冴えない棋士は弟子を貰う様です 作:C.C.サバシア
「……鏡洲さんと指すの、もう何年振りだろ」
関西将棋連盟の建物に入り伸びと欠伸をしながらボヤーっとそんな事を思う。
今日はここからあと二時間程でその鏡洲さんと本気でやり合う。
俺が四段に上がる前、三段になって少しした頃に急に辞めてしまってからそう言えば指してないなと思い起こす。
指してきたこれまでは全て完敗だった、まるで一挙手一投足を先回りして読まれているかのような錯覚を起こすくらい強かった。
だと言うのに
「そんな人ですら、まだプロになれていない、か……」
新人プロ棋士の大会で何度と無く優勝し、史上最強の三段とまで謳われたその人ですら30になって尚プロ棋士となる事は出来ていない。
それだけこの世界は地獄だ。
そんな世界で俺が四段になれたのは何かの間違いと思った事さえある。
でもそんな俺を、鏡洲さんは『夢を託した後輩』と言ってくれた。
「だったら、ここで超えて、その言葉に合った人間にならないとな」
ここで超えられずにタイトルは取れない。
両頬を叩いて『よしっ』と一言呟く。
いつも以上に気合いを乗せて対局室へ向かう姿に、気負いは無い。
「三段リーグにいた頃……覚えてるか?」
そろそろ時間だという頃。俺と鏡洲さんは向かい合い、そして鏡洲さんの方から、まるであの頃と変わらない様にラフに話し掛けてきた……それは嬉しくもあるが、今日は違う感情も混じり複雑でもある。
「あの頃さ、俺はお前達……八一や歩夢、駿より先にプロになってやるって思ってたんだ。若けーのに負けてられないって、可愛がってたガキンチョのお前らには負けたくないって。でも気付けば八一と歩夢はプロどころかタイトルホルダー、お前だってタイトル戦のベスト4に残った。不甲斐ないと思った事もあったさ。でもな……そんなお前らを見たから、俺はまた挑戦したくなったんだよ」
初めて聞いた。
四段になる前何度と無く将棋、そして人生の先輩としてのアドバイスを聞いてきたのに。
俺達に、負けたくなかったという、自らが不甲斐ないというマイナスの言葉は聞いた事が無かった。
俺は、俺には。
そのマイナスの言葉を聞いて尚この場に立つこの人の覚悟を、乗り越えて行かないといけないんだ。
『時間になりました、始めてください』
「よろしくお願いします」
「……よろしく、お願いします」
気迫に圧倒されるな。
俺はもう何度もこの人より上の威圧感に打ち勝って来ただろ。
ふぅと息を吐き盤上を整える。
序盤はお互い相飛車からの角換わり、ポピュラーな手順で進む。
しかし中盤以降はこう、ピシッとした将棋は指せない。
この人はそんな教科書みたいな指し方で押せる人ではない、やるなら……地力の差が出る力戦型にするしか無い。
「ふぅ……流石に坂梨さんと椚に完勝してるだけありますね」
「俺だって生半可な気持ちで来ちゃいないさ。働きながら将棋もスキルアップしてってのは中々にハードなんだよ」
「これでプロじゃないってんですから自信無くしますよ、ほんと」
ところでだが、この話の様に鏡洲さんはこの試験ここまで連勝で来ている。
坂梨さんに勝った勢いそのままに俺に簡単に勝ってきたあの生意気な後輩の椚にも一切寄せ付けない勝ち方を見せた。
ここ数年では最高の実力者とも言われている天才児にそこまで圧勝しここに来ている、つまり俺は俺がボロ負けした椚に勝った鏡洲さんとやってる訳だ。
なんでこの人プロじゃないんですかね……
「そう言う駿もやっぱり強いじゃないか。七宝くんとの対局で見た力強さをこうして見ちゃうと、お前との差はまだまだあるかも知れねえな」
「俺に勝った椚を攻略しきって来てる人に言われても怖いだけですよ」
「創多に関しちゃアイツが俺の事に執着してる様に、俺もアイツの指し方の研究は死ぬ程してきたからな。俺が三段になって一番怖い、勝てない、勝ちたいと思ったのはアイツが初めてなんだよ」
鏡洲さんの口角が上がる。
そりゃそうだ。全力でプロを目指してたのに、自らの年齢の1/3程度の年齢、それも僅か十歳程の人間に追い付かれ、負けて。
悔しくない訳が無い。
例え才能の差、大人気ないなんて言われても、悔しいものはくやしいんだ。
人生を懸けて挑んだ夢なんだから当たり前だ。
そして俺もそうだった。
「だから必死でアイツの指し方、癖、勝った棋譜、負けた棋譜、対戦相手の年代毎の戦略、メンタル、全て調べ尽くして計算して何度も戦って、ようやく勝てる様になった。でもな」
「鏡洲さん……?」
「俺はな、心のどこかで諦めてたんだよ」
対局中にも関わらず力説していた鏡洲さんの目線が、ほんの少しだけ下に落ちる。
「俺は創多にある程度勝てる様になった、そして全体的な勝率も上がった。それでも尚プロにはなれなかった。切れちまったんだよ、熱意が」
「……」
俺と似ていた。
プロになる為にひたすらに足掻いて、足掻いて、足掻いて。
そして僅かな望みを掴んだ。
長年の目標だった、あの二人のいる舞台に上がると言う最初の大きな壁を超えた。
だがそこから勝てず、プロの壁に当たって、フリークラスだから早く勝たなくちゃと焦って、崩れて、負けて。
いつしか熱意は失せていた。
俺の場合美羽が来たから再起出来たし、だからこうしてこの人に喰らい付けてる訳だが。
「だから辞めたんだよ、奨励会を。もう俺にはプロになる資格は無かった」
「じゃあどうして」
「お前だよ、駿」
「俺……?」
分からなかった。
辞めた道理は分かった、でも何故ここに立つキッカケが俺なのか。
俺なんて最初は勝てなかったし勝ててからも何回も挫折して、八一や歩夢なんかより余程まだまだ弱い俺がどうしてこの話題に出てくるんだ。
「お前の盤王戦予選三回戦見てアイツ頑張ってるなって背中押されて申し込んだんだけどさ、正直その時はまだ本当にやれるのかって心配だった。それまで将棋から離れてたからな」
今年の二月行われた安東六段戦。
熱戦だなんだと言われていて今振り返ってもかなり消耗した戦いだったと思い出す。
しかしあの頃まで辞めてて約半年でここまで仕上げてくるとかやっぱりこの人は天才だ。
「盤王戦の決勝トーナメント一回戦、宮越九段戦。元タイトルホルダーで今も尚盤王復帰が期待されているあの人に勝った時感じたんだよ。負けても負けても立ち上がって勝った後輩見てて、 あれだけ頑張ってる後輩がいるのに俺は何不甲斐ない事考えてるんだって。あの後輩に勝ちたいって。目標になったんだよ。プロになりたいのと同じくらい、お前に、今の本気の、俺じゃ届かない強さを持つ駿に、勝つ事が……な!」
「……!」
そうか、ずっと俺なんかより強いと感じてきた鏡洲さんも今はチャレンジャーなんだ。
俺『に』挑戦している側なんだ。
だからこれはお互いがお互いを超えようとしている戦い。
双方が変わる為に、立場違えど、同じ想いを背負って、この場にいるんだ。
「だったら俺だって、ここで立ち止まっちゃいられないんですよ。今まで一度も勝った事の無い貴方に勝って、恩返しして、タイトルトーナメントの舞台に帰るんですから。じゃないと御鬼頭玉将には勝てませんから……ね!」
強引にこちらに捩じ込んできた鏡洲さんの駒に迎撃する。
少しでも攻めを緩めるとこうだ、厳しく少し無理矢理にでもせめてくる。
もう死んだだろうと思ったところからでも逆転してくるからこの人は天才と呼ばれてきた、だったら答えは一つだ。
「力には力で押し返すッ!」
「……成程。やっぱり今の駿は三段時代の駿とは別人だ。強い、強いよ。だからこそ、今のお前に勝つ価値がある……!」
力勝負に真っ向からぶつかってきた鏡洲さん。
重たい一撃に手が一瞬止まりかける、がここで止まれるはずが無い。
この対局の前、考えていた事があった。
美羽の指し方だった。
アイツは守備度外視しながらも攻めて攻めて勝ってきた。
勿論アマチュア女流棋士の戦い故粗が大きく目立つ事もあるが、臆する事無く攻めて相手を押し潰して勝つ対局がより目立つ。
それこそ女流3級になるに当たってこれまでまだ実戦で使うには早いと思っていた、去年12月頃に教えた新雁木囲いをモノにしてきておりそろそろ守備もある程度見れるレベルになるとは思うが。
それはそれとして、美羽の超攻撃型将棋にヒントを貰っていた。
あの子は強引な攻めは見られるがそれを咎められて引く様な事はしないしそれで勝ち切るのが強味だ。
だとしたら俺もこう言った力と力の攻め合いでは美羽に倣おうと決心したのだ。
決して日和では無い、俺の大事な愛弟子の最大の長所は俺自身が一番近くで見てきた。
「鏡洲さんが椚の指し方を研究し尽くしてると言うなら、俺は美羽の指し方を最も近くで見てきたんだ。ならばここで『それ』をやれない道理は……無い!」
「……! 成程、お前の強さの原動力とは風の噂で聞いていたがここまでとはな……」
終始僅かに押していた程度の盤面が動く。
大きく攻め、それでいて御鬼頭玉将の時の様にはならないという意志も持ちつつ盤面を大きく見る。
鏡洲さん……貴方の教えを吸収して俺は立ち直れました。
その恩返しは、ここで確実に。
「……ありがとうございます。鏡洲さんの教えのお陰で俺は立ち直れました」
「バカ言え。俺は気付かせるのを早めただけだ、駿の実力なら少し経てば気付けてたって……現に、こうして全力で立ち向かって八方塞がりになっちまうんだぜ? ……強くなったな」
気付けば盤面は、既に終わりを迎えていた。
「絶対にトーナメント勝ってきます。貴方を越えたという誇りを胸に」
「……まだそう言ってくれるのは有難いよ。悔しいがこの借りはプロになってからリベンジさせてもらうぜ……負けました」
「ありがとうございました」
「あークッソ……ありがとうございました」
純粋な力勝負。
盤面は乱戦も乱戦で決して綺麗な将棋とは言えなかったが、俺の今の全力を持って終盤は圧倒。
「はぁ……ったくプロになったら今度はお前が俺の目標だな」
「……も、目標になれる様強くなってきます!」
「ま、俺も西崎四段と七宝四段どっちかには勝たないと行けないんだけどな。どちらにしても駿を越える為には勝たないとな、気合いも入るってもんよ」
「待ってます、鏡洲さん。今度はプロの舞台でまたやり合いましょう」
「おうよ」
両者固く、固く握手をする。
それは二人の決意表明。
もう負けないと、舞台は違えど誓うのだった。
最終回までの道程の計算がようやくある程度終わりました
何とか完結させてえ