冴えない棋士は弟子を貰う様です 作:C.C.サバシア
とりあえず1年弱空いた更新の間で出てきた17巻で明らかになった設定一つだけぶっ込んだ
−2018年12月 盤王戦挑戦者決定トーナメント・敗者復活戦第二試合−
「……ふぅ」
控え室に戻り、ペットボトルに入った常温のお茶を飲み干し一息付き、自分が相当な空腹に襲われている事に気付き苦笑いを浮かべる。
於鬼頭玉将との同棋戦準決勝以来のリベンジマッチ。
「君が学ぶ様に私も、生涯高みを目指している。成長しているのは私も同じだ……大事なのは対策や指し方だけでないと思い出せないのならタイトル戦の席に座る資格は無いと思いなさい」
もう二ヶ月以上前に於鬼頭玉将に言われたこの言葉……今でも鮮明に覚えている。
この人の過去が過去なだけに、余計納得やら重みやら悔しさやら感じてしまって、尚の事狂ってしまいそうになっていたのも今は遠い昔のはずだ。
何せ今この控え室での休憩時間に過去を思い返す程の心の余裕があるからだ。
「とはいえ、不利な事に変わりは無い」
於鬼頭さんの先手番で始まった本局は於鬼頭さんその人が先手角換わりを決めペースを握った。
俺は正直少し後手に回らされているのが現状であり、いつ押し切られるか分からない状況に見えているだろう。
実際結構キツいが、それでもまだ打開のチャンスはある。
前回やった時と比べて大きく見えてるものもある。
「鍬中四段、お届け物ですよ」
「え、俺に?」
ここから盛り返す為にも英気を養いたいしさて昼食何にしよう……なんて考えていた矢先、関西本部の知り合い職員がノックと共に入ってきた。
俺になんか届いてるらしいが……このタイミングで?
訝しげにしていると、その職員は少しニヤリとしながら小声でこう告げ出した。
「愛しのお弟子さん……竹内新2級から愛妻弁当の差し入れですよ」
一瞬お茶を噴きかけた。
だってこれ公表してない事なんですけど?
え、そんな簡単に愛妻弁当とか言い切っちゃう?
「なっ……お、俺は付き合ってるなんて一言も……!」
「……いやその、割と雰囲気でバレてますからね?」
「マジ?」
「大マジです」
……上手く隠せてると思ったのに。
小学生と二十歳手前の恋愛とか普通あり得んでしょうよ。
「前例がいますからね」
「ああ、うん。そうだったね特大の前例がいたね……」
すっかり忘れていた、八一はこの世界じゃロリハーレム築いてたんだったわそりゃ勘付かれもするか。
というかくっ付けたの俺でしたね、ええ。
おのれまさか自爆するとは……
「ま、僕と話してたら昼休憩終わっちゃいますしこの辺で退散しますよ」
「おう、緊張も程良く解れたわ」
「はは、ありがとうございます。……僕の夢も、鍬中四段に託しちゃいたいくらいですよ」
「受け取っといてやんよ、同じ三段リーグで戦った好みだ」
「……本当に、ありがとう………ございます」
去り際に漏らした言葉、それを俺は聞き逃さなかった。
この職員とは知り合いであり、世間話をする程度には仲も良く、そして嘗て三段リーグで戦ったライバルだった。
俺よりずっと年上なのにフランクに話せる雰囲気を持っていて、なのにあっちは敬語が多く礼儀正しくて、兄貴分というよりは友達で。
でも将棋への執着は鑑洲さんと同じくらいあって……それでも、俺がプロ入りするのと同時にプロを諦めた。
25歳、高年齢ではあるものの勝ち越していたので三段リーグに引き続き在籍可能であるにも関わらずだった。
「……いつの間にか、俺も追い掛ける側から誰かに夢を託される側になったんだな」
鏡州さんに言われた言葉を思い出す。
「お前は、鍬中駿は、俺が奨励会で十五年以上懸けても届かなかったプロになったんだぞッ! そしてお前は、そんな俺や俺の様な夢に届かなかった奴らの上に立つプロの中でも一握りしか辿り着けないトーナメントのベスト4にいるんだぞ!! そんなッ……夢を託した後輩が絶望した様な顔で指してて助けない奴がいるか!!」
この言葉の意味を、ようやく全て理解したのだと噛み締める。
前までの俺なら変にプレッシャーを感じていただろうが……いや、今もプレッシャー自体は感じているのだろうが、不快にならない。
心地良い痺れが身体中を駆け巡っているのを覚える。
「託された夢を、背負う為に」
だが勿論、託された夢だけが心地良いプレッシャーではない。
弁当箱を開ける、美羽が持ってくるには大きめのものだ。
「ん……わざわざ手紙まで書いてくれたのか。全く、師匠冥利及び彼氏冥利に尽きまくりだろ」
風呂敷には弁当箱の上に置く様にして、便箋が置かれていた。
『しゅんちゃんへ』
そう俺に向けて書くのは美羽以外いない、何を書いたのやらはさておき思わず笑みが零れてしまう。
「どれどれ……」
肉体的回復が食事なら、精神的回復は美羽のエールといったところか。
読む前から身体が軽くなっている気がする。
今日は会えない分、この手紙で沢山愛情を貰おうじゃないか。
お茶をまた一口飲み開く。
『しゅんちゃんへ。今日勝ったらごほーびにマッサージと耳かきとデートをしてあげます! だからぜったい勝ってね! ……あと、しゅんちゃんといっしょに『一人前』になりたいから……たくさんいっしょに二人でがんばってきたしゅんちゃんと、手をつないで一人前になりたいから……勝ってね!』
「……んなの言われたら尚の事勝つしか無くなるじゃねーかよ」
美羽からの言葉が、全身に駆け巡って身体を熱くさせる。
心地良い感覚、普段入り混じらない興奮と冷静さという対極にある感情が同時に自分の中に入り込んでくる。
頑張りたい、勝ちたい、自分の為にもそうだ、誰かの託された夢を運ぶ為なのもそうだ。
だが、今の俺は自分の夢以上に、誰かの夢以上に、美羽の為にこの対局を勝ちたいと思っていた。
もしかしたら勝負師としては失格かも知れない。
だがそれでも、前世からずっと空っぽの人生だった俺に寄り添って、闘志をくれた、夢をくれた、プロ棋士としての人生をくれた、そんな美羽に、美羽の為に、この一局を捧げたいと思ってしまったのだ。
空っぽだったはずの俺の周りには、今の世界では支えてくれる家族も、切磋琢磨出来るライバルも、背中を押してくれる弟子兼婚約者だっていたのだ。
気付いて、前に進めたそんな大恩のある人間に捧ぐ対局があったっていいだろう。
ましてやこんな結構な大舞台、都合良くおあつらえ向きだ。
「ま、勝つ為にはまず食事しないとな」
いつまでも独白に浸ってる暇も無い。
俺は美羽の弁当を食べ、於鬼頭玉将のいる対局室へとと戻っていくのであった。
ちなみに今日の弁当はカツ重メインでした。
験担ぎまで気遣ってくれるとかウチの彼女可愛過ぎなのでは? と思ったのは秘密である。
パチリ、パチリ。
静かな対局場に駒の音だけが響く。
於鬼頭玉将が今どういった表情をしているか、何を考えているか、そんな事を考えている、見ている余裕は無い。
ただただ今は勝ちたいと切望し、渇望し、求めていた。
――79手目 6二歩打
こちらの陣へと歩を打ち込む於鬼頭玉将。
攻める頃合と見たのだろう、豪胆に打ち込んできたが……今の俺なら怯まない。
予め相手陣近くに設置した歩がここで効いてくる。
――80手目 7七銀打
その俺の置いていた歩の一歩前方へ取ってあった銀を打ち込む。
相手がその気ならこっちだって攻めてやる。
俺の城はもう簡単には壊させはしない。
「……ふぅ」
於鬼頭玉将の溜め息が聞こえる。
あちらとしては想定外だったか、手が止まる。
……ここでようやく今日初めて於鬼頭玉将の表情が見えた。
「……ッ」
悔しそうな表情だった。
その表情が俺に全てを悟らせるには時間は掛からなかった。
それは、79手目が敗着なのか80手目が勝着なのか。
頭の中がぐるぐると回り良く分からなくなってしまう。
だがまだ喜ぶな、ここから間違えてはいけない、一手足りとも間違えてはならない。
美羽に『これが棋士だ』と見せる為の戦いをしよう。
「ふぅ……」
息を吐き頭の中を冷やす。
焦らなくて良い、一歩ずつ一歩ずつ、それこそ今までの俺の将棋人生なんてずっと止まってばかりだったんだ、それに比べたらここの勝負で何を焦る必要がある。
逃げた玉を打ち込んだ銀で追い掛け、苦し紛れに成ったと金を無視して角で更に王手を掛ける。
於鬼頭さんの表情が更に曇る、しかしこれで諦めないのだからやはり現役の中でもトップクラスのタイトルホルダーと言える。
本当に恐ろしい人を相手にしているのだと改めて実感させられる。
だからこそ、尚更俺だってそこで気圧される訳にはいかない。
この角で決めてやる、そんな想いを持って。
「負けました」
そっと頭を下げる於鬼頭さんにハッとして頭を上げる。
無我夢中だった、何手でも構わない、粘ってきたらその分全てを捩じ伏せる様に、何度でも何度でも指していた。
たとえいつ終わるか分からなくても良い、ただただその先に待つ景色だけを見つめて。
「……勝っ……た……?」
「ありがとうございました」
「あ、ありが、とうございま、した……」
現実感が伴わない中での挨拶でどうにも口が回らない。
最後だけ締まらないのは何とも情けないと感じてしまう。
「……悪くなかった」
「え……?」
「君の将棋だ」
何か言わないと、と使い切ってしまった頭を必死に動かしていたが於鬼頭さんに先を越されてしまった。
本当に締まりの悪い事この上無い……しかし、真剣な眼差しでそう言われて、あの時言われた言葉を思い出して、認められたのだと思うと込み上がってくる思いもあった。
「ありがとう……ございます……」
「そして悪かったね。あの時言った言葉……若い時の私に似て、どうにも危うく思えてしまって。どうしても放っておけなかった……今更言われても、と思うかも知れないがね」
「そ、そんな事……」
俺は知っていた。
於鬼頭さんが過去コンピューターに初めて負けたプロ棋士として大バッシングを受け、そこからA級陥落や自殺未遂をしていた事も。
そこまでは実際に前世で『見てしまっていたから』。
だからこそ、どう答えて良いか分からなかった。
あまりにも重たい言葉だから。
「いや、良い。勝手に憂いてしまったのは私なのだから。そして君は……鍬中四段はそれをちゃんと超えていったのだから。私がした過ちは君はしないだろうと思える事が出来た」
「ッ……ありがとう……ございました……!」
だが、於鬼頭さんの顔は穏やかなものだった。
本当に心配してくれていたのだろう、そう思うと俺はとことん周りの環境に恵まれたのだと噛み締めてしまう。
「さて……私はそろそろ失礼する。挑戦者決定戦、応援している」
「は、はいっ」
「それと……私の娘を救ってくれて、仲良くしてくれて……ありがとう」
「……え?」
しかし最後の言葉だけは、どうにも理解する事は出来なかった。
ただ、於鬼頭さんの顔は、一人の父親の顔付きだった。