仔犬指揮官はお姉さんが苦手です   作:Tico Ruzel

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本編の最後で明かされた十年後のコリンとVector。

二人が結ばれるまでにはひと波乱あった? 
「少女前線2」の時代の“現代”と、グリフィン時代の三年後。

二つの時間軸で語る番外編にしてラストエピソード、前編!


【作者より】

 今回もなんとかぎりぎりで間に合いました。
本当に昨夜0時前に原稿が書きあがった次第です。

なお、当初はコミカルな内容にするつもりで、
ちょっとシリアスロマンになったので、
タイトルを「ヒトの想い、オトメの想い」に差し替えています。

おねショタシリーズもこれで本当にファイナル。ご笑覧くださいませ。


Ep.Ex2 ヒトの想い、オトメの想い -前編-

 そのオフィスはアイボリーとダークブラウンの二色で彩られていた。

 

 壁や床は白亜を基調としつつ、インテリアはシックな煤竹色で統一されている。シンプルながら品よくまとめられた、そのセンスからはオフィスの主の品性が窺えた。あるいはここの主である二人の肌の色で揃えたのかもしれないが。

 

「――お客が来たみたいだわ、あなた」

 

 ブラインドの下りた窓の向こうをじっと見つめて、彼女は言った。 

 雪のように白い肌に、肩までのさらさらした銀の髪が光の粒子を散らすかのよう。

 

 常人であれば閉じたブラインドを透かして外を窺うなどできようはずがない。

 だが、彼女の金の瞳は、ストリートをこのビルまで歩いてくる人物の姿をはっきりと捉えていた。いまこの場にあって、彼女の視界はオフィスにない。このビルの近辺に設置された、数多の監視カメラ。それと接続して自身の認識領域に画像を展開しているのだ。人間ならば特別の措置をしなければ不可能な芸当だが、人ならざる彼女からすれば造作もないことだった。

 

「外見も歩き方の特徴もロロさんの連絡通り……どうするの?」

 

 不愛想、というよりも、無感動な問いに――

 乙女の伴侶は肩をすくめて答えてみせた。

   

「あのロロさんが通行証を渡したぐらいです。会わないと後々怖そうだ」

 

 彼の声は苦笑含みだった。褐色の肌、長い黒髪。往時は仔犬のように愛らしい顔立ちであったが、十年の歳月を経て精悍な面立ちになっている。だが、点のような眉はあいかわらずで、まろいアーモンド型の目は鋭利さよりも柔和さをかんじさせた。

 

 こちらは歳月を経ても変わらぬ姿の乙女が、ちらと振り返る。

 ぱっと見には愛敬たっぷりの夫の顔を見て、彼女はかすかにため息をついた。

 

「いつまでもロロさんを師匠扱いしなくてもいいと思うけど?」

「もちろんですよ。ビジネスパートナーになったから、逆に怖い」

 

 彼女の言葉に、彼はかすかにかぶりを振ってみせた。

「あの人は、あえて人がわるいふうを装っていますからね。根っからの悪人なら、かえって対処はしやすいんですが。常に企みを忍ばせているからタチが悪い」

 

「なら、会わなければいいのに」

 乙女はぼそりとつぶやいた。かすかに拗ねたような声音が滲む。

 

「やれやれ。心配性ですね、あなたも」

 彼はそっと彼女に近寄ると、傍らに立った。

 

 そうして、乙女の華奢な肩をそっと抱き寄せる。

 近づいた彼女の耳元に、彼はそっとささやいた。

 

「あなたにとって、僕はまだ仔犬ですか――“MY DEAR”?」

 

 ともすれば甘やかな薫りさえ立ち昇りそうな声音。

 銀髪金瞳の乙女は、ふるっと身を震わせると、努めて平静に言ってみせた。

 

「仔犬ではないわね。あの頃ほど素直で可愛い子じゃなくなった」

「おや、こんな僕は嫌いですか? 頑張ってオトナになったのに」

 

「時々、くすぐったくなるのよ――まったく、あなたと来たら」

 

 そこまで言って、彼女は夫たる彼に顔を向けた。

 不愛想な表情ながら、口元はうっすらと微笑みを浮かべている。

 

 奥方の顔を見て、彼はこくりとうなずいた。

「あなたは十年前より素敵になりましたね――さあ、出迎えの準備をしますか」

 

「身体検査と武装解除のフルセット。それでいい?」

「ええ。爆発物のたぐいならビルのゲートでかかりますからね」

 

 仲睦まじい夫婦の会話が途端に物騒になる。

 だが、どちらも気負った様子はなく、“歓迎”の用意にかかっていた。

 


 

 居住区の外縁部、イエローエリアとの接続区域。

 

 シティの中心部と異なり、都落ちしてきた者と流れ込んできた者が集うエリアは、たいていは治安注意エリアに指定されている。縁にあることから〔リム〕と呼ばれる区域は、常にダウンタウンとスラムの境目の危うい綱渡りをしてやってるような状況だ。

 

 数年前に、ヨーロッパとロシアが統合されてできた新国家、“連盟”。

 巨大な経済圏の誕生は確かに人類社会の再生にとって、大きな一歩といえるだろう。第三次大戦の核と化学兵器と崩壊液汚染によって、大地はずたずたになり、人が住める環境はぐっと狭くなってしまった。限られたリソースを生活圏再生に振り向け、公正な社会分配によって恒久平和を目指す。お題目は立派なものだ。

 

 だが、事を成した政治家に、ジーニーの魔法の壺があるはずもなく。結局は限られたリソースは社会のコアを守るために真っ先に投じられた。シティの中核エリアは連盟直轄のインフラ公社と治安局に守られているが、こんな〔リム〕まで恩恵は届かない。

 

 連盟の政治家だか官僚だか、あるいは政策決定マシーンか。

 結局、外縁部の社会インフラと治安維持は、民間委託という形で投げられた。

 

 それでも上手くいったのは引き受け手がいたからだ。外縁部のアングラな空気を自社に都合がよいと感じた企業群と、地場を取り仕切っていたマフィア組織。両者が手を組み、堅気でございという顔で住民に公共サービスを提供している。だが、それはあきらかに不当な料金か、さもなければ何かが犠牲にされて成り立っていた。そう、たとえば警官の中身が、ほんの一か月前は鉄火場で銃撃戦をしていたマフィアの構成員であるように。

 

 ことほど左様に〔リム〕の生活環境はよろしくないのだが――

 

 一か所、例外と言える地区があった。

 

 東の縁を構成する、通称〔イーストリム〕。

 ここだけは別天地だと人は言う。元々住んでいる者も、後から来た者も。

 

 インフラを一手に賄う、〔フラクラゲリア事業組合〕。ここはシティ中核部からの資本参加が比較的少ない。皆無ではないが――それでもイーストリムの地場企業がメインになって事業を展開している。それらは地域住民からの投資で運営されており、組合理事などに言わせれば、ドイツの都市公社(シュタットベルケ)にならったのだという。

 

 ストリートを歩き、道路を滑らかに走っていく路面電車(トラム)を見ながら――

 食いつめルポライターの私はそんなことを思いだしていた。

  

 よその〔リム〕に比べると、確かにここは別天地だろう。

 

 シティの中核部ほど厳格な清潔さはないが、ここには街本来の活気と猥雑さが程よくミックスしている。まあ、犯罪と無縁ではない。現に何度かスリに遭いそうになった。しかし、強盗や殺人といった物騒なものからは遠い。雑踏に目を向けると、ダークグレーの制服を着た者がさりげなく、しかし油断なくパトロールしている。

 

 背中には〔Howards Oxrana〕の文字。

 民間治安会社、〔ハワーズ・カンパニー〕の治安スタッフだ。

 

 いまも道を尋ねている老婦人に愛想よく応対しているが――その実、彼の武装は短機関銃は当たり前のようにつけている。それだけの必要があるのだ。このイースト・リムを“外敵”から守るためには。

 他の〔リム〕に比べて、ここ東の外縁部はシティ内の有力な後ろ盾がなかった。中核企業と地元警察に鞍替えした元マフィアにすれば、恰好の植民地に見えただろう。実際、三年前には、ここ以外の“警察”が治安維持を名目に進出してきようとしたぐらいだ。事業開拓と言えば聞こえはいいが、要はマフィアのシマ争いだ。

 

 だが――そんな干渉をことごとく跳ね返したのが、ハワーズだ。

 

 侵入してこようとする外部勢力をことごとく跳ねのけ、どこからともなく資金を引き込み、あくまでも地域住民が納得し、支持する公共インフラを実現しようとした。

 

 もちろん、そんな勝手をよその連中が面白く思うはずもない。

 幾たびかの小競り合いの末、シティ中核企業のひそかな援助をうけ、よその警察組織――もちろん中身はそっくりマフィアだ――が合計五つ、手を組んでイーストリムを分割しようと企もうとしたのが二年前。

 結果はといえば、ハワーズはことごとくを返り討ちにした。

 

 イーストリムに潜んで火の手を挙げようとしていた連中をことごとくお縄にしたどころか、こともあろうに各組織の本拠を強襲して足元を揺さぶった。あまりに鮮やかで、ほんの二日で事を収めた手腕は「手慣れたもののごとく」だったという。

 

 

 以降、イーストリムは他のエリアからすれば、“禁域”となった。どこもかしこも手出しを控えている間に、治安がよくて環境が整っている割に家賃が安い。それに目をつけた、ベンチャーや中小企業が軒を連ねるようになる。気が付けば、イーストリムはシティの外縁部に関わらず、もっとも豊かで活気に満ちたエリアになっていた。

 

 勢い、ハワーズ・カンパニーの社長に人望は集まる。

 

 イーストリム出身の代議員として、彼を議会に送ろうという運動すらあった。

 だが、彼は若輩であること、実業に専念したいことを理由に、より年配で地区のまとめ役の人物を代わりに議会に送り出した。当の本人は正体を見せないまま、正義の執行者としてひそかに人々を守り続けている。

 

 彼自身には様々な噂が流れている。

 

 いわく、実は連盟の中枢から送り込まれたエージェントだとも。

 実は個人ではなく、特殊な人工知性に指示されたチームだとも。

 あるいは、それこそコミックスの中から出てきたヒーローだとも。

 

 だから――二年半前の騒動に際しては、バカげた話もある。

 

 イーストリムに侵入しようとした組織は、ハワーズの妻を拉致しようと試みたという。だが、結果はといえば――選りすぐりの傭兵連中は、その奥方自身に返り討ちにあったとも。それどころか、急を知らせた奥方自身が、援護に駆け付けた治安スタッフを率いて、各所の制圧に向かったとの噂まであるほどだ。

 

 戦うヒロイン。なんともロマンあふれる話だ。

 

 だが――と、私は思う。

 ハワーズ氏が調べ通りの人物なら、傍らに“彼女”がいる可能性が高い。

 

 戦歴で言うなら申し分なし。

 くだんの英雄譚も、その女性にとっては日常の延長にすぎなかっただろう。

 なぜなら――かの銀髪の乙女は、十年前からずっと彼を守ってきたのだから。

 

 そう考えながら、わたしは足を止めた。

 

 白いレンガ造りを模した、白亜のビル。

 〔ハワーズ・カンパニー〕の本拠。

 

 あの“カサンドラ”の言う事が確かであるなら――

 

 私がここの門扉を叩いて、閉ざされる恐れはなかった。

 きっと、彼と彼女が来訪を待ち受けているに違いない。

 

 私は、ごくりと唾を飲むと、古めかしいドアノッカーに手をかけた。

 


 

 遡ること八年前。

 あるいは、コリンがグリフィンで指揮を執った時から三年後。

 

 “彼女”は学校の敷地内に停めた車の中で、“様子”を窺っていた。

 

 服装をシックな黒のパンツスーツに固めているが、面立ちに変化はない。

 

 少年が惹かれてやまない銀の髪も金の瞳も。

 そして、整いすぎてかえって不愛想に見える顔も健在だった。

 

 彼女は、一見、フロントガラス越しにぼうと外を眺めているように見える。

 

 だが、その実はなかなかに気苦労の多い、見張りの最中だった。

 認識領域には、十余りの監視カメラの映像がリアルタイムで張り出されている。クラッキングによる乗っ取りではない。正規の権限でミドルスクール内外のカメラを駆り出して番をしているのだ。

 

 カメラの映像のひとつは教室を映している。

 彼女は束の間、授業を受けている“彼”の姿を見つめた。

 

 褐色の肌とさらさらした黒髪は変わらない。愛らしい点のような眉も。

 

 だが、背はぐんぐん伸び、もう自分に追いつかんばかりだ。顔立ちも幾分変わってきている。ともすれば女の子と見間違う可憐さは薄くなり、目鼻立ちのしっかりしたハンサムへと変じてきている。とはいえ、愛敬があって相対する人を和ませる雰囲気に変わりはない。実際、お年頃の女子からラブレターも受け取っているほどだ。

 

 まあ――くだんの恋文を持ってきて、自分に「どうしよう」と困り顔で相談するぐらいなのだから、彼自身は女の子遊びをする気がないのか、あるいは――。

 

 そう思いながら、彼女は……ふっと目元をゆるめた。

 やはり仔犬は仔犬だ。こうして自分が番をせねばならないのだから。

 

 認識領域の中でいくつかのカメラを拡大させる。

 学校の敷地外、路地に隠れるように不審な車が停まっているのが見えた。タイプはバンで、窓には目隠しのフィルターが貼られている。一度、この地区の警察が職務質問していたが、出てきた男は和やかな顔で上手く応対してやりすごしていた。やけに握手が長かったのを見ると、あるいは現金でも握らせたのかもしれない。

 

 だが――彼女は男の風体を見過ごさなかった。がっしりした体、その手指のかすかな特徴から瞬時に見抜いていた。軍隊あがりか、マフィアの構成員か。いずれにせよ銃を撃ち慣れている人間の手だった。

 

 彼女は大きく息を吸い、そして、ふうと息をついた。

 

 こっそり始末してしまうのも手だが、そうすれば彼は怒るだろう。

 やむなく、圧縮通信で彼のデスク端末へ状況を知らせる。

 

〔待ち伏せ。数は三から四。銃所有の可能性あり〕

 

 送ってほんの数秒――すぐに返事が送られてきた。

 

〔迎撃。銃はダメ。殺しもダメ〕

 

 案の定の指示に、彼女はいつものように眉をひそめた。

 

 グリフィンにいた時とは違う。相手は自律人形じゃなくて人間だ。無用の騒ぎも殺生も問題になるのはわかっているのだが――それでも、リンケージされた短機関銃を撃つ機会がめっきり減ったのは、いささか不本意ではあった。

 

「……まあ、でも。コリンが言うなら」

 彼女――Vectorはひとりごちると、秘密道具を点検し始めた。

 


 

 授業を終えて級友との挨拶もそこそこに、コリンは教室を出た。

 あらかじめ正面玄関ではなく、裏口からそっと校舎の外へ出る。

 

 打ち合わせ通り、頼もしい銀髪の護衛がたたずんでいた。

 

「あたし一人でなんとかなるのに」

 

 三年前と変わらぬ不愛想な声に、少年は苦笑いを浮かべた。

「だめだよ。戦術人形だけで積極的自衛したら治安局がうるさいもの」

 

 声はかつてのボーイソプラノから低く変わっている。いまだに声質が落ち着いていないが、おそらくは柔らかなテノールになるだろう。だが、音程は変わってもなめらかな陶磁器を思わせる聞き心地に変化はない。

 

 それだけに、彼がひそかに隠している感情を、乙女は感じ取っていた。

 

「……もう少し抑えなさい。少し、声が震えているわ」

 

「そ、そうですか」

「あなたがずるくなるのは面白くないけれど――」

 Vectorはさらりと髪をかき上げながら、言った。

 

「――大人になる前に、そのあたりを隠すすべが必要ね」

「……心しておきます」

 

 少年の言葉に、Vectorはうなずいてみせた。

 

「オーケー、始めましょうか」

 乙女は言う否や、建物の陰にそって慎重に進みだした。少年がその後を追う。

 

 不審車の死角の位置から塀を乗り越える。最初はVectorが軽やかに壁を蹴りつつ、まるでネコ科の猛獣のような身のこなしで塀の上にあがった。そこから手を伸ばし、つかまりながらもコリンが後に続く。少年は多少あぶなっかしい動きではあったが、乙女の助けよろしく、なんとか塀の上に続いた。

 

「ずいぶんマシな動きになったわ」

 乙女が寸評を口にしつつ、ひらりと敷地の外へと降りる。

 

「そりゃどうも」

 苦笑まじりに少年が答えつつ、塀から飛び降りる。待ち構えていた乙女が差し出した手に受け止められ、彼も無事に着地した。

 

 そこからはお互いに軽口は叩かなかった。

 乙女はスリングショット、少年はテーザーガンを手にして素早く脚を進める。

 

 時折、Vectorが立ち止まっては、視覚素子をぐるりと動かす。初めて見た時には少年もぎょっとしたものだが、いまなら驚かない――監視カメラ群を都度チェックして、敵の動きに変化はないか、この先進んで待ち伏せがないかを確かめているのだ。

 

 彼女の先導よろしきを得て、二人はほどなく不審車を覗き見る位置まで到達した。

 

 スリングショットに鋼球を構えつつ、Vectorが言った。

「タイミングは任せる」

 

 その言葉にコリンはうなずいた。

 あらかじめ拾っておいた石ころを振りかぶって、投げる。

 

 ゆるやかな放物線を描いたそれは、くだんの車のフロントガラスにぶつかった。

 ほどなく、いかつい男が二人、いらつき顔で車から出てくる。

 

「――釣れた」

 

 少年の言葉を合図に、乙女は駆けだした。

 

 まずは一人目の男をねらってスリングショットを放つ。

 猛スピードで飛来した鋼球が、したたかに打ち据えて額を割って流血させる。

 

 二人目の男が「襲撃だ!」と叫びつつ、懐の銃を取り出した。

 だが、銀髪の戦乙女は撃たせる気などない。

 

 たちまち構えた二発目が、銃を持つその手首に鋼球をめりこませた。

 

 苦悶の声をあげて二人目が地面にうずくまる間に、血相を変えた残りが出てくる。最初の二人とは反対側から一人、車の後部から二人。今度は最初から銃を構えている。だが、自動小銃のたぐいではないのを見てとって、Vectorはうなずいた。

 

 反対側から出てきた男が出てきた途端、バチっという火花と悶え声がして、どうと倒れ伏す。Vectorがスリングショットで狙い撃っていた間に、こっそり忍び寄っていたコリンがテーザーガンを当てたのだ。防弾アーマーも貫通する特別仕様だけに、射られた男の身体からうっすらと煙があがっていた。

 

「くそっ、標的はこっちだ!」

 コリンの存在に気づいた残り二人が声をあげる。

 

 少年が慌てふためいて、その場から逃げようとしたかのように見え――

 不意の奇襲に頭に血が昇った男達が後を追おうとする。

 

 だが、そのままやらせるVectorではない。

 

 スリングショットを腰のベルトに挟み込むや、自分から注意がそれた一瞬に猛然と駆け、距離を詰める。戦術人形ならではの高機動。車両から数メートルまで近づくと、大きく跳躍して、たちまち車の上に着地する。

 

 男たちが驚きの声をあげるやいなや、頭上から片方の延髄を狙って、飛び降りながらの蹴り。死神の鎌のごとく振り下ろされた脚が、男の意識をたちまち刈り取る。

 

 残る一人が銃を構える。だが、乙女は撃たせない。グリフィンの制圧格闘術に加え、この三年間で習得した護衛術がそれを可能にした。拳銃のスライドを握って発砲を封じつつも、男の背中に巧みに回り込み、ぐいと押し出す。

 

 それを図っていたかのように、コリンが飛び出た。

 手には再装填済みのテーザーガン。男を狙って構えている。

 

「がああ!」

 男がたまらず声をあげる。

 

 手をひねられている苦痛か、それとも、してやられた怒りか。

 ほどなく、再び火花の音がはじけ、最後の男もどうと倒れ伏した。

 

「――なんとか、今回もやったかな」

 

 安堵して少年がつぶやくのに、乙女はかぶりを振ってみせた。

「まだよ。手足を拘束して動けないようにしないと」

 

 Vectorは淡々と言うと、懐からワイヤーを取り出した。

 手早く男たちを縛り上げていく様に、少年は、ほうとため息をついた。

 

 いまの戦いはかつてとは異なる。安全な基地に籠っているわけにはいかない。そして、自分の身を助けてくれる頼もしい“お姉さん”は一人きりなのだ。

 

 グリフィンでの〔ラーニング・ホリデー〕から三年。

 コリン・ハワーズの命は、狙われていた。

 


 

 男たちを身動きできなくして、治安局へ通報した二人だが――

 その到着を待たずして、そそくさと用意していた車両で帰途についていた。

 

 面倒に巻き込まれたくなかった、が半分。

 もう半分が、やってくる警官が味方とは限らないためだ。

 

 幸いにも帰りの車はトラブルに巻き込まれずに、自宅へと着いた。

 

 それなりの高級住宅街だが、ハワーズ家の邸宅は見晴らしよく作られている。不審者が軽々に近寄れないようにするためだ。出入口には警備型の自律人形が歩哨よろしく立っている。それだけでなく、見えない位置にカメラやセントリーガンが設置されている。

 

 それらをデータとして把握できるVectorは常々思うのだ。

 コリンの父親も、並々ならぬ人物である、と。

 

「ただいま」

 

 ドアノッカーを叩いて、コリンが声をあげる。

 あくまでノックは儀式的な仕草で、同時に声紋と網膜の認証が行われている。コリン本人だと確かめた警備システムが扉のロックを自動的に解除した。

 

 二人が玄関に入るや、たちまちドアが施錠される。

 それを待ち構えていたかのように、妙齢の婦人の声が聞こえた。

 

「まあ、おかえりなさい! 無事だった、コリン?」

 

 ぱたぱたと足音をさせながらやって来たのは、少年と同じく褐色黒髪の女性だった。全体的に少しふっくらとしているが、目鼻立ちはすっきりとしていて若かりし頃はさぞや美少女だったろうと伺わせる。そして、目の輝きはどこか少女時代のまま――よく言えば純真、敢えて言えば夢見がちのような印象を与えた。

 

 コリンの母親、アマンダだった。

 彼女はすぐに手を伸ばすと、少年をいったん抱きしめた。安堵のため息をつくと、ぺたぺたと彼の身体のあちこちをさわり始める。

 

「怪我はないわね? また危ない目にあったって連絡を聞いて、もう、もう……」

 

「くすぐったいって、母さん。Vector、じゃなかった、フローレンスも一緒だもの」

「そうね……そう、だったわね」

 

 少年の言葉に、アマンダはためらいがちにうなずいた。

 彼女がVectorに目を向けると、乙女はいち早く頭を下げていた。

 

「――コリンの護衛が、あたしの役目ですから」

「ええ、ありがとう……でも、家の中では護衛の立場は忘れてちょうだい」

 

 少年の母親は、莞爾と笑んで言った。

「ほら、晩御飯の用意にかからなきゃ。手伝って、フローレンス」

 

「はい、奥様」

 フローレンスと呼ばれ、Vectorは応えた。

 

 それがハワーズ家での彼女の名前、仮段階で決められた市民名だった。

 

「そうそう、コリン。お父さんから話があるんですって。書斎にお行きなさい」

 

 アマンダはそう言い残すと、またぱたぱたと足音を立てて家の奥へと消えていく。その後をVectorは続こうとし――ふと、少年に声をかけた。

 

「いつもの“報告”かしら?」

 

 問われた少年は、肩をすくめてみせた。

「たぶん。今回も黒幕はいつもの人だと思うけど」

 

 コリンはそう言うと、片手を掲げた。

 乙女はかすかに目元を細め、自分の片手で、軽く少年の手と打ち合わせる。

 

 ぱん、と小気味良い音が鳴る。

 

 二人は互いにうなずき、それぞれ呼ばれた所へと歩いていった。

 


 

「大変だったみたいだね、コリン」

 

 書斎で出迎えた父親は鷹揚にうなずきながら、言った。

「まあ、そこにおかけなさい」

 

 言われるまま、少年は示された折り畳み椅子に腰かけた。

 

 父親の書斎は古色蒼然としたデザインと小物で揃えられつつも、手入れが行き届いてピカピカと光っているように見える。グリフィンでの〔ラーニング・ホリデー〕から戻ってから書斎に入れてくれるようになった。それはある意味、父も半人前ぐらいには認めてくれた証なのかな――コリンはそう思っている。

 

 母親がハワーズ一族の本家筋であるのに対し、父親のジェラルドは全くの外様だ。典型的なスラブ系の白い肌。穏やかで愛敬のある風貌、点のような眉は確かにコリンに引き継がれている。本来はくすんだ金髪なのだが、若白髪が多い。そのため、まだそれなりに若いのに、なぜか老成さを感じさせる。

 

 だが、この父親が凡庸な人物でないことを、少年はすでに知っていた。

 そもそも、ハワーズ本家の女性をめとって、そのくせ一族筋から母と子を守っていた手腕の持ち主なのだ。温和な父の顔立ちの奥に計り知れない知恵と、それを実現可能になるコネクションの存在を、いまのコリンは感じ取っていた。

 

「――治安局の“知り合い”から聞いたんだけどね」

 ジェラルドはあくまでのんびりした声で話し出した。

 

「今回の件、やはり“彼”が絡んでいる――全身に火傷を負った軍人あがりだ」

 

 その言葉に、コリンはふうとため息をついた。

「やっぱり。キリール・ノヴィコフ元中尉ですか」

 

 眼帯をつけ顔をぐにゃりとゆがめた男を、少年は思い浮かべた。

 

 医療用のコフィンベッドに拘束されたままの彼がどんな取引に使われたかは知らない。だが軍に戻れなかったキリールは、裏社会へ潜伏し、そこで頭角を現したらしい。嫌がらせというには、物騒すぎる刺客を差し向けだしたのが、二年前からだ。

 

 最初はバタバタしたが、半年後にはきっちり掃除できるようになった。護衛役のVectorが存分に働いてくれたのもあるが、都市戦のノウハウをコリンが必死に勉強して、作戦を立てておいたのも大きかった。

 

 少年がまた荒事に巻き込まれるのを、母のアマンダは嘆いたが――

 かたや、「まあまあ」となだめて、コリンの好きにやらせたのは父だった。

 

「そうだね。ただ、いまのところは本気で君を潰すつもりはないらしい。もし、本当に害するつもりなら、もっと良い腕前のヒットマンを仕向けるだろう」

 

 ジェラルドはそう話しつつ、腕組みしてみせた。

 

「ただ、まあ……ノヴィコフ氏の動きが予想外のところに波及してね。ちょっと困ったことになっている――明日は休日だったね、コリン?」

 

「はい。父さんが予定を明けておくようにと言ってましたから」

「明日、少々面倒な客人が我が家を訪れる予定なんだが――ふむ」

 

「お客さん? どなたですか?」

「ああ、ハワーズ一門の人間なんだがね……なあ、コリン」

 

「なんでしょう」

「君は、スクールで気になる女子とか、おつきあいしている人はいるのかな?」

 

 突然の恋人追究に、少年は目を白黒させた。

「なっ、そ、そんな人いませんよッ」

「ふむ、モテる方だと思ったんだが……恋文とかもらわないのかい?」

「……ええと、ノーコメント、です」

 

「なるほど。もらってはいるが、お断りしているわけだ」

 少年が必死で隠した事実をあっさり見抜いて、父親は続けた。

 

「では、フローレンスのことは、どう想っているのかな。そう、君がグリフィンから連れ帰ってきた、あの自律人形のことは?」

 

「な……ッ」

 

 触れられたくない部分にすんなりと言及され、少年は絶句した。

 たちまち頬を赤くして、口をぱくぱくさせてからようやく紡いだ言葉は、

 

「あの人とは、そんな関係じゃないって言うか、何というか、その――」

 

 どぎまぎしつつ答えるコリンに、ジェラルドは軽くため息をついた。

「まあ、いまの反応を見れば、一目瞭然だね。君と彼女の関係を見ていると、それなりに仲の良い弟と姉という感じだ……でもね、コリン。今後についてはちゃんと考えているのかい? このまま護衛役としてそばに置くのか、それとも――」

 

「――それについては、ま、まだ」

 コリンは口ごもりながら答えた。

 

「僕なりに思うところはあるけれど、えっと、その……」

 

 顔をうつむけてしまった少年に、父親は肩をすくめてみせた。

「急な話だけど、どうしたいか今夜中に考えておいた方がいい。明日、こちらに来る客人というのがね――」

 

 ジェラルドが話してみせた“来客”について聞いたコリンは。

 仰天のあまり、口をぽかんと開けてしばらくふさがらなかった。

 


 

 その頃、厨房では。

 

 忙しそうに、だが楽しそうにくるくるとアマンダが立ち働くそばで――

 フローレンスことVectorは、無言で食材のカッティングをしていた。

 

 当初は彼女が厨房に入るのすら拒んだ母親だったが、ある時、風邪で寝込んだコリンが「Vectorの作ったシチー(ロシアスープ)が食べたい」と駄々をこねたため、渋々、立ち入りを許可したのだ。最初の一歩が肝心というが、それからアマンダは少しずつVectorに料理のイロハを教えていった。

 

 無論、自律人形だから、必要な動作ライブラリをダウンロードすれば、家庭料理ぐらいならすぐにこなせる。コリンの父親も必要ならばデータ購入も構わないといったのだが――アマンダはなぜか断固として、それを拒否した。

 

 おかげでこの二年間で、Vectorのメモリの一部は家事に関する学習動作にあてがわれている。グリフィンにいた頃に比べれば、戦術マップをまるまる記憶しておかなくていいぶん、空きの余裕は十分にあるのだが。

 

 アマンダから家事を教えられた当初は戸惑いこそあったものの、最近になって奥方が言い出したこんな言葉から、なんとなく事情が察せられた。

 

 いわく――本当は、娘がほしかったのよ、わたし。

 

 そう言ったアマンダの顔は少し翳っていた。

 ハワーズ一族から縁を切ろうとして、しかし男子を産んでしまったがゆえに、一族のしがらみに囚われてしまった女性。Vector自身は奥方の言葉を聞いた時にさほどの感慨はなかった。だが、コリンに聞かせた時に、少年が悲し気な顔でぽつぽつと語ってくれたことから、ようやく彼女の心情を察した。

 

 コリンはアマンダにとって愛し子であると同時に――

 一族から自分を離してくれない軛でもあったのだ。

 

(生まれながらに自由を与えられているはずの自然人も、存外不自由なのね)

 

 Vectorは認識領域の片隅でそうひとりごちながら、包丁を動かしている。

 手先は器用なのでさほど苦ではない。だが、シチーにいれる具は敢えて不揃いにするのだという不合理を理解するのは、なかなかに苦心した。最初に食材を切った時は、どれもきっちりと形と大きさを揃えてしまったのだが……夕食時のコリンの、すごく微妙で、かつ気まずそうな顔はいまだに忘れられない。

 

 切った食材を鍋に入れて、茹で始める。

 その手際を見て、アマンダが声を感嘆の声をあげた。

 

「あら、ずいぶんと手慣れてきたわね。シチーを上手に作れたら女の子としては一人前。いつだってお嫁に行けるわよ、フローレンス」

 

 奥方の言葉に、Vectorは淡々とした声で返した。

「あたしは、お嫁に行きません。コリンを守る、役目があるから」

 

 乙女の言葉に、奥方は戸惑った顔を見せた。普段なら「あら、そう」とため息をついてみせるのが常であるのに、この日ばかりはなぜか違った。

 

「ねえ……あなた、コリンをどう想っているの?」

 

 その質問に、Vectorはグリフィンにいた当時を思い出した。

 

 あの時の訊ね主はDSR-50だった。

 人間は真に人形など愛しない、模倣品に愛情は持たない、だったか。

 

 だが、これに関して乙女の答えは昔から変わらなかった。

「コリンが一緒に来てほしい、と言ったから、そばにいます。彼があたしを必要としなくなるまで、ずっと。もし必要なら、彼の最期までそばにいます」

 

 顔をあげて、Vectorは答えた。

 みずからを道具と規定する彼女にとっては、自明すぎる答え。

 

 だが、アマンダは納得していない様子だった。

「あなたの……その考えは人形としての義務感? それとも愛情?」

 

「どういう意味でしょう、マダム」

「コリンを――その、異性として愛しているのか、という話よ」

 

 奥方はためらいながらも、そう言った。

「あなたを我が家に迎え入れて、三年になるわね。初めは嫌だった。兄のエヴァンと同じように、わたしの子供も人形にとられるんじゃないかって。でも――あなたがコリンのために作るシチーの出来栄えを見れば分かるわ。本当に、人形って情を寄せた相手にはとことん尽くすのね。いまなら、兄が仕事仲間の人形をめとるなんて言い出した理由がわかる気がする……」

 

 アマンダはそっと手を伸ばした。

 Vectorのすべらかな頬を撫でながら、静かに、だが決然と言った。

 

「でもね。自分の想いが何なのか、ちゃんと向き合わなきゃダメよ。わたしは娘がほしかった。その娘には、家の事情に左右されない幸せな結婚をしてほしかった。わかっているの、あなたは人形。本当の娘じゃないし、模倣品かもしれない。でも――コリンが慕っている相手と引き離す運命になるのは、わたしも納得できないの」

 

 奥方は、何か胸に詰まった様子だった。

 コリンと同じ、オニキスの瞳が揺れている。

 

 Vectorはかすかに眉をひそめて、訊ねた。

 

「あの――どうかされたのですか?」

 

 乙女の問いに、奥方は目を伏せて答えた。

「あの子に、お見合いの話しがあるの……ハワーズ一族からの」

 

 予想もしていなかった言葉に――乙女は金の眼を大きく見開いた。




後編は明日夜に更新です!


コリンに突如お見合い話がやってきた!?

ハワーズ一族の令嬢がVectorに語る
「人形は人間に連れ添えない」とはどういう意味なのか? 

わだかまる想いに、乙女はどう決着をつけたのか?

そして時間は“現代”に戻り、彼と彼女の関係は――

番外編にしてラストエピソード。お楽しみに!
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