シルヴァリオ メタモルフォシス ~シルヴァリオ ラグナロク Side:Capricorn~ 作:斎藤2021
私は貧しい家の生まれだった。
父親はひたすらに塵屑で、無職にも関わらず賭け事と酒に溺れる日々を繰り返し、家の収入の十割は母の労働によるものだった。
しかし、それも微々たるものだ。
当時幼かった私を育てながらの片手間で稼げる銭など、高が知れている。そんななけなしの稼ぎでさえ、父親の娯楽に全て溶かされる。文句を言ったり抵抗をしようものなら、問答無用で殴られた。私が泣きながら母を庇った時も、およそ子供に振るっていいとは思えない力で頬をぶっ叩かれた。
死んでしまえばいいと思った。こんな塵屑、生きてる価値など毛ほどもありはしない。
死ね。死ね。死んでしまえ。でなければ、どこか遠い場所へ消えていってくれと。
毎夜毎夜、腫れる頬に熱い滴を垂らしながら、
だからだろうか。
そんな私を哀れに――いや、あるいは、愉快に思ったのか、私が十六歳の誕生日を迎えた日に、その惨劇は訪れた。
父に、犯された。
母が仕事に出掛けている時を見計って、二人きりの時に。あまりにも唐突に。母譲りの自慢のブロンドヘアを馴れ馴れしく撫でながら。欲に塗れた瞳を向けて。
綺麗に育ったな。そうか、お前ももう十六か。ならそろそろ男ってものを教えてやらないとな。何、これも父親としての義務だ。
気にするなよ、俺たち家族だろ――?
などという今思い出しても糞尿を胃袋に流し込められるような不快極まる台詞を羅列しながら……
私は無理矢理脱がされ。股を開かされ。
痛い嫌だと叫び散らした。
その度に殴られた。
やめてやめてと懇願した。
その度に首を締められた。
お前なんか死んでしまえと呪詛を吐いた。
その度に
……何だこれは?
何故、どうして、私ばかりがこんな惨い目に遭わなければならない?
私は何か、神様に嫌われるようなことをしたか? それほどの大罰を背負って生まれ落とされた存在なのか?
どうして人は皆平等に幸せになれないのか?
私がこうして犯され痛苦に苛まれてる今も、どこかの誰かは幸せに笑ってるなんて、そんな――理不尽だろう。
おかしいだろう。こんなのってない、有り得ないだろう。
なんで、どうして――
いや、もういい。考えるのは辞めだ。
もう、疲れてしまった。どうとでもなってしまえと、私は抜き差しされる父の肉棒を下腹部に感じながら、今にも崩れ落ちてきそうな古びた家の天井を眺めた。
何もかもがどうでもいい。考えたところでどうにかなる訳でもない。抵抗するほど事態が悪化するだけだ。ならばこのままこの
そう、私はこの瞬間に悟った。悟ってしまった。
人生とは流されることなのだと。
自分の力ではどうしようもできない
踏破することができる者など、選ばれし勝者のみ。
私は惨めな敗北者。ゆえにこの現実を前に、なす術などあるはずもなく。
私はただ無抵抗に、運命に蹂躙されるしかない。
……
………
…………
あれから、どれだけ時間が経っただろうか。
部屋には、息を荒くした父の下卑た笑い声と、パチュ、パチュ、という粘性の高い抽出音が響くのみだ。
それ以外、何も耳に入ってこない。
何も感じない。
世界の一切を、知覚したくない。
このまま私、塵屑みたいに無価値に死ぬのかなあ――と漠然と思った刹那。
絹を裂くような絶叫が、遙か遠くから木霊した気がした。
……いや、気のせいではない。これは、母の声だ。
一拍遅れて私がそれを知覚した瞬間、父の喉仏から刃物が生えてきた。
後ろに視線を飛ばせば、そこには未だかつて見たことがないほど憤激に濡れた母の顔が。
突き刺した刃物を垂直に引き抜いた次瞬、父は屠殺された豚のような断末魔を上げながら血泡を吹き散らかして絶命した。
世界に静寂が訪れる。静寂に包まれているというのに、何故だかその静謐さが不快なほど五月蝿く感じた。
「お母さ、ん……」
耐えきれなくなった私は、カラカラに乾き切った喉を震わせ母に呼びかける。すると母は父に殴られた時のように激しく身体を痙攣させた。しばし茫然としていたかと思えば、おもむろに裸の私と、血の海に沈んだ父を交互に見て、見て、見て見て見て――
ピキリ――と。何か、母の中の大切なものに決定的な亀裂が入る音を、私は確かに耳にした。
罅が刻まれれば、瓦解するのに時間は必要ない。
母は、父の命を断った血塗れの包丁を流れるような所作で自分の首元にあてがい、そして最期に、本当にごめんなさい、という心の底からの謝意をその美貌に浮かべて――
「こんな残酷な世界に産んでしまって、ごめんね、リディア。愛しているわ――どうか、幸せになってね」
父にしたように突き刺した包丁を何の躊躇も無く真横に引き抜いた。
花火のように飛散する血飛沫。先まで確かに目前にあった、母の命が地獄の底へ流れていく。
そして私は、血袋と化す母をただ白痴のように眺めていることしかできなかった。
後に残るは、二つの血塗れの肉塊と、無様にも地獄に取り残された屑同然の糞餓鬼のみ。
……否。母の骸の、その傍らには。
Happy Birthday Lydia!
と、血の文字で刻まれた、屍のようにグチャグチャに潰れたバースデーケーキがあった。
――これが、リディア・ウォーライラの人生の全てだ。
血塗れ糞塗れの、どうしようもなく救い難い喜劇に他ならなかった。
……
………
…………
もう少しだけ私の過去について語らせて貰うとしよう。
と言っても、聞くほどの価値があるかと問われれば否と言わざるを得ないが。
だがせめて、最後まで聞き届けてほしい。そしたら、あとは悲劇だと泣き叫んだり喜劇
だと笑い飛ばしたり、好きなようにしてくれればいい。
とにかく、誰かに聞いてくほしくてたまらないのだ。
あわよくば、そして私を助けて――なんて、水面の月を掴むような夢を見ながら。
その後、両親が死亡した私は、当然ながら一人で生きていかねばならなくなった。
生きていくということは、銭を稼がねばならない。ゆえにどこでもいいから労働でき
る場所を探し求めていたのだが……
十六といえど、所詮は世間知らずの乳臭い糞餓鬼。どこも私を雇ってはくれなかった。
私が男ならばまた話は違ったのかもしれない。しかし、性別という先天的なことを問答し
ても如何ともし難い。
結局ここでも行き詰まり。
ここまで人生思い通りにいかないと、まるで神様が私に「死ね」と囁いているように感
じてしまった。
そんな途方に暮れ切って私に――救済の糸は、思いもよらぬ方向から垂らされたのだっ
た。
ある日、家に見知らぬ女性が訪ねてきた。
年齢は母と同じくらい。煌びやかな服装を見に纏い、蜂蜜のように甘ったるい香水の匂
いを振りまいている。
瞬で私は、この人の職業が水商売系であることを看過した。
そして、彼女は嫋やかに微笑みながらこう告げた。
「貴女のお母さんの元同僚よ。リディアちゃん……だったかしら? 行くアテがないなら、私のところで働かない?」
この時、母が娼館で働いていたことを私は初めて知った。
本当に母には苦労をかけてばかりだったのだなと悔恨と感謝の二十螺旋の感情に苛まれ
たのも一瞬のこと。
私に、選択権などありはしなかった。
「働かせてください」
そうして私は、母の跡を継ぎ、娼館で働くことになった。
無論、一六では娼館で働けない。
娼館で働くには、最低でも二十を過ぎていなければいけないのだが。
母の娘という理由で贔屓にしてもらい、特別に年齢を詐称し、働かせてもらうことと相
成った。
……同情、憐憫という気持ちが多分に含まれていたのは言わずもがなだが、それも仕方
がないし、文句も言えない。
働かせてもらえる以上、贅沢は言っていられない。いくら哀れまれようが、生きていけ
れば私の勝ちだ。
そうして、私の娼館勤めの生活が幕を上げた。
どうせ肉親に処女を奪われたのだから、二回も三回も十回も変わらない。
そう割り切り、私は何人もの男とまぐわい、一夜だけの愛を交わし合った。
そこの娼館の客は比較的紳士な男性客が多かったが、無論例外も中にはいる。
異常性癖を拗らせたプレイを強要してくるのはまだ可愛い方で、こちらが少し拒絶の意
を見せるだけで怒鳴り散らし殴ってくるような気狂いもいた。
当然そのような輩は問答無用で出禁になる。
しかし、いくら出禁にしようが、奴らのような人種は蝿の如く跡を絶たず次から次へと
現れる。
日々を暮らす金銭にはまったく困らなくなったが、反比例するように心の方は徐々に
徐々に擦り切れていった。
何より、父と歳が近い男性客が必然的に多いせいで、あの日のトラウマがフラッシュバ
ックしてしょうがないのだ。その客がいかに紳士的であろうとも、行為に及ぶと嫌でもあ
の日の光景が目蓋の裏に甦る。
そんな毎日を繰り返していれば、当然精神が廃人に成り果てていくのは必定だろう。
しかし、この娼館を後にしたところで、他に働くアテはあるのか? またあの惨めな日々
に逆戻りするだけではないのか? ならば、今は現状維持に努めひたすら歯を食いしばり我
慢するべき時ではないのか?
そうだ、いつか、いつか私は幸せになるはずだ。
何故なら、今までこんな不幸な目にあってきたのだから。その分報われなければ、こん
な人生嘘だろう。
よって私は、待って、待って、待ち続けた。
自らの運命が舞い降りる、その瞬間まで。
――そして、天啓は降り注ぐ。
それは、私が二十を迎えた日のことだった。
おめでとう。君は
そう告げられた時、幻聴でも何でもなく、確かに祝福の福音が私の頭上で鳴り響くのを
聴いた。
よって、私の勝利はここに確定する。
アドラーの軍人など、娼婦とは比べるべくもない高給取りではないか。
今私がいるこの地獄から抜け出し、天国のような環境に身を置ける事実。
軍人ということは、常在戦場が当たり前になるということだが。戦場に身を置く恐怖や
精神的痛苦など、見えない知らない聞こえない。
だって、私は今まで様々な地獄に身を置いてきた。それ以上の地獄なんて、この世のど
こにもありはしないだろうから。
きっと、これがわたしにとっての最後のチャンス。これを逃せば、私は未来永劫幸せに
なることなど出来はしない。
そして私は、盲目的に帝国アドラーの軍人となった。
訓練兵となってからは、ひたすらに努力研鑽を繰り返した。
戦闘経験など二十年の人生で一度も無かった私は、ただ愚直に己を鍛え続けた。政治も
学んだ。
寝る間も惜しみ、ただひたすらに前へ、前へと突き進んだ。
全ては己が輝かしい未来の為に。
全ては、最高の幸せを掴む為に。
どうやら私は、戦闘面での才能が元々あるタイプだったらしい。地頭も良かったおかげで、座学でも優秀な成績を毎度修めていた。
よって、努力は順風満帆に実を結び、そして――
「リディア・ウォーライラ。貴君を、
もはや言うことなしだった。
そう、私はこれを狙っていた。
黄道十二星座部隊には、その名の通り十二の部隊が存在する。
その中で私が配属を狙っていたのは駐屯部隊。
制圧部隊や、特務部隊の
いところであった。
更に加えるならば、駐屯部隊の中でも、東部に配属されるのだけは避けたい。何故なら
ば、単純に東部は激務だからだ。
必要以上に苦しんできた人生に加え、一生分の努力を費やし、更には新たな職場でも忙
殺されるなど冗談ではない。
私はもう、これ以上不幸を積み重ねたくない。これから先の人生は、楽に幸せになって
やるのだ。
その為にも少しでも仕事量が少ない部隊への配属を切に望んだのだが……
まったく、何だこれは?
上出来すぎるではないか。
しかも、副隊長だと?
最高だ。隊長など真っ平御免だが、駐屯部隊の副隊長くらいならば喜んで引き受けよう。
基本は隊長の補佐だ。そこまで苦痛ではないし、何より副隊長クラスともなれば給金が一
気に何倍も跳ね上がる。
あぁ、最高だ最高だ。
「有り難き名誉でございます。不肖、リディア・ウォーライラ。帝国の盾として、全身全霊を尽くすことをお約束致します」
笑みが溢れて止まらない口端を隠しながら、それっぽい言葉を並べながら嘘っぱちの忠
誠を誓って見せる。
帝国の盾? 馬鹿が、なるわけなかろうそんなものに。
全ては己の幸せのため。無論最低限の職務はこなすが、それだけだ。必要以上の労力は
費やさないと決めている。
これから私には薔薇色の
まさに幸せの絶頂期。
この瞬間が未来永劫、命が消えるその時まで続くかと思うと、下腹部が疼いて仕方がな
い。
死んだように生きていた今までだったが、私は今間違いなく生きている。生を謳歌して
いる。
ありがとう神様、ありがとうお母さん――天に感謝を捧げながら、しかしこの時の私は
まだ気づいていなかった。
これがまた、別の地獄の始まりであることに。
ということでリディアの過去でございました。
狂い哭き確定です本当にありがとうございます(絶叫のクサナギブレード)
ようやく次回から本編開始です。更新をお待ちいただければと思います。