冴えない棋士は弟子を貰う様です 作:C.C.サバシア
「対局時刻となりました。それでは始めて下さい」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
かんなべせんせーは言っていた。
清水澤さんはこの前対局した時よりずっとずっと努力して、もう負けたくない気持ちで指し続けて、今日この予選決勝にいるんだって。
次こそ2級になるんだって、そういう事も聞いた。
私も同じ気持ちだった。
マイナビ女子オープンの予選決勝、私は祭神さんと持将棋になった後倒れてそのまま棄権、将棋では負けなかったけど結局負けてしまった。
私にもっと体力があったら、せめて倒れずにいられたら、そう思って悔しくて、悲しくて。
しゅんちゃんに八つ当たりしちゃったのを思い出す。
もっと強かったらもっと楽に出来た、だから私もあのままじゃダメだって思って今日までずっと頑張ってきた。
今の一番の目標にした、次は勝ちたいって思ってる祭神さん自身から教えてもらったり一緒に勉強したり何か思ってたのとも違う事が起きちゃったりもしてたけど、祭神さんとも仲良くなれたし良いかなとも思ったり。
うん、だから私も新しい私になろう。
今までの指し方だけじゃない、いつまでも守る事が弱点と言われる私じゃなくて、少しずつ少しずつ形にした、私で。
「……! これは……新雁木囲い……!? くっ、データには無かったのに……」
「あなたががんばってるだけ、わたしだって負けてられないんだから! 新しいわたしになるんだからね!」
新雁木囲い。
それは、しゅんちゃんの弟子になって最初に、初めての日に教えられた戦術だった。
「せんせー……これってなんですか?」
「この陣形は新雁木囲い……囲いながら攻め上がっていく攻守一体型の陣形さ!」
「こうしゅ……いったい……ゴクリ」
「そう、君が苦手とする守備、囲いをしながらでも攻めるには充分な駒を用意出来る攻撃的な戦法だね。しかも相手の戦い方に左右されないすごいやつなんだ」
「すごいやつ!!」
去年の12月、しゅんちゃんのところに初めて行った日の思い出。
あの頃からずっと練習してて、もう11月になっちゃったけど。
ちゃんと自分のものにする為に物凄く時間が掛かっちゃったけど。
やっと出せた。
やっと踏み出せた。
でもこれだけじゃダメ。
ここで勝って、ちゃんと使えるんだよっていう事をしゅんちゃんに見せて、絶対にエールを送るんだから。
「私だって……伊達に3級やってる訳じゃないんですよ。もう一年もプロと戦ってきたんです、それでようやく掴んだ2級昇級の切符……貴方に渡す訳にはいかない!」
「わたしには。わたしには……勝って、恩返しと、エールを送りたい人がいるの。わたしが2級になって、一人前になって、それで「わたしはもう大丈夫だから」って、だからがんばってって、言いたい人がいるの。だから……負けたくない気持ちはおなじ!」
女流3級は、二年間で2級になる資格を貰えなかったらアマチュアに戻ってしまう。
だからこの人が必死なのは当たり前だし、私が必死なのも当たり前。
きっとここまで来る道は私と清水澤さんとでは全く違うもの。
でも同じ女流3級だから、今思ってる事は同じはず。
『勝って2級に、プロになりたい』
同じ想い。
凄く尊敬出来るくらい、負けたくない気持ちが伝わってくる。
それでも、私はそれを受け止めて、それで絶対勝つと決めた。
『わぁ……! すごい、カッコイイねこの人の指してるところ!』
初めて棋譜を見た時、私に意味なんて分からなかった。
将棋なんて全く知らなかったし、全く分からない世界だったから。
でも何故かこの人の棋譜が気になって、あいちゃんにこの人が指してる時の映像をもらった。
三段リーグとか、公式戦とかじゃない研究会での物だったけど。
私は一目見て、この人に、鍬中駿という人に釘付けになっていた。
その内に、この人の事を沢山知りたい、もっと私も理解したいと思う様になって。
『あいちゃん、あのね……わたしに将棋を教えてほしいの!』
気が付いたら、あいちゃんにそう言っていた。
あいちゃんも最初はびっくりしてたけど笑顔で良いよって言ってくれて、覚え始めた時は私も全く分からない事だらけだったけれど優しく教えてくれて、次第にてんちゃんも加わって、くじゅせんせーのお誘いでJS研に入って将棋の難しさだけじゃなくて楽しさも、面白さも、悔しさも知って。
それからまたしゅんちゃんの棋譜を見たら、前は雰囲気で『何か凄い』としか思えなかったものがその時は『少し分かるから気持ちも少しずつ伝わってくる』様になって、もっともっとあの人の事が気になって、だから私はしゅんちゃんの弟子になりたかった。
『今日からくわなかせんせーの籍に入ります、竹内美羽です! せんせーが将棋のプロっていうのとイケメンだって聞いてきました! 一目惚れしました!』
本当はイケメンなのか、とかそんなのは私には関係無かった。
だってしゅんちゃんの将棋に一目惚れして、その将棋を間近で見て、しゅんちゃんが何を思って、感じて指してたのか理解したくて来たんだから。
でもあの人を前にしたら恥ずかしくなっちゃって、つい誤魔化しちゃって苦笑いされたっけ。
そこから将棋を知って、喧嘩した時もあったけど二人で辛い時も苦しい時も乗り越えて。
そして今、私はこの舞台に。
女流玉将戦予選決勝という、女流プロになるそんなところに後一歩までって場所に、立ってるんだ。
「……竹内美羽さん」
「うん」
「……将棋初めて、どれくらい?」
「一年半……かな」
静かに清水澤さんに話し掛けられる。
手番は清水澤さんで止まっていたけど、手が震えていた。
「一年半かぁ……私が必死に3級に食らいついて一年閉じ込められてた間にこんなに伸びる人がいるなんて、ちょっと妬けちゃう」
「……」
何を返せば良いか分からなかった。
多分どう言っても上手く伝わらないと思ったから。
「そして……ここで女流プロになるのも先越されちゃうなんて……ほんと……妬けちゃうんだから……!!」
清水澤さんは震える手を抑えながら、駒台に手を添える。
私はそれから目を逸らさない。
一生懸命戦い合ったから、最後の結末まで見届けると決めたから。
「……負け……ました……」
「……ッ! ありがとう……ございました……!」
「ありがとう……ご……ざい……ましっ……」
しゅんちゃんもかんなべせんせーも言っていた。
『勝者がいるという事は必ず敗者がいる、悔し涙を流す人間がいる』と。
どれだけ全力を出しても、努力しても、必ずしも報われるとは限らないって。
特にしゅんちゃんは『努力は必ず報われる』って言葉が大嫌いだって、いつかボソッと言っていたっけ。
でも同時に『努力した者だけが報われる為のステージに立てる』とも言っていた。
だから私は、前だけ向いてこの『プロ入り』をしゅんちゃんに報告するんだ。
ここがゴールじゃない、ここがスタートなんだ。
やっと、あいちゃんやてんちゃん、銀子さんと同じステージに立てるんだと噛み締めて私は立ち上がっていった。
「もしもし、しゅんちゃん」
『美羽……おめでとう……本当に、女流2級……おめでとう……!!』
電話越しにしゅんちゃんの震える声が聞こえてくる。
ずっと……沢山の事を教えてきてくれたしゅんちゃんのその声に、わたしも涙が溢れてきてしまう。
「ありがとう……しゅんちゃ……わたし……たくさんがんばったよ……!! しゅんちゃんの事、思い出しながら指してたよ……!! だからわたし、がんばれたんだから……!!」
『そっか……そっか、ありがとうな……俺、師匠として頑張れてたかな?』
「あたりまえでしょ! しゅんちゃんじゃなかったらわたしはここまで来れてないもん!! だからしゅんちゃんはすごいの!」
喧嘩もしたけど、しゅんちゃんの将棋と教えが無かったらわたしはここまで将棋を好きになる事は無かった。
この人と一緒に、だったから辛い事があっても登って来られた。
「次は……しゅんちゃんの番だよ」
『そうだな。弟子が……愛する人がこんなに頑張って目標を成し遂げたんだ。師匠も良いとこ見せねえとな!』
だから今度はわたしがこの人に、師匠に、大好きなしゅんちゃんにエールを送る番になる。
『二人で一人前』って、そう言ってくれたから、今度は『二人とも一人前』になりたいから。
「おーえんするからね! ……あ、そろそろインタビューあるみたい……またかけるから待っててね!」
『おう、胸張って受けて来るんだぞ』
実はインタビュー前に電話を掛けちゃったのは……秘密に出来なかった。
だって誰よりも先に勝った事をしゅんちゃんに報告したかったから、ちょっとだけだけど時間をもらってこうして言えて。
「電話の方は、やはり鍬中四段にでしたか?」
記者の人がニコニコしながら聞いてくる。
思わず照れちゃうけど、胸張ってって言われたししっかり答えないとね。
「えへへ、そうです! ししょーの将棋も、ししょーの事も大好きだから、一番にほーこくしたかったんです!」
「そうですか、鍬中四段はなんと?」
「『おめでとう』ってボロボロに泣きながら言ってくれたのでわたしも泣いちゃいました……それで、ししょーも盤王戦頑張るって言ってくれました!」
「竹内新女流2級の頑張りが届いたんですね、改めて昇級、そして正式な女流プロ認定おめでとうございます」
「えへへ、ありがとうございます! 本戦もがんばって指します!」
「最後に、同級生で将棋のプロとしては先輩の雛鶴あい女流初段、夜叉神天衣女流二段の二人に向けて何かメッセージがありましたらここで言ってもらってもよろしいでしょうか?」
あいちゃんと天ちゃんは、今あいちゃんは女流名跡戦リーグで、天ちゃんはマイナビ女子オープンのトーナメントと女流玉座戦のタイトル戦で、戦っている。
特に、銀子さんが女流界を引退して空位になった女流玉座戦の新女流玉座決定戦は2勝1敗で天ちゃんが王手を掛けている状況。
……私も、追い付きたい。
確かに、そう思った。
「二人は今、タイトルに手がとどくくらいすごい二人になってて、わたしの目標であこがれです! でも……わたしだって負けない! いつかあいちゃんと天ちゃんに勝てるくらい、すごい棋士になってみせるから!」
プロは夢の終わりじゃない、スタート地点だ。
まだ、私の夢は始まったばかりなんだと胸に刻んで。
ビシッとカメラに向かって指を指して、決めポーズを取ってこれからの未来に宣戦布告をしたのだった。
今日で2周年ですがこれで本当の意味で美羽編の本編は完結となります
まさかの二人がライバルとして立ちはだかるも圧倒、美羽ちゃんはこれから同級生の先輩の背中を追い掛ける立派な女流プロとして美しく羽ばたいて行きます
ダブルあいがプロになってからが本番なのに対し美羽ちゃんがプロになるのを完結としたのは『鍬中と共に歩んでほしかったから』なんですよね
二人で一人前だった半人前二人が一人前になる物語、これぞ本作のコンセプトです
物語もホントのホントに最終章を迎えます
あとどれくらいの期間で書けるかは分かりませんがこれからも首を長くして待っていてもらえたらと思います
ではまた