人間、行動をしなければ何も始まることはない。
プロ野球選手になる、というのは将来の夢で最もポピュラーなものの一つだ。最近は野球選手より公務員の方が人気なところに寂しいものを感じるが、野球選手も公務員も将来の夢であるということは同じだ。
だが夢にせよ或は願望にせよ、行動せずにそれが果たされることはない。
プロ野球選手になるならドラフトに指名されるなり入団テストに合格するなりしなければならないし、公務員になるには公務員試験を突破する必要がある。無論テストに合格するためには、膨大な時間を練習や勉強に費やす必要がある。
そして現実とは無情なもので相応の努力をつんだ人間が、それ相応の報いを得ることが出来るとは限らない。
人生の大半を野球につぎ込んでも、プロ野球選手になれない人間がいる。高校生から野球を始めておいてプロになってしまう天才がいる。
凡人が100の努力をしても100の対価を得れないというのに、稀に10の努力で100の対価を得てしまう天才(幸運)が存在する。
新白連合の切り込み隊長、なんてものを悪友から押し付けられた白浜兼一は凡人だ。
兼一の友人はそれこそ煌めく才能の持ち主ばかりだが、兼一は彼等と違って武術的には全くの凡庸だ。
凡才ですらない無才。それが白浜兼一だ。
だがそんな兼一だからこそ、師匠から教えられた言葉は全て覚えている。
〝男はやるか、ならないか〟
邪神ジュナザードがいるという情報。
それだけを頼りにティダード王国へ来てしまったわけだが、来て早々にラデン・ティダード・ロナ姫と合流するなど、事はとんとん拍子に上手く進んでいる。
そして今、兼一はジュナザードがいたという場所に来ていた。
「………………」
到着してみれば、そこにあったのは燃やされて炭になった木造の家。黒くなって倒壊した家屋は、まるで焼き討ち後のようですらある。
触れてみれば、燃えカスには僅かに熱が残っていた。燃やされてからまだそう日は経っていないだろう。
(人のいた気配は、ない)
炎は小屋のみならず、人の住んでいた気配まで悉く隠滅していた。ジュナザードがここにいたという情報も、こうなれば怪しいものだった。ジュナザード派が流したガセ情報という可能性もある。
果たして本当にここに美羽はいたのか、それともいなかったのか。
兼一の心が後者に傾きかけた時、視界にあるものが映り込む。
「ガセネタか」
「いえ、違います。美羽さんは確かにここにいたんです」
先程までの自分と同じ考えに至った師の言葉を、兼一は力強く否定する。
「なんでそう言える?」
「これです!」
兼一は焼き討ちされた家屋に唯一残った痕跡――――髪飾りを差し出した。
緊急時のためにナイフが飛び出す仕掛けが施された髪飾り、こんなものを所持しているのは世界に一人だけ。
「そいつは美羽の!?」
「はい。美羽さんのお母さんの形見の髪飾りです」
美羽がどれだけ両親に対して強い憧れを抱いているかは、父親の情報を得るため叶翔に着いていこうとしたことからも分かる。
そんな美羽が母親の形見である髪飾りを置き忘れるなんてことはしないはずだ。
兼一たちに自分の居場所を教えるため敢えて残したか、それとも置いていかざるを得ない状況なのか。どちらにせよ好待遇を受けているなんてことはないだろう。
不幸中の幸いといえば、ジュナザードの目的があくまでも優秀な弟子を我が物とすることだということだ。
殺す為ではなく弟子として強奪した以上、ジュナザードが美羽を殺すということはないだろう。
「美羽さん……」
しかし相手は拳魔邪神ジュナザード。自分の弟子を無慈悲に殺める外道だ。殺されはせずとも一体全体どんな扱いを受けていることか。
結局。その日は髪飾り以外の手がかりが見つかることはなく、兼一たちは森の中の古城へと戻った。
古城に戻った兼一は、テーブルに置かれた髪飾りを見つめながら思案に耽る。
後一歩のところで美羽を助けられなかった自分の不甲斐なさにも腹が立つが、他にも気になるのは事態の陰で暗躍するクシャトリアの存在だ。
梁山泊のみならずロナ姫の下にも現れ、梁山泊や闇と手を結ぶべきだと助言をしたそうだが、果たして一体全体なにを考えているのか。
(クシャトリアさんは拳魔邪神の弟子だ……。けど)
洞窟で聞いた話によれば、クシャトリアは今回の美羽と同じように半ば強引に拉致され弟子にされたらしい。そうなるとジュナザードとクシャトリアとの間には、自分や師匠たちとは対極の感情があると考えても良いだろう。
少なくともジュナザードのことを語るクシャトリアの顔には、師匠への好意は欠片も見受けられなかった。
「クシャトリアさんは何をしようとしてるんだ?」
まさかあのクシャトリアが純粋な善意でこちらを助けてくれるとも思えない。兼一が実際に話した限りでは、クシャトリアはそういったお人好しにも見えなかった。
ということは必ず何か目的があって梁山泊やロナ姫を援助しているのだろうが、その理由が兼一には皆目見当もつかない。
ただ美羽を救出する上で、クシャトリアの動きは重要な要素を孕んでいる。それだけはなんとなく予感できた。
クシャトリアが温めていた計画を実行に移す為、ティダードへと向かったことで、必然的に弟子であるリミに構う時間もなくなった。
恐ろしい師匠の目から離れたリミは、日頃の鬱憤を晴らすようにさぼりまくっている――――ということはなく、毎日自主的な修行に励んでいた。
普段の言動から勘違いされ易いが、基本的にリミは努力家である。
想い人である朝宮龍斗の隣に立つ。その願いのため武の道を歩み始めたリミは、結局のところクシャトリアにどのような修行を強いられたとしても逃げることだけはしない。
この想い人に対する愚直なまでの一途さは、ある意味において白浜兼一とも共通するところだった。
尤もリミも人の子。日頃地獄を見ているのだから、少しくらい休みたい――――という思いもなくはない。その思いを抑え込み厳しい自主修行を続けているのは、一重にクシャトリアに対する恐怖故だった。
(さぼってるのばれたら、罰ってことで師匠からとんでもないことさせられそうだし)
リミはクシャトリアのことが師匠として好きだが、同時にその恐ろしさも身に刻まれている。
遺書を書かされた上での無人島一か月間放置プレイに始まり、ヤクザの事務所に単身放り込まれ、腹を空かせたライオンに追われ、脚力をつけるために崖から突き落とされ、組手では毎回ボコボコにされ、酷い時など内戦地帯に置き去りにされたこともある。
本来は活人拳の技である流水制空圏をも会得しているクシャトリアの読心術は相当のものだ。閉心術を会得していないリミでは、クシャトリアに対して嘘をつくことはできない。さぼれば直ぐにばれてしまうだろう。
もしそうなればクシャトリアは良い笑顔で、己の弟子を無間地獄へと叩き落すはずだ。リミにはその確信がある。だからこそクシャトリアがいなくても、リミは普段以上に自主的な修行に精を出していたのだ。
『小頃音リミ、だな』
「っ! 誰!?」
地獄の底から響いてきたような低い声が、修行中のリミの耳朶を揺さぶる。リミは瞬時に壁を背にすると、姿を見せぬ謎の来訪者を警戒した。
しかしどれだけリミが目を凝らそうと敵の姿はなく、どれだけ耳を澄ませようと敵の物音を聞くことはできない。
ただ途方もない存在感だけが、リミの心臓を鷲掴みにする。
(な、なんだかやばめな雰囲気ね。龍斗様の彼女を目指す女として情けないけど、なんだかこの声の人に全然勝てる気しないもん。もしかして達人級……?)
アホだが回る時はプロペラの如き勢いで回るリミの頭が、見えざる脅威によって嘗てない勢いで回転する。
相手が達人級ならば、弟子クラスのリミが100人いようと勝ち目はゼロ。直ぐに助けを呼ぶという最適の選択肢に思い当たる。
「アケ――――」
『無駄だ』
この場にいる達人級の一人、アケビに助けを呼ぼうとするも、それは謎の声によって遮られる。
『私がどうしてこの場にいるかまで考えが及ばなかったのか? お前の頼みの綱であるアケビなる者はとっくに我が手にかかった』
「こ、殺しちゃったの……?」
『いや。そうすることも出来たのだがな。拳魔邪帝様はジュナザード様が唯一その名を分け与えられた御方。そんな御方の配下を殺すのは忍びない。気絶しているだけだ。尤も一か月は碌に戦えぬ体だろうがな』
アケビが生きていたことにほっとするが、それ以上に気になる単語にリミは耳を逆立てた。
「ジュナザード様? まさか――――」
『左様。私は邪神様が配下の達人が一人。ジュナザード様の命により、そなたを捕えに参った。一緒に来てもらうぞ、小頃音リミ』
アケビを倒すほどの達人級相手に、リミが抗える道理はなく。小頃音リミは拳魔邪神の手の者によって連れ去られた。
シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが全く知らぬ間に。
クシャトリアは超高速でフラグを回収していきました。