史上最凶最悪の師匠とその弟子   作:RYUZEN

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第97話  一つだけの選択肢

 ジェイハン亡き後、王位正当継承者となったラデン・ティダード・ロナは、一応このティダード王国におけるトップである。ただし一応の但し書きがつく通り、彼女は名ばかりの姫だ。

 嘗てジェイハンが政治を取り仕切っていた宮殿からは、ジェイハンが極東の島国で死亡したと伝えられた三日後には追い出され、ジャングルの奥にひっそりと聳える古城が、今や彼女の領地である。

 金の切れ目が縁の切れ目というのは言ったもので、身分を超えた親友と思っていた者達も、多くが彼女の下を去っていた。彼女に残っているのは護衛役であり腹心だったバトゥアンと、亡きジェイハンの侍女だったシャーム、そしてお金で雇った傭兵が数人だけだ。

 両手の指が不要なほどの家臣。これではお飾りの姫君としても心許ないだろう。

 こんな絶望的な状況でありながら彼女が諦めていないのは、亡き兄の背中が目に焼き付いているからだ。

 

――――ラデン・ティダード・ジェイハン。

 

 王子と民草の溝から、傲慢で平民を見下す悪癖はあったが、それでもバラバラだったティダードを纏め上げた手腕は素晴らしいものだった。

 長く続いた戦乱を終わらせる王子として、平民も家臣たちも皆がジェイハンのことを敬い、それをジェイハンは至極当然に受け止めた。

 民草を見下す傲慢な王者が、一方で民草を幸せにする政を執り行うという矛盾。きっとそれはラデン・ティダード・ジェイハンが民草を見下しながらも愛していたからだろう。

 そんな兄はロナにとって最も尊敬する人物だった。その兄が極東で死に、自分が王位継承者としてティダードを導く義務を背負うこととなった。

 ロナは自分に兄程の才はないことは自覚している。それでも兄と同じ血が自分には流れているのだ。ならば亡き兄の代わりに、ジュナザードの呪縛を打ち払い、ティダードを平和にしなければならない。それが兄への手向けにもなるだろう。

 そうしてロナはバトゥアンと色々と活動はしていたのだが、どうにも情勢は芳しくなかった。

 バトゥアンは達人級の武器使いではあるが、生憎と単身で一国を相手取れる一影九拳ほどの実力はない。

 対してティダードで最も強い勢力を率いているヌチャルドは、金を払って多くのシラットの達人を国外より招聘している。

 バトゥアンの実力なら一人二人を道連れにすることは出来るかもしれないが、全員を一人で撃破するのは、それこそ一影九拳クラスでもなければ不可能だ。

 第一仮にバトゥアンが一影九拳クラスの達人だったとしても、ヌチャルドのバックにはジュナザードがいるのである。

 ヌチャルドをどうにかしたところで、諸悪の根源たるジュナザードをどうにかしない限り、ティダードの呪縛は消えはしない。そしてジュナザードがどれほどの怪物なのかについては、今更論ずるようなことでもない。

 そんな彼女の下に拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの使者を名乗る者がやって来たのは、夜の帳が落ちて直ぐの事だった。

 

「拳魔邪帝の使者? それは本当ですか」

 

「はい。姫に内密な要件があると。どうなされますか」

 

「…………」

 

 ロナは暫し顎に手をあてて思案する。

 拳魔邪帝クシャトリア。兄ジェイハン亡き後、唯一拳魔邪神に対抗しうる力をもつ人物だ。もしも彼と同盟することができれば、絶望的な状況を三分にまで持ち直すことは出来るだろう。

 

(だけど、どうして今になって)

 

 クシャトリアに協力を要請することを、ロナは思いつかなかった訳ではない。

 寧ろ先ず最初に思いついて連絡をとったこともある。だがその度にクシャトリアから帰ってきたのは断りの言葉。こちらの敵になることもなかったが、味方になることもなかった。

 一応助言らしいことはしてくれているので、どちらかといえば味方側なのだろう。しかし決して中立のスタンスを崩すことだけはしなかった。

 そのクシャトリアが自分からロナに連絡をとってきたのは、これが初めてのことである。

 

「会いましょう」

 

「……分かりました。姫、くれぐれもお気を付けを。拳魔邪帝はあの邪神より名を分け与えられたほどの男。一筋縄ではいきませんぞ」

 

「承知しています。ですがわらわ達に彼の力を借りる以外、これといった方策がないのは確かでしょう」

 

「申し訳ございませぬ。私が至らぬばかりに」

 

「いいえ。バトゥアン、貴方はよく働いてくれています。至らないのはわらわだけです。……使者を通しなさい。丁重に」

 

「はっ!」

 

 暫くするとバトゥアンに連れられて一人の男が入ってくる。

 ティダードの民族衣装に包んだ、これといって特徴のない男だった。拳魔邪帝に使者として選ばれるからには一角の武人なのだろうが、やはり個性の薄さはどうしようもない。

 特徴のない男はとった行動も当たり前のものだった。ロナの前にくると跪いて、臣下の礼をとる。

 

「拳魔邪帝配下のゲラスと申します。拝謁を賜り光栄の至りです、ロナ姫。此度は我が主人クシャトリアの言葉を伝えに参りました」

 

「ほう。邪帝殿はわらわに何を?」

 

「はい。これより梁山泊の豪傑が一人、逆鬼至緒と史上最強の弟子。そして一影九拳が一人、人越拳神・本郷晶がここティダードに来訪します。拳魔邪神ジュナザードに拉致された少女を助けるために」

 

「……!?」

 

 梁山泊と闇から一人ずつ〝達人〟が来ると聞いて、ロナとバトゥアンの顔は自然と強張る。

 人越拳神・本郷晶といえば最強の空手家の一角と謳われた達人。そして逆鬼至緒は本郷晶のライバルであり、同じく最強の空手家と謳われた男。両名とも確実に特A級の実力者だろう。

 

「しかし彼等は強力な武力を有してはいますが、ここティダードに土地勘がありません。対してロナ姫には土地勘はあっても戦力がない。ただ敵が拳魔邪神というのは共通しています。

 ロナ姫に置かれましては、彼等に共闘を要請してはどうかと。梁山泊と一影九拳の達人を同時に味方にできれば、拳魔邪神を相手にしても勝ち目が見えるだろうと邪帝様は仰っておりました」

 

「成程。拳魔邪帝殿は武のみならず優れた知略もお持ちのようですね」

 

 互いのメリットとデメリットを計算し、とるべき最良の選択肢が提示されている。

 助言という形をとっているが、これは事実上の指示だ。クシャトリアからの助言を退けようにも、他に代案などない以上は受け入れるしかない。

 バトゥアンもそれは分かっているようで、なんとも複雑な顔をしていた。

 

「分かりました。拳魔邪帝殿の助言、有難く思います。して拳魔邪帝殿は此度の内乱にどのような立場でおられるのか?」

 

「我が主人は中立でございます。ただし貴方側寄りの。これでは御不満ですか?」

 

「いえ。それだけ聞ければ満足です」

 

 こちら側寄りの中立ということは、情勢次第で味方に引き込むことも可能ということだ。そして当面の間は敵に回ることもない。

 

「では私はこれにて。我が主人に良い報告を持って帰れそうです」

 

 ロナは「せめて少し寛いでいけばどうか」と言おうとしたが、口を開いた時、既にゲラスの姿は消えていた。ちらりとバトゥアンを見れば、彼もまるで認識できなかったようで目を白黒させている。

 自分は兎も角、達人のバトゥアンにも気づかせぬほど素早く立ち去る技量。拳魔邪帝の恐ろしさを垣間見た気がした。

 

 

 

 

「やれやれ。変装して己を語るのも妙な気分だ」

 

 古城を出て暫くしてから、ゲラスは己の顔を剥ぎ取って溜息をついた。

 月明かりがゲラスの顔を照らす。そこに浮かび上がったのは白髪赤目の妖怪染みた面貌。シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの顔が在った。

 

「ロナ姫はこれで梁山泊と闇に協力を要請するだろう。彼女に選択肢などないのだからな」

 

 人を思ったように動かすのは、コツさえ掴めばわりと容易い。要は他の選択肢をなくしてしまえばいいのだ。第二第三の選択肢があるから人は迷う。選択肢が一つしかないのならば、そもそも迷うことが出来ない。

 尤も筋金入りの愚者だと何も選ばないという選択をしてしまうので、これも絶対的なものではないのだが、ロナ姫は愚か者ではないので大丈夫だろう。

 

「無敵超人、ケンカ100段、人越拳神、史上最強の弟子、王子と王女。これだけの面々が今や我が手の内に。少し癖になりそうだよ。この感覚は」

 

 拳魔邪神ジュナザード。一人の男を抹殺するために、これだけの面子を用意した。

 過剰と思うことはない。あの邪神を相手にするのであれば、これくらいの戦力は必要である。なにせこれは神話以来の神殺しなのだ。神を殺すのに過剰というのもあるまい。

 

「師匠。貴方は常に愉しい死合いを求めていた。己の命を賭した闘争を欲していた。今や名だたる超人・達人が貴方を狙ってティダードに来訪しようとしている。俺から贈るプレゼントです。どうか堪能して下さい」

 

 拳魔邪神ジュナザードといえど不滅の存在ではない。これだけの超人・達人と戦えば、敗北せずとも必ずや疲弊する。

 そして疲弊しきったジュナザードなら、クシャトリアでも殺すことが出来るはずだ。

 

「この時のために……これだけを成す為にこれまで生き抜いてきた。我が悲願を果たすため踊って貰うぞ、武術世界」


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