ある日の休日。
(今日はさすがに休もう)
連日の文化祭準備で疲労がたまっていた僕は、この日を休養にあてることにした。
本当は紗夜と一緒にカフェに行くのもよかったのだが、紗夜も紗夜で用事が立て込んでいるというのは日菜さん情報だ。
そんなわけで、滅多にしないベッドの上でうつぶせになりながら雑誌を読むというある種の時間の浪費をしていると、いきなり携帯電話が着信を告げるべく鳴り出した。
(これって、予備の携帯かな)
着信音が初期設定なので、おそらくはマツさんが渡してくれた予備のプリペイド式の携帯だと思う。
「誰だろう……」
体を起こして机の上に置かれている携帯を手にすると、相手の名前を確認する。
(チュチュだ)
相手はまさかのチュチュ。
だが、よくよく考えれば予備の携帯の番号はチュチュや佐藤さん……マスキングたちにしか教えていないので、それ以外の人からかかってきたら逆に驚くレベルだと思う。
「はい。カメレオンです」
電話に出て最初に言うのが動物の名前というのは、なんだか複雑だ。
『今すぐスタジオに来なさい! 今すぐよ!』
「切れた……何事?」
一方的に用件だけ伝えて一方的に切るという行動は、日菜さんで何度も体験しているので、今更どうとも思わないがそれでも呼び出しの理由が気になって仕方がなかった僕あ、ジーパンに黒い半そでのシャツという服装に着替えると、サングラスとギターをもって自室を後にした。
「一樹、出かけるのか?」
「うん。ちょっとバンドのほうで……夕方までには帰るよ」
まさか日が暮れるまでかかる用事ではないはずだ。
何せ、メンバーのレイヤさんの仕事の契約の関係で、今日までサポートの仕事があるため、練習を行うのが実質不可能に近いからだ。
(早く行こう)
僕は自然と早足になりながらも、チュチュのいるマンションに向かうのであった。
チュチュの住むマンションの顔認証システムも、最初は色々と手間取ったが、何回も足を運んでいればさすがに慣れてしまった。
今では手早くパネルを操作してドアを開けることができるので、人間やはり慣れるものなんだなと感じたりしたのは記憶に新しい。
そうして、最上階に到着した僕は、いつものように奥へ奥へと進んでいきスタジオに入った。
「失礼します」
「来たわね」
スタジオに足を踏み入れた僕を、待ちわびていた様子のチュチュが出迎える。
他にもパレオさんやマスキング(この間チュチュにつけてもらったらしい)の二人の姿もあった。
だが、そこにいたのは彼女たちだけではなかった。
「紹介するわ、彼女はタエ・ハナゾノよ」
(どうして、花園さんがここに!?)
そこにいたのは、紛れもなく花園さんだった。
彼女はPoppin'Partyのメンバーだったはず。
それがどうして、このような場所にいるのだ?
「レイヤの紹介できたギターリストよ。サポートだけど今からテストをするから、あなたも一緒に演奏して」
「……了解」
チュチュの簡潔な説明で、おおよそのことは理解できた。
どういった関係かは知らないが、レイヤさんと知り合いのようだ。
そんな彼女が、サポートとしてこのバンドに加わるとは、想像すらしていなかった。
とはいえ、すぐに頭を切り替えてブースに入ると、セッティングを始める。
パレオさんやマスキングを始め、チュチュ以外全員ブースに入って準備を始める。
『準備はいい?』
「はい!」
セッティングを済ませた頃を見計らってのチュチュの問いかけにした僕たちの返事に遅れるようにして花園さんも返事をした。
曲は僕の時と同じ『R・I・O・T』だった。
今回は花園さんに対するテストなので、僕は少しだけ抑えめに行くことにした。
(イントロは上々)
Poppin'Partyの中で、ギターの技術が高いだけあり、花園さんの演奏には乱れはない。
何より堂々としているところがポイントが高い。
例え間違えたとしても、冷静でいられるというのは、ライブを進める上で求められるものの一つだ。
冷静ささえ保てれば、例えミスをしたとしてもリカバリーをすることができる、精神的な余裕が生まれるのだから。
Aメロに入っても彼女の演奏に乱れは見られない。
(少しだけジャブでも入れてみるか)
なので僕はいつもはしない”ジャブ”を入れてみることにした。
特別なことはしていない。
ただ、抑えていたパワーを解放しただけだ。
「っ!?」
隣で息をのむ声が聞こえてくるのと同時に、音が若干ぶれた。
だが、それもまた一瞬のこと。
すぐにリカバリーして見せた。
(Roseliaの主催ライブの時よりも、演奏のレベルが上がってる?)
確信はないが、彼女の演奏技術が高いという事実は変わらない。
このテストでまた僕は花園多恵というギターリストの実力を知ることになるのであった。
「タエ・ハナゾノ。合格よ」
「っ! あ、ありがとうございます!」
演奏を終えたチュチュの判定は文句なしの合格だった。
「おめでとうございまーす! おめでとうございまーす!」
元気に飛び跳ねながら祝福の声を上げるパレオさんに続いて、僕も小さく拍手をして彼女の合格をお祝いする。
「クレア、今日からあなたがタエ・ハナゾノにギターを教えなさい。PERFECTなギターリストに仕上げるのよ!」
「………え、自分ですか?」
一瞬誰に言ってるのかがわからなかったが、数秒間にもわたる無言による重苦しい雰囲気で僕を差していると理解することができた。
「当たり前でしょ。あなたは今日から”クレア”よ! あなたの演奏を聞いていたらゼロから作り出すっていうテーマが浮かんだの」
「……わかった」
おそらくは英語ではなく、ギリシャ語かラテン語の感じだろうか?
(まさか虫からちゃんとした名前になるなんて……思ってもいなかったな)
そのバンドの音に合わせることができることと、カメレオンという動物の特性が同じことから名乗るようになった”カメレオン”。
別に不満があるというわけではなかったが、それでもちゃんとした名前を与えられるというのは、色々とくるものがある。
「チュチュ。教える……といったけど、方法は?」
「それはあなたの自由でいいわ」
その言葉は、一見丸投げのようにも聞こえるが、それは信頼の裏返し。
断定はできないが、どうやらチュチュの信頼を少しだけではあるが得ることができたようだ。
「ということで、よろしくお願いします。タエさん」
「………はい、お願いします。クレア
(ん? 今、花園さん先輩って言わなかった?)
普通は、さん付けで呼ぶようなものだが、どうしていきなり先輩と呼んだのだろうか?
その理由として、ある仮説が浮上した。
(まさか、花園さん僕の正体に気づいた?)
そうだとすれば先輩付けの理由も説明がつく。
花園さんが、僕に対して話しかける時は、『美竹先輩』と呼ぶことから間違いない。
だとすると、一体どうして気づいたのかが問題になるが、こればかりは本人に直接聞くしかない。
(でも、下手に聞いて墓穴を掘るのも……ちょっとね)
これが、彼女の天然のなせるものだとすると、聞いた瞬間にクレアは美竹一樹であるということをカミングアウトしているのに等しいことになる。
それはそれで間抜けに思われるので嫌だ。
こうして僕は、モヤモヤとした不安を抱きながらもチュチュの命の下に、花園さんにギターを教えることになるのであった。
この花園さんのサポート入りが、一つの波乱を招くことになるとも知らずに。