人間がいる。一目で直感した。この二人の人間こそが、天災が如き衝撃を生み出した元凶であると。
二人のうち一人は言うまでもなく馬剣星。兼一の師父だ。もう一人はシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。リミの師匠、拳魔邪神ジュナザードが一番弟子。
互いに傷だらけで満身創痍の両者。だがそれでもギラついた戦意に些かの衰えもなく、二人の武人は睨み合っていた。
そして二人の達人が〝奥義〟を繰り出した。