冴えない棋士は弟子を貰う様です 作:C.C.サバシア
七宝大吾、それが俺の次の対局相手だった。
年が明け、盤王戦と玉将戦の予選が始まった。
勿論ながら一次予選参加の俺は先に始まる玉将戦の対戦相手を見て溜め息を漏らさずにはいられなかった。
「初っ端からめんどいのと当たった……」
七宝大吾新四段、つまり俺の同期に値するコイツは21歳の現役大学生棋士だ。因みに大阪大学文学部らしい。
そして何かに付けて因縁を付けてくる面倒な奴だ。
原因は三段リーグ時代にある。
そもそも七宝は4シーズンで三段リーグを俺と同時に抜けた、言わば三段リーグ時代は俺の後輩みたいなもんだったのだが最初の2シーズンでなんと次点を二回獲得していた。
次点二回となれば俺と同じ立場、プロになれるのだがそれを速攻で破棄、三段リーグを継続していた。
正直それ自体はままある事であり、フリークラスの過酷な環境に入るくらいなら二位以上になってやると資格を使わない棋士もいるにはいる。
だがアイツの問題は直後のシーズンにあった。
良く思い出してもらいたいのだが、俺と七宝は同期。
そして俺は次点を二回連続取得している。
つまり、七宝は1シーズンだけランキングが俺を下回ったのだ。
まあ四位だった訳だから誤差なのだが……
それが心底気に入らなかったのか次シーズン最終戦で当たった時色々と嫌味を言われた。
まあそこまでならただのちょっと性格悪い奴で済んだんだが、またここで思い出してもらいたいのが『俺は7シーズン目最終戦に勝って次点獲得を決めた』という事実だ。
そう、俺はその嫌味を散々言われた七宝に勝っていた。
他3シーズン全てで完敗していたのに勝ってしまった。
そのシーズン奴は俺以外には全勝の17勝1敗の一位抜けで四段に上がったのだからそこまで恨まれる事も無いと思っていたのだが、この前関西本部でばったり会った時
「次は再起不能にしますから」
と、ある意味殺害予告みたいな事を言われた。
憂鬱になりながらも参考までにと成績を調べた俺は更に憂鬱になった。
「うわっ……」
そこにあったのは『毎朝杯将棋オープン戦、七宝大吾四段が本戦進出!』の見出し。
トーナメント棋戦の毎朝杯だが、一次予選二次予選含め五連勝若しくは六連勝が本戦への必須条件になる。
それを新人ながら達成しているという快挙を成し遂げ、総合戦績は13勝2敗……実に勝率は.850を超えている。
因みに俺の初勝利はそこの一次予選一回戦だ。
二回戦? 察してくれ……
そんな事もあり、同じ関西の仲の良い若手からはドンマイと肩を叩かれる程。
「うっせー! 負ける気は無いからな!」
と言ったらその若手と周囲にいた棋士からは『変わったな』とか言われたが今はそれより勝ちが欲しい。
確かにだ、確かに戦績を比べれば俺が圧倒的に不利だろう。
1勝6敗vs13勝2敗とか誰が見ても察してしまう。
虚勢と言われたら否定はしない。
「帰るか」
関西本部での記録係の仕事も終わり昼下がり。
対局は明日だがその明後日まで美羽が家にいる。
何の因果か分からないが、予定より宿泊が伸びたあの子に決意表明が出来る分それが勇気になるはず。
虚勢だが、ただじゃ死んでやらないんだからな。
「明日対局だから、あんまり構ってやれないかも……ごめんな」
「ううん、せんせーはプロなんだからたいきょくはおしごとでしょ? わたしはじぶんでべんきょーできるからせんせーはがんばってきて!」
美羽の気遣いが身に染みる。
二日連続で構ってやれないっていうのに本当に出来た弟子だ……
「ああ、ありがとう……なあ美羽」
「どしたの?」
多少緊張するが、美羽に俺の気持ちをぶつけよう。
それが俺が新たな俺として生まれ変わる為の意志だ。
美羽に貰った気持ちへの、ちょっとした感謝なんだ。
「明日俺勝ってくる。美羽の為に勝つよ。俺は美羽を弟子にして、こんな良い子を弟子に出来て嬉しいし慕ってくれてるのも嬉しい。だから、明日の将棋は、勝利は美羽に捧げる。こんなヘボ指しな師匠だけど、カッコイイとこ見せてやるからな」
声が震えていたのが分かる。
負けたくないと、心から感じた。
こんなに負けたくないと感じたのは初めてだった。
三段リーグ時代もここまで『負けられない恐怖』を味わった事は無かった。
美羽の手をそっと握りながら、俺はそれでも言い切った。
「だいじょうぶ……」
そんな俺を、美羽は優しく撫でてくれた。
「せんせーのいいとこはせんせーがいちばん分かってるんだから、じぶんをしんじてさしてきて」
倍くらいも歳が違う年下の女の子に撫でられるなんて、傍から見れば情けないにも程があるだろうが今の俺には一番の勇気になった。
ずっと誰かを憧れ、追い掛け指してきた俺。
今度はその自分自身こそが、憧れの存在であるならば。
「ありがとう、美羽……」
絶望的でも、勝ってやる。
「……来ましたか、鍬中さん」
「そりゃあ対局日だしな」
「ええ、ええ、来てもらわないと困りますよ。何せ貴方の様な不甲斐ない成績の様な棋士にアマチュア時代とはいえ一回でも負けたのは私の黒歴史ですから。今日は貴方を、フリークラスから絶対に這い出てこれない程心を折って帰ってください」
翌日、関西本部。
静寂が支配する中、眼鏡を掛けたツリ目で細身の青年……今日の相手たる七宝大吾と対峙していた。
しかしコイツ完全に恨んでるよなあ、あの対局。
一位通過したんだからほっといてくれても……と、今までなら感じていたが今日だけはその殺意が追い風になる。
「……七宝、お前調子良いんだってな。毎朝杯本戦にも出場決めちゃってさ」
「貴方とは違ってねえ。私は勝つべくして勝っているまで。負けるべくして負けていた貴方の様に、ね」
「悪いが今日は簡単に負けない……いや、お前を倒す。かかってこい」
挑発に挑発を返すと、七宝の眉がピクリと動く。
お互いが相手を睨み睨み返し、対局時間となる。
「では対局時間となりました。始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
さて、この七宝大吾という男だがスタイルとしては非常に堅牢な受け将棋を持ち味とし長期戦を好む鉄壁の持久力型。
相手が何度攻めようが守り抜き、駒を増やしつつ弱ったところを物量で押し切る。
そのスタイルと普段表情を崩さないポーカーフェイスから『鉄仮面』の二つ名を持つ。
そしてその七宝が先手を持ち指してきたのは角道を開ける7六歩、だとするなら俺は……
「……4四歩、か。雑魚らしい奇襲戦法だな」
「博打にはなるが、な」
敢えて角の軌道上に歩を進める手。
これは一種の奇襲手であり『4四歩パックマン』と呼ばれている。
これは相手に対して『取れるものなら取ってみろ』という挑発になり4四同角と歩を取った場合非常に激しい乱戦になるというのが見解。
ただプロの見方ではこの同角で後手ではなく若干先手有利と出ている。
「ふん、お前如きが調子に乗りやがって……」
「なに……?」
俺が指した理由としては、七宝が殴り合いが比較的弱いという面に懸けて勝負に出たという図式にする為だ。
成功か失敗か……失敗したら一気に負けが近付く手なだけに冷や汗が流れる。
……嫌な予感がする。
そしてそれは――
「調子に乗るなよ、貴様みたいな雑魚が」
「ぐっ……」
「ククッ惨めですねえ」
「クソッ……」
的中した。
乱戦に持ち込んだのは良い、良いが中盤から上手くかわされ始め形勢は七宝が完全勝勢。
俺は攻めていたはずが守らざるを得なくなっていた。
「所詮は威勢だけですね。このまま私の糧になってください」
……形を作るか?
このまま無駄な時間を使っても確かに惨めだ。
負けを認めて形を整えて投了、いつもやってきた事だ。
今回もやれば良いじゃないか……
「負けを認めりゃ楽? だろうな……だけどな。言ったよな、簡単には負けないってよ……」
今までならそうしてきた。
だが今の俺は、美羽という存在がいる。
俺を『せんせー』と呼ぶ、弟子がいるんだよ……
「無様ですね……さっさと認めれば一応は良い試合だった風にしてやるというのに」
どこに指せば良い?
時間を伸ばすだけなら守りに入れば良いだけだがそれだと根本的な劣勢の解決にはならない。
じゃあどうする。
どうするどうするどうしろってんだッ……
『う~ん、わたしならまだまだせめるんだけどな~』
「……ぇ?」
今、美羽の声が……?
攻める? ここから……?
グチャグチャになった思考に声が聞こえた。
間違いない、美羽の声だった。
指導している時の一幕、久留野七段から貰った『Fクラスの平均的実力の参考』として渡された棋譜を二人で指していた時の美羽の一言だった。
こんな時でも、美羽が出てくるなんてな……
思考に光が差した。
探せ、探せ、探せ……勝ち筋を、光明を……
「………………見つけた」
奇しくもこの劣勢から強引に攻める手だった。
そこしか無いと、直感と経験則が告げていた。
「今更どこに指そうが貴様みたいな雑魚……」
「確かに俺は雑魚だ」
「あぁ?」
「でも今の俺には弟子がいるんだよ。こんな雑魚にも弟子がいるんだよ。俺に憧れてくれた、俺に無いものをくれた弟子がいるんだよ……」
「それがなんだって……」
「そんな弟子がいるからには……いつまでもザコじゃ格好付かないんだよなあ!!」
ボロボロの中で見つけた一手。
それはまるで、俺と美羽の関係の様で
「ば、バカな……」
「もう一度言ってやる……『かかってこい』」
「この……この私が、負けるはずが……負けるはずが……いや……この手は……ここで……有り得ない……有り得ない有り得ない有り得ない……」
それだけで心地良い気持ちが、俺を吹き抜けていった。
その日、俺はプロ通算二勝目を挙げたのだった――