シルヴァリオ メタモルフォシス ~シルヴァリオ ラグナロク Side:Capricorn~ 作:斎藤2021
ChapterⅩⅣ 私の
気が付けば、俺は真っ白な空間へと浮遊していた。
見渡す限り、地平の彼方まで広がっているのは無限とも思える“虚無”だった。真実ここには、何もない。
浮遊していると言ったのはまさにその通りで、この空間には地に足を着ける大地という概念が存在していなかった。
それどころか、熱すら感じない。自身の身体の重ささえも、一切何も感じられない。
すべての概念が遮断された空白地帯。
瞬時に俺は、ここは現世と幽世の境界線なのだと悟った。
いいや、もしかしたら既に黄泉の世界……こういった無の極致こそ、俗に言われる地獄という概念そのものなのかもしれない。
どちらにしろ、俺は……アルヴィン・ロバーツは、戦死した。
無事、アドラー北部を守り通して。本懐を遂げて、死ぬことができたのだ。
……名誉の戦死、と言っていいのかは、非常に微妙なところだが。
というのも、最期に見せた、あの苛烈な己の戦う姿……あの化物としての自分を、部下の全員がその網膜に焼き付けたことだろう。
きっと、恐怖したに違いない。恐怖されるほどに強くなりたいと願ったのは俺自身であるしそこに関しては悲願成就と言っても差支えはないのだが……あくまでそれは、俺個人としての感想だ。
やはり、家族同然の部下の皆に、あのような醜いところを見せてしまったのは非常に忍びない。心に傷でも残してしまったらどう謝罪すればいいだろう、などと考えたのも束の間。
「……いいや。きっと大丈夫に違いない。
俺が思っているより、しっかりした奴らだ。ならば不安に思う要素など一つもないだろう。
明日に向けて、アドラーの未来の為に、今日と変わらぬ疾走を続けてくれると強く信じて……
「
そうして俺は瞳を閉じて、この虚無の空間に溶けることを選択する。すなわち、素直に死を受け入れる。
アドラーは、俺がいなくても大丈夫だ。朧に、漣に、ジェイス、ヴィクトリア……他にも、他にも……俺が胸を誇れるだけの奴らが、沢山いる。
だから、アドラーの明日はきっと無限の笑顔に溢れている。それだけは、心の底から確信できた。
その笑顔の中には、なぁ……
「――ウォーライラ」
きっと……いや、絶対に。お前の笑顔もあると信じて。
……あぁ、本当に……最期まで、面倒かけた部隊長で申し訳なかったけど。謝罪なんて聞き飽きているだろうから、最期に、一言だけ。
「ありがとう」
ウォーライラに……そして、アドラーのすべての人々に、深い感謝を捧げて。
俺は、安らぎの光に包まれながら永久の眠りに身を任せようとして……その次の瞬間に、その違和感は俺の全身を殴りつけた。
「ッ……!?」
無重力だった空間に、突如抵抗できないほどの重力がのしかかってきた。
それも、上からではない。
まるで、突風に弄ばれる木の葉のように、俺は徐々に上方へと持ち上げられていく。
何が起きているのかまったく理解できない。
何だ? 一体何が起こっている? まさか今から地獄に叩き落されるというのか? ならば下に墜落するのが道理だと思うのだがこれは一体どういう理屈でこうなっている?
まったく現状を理解できずに当惑する俺を余所に、どこからか少女の声が響いた。
――……う……ツた……ちょう……
何て言っているのかまったく聞き取れない。しかし、誰かの名前を呼んでいることだけは薄ぼんやりと理解できた。
……まさか。
「……俺を、呼んでいるのか……?」
そう呟いた瞬間、何者かに強烈な力で両腕を掴まれた。
瞬間、頭上に降り注ぐ太陽の如き光の渦。
眩しさに目を細めた次瞬、俺の身体は一気に光の向こう側へと引き上げられるのだった。
……
………
…………
――……う……ちょう……
誰かが、俺を呼んでいる。
――……ツた……ロ……ちょう……!
少女の声だ。それも涙に濡れた、相当に逼迫した声色である。ただ事ではない空気をありありと感じられた。
――……ロバーツ隊長……!
熱い水滴が、俺の瞼に降り注いだ。
どうやら少女は泣いているらしい。
一体何に涙を流しているのだろう? どちらにせよ、誰かが泣いているのであればそれを止めるのが軍人の責務だ。
場所が地獄だろうと天国だろうと、その役目に変わりはない。
だから俺は、鈍い痛みの奔る全身に鞭を振るい、緩慢に瞳を開いた……その、先には。
「ロバーツ隊長ッ!!」
「――……ッ……ウォー……ライラ……?」
俺の右手を宝物のように握りしめ、大粒の涙を雨のように溢して泣きじゃくるウォーライラが、そこにはいた。
現状を把握できない。俺は死んだのではなかったのか? どうしてここにウォーライラが?
まさか……ウォーライラも死んでしまったのか?
最悪な想像が脳裏を過った刹那、しかしそれは違うと煌々とした輝きが証明した。
「……
俺が見上げるウォーライラの泣き顔……さらにその先に、変わらぬ光を地上に注ぐ第二太陽が、そこにはあった。
つまり、ここは現世。紛れもない現実で、どうやら俺は死に損なってしまったのだと自覚する。
いや、しかしそれはあり得ない。自分で言うのもなんだが、あんなに深刻に人体を破壊し尽くされて生きているなど、もはやどのような奇跡が舞い降りてもあり得ないだろう。死んでいなければ逆におかしく、なぜ自分は今こうしてまともに呼吸できているのか?
無論身体の節々はまだ激痛の悲鳴を上げているし、満身創痍なのには変わらない。
放っておけばやはり死んでしまうのは疑いようもないが、しかし失ったはずの心臓がちゃんと血を通し脈動しているのはどう考えても不可思議なことこの上無くて……
「よか、った……ロバーツ隊長……目を、覚まし――ごッ、こふっ、ガ、アァァッ……!」
その瞬間、ウォーライラが激しく喀血した。
俺の胸にぶちまけた血の塊には、粥状に溶けた内臓の一部が痛々しく浮かんでいた。
そして自身の身体の違和感にようやく気付く。
俺の身体の傷は、徐々に塞がっていた。つまり、回復している。
これによって導き出される結論なんてものは、一つしかなく――
「ウォーライラ……! お前、星を使っているな!? やめろ、今すぐ解除しろ!」
そう、ウォーライラは自身の星辰光を全力で行使し、俺の損壊した肉体を回復させていた。
星の力を注ぎ込むたび、ウォーライラはむせるように血を吐き散らかし、その激烈たる反動差に四肢を捩じらせている。
見てみれば、ウォーライラもボロボロだ。致命傷とまではいかないまでも身体の隅々に裂傷が刻まれており、見ているだけでも痛々しい。
いいや、それよりも何よりも、今心配すべきはウォーライラの内部器官だろう。
あれほど長時間の能力行使、内臓系に甚大なる負担が課せられているのは言うまでもない。
外傷はある程度能力で回復できても、反動差による身体へのダメージは到底殺しきれるものではないだろう。
このまま能力を使い続ければ――ウォーライラは、死んでしまう。
駄目だ、それだけは絶対に!
「ウォーライラ、これは隊長命令だ……! 今すぐに
「お断り、します……! まだだ――隊長、私は貴方を諦めないッ……!」
俺の哀願を真っ向無視し、ウォーライラは願うように自身のアダマンタイトを強く握りしめ、全力で星の力を稼働する。
やめろ。やめてくれウォーライラ……! 俺にそんな価値なんか存在しない……!
「お願いだウォーライラ……! 俺なんかのためにその尊い命を犠牲にしないでくれ……! 俺にそんな価値はない、ないんだよ決して!
お前が命を賭けるだけの価値は、アルヴィン・ロバーツにありはしない! 幸せになるんだろう、ウォーライラ!? だったら、こんなところで――」
「――うるさいッ! 価値がないだなんて、そんな悲しいこと言わないでくださいよ馬鹿隊長ッ! そんな訳ないでしょう!!」
その時、有無を言わせぬウォーライラの悲痛な叫びが俺の鼓膜を殴りつけた。
間際に覗かせたウォーライラはその言葉通りに……本当に、悲しそうな瞳をしていた。
「……だが、事実だ。俺は、歪んだ憧れを抱いた醜い“化物”だ。
だったら、いっそここで大人しく死んでしまった方がいい。俺のような危険な男は、アドラーに必要ない」
そもそも俺は死の瀬戸際で、軍人としての本懐ではなく己自身の欲望を優先させたような男だ。
結果的にその覚醒がこの北部を救うことになったとはいえ、それも結果論だ。綱渡りだったのは言うまでもない。
俺が暴走してカンタベリーだけでなく同胞を射ち殺していたかもしれない可能性は、ゼロではなかったのだ。
ならば結論は簡単に出せるだろう。死ぬ運命にあるなら、それを潔く受け入れるべき。
部下の命を投げ捨ててまで、俺自身は生き延びてやろうなどと思うほど、俺は情のない男じゃない。
だがウォーライラはそんな俺の願いは聞き入れない。それどころか、ニヒルな笑みを浮かべて。
「死んだ方がいいって、誰かに言われたんですか?」
「……何……? ウォーライラ、それは……」
「敵国の奴らじゃなくて、アドラーの誰かに。仲間に、私達に! 隊長は死んだ方がいい奴だって、言われたのかって聞いてるんですよ!」
「……それは、言われていない。だが――」
「あぁもう本当に面倒くさい人だなあ! 周りをよく見てみてくださいよ!
「……みんな……?」
言われて、俺は首を動かしながら一帯を見渡した。そこには……
『――
「――――」
傷だらけになった血塗れの
死なないで欲しい――心からの願いを、大唱和しながら。
「ロバーツ隊長……! 死なないでください! また剣の稽古つけてください! 俺、もっと強くなりたいんです!」
「隊長、おいてかないでください……! また一緒に呑みに行きましょうよ……帝国の未来はって、また話聞かせてくださいよぉ……!」
「アドラーにはロバーツ隊長が必要なんです……! ううん、
次々に飛んでくる部下達の涙声。それらすべてに負の感情は一切なく、それどころか聴こえてくる音色のすべてが、俺に生きて欲しいと願っている。
紛れもない、温かな光の声。俺に死んでほしいなどと願っている隊員は、ここには一人もいなかった。
「……生きて欲しい。生きて欲しいんですよ、隊長。
何でだか、分かりますか、隊長?」
その時、ウォーライラの声色が一際柔らかな優しさに包まれて。
「みんな、隊長のことが大好きだからです。愛しているんですよ、嘘偽りなく。本気で、心の底から。
それは、隊長がみんなのことを同様に、心の底から愛していたからですよ。隊長が隊員一人一人に真摯に向き合って、優しい光をみんなに与えてくれたから……みんな、隊長のことを大好きになった。貴方は、みんなにとっての“光”だから」
「――……ッ……しかし……俺は、そんな光よりも……最期の最期で、破壊の光に手を伸ばした。そんな俺を、許せないとは思わないのか……?」
「だって隊長そんなこと言っておきながら、その“破壊の光”とやらになり切れてないんですもん。
言ってましたよね、隊長。“守り切る”……って。壊す、殺すじゃなくて、守る……なんて。如何にも隊長らしいです。結局最後の最後まで隊長の心を占めていたのは、その温かな優しい“光”なんですよ。
しかも、本当にあの場にいた私達全員を守り通してみせるなんて……それで、なんで許せないとか、死んでほしいとかいう話になるんですか? 私達、隊長に命を救われたんですよ。命の恩人……ううん、今回のことだけじゃなくて、ロバーツ隊長は、みんなにとっての恩人で……
あぁ、もう面倒くさいですね。
……つまり、隊長はどこまでいっても、隊長なんですよ」
すなわち“優しき光”であると……ウォーライラはどこか呆れたように呟く。
そして涙を流し続ける隊員たちを一瞥し、まるで寿ぐように、言葉を優しく紡ぎ出した。
「これは……貴女が掴んだ
胸を張ってください、隊長。貴方の旅路は輝いているんです」
「――――」
泣き笑うウォーライラに対して、咄嗟に言葉を返せない。
吐き出そうとした言葉は、否定の言葉だったのだろうか。その答えは自分ですら定かではないが、確かなことが一つだけある。
「……親父。ジェイス。ヴァルゼライド閣下……貴方達の言葉は、間違っていなかった」
優しき光は他者を救うという言葉。
それは紛れもない真実であったと、俺は身を以て体感している。
何故ならば、俺は今、皆の与えてくれている“優しき光”に触れて、年甲斐もなく熱い涙を流していた。
心が震えて、血潮が熱く滾ってくるのを止められない。
否応なしに、しとどに溢れ返る雫の大粒は、紛れもない歓喜の証だった。
俺は、こんなにも、愛されていたのか。
そして、俺の“光”は……こんなにも多くの人々を救っていたのか。
そのことが、嬉しくて……たまらなくて……我慢なんて、できるわけもなくて。
だからこそ、俺は気付いてしまう。
俺自身の、正真正銘の真実に。
俺は、化物に憧れていたつもりだった……だが、俺はどうやったって、
だって、そうだろう?
「やっぱり俺は……
誰かに恐怖を与え、破壊を撒き散らすよりも、温かな光に触れている方が己の
誰かを壊す光ではなく、誰かを照らす、優しい光。
歪んだ憧れはもういらない。今俺がここにいる場所とそこに差す光こそ、真実俺の求めていた
頬を濡らす雫の温かさに、疑いようのない充足感が胸の中に萌芽する。
何処まで行っても、誰かを壊す光にはなりきれない、中途半端な光狂い。
そんな自分が、今は何よりも誇らしかった。
……
…………
………………
熱く涙を流す隊長を瞳に映して、私は己が身を苛む激痛すら忘れたまま、自然と口角が吊り上がるのを感じた。
あぁ、私……笑っているんだ。そして隊長は泣いていて……なんだかおかしい。いつもは立場が逆のはずなのに。
私、うまく笑えているかな。可愛く笑えているかな。
こんな局面でこんなことを考えるのは不謹慎だと分かっていても、高鳴る心臓を止められない。
柄じゃないと自覚しつつも、やはり好きな人の前だと、どうしても不安になってしまう。
生きて帰ることができたなら、笑顔の練習しなきゃだなぁ、なんて考えて……
ふと強く握り返された隊長の指先に、私の意識は飛び跳ねた。
「なぁ、ウォーライラ……」
「なんですか、隊長」
隊長の回復作業を休めないまま、平静を装って言葉を返す。
両の口端から血塊が零れたが、気にしない。隊長はまだ重症だ。能力の使用を途切れさせるわけにはいかない。
「今更何だが……いや、本当に。何から何まで面倒かける隊長で申し訳ない」
「本当に今更ですね。まったくですよ」
「いつも俺の尻拭いさせてばかりだ、本当にありがとうな」
「それが副隊長の務めって分かってからは、もう諦めてます。お気になさらず」
「ははは、耳に痛いな。だが安心しろウォーライラ。お前の気苦労もこれで終わりだ。必ず二人生きて帰って、今度こそお前の幸せを見つける手助けをしよう。その為にまずは軍の退役手続きを――」
「馬鹿隊長。阿呆ですか。鳥頭なんですか? 私の言ったこと忘れないでくださいよ。言ったでしょう、幸せなら、もう見つかったって」
貴方の隣にいたいとも。
「……あぁ、そういえば、言っていたな。すまん。なぁ、ウォーライラ……その幸せって……」
「……本当、隊長って鈍感クソバカ野郎ですよね。だから、えっと……つま、り……ガッ、ゴホッ――」
「ッ、ウォーライラ!」
瞳の奥で稲妻が弾けた次瞬、私の意識は灰色に混濁した。
光の速度で血の気が引いていく。世界との繋がりを断たれたような喪失感が四肢を貫いた。
どうやら、正真正銘の限界が訪れたらしい。
踏ん張りが利かなくなり、地面に沈んでいく私の上体。視界の隅で揺れる隊長の切迫した表情。
私に向けられた深刻な瞳に、死の瀬戸際にも関わらず嬉しいという無垢な感情が浮上してしまう。
……あぁ。でも、もしかしたら、私はもう助からないかもしれない。
あれほど無理な能力の過剰使用。自身の内部が今どうなっているかなど、考えたくもないし、仮に考えたところでどうにもならない。それにそんなこと、今更恐ろしいなんて思わない。真に恐れるべきは……ロバーツ隊長に、
でも、なんて言ったらいいのだろう。
思えば、これが私にとっての初恋。だから勿論、今まで告白なんてしたことない。
……あぁ、駄目だ。気の利いた言葉の一つも出て来やしない。一秒だって、時間はないというのに。
素直に、好きだ、愛していると伝えようか? しかしそんなありきたりな言葉で、この鈍感馬鹿隊長は私の想いに勘付いてくれるのだろうか?
「……ううん、そうじゃ、なくて」
やはり、そんな言葉では相応しくないと、自らの中で結論付ける。
……あぁ、そうだ。彼は、私の運命そのもの――アルヴィン・ロバーツ。
ならば捧げる
――いつの日か貴方がくれた愛の言葉で、貴方の心も温めよう。
「私は、貴方に出会えたことを心から感謝しています。
生まれてきてくれてありがとう、ロバーツ隊長」
「ウォーライラ――――」
涙を流し叫ぶ隊長を最後に、私の視界は闇に包まれる。
……お母さん。私、幸せになれたよ。
ありがとう、ありがとう、ありがとう……
そして、私の意識は、真っ暗闇の世界へと転落していった――その、間際に。
「ええ、私も幸せよ。
リディア――ありがとう」
母の祝福に満ちた涙声を、確かに聞いたのだった。
次回、シルヴァリオ メタモルフォシス 最終回です。
どうか、彼らの旅路を、最後まで見届けてやってください。