「さてと、これで予習もばっちりっと」
数日後の夜、僕は自室で次の授業の予習を行っていたが、それもなんとか終わらせた僕は、両腕を伸ばして固まっているであろう体の筋肉をほぐした。
程よい気持ちよさを感じつつ、僕は時間を確認する。
時刻は午後8時30分。
明日は日曜なので、もう少し起きていてもいいが、早寝早起きは決して悪いことではない。
そう思いながら、眠りに就くべく明かりを消そうと立ち上がった時だった。
来訪者を告げるチャイムの音が聞こえてきたのは。
それに応対したのは義母さんだったが、数秒ほどして慌ただしくこちらに駆けてくる音が聞こえてくる。
「か、一樹!」
「うわ!? な、何?」
まるでけり破るかのように開けられたドアから入ってきた義母さんは、ものすごく慌てていた。
その様子に、僕はただ事ではないと感じながら、義母さんに声をかける。
「あ、あああああなたを迎えに来たってひひひ人が」
「……? ちょっと行ってくる」
慌てているためか、要領を得ないので直接会ってみることにした。
「兄さん、何事?」
「なんだか、僕に来客みたい」
外に出ると、蘭の部屋から蘭が顔をのぞかせると、僕に聞いてくるが僕ですら事態を呑み込めていないのだ。
「……あたしも行く」
何かを悟ったのか真剣な表情でそう言うと、蘭は部屋を出て僕のところまで歩いてくる。
蘭が頑固なのは知っているので、何を言っても無駄だと思った僕は、蘭と一緒に訪問者がいるであろう玄関まで向かうことにした。
「あ……」
そして玄関まで移動した僕が見たのは黒服にサングラスをしている複数の女性の姿と、その人たちと対峙している義父さんの姿だった。
「一樹、この方たちは」
あらかた相手から話を聞いていた父さんが、僕にそれを説明しようとするが、僕にはこの人たちの正体に見当がついていた。
「えっと……弦巻さんのところの人……ですよね」
この前、ちょっとしたきっかけで一度会ったことがある、弦巻さんのところの黒服の人だ。
弦巻さん曰く、『よくわからないが、弦巻さんがお願いすると、大体何でもやってくれる人たち』だそうだ。
「突然の訪問申し訳ありません。美竹 一樹さま、こころさまのライブでキーボードをやっていただけないでしょうか?」
「へ?」
黒服の一人の申し出に、僕は言葉を失う。
(どういうこと? というより……)
「あの、ハロハピって『キーボード』はないですよね?」
僕が心の中で思ったことを蘭が代わりに口にしてくれた。
そう、ハロハピの編成はボーカル、ギター、ベース、ドラム、DJだ。
キーボードはなかったはずで、これまでもそういうパートは打ち込みだったはずだ。
(まさか……)
「実は、こころさまが今回のライブではキーボードを加えたいとおっしゃっておりまして、その際に松原さまより美竹一樹さまが、キーボードができるとご学友から聞いたことがあるとお聞きしまして、お願い申し上げに伺わせていただきました」
やはり、弦巻さんの気まぐれだった。
(中井さんめ……)
おそらく、花音さんに伝えたであろう中井さんに恨み言を心の中でこぼすが、本人に悪気があるわけではないし、やったところで何も変わらない。
僕は義父さんのほうに視線を向ける。
「義父さん、今から出かけてもいい?」
「兄さん!?」
「ああ、大丈夫だが、気を付けるんだぞ」
蘭の驚きに満ちた声をよそに、父さんからOKをもらった僕は、黒服の人たちのほうに視線を戻すと
「分かりました。着替えてくるので少しだけ待ってください」
とだけ答えて自室に向かうと、素早く寝間着から、私服に着替えて玄関に戻った。
「それじゃ、行ってきます」
「……」
腑に落ちないといわんばかりの蘭達に見送られつつ、玄関を出るとそこにはものすごく長いリムジンカーが止められていた。
「どうぞ、お乗りください」
一か所のドアを開けて乗るように促された僕は、そのまま車に乗り込むと、ドアが閉められた。
(なに、この急展開)
車の中は、広かった。
もっと何か言うことがあるのだろうが、もはや状況に追いついていくのでやっとだ。
そしてそのまま車が動き出す。
『美竹さま、中央のテーブルに弾いていただく楽曲の楽譜と音源がございますので、ご確認ください』
「は、はい!」
スピーカーなのか、聞えてきた黒服の人の声に慌てて返事をした僕は、真ん中のテーブルに置かれたキーボードの楽譜と、音源が入っているであろう音楽プレーヤーを手に取る。
(えっと、曲名は『せかいのっびのびトレジャー!』か)
その曲は、前に彼女たちのライブで聞いたことがあるので、知らない曲ではないが、念のために曲を頭に叩き込んでおくことにした僕は音楽プレーヤーを再生させる。
(これ、確か数十万もするプレミアとかじゃなかったっけ)
そこまで考えた僕は、その考えを忘れるべく、流れてきた曲に神経を集中するのであった。
そして、数十分ほど経ったとき、車が止まりドアが開いた。
「こちらにお乗りになって、お待ちください」
「は、はい」
そこはどこかの港の倉庫街のような場所で、目の前にあるのは円盤状のまるでサーカスのステージのようなものだった。
柵が円状に囲っており、その内側にはドラムやDJ用の機材にキーボードが用意されていたので、まず間違いないだろう。
(つまり、ここでライブをするってことか)
そうあたりを付けた僕は、後付けで作られたであろう階段を上ってステージ内に入ると、キーボードの前に立った。
(このキーボード、啓介が使ってるのより上位機種だ)
もはや何も言うまい。
上位機種ではあるが、奏でられる音色は基本的には変わらないので、これなら本番で戸惑いことはないだろう。
これで準備は万端。
あとは、ハロハピのみんなが来るのを待つだけだ。
こうして僕は、ハロハピのみんなが来るのを待つのであった。