「あれ、おねーちゃんと一君どーしたの?」
「べ、別に何もないわよ」
「ちょっと備品チェックを手伝ってもらったんだ」
(あ、危なかった)
服装の乱れを整えたのと同じタイミングでやってきた日菜さんに、僕は冷や汗をかきながら心の中でつぶやいた。
「ふーん。あ、そうだ! さっきね、向こうのほうでつぐちゃんがいたから手伝いにいこーよ!」
何とか日菜さんには怪しまれずに済んだようだ。
「わ、私も行くわ。ちょうど手が空いていたところだから」
「ほんとっ!? わーいっ! おねーちゃんと一君が一緒だともう、るるるんっ♪ な気分だよっ!」
取り繕うように紗夜も手伝いを買って出ると、たちまち日菜さんは嬉しそうに飛び跳ねだした。
「はぁ……早く行くわよ。羽沢さんを手伝うんでしょ」
「あ、そうだった。それじゃ、しゅっぱーつ!」
そんなわけで、僕たちはつぐの手伝いをするべく体育館倉庫を後にするのであった。
ちなみに、これは余談だが。
「あたし、もしかして邪魔しちゃった?」
「……気づいてたんだ」
移動の途中、紗夜に聞こえないようにするためか小さい声で聞いてきた日菜さんに、僕はまるで刑を執行される寸前のような気持で相槌を打った。
「なんか、一君とおねーちゃんがもやっとしてたから、邪魔しちゃったのかなって思ったんだけど」
「ううん。日菜さんは邪魔なんてしてないよ」
不安そうに聞いてくる日菜さんに、僕はそう答えた。
(それ以前の問題だしね)
あの時、紗夜さんの怯えた様子に、僕はその手を止めてしまったのだ。
日菜さんが来たのはちょうどそのタイミングだったのだ。
「んー、ならいいんだけど」
それ以上、日菜さんは追及してくることはなかった。
それから数日後の夜。
僕はチュチュのマンション件、スタジオで花園さんと共に練習に励んでいた。
「OK! とてもPERFECTな演奏だったわ!」
一通り曲の演奏を終えると、外で聞いていたチュチュから合格の言葉が出た。
「ふぅ……」
合格の声をもらった瞬間、張り詰めていた緊張の糸がとほぐれたのか、横にいた花園さんが静かに息を吐きだす。
「今日の練習は終わりよ。話があるからこっちに来て頂戴」
「畏まりました。チュチュ様っ」
チュチュの言葉に、真っ先にブースを出たのはパレオさんだった。
その後にマスキングとレイヤさんに花園さんが続く。
「明日はいよいよRASの伝説の一歩となりうるライブよ! 全員Bestを―――」
そう、チュチュの言うとおり、ついにRASの初陣となるワンマンライブが、明日に控えているのだ。
(状況としては上々だけど……)
花園さんも元々のスキルが高いだけに、教えるのにそれほど苦労もなかった。
というか、いつの間にか十分なレベルになっていたので、僕の出番はなかったも同然だけど。
他のメンバーも悪くない仕上がりだ。
これなら、初日のライブは盛況のうちに幕を閉じるだろう。
だが、一株の不安はある。
「それじゃ、今日は解散。体調をPERFECTな状態にしておくように」
チュチュのその言葉で、この日は解散となった。
「花園さん」
「はい。何ですか? クレア先輩」
皆が帰る中、僕は花園さんに声をかけることにした。
「二日目のライブを、あなた一人に押し付けるような形になって申し訳ない」
「気にしないでください。クレア先輩にとって大事な用事ですから」
つくづくいい子だなと思ってしまうが、彼女は僕の正体に気づいているのかがものすごく気になる。
「でも、花園さんも用事とかはないのかい?」
「私、ですか?」
僕が聴き返すと、花園さんは呆けたように返してきたので、僕はさらに深く切り込んでみることにした。
「もし、用事があるのであれば、今からでもチュチュに頼んで君と休みを交代させてもらえるようにするけど……」
「……ッ!」
僕の言葉に、花園さんははっとした表情で目を見開かせると息をのんだ。
正直、これはかなり危ない橋だ。
だけど、それをしてでも言っておかないと、僕には耐えられそうにないのだ。
何かがあった時の罪悪感に。
もちろん、もしお願いしてきたら責任を持ってチュチュと話し合うつもりだ。
かなり難しいとは思うけど。
「……大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
だが、花園さんから返ってきたのはそんな言葉だった。
「そうか。可笑しなことを言ってしまってすまないね」
僕は取り繕うようにそう返すと、花園さんに挨拶をしてそのままその場を後にした。
(………)
僕の不安をよそに、ついにライブの日を迎えるのであった。
そして、迎えたライブ当日。
僕たちが訪れたステージ会場となるライブハウスは『dub』。
Roseliaの主催ライブの会場にもなった場所だ。
キャパは約千人ほどという中々の規模の場所で、音響などにもこだわっておりそういう意味では有名なライブハウスだというのが大和さんの話だ。
チュチュいわく、伝説の一歩となる初陣にはもってこいの場所でもあった。
コンディションとしては、ばっちりでいい演奏ができる自信はあった。
だが、一つだけ問題が発生した。
「クレアさんもここで着替えましょうよ~」
「いや、それは……」
そう、着替えだ。
「クレア―、そんなに強情になんなくてもいいんだぞー」
パレオさんが一緒に着替えるように言ってくるたびに、断る僕にマスキングが呆れた様子で言ってくるが、強情になったほうがいいのだ。
なぜなら、僕が男だからだ。
男が女性のいる場所で着替えるというのは、ものすごくやばい。
何せ上下ともに服を着替えるのだから。
こんなところで着替えれば、僕が男であることがバレるのは必至。
いや、まだ男であるとバレたほうがましだ。
一番やばいのは、女性陣の着替えを見た場合だ。
(うん。間違いなく、死ねる)
僕の明るい明日を守るためにも、ここは何としてでも乗り越えねばならない。
「私は、人前で着替えるのが嫌いなので、お手洗いで着替えてきますっ」
「あ、クレアさ――」
パレオさんの言葉を聞くことなく、僕は衣装一式を手に楽屋を出ると、足早にトイレに向かうと、素早くステージ衣装に着替えた。
(スカートじゃなくてよかった)
ステージ衣装はズボンタイプだったのも僕にとっては幸いだ。
これがスカートだった日には、めでたく黒歴史の誕生だ。
(はぁ……性別ぐらい公表しておけばよかった)
そうすればこんな苦労はせずに済んだはず。
とはいえ、そうなると今度はチュチュにスカウトされることもなくなるので、それはそれで複雑だ。
とりあえず、サングラスをかけてトイレを後にした僕は、さっきまで着ていた服から取り出しておいた携帯である人物に電話をかける。
『はい、どうしました? 兄貴』
「あ、特に何でもないんですが、状況はどうでしょう?」
相手はマツさんだ。
僕はマツさんに、早々に問いかけた。
『へい。特に異常はありません。不届きな輩は一人も来てないので安心して下さい』
「すみません。本当はこういうことをすることはないのに」
僕がお願いしたのは、この日だけの用心棒だ。
僕は一日だけ文化祭に参加できなくなる。
その間に何が起こるかわかった物でもないので、そういう不測の事態が起こった時に対処してもらえるよう、マツさんに護衛をお願いしておいたのだ。
とはいえ、対象は学生とかではなく紗夜と日菜さんだけど。
というよりも二人のことが心配だからお願いしたのだ。
何せ、阿久津ややらかしどもの一件が尾を引いていないとは言い切れないのだ。
念には念を入れておいても損ではない。
『謝んないでくださいな。好きでやっていることですから』
「ありがとうございます。引き続きお願いします」
マツさんの言葉に感動しながらも、僕は電話を切ると楽屋のほうに足を向けるのであった。
「会場、観客がすげえ来てるんだって?」
「はい! チュチュ様がメディア関係者の方も招待されたそうで、色々な場所に同時配信も行っているそうですっ」
「凄まじいくらいの力の入れようだ……」
楽屋で、ソファーに腰かけながら本番を待つマスキングの問いかけに、先ほどから立ちっぱなしのパレオさんが答えた。
一体、どのようにチュチュが自分のバンドを売り込んだのか……それが気になるところだが、期待値的にはかなりのレベルに行っているのは間違いない。
「まだ、始まらないの?」
そんな中、楽器をいじっていた花園さんがじれったそうに口を開く。
現時点で、本来であれば開場してライブの準備に取り掛かっているころなのだが、まだ開場はされていない。
さっき楽屋の外に出た時に小耳にはさんだのは、チュチュアステージの最終チェックを行っているという情報だった。
「チュチュが、ステージの最終チェックをしてるらしいよ」
「15分押しですね」
パレオさんに言われて壁に駆けられている時計を見ると、確かに会場時刻を15分オーバーしていた。
「それだけ本気ってことだよ」
「Yes。当然よ」
レイヤさんの言葉を肯定するように、楽屋のドアを開けて中に入ってきたのは、話しに上がっていたチュチュだった。
「レイヤ、マスキング、クレア、パレオ」
「はい!」
僕たちの顔をしっかりと見ながら呼ばれた名前に、パレオさんだけが反応した。
「今日のライブが私のバンドの最強伝説の始まりになるわ!」
”最強伝説”。
あえてそう言ったということは、チュチュにはそれだけの確信めいた何かがあるのか、それともただの士気を高めるための言葉なのか。
どちらなのかはわからないが、それでも目の前の少女、チュチュの本気度は嫌というほど伝わってくる。
「ハナゾノ!」
「ッ!」
突然名前を呼ばれた花園さんが肩を震わせた。
「あなたはサポートとはいえ、今この時はRASのギタリストよ。一緒に表舞台に立ちましょ」
「っ……震えさせえ見せる」
チュチュがかけた言葉で、花園さんもいい感じに燃え上がっていた。
「さあ、そろそろ出番だから、移動するわよっ」
「はいッ、チュチュ様」
「よし、行くかクレアパレオ」
「ええ」
「行こう、ハナちゃん」
「うん」
チュチュに続いてパレオさん、マスキングに続いて僕が、そしてレイヤさんに続いて花園さんという順番でステージのほうに移動していく。
(さて、どんなステージになるのか……楽しみだな)
ステージに移動するまでの間、僕には緊張などなかった。
当然と言えばそうかもしれないが、仮とは言えよそのバンドのメンバーとしてステージに立つというのは、また違った意味で緊張するものだ。
でも、僕には不安はない。
このライブが成功することを信じて疑っていないからなのかもしれない。
そして、僕……RASのライブが今始まるのであった。
おそらく、こちらが今月最後の話になりそうです。