前任の指揮官、エヴァン・ハワーズの甥と名乗る少年だったが、
しかしてその正体は……?
新シリーズ「仔犬指揮官はお姉さんが苦手です」
いよいよ開幕です!
「……お客にしては、ずいぶん変わっているわね」
あたしは、思わずそうつぶやいた。
あまりに珍妙な光景に、目が丸くなっているのが自分でも分かる。
基地の〔城門〕が開く。
まず目にしたのは、ずいぶんと大きいトランク。底部に車輪がついていて、ころころ転がせるタイプ。それが、隔壁を抜けて、基地内に入ってくる。
なんとも間の抜けた様子に、手にしていた銃を下ろした。
リンケージした短機関銃は、距離さえ詰めれば瞬きする間に敵を倒せる。
ただ――いまは必要ないと思ったのは、“その声”を聞いたから。
「……んしょ……よいしょ……よっと……」
トランクの向こう側から聞こえる、なんとも愛らしい声。
あどけなくもあり、そしてコロコロと転がるような響きだ。
綺麗なソプラノだったが、どこかしっとりした心地さえある。
あたしは、数度瞬きをすると――
好奇心に駆られて、寄ってくるトランクをぐいと引っ張った。
「ひゃあ!」
押していた荷物が急に手から離れ、後ろから押していた子供――そう人間の子供だ――が、前のめりにぺたんところぶ。まだ小さくて華奢な身体。細い手足。そのくせ頭は少し大きくて、まろい形をしている。肩で切りそろえた黒髪。なめらかな褐色の肌。
身に着けている服は、ブレザーと半ズボンだ。
「……スクールの制服じゃないの」
あたしは、あきれてつぶやいた。
それもハイとかミドルとかじゃない。
プライマリスクールのお子様が着る学校の制服だった。
なんだろう、この子供は?
いや、そもそもこの基地になぜ子供が?
しごく当然の疑問に、あたしの思考パルスが巡りだした矢先。
当のお子様が顔をあげた。
ちょっとおでこと鼻先を赤くしているけど、泣いてはいない。
いや、ちょっと目は潤んでいたけど。
顔は少し異国風の面立ちだ――成長すれば彫りの深い端正な顔になるだろう。だが、いまは未来の可能性を感じさせる幼さでいっぱいだ。目元はくりっとしていて、少しアーモンドを思わせる形。澄みきった夜空のような黒い瞳はつややかに光っている。ただ残念なことに、眉は太い割にやけに短い。絵筆を戯れに置いて、すぐ離したかのようだ。
そして顔全体を見れば分かる――可愛らしいけど、この顔つきは男の子だ。
長じれば、きっとハンサムになるに違いない。
その彼はうつぶせに倒れたまま、あたしの顔をじっと見ていた。
純粋に興味と好奇心が煌めいている瞳に――
あたしの感情パラメータが、穏便でないなにかを感じて乱れた。
「……どう、立てる?」
手を差し出しながら、言う。
自分で意地悪をしておいて助け起こすのも、変な話だ。
けれど、彼の声を聞くと、なんだかいじりたくなったのは確か。
そして、彼の瞳を見ると、手を貸してあげたくなったのも確か。
男の子はあたしに手を引かれて、立ち上がった。
そのまま、またじっとあたしの顔をみつめている。
また――感情パラメータに不穏な気配を感じて、わたしは言った。
「なに? あたしの顔に何かついてる?」
われながらあきれるほど、そっけなくてぶっきらぼうな声。
愛想がないとよく言われるけど、地なんだから仕方ない。
あたしに訊かれて、彼はたちまち顔を赤らめた。
「ご、ごめんなさい……変な意味とかじゃなく、その……」
褐色の肌でも分かってしまう、頬の上気具合だった。
「……お姉さんの銀の髪と金の瞳がとてもきれいで」
そう言って、煌めくオニキスのまなこを再び向けてくる。
あまりにも無垢で、あまりにも素直で、あまりにも直球で。
彼の言葉に、あたしは思わずそっぽを向いてしまった。
「人形だもの。見た目がいいのは当たり前よ」
感情パラメータがざわつくの隠しながら、言う。
「あたしはVectorって呼ばれてる。あなたは、誰?」
その問いに、彼は名乗ってみせた――はにかんだ笑みを見せて。
「コリン、って言います。はじめまして、Vectorお姉さん」
いまにして――思う。
この日、この時。初めて彼と言葉を交わした時。
勝った負けた、でいえば、あたしはとうに負けていたのよ。
B122基地。コールサインは「アグラロンド」。
民間軍事会社グリフィンの所有する拠点の一つである。
軍の委託を受けて、人類の居住権を防衛する任を担うグリフィンにとっては、まさに仕事の現場拠点であり、戦闘要員である戦術人形と、彼女達を指揮しサポートする人間のスタッフの勤務場所でもある。
そのB122の施設内廊下を、Vectorと名乗った乙女と、コリンと名乗る少年は一緒に歩いていた。仲良く並んで、ではない。Vectorが大きいトランクを押しながら粛々と足を進めるのに対し、コリンは物珍しいのか周囲をきょろきょろ見回しながらであった。
時折、Vectorが振り向いて視線をやると、慌ててついてくるのだ。
「そんなに面白い? グリフィンの基地」
Vectorがそっけない声で訊ねると、少年はこくこくとうなずいた。
「はいっ、会社のサイトで写真とかは見たんですけど――やっぱり実際に見ると、空気っていうか、匂いっていうか……こう、ぞわぞわっとします」
答えながら、心なしか足取りがスキップしているように見える。
そんな彼に、Vectorは冴え冴えとした視線を向けつつ、ぼそっとつぶやいた。
「なんだか、よそのおうちに来た仔犬みたい」
言われた途端、コリンはぴたと足を止めた。
顔をうつむけて、ぷるぷると肩を震わせている。
少し先を進んだVectorは、少年の様子に気づいて、
「どうしたのよ」
足を止めて、振り向いた矢先。
少年が、がばと顔をあげた。
頬をふくらませ、両手をぶんぶんと振って、不平を鳴らした。
「もう! 仔犬とかやめてください!」
まろいアーモンドの双眸が、なにやら潤んでいるように見える。
「ぼく、それで呼ばれるのが一番イヤなんですよ!」
全身を使って抗議するコリンの姿に――
不意にVectorは、浮き上がってきたメモリからある連想をした。
「……ああ、ほら。ラブラドールレトリバーでも黒い毛並みのやつ。あなた、その仔犬にそっくりだから。特にほらその――変な眉、とか」
からかうでもなく淡々と指摘しただけなのだが、
「あああ! 眉のこと気にしてるのに! いつも女の子に笑われるのに!」
少年は地団太踏みながら、実に可愛らしい声で“鳴いた”。
怒り具合から、相当気にしているようだが――
「ほら。キャンキャン言わない。ただでさえ仔犬みたいな顔だもの。構ってほしくて甘吠えしているようにしか見えないわ」
淡々とした口調の乙女を、少年は恨みがましそうに見つめたが――当のVectorが永久氷河のような顔を向けているのを前にして、黙りこくった。先ほどよりは落ち着いた――ありていに言えば、はしゃいでいない足取りになって歩き出す。
Vectorが再びトランクを押して足を進める。
その後をコリンがまたついてくる。
今度はぴったり彼女の斜め後ろにつきながら、ぼそっとこぼした。
「……お姉さんは、意地悪さんです」
そう言われて、Vectorは平然と答えた。
「そんな気はないわよ……ただ――」
「なんですか?」
「あたしのことを、つきあいづらい人形だって言う子は多いけれど」
そう言った乙女の顔は端正で、それでいて眉ひとつ動かさない。
少年は「むー」とうなった後に、言った。
「……お姉さん、笑えばきっと素敵に見えるのに」
「愛想なんて、あたしには不要よ」
Vectorはアドバイスを丸めて屑籠へ捨てるかのように言った。
「あたし達は戦術人形……戦うのが役割の道具だもの」
悲哀も諦観も感じられない。
事実を、ごろっと取り出した感のある物言いだった。
乙女の答えに、少年はしゅんと目を伏せた。
「……ごめんなさい。余計なこと、言いました」
彼の言葉の端々から、仔犬がぴすぴす鼻を鳴らす感じがにじむ。
Vectorは、かすかに――ほんのかすかに、眉根を寄せて言った。
「別に気にしていない。あたしがいじめちゃったのは結果的に事実だし、それでもあなたが優しい言葉をかけてくる良い子ちゃんというのは分かっているから」
「……褒められている気がしません」
「別に褒めていないもの。純粋に評価しただけ」
あっさり答える乙女の言葉に、少年は口をつぐんだ。
そのまましばらく歩いていたが、ややあって――
おそるおそる、という感じでコリンが訊ねた。
「それにしても……ずいぶん静かな基地ですね」
目をぱちぱちさせながらの問いに、Vectorは軽くため息をついて答えた。
「ここはね、清算中の基地なのよ」
「どういうことです?」
「――それ以上は言えない。社外秘になるもの」
Vectorはそう言うと、とある扉の前で止まった。
「はい、この基地の副官の部屋――ここでいいのよね」
そう問われて、コリンはうなずくと、ぺこりとお辞儀した。
「ありがとうございます。たすかりました」
「気にしなくていいよ。じゃあね――もう会わないと思うけど」
Vectorは手をひらひらと振ってみせると、歩み去っていった。
少年はその背中をじっと見送りながら、こっそりつぶやいた。
「……いいえ。たぶん、また会えると思います」
コリンがそっとひとりごちた直後、そばの扉が静かに開いた。
姿を現したのは、長い栗色の髪を優雅に束ねた乙女だった。
紺色の軍装ジャケットに、白いゆったりしたスカートを合わせている。
彼女は少年の姿を認めると――大きく目を見開き、かすかに瞳を揺らした。
振り向いた少年の前でそっと腰をかがめてみせる。
目線を合わせて、鶯色の瞳でオニキスの瞳を覗きこんだ。
「――おひさしぶりですね、コリン」
「はい。スプリングフィールドお姉さんも、ご無沙汰しています」
そう答えると、少年はきゅっと唇を噛んだ。
「あの……エヴァン伯父さんが、お世話になりました」
コリンは拳を握りしめた。かすかに涙のにじんだ声が震えている。
「クリスマスに会った時には、あんなに元気だったのに……」
いまにも泣き出しそうな少年を、スプリングフィールドは手を伸ばして優しく抱きしめた。耳元でそっとささやきながら、背中をとんとんとたたく。
「あなたが泣かないで。グリフィンの指揮官は前線に出ることがないわけではないの。安全には万全の注意を払っているけど、それでも無事に帰ってくる保証は――」
「――でも、それでも! お姉さんを置いて逝くなんて……!」
「わたしはいいの。あの人には充分すぎるものをいただいたから……」
スプリングフィールドはそう言うと、すっと立ち上がった。
見下ろす形になったコリンの頭に手を置いて、さらさらと撫でる。
「さあ、泣きべそをかいていてはダメ。あなたなりに決心をしてきたのでしょう――二人きりの時は甘えてもいいけれど、他の子の前ではしゃんとしないと」
そこまで言ってから、乙女は首をかしげた。
「そういえば、よく迷わずにわたしの部屋まで来れましたね」
「あの……ええと、Vectorっていうお姉さんに案内してもらって」
答えてから、コリンは少しばつの悪そうな顔をした。
「……なんだか、ぼくのことをあまりよく思っていない感じでした」
「ああ、違うのよ。あの子はいつもあんな態度なの」
スプリングフィールドは苦笑いしながら言った。
「自分のことを、人形だ、道具だ、と特に強く思っている節があって――根はいい子なんだけれども、ちょっと表現が苦手なところがあるものだから」
「……あの人が、ぼくがここに来た理由を知ったら、何と言うか……」
すこしもじもじしながら言う少年の鼻を、乙女はつんと指でついた。
「えいっ」
「ひゃあ!」
「なんです? わたしが待っていたのに、来て早々に他の女の子のことが気になるんですか? もう、殿方って本当に油断できないんですから」
「そ、そ、そ、そんなんじゃないです!」
「ふふっ、わかっていますよ。もう、からかった時の反応がエヴァンそっくりね」
乙女は空いている片方の手をそっと胸元に添えながら、言った。
「だいじょうぶ。あなたはあの人の血筋だもの。人間には――自然人には、そういう繋がりがあるのでしょう? 自分の身体に流れる血と、自分自身の才能を信じて」
スプリングフィールドは穏やかに語ると、少年の手をとった。
「さあ、中へ入って。正式に部屋を割り振るまではここで準備です。いろいろ先生役の人に挨拶もいりますしね」
「準備って……お、お姉さんの部屋に泊まるんですか?」
「あらあら、おいやですか?」
小首をかしげてみせる乙女に訊かれて、少年は言葉に詰まった。
「あ、いや、えっと……いやじゃないんですけど……その――」
「――人形相手に変な気遣いは無用ですよ」
スプリングフィールドはウィンクしてみせた。
「まして、あなたはここの主になるんですからね」
「そ、それはそうですけど……わわわ、引っ張らないで」
少年が目をぱちぱちさせながら声をあげる。
乙女は上機嫌に微笑みながら、彼の手を引いて部屋の中へ消えた。
「よっ。おこちゃまのお世話、おつかれさま」
食堂にやってきたVectorに、ハスキーボイスがかけられた。
目を向けると、白金の髪にターコイズ色の瞳の人形がにやにやと笑っていた。一見したところ化粧が濃い印象があるが、睫毛の長さはともかくとして、眼の下のそれは実のところ隈である。左手にロリポップをつまんで軽く振りながら、右手はテーブルに置いた携帯端末をコツコツと指でつついている。
Vectorはほんの少し首をかしげてみせて、
「なに? 覗き見できるほど電子戦得意だっけ――AA-12?」
そう声をかけながら、声をかけてきた乙女の隣に座る。
問われたAA-12はロリポップを咥えて舌で転がしながら、端末を示してみせる。監視カメラと思しき映像に、トランクのお供のようにやってきた褐色黒髪の少年と、彼をエスコートするVectorが映っている。録画された自分の姿を見て、Vectorは内心で肩をすくめた――どうもさっきは自分にしては“賑やか”だったらしい。
「いやあ、ここの基地を発つヤツの一人が置き土産代わりに、監視カメラのバックドア教えてくれてさ。ちょっと暇つぶしに見ていたら、こんな基地に珍奇なお客が来てるだろ? しかも道案内してる君が珍しくよく喋ってるときたもんだ」
きしし、と歯を見せて笑いながら、目の隈美人は言った。
「なに? ああいうちっちゃい子が好みなわけ?」
「そんなはずないでしょ――ただ、人間の子供は優先して守るように倫理コードがあるから、それが機能しただけ。所詮、あたし達の趣味嗜好なんて作り物だもの」
銀髪金瞳の乙女の答えに、AA-12は肩をすくめてみせた。
「相変わらずの答えだね。ストイックというか、そっけないというか」
「“人生”という意味のない概念で自分を煩わせたくないだけ」
Vectorはすっと目を細めると、AA-12を見つめた。
「それより、あなたは暇つぶしなんかしていていいの? ハワーズ指揮官の最後の厚意でしょう、あたし達の転属先を自分で希望できるのって」
水を向けられたAA-12は、途端にばつがわるそうな顔をした。「あー」と軽く声をあげると、しかし、黙りこくってロリポップをしつこく舐めた。舌がキャンディを転がす音がごろごろと頬を通して響く。
最後はロリポップをぼりぼりかみ砕くと、目の隈美人は口をへの字に曲げた。
「いくつか……転属願いは出してみたんだけどさ。その――」
「――どこからも断られた?」
Vectorの言葉に、AA-12はこくりとうなずいた。
あぶくを吐き出すかのように、ぽつぽつと言葉を洩らしてみせる。
「……情緒面が不安定な人形は受け入れられないって。転属どうこうの前にメーカーへ送ってもらってメモリのクリーンアップした方がいいって。あと、それから、どこの指揮官もはっきりとは言わなかったけどさ――」
ターコイズの瞳に、じわと涙が浮かぶ。
「――し、指揮官を守れない人形なんて、験がわるいって感じのことを……ゥゲホッ」
それを言った途端、AA-12がえずくように咳き込んだ。
Vectorはため息をつくと、手を伸ばして彼女の背をそっと撫でた。
「ほら、やっぱり。その症状、治っていないんだ――吐き気止め代わりの飴はどれなの? ずっと持っているんでしょう?」
促されてAA-12が懐から紙包みを取り出した。
Vectorはそれを受け取ると、鮮やかな緑色の飴玉をつまみあげる。
「口を開けて……あたしの隣で粗相されても困るから」
言われて目の隈美人が小さく唇を開ける。
Vectorは、えずく彼女に無理やりといったふうに飴玉を口の中へ押し込んだ。
「……水を持ってくるわ。少し落ち着かせなさいよ」
銀髪金瞳の乙女はそう言って、席を立った。
食堂はもう給仕役の要員さえいない。自分で手近なコップを取ると、ウォーターサーバで水を汲む。澄んだ水をたたえたコップを持って戻ると、飴玉を口内で転がしたまま、肩を上下させて荒く息をしているAA-12の姿がそこにあった。
「はい。飲んで落ち着きなさい」
差しだされたコップを、咳き込んでいた乙女はひったくるように掴んだ。
勢いよくあおるとごくごくと水を飲む。慌てるあまりに溢れたしずくが唇から流れてあごを伝って喉元へと幾つも小さな滝を作った。
その様子に、銀髪金瞳の乙女はふんと鼻を鳴らした。
「やっぱり……全然、本調子じゃないでしょう。ちゃんとメーカーで検査された方がいいんじゃないの。それか、戦術人形を返上して民生用に戻ったほうが――」
Vectorがそう言った途端、いきなり肩をがしっと掴まれた。目の下に隈があるだけにただでさえ目力のある乙女が、それこそ鬼気迫る眼差しでにらんでくる。
彼女は地の底で亡者がうめくように言った。
「だめだっ。それだけはノーだっ。わたしは負けたくない……これまで培ってきたメモリを綺麗に掃除されたくないっ。メーカー送りなんかまっぴらだ」
「意気込みは買うけど――」
Vectorはたまらず胡乱な視線を向けた。
「――だからって、ここに残ってもどうにかなるもんじゃないでしょう? もうここは清算作業に入って、人形だって物資だって他所へ移されている最中なのに」
その言葉に、AA-12がにやっと笑った。
猛犬に追い詰められた猫が、袋小路で歯を剥くかのような笑みだ。
「それがさ――どうもおかしいんだよ。整理作業が今朝から止まってる」
ターコイズの瞳が鋭く光った。
「聞いたら、副官指示で物資の運び出しに待ったがかかっているんだ」
「副官――スプリングフィールドが?」
Vectorが目を丸くして訊き返した途端、二人の携帯端末が揃って鳴った。
コール音を止めて端末に着信したメッセージを開けてみて――
銀髪金瞳の乙女も、目の隈美人も、そろって目を丸くした。
「現時点で異動先の決まっていない戦術人形はそのまま待機。
B122基地の整理作業は中断し、基地機能を縮小しての再建に着手。
一週間後をめどに新指揮官が着任されるまで、各員待たれたし」
指揮官なき基地にあって、いまだ副官の任に当たっているスプリングフィールドからの指示書。ただし、それが一介の戦術人形の独断でないことは、添えられた署名から明らかだった。
ドキュメントの最後に記された名前は――ヘリアントス。
グリフィン本部の上級代行官、指揮官たちの監督役だ。
「ふ、ふふ……やった……これでここに残れる――」
興奮のあまり、AA-12はロリポップを一気に三つ封を開けて口につっこんだ。口いっぱいに飴玉をほおばりながら、飴どうしをごろごろとこすりながら舐めくる。
かたや、Vectorは怪訝そうに指示書をにらんでいた。
待機も何も、とうに基地の戦術人形の七割が異動してしまっている。
ちゃんと機能するかあやしい基地で、どこの物好きが指揮を執るのか。
「――よほどのお人よしか、騙されているわよね」
Vectorは頬杖をついて、端末の画面をぴんと指ではじいた。
コリンはオニキスの瞳に真剣な光をたたえて、モニタを見つめていた。
まだ何物も映し出されていない灰色の画面に向かって、ちょっと笑顔を作ってみたり、かと思えば眉をひそめていかつい表情をしてみたり。鏡に向かっているわけでもないのだが、ぼんやり反射する自分の顔つきと向かって、落ち着かない百面相をしている。
その有様を見守っていたスプリングフィールドが、くすりと笑った。
「あらあら。そんなに緊張しなくていいですよ」
「でも、お姉さん。しっかりできるように見せないと」
コリンは唇をとがらせて言った。
「いまから話す人がぼくの後見役になるんでしょう?」
「それはそうですけど……たぶん、あなたが考えている気難しい人ではないです」
鶯色の瞳の乙女は口元に手をやりながら、にっこりと笑んだ。
「むしろミドルスクールの先輩とか、そんな感じで考えておいた方がいいです――グリフィンの中でも五本の指にはいる問題児ですから」
「え……まさか、その人も未成年とかじゃないですよね……?」
「そんなことはないです。ちゃんと成人している人間です。ただ――」
口元にやっていた手をおとがいに移しながら、乙女は言った。
「――戦術人形のマネジメントと作戦指揮はピカイチなんですけど、それ以外の言動はかなりおちゃらけなんです。エヴァンも、通信の後はなんだか疲れた様子でしたもの」
「……その人、本当に後見役なんか任せて大丈夫なの?」
懸念と怪訝をないまぜにした表情のコリンに、スプリングフィールドは微笑む。
「能力は確かですし。もしかしたら、普通の指揮官よりは親しみやすいかも」
彼女の言葉に、少年はうなずいて通信回線を開いた。
灰色の画面に光が灯る。
次の瞬間、そこに映ったのは一人の若い女性だった。
白っぽく長い癖毛。顔も体つきもやせぎすで、その“整っていない様”が、彼女が人間――自然人だと感じさせる。顔には愉快そうな笑みをたたえ、紫の瞳は好奇に煌めく――コリンはふと、スクールの理科の教師を思い出した。嬉々として危ない薬品を扱ったり、蛙を楽しそうに解剖する、ジョークを飛ばしてばかりの学校のトラブルメーカー。
その印象は、彼女が口を開くと、なおのこと強くなった。
「やあ、待っていたよ。君がコリン・ハワーズだね? 若きパダワンよ」
最後に添えられた言葉を聞いて、少年は憮然として答えた。
「たしかにぼくがコリンですけど……別にジェダイ志望じゃないです」
「ンンン、いい返しだ! かの古典的名作が分かるのは見どころがあるネ」
微笑みを張り付かせたまま、紫の瞳の女性は飄々として言った。
「はじめまして。私がロゼ・ローズ――通称ロロだ。指南役を拝命している」
「あらためて、コリン・ハワーズです。しばらくお世話になります」
「ああ、かしこまらないで。私の基地、L211は君がいるとこのお隣だ。それに、君の伯父さん――エヴァンにはずいぶん世話になった。まあ、『だいぶ迷惑をかけた』と言い換えても間違いではないんだけどサ」
ロロの言葉に、スプリングフィールドが軽く咳払いをしてみせる。
紫の瞳の女性指揮官は、意に介さずに言葉を続けた。
「君のことはヘリアンさんから聞いているし、万全のサポートをするようにと仰せつかっている。しかし、まあ、〔ラーニングホリデー〕とはいえ、グリフィン本部もずいぶんと思い切ったことをするものだ……まさか指揮官代行を坊やに任せるとはね」
遠慮のない物言いに、コリンはむっとして答えた。
「お言葉ですけれど――ちゃんとグリフィンが課した試験はパスしています」
「そうだね。君にとっては簡単だったろう。“NFM-Colin”にとってはね」
ロロはそう言うと、モニタ画面の一画に地図を表示してみせた。
「これが、君の預かる28戦区だ」
「……ずいぶんと狭いんですね」
「当たり前だ。エヴァンはグリフィンの拠点でもアルファライン――鉄血との最前線を受け持っていた。君の作戦能力は高いだろうが、まさかまるっと任せるわけにはいかない。そこでそれまで支援任務が多かったベータラインのL211が担当戦域の大半を預かることになった。うちの基地がアルファになる代わりに、B122はベータに鞍替えだ」
「……そうですか」
「ンン、そんな顔をするな、少年。28戦区は確かに狭いが、重要なエリアだ」
ロロがそう言うと、画面の向こうで制御卓をカチカチと操作した。
28戦区を東西に横切る、青く太いラインが引かれる。
「“ルート3019”。L211はもちろん、このあたりのグリフィン基地群へ物資を送る重要なハイウェイだ。まあ、高速道路と呼ぶ割には、戦中から大した手入れはされていないんだけど」
「ええと……つまり、ぼくの役目は道を守ること、ですか?」
「そういうことだね。基本は巡回と偵察なんだが――」
ロロが机を指先でコツコツと叩きながら言った。
「鉄血が最近、浸透戦術を使うことがあってね。たまにそこそこまとまった戦闘部隊がやってくることがある。ルート3019の後方には一大補給拠点のS545基地――“イセンガルド”がある。もちろんそこにも守備隊はいるが、戦闘慣れはしていない」
ずい、とロロが身を乗り出してきた。
挨拶の時の軽妙な様子はすっかり潜み、真剣な顔をしている。
「あらかじめ警戒線を敷き、面倒な相手なら指揮を執って対処する。君も〔ウォー・チェス〕で補給線の重要性は理解しているだろう。グリフィンがそれなりに期待している証拠さ。君の伯父さんは実に優秀な指揮官だった――そして同じハワーズの名を持つ君にも、その才能は受け継がれていると買ってくれてるわけだよ」
そこまで言うと、彼女は椅子の背もたれに身体を預けなおした。
「君の立ち位置はわかったかな、少年?」
「はい。このパターンなら、何度も〔ウォー・チェス〕で経験したことがあります」
眉をキリッと締めて答えるコリンに――ロロはにやりと笑んだ。
「もちろん、そうだろうとも。君の対局成績は事前に目を通している。ただ……」
その瞬間――ロロの紫の瞳が煌めいたかのようだった。
「……君の元で戦うのは、単なる駒じゃない。戦術人形だ」
ロロの言葉に、コリンは首をかしげた。
「戦術人形なら、指揮官の指示には従うんじゃないですか?」
「ンンン、若きパダワンよ、人間至上主義の暗黒面に囚われているネ」
モニタの向こうで指南役は苦笑いを浮かべた。
「たしかに人形は人間に従う。民生用でも、戦術人形でもね――だが、疑問を抱いて指示に従うのと、信頼と喜びを抱いて従うのでは、発揮できるパフォーマンスが違う」
「でも、ぼくは人形たちをちゃんと指揮できる能力が……」
「どうやってそれを伝える? 〔ウォー・チェス〕のドミニオンマスターの称号は彼女達には通用しないよ? "NFM"の二つ名だって、『ふーん』としか思われないだろうさ。君が実績を積めば皆それを認めるだろうけど――まず君はちゃんと彼女たちに挨拶をして、信用を得る必要がある――ま、それが初仕事だね」
「……どうすればいいか、教えてはくれないんですか?」
「私は軽々に解答を示す性格じゃない。どうせ借り物の知恵なんぞ、すぐに破綻する。君の正式な着任まで、まだ一週間はあるんだ。どうするかゆっくり考えるといいサ」
指南役の言葉に、コリンは軽くうなった。少し拗ねた声で、ぼそりとつぶやく。
「……ヒントぐらいくれても」
「ンン、難しく考える必要はないサ」
耳ざといロロは、はたして少年のぼやきを聞き逃さなかった。
「君は、まだ子供だ。それを認めることだよ――そんな顔をするな、別に悪い意味で言っているんじゃない。子供であることを活用する手もあるってことサ」
「それはどういう……」
「さて、私も忙しい。そろそろ切るヨ。では、宿題頑張りたまえ、若きパダワン」
あっさり言い残すと、ロロは一方的に通信を切った。
コリンは、灰色の画面をにらみつけていた。
鼻をふくらませて、口をへの字に曲げている。
そんな少年の肩に――スプリングフィールドがそっと手を置いた。
「コーヒーでも淹れましょう、コリン」
穏やかな声が、少年の頭をそっと撫でるかのようだった。
「顔がこわくなっているわ……少し休憩して、二人で相談してみましょう」
「だーっ、疲れたァ!」
コリンとの通信を切るや、L211基地の主たるロロは声をあげた。
ただでさえ行儀の悪い白い癖毛をさらにかきまわして、うめいている。
そんな彼女のデスクに、そっと白磁のティーカップが差し出された。琥珀色の紅茶が、かぐわしい香りと共にほんのり湯気を立てている。
ロロは目をぱちくりさせると、カップを差し出した少女に微笑んだ。
「やあ、さすがのタイミング。ありがとう、スオミ」
主にそう声をかけられ、L211の副官を務めるスオミが微笑みかえす。
亜麻色の髪をそっとかきあげながら、少女は言った。
「いえ、指揮官って子供が苦手ですから。たぶん、ストレスだろうな、と」
「ストレスというにはアレだなあ……まあ、気を遣うのは確かだよ」
ロロはカップから一口お茶をすすると、ふうと息をついた。
「人間の子供っていうのは可能性のカタマリだからね。オトナの側としては言動に注意しないと、その子の道を知らぬ間に閉ざしているかも、と思うとサ……」
「それはご自分の経験からですか?」
すっと発せられた問いに、ロロは軽くうなってみせた。
「――まあ、こんなヒネたヤツは世の中には少ない方がいいでしょ」
「あら、わたしは指揮官のそういうところが、好きですよ?」
「……可愛い顔をして、しれっとそういうことを言うよネ……」
「ふふっ、誰の影響なんでしょうね?」
スオミはくすくす笑ってから、少し眉をひそめて言った。
「指揮官、さっきの子について、二つお訊ねしたいんですけど、いいですか?」
「ああ、構わない。君もやりとりする機会が増えるだろうからね」
「コリンさんって有名なんですか? 〔ウォー・チェス〕とか“NFM”とか聞こえましたけど」
「ああ、それか――かいつまんで話してあげよう」
ロロはそう答えると、人差し指をぴんと立てて言った。
「まず〔ウォー・チェス〕なんだけどね。発祥は第三次世界大戦の最中だ。軍隊が手っ取り早く戦術リーダーを見出すために考案されたものでね。名前に反して、盤上ゲームの発展系というより、図上演習の簡略版と言ったほうがいい。戦後はルールやシステムが整備されて、ネットワーク上で人気のゲームコンテンツになっている」
言いながら、彼女は制御卓に指を踊らせた。端末のモニタに、くだんの〔ウォー・チェス〕のポータルサイトを、次いでそこでのランキングを表示させる。
はたして、トータルランキング三位に“コリン・ハワーズ”の名前があった。
「彼はね、このゲームではいわゆる天才少年のたぐいなんだ。七歳から始めてあれよあれよと勝ちを重ねて、昨年の夏にドミニオンマスターになった。本来はその上にグランドマスターがあるんだが、国際大会が開けない現状では事実上の最高位に彼はいることになる……実に痛快なのが昨年のクリスマスに開かれた大会でねえ」
ロロがまた制御卓を操作する。モニタに図面が展開され、ある試合のリプレイとおぼしき記録動画が再生された。都合十名のプレイヤーが参加するバトルロイヤルの形式だったが、明らかに様子がおかしい。あるプレイヤーをねらって他の九名が一斉に動きだしているのだ。
「――この、囲まれそうな陣営、もしかして……」
スオミの言葉に、ロロはうなずいてみせた。
「そう、コリン君のだよ――まあ見ていたまえ、なかなかダイナミックだ」
図面上で各陣営の戦力配置が変化していく。偵察を出して状況を察したコリンの動きは激動的だった。自分の本拠地を敢えて捨てて全力で包囲の一角を崩すと、相手側の拠点のひとつをたちどころに潰して補充を行い、回復した戦力で再び迎え撃つ。完全に囲まれる前に出鼻をくじきつつ、コリンの陣営の駒たちは羽根が生えたかのように運動し、相手の拠点を次々と潰す。
最終局面でも彼我の戦力差は五倍以上あったが、すでに物資のとぼしい相手側に対し、連戦続きとはいえ補給充分なコリンは互角に戦った。
結果は時間切れのポイント判定。
とはいえ、結果的にコリンが稼いだポイントは他を段違いに凌駕していた。
「大会が終わった後に明らかになったんだけどね。他のプレイヤーはひそかに示し合わせて『生意気なガキを教育してやる』つもりだったんだと。結果的には最初の偵察で状況を察知したコリン君にしてやられたわけだが――これであの子には、このゲームでの二つ名がついたんだ。曰く、“[[rb:九塞陥とし > Nine Fort Marauder]]”とね。そこから“NFM”というわけさ。まあ、本人はこう呼ばれるのは結構恥ずかしいとメディアインタビューで答えていたけど」
「……すごい子なんですねえ……」
スオミが感嘆の声をあげるのに、ロロはにやりと笑ってみせた。
「まあ、表面だけ見ればすごいんだが、舞台裏を知ると笑えなくなる」
「どういうことです?」
「本部のヘリアンさん情報だけどね――このしてやられた九名のプレイヤーのうち、二名が軍の作戦本部スタッフ、一名がグリフィンの現役指揮官だったんだヨ」
目を丸くする少女に向かって、ロロは白い癖毛をわしわしとかきまわした。
「やー、普通のチェスならともかく、これは〔ウォー・チェス〕だ。よりによって戦争のプロが三人もお子様に手玉にとられるとは何事か、とね――そして、これを面白がった軍の偉い人は、将来有望な作戦幕僚をいまのうちにキープしておこうと思ったわけさ」
「あ……それが〔ラーニングホリデー〕と関係してくるんですか?」
「その通り。察するに、君の二つ目の質問はそれだネ」
ロロはそう言うと、ティーカップを傾けて紅茶をゆったり味わった。
鈴のような音をさせて、ソーサーにカップを置くと、説明を続けた。
「これは二年前に始まった制度だったかな。国家的にエリートを率先して育成しようという試みでね。スクールやアカデミーの学生について、なんらか特筆した才能を見せたもの――まあ国内のいろんなコンテストの優秀者だけど――について、ある期間、学校の授業を圧縮した通信講座に置き換えて、休学している間に実地のプロに交じって学ぶことで早期に得意分野の経験を積ませようというものサ。〔ラーニングホリデー〕の期間が終わったら所定の単位を与えて復学させる。本来は理工学系を想定した制度なんだけど、軍の戦術研究部門もしれっと法律のカバー範囲になっている。なかなかせこい仕掛けだね」
その説明に、スオミは目をぱちくりさせた。
「つまり、コリンさんは――軍の高級士官になるのを期待されている、と?」
「軍関係のシンクタンクかもしれないけどね。ただ、いくらなんでも十歳の子供を軍隊に混ぜるのは何かと問題がある。軍と関係が深いけど、れっきとした民間企業で、それでいて指揮経験が積める職場ってないかな……『ああ、ここにあったわ』ってわけさ」
「それでグリフィンの指揮官代行ということですか」
「……まあ、社長も、軍の要請なら断れないという事情はあるんだろうけど」
ロロが再びカップを手に取って、くいとあおる。
紅茶を飲み干した後の彼女は、顔いっぱいに渋面をつくっていた。
「問題は現場だよ! 『後輩の指導みたいなものだ』とかヘリアンさんは言ってたけど、相手が十歳のお子様だとまた違うスキルが要るよ! 少なくともあの子がピンチにならないように色々気配りしなきゃいけないんだしさあ……」
「グリフィン本部が、指揮官を評価している証拠ですよ」
微笑みながらスオミがティーカップをさげると、ロロはデスクにつっぷした。
「こんな評価いらないよー。仕事は増えるし、手間はかかるし、気は使うしさ――そのくせにウチの有能な後方幕僚は異動されちゃうし……」
「カリーナさんも年齢の割にベテランですものね。今度は別の新人指揮官の元で後方幕僚を務めるそうですけれど」
スオミの言葉に、デスクに顔面をくっつけたロロがちらと視線を送った。
「カリーナが補佐につく新人指揮官ね、とっても優秀な子だよ。あのAR小隊の指揮権が与えられるってハナシ。彼女が異動になったのも、そのあたりのバックアップもあるとは思うけど」
「大丈夫ですよ、新しい兵站担当の人も良い方だと思います」
「いや、能力も人柄も問題ないんだけど――〔ウェーブテック〕とかいう軍事企業からの出向って何なのさ。グリフィン社員じゃなくて、そういう人材を送り込んでくるあたり、なにかウチの基地って実験部隊とか思われていない?」
「もう、拗ねちゃだめです」
亜麻色の髪の少女は軽くため息をつくと、自分の主の頭にぽんと手を置いた。
ロロの頭を優しく撫でるのは、敢えて左手。
その薬指に銀の指輪が光っている。
「あなたはどんな場面でも頑張れる人です。そのことはパートナーのわたしが知っています。まずはできることからやっていきましょう……担当戦域がぐんと広くなったぶん、忙しくなります――わたし達も力の限り、支えていきます」
穏やかに言うスオミ。少女に髪をくすぐられながら、ロロは言った。
「ンン。とりあえずは第六部隊までフル起ち上げ。手順はプラン11の通りで。ただし第五部隊はリー・エンフィールドだけを充てておいて。メンバーは追って選抜する」
「コリンさんの支援に送るつもりですね?」
「うん。あの淑女なら上手いことやってくれるだろう――少年に対する直接的な支援はひとまずこんなところかな」
「もっとアドバイスとか、本当にしなくていいんですか?」
そっと訊ねたスオミに、ロロはため息交じりに言った。
「君自身が言ったじゃないか――『力の限り支えていきます』って。結局、グリフィンの指揮官はそこに尽きるのさ――人形たちに支持されるかどうか。そのあたりをあの子が理解して、実際に“士心”をつかむ方法を、自分で考えないと意味がないからネ」
ロロが手を伸ばして、自分を撫でるスオミの手をそっと握る。
亜麻色の髪の少女は和やかに目を細めると、自分の主と指を絡め合わせた。
白い陶器のマグカップに、宵闇のように黒いコーヒーがたゆたう。
ほんのりとした湯気と共に、独特の芳醇な香りが立ち昇っていた。
「はい、どうぞ――だいじょうぶですよ、苦くはないですから」
スプリングフィールドの勧めに、コリンはカップに口をつけた。
目をきゅっとつむって一口飲んだ途端、
「ふわ……ちょっと甘い!」
まなこをぱっちり開けて、少年は驚きの声をあげた。
コーヒーを淹れた乙女は和やかに微笑んで言った。
「薄めに淹れていますし、お砂糖も入っていますからね――エヴァンのお気に入りの味だったんですよ、これ」
「伯父さんの、ですか?」
「はい、とにかくコーヒーをよく飲む方でしたから」
スプリングフィールドは両の手の指同士をそっと合わせて、天井を仰いだ。
「普段はブラックなんですけど、疲れてきたリ、忙しくなってきたりすると、砂糖入りをリクエストしてきましたね――その時の表情とか声の調子から、どれだけ砂糖を足せばいいかが腕の見せ所だったんですよ、ふふっ……」
乙女は遠い目をしながらつぶやくように言ったが、少年がマグカップを口につけたまま自分をじっと見つめているのに気づいて、慌てて表情を改めた。
「……あ、いけません。わたしったら、つい思い出しちゃって」
口元を押さえて、ばつの悪そうな顔をする彼女に、少年は穏やかな声で答えた。
「ううん、構わないです。伯父さんのことが知れてうれしいから」
コリンはコーヒーを一口飲んでから、つぶやくように言った。
「伯父さん、本当にスプリングフィールドさんに愛されていたんですね」
少年の言葉に乙女は思わず頬を染めたが――ややあって咳払いしてみせた。
きり、と真面目な顔になったスプリングフィールドがコリンに向き直った。
「それにしても、さすがローズ指揮官です。いきなりグリフィンの戦術オペレーターの本質をついてきましたね――人形に信頼と喜びを、ですか」
乙女がうなってみせるのに、少年は点のような眉を軽くひそめた。
「民生用の人形と戦術人形って、そんなに違うものなんですか?」
「ええと――本質的には変わらないです。人を模して作られていて、人に似せて考え、話して、感情モジュールのおかげで気分を損ねたり上機嫌になったりします」
そこまで言って、スプリングフィールドは腕組みしてみせた。
「ただ――戦術人形は死と復活を繰り返す日常なんです。銃とは烙印システムでリンケージされていますから、戦う兵士としての覚悟はあるのですけれど、やっぱり躯体が機能停止して記憶をもとにバックアップから再起動する感覚は……まあ、何度経験しても慣れないことなのは確かです。つまり、ですね――」
ひとさし指をぴんと立てて言いかけた乙女より先に少年は答えた。
「――喜んで死にたがる人形はいないってことですか?」
その言葉に、スプリングフィールドは立てた指で宙に円を描いてみせた。
「そうです。だから、戦うならなるべく死なせない指揮官の指示に従いたいですし、どうせ戦って死を体験するなら、『この人のためなら仕方ないか』と思わせるだけの信頼が必要になります」
乙女の鶯色の瞳が、少年の漆黒のオニキスの瞳をじっと見つめた。
「コリン、あなたには才能があります。そうでないと、〔ラーニングホリデー〕の待遇でここにいられるはずがありません。ただ、その才能を示してみせる前に――そうですね、たしかに、人形達と親しくなっておく必要があります」
「親しく……それって、つまり――」
唇をきゅと結び、軽く頬を染めて、コリンがうつむく。
そんな少年に、スプリングフィールドは思わず苦笑いを浮かべた。
「――ええ、戦術人形たち……あなたから見れば、みんな年上のお姉さんですけれど。彼女達と話して、どんな考えを持っているのか知るのと同時に、あなた自身がどんな子なのか知ってもらわなくては」
「そ、そんな……女の人に話しかけるなんて、一人でなんてとても――」
すっかりうつむいてしまった少年の顔は、覗き込むまでもなく真っ赤であった。
スプリングフィールドは、ふうとため息をつくと、つぶやいた。
「……そうですねえ。それをさておいても、子供一人でうろうろするのはちょっと安全ではないです。グリフィンの人形は人間に危害は加えませんけど、イタズラする者はいるでしょうから……」
「そ、そんなあ」
「そう言えば、コリンさん。ここにはVectorに案内されてきたんですよね?」
「うん。なんか随分いじられた気がするけれど……」
「あら、あらあら……なるほど、ふむふむ――」
そこまで言うと、スプリングフィールドはしばし考えて、
「――そうよ、これはいい考えだわ!」
ぽんと両手を叩くと、朗らかに声をあげた。
「彼女を護衛につけましょう。そして案内されながら、『エヴァン伯父さんの話を聞きたい』という名目で皆と話をするんです。親族の子供なら、人形たちが初対面でも好意的になってくれますもの。そうね、それがいいわ」
「えっ、でもそれって、嘘をつくことになるんじゃ……」
戸惑い気味に声をあげたコリンに、彼女はふふんと鼻を鳴らした。
「嘘も方便です、それに遺品整理の名目なら嘘になりません。あなたがこの基地に来たのはそういう側面もあるのですから――ねっ?」
スプリングフィールドが軽く首をかしげて、ウィンクしてみせる。
その仕草を見せられると、コリンはもう何も言えなくなってしまった。
(後編へ続く)
Ep.1後編は明日更新予定!
B122の指揮官代行としてやってきたコリン。
副官のスプリングフィールドの勧めで戦術人形と言葉を交わすが――
伯父の最期を聞かされて、少年が言った言葉とは?
そして、彼が抱いた決心とは?