シルヴァリオ メタモルフォシス ~シルヴァリオ ラグナロク Side:Capricorn~   作:斎藤2021

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Chapter XXI 神聖魂泉/Urtharbrunnr

 疾走(はし)る。疾駆(はし)る。走り抜ける。

 黒煙と烈火が入り交じる地獄の景色を背景に、私と神聖魂泉(ウルザブルン)は雑兵の首を斬り飛ばしながら並走を続けていた。

 

 地を蹴るたびに背後から飛んでくる断末魔。手首を振るうたびに、肉と骨を断つ振動が自身の心臓まで響き、得も言えぬ不快感が総身へと浸透する。

 加えて、兵士たちの命を粉砕するごとに返り血を嫌というほど浴びるため、『自分が命を奪った』という罪悪感をこれでもかと刻まれるのは、包み隠さず言ってしまえば最悪の一言に尽きた。

 そう、殺人という行為を初めて体験した私の感想は、ただただ気分が悪いという俗物らしいものだった。

 

 この行為が国を守るための防衛手段、必要悪というのは無論理解しているが、この手法を平然と遂行できる軍人、ひいては殺戮者の思考が私は微塵も理解ができない。

 

 だって、冷静に考えてほしい。

 殺すということは、その人の人生を奪っているということだ。

 その人のすべてを、こちらの都合で一方的に略奪しているということだ。

 こんな理不尽なことがどこにある? 他にあるか? 

 人を殺した。沢山殺した。沢山殺したから、俺には力がある。俺は英雄だ。殺した数だけ力の証で、力こそが英雄の証明なのだ……などと宣う馬鹿がいるなら、私はそいつを軽蔑するだろう。

 

 殺人技巧(こんな力)……当然だが、無いに越したことはないんだ。

 誰だってきっと、まともな思考回路を持った人なら、好きで人を殺したがる人なんていないから。

 殺した数だけ、流れる涙や零れる怒りと悲しみがあるのだから。

 

 ……それなのに、この目の前の少女は。

 

「――――」

 

 私と同様に雑兵の命を次々と刈り取りながらも、その顔面には一切の感情を浮かべていなかった。

 悲しみとか、怒りとか、少しぐらい表情に滲ませてもいいはずなのに。

 その人形のように端正な顔立ちに張り付けた感情は、徹底して無の塊だった。まるで、あらゆる感情が欠如し、心という機能が剥落してしまったかのような……彼女から伝わってくるのは、底の見えない谷底のような薄気味悪い冷たさだけだった。

 この少女からは、まるで人間味が感じられない。

 人間と相対している感覚がまるでない。

 やめろ、やめろ、やめろやめろ……そんな不気味な瞳で私を見るな。訳も分からず不安になる。

 感情がないというのなら、何を支柱に貴女はこの戦場に立っている……?

 守るべき何かがあるのか? 譲れない正義があるのか? ならばそれを少しでもいいから覗かせてみろ。吼えるなり吐き出すなりしてみればいい。

 そんな……何も感じない瞳で。冷えた目線で。

 

 

「――――私を、視るなッ……!」

 

 真横から襲い掛かってきた兵士の手首と心臓を寸分違わず両断しながら、私は初めて彼女に言葉を投げかけた。

 彼女との戦いが幕を開いてからの初めての会話、コミュニケーション。

 そう、私たちはこの戦いが始まってからというもの、言葉を投げるどころか一度も剣を交わしていなかった。

 

 理由は、今の状況を見てもらえば瞭然だろう。

 そう、互いに、互いの隙ができる瞬間を探っていたのだ。

 

 戦場を並走しながら、互いが互いの部下達の首を撥ねていく。

 そうすればいずれどちらかが仲間を守るために隙を晒し、致命の一撃を見舞うことができる。

 敵対しながらも心が通った私たちはそうして殺戮劇を演じることと相成った。

 すべては、眼前のこの難敵を攻略するために。

 

 しかし、神聖魂泉に心の動揺は徹底して皆無だった。ゆえに隙など毛ほどもあるはずがなく。

 部下のみんなの命が散っていくたびに心が揺れている私とは違い、彼女は抑揚のない瞳でただこちらを見つめるばかりで、仲間の死など一切斟酌していない。

 ()()()()()()()()()()()()。いや、もはや()()()()()()()()()()()()と考え、思考自体をしていないのかもしれない。

 

 ……よってこの勝負、私に分が悪いのは言うまでもなく、ジリ貧なのは目に見えていた。

 先に仕掛けた方が負ける……というのであれば、まず間違いなく先に仕掛けるのは私の方だろう。

 何故なら私はもうこれ以上部下の子たちがが絶命するところ目の当たりにしたくない。

 だが、それでは私は敗北する。取り返しようのない敗北が与えられてしまうのだ。

 ならばやはり無理やりにでも神聖魂泉の間隙をこじ開け、活路を見出さなくてはならないのだが――

 

「――――ッ……!」

 

 彼女の手首が、粉吹雪のように華麗に舞った。

 奔る剣先の斜線上には――ジュードくんの、首、が――

 

「――ああああぁぁァァッ!」

 

 我慢の限界だった。後先など知らない。仮に今この場でジュードくんを見殺しにしてこいつに勝ったとしても、きっと遠くない未来に自分の行いに後悔する日が来るだろうから。

 私はレナ・キリガクレの誘いにまんまと乗ってやった。奪うためではなく、守るために。戦場に吹く血風を背に受けながら、私は神聖魂泉に向けて大きく振りかぶった。

 

 死角を突いた完璧な一閃。レナ・キリガクレの意識は完全にジュードくんの方へと注がれており、私の一撃を迎撃できるほどの余暇はなく、そしてもはや間合いも詰められている。

 本来ならばこれで王手。問答無用でチェックメイトであり、次の刹那にはレナ・キリガクレの生首が中空へ花火のように散っているはずだが、しかし……

 

 ぐるり、と。

 まるで得物を補足したカメレオンのように、神聖魂泉の首がこちらへと回転した。

 氷点下を思わせる極寒の瞳に射抜かれ、思わず全身が粟立ってしまう。

 しかしそんなこちらの動揺もお構いなしに抜刀される鋭剣(レイピア)、死の穂先。電光石火の如く意識をこちらへ切り替え剣先を奔らせることができたのは、彼女の驚異的な技量によるものだろう。意識をこちらへ切り替えたというよりは、意識を複数へ割いたうえで、私を本命として狙いをつけていたに違いない。だからこのように瞬発的に反応ができた。

 でも、お生憎ね、第Ⅲ位階聖騎士(サードパラディン)様……!

 

「そんなの、こっちも読んでるのよ!」

 

 こちらの脇腹へ肉薄してきた剣先を回転蹴りで弾き飛ばす。

 そう、こんなあからさまな誘いにこっちが乗ってやったのは、何も破れかぶれになったわけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――という、私からの宣戦布告だった。

 もう、こんな地獄はこりごりなんだよ。だから、早く終わらせたい。だから、早く死んでくれ。

 勝手だとは思うが、許してくれとは思わない。

 結局この世は弱肉強食。自分が生き残り幸せになるには、外敵は駆除していかなきゃいけない。

 だからこそこいつらもアドラーに喧嘩を売ってきたわけだし……いや、先に喧嘩を吹っ掛けたのはこちらかもしれないが、ともかく。

 

「――――!」

 

 神聖魂泉は私の一撃を受けて尚一切取り乱すことなく第二撃を放ってきた。無論私も応戦する。

 よって必然的に正面切っての鍔迫り合いへと移行――真の殺し合いの幕が開けた。

 

「ッ……! すみません、ウォーライラ少佐! 助かりました!」

 

「礼はいいので、意識を分散させてください! それじゃすぐに墓の下ですよ、訓練の時も言ったはずです! 神聖魂泉は私が相手取るので、ジュードくんは他の皆の援護を!」

 

「はい! ウォーライラ少佐、ご武運を!」

 

 火花が無数に弾け飛ぶ剣戟繚乱の最中、ジュードくんの鼓舞を背中に受けながら彼がこの場から離脱したのを気配で感じ取った。

 愚直でバカ素直な子だが、あれで中々センスがいい。どうかこの戦いで死なないでほしいという一方的な願いを籠めたのを最後に、私は再度眼前の死神に集中する。

 ――レナ・キリガクレ。

 繰り出される攻撃のいずれも軽やか、流麗、美しさを感じ取れるほどに洗練されており、今更言うまでもなく毛ほども油断できない強敵だ。

 一瞬の判断ミスが命取り。判断を誤ろうものなら、瞬く間に私の命は紙吹雪のように散らされてしまうだろう。

 それほどまでに隔絶された強さを、この女は備えていた。

 

 だのに、この女は……それを誇るわけでもなく、かといって卑下するわけでもなく。

 ただ淡々と、暗闇のような昏い無表情を携えて、死神の鎌を振り回している。

 この女の、考えていることがまったく読めない。こいつは、何を考えている……?

 

「……解せませんね」

 

 ――と、そこで。

 鈴を鳴らしたような玲瓏な声が、私の鼓膜をくすぐった。

 初めて……そう、正真正銘初めて。神聖魂泉が、声を発したのだ。一切表情を動かすことなく、しかし心底疑問だという声色で、私に問いを投げてくる。

 

「何故貴方は、先ほどの雑兵を助けたのですか? 貴方の想い人は、鳴殺笛(シューリンクス)ではないのですか? それともそれは私のただの勘違いで、本命はさっきの雑兵なのでしょうか」

 

「……は、はぁ……!?」

 

 ぶつけられた問いに、私は戦場に似つかわしくない素っ頓狂な声をあげてしまう。

 初めて声を発して言葉を交わしたかと思えば、なんだそれは……? ロバーツ隊長が想い人? それともジュードくんが……って……

 

「……何を目的にそんなこと訊いてきているのか知らないけど、助けたのは、単純に私の可愛がっている部下だったからってだけ。本当は、他の子たちだって見殺しにしたくはなかった、けど……ごめんなさいね、私、他人を完全に平等に扱えるほど人間出来てないから。どうしても優先順位ってものがあるのよ。彼は、その中で上の方にいたってだけ」

 

 本当ならば神聖魂泉との交戦中に殺された他の子たちも助けてあげたかった。

 でも私は、それをしなかった。けど、ジュードくんは助けた。それはやはり、私が無意識化の中で部下の子たちに優先順位をつけてしまっていることが原因だろう。

 ジュードくんとは普段から話す回数が多い。それなりにコミュニケーションを取っている。だが、他の殺されてしまった子たちはそうではなかった……言ってしまえば、ただそれだけ。依怙贔屓とも言い換えられる、自分勝手な最低な理由だ。

 

 神聖魂泉はその私の心の醜さを非難してくるかと思ったのだが……彼女は首を横に振った。そんなことは聞いていない、と言うように。

 

「理解できません。それでは、先ほど助けた兵士は貴方の想い人ではなかったと? ただの部下……他人、だということですか?」

 

「ッ……他人は言い過ぎよ、でも想い人でもない、言ってんでしょうがッ!」

 

「……? 想い人でもないなら、何故守ったのですか? ()()()()()()()()()()()()()()。私はそれを、皆目理解できない」

 

「は、ぁ……?」

 

 童女のように本気で分からぬと首を傾げる彼女の言葉に、きっと裏などないのだろう。この女は、今の一言一句を本気の本気で言っている。

 ……なんだそれは。それじゃ、まるで……

 

「……あんた、まさか……想い人以外の命なんてどうでもいいと……切り捨ててもいいものだと、そう言いたいの?」

 

「そう言いたいも何も、それが人というものでしょう。愛する人が一人いれば、それでいい。他などすべて塵芥……いえ、私から言わせれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。総じて、どうでもいい」

 

「――――」

 

 ……先まで無表情だったその顔面に僅かばかりの微笑が浮かぶのを見て、私はこの女の病的な闇を垣間見てしまった気がした。

 この女は、歪んでいる。掲げる持論が、持ち得ている思想が、一般のそれとは致命的にずれている。

 これ以上は駄目だ、この女に言の葉を紡がせるな。これ以上こいつの声に耳を貸していると、こちらの気が触れてしまう。

 先まではこの女の虚ろさに恐怖していたが、皮肉なことに、その中身が開帳されてみれば私は先ほど以上に神聖魂泉を拒絶していた。

 この女の深淵が、怖くて怖くて仕方がない。今すぐその口を黙らせるべく、剣速の限界を振り切り怒涛の攻めを披露するが……その一切を無力化される。

 刃は命に届かない。

 

「私は、シン様ただ一人を心から愛しております。あの人は他の人とは違う、まさしく神に選ばれた……天に祝福された特別なお方なのです。

 他の凡夫とは一線を画している、他の男どもとは何もかもが違う……シン様こそが霊長類の頂点、究極、極点……嗚呼、シン様、シン様……愛しております」

 

「ッ……勝手に一人で悦浸ってんじゃないわよ、気持ち悪い!」

 

 耳障りな音の一切を粉砕するべく一層の力を籠めて刀剣を振り下ろした。

 頭蓋を裁断するべく放たれた唐竹割りは、しかし不発に終わる。逆にカウンターで裏拳を側頭部に炸裂させられ、私は真横へと大きく吹っ飛ばされる。

 

「ぐ……!」

 

 明滅する視界。飛びかける意識を必死に繋ぎ止め、宙を回転しながら地面へと着陸する。

 迎撃の構えを取るも、神聖魂泉の追撃はない。

 代わりに、口元を三日月に歪めながら酒に酔ったように独白を続けるのだった。

 

……

………

 

「この世に蔓延る凡夫の多くは、簡単に色香に惑わされる。そして流される。

 女という堕落の蜜に群がる恥知らず、匹夫の大群。見るに堪えない、蛆のよう。

 己を律し高まろうともしない、欲望塗れの塵屑ばかり……でも、シン様だけは違う。違うのですよ。分かりますか?」

 

「……分かってたまるかッ……」

 

 この世すべての男をこき下ろす罵声を真正面から受け止めたリディアは、反吐を吐くような心境でレナの言葉を切り捨てた。

 なにゆえこいつは、あの黄金腕輪(ドラウプニル)をここまで慕い、想っているのか?

 先から勝手に耳に入ってくるアルヴィンとシンの会話を聞く限り、あの老拳士は老害という他ない自己中心的且つ傲慢な、所謂厄介な人種だ。

 それを、何故ここまで……そんなリディアのもっともな疑問に回答するようにレナは大仰に手を広げながら己が想いの丈をひけらかしていく。

 

「それは哀れなこと……シン様は、愚直なまでに武芸のみを極め続けた。一切の煩悩を断ち切り、武芸だけを愛し、武芸だけを信じ、武芸にのみ己が生涯を捧げてきたのです。

 なんと志の高い、一途な想いでしょう……誰にも媚びることなく、ただ一人で武術を極め続けた老齢の拳士を……私は愛しているのです。

 人ではなく、武芸に恋をし、その身のすべてを捧げてきたあのお方の道程(ぜんぶ)が……誰かを愛することを忘我の果てに置いてきたあのお方が、私は愛おしくて愛おしくてたまらないのです」

 

 普通、男女どちらであれ人間であれば誰かを好きになる。惹かれていく。想いが結ばれる。

 しかし、レナはそういった俗的な感情を持つ男を酷く嫌っていた。

 否、嫌っている、というのは語弊があるかもしれない。()()()であったのだ。

 理由などは特に存在しない。ただ単に彼女の好みの話であり、性癖の範疇の話である。

 あぁ、あの男は普通に恋をするのだな。女を好きになるのだな。愛を交わすのだな。ならば特段興味はない。俗な人間だつまらない。

 世の中、くだらぬ男ばかりが溢れている。口を開けばやれあの女が可愛かっただの、彼女と愛を交わせて気持ちがよかっただなどと……

 

 あぁ、()()()()()()

 私が男に求めるものは、ただ一つ。

 

 女などという俗的な欲望に見向きもしないこと。

 身も蓋もなく言えば、『恋』や『愛』といった感情が欠如している男に、レナ・キリガクレは出会いたいと幼少の頃より想っていた。

 己が恋心を寄せるとすれば、そんな男しかありえない。

 レナは常々そう感じていた。しかし、同時に理解してもいた。

 そんな男が、この世にいるわけがないと。

 

 よってレナにとってこの世の男すべては、『普通』であり、彼女にとっての『普通』とは、無関心……“どうでもいい”という感情を抱く以外のものでしかなかった。つまり、路傍の石である。

 自身にとっての『特別』、つまり愛を捧げる存在以外に、レナは価値を見出さない。

 ゆえにこそレナの感情の欠如はそれが由縁であった。()()()()()()()()()()、と。

 

 しかし、そんな本来であれば幻想に散る夢が成就したのは、彼女がキリガクレの一族として一人のアマツの男の従者となった時だった。

 

 その男の名は、シン・榊・アマツ。

 武術に文字通りすべてを捧げ、『愛』が欠落した老爺であった。

 

 ――まさに、レナにとってシンは、白馬の王子に見えたであろう。

 レナの理想がすべて詰まった……「愛など知らぬ、糞の役にも立たん」と鼻で笑うかのように傲然と言いのけてしまう無情の男であったのだから。

 

 そう、だから。

 

「愛しております、シン様。他の者などどうでもいい。愛を知らない貴方のみが、私自身の愛ゆえに」

 

 レナの長年封じ込めてきた病的な“愛”が、花火のように爆発した。

 もはやシン以外、瞳に何も映りはしない。

 

「……何、よ、それ……でも、それってアンタ……矛盾してるでしょうが……」

 

 宿痾(しゅくあ)じみた想いの丈を一切の斟酌なくぶちまけるレナに、今まで感じたことがないほどの恐怖を抱きながら、しかしリディアは果敢に反論の言葉を繋ぎ出した。

 あぁ、そうだ。こいつの“愛”は、根本からして破綻している。矛盾そのものなのだ。

 何故ならば。

 

「“愛”を知らない、欠如しているってことは……あの爺、アンタの想いにも決して振り向かないってことじゃないの? なら、アンタの想いの行く先はどうなるって言うのよ」

 

 そう。シンに人を愛する心が欠如しているということは、当然レナのことも愛していないという裏返しになる。

 根拠ならある。先のアルヴィンとシン、レナの一戦。シンは、アルヴィンを仕留めるためにレナを使い捨ての道具のように平然と切り捨てようとしていた。

 レナがシン以外の人間をどうとも思っていないのと同じように、シンもレナのことなどどうでもいいと思っているのだろう。

 ならば必然として、レナのシンを愛する心が成就する未来など、永劫訪れないのはもはや明白である。報われない恋心ほど哀れなものはない。

 ……しかし、このレナ・キリガクレという少女は。

 

「何を言うかと思えば――だから()いのではないですか」

 

 悪霊に憑かれたかのような邪悪な笑みを浮かべながら、迷いなく断言するのであった。

 私の愛に偽りなし――そう、第二太陽(かみさま)に誇示するかの如く。

 

「私の想いが報われない? ()()()()()()()()()()()()()? シン様は愛を知らないから、愛に見向きもしないからこそ私は愛しているのです。

 私が愛を囁いてそれで振り向こうものなら――笑止千万。私の百年の恋は露と散るでしょう。“愛”を愛でるあの方に、私は心底興味がない。そんなシン様に、価値などない。

 だから、これから先の未来……どんなことがあろうとも、シン様には私のことなど見向きもせずにただ己の為だけに駆けて欲しいのです。ただ己の強さと名誉だけを追い求め、どこまでも傲慢に、私の捧げる愛など『下らん』と足蹴にし、生息子(きむすこ)の如く無邪気に……愛を知らぬままに無窮の未来を手にしてほしい……

 あぁあああぁぁぁァ、シン様……シン様シン様シン様シン様、なんて愛おしいなんて可愛らしい、未来永劫貴方の傍に侍らせてくださいませ愛しておりますシン様ああぁぁァぁァァッ」

 

「――――ッ……」

 

 狂気的に己が愛を咆哮するレナの姿を瞳に映し、リディアは言葉を失った。全身の血が引いていくのを体感できる。

 今自分が戦場に立ち命のやり取りをしている事実さえ、今この瞬間のみ忘却の彼方に葬られていた。

 それほどまでに、このレナ・キリガクレという少女が抱く愛の宿痾は底が昏く、恐ろしいものであった。常人、俗物の自分が到底理解できるものではない。否、理解してはいけないのだと強く己を律する。

 そして、レナはそんな理解が及ばずただただ当惑し恐怖するリディアを見つめながら、それを憐憫するように目を細めながら次の言葉を口にした。

 

「……あぁ。理解ができないのですね、可哀そうに。それもそのはず、鳴殺笛(シューリンクス)のような博愛主義者(つまらない男)を好くような、程度の知れる貴女には理解できない境地でしょうからね」

 

「……な、に……?」

 

 あろうことか、レナはアルヴィンを侮辱するかのような言葉を吐き出した。つまらぬ男――と。その投げられた言葉の意味を咀嚼して、リディアは僅かに眉を歪める。

 

「だってそうでしょう。何ですか、あの男は。()()()()()()()()()()。仲間がどうの、アドラーがどうのと……己が中核を担う愛は(これ)という一つがあればいいのです。大多数に注ぐものではない。浮気性なのか何なのか、アドラーにはそのような浅はかな気性な人間が多すぎます。限界突破(オーバードライブ)も、かの英雄も……総じてくだらない。シン様の足元にも及びません」

 

 アドラー軍人の多くは愛国心に溢れた者が多い。そして、同時に無辜の民草を心から愛し、彼らを守るためにその心血を注いでいる。

 そんな心持ちを、レナは気に食わないと切り捨てた。曰く、“愛”という感情を安売りしすぎだと。

 愛とは、特定の誰か一人に捧ぐもの……不特定多数の“誰か”に注ぐものなどではないとレナは断言した。

 確かに、レナの言うことは一つの真理とも言えるだろう。リディアとレナは存ぜぬことだが、かつてアドラーの英雄も、一人の少女と一人の魔星(せいねん)にその歪みを指摘された――“誰か”とは、一体誰のことなのかと。

 不特定多数への愛情……あぁ、それも間違いなく“愛”という概念に分類される尊ぶべき感情の一つだろう。

 だが真に大事なのはそういった大多数へと向けられる普遍的な愛ではなく、個人へ向けた唯一無二の愛情……それこそが人間の誇るべき感情であり、真に“愛”と呼ぶべき感情なのではないかと。“愛”とうそういうものではないかとレナは言っているのだ。

 

 リディアもその考えについては概ね同意せざるを得なかった。確かに、全体へ向ける愛情よりも、誰か一人個人へ向ける愛情の方が、重みがあり、価値があり、何より愛の厚みも増すというもの。

 それは理解しているのだが……しかし、リディアがレナのことで気に食わないのは、他の部分にあった。

 

「アンタがあの爺を愛しているのは分かったわよ。愛についての持論も。どんな形であれ、自分の信念を持っているのは立派なことだもの。中途半端に揺れている私なんかよりもよっぽど上等な生き方をしている……けどね……!」

 

 瞬間、リディアは潜ませていた殺気を一気に開放しながら間合いを詰めた。

 

「自分の価値観以外は総じて認めないっていう、その見下したようなアンタの態度が心底気に食わないのよッ!!」

 

 振りぬかれた憤激の一閃は、巨岩を思わせる密度の斬撃だった。

 レナはその一撃を受け止めつつも、僅かに両膝を折り曲げる。

 

「別にどんな価値観があったっていい。それがその人の中の正義だって言うんなら、私はそれを咎める資格も否定する権利もない。好きに思えばいいわよ。

 でも、だからって自分の価値観が世界の中心で常識であり、それ以外の思想は全部塵だと切り捨てるのは違うでしょう! アンタ何様よ! 全能の神にでもなったつもり!?

 アンタだけの価値観を、他人に押し付けるなッ!」

 

 鋼が軋み、火花が散る。怒りの叫びと共に。

 そう、リディアが許せないのはそこであった。どのような形の想いを抱こうがそれは各々の自由だが、だからといって他者の夢や価値観まで愚弄していい道理にはならないだろう。

 尊重し合うのは理想だ。考えが自分とは合わないな、と感じたら距離を置くのもまた一つの正解だろう。だが、唾を吐くのはどうなのだ? その一線を越えてしまったら最後、きっと人と人は分かり合えなくなってしまう。

 ……いや、そもそもこの女は、分かり合う気がないのか。自分だけの世界が完成していればそれでいい、と。その中で永劫酔えていればそれでいいのだと……そう言いたいわけか。

 ならば、こちらも言わせてもらうとしよう。

 

「それを言ったら、私に言わせればアンタこそ男を見る目がないわって話なのよ。趣味が悪いわ。あの爺が他の男とは違う? 特別な存在? そりゃあそうでしょうね、あんな糞老害そうそういないもの! そりゃ特別扱いしたくもなるわよ、悪い意味でね!

 世界を見渡せば、あんな糞爺よりも素敵な男なんて腐るほどいるわよ!

 ジェイス隊長だって、ヴァルゼライド閣下だって……あんな奴よりよっぽど人間できていて、素敵な男性よ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!! あんな糞老害より瞬圧山羊(うち)の自慢の隊長を下に見るな! 勝手に浸って気持ちよくなってんじゃないわよ、この枯れ専ッ!」

 

 有らん限りの熱を以て言葉を吐き出したと同時、リディアは剣を真横に薙ぎながらレナを後方へと吹き飛ばす。

 鋼鉄の甲高い音が一際大きく戦場へと響き渡ると共に、それとは正反対にレナの表情は再び虚無に覆われていた。

 蕩けきった妖笑は見る影もなく雲散霧消し、矢継ぎ早に吐かれていた言の葉も鳴りを潜めている。

 まるで幽鬼のようであった。魂の在り処すら感じさせぬ、虚無の極致。

 その異常極まる様相を見てたたらを踏むリディア。やがて、沈黙を引き裂くようにレナは溜息に似た息混じりの声を呟いた。すべて、諦めたように。

 

「――やはり所詮他人は木っ端。分かり合うことなどできないのですね」

 

 ――氷刃(ひょうじん)のような、冷たく鋭い風が吹いた。

 時間が凍り付いたかのような錯覚をした次の刹那、確殺の言霊が空間全土へと迸った。

 

「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」

 

 紡がれ奔る起動詠唱(ランゲージ)。氷片のように吐き出された言葉の意味するところ、それすなわち、もはや()()()()()()()ということに他ならなかった。

 星の威光を以て、貴様のすべてを屠り尽くす。言外にそう告げ、勝利を謳う。レナ・キリガクレの本気が今ここに降臨しようとしていた。

 

流転(るてん)せしは過去未来、人が歩むは現世(いま)なれば。

 その運命を支えましょう。我らの慈愛で、総ての旅路に幸福を」

 

 結ばれていく言の葉に熱など皆無であった。ただただ淡々と水滴のように大気へ零れていく言の葉の羅列。

 このままではまずいと言われるまでもなく理解したリディアは颶風の如く地を掛けレナへと肉薄――斬撃乱舞を見舞いする……が、しかし。

 

「ゆえにこそ、黄金(こがね)の時代は終わりを告げた。

 織られて綴るは数多の祈り。人の道に、汝ら神に住まう場所など在りはしない。

 さぁ、授けましょう捧げましょう。貴方こそ、私の愛する運命だから」

 

 届かない、届かない。連撃の一切が無力化される。一太刀とて、彼女の懐まで届かない。

 確かにリディアの剣術は極めて優秀であり、技量は帝国内でもトップクラスに位置する代物だ。だがしかし、リディアとレナでは決定的な差があった。

 それは、リディアも理解している――()()()()に他ならない。

 ゆえに、レナと渡り合うことはできても決定打は与えられずにいた。このままでは永劫、レナの命を断ち切ることなど夢のまた夢である。

 

「天を駆けるその勇姿、誰にも邪魔はさせはしない。世界樹の祝福よ永遠に」

 

 そうこうしているうちにも、詠唱は無慈悲に進行していく。

 それすなわち、リディアにとっての死へのカウントダウンを意味していた。

 発動させたが最後、一気にリディアが劣勢に陥るのは自明だろう。なればリディアがやるべき対抗手段はたった一つ。レナと同じく、星辰光を発動させるしかないのだが……リディアは何故か、未だにその決断に踏み切れずにいた。

 

「いざお行きなさい、雄渾たる我が戦士。あらゆる宿業を破砕したその後に、無窮の未来を手にしましょう」

 

 ゆえにすべてが手遅れとなる。詠唱完了――レナ・キリガクレの星の輝きが、今断頭の刃となって顕現した。

 

 

超新星(Metalnova)――巡り流れよ神聖魂泉(Disir Nornir)運命背負うは三柱女神(Urtharbrunnr)!」

 

 

 大気を殴りつけた星の衝撃は、すぐに異常となって現世へと臨界する。

 レナ・キリガクレの姿が陽炎のようにゆらゆらと揺れる――次瞬、泉の加護に祝福された女神が如く、神聖魂泉(ウルザブルン)の影が三つに分かたれた。

 

「――ッ……!」

 

 発現した能力の正体を認識するより早く、レイピアの剣先が()()()からリディアに襲い掛かる。

 二歩一撃の術理で放たれた高速の太刀筋――しかも本来は一刺しにしかなり得ないはずの攻撃が三方向からも……

さしものリディアも虚を突かれてしまい、一撃を防ぐことは叶ったが残り二撃の被弾を許し両脇腹を深く切り裂かれた。

 

「ぐあぁぁ……!? ぎッ、づううぁァァッ!!」

 

 疾走する激痛を意地で捻じ伏せながら、リディアも素早く迎撃を開始――縦横無尽に刃を奔らせる。

 ――しかし、これらすべてが防がれる……どころか、防いだと同時に真横から、真後ろから斬撃が飛来し、更なる裂傷が刻まれた。

 

 一体何が起こっているのか。

 ……あぁ、そんなことは、視れば分かる。能力の正体を推理するまでもない、何故なら、目の前で展開されている事象がすべてだからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 種明かしも糞もない、シンプルかつ不条理な星の煌きがリディアに牙を剥いていた。

 

「……分身体、創造能力……!」

 

 然り。レナ・キリガクレが宿す神聖なる泉(ウルザブルン)の加護……その正体は、自身と発動体(アダマンタイト)を起点として同物質で形成された分身体を二体まで創造するという、シンプルかつ強力な星辰光であった。

 

 一見すると地味な能力に感じることだろう。

 自然現象を操れるわけでもなし。強烈な振動で対象を粉砕できるわけでもなし。どころか、肉体強化の類でもなければ光線一つも撃てないとくれば、いよいよ以て地味と言えるほかない能力に見えるのは無理ないことだが――それは断じて否である。

 

 前提として、レナ・キリガクレは()()である。

 世の男に対し諦観した姿勢を見せていたのは紛れもない事実だが、それでも己が戦闘術に関してはたゆまず腐らず磨き続けてきた。

 ゆえにその手に握られている技量が卓越しているのは語るに及ばず。

 こと技量だけに限定すれば、今この瞬間も皇都を守護しているカンタベリーのもう一人のキリガクレ――リナと比肩する領域にあるだろう。

 

 そのような手練れの聖騎士の戦力が、単純な物量として()()()()()()()

 これほどまでに分かりやすい力の計算式もそうそうないだろう。

 

 

Rena Kirigakure

 

 

基準値(AVERAGE):C

発動値(DRIVE):A

収束性:B

拡散性:B

操縦性:A

付属性:D

維持性:B

干渉性:E

 

加え、能力のステータスも御覧の通り、付属性と干渉性を除けばすべてが高水準。

 つけ入る隙が徹底的に排除されている。

 

 

 ゆえに――

 

「ぐッ、づ、あぁぁァッ、うあああぁぁァァッ……!?」

 

 リディアが劣勢に立たされるのは自明の理。

 ただでさえ基準値の時点で、僅かとはいえレナに差を付けられていたリディアが、本気を出した彼女に勝てる道理などもはや地平の果てを見渡しても残されてなどいなかった。

 舞踏のように美麗に放たれる斬撃の雨霰(あめあられ)は、容赦なく確実にリディアの生命力を削いでいく。

 剣閃が奔るたびに開花する血の花畑。雨天に響くリディアの絶叫は、苦悶と絶望に濡れていた。

 そんな獲物を淡々と無感動に追い詰めながらも、しかしレナはまるで意味が分からないといったように、悲鳴を上げ続けるだけの肉人形と化したリディアへ疑問の言葉を問いかけた。

 

「……何故、星辰光(アステリズム)を発動しないのです? このままでは一方的に嬲り殺されるということくらい、貴女にも分かりますよね? それを何で……こうも一方的に刻まれ続けているのです? 被虐趣味でもあるのですか? 悪趣味な」

 

 侮蔑の言葉を雨雫と共に受け止めながら、リディアは心の中でそんなわけないだろうと反論した。

 リディアにはどうしても、星辰光を発動したくない理由があった。

 

 そう、リディアは己が星の力を何よりも嫌悪している。何が何でも、発動したくないのだ。

 反動値が高いのは言わずもがな、何で自身に宿った能力がよりにもよって()()()()()()()()と、幾度第二太陽に怨嗟をぶつけたか数えきれない。

 それほどまでに、リディアの能力というものは、強力なれど忌々しき呪具のような代物であった。

 

 あぁ、嫌だ、嫌だ、あんな星をもう一度輝かせるなど。

 また私に、あんな()()姿()()()()()()()()()? ふざけるな、死んでも御免だ。妄言も大概にしろ糞ったれが、死ね、死ね、死ね……!

 膨れ上がる罵詈雑言に際限はないが――だがこのままでは、本当に冗談ではなく死んでしまう。それだけは確かだ。

 ……本当にいいのか? 死んでも嫌だと言ったが、今ここで何も抗わずに殺されることが、本当に最善の策なのか? それで、お母さんは笑ってくれるのか? それが、私とお母さんの幸せなのか?

 

 ねぇ……

 

……

………

…………

 

 

 

 ねぇ――()()――――()()()()()()()()()……()()()()()()()()

 

 

 

「――――アアアアアアアアアァァァァァァァッ!!」

 

 

 刹那、雨雲を蹴散らすように私は“覚悟”を咆哮した。

 右手に握りしめていたロングソードを()()――同時、背中に背負っていた大剣(アダマンタイト)()()、これより、()()による戦闘を開始する。

 

「――――ッ!」

 

 裂帛の気魄(きはく)と共に振りぬかれる鉄塊剣の一撃。

 レナ・キリガクレの反応速度を電光石火で振り切りながら、私は渾身の一撃を大地に向けて炸裂させた。

 

「ッ……!」

 

 直打(クリーンヒット)。無造作且つ豪快に放たれた鈍重なる死の大槌は、神聖魂泉の分身体のうち一体を木端微塵に完殺せしめた。

 加え、空間を殴りつける激烈たる波濤に、レナ・キリガクレの攻撃の嵐が強制的に中断される。

 

 ……あぁ。糞ったれ。本当に、心の底から嫌だけど。

 今も、奥歯が砕けてしまうんじゃないかというくらい歯噛みが止まらないけれど。

 

「――やるしか、ないんでしょッ……!」

 

 ならば手早く殺すまでと、水溜まりに血を吐き捨てながら――

 

 

「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」

 

 

 最大最悪の“地獄”を宿した呪言(じゅごん)を、唾棄するように呟いた。

 




Rena Kirigakure


星辰光(アステリズム)

巡り流れよ神聖魂泉(Disir Nornir)運命背負うは三柱女神(Urtharbrunnr)

ディースノルニル・ウルザブルン




基準値(AVERAGE):C
発動値(DRIVE):A
収束性:B
拡散性:B
操縦性:A
付属性:D
維持性:B
干渉性:E


・分身体創造能力。
 自身とアダマンタイトを起点に、まったく同形質で形成された分身体を二体まで創造し操縦できるレナの星辰光。
 分身体を使役する……その言葉がすべての、それ以上それ以下でもないシンプルな星辰光だが、レナ・キリガクレという強者の技量すべてを模倣した影が二体分も増えるというのは、想像以上に恐ろしい能力だろう。
 また、分身体の使い勝手も非常に高く、レナ自身で操縦することも可能なうえ、彼女の思考もトレースしているため自立行動することも可能。
 加えて、分身体が殺されようとも本体が無事であればいくらでも即座に創生が可能……と非常に柔軟性に富んでいる。
 よって、レナに付け込む隙は皆無。能力値の高さも相まって、カンタベリー内でも上位の実力者として君臨している。
 だがきっと、そのような地位は彼女にとってはどうでもいいのだろう。
 すべては、愛しき御方――ただ、シン様のために。









今回のお話、執筆しながら「なんだよこの彼氏自慢対決」って思ってました。
女って怖いね!(他人事)

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