拳魔邪神ジュナザードが己の配下と共にヌチャルドの砦を襲撃した。その報告が兼一に届いたのは、日が暮れて夜の闇が太陽の光を追放する間のことだった。
急いで砦の見える場所まで行けば、燃え盛る砦が巨大な灯となっている。さながらキャンプファイヤーのようですらある幻想的な景色。だがそれは幻想とは程遠い血腥い戦火の傷である。
ティダード王国で最大勢力を率いていたヌチャルドの砦には、常時相当数の軍隊や傭兵が防備していた。中には金で雇われた達人級もいただろう。
けれどそのようなものは拳魔邪神の前には無意味。
人間は時に英雄となりて怪物を駆逐する。人間は時に英雄すら呑み込む。だが人間は〝神〟には勝てない。
ジュナザードという神威を相手にしては、如何に堅牢な砦といえど持ち堪えることはできなかった。
「有り得ない……ジュナザードがヌチャルドを襲うなんて。ヌチャルドはジュナザードの後ろ盾で大きくなった勢力なのに」
「なんだと?」
「ええっ! それじゃ味方を襲ったってことじゃないですか!」
まったくの埒外の出来事にロナ姫が唇を震わせながら言う。
ロナ姫の言葉が真実ならばヌチャルドとジュナザードは協力関係、いや、ジュナザードの方が上位の関係にある。ならばジュナザードが襲うべきなのはヌチャルドの敵であって、ヌチャルド自身ではない。それが普通だ。
しかし拳魔邪神には人間の普通なんてものは当て嵌まりはしない。
「それがジュナザードという男なのです。彼奴は国の安定を望みません。常に動乱の状態を作るため、強くなりすぎた力は仲間でさえ抹殺するのです」
「――――っ!」
瞬間、またしても雪崩に巻き込まれ死んだジェイハンの姿がフラッシュバックする。
確信した。拳魔邪神ジュナザード。嘗ては救国の英雄だったかもしれないが、今の邪神は弁護のしようもない真正の外道だ。
拳聖、ディエゴ・カーロ、アレクサンドル・カイダル、アーガード・ジャム・サイ、馬槍月、櫛灘美雲。これまで兼一は一影九拳に名を連ねる武人を多く見てきたが、拳魔邪神はその中でも最悪に危険だ。
しかし、だ。例え危険だろうと、あの砦に拳魔邪神がいるのならば兼一のとるべき行動は一つだ。
「とにかく今、あの炎の中に拳魔邪神がいるのなら、行って美羽さんの居場所を聞き出すのみです!」
「ばっきゃやろう! そいつは……」
野獣の笑みを浮かべながら、逆鬼至緒が正拳突きで壁を粉砕して道を開く。
「俺の台詞だぜ!」
道が開くのと同時に兼一、ロナ姫、バトゥアンの三人も戦場へと飛び込んでいった。
「なんてこった! 完全に戦争じゃないか!」
兼一が砦近くに降り立つと、そこでは既に異常なる戦闘が繰り広げられていた。
砦を守る任を帯びた国軍と傭兵とが入り乱れて銃火を炸裂させている。時に人間の携帯できる砲火を遥かに超えた戦車の砲口が火を噴いて、家屋を丸ごと消し飛ばす。
ヌチャルド側の兵隊たちにおかしなところはない。急の襲撃に混乱してはいるが、装備も服装も極普通のそれだ。
常識外なのは彼等の敵の方。砦を襲う敵は一切の銃火器を所持していない。装備している武器といえばカランビットなどのシラット特有の武器だけ。武器を持たず無手の者も多くいる。
ともすれば装備において圧倒的に劣勢なのはジュナザード側。だというのに彼等は装備において勝るヌチャルド側を完全に圧倒していた。
その理由は若いながら達人の世界を垣間見た兼一には直ぐに分かった。
(――――やっぱり、全員が武術家。それも……弱い人が一人もいない!)
ジュナザード側の戦闘員一人一人が武人。しかもどれだけ弱くても弟子クラス上位の実力者。大半を占めるのが妙手クラスであり、中には達人級もちらほらいる。
弟子クラスでも上位の実力者となれば、並みの兵隊十人は軽く鎮圧できるほどに強い。そこに弟子クラスを超えた妙手に、妙手すら上回る達人がいるのならば、ヌチャルドの砦が陥落するのも無理はないことだろう。
冗談抜きでこのままだとヌチャルドの勢力に属する人間は皆殺しにされるかもしれない。
「くっ! どうしてこんなに達人級が沢山いるんですか!?」
「シラットは日本の空手並みに流派があり、その達人たちを彼奴は門客として飼っているのです!」
「なんと」
言いながらバトゥアンが敵シラットの達人の武器を破壊し昏倒させていた。どちらかといえば殺人拳側に属するバトゥアンだが、今回に限っては味方にした梁山泊に倣って活人を貫いていた。それにしても王家の護衛だけあって相当の実力者である。バトゥアンは敵の達人達に一歩も引かずに、殺さずに無力化していっていた。
だがそれ以上の勢いで敵を沈黙させていっているのが〝ケンカ100段〟逆鬼至緒。並みの達人がまるで相手になっていない。前蹴り一つが達人二人を吹き飛ばし、正拳突きを放てば夜空に人が飛ぶ。兼一は改めて自分の師匠の凄まじさを思い知った。
ただ如何せん敵は数が多い。幾ら逆鬼至緒という武人が特A級に名を連ねた豪傑でも、その肉体は一つ。どうしても手が届かない場所がある。負けることはないにしても、このままでは死者が出てしまうかもしれない。
かといって兼一程度では達人級をどうすることもできないので、歯がゆくとも今は邪神と美羽を探すことに全神経を注ぐしかなかった。
「――――ッ――――ッ!!」
途方もない悪寒を感じて兼一は飛びのいた。瞬間。兼一の立っていた場所を巨大な刃が抉り取る。
何事かと兼一が見れば、そこに立っていたのは仮面で顔を覆い尽くした大男だった。
第一印象は巨人。天を突くような巨体はあのアーガードよりも上だろう。背中には多種多様な人を殺すための武器を背負っている。
仮面の奥から漏れる声は獣の唸り声そのもので、とても人間のものとは思えない。
「な、なんだこの人」
「そいつはペングルサンカン。拳魔邪神ジュナザードの弟子の一人だよ」
「っ! 貴方は――――」
戦場を散歩するような気軽さで見知った男が歩いてくる。仮面をつけているが体格といい声といい間違いない。拳魔邪帝クシャトリアだ。
「才能ある若者を武器組から弟子にとったんだがね。結果は御覧の通り。あらゆる修行に耐え抜いた代償に人を見れば誰彼構わず殺そうとするバーサーカーに成り果てた。
バーサーカーといっても彼は妙手。弟子クラスでも徒党を組めば倒せない相手じゃないが、少なくとも君一人で勝てる相手じゃないな」
「クシャトリアさん!? なんでここに」
「散歩だよ」
「さ、散歩……?」
明らかに嘘と分かる嘘に兼一は目を丸くする。クシャトリアの嘘に驚いたのではなく、こんな騙す気が欠片もない嘘をクシャトリアがついたことが驚きだった。
「おっと。余所見している暇はないぞ。兼一君」
「え、うわっ!」
ペングルサンカンは大刀を振り下ろしてくる。巨岩の重さをもつ斬撃を、兼一は慌てて回避した。
あんなもののの直撃を受ければ帷子があろうと一溜まりもない。
「ペングルサンカンは獣と化しているが、だからこそ明確な格上。つまり我が師匠や俺を襲うことはない。そして俺も今のところ君を助けるつもりもない。ま、頑張ってくれ」
「あ、ちょっと――――」
まだ聞きたいことは山ほどあるので、兼一は慌てて呼び止めようとする。しかしクシャトリアがパチンと指を鳴らすと、ペングルサンカンが兼一の行く手を遮った。
信じがたいことだがクシャトリアはこのペングルサンカンと意思の疎通、というより指示を与えることが出来るらしい。
「ペングルサンカン。殺さない程度に相手してやれ」
「――――ッ――――ッ!!」
クシャトリアの指示に「YES」と返答する代わりに、ペングルサンカンは雄叫びをあげる。
殺さない程度に、と付け加えてくれた所にクシャトリアなりの恩情を感じるが、それでも厄介なことに違いはない。
「くっ。急いでいるのに」
無視して美羽とジュナザードを見つけなければならないが、かといってペングルサンカンはそれを許してくれるほど生易しい相手ではない。
かといってペングルサンカンは妙手。弟子クラスの兼一だけでは逆立ちしたって勝てない怪物だ。
一体どうすれば。兼一の頭に弱音が生まれそうになった時、空の上で透き通るような声が鳴った。
「よう、白浜兼一。相変わらずノロノロと地べたを這い蹲ってばかりだな」
ペングルサンカンの脳天に蹴りが直撃する。ペングルサンカンを蹴り飛ばした男は、空を切る羽のようにふわりと地面に着地した。
「お、お前は……叶翔!」
元YOMIリーダーにして〝史上最凶の弟子〟叶翔。
この世で一番気に入らないが、この場では一番頼もしい援軍の登場だ。