シルヴァリオ メタモルフォシス ~シルヴァリオ ラグナロク Side:Capricorn~ 作:斎藤2021
「はぁ……はぁっ……は、ぁ……!」
今にも千切れてしまいそうなほどに重い両足を引きずって、私は死の匂いが濃く充満する戦場を幽鬼のように彷徨していた。
霞む視界で周囲を見渡せば、人形の如く魂の抜けた死体がそこかしこに転がっている。
刀剣で切り裂かれ、臓腑をぶちまけ白目を剥いて絶命している者。そもそも首から先が無くなっている者。銃弾によりしこたま風穴をあけられ失血死している者。燃え広がる炎により炭化してもはや人の原型すら保てず黄泉の国へ旅立ってしまった者。
死に方は多種多様であるが、その死に顔のいずれも、穏やかなものであるなどとは断じて言えない。
呪いと無念と悔恨で溢れ、血と命のすべてが地獄の底へと流れている。
そんな死者たちを置き去りにしながら、この戦場では未だ鎮火することのない闘争の戦火が烈々と燃え盛っていた。
あちこちから飛び交う大砲のような怒号。悪魔の悲鳴が如き断末魔。鳴り響く鋼の激突音、戦争を象徴する大音声は、壊れてしまったラジオのようにいつまでもいつまでも雨音に絡まり不快な音色を奏でていた。
そんな地獄へ私は背を向け、無責任にも逃亡を敢行している。
軍人にあるまじき背徳行為。本来であればこのような敵前逃亡、許されるべくもないが……けれども赦して欲しい。
私は、軍人になりたくてなったわけではない。
ただ給金に目が眩んで、盲目的に軍人になってしまっただけの、只の俗物。取るに足らない精神弱者の糞娘なのだ。
こんな凄絶極まる地獄で命果てるまで戦えなどと……どだい無理な話だったのだ。
そうだ。隊長も言っていたが、私はむしろよく戦った方だ……こんなにも、ボロボロになって……命を懸けて自らの星まで行使して……本当によく、頑張った。
ならばそれで十分だろう。それともまだこれ以上私に地獄を見ろと言うのか? そんなものは御免こうむる。もう、こんな地獄には付き合いきれない……無理だ、無理なんだよ。私なんかじゃ、こんな地獄は重すぎる。
「ガハッ……ご、ふ……」
星の力による反動でもう何度目か分からない吐血をした。
そう、私は未だに星の力を行使して自らの肉体を再生させながら戦場を歩いている。
当然だ。黄金腕輪により与えられたダメージは甚大なものだったし、あのまま放置しておけば死亡していたのは火を見るより明らかだった。
ならばこそ文字通り最後に残った力を振り絞り、すべてのリソースを回復に回しているのだが……やはり、レナ・キリガクレに繰り出した決死の一撃でほとんど力を使いつくしてしまったのか、その回復速度は緩慢なものであった。
断絶された大腸を優先的に回復させたおかげもあってそちらはほぼ全快なのだが、それ以外の傷の塞がりはほとんど完了していない。
かといって回復を早めるべく星の回転率を上昇させようものなら、更なる反動差が私の全身を蝕み、それこそ本気で絶命してしまうだろう。そうなってしまっては元も子もない。
だから真実、今この状況は首の薄皮一枚繋がった綱渡りであった。
一瞬でも安心できる状況などではない。少しでも力の加減を間違えてしまえば、真実私はそこで生き途絶えるだろう。
そして今更再確認するまでもなく、ここは戦場だ。だから……あぁ、ほら、言った傍からだ。
「死ねぇ、リディア・ウォーライラァァ――ッ!」
こういう危険もあるわけで。
威勢よく突っ込んできたカンタベリーの兵士を、私は乱雑に振り下ろした鉄塊剣の一撃の下に惨殺した。
冗談のような量の返り血と弾けた臓腑が顔面にこびりつく。
むせ返りながらその場で吐瀉した。あぁ、それでも……進まなければ。逃げなくては。
「……何で、私ばかりいつも……こんな目に遭わなきゃいけないんだろう……?」
何でいつもこうなるのか。もはや幾度目になるかもわからない呪いの言葉を水溜まりに吐き出しても、いつも通り返ってくる答えはない。
私自身にも分からない。どこに答えがあるのかなんて。
どこにいても、何をしたって。
私がいる場所すべてが地獄に変貌する。これではどうしようもないではないか。
行く場所行く場所すべてが地獄で、私の居場所なんてどこにもない。
どこに身を置いても、どれだけの努力を積み重ねても、すべてが地獄に塗り潰されてしまうなら、私はどうすれば幸せになることができるの?
せっかくロバーツ隊長が差し伸べてきた救済の手さえも、地獄の悪魔に闇の淵へ葬られてしまうというのなら……ならば私の幸せは、何処にあるというのだろう?
私は、どうやったら幸せになれるのだろう……?
それとも私はやはり……未来永劫地獄に閉ざされたままで、幸せになることなど許されない
「……づ、ぁっ……!!」
瞬間。血と雨雫によりぬかるんだ大地に足を取られ、私は盛大に転倒してしまう。
赤黒く染まった液体と土が舌先にこびりつき、吐瀉物と涙が否応なく溢れてきた。
……なんて惨めだ。なんて塵屑だ。
哀れすぎて、見るに堪えない。
「……私……生きている意味なんて、あるのかな……」
神様が、私に永遠に地獄で生きろと言うのなら。幸せになるなと言うのなら。
そして真実、私の求める“幸せ”なんてどこにも無いと言うのなら。
こんな地獄で生き続けて、無限に苦しみ続ける道理などどこにもないだろう。
ならばいっそ、死んでやろう。それがむしろ、私にとって一番の幸せなのかもしれない。
あぁ、きっとそうだ。この残酷な
首元に、鉄塊剣の切っ先をあてがった。このまま深く突き刺せば、それで終わり。
こんなどうしようもない地獄とはもうおさらばできる。
清々する。ようやく私は……幸せになれるんだ。
「……ごめんね、お母さん。許してください、ロバーツ隊長……」
震える声で、二人の名前を呟いた。
告げる想いは、深い感謝とそれ以上の謝意。
せめて、少しでも恩返ししたかったなぁ、と現世の未練を胸の奥底で燻らせて……私は柄を握る手に、一層の力を籠めた。
……さようなら。リディア・ウォーライラ。
本当に、“幸せ”に恵まれない人生だったな。
心の中で呟いて、勢いよく剣先を深く押し込もうとした――その刹那だった。
――いいやそもそも、私の“幸せ”って何なのだろう?
急に浮上してきた根源的な疑問が、自刃の腕を寸でのところで押しとどめた。
……そうだ。私はずっと自身の“幸せ”を求めて生きてきた。
でも、じゃあその“幸せ”の正体って何? 具体的には? 私にとっての“幸せ”っていうのは、何だったの?
「……決まっている。私の幸せは、お母さんだ」
ならば何故、お母さんが私の“幸せ”なのか?
決まっている。私にとって、“大切で大好きな人”だからだ。誰よりも優しくて、いつでも私の味方で、私を愛してくれた、何よりも掛け替えのない尊い存在。
だから一緒にいて、隣にいることができて、本当に幸せだった。
そう……幸せなんだ。
「――――」
瞬間、脳味噌にかかっていたモヤが一瞬で取り払われていく感覚がした。
ずっと、見つからなかった答えに出会えた――そんな確信が、私の胸中を満たしていく。
ならばもはや、私のやるべきことは決まっていた。
「……行かなくちゃ」
短く呟き、立ち上がる。
瞳の濁りは、もはや感じない。
見上げた曇り空からは、僅かに、蒼い輝きが覗いていた。
……
………
…………
「オオオオォォォォォ――――ッ!!」
「レナ、散開しろ! 絶命してでもあの死に損ないの命を粉砕しろッ!」
「御意に」
飛び交う弓矢の大群に、宙を切り裂く剣先と拳。
あろうことかアルヴィン・ロバーツは、甚大な致命傷を負いながらも決死の覚醒を遂げ、シンとレナを同時に相手取りほぼ互角の戦いを演じていた。
いいや、互角と言うには少々語弊があるかもしれない。
こうして交戦を続ける今も、アルヴィンの身体には致命的な傷が刻まれて行っている。
レナの繰り出した剣突が脚部を穿った。シンの打ち込んだ絶拳が内臓を破壊した。
頭と心臓さえ破壊されなければ戦闘は継続できるという狂った考えのもと、アルヴィンはごり押しでシンとレナに食い下がっているのだ。
こちらの方が、勝率が上がるから。その為ならこの身体の一つや二つ、喜んでくれてやる。それでアドラーを守れるなら。愛する
「忌々しい……怖気が止まらん。貴様のその傷、もはや助からんぞ。いいやそれどころか未だこうして地に足をつけている現実さえも通常あり得ないことなのだ。常識的に考えて、死んでいなければおかしいのだ。
何が貴様をそこまで突き動かす? 儂の拳で直々に殺されるのであれば、それ以上の誇りはないだろうに……なにゆえだ?」
「ボケたか、
何が俺を突き動かすかなんて、そんなものは決まっているだろうが――この国を守りたい、この国を生きるすべての民に笑顔を齎したい! そんな掛け替えのない
「……やはり理解が不能ですね。
「狂っているのはお互い様だろうが。そして……あぁ、そうだよな。お前らには一生理解できんだろうさ。
自分の世界に閉じこもり、他者の心と一切交わろうとしないお前らには、一生なァァッ!」
ただ自分の主義主張のみを絶対正義と信じ、それ以外を一切許容せず悪と断じる貴様らに、俺は負けない。
そう鼓舞するように、ここに来て更にアルヴィンの星の回転率が上昇した。
両者一歩も譲らぬ熾烈を極める大激闘。
だがしかし、やはりと言うべきか――徐々に結末は近づいてきていた。
そう、アルヴィンの意志力が如何に気高く頑強なものであろうと、所詮は人間の肉体だ。
刻まれた数多の致命傷と滅茶苦茶な覚醒の連続に、彼の肉体には限界が訪れていた。
もうあと五分もしないうちに、アルヴィンの命の灯は跡形もなく消滅してしまうだろう。そうなってしまえば、アドラーの敗北はもはや覆りようがないものとなってしまう。
あぁ、だから――
「
もはや己が死を回避できないのなら、せめて勝利はもぎ取ろう。
シンとレナの同時攻撃が、アルヴィンの命に照準をつけた。
――狙い通りだ。まんまとおびき出すことができた。
そしてアルヴィンも同様に、己の命を餌にして、シンとレナに死の照準を付けていた。
この一合で、総てが決まる。勝つのは己だと、三者疑いもなく最期の一撃を解き放つ――その、間際に。
一迅の風が、吹き抜けた。
「ガッ、ごォ――ッ!?」
「う、ああぁァァ――ッ!?」
突如、三者の間に割り込んできた影が、シンとレナ――そしてレナの創生した二体の分身体――を巨大な両腕で殴り飛ばした。
虚を突かれたシンとレナは互いに無防備を晒し、殴られるまま遥か後方へと吹き飛ばされる。
そしてその場に残されるは、呆然としたアルヴィンと、もう一人。
誰の登場であるかなど、語る必要はないだろう。
二人の遥か頭上には――雲一つない、晴れ渡る蒼穹がどこまでも広がっていた。
……
………
…………
「ウォーライラ……! 何で、戻ってきた? お前は逃げろ、と……」
「――決まっていますよ。隊長」
呟いた返答は、自分でも驚くほどに澄んでいるものだった。
今も能力の無理な使用により全身が沸騰したように熱くて痛くて苦しいのに、そんなのが気にならないくらい、私は今、“幸せ”な気持ちに満ちている。
地獄のど真ん中に立ちながら、幸せを感じているのだ。
「私が、隊長の隣にいたいって、心の底から思ったからです。それ以上の理由がいりますか」
「――――」
盗み見た隊長の表情は、呆気にとられたような間抜けなものだった。何か反論しようと唇を動かしたが、やがて隊長は諦めたようにふっと柔らかく微笑んだ。
私の、大好きな笑みを浮かべて。
「物好きなやつだな、こんなおっさんの隣がいいなんて。
だが、駆け付けてくれたことには礼を言わないとな。ありがとう、ウォーライラ」
隊長は私と肩を並べた。共に最後まで戦い抜こうと、無言で告げるように。
見据える正面には怒りの形相を浮かべた黄金腕輪と神聖魂泉。
今までの私なら恐怖に足をすくませて嫌だ嫌だと絶叫していただろうが、今はしかし。
「あは……あははは」
思わず笑いが零れてしまう。涙が溢れて止まらない。温もりで心が満ち満ちていく。
もう何も怖くない。身体の奥から、無限の力が湧いてくる。
あぁ、この感覚。久しく忘れていた、この感じは。
「お母さんと……おんなじだ」
すなわち、
……なんだ。そうか。そうだったんだ。
どうして、気が付かなかったのだろうか。いや、気付いていないフリをしていただけか。
いつから……と言えば、きっとあの瞬間だったのだろう。
お前を守り抜くと……幸せを見つける手伝いをさせてくれと言って、私のすべてを抱きしめてくれたあの瞬間から。
私は――隊長のことが――
「好き。大好き。愛してる」
恥ずかしいから、聞こえないように……そっと、自分だけで噛みしめるように小声で呟いた。
ごめんなさい隊長。想いを伝えるのは、もうちょっと待っててください。
ほら、私って臆病者ですから。いざって局面でヘタれるの、隊長もよくご存じでしょう。
ていうかこんなドシリアスな場面で急に愛の言葉を囁いちゃうほど、私メルヘンぶっちゃいないので。
……ようやく見つけた、私の幸せ。
いや、答えはすぐ近くにあったんだ。灯台下暗しとはよく言ったもので、近くにありすぎて逆に見つけ出すのにこんなに時間が掛かってしまった。
私にとっての……リディア・ウォーライラにとっての、“勝利”とは――
「
私は今まで、自分が幸せになれない要因は自分が身を置いている“場所”によるものだと思っていた。
劣悪な家庭環境、娼館、軍人機関……どこへ身を置いても待ち受けるのは地獄のみ。
でも唯一、その劣悪な家庭環境の中には、母と言う名の“幸せ”があった。だから私は、多かれ少なかれ幸せを感じる瞬間があったのだ。
大事なのは自分が今立っている場所などではない。
私にとって大事なのは、隣に誰がいるかということ。
軍を抜けられると決まってから謎に心が曇っていたのもこれが原因だろう。
知らずのうちに私はロバーツ隊長を好きになり、離れることを嫌がっていた。
無意識のうちに、この人の隣にずっといたいと願うようになってしまった。
それが私の、“
ならばもはや――迷いなど、あるはずもない。
「これが私の、
己を屑だと決めつけ、地獄から這い出るために絶叫していた
今ここに然りと大地に立っているのは、己が定めた大切な人と共にどんな荒野でも歩んでいこうと固く決意した、一人の
リディア・ウォーライラは――生まれ変わったのだ。
「糞、が。糞が糞が糞がァァッ! 若造の分際でどこまでも儂を虚仮にしおって……!
立てレナァッ! その命、悉く儂に捧げろ! 貧弱たる若造ならばせめて最期の瞬間まで儂の役に立つがいい!」
「無論、そのつもりでございます、シン様。私のすべては、シン様のものでありますゆえに――それが私の、愛ゆえに」
「行くぞ、ウォーライラ。絶対に死ぬんじゃないぞ。俺はまだお前と数えるほどしか酒を飲んでいないし、語りたいことが山ほどあるんだ。
それに……お前の幸せを見つけてやる手伝いも、まだ完遂していないしな」
「それならもう、見つかりましたよ。隊長」
「……何? それは――」
「ほら、来ますよ隊長! 構えてください! 部下にこんな無理させて……これが終わったら、またご飯奢ってもらいますから!」
「――あぁ! その時は好きなだけ飲み食いして俺の財布を泣かせてくれや、ウォーライラ!」
永遠に心が重ならないシン・榊・アマツと、レナ・キリガクレ。
そして、重なる心にどこまでも喜びを見出せるアルヴィン・ロバーツ隊長と、私、リディア・ウォーライラ。
「勝つのは、儂だァァ――ッ!」
「シン様、貴方に勝利を――!」
何を寝ぼけたことを言っているのだろう。
どちらが勝つかなんて、決まっているでしょ。
『勝つのは――俺/私達だあああアアァァァァ――――ッ!!』
そして正真正銘――最後の戦いの幕が上がるのだった。