「はぁっ……はぁっ……!」
夕陽が差し込む校内を一心不乱に駆け抜ける一人の少女。横に流した前髪をヘアピンで留めたツリ目の少女は呼吸が乱れるのにも構わずに階段を黙々と駆け上がっていく。時折見知った顔とすれ違って声をかけられそうになるものの、彼女はあえて気づかないふりをすると一目散に最上階――――屋上へと急いだ。
先程まで一階の生徒指導室で補習を行っていた彼女――――小山であるが、試験召喚戦争が終了したことによってようやく解放された。戦争の結果を聞き、とある人物の下に急ごうとはしたものの、その前に終わらせなければならないことを思い出し早速実行。現在はその任務を終え、目的の人物との合流を果たそうとしているわけである。何故か電話にも応答しなかった彼の居場所を突き止めるのには苦労したが、黒崎と新野が
脇目も振らず階段を駆け上がり、ようやく目的の扉へとたどり着く。はやる気持ちをそのままに、荒い呼吸を整えることもせず、小山は勢いよく屋上へと続くその扉を開いた。
「進――――!」
「んぉ? よぉ、小山じゃねぇか」
思わず名前呼びが出てしまったことは気にすることはなく、彼女の登場に驚くどころかいたって普段通りの様子で視線を向ける波多野。手摺に身体を預けたままぼんやりと階下の風景を眺めていたらしい彼はわずかに口角を上げると、いつもとは明らかに違う様子の小山に屈託のない子供のような笑顔を向けながら、
「勝ったぜ、
「っ……!」
満を持して告げられた結果に小山は感極まった様子で波多野に駆け寄ると、そのままの勢いで彼の胸の中に飛び込んでいく。自分より背が低い男性の胸に飛び込むのは体勢的に少々無理があったのか、抱かれるというよりは抱き締めるような体勢になってしまっているのはご愛嬌だ。今、大切なのはそこではない。
普段のイメージやプライドなんてすべてかなぐり捨てて、彼女は顔を伏せたまま肩を震わせる。
「ごめん、なさい……!」
「……何が?」
「私のせいで……私が勝手な事をしたせいで、アンタに迷惑を……」
「……迷惑なんかじゃねぇよ。むしろ、ありがたいくらいだ。面白い展開になったんだから、謝る事なんて何もねぇよ」
「進……」
明らかに挑発されていたとはいえ、一時の感情に支配されて一瞬でも仲間達を危険に晒してしまったのは事実だ。たとえ結果がどうあれ、クラスの代表としては落第点と評されてしまっても文句は言えない。指導室で補習を受けながら、一人罪悪感に打ちひしがれていた小山は謝罪の言葉を口にする。
しかし、波多野から向けられたのは叱咤の言葉でも叱責でもなく、感謝。何よりも騒動を好む彼にとって、小山の行動は正しくもあり好ましいものだった、と。肩を震わせて涙を流す彼女の頭を軽く撫でながら、波多野は笑顔で小山の行動に感謝を表す。
それに、と付け加えると、小山の顔を上げさせて少し照れくさそうに頬を掻く。
「俺の事であんなに怒ってくれたんだもんな。だから、その……あ、ありがとう……」
「…………」
「な、なんだよその幽霊でも見たような顔は」
「い、いや……アンタが恥ずかしがってる光景が想像できなくて、今目の前にある表情が新鮮すぎてちょっと戸惑ってる」
「うるせぇなぁ! お、俺だって人並みに羞恥心くらい持ってんだよ!」
「戦争中にあんなにイタい台詞を堂々と言い放ってるアンタが? 聞いてるこっちが恥ずかしくなるっての」
「あ、あれはその場の勢いに身を任せてるから……って、お前もさっき馬鹿みたいな台詞吐いてただろ! 全部リピートしてやろうか!?」
「なっ!? や、やめなさい! あれは言葉の綾というかその場の勢いというか……」
「『確かにアイツは――――』」
「やめろぉぉぉおお!!」
今更ながらにかつての自分を思い出して羞恥心に悶える二人。傍から見れば同レベルとしか思えない幼稚な言葉の応酬が始まると、しばらくの間互いに貶しあいながらギャースカと馬鹿騒ぎを続ける。先程までの甘いシチュエーションはどこへやら、いたって彼ららしいやりとりが屋上を支配する。
数分罵り合って気も晴れたのか、どちらともなく溜息を吐くと会話を仕切り直した。
「それで? 根本との話し合いは終わったのか?」
「えぇ。しっかり別れの言葉を突きつけてやったわ。これで晴れて私は独り身よ」
「吉井や坂本達と同じ部類ってことだな」
「確かに間違ってはいないし分類はそうなるかもしれないけれど、あの二人と同列に並べられるのは甚だ遺憾だわ」
「やーい非リアー」
「何か言ったかしら……?」
「はっはっは何も言っては俺の右腕が肩から一気に抜けるぅーっ!?」
「反省しなさい」
「イエスマム!」
まったく反省の色が見えない波多野に、もはや恒例となってしまった呆れを込めた溜息をプレゼント。しかし、小山の表情はどこか清々しさに満ち溢れた気持ちの良いものだ。憑き物が落ちたように、晴れやかな笑みを浮かべている。波多野の右関節を極めながらもにこやかに微笑む彼女につられるように、波多野もまたニィッと快活な笑顔を浮かべた。
「でもまぁ、安心したよ」
「安心?」
「あぁ。こんな言い方は良くないかもしれないけどさ、お前が根本と別れてくれて安心した」
「波多野……?」
やや気恥ずかしそうにそっぽを向いてそんなことを言う波多野。いつもの彼らしくない言動に、小山は自分の頬がわずかに火照るのを感じる。夕陽に照らされてバレてはいないだろうがおそらくは朱に染まっているだろう自分の顔。どこか思わせぶりな彼の発言に、そんなはずはないと分かってはいても鼓動が早まる。
チラ、と小山の顔を見ると、
「理由はよく分からないんだけどさ、お前が根本と付き合ってるってのが俺的には面白くなかったんだよ。お前と根本が二人でいる場面に遭遇するだけで、胸の中がもやもやしてた。何故だか、俺以外の奴がお前と仲良くしてるってのが気に喰わなかったんだ」
「ちょっ、いいい、いきなり何言ってるわけ!? そ、そんな言い方ってまるであのあの」
「俺にもよく分からないんだ。ただ、お前が根本と別れたって話を聞いて、俺はどうしてか安心してる。肩の荷が下りたって言うのか? 少しすっきりしたんだ」
「す、すっきりって……」
「……友香」
「あ、あぅ……」
唐突に放たれる誤解を招きそうなセリフの数々に、勘違いだと理解はしていてもドキドキと心臓が高鳴ってしまう。彼への想いを自覚している今だからこそ、波多野の口から飛び出てくる言葉に期待を抱いてしまう。そんな精神状態で名前まで呼ばれると、自分の意思とは無関係に彼へと視線が向いてしまう。
波多野と目が合う。見れば彼も頬を染めていて、いつの間にか完成した雰囲気のせいか「そういう」気持ちなのではないかと錯乱してしまう程に戸惑っていた。互いに視線を交錯させたまま、少しずつ距離を縮めていく。
ヤバイ、と心の中で自分自身に制止を促すが、本能がそれを切り捨てた。潤んだ瞳に波多野を映し、半開きの口からは切なげな息が漏れる。完全に恋する乙女モードに入ってしまった小山を止められるものは、自分を含めて世界のどこにも存在しない。対する波多野も雰囲気に呑まれてしまっているのか、恥ずかしそうに口元をヒクヒクと痙攣させてはいるものの、小山との距離を離そうとする様子は見られなかった。
拒否されてはいない。そのことを自覚するだけで、全身に甘ったるい快感が走る。
「す、進……」
無意識に彼の名前を漏らすが、波多野は言葉を返す余裕もないらしい。傍から見ても分かる程に顔を真っ赤に燃え上がらせている。小山が波多野を止められないように、波多野も小山を止めるほどの気力を持ち合わせてはいないようだった。
何度か目を逸らし、その度に互いを見つめる。
いつの間にか自分の両肩には彼の手が添えられていて、わずかに踵をあげて背伸びしている姿が目に入った。普通キスをするのに背伸びをするのは女子の方だろう、逆じゃね? とかいうツッコミを内心入れるが、自分が長身なのは重々承知しているので今更感のある御託は喉の奥に引っ込める。その代わりと言っては何だが、恥ずかしくないように目を瞑ると唇を重ねやすい陽にゆっくりと軽く顔を傾けた。
波多野の手に力が籠る。鼻先にかかる小刻みな息から、彼との距離がすぐそこであるということを悟った。
唇に触れる、柔らかな感触――――
「あっ」
それは、不意に小山の耳に届いた。
バッ! と首が捩じ切れんばかりの勢いで声がした方に視線を向ける。波多野も気が付いたらしく、顔中にびっしりと汗をかきながらも渾身の睨みを聞かせて音源に顔を向けていた。
視線の先――――屋上と校舎を繋ぐ扉の陰から何やら声が聞こえてくる。
『なんで声出しちゃってるんですかトオル君! せっかくいいところだったのに!』
『す、すまんすみれ! あまりにも見慣れない光景過ぎて思わず声が出ちまった!』
『トオルはうっかりさんネ! でも今回ばかりは許されないヨー!』
『さ、三人共! 代表が、進君が! 二人がこっち見てるから! 僕達滅茶苦茶ピンチだよ!?』
「…………」
「……テ・メ・エ・らぁあああああああ!! 何やってんだこらぁああああ!!」
黒崎トオル。新野すみれ。木村シェリル。野口一心。
毎度おなじみCクラスの仲良し四人組が扉の陰から小山と波多野の会話を覗いていたらしい。まったく反省していない会話が続けて聞こえてくるが、もはや叱責の言葉すら浮かんでこないレベルで、現在の小山は羞恥心に身悶えていた。見られたという事実よりも、雰囲気に呑まれたという現実が彼女のプライドをへし折っていく。
頭を抱えて声にならない叫びを上げる小山。対して、羞恥心が第一に出たらしい波多野は珍しく戸惑った様子でお騒がせ四人組を追いかけていく。
「テメェら! 覚悟はできてんだろうなぁ!?」
「やっべ! 逃げるぞみんな!」
「逃げんな!」
慌てて階段を駆け下りていく四人と波多野。彼らを見送ってしまい完全に取り残された小山は、ポカンと呆けた顔で一人屋上に立ち尽くしている。――――そして、周囲に誰もいないことを確認すると自分の唇を指先で軽くなぞった。
「……よし」
一瞬ではあったが、確かに感じた唇の感触。最終的にはお預けのようなものになってしまったものの、一連の流れから小山は改めて決意を固める。可能性はゼロではない。戦いは、始まったばかりだ。
屋上で一人、言葉を漏らす。
「絶対振り向かせて見せるんだから。覚悟しなさいよ、進っ」
ニィ、と口の端を吊り上げると。とりあえず彼らを追いかけるべく屋上を後にする。クラス代表として、先程の恨みも含めて制裁を加えねばならない。拳を握り込みつつも、口元を綻ばせながら階段を駆け下りていく。
Cクラス代表の一年は、まだまだ始まったばかりだ。
はい。長らくお待たせいたしましたが、これにて第一巻えぴそーどは終了でございます。次回からは清涼祭編。やっとやー!
一年とかいう馬鹿みたいな長さでようやく一区切り。読者の皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしました。次こそはっ、次こそはもっと早く!
さてさて、感謝してもしきれないとはこのことで、本当であれば一万字ほど皆様への感謝を綴りたい所存ではございますがそれは気力が持たないのでまたの機会に。
それでは、また次回お会いしましょう!