史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第94話  つばさデッド

 史上最凶の武術家シルクァッド・ジュナザード。人格こそ外道であるが、若き日の彼はティダードを自身の武一つで救済してみせた英雄である。その強さは無敵超人にも並び立つとされ、間違いなくこの地上で最強の武人の一人といっていいだろう。

 また恐らくは史上最強のシラットの達人であるジュナザードは、シラットを嗜む全ての武人にとっての理想であり、目標であり、到達点だ。

 そのため拳魔邪神の凶悪さが知られた後も、ジュナザードに弟子入りを志願する人間は数多い。

 国籍、民族、宗教、人種、性別。弟子入り志願者達は一人一人千差万別、十人十色であるが、たった一つだけ共通点がある。それは誰もジュナザードの領域に到達できないことだ。

 殺人拳における最も分かり易い武の継承とは、即ち殺法である。師より全ての奥義を伝授された弟子が、その奥義をもって師と死合い殺す。師を殺害することによって、自らが師の後継者となる血の継承。

 事実若き日のジュナザードも師を自ら殺害することによって武の継承をしている。スポーツ武術が一般化した表社会では考えられないことであるが、闇と殺人拳にとっては決して珍しくはないことだ。

 だがジュナザードは九十年を超える生涯で、唯の一人も自分を殺しうる弟子を育て上げたことがない。

 ジュナザードの強さが埒外過ぎるというの原因の一つではあるのだろう。けれど大抵の弟子クラスで死亡し、妙手まで生き残ったものも大半が精神を壊され、達人になるまでに至ったのは極僅かだ。

 けれど達人に到達できた者はいても、ジュナザードよりシラットの至高――――彼の到達した奥義全てを伝授された者は一人としていなかった。

 

――――ただし、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが現れるまでは。

 

 特A級に登り詰めた時、クシャトリアは『シルクァッド』の名と『拳魔邪帝』の異名と共に、ジュナザードより免許皆伝を認められた。

 免許皆伝とは師より武の全てを授けられた証。ジュナザードがクシャトリアに教えることはもうなくなったということである。

 つまりあの日、クシャトリアは自由を手にしたのだ。

 ジュナザードがクシャトリアの武人としての完成を待ち、収穫しようとしているのは明白であったが、兎にも角にも自由は自由である。

 もう一々休息をとるのにジュナザードの顔を伺う必要もなく、ジュナザードがいなくても好きなようにどこへでもいける。

 そう、何処へでも。例えば自分が達人でもなければ武人ですらなかった、あの暖かな世界にも。

 今更戻るつもりはなかった。

 自分はシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。闇の達人、シルクァッドの名を継ぎし者。唯の極普通の日本人だった『内藤翼』に戻るには、些か以上に武の世界に浸かり過ぎた。

 第一内藤翼は公的には死人だ。わざわざ死人が蘇り、世を混乱させることもないだろう。

 だが一度くらい、せめて嘗ての家族だった人々を見に行くくらいは許されるはずだ。

 クシャトリアは十年前、ジュナザードと出会った地へ。十年前の家へと戻ってきた。

 

『なにも、ない――――?』

 

 そして地上へ戻った浦島太郎は、過ぎ去ってしまった現実を突きつけられた。

 十年前に自分が住んでいた家は跡形もなく消えていた。ジュナザードに弟子入りする切欠となった柿の木も、母の趣味だった家庭菜園も、なにもかも消えてなくなっていた。〝売地〟と書かれた看板だけが、まるで墓標のように突き立てられている。

 最初は引っ越しでもしたのだろうと思った。だが違った。答えは驚くほど簡単に知ることができた。

 

『深夜の悲劇。押し込み強盗に一家惨殺』

 

 当時の新聞にはそう書かれていた。

 パンドラの箱を開いて災いを解き放ってしまった後、箱には最後に希望が残ったという。だがその希望こそが最悪の災厄だったのだ。不幸は不幸だけでは成り立たない。闇は闇だけでは成立しない。人は希望を抱くからこそ、真の絶望に落ちるのだ。

 箱に残った希望/絶望の名は真実。

 真実を知ってしまった瞬間、クシャトリアは人目も憚らず大笑いした。

 なにせ強盗により一家惨殺である。闇の情報力を使えば、直ぐに真相の更なる真相まで分かった。実はその強盗は闇の手の者――――――なんてオチはなく、本当に闇とは何の関係もないただのチャチな強盗犯だった。

 ここに一つの結論が出てしまった。

 ジュナザードの弟子となって以来、クシャトリアは何時ものように『もしもあの時、ジュナザードの弟子にならなければ』と思い続けてきた。もしも弟子入りなどしていなければ、きっと今頃平穏な日常を生きていただろうと。

 しかし突きつけられた真実は、それが間違いだったと告げていた。

 もしもクシャトリアがジュナザードに弟子入りしていなければ、ただ単に強盗殺人の犠牲者に一人の子供の名前が付け足されただけだっただろう。

 

『これじゃまったくあべこべだ』

 

 ジュナザードに弟子入りするという最悪の選択は生へと繋がっていて、日常に生きるという最善の選択は死へと繋がっている。

 最悪の選択をした者が生き、最善を選べば死ぬ。

 あれだけ自分を拉致したジュナザードを憎んでいたのに、ジュナザードに拉致されていなければ自分は死んでいたのだ。これほどの皮肉がどこにあろうか。

 かといってこのことでジュナザードへの憎悪を水に流すわけではない。恩を感じることもない。

 ただこのことを切欠に〝内藤翼〟という可能性は、クシャトリアの中で息絶えた。

 

 

 

「――――転寝なんて、らしくないな」

 

 日本にある屋敷で、クシャトリアは目を覚ます。

 一応刺客の襲撃を気にしなければならない身分だというのに、こんな昼下がりに寝入ってしまうとは。最近働き過ぎだろうか。クシャトリアはここ最近の仕事量を思い返す。

 

(最近は……寧ろほんの少し、減ったか)

 

 荒涼高校への潜入という任務が一つなくなったことで、時間的余裕が増え、その分を休息や自身の修行にあてることが出来るようになった。故につい一か月ほど前よりかは、負担は少ないはずなのだ。

 だというのに全身にはどっと疲れが伸し掛かっている。遅れて先月の疲れが出てきたのか、それとも何かの前触れか。

 

「拳魔邪帝様」

 

「……アケビか、なんだ?」

 

 タイミングよくアケビが現れたことで、なんとなくクシャトリアは後者だろうと当たりをつける。

 そしてクシャトリアの予想は正解だった。

 

「櫛灘美雲様よりお電話が入っております。至急の要件だとかで――――」

 

「貸せ」

 

 にべもなくアケビより受話器を奪う。

 クシャトリアがジュナザードへ向ける感情が複雑怪奇な一方で、櫛灘美雲に向ける感情はシンプルに好意だ。尤も好意も分解すれば色々なものが出てくるわけだが、取り敢えず好意的感情で統一されているのは間違いない。

 

「お電話を変わりました。こうして話すのは御久しぶりですね、美雲さん」

 

『たったの二週間やそこいらで久しぶりもないじゃろう』

 

「おや、そうでしたか? 俺には一か月くらいには感じられましたが」

 

 クシャトリアの体にはけだるさが残っていたが、それを美雲には感付かせないよう、完全に平静な自分を作り上げる。

 

『なんじゃ。若いのにもう痴呆かえ?』

 

「いえいえ。美雲さんと会えない時間は長く感じるだけですよ。それでどのような御用事で? 俺としては特に用はないけど声が聞きたかった、なんて理由だと嬉しいところですけど」

 

『拳魔邪神が動いたぞ』

 

「――――!」

 

『彼奴め。人越拳神と梁山泊の逆鬼至緒の戦いに乱入し、隼人……無敵超人の孫娘を誘拐しおった。十中八九、己の新たな弟子とするつもりじゃろう』

 

「遂に、ですか」

 

『わしが仕込んだ甲斐があったというものじゃ。さて、クシャトリアよ。一影九拳には不可侵条約がある故、わしが出来るのはこれまで。後はお前次第じゃ』

 

「十分ですよ、美雲さん」

 

 美雲との連絡を終える。

 遂に、だ。この時の為だけに必死になって牙を研ぎ続けた。この時の為だけに幾重もの策謀を巡らせた。

 拳魔邪神ジュナザードを抹殺する千載一遇の好機、それが遂にやって来たのである。

 

「アケビ」

 

「はっ!」

 

「ティダードのシンパへ連絡をとれ。師匠の行く場所には心当たりがあるが、一応の裏付けをとっておきたい。そして裏がとれれば、ホムラに師匠の場所を無敵超人へリークさせろ」

 

「了解しました」

 

「それとリミ!」

 

「は、はいぃ!?」

 

 上ずった声が柱の影から零れてきた。

 クシャトリアの鋭い声に、盗み聞きしていたリミが戦々恐々といった様子で出てくる。拳骨を警戒しているのか、リミは頭を完全にガードしていた。

 

「暫く留守にする。暫くは戻らない。留守の間、お前は自主的に修行をしていろ。さぼるなよ」

 

「わ、分かりましたお」

 

 拳魔邪神ジュナザードは最強の男だ。だがジュナザードは世界における絶対強者ではない。指で数えられる程度……というより他に二人だけだが、ジュナザードに並び立てる超人は存在する。

 そんな超人の一人、無敵超人・風林寺隼人。孫娘を浚われた以上、彼がジュナザードと激突するのは必至。幾らジュナザードでも風林寺隼人と対決すればただではすまない。良くて辛勝、悪ければ相討ちもありうる。

 クシャトリアは正面から戦ってもジュナザードには勝てない。だがジュナザードが無敵超人との戦いで消耗していれば、勝機も出てくるだろう。




 ジュナザードに弟子入りしないのが生存ルートかと思った? 残念。死亡ルートでした。
 邪神に弟子入りするか、さもなくば死ぬか。突きつけられた無情な二択。どっちを選んでも地獄行き。戦わない奴に明日を生きる資格はねぇ、とばかりの鬼畜選択肢でした。残念無念また来週、慈悲はない。

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