【完結】転生せし音色~夢に縋る青年だった少女~ 作:詠符音黎
それは、私が弦十郎さんに振られた直後、トイレで泣きはらしてからのことだ。
――……ここは?
気づくと、私は妙な場所にいた。
真っ暗な空間の中、一人スポットライトに当てられた椅子に座っている。椅子は木製で、今にも壊れてしまいそうな椅子だ。
私はとっさに立ち上がろうとするも、立ち上がることができなかった。まるで、お尻と手足が椅子にべったりとくっついているかのように離れない。
そこで、私は思った。ああ、これは夢なんだと。弦十郎さんへの恋心を自覚してから見ることがなくなっていた、あの嫌な夢なんだと。
「そう、これは貴様の夢だ」
私が夢を自覚した直後、私に闇の向こうから語りかけてくるものがいた。それは、私の方へとコツコツと歩き、やがて姿を現す。
現れたのは、風鳴一姫だった。
「これは貴様の見ている夢、しかし、まごうことなき現実でもある」
一姫は私に向かって憎悪のこもった笑みで笑いかけ、私の体に触れてくる。
腹部から、つつっと喉元にかけて指を這わせてくる。
「貴様は今、大きな絶望の中に堕ちた。それが、再度扉を……いいや、窓を開くこととなった」
――窓? 一体なんのこと?
私は質問しようとするも、口が開かない。しかし、私の思っていることを彼女はしっかりと認識しているようで、笑みを浮かべ、手で私の首元を撫で回したまま、私の背後へと廻る。
「さあ、その目でしっかりと見るといい……異端者にのみ開かれる、深淵たる真実の世界を……」
彼女がそう言うと、私の前の闇が晴れ、窓が現れた。そして、その窓はゆっくりと開き始める。
――嫌だ……見たくない……開くな……!
私の本能がそう叫ぶ。だが、私は顔を逸らすことができず、その窓の向こうを直視してしまう。
窓の向こうには星空が広がっていた。ただの星空ではなく、無数の星々が集ってできた銀河系、さらには毒々しい色をしたガス星雲。そして、それらの奥から、そいつは現れた。
そいつは、白いうねりの、今にも破裂しそうな泡の、おぞましき暗澹の集合体だった。見るからに知性を感じることはできないはずなのに、なぜだか口に出すのも憚られる邪智が存在すると私に確信させた。その白き塊としかいいようのないそれは、私の認識を犯しながら、少しずつこちらの窓へと向かってその触手を近づけてくる。
――やめろ……来るな……来るなっ!!
叫びたい。そう心から叫びたい。でも、叫ぶことは出来ない。かろうじて出せるのは、聞き苦しいうめき声だけ。
「さあ……受け入れて……私のように……」
一姫が妙に甘い声を私の耳元でささやく。私の体に腕を絡ませながら。
ついに窓からその白い触手が這い出てくる。その触手はずずず……と私の体へと近づいてきて、私の足に、手に絡まってくる。
それが這い進んでいくにつれ、私の手が勝手に動く。先程まで張り付いていたはずの腕が、ゆっくりと椅子から離れていく。
手はやがて目の前にいつの間にか現れていたそれを手にとった。
エーリッヒ・ツァンのヴィオルを。
――止めろ……止めて……私にそれを、奏でさせないで……!
だが私の願いは虚しく、私の手はヴィオルを掴み、そして、ついにはその音を――
◇◆◇◆◇
『……っ!?』
そこで私の目が覚めた。ぐっしょりと冷や汗を流しながら、トイレの個室の中で目覚めた。
だが、おかしい。目が覚めている。その自覚はある。なのに、なのに――
視界のすべてが、深緑色の毒々しい色に染まって見えるのだ。
『何……これ……』
暗いトイレを出て、明るい太陽きらめくはずの外に出ても、それだった。
しかも、周囲を行く人々はまったく気にしている様子はない。どうやら、私の視界だけがおかしくなったようだった。
さらにそれだけはない。天を仰げば、あの白い触手が見えるのだ。空のはるか向こうからぼんやりと伸びる、あの白い触手が見えるのだ。
『ああ……! ああ……!』
私はそのあまりのおぞましさに、思わずその場で膝をついてしまう。
なんだこれは……なんなんだこれは……!?
私の魂は恐怖で縛られる。あまりにおぞましいその光景に、私の体は震える。
『は……はは……ははは……』
その果てに、私の口から出たのは、笑いだった。
ああ……そうだ。こんなもの、笑い飛ばしてしまおう。すべてがおかしいんだ。全部全部、笑い飛ばしてしまおう。楽しく、陽気にいこう。
なぜだか、そんな気になってきた。
『は……はは……! そうだ、学校へ行かないと! 遅れちゃう!』
ああ、楽しみだな学校! みんなきっと心配してるだろうな、でもちゃんと大丈夫だって伝えないと。そう、私は大丈夫。何もおかしくなってたりしていない。何もおかしくなってたりしていない……!
そうして、私は学校へと笑顔で行った。
私が元気良く挨拶をすると、響と未来は驚いているようだった。そうだよね、昨日の今日で、この元気さはおかしいよね。でも、しょうがないんだ。今の私は、笑いたくてしょうがないんだから……!
私はそのまま学校生活を送る。そう、普通に、普通に。……これが私の普通なんだ。これが私の――
「何がどうかしたじゃねぇ! 下手な無理するんじゃねぇっつってんだよ!」
……ああ、クリスに気づかれた。私が、私を偽っていることを。
さすがクリス、勘が鋭い。でも、これをなんて説明すればいい? みんなと別の世界が見えています? そんなこと、とても口が裂けても言えない。そんなこと言ったら、私はなんともないのにおかしくなったと思われて病院送りだ。
ああどうしよう。どう言い訳しよう。……そうだ、クリスが思い込んでるように、失恋して無理しているってことにしよう。そうすれば、きっと私はまだ“普通”扱いだよね。
『……うるさい。うるさいうるさいうるさいッ! みんなに、何が分かるって言うんだ!』
これは半分本気。私の見えてる世界がみんなに分かるわけないから、本気。
『ただ失恋しただけならここまで私もならないよ! でもさ、私には結局何もないことを思い知らされたんだよ!? 夢も、恋も! それも、誰も悪くない、私が悪い形で! 結局ずっとただの独り相撲だったことを改めて思い知らされた、私の気持ちが分かるっていうの!?』
これも半分本気。私がすべてを失って空っぽになっていることは、紛れもない事実だから。
でも、やっぱりそれ以上に、私が今見ている光景への恐怖が、勝っているんだよね。
そんな私にクリスは熱く説得を試みる。クリスだけじゃない、響も、未来も、翼さんも。
私のことを思って言葉をぶつけてくれる。
ああ、本当にいい友人を持ったと、私は思う。でもね、みんなが思っている以上に、私は変なことになっているんだ。
それを言ったら、私は変な子になっちゃうから、それは言いたくないんだ。認めたくないんだ。だから、どうにか……。
「分からないよ! 言ってくれないと! 私達は人間だ! ノイズじゃない! だから言葉が通じ合う! でも、それはこうして話さないとダメなんだ! だから、言ってもらわないと分かんないよっ!」
『……っ! それは……そんなの……そんなの……!』
……なんで純真な言葉なんだろう。響の言葉は。さすが、この世界の主人公だ。彼女の言葉を聞いていると、私も私の真実を伝えても大丈夫なんじゃないかと思えてくる。
いや、大丈夫なんじゃないか? 彼女らなら、実際に問題ないんじゃないか?
今の私の事実を伝えても、受け入れてくれるんじゃないか……?
そんな希望が、私の胸に灯った。
だから、私は話してみようとした。私に起きている、異変について。
『…………その、私――』
その瞬間だった。
『みんな! ノイズが現れた!』
端末から、弦十郎さんの声が聞こえてきた。
彼の声を聞いた瞬間、私の感情は途端にぐちゃぐちゃになった。弦十郎さんが、あのとき、私の想いが届かなかった弦十郎さんが、話しかけてきている。
弦十郎さんが――
そう思った次の瞬間、私は外異物をまとい、空を飛んでいた。
しかも、ものすごいスピードで。
同時に私は悟る。この外異物の真の力に。この外異物は、空間を操る力を持っている。一姫が操っていた時間を操る力とは、同質かつ対極の力を。
そして今、私はそれを行使している。音という形で。そして、その音だけは、この歪んだ世界で唯一、馴染みのある音だった。
『……心地いい……』
私は自らの出す音に、そうこぼした。
ああ、なんて心地のいい音だろう。音が、私を癒やしてくれる。もっと、もっと音を出したい。
喉と手を失って、私が出せなくなったはずの音を、もっと……!
そう思った矢先に、奴らはいた。ノイズだ。ああ、彼らなら私が音を出す理由を、正当化してくれる。
やつら相手になら、私はいくら音を出してもいい。この、狂った世界の中で、唯一私が正常な証を、示しても良いんだ……!
そうして、私はノイズを狩った。体中から美しい音色を奏で、自分の存在を証明した。自分の正気を訴えた。
なのに、だと言うのに……後から現れた装者のみんなは、私をおぞましいものを見るかのような目で見る。
ああ、みんなにはわからないんだよ……この狂った世界の中で、何が正しいのか。
でも、それを言ってもきっとみんなはわからないだろうな。だから、分かる範囲で言ってあげないと。
『私ね、気づいたんだ……もう私には、戦うことだけが唯一、私を表現できることだって……この姿になっているときには、こうして手や喉が関係なく、音を出すことができるんだって……だったら、私はずっとこの姿でいる。ずっとこの姿で戦っている。そうすれば、私は私の夢にまだすがりつける……』
そう、これは私の夢の形。私が叶えたかった未来の形。それが、この姿。
この音によって、私は私でいられるんだ……。
ああ、次のノイズの気配がする、行かないと……私が私であることを、証明するために。
そうして私は、空間を操る力を使って、次のノイズのもとへと向かった。私の正しさを、しっかりと自覚するために。
◇◆◇◆◇
そうして、私はノイズを狩り続ける。
ノイズはバビロニアの宝物庫からほぼ無数に現れてくる。
でも、今の私にはそんなの意味のないこと。なぜなら、私はこの空間を操る力でどこに現れたかすぐ察知して、その場に瞬時に現れることができるからだ。
なんなら、自分でノイズを呼び出すこともできる。ゆえに、私が無限に戦っていられる。
永遠に音を奏でていられる。私は私であり続けることができる。
……ふふ。なんだかおかしいや。この狂った世界でも、私は音楽の力で自分の正気を保っている。
やはり音楽とは素晴らしいものだ。この力で、音楽の力で、私は私であり続けるんだ。私は――
「祭ッ――!!」
瞬間、私は顔を思い切り殴りつけられ、激しい痛みとともに地面に転がった。
『う……ひ、響……?』
そこにいたのは、拳を振りかぶったシンフォギア姿の響だった。
そばには、未来と翼さんもいる。二人共、言葉を失っているといったような表情だった。
『何をするんだ響……私は、ただノイズを倒していただけだよ……?』
「祭……祭……!」
私の言葉に、響が涙した。ボロボロと、大粒の涙をこぼしていた。
一体、どうしたというんだろう、彼女は……。
『響、どうしたの……?』
「祭……祭には……“その人達”が、ノイズに見えているんだね……」
『…………え?』
その、人、達……?
私はあたりを見回す。その視界は、いつの間にかあの深緑の淀みがなくなっており、クリアだった。
そして、私の視界に映ったものは――
『あ……ああ……う、そ……』
無数の、人の死体の山だった。