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─────ぎい、と錆びついた扉が軋みの音を上げて開いた。
視界に飛び込んできたのは無機質な灰色。剥き出しのコンクリートがまっ平らに続く床と、周囲に張り巡らされた金網状のフェンス。遮蔽物は今しがた私が出てきた小部屋だけの、何もないビルの屋上だ。吹きつける強風が髪を舞い上がらせる。空は暗く、地は明るい。
眼下に広がる街並みは、星を掻き集めて敷き詰めたかのように煌めいている。その実情は薄汚れてるどころじゃ済まないけど、まあ離れて眺める分には幻想的で良い。
「……やっぱり、全然似てないや」
当たり前だけど、歴史が変われば土地もまた変わる。四方が壁に囲まれているという特異性を無視しても、この街の風景は私が知るものとはかけ離れていた。特に思い入れは無かったはずなのに、こうしていると小さい頃の記憶が蘇ってくる。《秋葉原》で過ごしていた時は欠片も感じなかった懐かしさが心を揺らした。
とは言え、ノスタルジーに浸ってる場合じゃない。ここには観光ではなく、仕事で来たんだから。
「……行こう。情報通りなら、ターゲットはこの先だ」
誰にも言うでもなく呟いて、コンクリートの床を蹴る。加速の勢いを乗せて跳躍し、鉄柵を飛び越えて宙に身を投げ出した。風を切る感覚。重力に従い、私の身体は
ここは日本の中枢都市。文字通り常夜となった眠らない街。とある犯罪計画の為だけに作られた殺劇舞台。
《新宿》──私の生まれ故郷と同じ名を冠す特異点が、サーヴァントになった私こと宇津見エリセの初仕事の場所だった。
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遊戯界の事件を経て、私は少しだけ違う世界の天文台──人理継続保障機関フィニス・カルデアにやって来た。
サーヴァント──降霊魔術の結晶にして、人類史に燦然とその名を刻む尊く気高き御魂達。私のいた世界では身近な存在で、誰もが聖杯と自身のサーヴァントを有していた。唯一の例外は自分だけ。ボイジャーと出会い契約を結ぶまで、私は世界の流れから外れた存在だった。
でも憧れは確かにあって。私は自分でも知らない内に、彼らサーヴァントの末席に名を連ねたい、なんて恥知らずな願いを抱いていたらしい。遊戯界でマリー王妃の姿を取った邪霊……私自身との闘いの末に望む『役割』を見出した私は、こうしてカルデアのサーヴァントとして存在を再定義した。つまり望み通り、立場上は英霊達と同じになった訳だ。
清濁を呑み込んで国を治めた王。一騎当千の戦士。陸を拓き、海を往き、空に手を伸ばして人類の世界を広げた冒険者。綴った言の葉で世界中の人の心を揺さぶった文豪。ああまさに綺羅星のように輝かしい、人類の至宝────!! たかだか一都市の治安を守る汚れ仕事をしていただけの私には不釣り合いな肩書きなのは分かってるけど、憧れの彼らと同じ立場で直接話をして触れ合えると思うと、胸の高鳴りが止まらない。
そうして始まったカルデアの生活は、驚天動地の日々だった。
私の為に開いてくれた歓迎会ではサーヴァント達から質問攻めに逢って興奮がキャパを超え、鼻血を出しながら倒れるという女子として憤死モノの絵面を晒して気絶した。目覚めた後は一日中部屋に引き籠ってた。
あの騎士王が実は女性でしかも十人近くいた。ついでにその息子も娘で、一人だけ
彼の鷹の魔女が振舞ってくれた麦粥を食べたら半日近くブタになった。意識を保ったまま人間で無くなるという恐怖体験は、私の精神を崩壊一歩手前まで追い込んだ。
私の中に潜むモノを偶然目にしたフローレス・ナイチンゲール女史が、殺菌と叫びながらオキシドールをバケツ一杯に持ってきて一日中追いかけまわされた。史実の逸話も納得の苛烈ぶりは、仕事で相手をしてきたどのサーヴァントよりも恐かった。
シグルドとブリュンヒルデ──北欧神話きっての悲恋として伝わる男女と偶然話をした。両者とも逸話とは程遠い穏やかな性格で、つい興奮してしゃべり過ぎた私にも気を悪くしないでいてくれた。……会話中、隙あらば差し込まれる惚気に反応して放たれるブリュンヒルデの刺突を、血だらけになりながら笑顔で受け止めるシグルドがこう……凄かったけど。
モザイク市の《秋葉原》とは違い、カルデアのサーヴァントの能力には制限がない。その気になれば独断で宝具も開放出来てしまう環境というのは、失礼な表現をしてしまえば放し飼いの猛獣だらけのサファリパークみたいなものだ。仕事柄、宝具の脅威を身を以て体感してきた私としてはちょっと信じがたいものがある。
そんな感じのたった数日で、私の価値観はジューサーにかけられた果実みたいに変貌した。彼らへの敬意は変わらないけど、接し方については色々と考える必要があるみたいだ。
トラブルが起きない日はなく、天地がひっくり返るような毎日。だけどみんな楽しそうで、《秋葉原》よりも英霊らしく見える。マスターもマシュさんも私を気にかけてくれて、ボイジャーや紅葉さんのように気心の知れた相手もいる。騒がしくも充実した日々だ。
──ああ、でも。ふと考えてしまう時がある。
こんなにも輝かしい場所に、私の
*
「これで五つ目、か」
テーブルの上に広げた地図に、赤ペンで大きくバツ印をつける。
一仕事終えた私は、この特異点に構築した拠点に戻っていた。と言っても工房のような立派なものではなく、ちょっと寂れたホテルの一室。因みに宿泊代はレイシフト前に持たされたお金でちゃんと払っている……ダ・ヴィンチ工房で造られた、とんでもなく精巧な偽札なんだけど。つまり詐欺である。
この新宿に来てから三日目。情報は揃ってきてるけど、核心的な手掛かりは掴めていない。
「……寝よ」
『準備』を済ませると、ベッドに身を投げる。一日中夜のせいで時間感覚が狂いがちになるけれど、十時間ぶっ通しで動いてきた身体は疲労を訴えていた。本来霊体のサーヴァントは睡眠を必要としないが、私の世界でもカルデアでもサーヴァントは睡眠を摂っていた。前者は一種の娯楽として。後者は魔力消費の削減を目的として。仕事の上ではこの上なく便利だけど、緊急時以外は《夜警》としての生活サイクルは崩さないように心掛けている。サーヴァントになったからと言ってじゃあ寝ない、と切り替えるのもちょっと抵抗があるし。
本当はシャワーも浴びたかったけど、ひとまず休んでからにしよう。
黙って横になっていると、段々と瞼が重くなってくる。なのに沈黙の落ちる部屋はどうしてか肌寒く、意識はますます冴えていく。
向こうではいつも側にボイジャーがいて一緒に寝てたりしていて。カルデアは個室だけど、おはようもおやすみも言い合える相手がいた。ボイジャーに出会うまで一人での生活がずっと日常だったはずなのに、どうしてこんなに心細いんだろう。
「……ダメだな。私」
布団を頭まで被り、身体を丸める。今は無理にでも休んで、ちゃんと務めを果たさないと。
身体に命令を送り続けること十数分。ようやく休眠状態に移行する。意識も感覚も、曖昧になって溶けていき────
バルコニーに投げ込まれた爆弾が、ホテルのワンフロアを丸ごと吹き飛ばした。
雷鳴に似た轟音が夜に響く。続けざまにRPGが複数撃ち込まれ、柱を完全に破壊されたホテルの上階は倒壊した。更にホテルの周囲を多数の男が取り囲む。黄色のヘルメットと黒服が特徴的な、雀蜂と呼ばれる暴力屋。
「ああもうっ、サイッアク!!」
立ち込める粉塵の中から飛び出して、私は路地に着地する。周囲から刺さる敵意の視線に、私の中に潜む邪霊が騒ぎ立てる。
予想はしてたし事前に察知もしてたけど、よりにもよってこのタイミングで襲撃してくることないでしょう……!
収束する敵意。無言のまま雀蜂たちが銃口を一斉にこちらへ向けた。私は射線から逃れるように駆け出しながら、右手を開く。掌から湧き出た水が渦を巻きながら伸長し、一つのカタチとなった。
先端が二重に捻じれた、祭器に近い槍。ランサーのクラスとして霊基を得た私の新たな得物。
鉛玉の嵐を置き去りにして、身体はぐんと加速する。近くにいた雀蜂の集団に突撃すると、槍を一閃して薙ぎ払う。気絶したのを確認して、槍をくるりと回す。槍から染み出るように溢れ出した水は、壁となって銃弾を阻んだ。驚愕する声に向けて、今度は箒を扱うように槍の先端を下から横へ払う。
うねる流水が牙を剥く。水の壁が崩れ、津波となって別の雀蜂を飲み込む。銃弾だけでなく魔術礼装で攻撃してくる敵もいるが、こちらも脅威とは呼べない。無造作に槍を振るい、縦横無尽に蠢く水が翻弄する。邪霊の力に頼るまでもなく圧倒していく状況とその力の出鱈目さに否応なく心臓が高鳴る。
これがサーヴァント。人々の信仰によって精霊の領域にまで押し上げられた人類サイドの守護者。人の扱う魔術を鼻で笑うような、天災の如き神秘の結晶。その力が今、確かに私の中にある──!
「ちっ……『奴ら』を出せ!!」
雀蜂の一人が叫ぶと、彼らを押しのけるようにして三人の男が現れた。
雀蜂ではない。それどころか武装もしていない、服装も身体的特徴もバラバラのどこにでもいるような男達。
唯一の共通点は、土気色の顔と感情が抜け落ちた無表情。あれはもう、呼吸をするだけの操り人形だ。
男達は緩慢な動作でポケットからあるものを取り出した。毒々しい紫色の液体が小型の注射器の中に入っている。それを自ら首筋に打ち込むと、男達の全身に赤い紋様が浮かび上がる。一流の魔術師に届こうかという本数の魔術回路が隆起し、魔力が吹き荒れる。
「見つけた……!」
あれが私の目的。この新宿で出回っている、新種の魔術髄液だ。
苦悶に満ちた雄叫びを上げると、どこからともなく現れた黒い霧が男たちを包み込んだ。輪郭が変わり、霧の一部は男の手元に集約して剣や槍といった武器になる。その外見はシミュレーションルームで相手をしたシャドウサーヴァントに酷似していた。
膨れ上がる殺意に対し、私もまた槍を構える。数は不利だが、サーヴァント相手の経験はそれなりに積んでいる。増してあんな紛い物とすら呼べない、英霊を使い潰すような真似をする連中に負けるなんて許されない。
湧き上がる怒りを飲み込んで、頭はあくまで冷静に。私と敵はお互いに駆け出し、瞬く間に距離が縮まる。
その合間に、赤い影が割り込んだ。
「え────?」
闇夜の中で、白銀が躍る。
その影は敵とすれ違いざまにその腕を斬り落とし、返す刃で首を飛ばした。迫るもう一体を屈んでやり過ごし、背後から心臓を一突きして仕留める。手に握られているのは幅広のナイフ。一目見た限りでは、宝具のような隔絶した魔力は感じない。であれば、この鮮やかな手際は本人の技量によるものだ。
仲間が倒されたことを脅威と認識したのか、残る一体も闖入者に突撃する。そのがら空きになった背中を見逃さず、復帰した私が槍を突き出してアッサリと討ち取った。
倒れた三体の身体から黒い霧が晴れていく。けれど男達は無事では済まず、その身体はどろりと溶けて消えていった。死体が腐敗していく様子を高速再生したような姿は、素養のない者が身の丈に合わない降霊を行った代償。人間としての尊厳を奪われた最期に、胸が痛くなる。
「増援か!?」
「チ……撤退するぞ」
旗色が悪いことを理解した雀蜂が足下に何かを投げると、それは勢い良く煙を吐き出して膨張する。目くらましの煙幕だけど煙の中に魔力が混ざっている。迂闊に飛び込むのは危険だ。
煙が晴れると雀蜂は完全にいなくなっていた。痕跡を辿れるかは時間との勝負だが、その前に闖入者を改めて確認しなくてはいけない。警戒を維持しつつ、後ろ姿を観察する。
まず目に入るのは、赤い革製のブルゾン。その下は薄い青色の着物だった。和洋の両極端な組み合わせに違和感は不思議となく、何故か調和が取れていて独自の格好良さがある。何もかもがおかしいこの新宿に於いてなお際立つ異常を纏ったその人は、ゆっくりと振り返って私を見た。露わになる中性的な美貌と百合のように白い肌も、ここでは非現実的で。
────瞬間、これまでに感じたことのない悪寒が全身を駆け抜けた。
「……ぁ……」
喉が引き攣り、音が遠くなる。肌の内側で騒いでいた邪霊たちの声なき声がピタリと止んだ。サーヴァントの殺意に晒されたときとはまた違う、自分がバラバラになってしまいそうな恐怖。
目の前の人物──否、サーヴァントは怪訝な表情を浮かべて私に問いを投げてくる。
「お前……生きてるのか?」
それが私と彼女――――殺人鬼、両儀式との出会いだった。
導入ということでやや短め。とは言えストックは皆無なのでどこまで続けられるかわかりません。
ラスベガス復刻ですが、カルデアに来て早々に水着剣豪とかチェイテピラミッド姫路城とか姉ビームに遭遇するエリセはどんなリアクションするのでしょうね。