嫌だ、とレフィーヤは思った。上空の太陽を
嫌だ、嫌だ、とレフィーヤは再度思った。腕よ足よ体よ動けと念じる。どこでもいいから動いて立ち上がれと、震えるのみで一向に動くことのない全身へ
醜い大口が迫ってくる。あぁ、と嘆いた。
きっとまた、自分は、
『アアアアアアアアアアアッ!?』
視界に、金と銀の光が走り抜ける。敵の首を斬り飛ばした壮烈な剣の
きっとまた、自分は、あの憧憬の彼女に守られる。
絶叫を轟かせ、断たれたモンスターの首は建物の一角に突っ込んだ。全力で振り抜いたレイピアをきらめかせ、勢いよく石畳に着地したアイズは後方を振り返る。ミナトとレフィーヤに食いつく
「アイズ!」
ティオナ達を襲っていた触手もまた力を失ったように地面に落下する。間一髪だった、とこの場所に急行してきたアイズは思う。視界に極彩色が見えた瞬間、突き動かされる形でこの戦場へと進路を取っていた。魔法を酷使し飛び込みざま斬撃を見舞ったことでレフィーヤは九死に一生を得たが、少しでも遅れていたら彼女の命は危なかったかもしれない。そして、
「.....」
まず間違いなくミナトは本調子では無い。こちらに向かってくるティオナ達を視界入れつつ、アイズはレフィーヤ達の方を見やる。今だミナトの腕の中で倒れているエルフの少女の身を案じた彼女は、すぐさま駆け寄ろうとしたが。微細な地面の揺れが、その足を引き止めた。
「......!」
直ぐにその揺れは大きな振動に変わった。アイズが剣を構える中で、辺りの石畳が隆起する。
「ちょ、ちょっとっ」
「まだ来るの!?」
ティオナ達の悲鳴を区切りに、黄緑色の体が地面から突き出した。アイズを取り囲むように3匹。閉じた蕾を一斉に開花させ、見下ろす格好でその巨大な口を彼女に向ける。生暖かい吐息に頬を打たれながら、視線を鋭くするアイズがいざ斬りかかろうとすると、前触れもなく。ビキッ、という亀裂音の後に、レイピアが破砕した。
「...」
「なっ...」
「ちょ...」
手の中にある得物が壊れる光景にアイズだけでなくティオナとティオネも言葉を失った。魔法の出力とアイズの激しい剣技に耐えかね、細身のレイピアがとうとう音を上げたのだ。今の今まで愛剣の《デスぺレート》と同じように取り扱ってしまった。根元から木っ端微塵に剣身が砕け散り、いかに限界を超えていたのかを物語る。散りゆく銀光。
いけない、怒られる。
借りた代剣をあられもなく壊したアイズは、まず先にそんなことを思ってしまった。
『ーーーーー!!』
食人花が蠢く。3匹いっぺんに襲いかかってきた相手に、アイズは跳躍をして回避した。
「っ!」
右手に持つ刃を失った細剣、その柄をモンスター体に振り下ろす。はね返ってくる硬質な感触。風を付与しているのにも関わらずへこむだけで傷のつかない敵の体皮を見て、アイズはそれ以上の攻撃は諦める。
「ちょっと、こっち見向きもしないんだけど!今度はアイズ!?」
「魔法に反応してる...!?」
アマゾネスの姉妹も参戦するが、いくら攻撃を加えても食人花は矛先をアイズに向け変えようとはしない。レフィーヤから遠ざけるように後退をしつつ、連続回避。
「アイズ、魔法を解きなさい!追いかけ回されるわよ!」
「でも.....」
「1人1匹くらい何とかするって!」
うねる蛇状の体が通りを暴れ回り、並んでいた屋台をまとめて吹き飛ばしていく。殺到するモンスター達に防戦を強いられる中、アイズは何度も交錯するティオナ達から呼びかけられ、止むを得ず魔法を解除しようとした。
その時だった。
「!」
アイズの視界にその人影が映りこんだのは。一般人。逃げ遅れたのか。屋台の影に隠れるようにして獣人の子供が座り込んでいる。恐怖に震える彼女の目と視線がぶつかった。かねてからの退避方向である右手に逃げれば、あの巨大な体躯に屋台ごと巻き込まれることは間違いない。判断は一瞬だった。風の気流を全力で纏う。既に潰されている左側の退路に、アイズは一か八か突っ込み。そして、捕まった。
「大丈夫ですか!?」
ミナトに体を支えられ悶え苦しみながら座り込むレフィーヤに、外から手が伸ばされた。小刻みに震える手をつき、何とか体勢を立て直そうとしていた体が、ゆっくりと地面から持ち上げられていく。
「エイナか...」
「かはっ、けほっっ、ぁ......!?」
血の欠片を混ぜながら咳き込むレフィーヤは、ギルド職員の女性とミナトの2人に支えられながら上体を起こした。
喉は焼け、腹部が燃えるように熱い。
「無理しない方がいい。腹部を貫通している。生憎
身じろぎすればすかさず痛みが走る己の体に、ミナトが心配の声をかけ、レフィーヤは何とか視線を周囲に巡らせた。視線がおぼつかない瞳をさまよわせながら、レフィーヤは彼女達を探した。自分より遥かに強い冒険者達を。弱い自分をいつも守ってくれるあの心優しく、残酷でもある高嶺の存在達を。やがて焦点がはっきり結ぶ頃、ようやくレフィーヤは、通りの奥にその姿を見た。
「!」
それと同時に呼吸が凍りつく。壁を粉砕された商店。巨大な木造の建物に、モンスターの大口に捕まった金髪の少女が、半ば埋まるような格好で押さえつけられている。噛み付かれていることで球状になる風の気流。更にその側からもう2匹の食人花が押し寄せ、がつんっ、がつんっ、と喰らいつく。ティオナ達が強引に掴みかかるが引き剥がせない。無数の牙が今まさに、金髪の少女を蹂躙しようとしていた。
「動かないでください、治療のためここから離れます!ミナト君もっ!君も怪我してるんだから!?」
必死になって立ち上がろうとする体を、ハーフエルフのギルド職員に制される。抵抗するレフィーヤにうろたえる彼女は、レフィーヤが見つめる先を追った瞬間、息を呑んだ。
「.....【ガネーシャ・ファミリア】の救助がもうすぐやって来ます。彼等に任せて、貴方達は避難をっ!」
「俺はいい。それよりも彼女、レフィーヤの方が重症だ。急いで治療班の元へ連れてってくれ」
「そんな!ミナト君はどうするの!?」
「息を整え次第アイズ達に加勢する。
「.....っ!」
レフィーヤは走り抜けた激痛に体を
立ち上がる。
「.....っ!?」
「レフィーヤ...」
「私はっ、私はレフィーヤ・ウィリディス!!ウィーシェの森のエルフ!」
「神ロキと契りを交わした、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な
言葉は力に変わる。魔法と同様、自身を奮い立たせ力の本流を取り戻したレフィーヤは、ふらつく一歩を踏み出し、直後には一気に走り出した。窮地に陥っている彼女達の力になろうと、今一度戦場へと舞い戻る。ミナトはそんな彼女の意志を汲み取ったのか、「ミナト君!?」そうエイナが呼び止めるも、レフィーヤの隣で並走した。
「(わかってる、わかってるよ!)」
レフィーヤとて、とうに理解している。
「(私じゃあ、あの人達の足手まといにしかなれないなんて!)」
これまでもこれからも、自分は彼女達に守られていく。彼女達を助けようと死力をつくしても、最後にはきっと、優しく胸を押され遠ざけられる。大丈夫だからと言われ、側にいることを許されない。あの時のように。
「(どんなに強がっても、私はあの人達に相応しくない!)」
追いかけても、追いつかない。追い
「(でも.....!)」
追いつきたい。助けたい。力になりたい。できることならば、一緒にいたい。自分を受け入れてくれた彼女達の、自分を何度も救い出してくれた彼女達の隣にいることを、許されるような存在になりたい。いつまでも
「っっ!」
距離は埋めた。十分に近付き自身の射程圏内に目標を捉える。アイズに群がるモンスター達を身捉え、レフィーヤは詠唱を開始した。
「【ウィーシェの名のもとに願う】!」
追い縋るしかないのだ、結局。憧憬に追いつくためには。
「【森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと
血反吐を幾ら吐こうとも、何度も地に足をつこうとも、溢れる涙でその頬が枯れることはなかったとしても。追い縋る者には、追いかけることしか許されない。
「【繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を廻し舞い踊れ】」
意思は折れる。何度でも折れる。折れない誓いなどありはしない。その折れた意思を何度も何度も立て直す者が、諦めの悪い者がいるだけだ。どんなに無様に転ぼうとも、何度でも立ち上がる、
「【至れ、妖精の輪】」
レフィーヤは歌う。込み上げてくる血を飲み下ろし、守られるだけの自分を脱却するため、憧憬に追い付くため、詠唱を紡ぐ。
「【どうか、力を貸し与えてほしい】」
歌を届けよう。歩みの遅い自分が、遥か先にいる彼女にも聞こえるように。例え振り返って貰えずとも、彼女の耳に届け、彼女を癒し、彼女を守り、彼女を脅かす敵を倒して見せよう。森を踊る妖精のように。愛する者を救ってきた精霊のように。自分が今できる歌を、どこまでも精一杯歌おう。この
「【エルフ・リング】」
魔法名が紡がれるとともに、山吹色から翡翠色へと
「レフィーヤ!?」
「っ!?」
高まる魔力にティオナが気付く。伴って、アイズに牙を突き立てていたモンスター達も、より強い魔力の源へ振り返った。アイズの金瞳もまた見開かれる。
「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に
詠唱が続く。完成した筈の魔法へ更に詠唱を上乗せ、別種の魔法を構築する。
魔法の習得可能数には上限がある。
【ステイタス】にある魔法スロットは3つ。つまりどんなに才に溢れた者であろうと3種の魔法のみしか行使することはできない。その中でレフィーヤが最後に習得した魔法は、
同胞であるエルフの魔法に限り、詠唱及び効果を完全把握したものを己の魔法として行使する、前代未聞の反則技。二つ分の詠唱時間と
「【閉ざされる光、凍てつく大地】」
召喚するのはエルフの女王、リヴェリア・リヨス・アールヴの攻撃魔法。極寒の吹雪を呼び起こし、敵の動きを、時さえも凍らせる無慈悲な吹雪。
詠唱が紡がれる中、レフィーヤの玉音に加えもうひとつ、美しい声音が重なり合う。翡翠色の
『ーーーーーーーーッ!!』
食人花モンスター達が急迫する。鳴き声を上げ、未だ高まる魔力の高まりへと殺到した。
「やらせないよ」
「はいはいっと!」
「大人しくしてろッ!!」
「ッ!」
『!?』
だが、レフィーヤの体を朱色の尾が包み込んで食人花の触手を寄せ付けない。また、神速とばかりに一瞬で追いついたティオナ、ティオネ、アイズがモンスター達の前に立ち塞がり、殴り蹴り弾いてその突撃を阻む。
『.....いいのか』
「何がだい?」
『さっき
九尾の言う通りミナトはレフィーヤ達の所に来る前、目の前にいる3匹と同じ食人花のモンスター達を
「後輩が頑張っているんだ。なら俺はそれを手助けするだけさ」
『ふん...』
アイズ達の背中に守られるレフィーヤは、紺碧の双眸を吊り上げ一気に詠唱を終わらせる。
「【吹雪け、三度の厳冬。我が名はアールヴ】!」
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「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」
三条の吹雪。射線上からアイズ達が離脱する中、全てを凍てつかせる純白の氷撃がモンスター達に直撃する。体皮が、花弁が、絶叫までが凍結されていき、やがて余すことなく霜と氷に覆われた三輪の食人花は、完璧に動きを停止した。蒼穹に舞う氷の結晶が、陽の光を反射し、きらめくように輝いた。
「ナイス、レフィーヤ!」
「散々手を焼かせてくれたわね、この糞花っ」
歓呼するティオナと若干頭に来ているティオネが、3匹のうちの2匹の懐にたっと着地する。蒼色の氷像へ、2人は滑らかに淀みなく、申し合わせたように同じ動きをなぞった。
「っ!!」
「いっっくよおおぉーーッ!」
一糸乱れない渾身の回し蹴り。褐色の素足が体躯の中央に炸裂すると同時に、無数の亀裂が刻まれ、食人花の全身は文字通り粉々に粉砕された。
「アイズー」
「.....ロキ?」
ティオナ達がモンスターを粉々にする横で、アイズは自分を呼ぶ声に視線を上げる。半壊した商店の屋根に二つの影。見覚えのあるすすり泣く獣人の少女と、彼女を腰に抱き着かせたロキだ。アイズの主神は、ほいっと言って剣を放り投げた。
「これは.....」
「ん、そっから、ちょちょっとな」
ロキが指す方向は、モンスターに潰された屋台の武器屋だった。
「じゃ、後は頼むなー」
笑いかけてくるロキに、いつの間に少女も一緒に回収したのかという言葉は呑み込んで、アイズも小さく笑った。
「.....」
アイズはゆっくりと、残った一つの氷像へと歩み寄る。凍り付いた食人花は物言わない。時間も停止した蒼の彫刻にむかって、アイズは抜剣し、振り抜いた。刻み込まれる無数の斬撃。ズレ落ちていく氷塊。均衡を失ったモンスターの氷像は、次には砕け散った。清音を奏でながら、氷の粒が舞い、金の髪が蒼いきらめきとともになびいていた。
「レフィーヤ、ありがと!ほんと助かった!」
「ティ、ティオナさん!?」
傷ついているのも関係なしに、ティオナがレフィーヤへと抱き着く。顔を真っ赤にする彼女は、体が痛むのか左目を瞑る一方で、まんざらでもなさそうに頬を緩める。どこか安堵したようなその表情に、アイズも素直な言葉を送った。
「ありがとう、レフィーヤ.....」
「アイズさん.....」
「リヴェリア、みたいだったよ......すごかった」
目を軽く見開いた彼女は感極まった表情を作り、うつむいてしまった。ティオナに横から抱き着かれたままリンゴのように赤くなる。
「はいはい、まだ仕事が残ってるよ」
ぱんぱんと、手を叩いてミナトが場に割り込んだ。見ると、確かに周囲ではギルド職員が慌ただしく動き回っている。まだ闘技場から抜け出したモンスターの全てを倒しきった訳では無い、予断を許さない状況は続いていた。
「ティオネ達は地下の方に行ってくれ。もしかしたら残党がいるかもしれない」
「はいはい、任されたわ」
「レフィーヤ、君はギルドの方達に治療して貰いなさい」
「あ、はい。分かりました」
碧色の瞳がアイズを見る。
「アイズは残ってるモンスターを頼むよ」
「わかった」
ミナトが指示を終えると、その場にロキだけ残し、ティオナ達と別れた。
「.....」
「おっと」
ティオナ達の姿が見えなくなり、人目の付かない狭い路地裏まで歩いたミナトの体がゆっくりと傾く。そのまま地面に倒れるのをロキが支えることで防いだ。
「こんの色男が。カッコつけおって.....」
「ははは.....」
「ったく...無理しすぎや。アイズたんじゃないねんから.....」
「今回ばかりはね、住民に被害が出るのは何としても防ぎたかったんだ」
ロキは彼の頭をゆっくりと自身の膝上に移動させる。
「頑張った男の子には、膝枕って決まってるんやで〜」
「初めて聞いたよ」
【影分身】の酷使と先程の戦闘の影響で
「おつかれぃ、ミナト」
彼女に身を委ねる碧眼の青年と朱色の女神を、真っ赤な夕日が優しく照らしていた。
あれ、ロキがヒロインだっけ.....?