冬になると早朝の田んぼに姿を現す水鷺の獣人が居た。

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となりのダイサギさん

 田舎で生まれ育った。田舎と言っても郊外の畑が広がる中に大型デパートがある位の田舎だった。

 高校生になると、電車で通学するようになった。家を出て、最初の数日はきちんと道路を通って最寄りの無人駅まで歩いていたが、それからは近道の田んぼの畦道を通るようになっていった。

 雨が降って足場が泥濘にならない限りはその道を行きも帰りも通る。

 まだ肌寒さが残る春には稲が植えられ始め、夏になれば田んぼの側面やらにザリガニの巣穴が見えるようになった。秋になれば刈られた稲からほんのりと米の甘さが漂うような香りがし、またトンボが飛ぶようになってくる。

 そして冬、霜柱を踏み砕きながら水鷺の獣人を見つけた。

 部活動の朝練の為に、冬となれば日の出る前の薄暗い時間に出掛けなければいけず、しん、と静まり返った道を白い吐息を出しながら歩いていた。

 加えてイヤホンを付けて外界の音をシャットアウトし、マフラーを首に巻き付けて若干下を向いていたものだから、それを見つけたのは開けた視界の道を歩いていても、畦道に入ってから暫く、ふと顔を持ち上げた時だった。

 足と翼の他に手を持つ水鷺の獣人で、それは自分が生で初めて見る獣人だった。

 種によっては文明の発展に伴って遥かに数を減らしてしまったと言う獣人は、動物園でも飼われている事も少ない。見た事があると言っても、図鑑やテレビの中だけだった。

 足は自ずと止まり、ぼうっとそれを眺める。三〇メートルから五〇メートル先に居るその水鷺の獣人は田んぼの用水路を淡々と見つめていた。

 種によっては人を襲う事もあるという獣人だが、目の前、その水鷺の獣人からはそんな攻撃的な様子は見えない。

 単純に自分を認識していないから、という事もあったが、それ以上に腕や足は細長く、教科書から部活の道具までが入っているバッグをぶん回せば折れてしまいそうな華奢さだった。

 カンカンカンカン、と踏み切りから音が鳴り始めたのに気付く。

「あ、ヤベ」

 電車が来ている事に気付いて走り出す。見ていたい気持ちもあったが、朝練をサボって怒られてしまう方が問題だった。

 畦道を曲がって、一度だけ後ろを振り向く。

 水鷺の獣人は自分の方を向いていて、けれど追いかけて来たりなどという事は無かった。

 

 電車にギリギリ間に合い、空いている電車内のいつもの位置に座る。バッグを膝の上に乗せてスマホを開いた。

 写真でも撮っておけば良かったと思いながらも調べてみれば、水鷺の獣人は他の肉食の獣人に比べればそこまで攻撃的ではないようで、加えて数の少なさから一部地域では幸運を運んでくる有難い存在としても扱われていたようだった。

 獣人の中では研究も進んでいる方の部類に入り、獣人そのものが珍しいと言えど、その中では研究者達が垂涎する程の存在ではない。

 それだけを調べて満足すれば早朝の温かい電車内の事もあって、眠りに就いた。

 明日ももしかしたら居るかもしれない。だから、双眼鏡でも持ってちょっと早く家を出よう。そう思いながら。

 けれど、冬の朝早くの登校においてギリギリまで布団に潜っていたいという欲望は果てしない程に強く、また水鷺の獣人が見れるかもしれないという期待程度では、更に朝早くに家を出ようとまで強い意志を持てる事は無かった。

 そんな間も数日に一回程の頻度で、水鷺の獣人は姿を見せていた。

 自分がいつも通っている畦道には水鷺の獣人も強く近付いてくる事も無く、自分も近付いたりそんな他人に強く話す事も無く、精々写真に留める程度。

 心の中で名前を付ける事も呼び掛けたりする事もせず、水鷺の獣人はただただ登校時のアクセントとして落ち着いて行った。

 時に焦って走っていく日も、大きな欠伸をしながらたらたらと歩く日も、過去には幸運を運んでくる存在として扱われていたと言うその水鷺の獣人が居れば、ほんの少しだけ、今日は何か良い事があるように思えた。

 そして冬の寒さが段々と和らいでくる頃、水鷺の獣人は居なくなった。

 

 けれど、次の冬になれば水鷺はまた姿を現した。

 高校二年生。先輩達は引退した。進路を考え始める時期になっていた。

 冬の初参加の大会の日には水鷺は現れなかった。二回戦で負けた。模試の日には水鷺が現れた。いつもとは違う試験会場に迷って辿り着けなかった。欠伸をしたら足を滑らせて思いきり田んぼに落ちた。水鷺が少しだけ近付いて来ていたのを見ながら家に戻った。人に似たその顔を最も近くで見たのはその時だった。夜遅くに学校から帰って来るとやって来ていた親戚からアップルパイが置いてあった。その冬に見た最後の水鷺の日には、期末テストでの予習範囲が笑える位に当たっていた。

 その次の冬も水鷺は姿を現した。

 高校三年生。部活動では大した成績を残さずに引退した。国公立なら大学に行っても良いという親の意志によって勉強も佳境に入っていた。

 センター試験の一日目には水鷺は姿を現し、二日目には現さなかった。一日目の結果は自信のある所をそこそこ外してしまっていた。自信の無い所が大体合っていた。二日目の結果は自分の体感とそんなに外れなかった。

 二次試験は前日からゆっくりとホテルに向かう事もあって、早朝から向かう必要は無かった。けれど水鷺が居るかを見たいのと、迷子になった経験もあって下見をじっくりしておきたいのもあって、いつもと同じ早朝に出た。

 結局の所水鷺が居るか居ないかでは大して自分の調子は変わらないとは勿論分かっていたが、それでももう、水鷺が居るかどうかを確認するのは習慣になっていた。

 水鷺は居た。試験は自信満々と言う程でもなく、絶望する程でもなく、絶妙に不安な結果だった。

 後日、試験結果の発表の日、水鷺が居るかどうかを見に行く程の精神的余裕も正直無かったが、それでも無理矢理体を起こしてゲン担ぎのように見に行った。水鷺は居なかった。絶望して、家の内外を落ち着かないようにとにかく歩き回って、けれど合格していた。

 強く叫んだ。多少の罵倒も入っていた。

 

 程なくして大学生活が始まった。自転車でアパートから通う。実家に比べればやや都会のこの近辺には獣人は居なかった。近くの山では目撃情報があるとも聞いた事はあったが、それを態々見に行けるようなアウトドアサークルに入る事も無かった。

 初めての一人暮らしに慣れて来る頃の夏休みに実家に帰り、そして飯が勝手に出て来る事にそこで強い感謝を覚える。

 夏休みも終えてまた大学に戻り、バイトを始めようと決めた。ただ、年末年始は帰りたかったので、選ぶのに苦労した。

 冬休み、出来た友人達の誘いも断って実家に帰る。

 頭の片隅には水鷺があった。特に冬になってからはそれが強かった。実家でだらだらしたいという気持ちも勿論あったが、早朝に水鷺を見に行きたいという気持ちも同等以上にあった。

 実家に帰って翌朝、朝早くに起きて水鷺を見に行く。

 水鷺は居た。今は稲を刈っただけの寂しい田んぼをまるで遊ぶかのようにぴちゃぴちゃと水を跳ねさせながら歩いていた。

 それを畦道までは入らず、車道のガードレールに体重を預けてただぼうっと眺めた。

 寝巻のまま大した防寒具も着けずに来たものだから、手先も足先も冷たく、耳も痛くなってくる。

 そろそろ帰ろうかと思う頃、水鷺が自分に気付いて、ちょっとの時間だけ目が合った。それから水鷺はまたぷい、と顔を背けて遊び始めた。

 満足して自分も家に戻る事にした。

 とても良い二度寝が出来そうだった。


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