仔犬指揮官はお姉さんが苦手です   作:Tico Ruzel

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コリンに突如お見合い話がやってきた!?

ハワーズ一族の令嬢がVectorに語る
「人形は人間に連れ添えない」とはどういう意味なのか?

わだかまる想いに、乙女はどう決着をつけたのか? 

そして時間は“現代”に戻り、彼と彼女の関係は――


番外編にしてラストエピソード、後編!


Ep.Ex2 ヒトの想い、オトメの想い -後編-

「はじめまして、皆様。エカテリーナ・バロワと申します」

 

 そう名乗った少女が、スカートの裾をつまんでお辞儀してみせる。

 冴え冴えした明るい金髪は、後頭部の当たりで飾り編みにしていた。さながら金色の薔薇を背負っているかのように見える。灰色の眼は切れ長で、ともすれば鋭い印象を感じさせる。だが、すっと通った鼻筋と蕾のように小さめの唇が柔らかく見せていた。肌は透けそうなほどに白い。

 

 だが、なによりコリンを圧倒したのは、彼女の着ている衣服だった。ラベンダーを基調として、各所でふんだんにレースやフリルをあしらっている。さながら雪の結晶を幾重にもまとって着飾っているかのように見えた。

 

 身長はコリンより頭一つは高い。

 年齢は十八だという。つまり少年より五歳年上のお姉さんである。

 

 堂々たる態度に豪奢な衣装もあいまって、直に見る者を圧倒するかのようだった。

 彼女を見たVectorがこっそり「正面装甲厚そう」と言ったほどである。

 

「突然のおじゃま、失礼いたしますわ。ゲオルギー翁は段取りを踏んでからとおっしゃっていたけれど。わたくし、これと気に入ったものはまず目にしないと気がすみませんの。ぶしつけなご訪問、お許しくださいませ」

 

 そう言って、少女は嫣然と笑んでみせた。

「ふふふ、あなたがコリン・ハワーズね。写真よりずっといいですわ」

 

 灰色の眼差しがすうっと細められる。

 それに見つめられた少年は、ついどぎまぎして顔を伏せた。

 

「……ま、まあ、お掛けなさい。エカテリーナさん」

 

 応接間に同席していたジェラルドがそう促すと、少女は椅子に腰かけた。自然に右手をひじ掛けに置き、左手をあごのあたりへ添えるあたり、堂々たるものである。

 

 この場には四名が同席していた。

 

 客人である、エカテリーナ。

 出迎えた側である、コリンと父ジェラルド。

 そして後方の壁際に護衛よろしく立っているのがVectorだ。

 

 人間達が腰かけて、早速に口を開いたのはジェラルドである。

 

「ええと……私も一昨日にゲオルギー翁の筋から打診をいただいたばかりなのですが。当のお見合い本人が急にお見えになるとは、いったい」

 

「あら、やだ。ふふふ」

 エカテリーナは口元を手で押さえ、くすくすと笑んでみせた。

 

「言いましたでしょう、『気になったらすぐに確かめたくなる』と。写真のほかに色々と拝見して、あらまあと思ったものだから駆けつけたまで。それに一族のお年寄り方におまかせしていたら、やたら時間がかかってしまうもの。でしたら、早めに当事者同士が面通ししておいた方がよろしいのではなくて?」

 

 少女はそう言って、父親から少年の方に目を向けた。

 灰色の視線が、少年を探るように頬を撫でまわすかのようだった。

 

 コリンは赤面しそうになるのをこらえつつ、言った。

「エカテリーナさん。その……僕はまだ十三歳になったばかりです。いまのうちからお見合いどうこうと言われても困りますし。それに、あの――あなたから見たら、まだまだ子供ですよ」

 

「大丈夫ですわ。わたくし、年下も楽しめるクチですから」

「そうではなくてですね」

 

「あなたの可能性に投資したいと思っていますの」

 少女の眼が、ひた、と少年を見据えた。

 

「あのグリフィンでの〔ラーニング・ホリデー〕の実績、拝見しましたわ。さすがはハワーズの本家筋。野戦指揮では並々ならぬセンスです」

 

 そこまで言って、エカテリーナは口元に当てていた手をそっと離した。コリンに向けて軽く掌を見せた仕草と同時に、灰色の瞳が鋭く光った。

 

「でも――あなたが将来やりたいことは軍人さんではないでしょう? スクールの選択科目で選んでいる科目、個人的に受講している通信講座――自分の胸の中にだけしまっておけるとお思いなのかしら?」

 

「な……クラッキングしたんですかッ?」

「そんなお行儀が良くないことはいたしませんわ。ただ、わたくしも傍系とは言え、ハワーズの人間。それもゲオルギー翁からは曾孫ですもの。それとなくアンテナを向ければ、教えてくださる親切な方がいらっしゃる……それが、ハワーズの“力”ですもの」

 

 そこまで言って、少女はふわっと表情を緩めて笑んでみせた。

「あなたの目指すところは立派だと思います、コリン。わが一族も、未来永劫、武門の家柄というわけにはいかない。大戦の惨禍を経て、求められているのは世界を相手に戦う力ではなく、世界を再建する力――おわかりかしら? わたくしは、あなたに共感したうえでここに参りましたのよ」

 

「どういう……ことですか」

 少年が恐る恐る発した問いに、エカテリーナは本題を切りだした。

 

「わたくしをめとれば、理想の実現にハワーズ一族の力を存分に使うことができます。わたくしと結婚なさい、コリン。そして早めに子供を作り、一族を受け継いでいく意思を示すのです。そうすれば長老がたも納得くださるでしょう」

 

「そんな――取引づくの結婚だなんて……」

「どうせハワーズの女には、意中の相手と結ばれる自由はありませんのよ」

 

 エカテリーナは再び口元に手を当て、くすくすと笑んだ。

 

「それなら、まだ『これは』と思う方に先行投資して、お互いに愛を育んでいった方がよろしいのではなくて? 『惚れるより慣れ』と申しましてよ」

 

 堂々たる物言いに、コリンはぐうの音も出なかった。

 

[newpage]

 

 その後のエカテリーナの話しは四方山の話題に終始した。

 

 コリンの趣味、好きな食べ物。代わって、自分の趣味や好物など。

 言うべきことを言った後は、口直しと言わんばかりにおしゃべりを繰り広げた。陽気で賑々しくさえあり、最初は硬かったコリンも談笑にのせられたほどだ。

 

 

 根が社交的なのだろう。

 そう思いつつも、後ろで見ていたVectorは二つのことに気づいていた。

 

 些細なことではあるのだが――

 

 来た当初、挨拶代わりにジェラルドと話した後は、エカテリーナはコリンをひたと見据えて視線を離さなかった。少年がしばしばもじもじして、顔を伏せたり目をそらすような仕草を見せたのとは対照的だ。まるで狩人の眼差しね、と乙女は思った。

 

 そしてもうひとつ。彼女は決してVectorの方を見ようとしなかった。まるでそこに無いものの如く振る舞い、談笑中、一度の例外もなくちらとも目線を配らなかった。

 対するVectorは、金色の瞳でずっとこの訪問者を見ていたにも関わらず。

 

「――あら、いけないですわ。つい話し込んでしまいました。ふふふ、わたくし達、相性がいいのかしら」

 

 愉快そうにコリンに笑んでみせるエカテリーナ。

 対する少年は、微妙な顔で口をもごもごさせて軽くうつむいてしまった。

 

「ああ、それなら迎えの車を呼んでこよう」

 気を利かせて、父ジェラルドが席を立ち、応接間を出て行った直後。

 

 それまでVectorのことは無視を決め込んでいたエカテリーナが、突然に乙女の方へ顔を向けた。人形の乙女の金色の視線と、人間の少女の灰色の視線が激しくぶつかり、そして絡みあう。いささかもひるんだ様子のないVectorに対し、エカテリーナはどこか憐れむかのような笑みを浮かべた。

 

「……あなた、ですわね。コリンが引き取ったお人形は」

 

 少女の言葉に、乙女は黙して答えない。不愛想を貫くVectorの振る舞いに、エカテリーナは肩をすくめつつも言った。

 

「コリンがわたくしと婚約すれば、彼の身の安全はハワーズ一族が保障しますわ。お役御免になる前に転職先を見つけた方がよくなくて? お人形さん」

 

 少女の物言いにコリンが顔をこわばらせる。

 だが、彼が口を開く前に――Vectorの、静かで、だが決然とした声が響いた。

 

「あたしはコリンを守る。これまでと同じように、これからも」

 

「必要はない、と言いましてよ?」

「それは彼が判断すること……あなたがどうこうすべきじゃない」

 

 いささかも退くところのない乙女に、少女は肩をすくめてみせた。

 Vectorとコリンをそれぞれ見やりながら、声を低めて言った。

 

「……いつまでも彼を守れるはずはないわ。人形は人間と違うもの。大怪我をしてもコアが無事なら修理できる。仮に死んでも、マインドマップのバックアップがあれば素体を変えて復活できる――でもね。“ハードウェアとしての製品寿命”について考えたことはおありかしら?」

 

 エカテリーナの言葉に、少年は目を丸くし――乙女はかすかに眉をひそめた。

 

「人間は生き物ですもの。老いるし、寿命だってある。けれども、健康に気を使って節制を保てば、百年近くはゆうにもつのよ。対して人形は老いない代わりに、躯体の限界が先に来る。そうね、もってせいぜい三十年かしら……躯体性能の陳腐化を考えれば、“時代遅れ”になるのはもっと早いわ」

 

 少女は灰色の瞳でにらみつけた。Vectorを射すくめるかのように。

「あなたは、彼と連れ添えない。どんどん型落ちしていくから、いつまでも守り切ることはできないわ。コリンが大事業を成し遂げる、まさに大事な時期にあなたは骨董品でしかなくなるのよ……その“朽ちて行く感覚”に耐えられる?」

 

 少女の物言いに、コリンが気色ばんで声をあげた。

「ちょっと、失礼じゃないですか? 彼女にだって感情はあるんですよ!」

 

「感情があるから、逆にやるせないんじゃないの」

 エカテリーナはため息をつくと、ふっと遠い目をして言った。

 

「昔、我が家に執事がいたわ。穏やかな物腰で、わがままだらけのわたくしに根気よくつきあってくれて、時には諭してくれて。両親は『彼もそろそろ引退させないと』って言っていたけど、わたくしは彼を気に入っていたから拒み続けて――」

 

 少女はそっと目を伏せた。心持ち、灰色の瞳が揺れている。

「――だから、ある日、彼がとんでもない粗相をした時にはびっくりしたわ。その時、彼が打ち明けたの……『ここまでのようです、お嬢さま。人形としての私は、お仕えにするにはもうずいぶんポンコツになってしまいました』ってね」

 

 エカテリーナの回想に、コリンは息を呑み――

 Vectorは無表情を装いつつも、かすかにこぶしを握った。

 

「あなたが本当に彼を想っているなら……ほどほどで彼の人生から退場すべきなのよ。同じお別れをするのなら、お互いにきれいな思い出がいいでしょう? これは忠告よ。人間とか人形とか関係なく、女としてね」

 

 エカテリーナがVectorをじっと見つめる。

 その眼差しは――難癖というにはあまりにも真摯なものだった。

 

[newpage]

 

 珍客というには不吉な知らせを残して、令嬢はハワーズ家を去っていった。

 

 Vectorには――驚いたことに、その後から夜までのメモリがはっきりとしない。コリンがすぐに気遣いの言葉をかけてくれたことも、ハワーズ夫妻が夕食の席でなにかれと言ってくれたのも、ぼんやりとは分かっている。だが、具体的に何を言われたのかは、とんとメモリに残っていなかった。

 

 感情パラメータが不安定で、どうもデフラグ処理が勝手に動いたらしい。

 

 思いやりの言葉は乱雑に消してしまった割に――

 かの令嬢の言葉だけはメモリにこびりついてしつこく残っていた。

 

 ――人形は、人間と連れ添えない。

 

 それは、Vectorが敢えて無視していた事実だった。グリフィンにいれば、いずれ役立たずと判断されれば相応の処分になっていただろう。道具としては当たり前の運命だ。

 

 だが、いまは違う。コリンを守り続けるという任務がある。

 使命と言い換えてもいい。なんなら、存在意義とも。

 

 現在だけを見ていて、何十年も先までは視野に入っていなかったのだ。

 考え無しというより――少年のそばにあり続けることは、ごく自然に思えたから。

 

 しかし、と思い直してみると、確かにいつまでも今のままでいられないのだ。

 

 グリフィンで指揮官代行をしていた時より、彼の背は伸び、声変わりもしている。あと数年もすれば、もう軽々に“少年”などとは言えないだろう。

 

 護衛として自分があと何年役に立つのか?

 最新型のエリート人形を相手取って、どこまで対抗できるのか。

 

 いや、そもそも……彼がもし、子供を欲しがったら?

 人形は夜の営みにも対応できる。だが、それは生殖とは無縁の行為だ。

 

 彼が望んでも、自分に彼の子をはらむことはできない――

 

 Vectorは、話の最中にエカテリーナの視線が一瞬外れたのを思い出した。

 少女の視線は――新しい命を育めるはずもない、乙女の腹部を一瞥したのだ。

 

[newpage]

 

「――あらあら。ひさしぶりの通信が、そんな話になるなんてね」

 

 通信回線の相手は、三年前と変わらぬ声で言った。

 

「でも、そうね……わたしもエヴァンと連れ添うことを決めた時、それはずいぶんと考えたことだから。あなたもいずれ突き当たるとは思っていたわ」

 

 その夜。Vectorは自室の端末で懐かしい相手と話していた。

 

 結わえた栗毛の髪。柔和な鶯色の瞳。

 穏やかな顔は慈愛に満ちた笑みを浮かべている。

 

 かつてのB122の副官、スプリングフィールド。

 いまは――市民名“メラニー・アリョーシン”で呼ばれる者。

 

 だが、かつての戦友であり、コリンの御守り役仲間なら、グリフィンの時の呼び名で差し支えなかった。なにより、二人とも銃とのリンケージは解除していないのだ。三年たってそれぞれのメンタルに変化があったにせよ――烙印システムで形作られたパーソナリティはまだ健在であった。

 

「一年半ぶりかしら。前の時は驚いた。あなたがエヴァン・ハワーズ以外の男性と連れ添うなんてまずないと思っていたから」

 

「ふふっ、本当に。わたしも……こんな今があるなんて予測できなかった」

 くすくすと笑んでみせると、スプリングフィールドは続けた。

 

「でも、そうね……これもエヴァンとコリンが引き合わせてくれた縁なのかしら。前に話したでしょう? いまの夫は、かつてのエヴァンの部下だった人」

 

「エヴァン指揮官に命を救われた、だったかしら」

「彼にとっては師であり先輩であり――軍に残った後も慕い続けていたの」

 

 栗毛の乙女は、実に穏やかな口調で言った。

「彼と会ったのはほんの偶然だわ。コリンのお父様の計らいで市民権を得た後、ほどなくグリフィンを去って……でも、エヴァンの志は何かの形で受け継ぎたかったから、都市間キャラバンの護衛に加わって――そこでキャラバン長を務めていた、いまの夫に出会った」

 

 スプリングフィールドはそっと目を閉じた。胸元に手を当てつつ、静かに言う。

「お互いにエヴァンの話で盛り上がったわ。夫は軍人時代の彼を知っていたし、それにグリフィン時代の彼のことも知りたがっていた。何度かキャラバンが行き来してからかしら……あの人が一大決心の顔で『エヴァン中尉が愛した女性を、自分が幸せにしてさしあげたいのです。中尉殿のため、そして、貴女自身のために』って」

 

「尊敬が、愛情を生んだ?」

「そうかしら。少なくとも、あの人はわたしの心に先にエヴァンが住んでいるのを分かっている。その上で、まるっとひっくるめて愛してくれている。夫は恩返しだと常々言ってるけど……人間の感情って本当に不思議ね。人形のモジュールでは説明がつかない心の動きをするんだもの。それは不合理かもしれないけど、だからこそ人間は強いのかもね」

 

 そこまで言って、栗毛の乙女は嫣然と微笑んでみせた。

 

「それで? あなたはかつてのわたしの悩みに直面してるわけね」

 

「……なんだか愉快そうな顔をするじゃないの」

 憮然としてVectorが言うと、スプリングフィールドはうなずいた。

 

「驚きと喜び、よ。あの無感情と無感動を絵に描いたようなVectorが、そこまで想い人のことで思い悩んで心を乱すなんて――成長したのねえ、って」

 

 それを聞いて、銀髪金瞳の乙女は眉をひそめ、かるくうつむいた。

「あたしは……弱くなったんじゃないかと思う。グリフィンにいた頃なら、たぶん割り切って考えられた。コリンの――指揮官の役に立たない人形はさっさと分解されてしかるべき。それにためらいなんて要らない。作り物の道具には、不要な感情」

 

「そこまで考えられるのに……でも。いまは選べないのね」

 

 スプリングフィールドの指摘に、顔をうつむけたまま乙女はうなずいた。

「ずっと……記憶のメモ帳にコリンのことがつづられている。もうテキストじゃ収まらなくて、いろんなものがくっついてアルバムみたいになっている。それを簡単に捨てられないし、可能なら引き続き綴っていきたい――でも、彼が望むなら、あたしは身を退いた方がいいのかもしれない。あたしの想いなんて作りものなんだし……」

 

「『愛に偽物も本物もない。人形の愛も人間の愛も、受け取る方が本物だと感じるなら、それはもう本物なんですよ』――ふふっ、あの子の言葉を思い出すわ」

 

「……その芝居がかった言葉、誰のもの?」

 怪訝そうに訊ねたVectorに、スプリングフィールドは答えてみせた。

 

「ほら、L211のローズ指揮官の副官を務めていた子よ。スオミちゃん。三年前のS545基地にいた時に何かの話題でそんなことを言っていたの……あの“カサンドラ”ロロがグリフィンに入った理由って、そもそもは『人形に本当の愛は芽生えるのか?』を研究するため、なんですって」

 

「……胡乱な話だわ」

「まったくそうね。だから、ロロさんの真意を知った時に、先のセリフをびしっと突きつけたって――それから、どれだけ自分が愛しているか、たっぷりカラダに分からせてあげた、って。まるで武勇伝でも語るかのように得意げだったわ」

 

 スプリングフィールドの言葉を聞いて――

 Vectorは金色の眼をいっぱいに開き、たまらず声をあげた。

 

「ちょっと待って……もしかして、あなたからのアドバイスってそれなの?」

「あらあら、察しがいいこと。ええ、その通りよ」

 

「……あなた、本当にスプリングフィールドなんでしょうね? 通信偽装して、実はあのDSR-50なんじゃないでしょうね?」

 

「失礼ね。あの女なら、もっとけしかけているに違いないじゃない」

 そう答えて、栗毛の乙女はふわりと笑んでみせた。

 

「言ったでしょう、人間は不合理だって。人格と精神と肉体は分かちがたく結びついているんだもの。人間の好きとか愛してるって、結局は相手のことをどれだけ求めているかにかかってくるもの」

 

「……あの子が、そんな眼であたしを見てるかどうかなんて……」

 

 言いよどんだVectorに対し、スプリングフィールドは束の間、考える様子であった。ややあって悩める乙女に訊ねたのは、次のようなことであった。

 

「ねえ……プライバシーに関わることだけど、敢えて訊くわね。コリン、最近起き抜けにこっそり下着を汚したり、こっそりそれを洗ったりしていない?」

 

 唐突な質問に面食らいながらも、Vectorは記憶を探った。

 金の瞳をさまよわせ、メモリのサーチが済むと、彼女は答えた。

 

「半年ぐらい前から――なんだかそんなことが時々あるような。一度、声をかけて手伝おうかって言ったんだけど……顔を真っ赤にしてだいじょうぶだ、って」

 

 その答えに、スプリングフィールドは、ほうとため息をついた。

「そっか。あの子もそんな年頃なのね」

 

「なんの話?」

「後でサーチしなさい。あまりウブなのも考えものよ」

 

 スプリングフィールドが、画面の向こうからひたと見据えてきた。 

「今夜にも、あの子に迫って、訊いてごらんなさい。できるだけ悩ましい姿で」

 

 鶯色の瞳は、いつになく真剣で、そして楽しそうだった。

 

[newpage]

 

 一方、コリンはといえば。

 

 気分がもやもやしたまま、ベッドに横たわっていた。

 

 眠ろう、と思ったのだが、あのエカテリーナが帰った後のVectorの様子が気になって仕方がなかった。受け答えはするものの、どこか心ここにあらずで、瞳の金色もどこか曇っているように見えた。三年前のあの夜に見た月に、薄暗い雲がかかったかのような。

 

 そう考えた瞬間、かつてのことが思い出されて、少年は顔を赤くした。

 泣きだした自分を、彼女はやさしく抱きとめ、頬の涙をなめとって。

 そして、唇をもみしだくかのように、何度も何度も優しい口づけを――

 

「……わーッ!」

 シーツに顔を押し当てて、少年は小さく叫んだ。

 

 困ったことに、いまでも鮮明に思い出してしまう。いや、いまだからこそ、か。あの当時はいっぱいいっぱいだったのだが、あれは相当な睦みごとだったのだ。困ったことに、あの頃は意識しなかった、身体の柔らかさや、ほんのりと甘い匂いまで思い出す。

 

 あるいは、記憶を上書きしているのかもしれない。

 この三年、彼女と行動を共にしてきた。ほんのちょっとしたタイミングで感じた手触りや匂いが、あの頃の想い出にどしどし付け加わっているのはあり得る。

 

 少年は、ほう、と息をつき、もじもじと身動きした。

 トクトクと脈が速くなり、巡る血流を持てあまし気味になる。

 

「……また、やっちゃうのかなあ」

 コリンはひとりごちた。

 

 こんな時は決まって変な夢を見る。恥ずかしい夢というべきか。

 Vectorに知られたら軽蔑されそうな夢だ。

 なにしろ、ぼんやりと残る記憶なら、夢の中で彼女がうっとりと微笑んで――

 

「――だ、だめだだめだ、寝よう!」

 

 エヴァン伯父の教え。悩みがあったら、まず寝ること。

 

 あの令嬢の言葉は、明日ゆっくり考えよう。

 そう、ちゃんとVectorと話し合うのだ。自分が無理を言って、グリフィンから引っ張ってきた。彼女の希望を尊重すべきだ。

 

 そうだ、そうしよう。

 少年が自分にそう言い聞かせ、ベッドの中にもぐりこんで丸まる。

 

 息を整えて、うつらうつらしだした、その時。

 

 カチャ、と部屋のドアが開く音がした。 

 

 最初は――早くも夢を見だしたのかと思った。

 

 しゅるしゅると衣擦れの音が、どこか遠くに聞こえる。

 妙に展開がきちんとしている夢だな、と思っているうちに――

 

 足元の布団をめくって、ごそごそと誰か潜んでくる感覚があった。

 

 寝ているコリンを踏みつけないように、慎重に手足を運ぶ様子。

 その感覚に伴って、ふわとかすかに甘い匂いがした。

 

 次いで、ふーっとかすかな息が、少年の顔を撫でた。

 優しい息遣いと共に――明らかに誰かがいる気配。

 

 コリンは、まぶたを開いた。

 

 開くなり――常夜灯の明かりに照らされた、金の瞳と目が合った。

 

「……? べ、ベクターさん?」

 少年は狼狽して声をあげた。

 

 乙女の顔が間近にある。その白い首筋も。

 それだけではない。なぜか、鎖骨に当たる部分も見えた。

 

 ほんの少し、目線を足元へ向ける。

 柔らかな桃にも似た形のよい果実が二つ、ぼうと暗がりに浮かんでいる。

 一糸まとわぬ姿で、彼女は覆いかぶさるように四つん這いになっているのだ。

 

「な、ななな……なんで?」

 

「コリン、さわって」

 

 乙女の声は――いつになく硬かった。

 普段の不愛想とは違う、どこか戸惑い気味の声音。

 

「さ、さわるって、ど、ど、どこに?」

「あなたの、好きなところ」

 

 小さくささやくと、Vectorは片手でコリンの手をつかんだ。

 そのまま手の平を自分の肌へと触れさせようとする。

 

 あまりのことに、少年はされるがままだったが――

 すんでのところで我に返り、あわてて腕に力を込めた。

 

 少年の、とにかく抗おうとする力と、乙女になんとしても導こうとする力。

 束の間の均衡は――

 

 コリンの顔にぽたりと落ちた、しずくが決した。

 

 Vectorが瞳が潤ませ、あふれた保護液が涙となって落ちていた。

 少年が思わず脱力した瞬間、ぐいと手を引かれ――

 

 彼の手のひらが、彼女の肌にぴたりとくっついた。

 

 白い肢体の幹に成った、豊かな果実の片方に押し当てられている。吸い付くような、しっとりした肌の感触。そして、ほんの少し指を動かしただけで、ふよんと柔らかなさわり心地が手のひら全体に伝わってくる。それは液体とも固体とも表現しがたい、もっと蠱惑的な何かで――いつのまにか、コリンは我知らず、ふよふよと未体験の感覚を楽しんでしまっていた。

 

「……きもち、いい?」

 

 手のひらの感触とは真逆な、硬い乙女の声。

 それで少年は我に返った――乳房を包んでいる手を離そうとして。

 

 だが、乙女の手はそれを許すまじと、逆に彼の手を胸に埋めさせた。

 その間も、彼女は静かに泣いていた。泣きながら、耳元でささやく。

 

「もっとさわって、いい。離したくないと思えるまで、いくらでもさわって」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、Vectorさん」

 コリンはうろたえながらも、精いっぱいに声をあげた。

 

「あなたが望まない限り、僕はあなたを厄介払いしません! そんなこと、したいわけないじゃないですか!」

 

 オニキスの瞳で、金色の瞳をじっと見つめる。

 

 ややあって、乙女は大きく息をついた。コリンの上に四つん這いでまたがる体勢だったのを、こてんと彼の隣に自らを横たえた。

 

 隣り合いながら、二色の視線が絡まり結んだかのように互いを離さない。

 少年の手は自らの乳房に触れさせたまま、乙女は訥々と話し出した。

 

「……ごめんなさい。実は、ね――」

 

[newpage]

 

「よりによって、スプリングフィールドさんが……」

 少年は少しぐったりした声で言った。

 

 アドバイスするにしてもやり方があるだろうに。

 それとも、これは“オトコを見せろ”ということなのか。

 

 考えがぐるぐる迷走しそうになり、慌てて理性の手綱を握る。

 いまはそんなことより、もっと気にすべきことがある。

 

 エヴァンの伯父の教え。女の涙はほうっておくな。

 

「……どうして、泣いていたんですか?」

 

「怖く、なったの」

 つぶやくように、乙女は答えてみせた。

 

「いざとなったら、あなたがどう反応するか分からなくて。前もってライブラリでそういうテクニックを入れておけば、もっとスムーズにできたかもしれないけど……でも、それはなんだか嘘をついてる気がして。だけど、わたしはそんなに魅力的じゃないし、所詮は作り物だし、愛想はないし――もし、拒まれたらどうしよう、って」

 

 言いながらも、彼女の眼から溢れた涙がぽろぽろとこぼれている。

 

 視覚素子の保護液。感情モジュールに仕組まれた、ヒトの模倣。

 だが、相手を想うあまりに心があふれたなら、涙以外の何と呼ぶのか。

 

 コリンはしばし考え――そして、行動に移した。

 

 そっと顔を寄せ、唇からちろりと舌を出す。

 それから、彼女の顔を濡らした涙を丹念になめとっていった。

 

 ちょうど、三年前のあの夜に、彼女が彼にしてくれたように。

 

「……コリン……」

 

 Vectorが少年の名前をそっとささやく。

 

 彼が唇を寄せる前に――

 乙女が少年の唇を奪っていた。

 

 三年前と同じように、唇どうしでなぶりあうような甘いキス。

 

 その間も、コリンは優しく乙女の胸を揉んでいた。

 乙女は喘がなかったが、キスの合間に切なげな吐息を洩らしている。

 

 それを感じ取りながら、少しずつ手の位置を変えていく。

「とても……気持ちいいです。夢の中よりも、ずっと」

 

 少年はささやいた。それを聞いて、乙女が瞳を揺らす。

「夢の……なか?」

 

「――朝起きたらみっともないことになってる理由です……」

 さすがに恥ずかしいので、コリンはか細い声になってしまった。

 

 そんな少年に、乙女が艶やかに微笑んでみせた。

「夢より心地いいなら……もっとさわっていい。何が正しいのか、何があなたのためになるのか、本当は分からない。でも、いまは――あなたにもっともっとさわってもらうのがいいと思う」

 

 心なしか、彼女の頬がかすかに朱に染まっている。

「スプリングフィールドが本当に言いたかったことが、分かった気がする」

 

「……なんです?」

「あなたがわたしを求めるか、じゃないわ。たぶん――わたしがあなたをどれだけ欲しいのか確かめなさい、ってことだと思う。コリンに、いままで見せたこともないところをさわられて……感情パラメータが跳ねたわ」

 

「嬉しかった……?」

 

 少年の言葉に、乙女はかぶりを振ってみせた。

「ううん。渇きに近いかも。もっと、あなたがほしい。もっと、あなたを感じたい。もっと、もっと――あなたと、感じ合いたい」

 

 乙女の手が少年の手から離れる。

 細い指が、今度は少年の肌をさらさらと撫で始めた。

 

「あなたを、ちょうだい。コリン。わたしに、もっと。もっと」

 

 そう言って、乙女は再び唇をねぶった。

 

 遠慮も何もなかった。コリン自身も息が弾むのを感じていた。

 もう片方の手も伸ばし、桃の果実を二つともに揉みしだく。

 

 淡く色づく先端を軽く指ではじくと、乙女が切ない息をついて瞳を揺らした。

 唇が離れた時に、少し息を荒げつつ、コリンは言った。

 

「あの――ぼくもそんなに知ってるわけじゃないですから……あまり上手にできるかわかりませんし、程々で止められるかも分からないですよ?」

 

 心臓の鼓動が鳴り響いて、ちっとも落ち着かない。

 たぶん、このままのめり込めば、とことんまで行くのではないか。

 

 だが、そんな彼に――彼女は金の瞳をすっと細めて、言った。

 

「連れて行ってくれるんでしょう、あなたの行くところへ」

 

 めったに見ることのない、その微笑み。

 それを目にした瞬間、コリンはきゅーんと胸にこみ上げるものを感じた。

 

「……んんッ」

「……んむッ」

 

 少年が唇を奪い、乙女が奪い返す。

 

 ついばみあう間に、互いに手足が絡んでいく。

 褐色の肌と、白皙の肌が、重なり合う。

 

 

 さながら、新雪の地面に二人並んで足跡をつけていくかのような――

 

 お互いに探りながらの睦み合いは、初々しくも、長く、長く続いた。

 

[newpage]

 

 数日後。

 エカテリーナ・バロワは、今度は自分が珍客を迎える羽目になっていた。

 

 屋敷の応接間にいたのは、銀髪金瞳の乙女だった。

 自分を見るなり、礼儀正しくお辞儀をしてみせる。

 

 少女が驚いたのは、彼女の表情だった。

 ハワーズ家で見た時は仮面でもかぶっているかと思ったが――

 

 今日会ってみると、その顔の下に、確かに意思が宿っていると感じた。

 そう、“生きている”のだ。彼女自身の心が。

 

 お互いに腰かけた後、銀髪の乙女は開口一番に言ってのけた。

 

 

「コリンは渡さない。彼は、あたしのもの」

 

 堂々たる所有宣言に、エカテリーナは肩をすくめた。

「随分とまた思い切ったことを言うわね――大事なご主人様? 可愛らしいペット? それとも、愛するオトコ?」

 

「どれでもあって、どれでもない。互いが、互いのもの」

 

 そう言って、乙女は金の瞳を揺らした。

「あなたが言うように、いつまで続けられるか分からない。でも、いまはそれでいい。一番だいじなことが分かっているから、これでいいの」

 

 曖昧な物言いの割に、核心に満ちた声。

 それを聞いて、エカテリーナは概ね事情を察した。

 

「……友人の一人を思い出しましたわ。少し引っ込み思案だったけど、ある日を境に妙に押し出しが力強くなって。訳を聞いたらはぐらかされたけど――その子のことを思い出しちゃいましてよ」

 

 灰色の眼で、人形を射すくめるように見つめる。

 金色の視線はぶつかることなく、するりとかわして逆に見つめ返してきた。

 

 エカテリーナは、声を低めて、訊ねた。

「彼と……寝たんですのね?」

 

「ええ。あなたもそうするつもりだったんでしょう?」

「まあ――否定はしませんわ」

 

 エカテリーナは、指でこつこつとひじ掛けをしばしつつき――

 ややあって、ため息まじりに言った。

 

「いいでしょう。このたびは退いてさしあげます」

 

 穏やかに言ってから、しかし、続けてぴしゃりと言い放った。

「けれど、油断なさらないことよ。どのみち、あの子はハワーズ一族の力が必要になる。あなたへの愛が永遠に続くとは限らないし、わたくしも彼に誘いをかけ続けますもの。ご自分のものだとおっしゃるなら、手放さないように気をつけることね」

 

 エカテリーナはそう言うと、すっと手を差し出してきた。

 Vectorはしばし目をぱちぱちさせ――彼女の手を握り返した。

 

 令嬢が不敵に笑ってみせるのに、乙女は短く答えた。

「心しておくわ」

 

 そう言って、立ち上がり、応接間から去ろうとしたが――

 ふと、乙女は振り返って、訊ねた。

 

「ひとついいかしら。あなたほどなら、他にもいい話があるでしょう? それなのに、なぜあの子にこだわるの?」

 

「決まっているでしょう、選ぶなら最上級の男が一番だもの」

 エカテリーナは、さも当然とばかりに言ってみせた。

 

「いまは坊やかもしれないけれど……わたくし、人を見る眼だけは確かですの。あの子の中には、千人のエヴァン・ハワーズがいるわ。いまは単なるミドルスクールの生徒かもしれない。でも、きっと彼はヒーローになるに決まっているんだから」

 

 その言葉に、乙女は目を丸くしつつも――かすかに笑んで、うなずいた。

 

[newpage]

 

 時は戻って“現在”。

 

 私は、ロザリアと名乗る人物から受け取った“通行証”を手にしていた。

 ハワーズ・カンパニーのオフィスでは、サイン入りの徽章を確認するや、まるでVIPが来たかのような待遇で案内を受けた。通り際に、オフィスの中を確認する。一階は実働部隊も詰めているのだろうが、多彩な顔触れだった。屈強な男に交じって、同じように武装したうら若き女性もいるが、おそらくは戦術人形だろう。

 

 近年、シティの中核部では、かえって人形への風当たりが強いと聞くが、すくなくともこの会社については出自や何かに関係なく、お互いにフラットな空気が支配している。

 

 上手くまとまっている企業特有の雰囲気は心地いいが――

 逆に言えば、彼らをまとめあげているハワーズ氏の手腕おそるべしだ。

 

 エレベーターへ通され、問答無用で最上階へ通される。

 

「本来なら、社長とのアポは応接に通すのですが」

 案内しながら、スタッフが穏やかな声で告げた。

 

「“個人的な客人”としてお迎えしたい、とボスの仰せです。最上階はハワーズ家のプライベートフロアですので、その旨ご留意くださいませ」

「わかりました。ありがとう」

 

 にこやかに答えつつ、私は内心で冷や汗をかいていた。

 ちょっとした探検に来た冒険家が、うっかり竜の巣穴の奥へ踏み込んだ感覚だ。

 

 

 最上階は、しんと静まり返っていた。毛足はさほど長くはないが、なかなかに質のいい絨毯が敷いてある。おそらくは火急の際に足をとられないよう、大立ち回りの可能性を考慮したもの。

 

 そして、待ち構えるかのような両開きの扉は――ぱっと見には木製に見えたが、表面の独特の光沢から正体がすぐに知れた。防弾防爆を目的にした強化材。厳選した樫の木に特殊な樹脂を沁み込ませ、戦車の装甲に匹敵する強度を与えたものだ。

 

 そして、おそらく扉の手前にあるスプリンクラーは、実は単なる消火器ではあるまい。一般のものより大きめの取り付け金具。おそらくは格納式のセントリーガン。闖入者が突破してきても、エレベーターから出た瞬間にハチの巣だ。単なる機関銃ならまだ対処のしようもあるが、警備用品の見本市ではもっと剣呑な武装も展示されていたのを思い出していた。

 

 一見したところでは、品のよいプライベートスペースのエントランス。

 見る者が見れば、はだしで逃げたくなる要塞の城門が構えられている。

 

 

 ごくり、と唾をのみ込みつつ、私はそっと大扉をノックした。

 城構えに怯んで退散するようなら、ルポライター失格だ。

 

 ノックの返事はない。代わりにガチャガチャと開錠の音がした。

 むろん、複数個。それも五個とか六個とか、そんな数だ。

 

 そっと扉を押して、中へと踏み入る。

 

 視界に入った光景は――

 アイボリーにダークブラウンが浮かぶ、モノトーンのオフィス。

 

 その中央に、一人の男性が立っていた。

 明るいリンネルのスーツを身にまとった、褐色黒髪の精悍な男性。

 

 彼がハワーズ氏か、と認識した途端。

 

 たちまち、私の手は背後からひねりあげられた。

 抵抗しようにも巧みに関節をきめられているらしく、それに引っ張られて身体全体が自由にならない。声にならない苦悶をうめいているうちに、たおやかな手が迅速に、だが丹念に身体検査をしていく。

 

 武器など持っていないのに!

 だが、そんな内心の叫びとは裏腹に、検査が済んでも私の腕は決められたまま、解放されなかった。背後から襲撃した何者か――それは、涼やかな女性の声で言った。

 

「武装はないけど、左手がたぶん疑似生体を使った義手。内部に何か仕込める」

 

 一発で看破されて、私は顔をひきつらせた。

 隠し武器用途ではないのだが――誤解されると厄介だ。

 

「どうする? 無理やり腕を開いてもいいし、それとも……」

「フローレンス! ちょっと、フローレンスってば!」

 

 苦笑気味のハワーズ氏の声が、まさに天の助けだった。

 

「拘束を解いてあげて。彼にちゃんと中身をみせてもらいましょう。危ないものなら、君の相棒でハチの巣にして構わないから」

 

 否、全然助けではなかった。

 

 拘束をゆるめられた私だが、代わりに直面したのは背中で鳴る銃の装填音。それにこちらを笑顔で見ているハワーズ氏だ。顔はにこやかだが、目は笑っていない。

 

 おっかないどころではない。オニキスの瞳が深淵に見える。

 

 私は、“義手”を突き出すと、袖をまくりあげて思考スイッチを入れた。

 肌がぱっくりと割れ、人工筋肉の繊維から円筒形のカプセルがせりあがってくる。

 

「ふうん……データ保管用のクリスタルメモリとお見受けしますが?」

 

 ハワーズ氏の問いに、私はうなずいてみせた。

「自宅の端末は危ういし、持ち歩くにしても安心できる場所がいい。肌身離さずというなら自分の体内が確実です――これには、私が調べてきたネタが詰まっている。私の命であり、時として最大の武器です。けれども、いまはこれを貴方に向ける気はないですよ。襲うなら、もっとクレバーか、または乱暴な手段をとるでしょう?」

 

 そう言って、私はにまっと笑ってみせた。

 ハワーズ氏の笑みがすっと消えた。

 

 代わって浮かんだのは、穏やかで端正だが――鋭利な刃物を思わせる顔だった。

 黒曜石のナイフ。あるいは牙を覗かせる猟犬を連想させる。

 

「オーケ―。お客人を正式に歓迎しよう。ロロさんが保証した通りの人物だ」

 

 彼がそういうと、涼やかな声が答えた。

「イエス、マイダーリン」

 

 私の背後から、“彼女”が姿を現す。

 

 さらさらとして長い銀の髪。満月のような金の瞳。

 かっちりした黒のパンツスーツをモデルのように着こなしている。

 

 背中のホルスターにしまっているのは――確か、Vector短機関銃。

 記録写真の風貌とは少し異なる……しかし、だ。

 

 では、彼女が、かつてハワーズ氏が連れ帰ったという戦術人形なのか。

 

「あの。もしかして、グリフィンにいたVectorとは、貴女なんですか?」

 

「――そう。彼女はフローレンス。僕の妻であり、頼もしいパートナー、そして永遠の護衛役です」

 

 銀髪の女性が、ハワーズ氏の隣に立つ。

 彼がごく自然に彼女の手を取って、軽く口づけする。

 

 当のフローレンスはと言えば、まるで不愛想だったが――

 ほんのかすかに、口元をほころばせるのが見てとれた。

 

[newpage]

 

「新型のコアと躯体に、マインドマップを移植――ですか」

 

 Vector、もといフローレンスの風貌が記録と異なる点を訊ねると、ハワーズ氏はあっさりと答えてくれた。

 

「ええ。IOPでも、まだ研究段階の技術らしいんですが。彼女のたっての希望を断り切れなくて――『あなたの仕事上、IOPとコネを作っておいた方がいい。それに、これならあたしの機能限界もずっと先にできる』と言い張られて、降参した次第です」

 

「……不安に思われなかったのですか?」

「多少は。でも、新しい身体で目覚めた時に、そんなものは消し飛びましたね。なにせ目を開くや、こっちをじろりと見て、あのキュートな不愛想顔で『おはよう』ですから」

 

 ハワーズ氏が言った途端、冷ややかな声が割り込んできた。

「不愛想で悪かったわね」

 

 見ると、フローレンス(Vector)がトレイにコーヒーカップを運んできたところだった。

 テーブルに手早く、カップを三つ置く。

 

 案の定、銀髪の奥方は、ハワーズ氏の隣に腰かけた。

 

 座りながら、彼女が夫を肘で軽く突いてみせる。

 彼はと言えば、苦笑しつつもされるがままだ。

 

 仲の良い夫婦と言えるが――旦那が尻に敷かれ気味なパターンらしい。

 

 ハワーズ氏は軽く咳払いすると、言った。

 

「こういう場では一対一が基本ですが、彼女の同席を許可願いたい。あなたをここまで招いたのは、取引がしたいためです。ただ、それはフローレンスも関わることだ。あなたの答えを聞いて、夫婦ともに承諾という条件で成立としたいのですが」

 

 予想外の答えに戸惑いながらも、私は訊き返した。

「条件、ですか……」

 

「ええ。あなたが調べたグリフィン時代の取材ネタです」

 ハワーズ氏はコーヒーを一口味わってから、ゆったりと言った。

 

「それの公開をしばらく待っていただきたい」

 

「しばらく、とは……どのくらいですか?」

「そうですね。私が五十歳の誕生日を迎える頃ならいいでしょう」

 

 彼の言葉を聞いて、私は目を剥いた。

 ハワーズ氏は二十歳を少し超えた程度だ。たっぷり三十年は寝かせる話になる。

 

「……冗談じゃない」

「はい、ジョークで言っていません。色々と危ういから言っています。私が、というよりも、私の友人が。それにあなた自身」

 

「どういうことですか」

 

「――『鉄血事変に手を出すな』は有名な禁句ですが……あれはまったくの過去でなく、いまなお形を変えて現在進行形で続いているのです。具体的に誰が、とは言いませんが――あの件になお関わらざるをえない友人達が多くいます。迂闊に彼らを危険にさらしたくない。僕の願いはその一点に懸かっています」

 

「五十歳の誕生日に期限を設定されたのは?」

「その頃なら、いろいろ片がついて見通しが立っているかも、という希望的観測です。ただし、もうひとつの狙いもあるもので――これは、あなたへの交換条件とも密接に関わってくることです」

 

「……私への見返り、ですか」

 

 繰り返して確認してみせると、ハワーズ氏は隣の奥方に顔を向けた。

 フローレンス(Vector)は銀の髪を揺らして、そっとうなずいてみせる。

 

 それを確認して、彼は口を開いた。

「あなたに、ハワーズ・カンパニーの公式ルポライターになってもらいたい」

 

「……は?」

 思ってもいない提案に、私が間の抜けた返事をすると――

 

 フローレンス(Vector)がぶっきらぼうな声で夫をたしなめた。

「ほら、ご覧なさい。いきなりすぎるのよ」

 

「……ほかに言いようがないじゃないか」

「そんなに言うのが恥ずかしい? ヒーロー扱いは嫌だって」

 

 奥方の言葉に、私は目をぱちくりとさせた。

「どういうことです?」

 

 その質問に答えたのは、フローレンス(Vector)の方だった。

「彼はね、イーストリムの英雄扱いされるのは勘弁なのよ。巷では武勇伝に尾ひれがついて広がっているけど、面白おかしい方向へ転がっていくのをなんとかしたいみたい。自分が頑張れているのは、スタッフの支えあってのこと。それにイーストリムの住民が協力してくれるからだ、って――才能のある人にきちんと伝えてほしいの」

 

「ええと……言われてしまいましたが、そういうことです。ひとまず、このハワーズの過去ではなく、“いま”を伝えてほしい。スタッフの実像でもいい。僕達夫婦の素顔でもかまいません。同じ人間が、ただ頑張っているだけだと伝えていただきたい」

 

[newpage]

 

 ハワーズ氏の言葉は、単なる謙遜だけには聞こえなかった。

 

 私は眉をひそめて、訊ねてみた。

「なにか……お考えがあるようですね。何を危惧されているのですか?」

 

「そうですね――」

 彼は、束の間考えると、こう言った。

 

「――ルネサンス期のイタリア半島に、ある傭兵隊長がいたそうです。彼は獅子奮迅の働きをして、ひとつの都市を外敵から守り抜いた。その功績はあまりにも巨大で、金庫を空にしても、街の主権を与えても、到底釣り合わないほど。さて、“支払い”に窮した市民たちはどうしたと思います?」

 

 いきなり出された歴史のクイズに、私は困惑した。

 とはいえ、おおむねの予想はつく。

 

「その傭兵隊長にとっては、あまりよくない運命が待っていそうですが」

 

「ええ。市民たちの結論は『そうだ、彼を聖人にまつりあげよう』だったそうです」

 ハワーズ氏の声が、不吉の色を帯びた。

 

「聖人は死んでから列されるもの。さっそく、市民たちはくだんの傭兵隊長を殺してさしあげて、それは立派な石像を立てて讃えたそうですよ」

 

 ジョーク、というには、いささか不気味すぎる逸話だった。

 

「……あなたの狙いが、少しわかった気がします」

 

「そう、僕は穏便な形で後進に志と事業を継いでもらいたい。だから、過剰な英雄視は御免こうむるのです。一人で渦中に放り込まれるならともかく、妻や子供やスタッフまで巻き込まれたくない。イーストリムの住民に、皆さんを守っているのは平凡な人物だと分かってもらいたい――そして、五十歳の誕生日に、総括する半生伝でも出してもらって、それまでの生き方の裁定をしてもらう……そんなところです」

 

 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

 目の前に新たな城門が見えるような気がする。

 だが――踏み込まねば、ルポライターとしてやはり失格だ。

 

「ひとつお聞きします。いま、であれば、タブーはなしですか?」

 

「公序良俗に反しなければ」

 彼の言葉に、隣の奥方もうなずいてみせる。

 

 私は――しばし考えた後、言った。

「わかりました。取引に応じましょう……長い付き合いになれるよう、頑張ります」

 

「ええ。お互い、無事に生き残れるように」

 

 ハワーズ氏が手を差し出してくる。

 握手に応じると、がっしりと力のこもった挨拶をされた。

 

 続いて、隣の奥方――フローレンス(Vector)も手を差し出した。

 彼女と握手してみると、思いのほか強い力に驚かされた。戦術人形だから、当たり前なのだが――そ

れだけでなく念押しの意味もあったように感じた。

 

「夫をよろしくお願いするわ。よい縁になるように」

 

 かつてVectorと呼ばれていた女性は、一見、不愛想な顔に見える。

 だが――その金の瞳は、澄んだ光に満ちていて、とても穏やかだった。

 

[newpage]

 

「――取材の段取りなのですが、最初はつかみが大事だと思うんです」

 

「ふむ、なるほど。一理あります」

「どうしてこっちを見るの……?」

 

「それで、伝説を打破するという目的なら、まずは――」

 

「あ、なんかわかった気がするぞ」

「ちょっと待って。何を聞くつもり?」

 

「いやいや、イーストリム襲撃時の、奥様の活躍ぶりをですね……」

 

「……まあ、彼女一人でカチこんだわけではないしなあ。当時のスタッフ達の迅速な働きと、不審者を前もって通報してくれた住民の協力は伝えるべきではある、か」

「いえ、あの――銃撃戦を繰り広げたのは確かだけど」

 

「スーパーヒロインを、もっと実像に近づけて伝えたいんですよ。それにこれなら、奥様から広げて、ハワーズ・カンパニー全体へ話を広げられますし」

 

「……というわけだから、頼むよ。フローレンス」

「わかったわよ――だから、そんなキラキラした目で見ないで。あなたって本当に出会った時から愛敬を武器にするんだから」

 

「そんなことはないよ。それを言ったら君の方だって――」

 

「なによ」

「なにさ」

 

「ははは、仲がよろしいことで……」

 

 かくして、コリン・ハワーズの足跡を辿る旅は意外な落着をみた。

 

 

 この夫婦とは、それは長く、波乱万丈の付き合いになるのだが――

 

 それを振り返るであろう回顧録の出版は、まだまだ先の話しである。

 

 

〔Ep.Ex2――「ヒトとオトメの事情」 End〕

 

〔New Next Series is……about “SAT8”?〕




ここまでお読みくださりありがとうございます!
今回で番外編含め、本シリーズは完結となります。

ルポライターや「少女前線2」時代の話は蛇足かなとも思ったんですが、

おねショタをおねショタのままにしておかず、
少年が大きくなった後の関係性はどうなったの? とか
コリンがエヴァンの志をどう受け継いだのか? は
どうしても書いておかないとアカン気がしましたので、敢えて書きました。

本編で明らかに「グリフィン時代のコリン」を振り返っているシーンとか
ありましたしね。次回はもうちょっと構成を考えた方がよさそうです。

-------

さて、次回シリーズは、
「特異点」前の割と平和(?)な時代に戻って、
別の基地を舞台に書きたいなと思っています。

メインヒロインはSAT8さん。
平凡なおじさん指揮官がお嬢さん達に振り回されて苦労する、
人形達が幅を利かす感じで毛色を変えてコミカルチックを目指したいです。

シリーズタイトルは「拾いグセのサトハチさん」。


二週間ほどインターバル頂くかもしれませんが、どうぞご期待くださいませ!
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