まったく悪気のないように見える彼女だが、
そんな振る舞いに同僚の戦術人形から不満が噴きあがって……?
困った少年に指南役のロロが与えたアドバイスとは?
そして、過去の作戦報告からコリンが見つけた、Vectorの真の強さとは?
第三話前編です!
【作者から】
第三話、今回はVectorさんにスポットが当たります。
クールで表情が読めなくてまるで愛想がない彼女。
本当に何を考えているんでしょうね。コリン君大弱りです。
スチールと強化プラスチックで作られた訓練場は、いかにも殺風景だった。
壁や床に残ったいくつもの弾痕を、天井の照明が煌々と照らしている。
その真ん中に立つ彼女を――あたしは制御スぺースから見つめた。
白金の髪が灯りを受けて光っている。
このところの髪の手入れがおざなりになっていない証だ。
黒の帽子に白のパーカーの彼女は、妙な仕草をしていた――愛用の散弾銃を左手に提げて、右手はおなかをだきすくめるようにして左の腰へと当てられている。目は閉じて、アームから展開するシールドはサスペンドモードのまま、だらりと下がっていた。
訓練前にメディテーションか何か?
怪訝に思いつつも、画面に目を移すと、あたし自身の金の瞳がうっすら映る。
いつものように不愛想で、そっけない自分の眼差し。
それを確認してなぜか安心すると、あたしは彼女に声をかけた。
「じゃあ、始めるわ――本当にこのコースでいいのね、AA-12?」
「ああ……テンカウントで始めていいよ、Vector」
相変わらず目は閉じて、おなかと腰に手を当てたまま、彼女が言った。
あたしは、ぱちくりと瞬きひとつだけして――演習の開始ボタンを押した。
アナウンスの合成音声が、テンカウントを始める。
カウントが開始しても、AA-12は奇妙なポーズをやめなかった。
だが、カウントが『スリー』を数えた途端、
「――よしッ」
静かだが、よく透る声。ターコイズの瞳が凛と煌めく。
ポーズを解くと、たちまち散弾銃を両手で構え、シールドを展開した。
ブザー音が鳴り、演習場の壁が開くと標的ドローンが次々に吐き出される。演習難度は特一級。ドローンは自律判断で動きつつも連携して攻撃をしかけてくるのに対し、戦術人形はいっさいのダメージ判定なしでクリアせねばならない。
メモリから、以前の彼女の様子を思い出す――前任の指揮官が殉職した直後の彼女は、演習本番どころではなかった。ブザーと共にうずくまってしまい、ドローンの仕掛けてくる攻撃にされるがままでしかなかった。
だけど、いまの彼女はまるで別人のように見える。
自身は動き回ることなく、攻撃は巧みに操作するシールドでことごとく防いでいる。散弾銃は射程に入ったドローンを的確に捉えて撃破していった。一撃めは転倒させるため、二撃めが息の根を止めるため。
撃っている間に隙をつこうと別のドローンが側面や背後へ回ろうとするが、彼女はとうに“敵”の動きを読んでいた。足さばきは最小限に、くると躯体を巡らすのに先行して、シールドを展開させていく。ドローンの不意打ちをなんなく凌ぐと、すかさず銃でしとめ、そのまま円舞のように次の標的、また次の標的と狙いをつけていく。射撃の間のわずかなインターバルで行うマガジン交換の動きも素早く、いっさいの無駄がない。
小さな爆発のような発砲音が炸裂していた時間は、ごくごく短時間だった。
演習終了のブザーが、鳴る。
画面に示されたスコアを見て――あたしは思わず感嘆のため息をついた。
「おめでとう――ハイスコア更新よ」
「だいぶイイ感じに体が動いたんだけど、やっぱりか」
演習スペースから戻ってきたAA-12が、歯を見せてきししと笑う。
「ほら、約束だぞ。スコア更新なら、払えるものは払ってもらわないと」
彼女がわきわきとうごめかす手に、わたしはどさっと紙の包みを置いてやった。包みにはキュートな天使のイラストと、ポップなロゴが印刷されている――街では結構有名どころのお菓子店のパッケージだ。
「ひょーお、“ドリーム・オブ・レミエル”の高級キャンディ! いやあ、この半年、ご無沙汰だったからありがたいや。天然果汁を使用した飴玉なんて貴重だからなあ!」
「お気に召したようでなにより――もうすっかり本調子みたいね」
「んふふふ、まあいろいろ自分なりにコツをつかんでさ」
「それって、スタート前のあの妙なポーズのこと?」
自然と訊いたつもりだが、アクセントが少しついてしまったかもしれない。
AA-12がくわっと目を剥いて見つめてくる。睫毛が長くて、目の下に隈があるだけに、ターコイズ色の眼ヂカラはこういう時に半端ない凄みを見せるのだ。
「妙とは失敬だな! 知的にルーティーンだぞ、ルーティーン!」
「ルーティーンって、人間のアスリートがよくやるやつ?」
訊き返す自分の声に、微妙に疑わしげな色がにじんでしまう。
「戦術人形は自分で感情パラメータは抑えられるでしょう……なに、また深夜ラジオで変な知識仕入れてきたわけ?」
「変なとか言うなよ……あのコーナー、本当にお役立ち情報満載だぞ」
「察するに、あの胴に巻き付けるポーズがそれかしら」
「そうそう、おなかと腰の触覚センサを意識しながら、あの時のメモリを呼び起こすとさ――感情パラメータが落ち着くっていうか、思考パルスが強くなって自分をしっかり持てるっていうか」
「……あの時の、メモリ?」
さりげなく訊ねると、彼女は「しまった」とばかりにぽかんと口を開けた。
「あ――いや、まあ、あの時のキャンディ美味しかったな、とかそういう系の……」
「その“キャンディ”って“コリン・ハワーズ”って名前がついていない?」
「な! なななな、なんでわかった!?」
途端に頬を染めて慌てるAA-12に、あたしは軽く肩をすくめた。
「なんでもなにも。身体のそのあたりって、先の茶番劇で廃墟から脱出するときに少年が抱き着いていた箇所でしょう。そっか、仔犬くんの身体の感触をメモリ再生して味わっていた、と」
図星だったのか、AA-12は目を白黒させていたが――
懐からいつものようにロリポップを取り出し、口に咥えながら言った。
「……Vectorも触ってみれば分かるよ。華奢で柔らかいくせに、芯の骨はしっかりしていてさ。あんな男の子と直に身体を密着したら、庇護欲が自分の中にこうめらめらと――」
「自然人の子供は守るべし、っていう倫理コードの発動よ。まあ、ポジティブに使っているうちはいいけど、勘違いして手を出しちゃダメだから」
「あああ、だから試してみれば、コードとかじゃないって分かるって!」
益体もない、“天使に関する噂”を二人でしていた、その時だった。
トレーニングルームの扉がスッと開いた。
「――ああ、ちょうど訓練終わったんですね。どうでしたか?」
褐色黒髪、点のような眉が印象的な、愛らしい少年が入ってくる。
くだんの“天使”、もとい、指揮官代行のコリンだ。
「よかったらぼくにも演習の結果を――」
言いながら、少年がモニタの近くへ小走りに寄ってくる。
彼が“射程範囲”に入るや――あたしはおもむろに手を伸ばした。
そのまま、少年を問答無用で抱きしめてみる。
「――わ、わわ! あ、あの、Vectorさん!?」
不意のことにコリンがうわずった声を出すのに、
「じっとしていて……確かめたいことがあるから」
あたしは声に軽く凄みを利かせて黙らせる。
そのまま、いろいろ抱きしめ方を変えたり、彼の身体の構造を確かめるように何度もまさぐってみたり――かれこれ三分間は吟味して、あたしはAA-12に言った。
「……別にメンタル安定に繋がるものは感知できないけど?」
言われた彼女は、あたしを見ていない。
彼女が見ていたのは、力を抜いたあたしの腕から「きゅううう」とうめきながら、顔を真っ赤にして床に崩れる少年だった。
ものすごく、気の毒そうな顔で見やっている。
「まあ、うん……とりあえず、Vector? コリンの坊やに謝っておくんだぞ――君、わたしを戒めておいて、当の自分は反則技もいいところじゃないか」
「どうして? 人形の性能向上には、指揮官は協力すべきでしょう」
ごくごく当たり前のことを言っただけだったのだが。
彼女はターコイズの瞳に、呆れと憂慮を浮かべて言った。
「いや、それはそうだけど。この場合はそうじゃない」
AA-12が床に倒れ込んだ少年を再度見つめる。
あたしも、彼に目をやった。
褐色の肌でも分かるぐらいに真っ赤に頬を染めている彼が――
なにやらトリップしているように見えたのは、なぜだろうか?
あたしには、皆目見当がつかなかった。
グリフィンB122基地の指揮官室の調度品は少し変わっている。
指揮官卓の機材は通例なら机のスペースを広々と使って各種モニタやコンソールを並べているのだが、ここに限っては潜水艦の操舵室のように中央に固められている。収まりきらないモニタのたぐいについては、アームを使って適宜入れ替えが可能になっていた。
そして、それ以上に目を引くのは、椅子だろう。
民間軍事会社の指揮官といえば、いわゆるマネージャー職であり、普通の会社なら部長とかそういうレベルだ。しかも、業務の特性上、時として数日間ぶっ通しで座り続けることも考慮されている。このため、グリフィンの指揮官椅子と言えば、疲れがたまらず、かつ、リクライニングさせて仮眠を取れるほどの高級仕様。当然、ゆったりとした作りでなかなかに大きい。
だが、B122の指揮官チェアは実に小ぢんまりしており、座面はかなり高く設定されている。通常は付いていないフットレストがしっかり付属しているのが目につく。そして何より特筆すべきは、椅子のすぐそばの踏み台だろう――そう、いまこの席についている“彼”にとってはこれぐらいの用意がないと、椅子にまで上がるのもままならないのだ。
B122基地、指揮代行コリン・ハワーズ。
御年十歳の男の子である。
その少年はいま、頬を赤らめたままデスクにつっぷしていた。顔の下には冷感素材のクッション。おでこには冷却シート。褐色の肌でありながら、上気している様が明らかであった。さらさらした黒髪のあたまには氷嚢がのせられていたが、氷はすでにかなり溶けており、なお冷めやらぬ熱がほんのり湯気となって立ち昇っているように見える。
「むー……」
うなり声をあげるコリンに、かたわらの乙女が気遣わしげに言った。
「だいじょうぶですか? だいぶ冷えていると思うのですけれど」
「のど……かわきました」
「お水――じゃ、ちょっと味気ないですね」
栗色の髪に鶯色の瞳の乙女は莞爾と笑むと、ぱたぱたと給湯室へ向かった。
「待っててください。いいもの、作ってあげますから」
給湯室へ引っ込んだ乙女が、軽やかに歌う声が少年の耳に入ってくる。
どうも作る物のレシピを歌の形で覚えているらしい。
「――はい、どうぞ。サイダーで作ったフルーツパンチです」
少年のそばに、グラスがことんと置かれる。
彼が目を向けると、透明なグラスの中で色とりどりのフルーツがサイダーの中を浮き沈みしていた。炭酸がぱちぱちはじけるたびに、ふわと爽やかな香りと涼気が少年の鼻をくすぐってくる。
コリンは、目をぱちぱちと瞬かせると、のそりと身を起こした。
グラスに手を伸ばすと、すかさず乙女がストローを差して口元へ添えてくる。
少年は燃料切れ寸前の戦闘機がドローグにすがるかのように、ストローを咥えた。
グラスの炭酸が一気に四分の一無くなり、彼は「ぷはあ」と息をついた。
「……ありがとう、だいぶマシになりました、スプリングフィールドさん」
少年の言葉に、副官を務める乙女は安堵したような息をついたが、
「まったくもう、びっくりしましたよ。熱を出して倒れたなんて言うから、なにか病気にかかったのか、さもなければ疲れがたたってダウンしたかと思ったら――まさか女の子に身体をさわられた程度で茹で上がってしまうなんて……」
「あッ! お姉さんまでそんなこと言うんですかッ!」
少年は眉を寄せて猛然と叫んだ――が、なめらかなボーイソプラノに、持ち前の愛らしい顔が合わさっては、仔犬が機嫌を損ねてしまって「キャン」と鳴いたようにしか見えない。
「ぼくだって年頃の男の子なんです! それなのに、あんな急に抱きついてわき腹とかお腹とか腰とか、細い指でいろいろさわられると、なんというか、その――」
言っているうちに息があがってきた少年は、ストローを再び咥えた。
またフルーツパンチが四分の一、ぐいっとグラスでの水位を下げた。
そろそろカットフルーツが混雑の様相を呈している。
「――その、ぼくだって、なんだか変な気分になっちゃいますよッ」
言いながら、コリンは熱い息を吐き、もじもじと身体をうごめかした。
その様子を見て、スプリングフィールドが数度瞬きして――真剣な顔で訊いた。
「あの……コリン? スクールの授業で、どうやって人間が子供を作るか――」
「習ってます! 知ってます! ほわっとですけど、ちょっとは知ってます!」
少年は怒っているのか泣き出したいのかわからない顔になっていた。
「でも、そういう“えっち”なのは――あの、まだ早いと思います!」
「ええと、Vectorは別にそういう気がなかったと思いますけれど……」
「なおさら悪いですよ! 大変になった理由が本当にわかってないんですから!」
「抱きつかれる前に逃げるという手も――」
「あの人、行動の予兆がぜんっぜんないんですよ。表情なし構えなしでいきなりつついてきたりさわってきたり、いろいろやらかすんですからッ!」
コリンは愛らしいままに声をうわずらせると、やおらストローを引き抜き、そのまま直にグラスに口をつけた。両手で持ってグラスを傾け、ごくごくと喉を鳴らす。ほどなく、サイダーがすっかり空になったグラスを、叩きつけるように置き、わめくような声をあげた。
「もぉ! なんでVectorさんは毎回毎回こうなんですかぁ!」
少年が髪の毛をわしわしかきむしる様を見て、スプリングフィールドはひそかに心配になった――サイダーの代わりにスパークリングワインを使ってはいないわよね、と。
「……えっと、コリン? とりあえずですね」
副官の乙女はなんとか彼をなだめようと、そっとスプーンを差し出した。
「フルーツさん達、残すともったいないから食べましょう、ね?」
「……いただきます」
少年はスプーンを受け取ると、グラスからフルーツをすくって食べ始めた。
憤然と咀嚼する彼を見て、スプリングフィールドは内心で肩をすくめた。コリンはコリンなりにこらえてきたのが、たまたま「抱きつき事件」で堪忍袋の緒が切れたというところなのだろう。
実のところ、Vectorについては――
なかなか頭の痛い問題があがってきていたのだ。
話は、昨夜の指揮官室までさかのぼる。
「実戦でのVectorの行動は問題だと思うよ」
「そうだ、指揮官の指示に従うのが、あたしらってもんだろ?」
共に赤ベレーをかぶった二人の戦術人形が、それぞれに不平を鳴らす。片方は華奢な躯体をスタイリッシュな軍装で包み、妙に目が煌めいた少女。片方は肩や太ももがむき出しのワイルドな軍装で、しっかりした体つきの乙女。
アサルトライフルのOTs-12、通称“ティス”と、AK-47である。
いずれも最近になってようやく固まった要撃部隊のメンバーであり、実際、この日の朝も、〔鉄血〕の浸透部隊に対する掃討任務へ行ってきたばかりなのだ。
そして帰投するなり、二人とも目を吊り上げて「至急、指揮官に意見具申したいことがあります」と言ってきたのである。
指揮官室の応接スペースに並ぶ、目を三角にした赤ベレーの乙女二人。
それに相対して、コリンは腰かけていた。
年上に見える女性が二人がかりでこちらを睨んでくるとあっては、お子様にとっては色々な意味で居心地が悪い。つい身体がもじもじと動いて目が泳ぎそうになるが――そんな少年を落ち着かせるかのように、肩にしなやかな手がそっと置かれた。
少年のソファの背後にスプリングフィールドが立っているのだ。少年に安堵感を与えているだけではない。あくまでも柔和な顔のまま、しかし鶯色の瞳に宿った光は強く、二人の直訴者を見つめている――指揮官が子供だと侮って、二人が行き過ぎた発言に出れば「どうなるかおわかりですよね?」と言わんばかりの視線。
さすがに赤ベレーの二人が気まずそうに咳払いし、表情を改める。
場の剣呑な雰囲気がやわらぎ――ようやくコリンは口を開くことができた。
「ええと――具体的に、どのあたりが問題だと思いますか?」
少年の質問に、赤ベレーの乙女たちは互いに顔を見合わせ、ため息をついた。
「いや……コリン指揮官も見てたはずだろ。あいつがちょくちょく命令無視して、勝手に先行したり、思い切って突っ込んだりとかさ」
「攻めに転じるための行動ですし、実際に敵の射線を攪乱できたりしていますから、『終わりよければすべて良し』かもしれないですよ? でも、自分なりに戦術のアイデアがあるとしたら、まず指揮官に許可を得るべきじゃないでしょうか」
AK-47の言葉を引き取って、ティスが正論で詰めてくる。
やけに煌めいた眼差しに正面から見つめられ――
少年が思わず顔をうつむけた矢先、肩に乗せられた手に軽く力が込められた。
逃げてはいけません――スプリングフィールドが無言のうちに伝えてくる。
コリンはひとつ呼吸を置くと、言った。
「Vectorさんの行動は、たしかに不審に思っていました。結果的に上手くいっているけど、もしかしたら彼女なりに無理をしているんじゃないかと」
少年の言葉に、またしてもダブルでため息がつかれた。
「これはまた……コリンくんも随分育ちがいいんですね」
「あのさ、コリン坊や――あんた、あの子に舐められてるんだよ」
赤ベレーの乙女たちが揃って、ダメ出しである。
「えっ、いや、たしかにVectorさんって遠慮がないですけど――」
「――いやー、ネタはあがっているんですよねえ」
ティスが神妙な顔で言うと、懐から取り出した携帯端末をいじる。
すぐにコリンの手元で端末のデータ着信音が鳴った。
送られてきたのは、何かの画像ファイル。
それを見て――少年はたちまち顔を真っ赤にした。
「な、これ! いつのまに、こんなの!?」
慌てふためく様子のコリンに眉をひそめて背後のスプリングフィールドが端末を覗き込む。副官はくだんの画像を目にして思わず「あらまあ」と声をあげた。
画像は、コリンとVectorのツーショットだった。
むろん、アツアツでもラブラブでもない。Vectorにいじられて、コリンが一方的に顔を赤くしてるか泣くのをこらえているか、とにかくもう少年の表情が忙しい。対照的に銀髪金瞳の乙女は涼しい顔で――というよりも無感動な表情で、そっけないにもほどがある。ただ、どの画像でも黒髪褐色の少年に、ちらとではあるが視線を送っているのは、いろいろと解釈の余地があるかもしれない。
「これはVectorがコリンくんを軽んじている、れっきとした証拠だと思います。言ってはなんですけれども、
「あいつ、コリン坊やの着任式でちょっとカッコつけただろ? あれで調子に乗ってるんだよ。坊やだって、あの時の恩があるから、あいつに強く出れないんじゃないか? 違うのか?」
赤ベレーの乙女達が身を乗り出しながら、ぐいぐい迫ってくる。
コリンがまったく返事をしないので、スプリングフィールドはひょいと横から覗いてみた――はたして、少年は口元をあわあわと震わせていた。手元の画像と前から詰めてくる乙女二人を代わるがわる見ては、いまにも頭から湯気でも吹きそうになっている。
副官は鶯色の瞳を若干曇らせると、姿勢を正してポンポンと手を叩いた。
「はい、二人ともそこまでです。コリン指揮官は今朝の作戦指揮からずっとあれやこれやでお疲れです。頂いた意見はちゃんと受け取って、近日中にコリン指揮官から正式に回答いたしますから、今夜はもうお引き取りくださいまし」
なごやかで柔らかい口調ながら、声の芯には絶対に曲げられない鋼の質感。
赤ベレーの乙女達は顔を見合わせて肩をすくめた。
それぞれに敬礼をしてみせると、「失礼しまーす」と挨拶して部屋を出て言った。扉が閉まる前になにやら不平めいた会話が聞こえたが、単なる不注意でもあるまい。
スプリングフィールドは束の間、胸元に手を当てていた――が、すぐにハングアップ状態の少年を揺すった。
「ほら、コリン、しっかりしてください――コリン!」
声をかけても反応がないので、やむなく少年の頬をぺちぺちとはたく。
たっぷり十秒は軽いスパンキング連打の音が響いた後、
「ふわあ! あ、あれ――ふ、ふたりは?」
「もう帰しましたよ」
ため息をついて答えると、副官を務める乙女はコリンの隣まで行って腰かけた。
少年の顔を両の手で挟んで、自分に向けさせて言う。
「いいですか、コリン。仮にも指揮官ともある者が、人形相手に臆してはいけません。どんなものを突きつけられても、何を言われても、です。戦術人形は自分たちの使命が人間を守ることだと認識していて、指揮官は人間達の代表として捉えています――そして、思考回路のどこかでは『こんな思いをしてまで守るべき者か』という疑問をどこかに抱えているものなのです……」
スプリングフィールドの声は、どこか痛みが滲んでいるように聞こえた。
「……人形に試されるのは仕方ありません。だからこそ、毅然と振舞わなくては。だって、あなたはコリン・ハワーズ。エヴァンの甥なんですよ。しっかりしないと、彼が残してくれたものが――」
そこまで言って、スプリングフィールドはハッと我に返った。
いつのまにか、コリンの顔は平静に戻っていた。
深い闇夜のようなオニキスの瞳が、じっと彼女を見つめられている。
顔を乙女の手に挟まれながら、少年は言った。
「あの二人の言い分はわかりました。ただ、ぼくにはVectorさんが調子に乗っているとは思えないんです。彼女の態度は会った時から全然ブレないし――」
「――作戦指示を意図的に無視していてもですか?」
「それは……たしかにそうなんですけど、でも……」
コリンがスプリングフィールドの手を取り、自分の頬をから外す。
副官を務める乙女の両手をそっと握りながら、少年は言った。
「……もうちょっと、考える時間をください。なにか、わかりそうなんです」
真摯な顔と声で、コリンがそう言う。
スプリングフィールドは困ったような笑みを見せると、しかし、うなずいた。
「わかりました……意見がほしい時は、いつでも言ってくださいね」
乙女はそう答えながらも、自分の胸元にそっと手を当てた。
上着とブラウスの奥に隠された“それ”の感触を確かめつつ、思った。
あの人とこの子はたしかに血縁なのだ、と――
自身の中に確信がある時の目の光が、こんなにもそっくりなのだから。
しかし、とはいえ、である。
この翌日に「抱きつきまさぐり事件」が発生したのだが。
「マキアヴェッリは読んだことがあるかい? 若きパダワンよ」
事の経緯をコリンから聞かされた指南役――ロロの返事がそれであった。
およそ現状と関係なさそうな話題に少年は一瞬あきれ……しかし、ハッと気づいて自分の意識を引き締めた。お隣の基地の女性指揮官は、けれん味を利かせたような言葉でも、しっかり導火線につないであるような性格なのだ。
ここ最近の相談で、彼女は相当の食わせ者だと、少年は実感していた。
それでいて実のないことは決して言わないのが、また一筋縄ではいかないのだ。
コリンは慎重に言葉を選んで、答えた。
「ヨーロッパの思想家ですよね。『目的のためには手段を選ばない』とか、そういう策略的な考えじゃなかったでしたっけ……どちらかといえば、ジェダイというよりも、シスの暗黒卿が好みそうな内容だと思うんですけど」
「ンンンッフ、己の闇に向かい合わねば暗黒面に囚われるぞ、と沼地だらけの星でおじいちゃんが言ったじゃないか。まあ、あのリトルグリーンが良き教師かというのは、私は疑念を持っている派なので、ちょくちょくあれのファンとは口論になるんだけどね――まあ、それはさておき」
ロロが制御卓で指を踊らせる。慣れた手つきで図書ライブラリにアクセスすると、コリンが見つめるモニタに、くだんのマキアヴェッリの著書リストが並ぶ。
「ニッコロ・マキアヴェッリ。ルネサンス期イタリアの、まあ隠遁外交官だ。もろもろあって公職追放されて都市国家の役人をやれなくなって、田舎に引っ込んで政治とはこうあるべしと自身の経験に基づいて書き上げた著作だよ。書いた本を元にしてどこかに仕官を考えていたみたいだが、いわゆる“不遇なキレ者”。言われるほど悪人じゃない。あくどいことも書いていないよ――お勧めは『君主論』だなあ」
著作リストのひとつがハイライト表示され、ズームアップする。
表紙の画像に、ゴツゴツしたな書体で『Il Principe』と記されていた。
「リーダーはこうあるべきだ、という内容でね。身も蓋も底もないことが並んでいるんだが、不思議と説得力がある。そうだな……ハイスクールぐらいになったら読んでみるといい。リーダーになるにせよ、支えるにせよ、従うにせよ――いずれにしても役立つことを保証するヨ」
そこまで言って、ロロはにやりと笑んでみせた。
「ちなみに私は十二歳になる前にこれを読み終えた。いやあ、時事問題とか政治情勢とかのニュースと合わせて読むと、もう爆笑ものでサ」
年齢の割には、えらく趣味の悪い読書法をやっていたものである。
まだいとけなさの残るだろう少女が、お堅いニュース番組を見つつ、手元にマキアヴェッリの本を開き、紫の眼をぎょろぎょろ動かしながら、時折ケタケタ笑う情景。
どこからどう見ても、ホラー映画のワンシーンだ。
コリンは、内心で顔をしかめつつも、訊ねた。
「あの、それと今回の件とどう関係があるんですか?」
「ンン、『君主論』の中に次のような一文がある――曰く、リーダーにとって愛されるのと恐れられるのと、いずれが望ましいであろうか、と……きみはどう思う?」
「それは……できれば両方じゃないですか。優しくもあり厳しくもあり――」
「どちらか一方を選ぶしかないとしたら?」
「それは――愛されるリーダーだと思いますけど」
答えてみてから、コリンはじとりと画面の向こうのロロを見つめた。
「でも、師匠の回答は違う気がします」
「ンンンッフ、その答え方は実にズルっ子だが……まあ、うん、その通りだ。少なくともマキアヴェッリさんは『恐れられる方がよい』と書き記している。人は恐れている相手よりも、愛している相手の方を容易に傷つけてしまう、だとさ」
そう言うと、ロロは椅子にもたれかかった。
どこかしみじみと噛みしめるように、コリンに語ってみせる。
「まあ、『間に垣根があってこそ、友情は生き生きと保たれる』というだろう。親密に思う仲ほど、時として相手への尊敬や礼節を忘れてしまう。“
「……グリフィンの指揮官は、人形に厳しくあるべきということですか」
「ウーン、実はそれがそもそも無理ってものでさ」
ロロはそれまで展開してきた筋立てを、がしゃんとひっくり返してみせた。
「前にも言わなかったっけ? 戦術人形は指揮官への信頼と好意によって、自身の思考パルスを増幅させる。恐れられながら信頼を勝ち取ることの難しさは、くだんのマキアヴェッリ先生もお墨つきでね。結局、グリフィンの指揮官としては、〔愛されるリーダー〕を自然と目指すことになる……ということは、つまり――」
ずいとロロが身を乗り出してくる。紫の瞳が愉快そうに煌めいていた。
「――いま、きみが対面している問題は、実はグリフィン指揮官がまずぶつかる壁なんだよ。戦術人形が妙に馴れなれしいだの、お互いに嫉妬しあうだの。指揮官向けの愛想と、人形同士でやりとりするときの妙な緊張感と、彼女達はそれぞれ違う顔を持つからね」
みずからを師匠と呼ばせる女性指揮官は、軽く拍手してみせた。
「おめでとう、コリン・ハワーズ。そういう事態になる程度には、君も指揮官として認められてきた証拠だ。ランクアップを喜びなさい」
「……師匠の顔を見ていると、あまり褒められている気がしません」
少年は頬をふくらませてつぶやくと、訊ねてみた。
「あの……つまり、Vectorさんはぼくに“
「――と考えるのは、凡百の指揮官だぞ。若きパダワン」
にやつく笑みを顔にはりつかせながら、ロロが言った。
「自分で言っていたじゃないか、彼女は会った時からブレないって。思い返してごらんよ」
問われて、コリンは自分の記憶をさらってみた。
淡々として、それでいて予告なしにいじってくる言動。
こちらの言うことを聞かずに、気ままに動くような戦術行動。
まるで猫だ――そう思った途端、少年の中で何か腑に落ちた感覚があった。
彼女がもし猫にたとえるのなら、出会った当初から何も変わっていないのだ。
だとすると、好意を持つあまりに、自分を軽んじているのは――
「――師匠は、直訴してきた二人の戦術人形の方を問題にしてるんですか?」
「フフン、証拠ならあるよ。ご丁寧に当人たちが持って来たじゃないか」
ロロがくだんの画像データをモニタ上に並べてみせる。
「ここに映っているきみ達は撮影者を気にしていない。つまりは、隠し撮り。それに妙なアングルからの画が多いだろう。たぶん監視カメラを違法ハックしているんじゃないかなあ。明確な服務規程違反、さあ何が彼女達をそこまで駆り立てたか……?」
そこまで言って、ロロが急に猫なで声で言った。
「“だってェ~、コリンくんカワイイんだもの。もっともっと知りた~いン”」
強烈なボイスと、それが意味するところ。
二重の意味でコリンは頭から冷水をかけられた気分になった。
「えッッ、それじゃ隠し撮りって、この写真だけじゃなくて――」
「あくまでおまけだね。本来は愛らしい少年指揮官のあんなやこんなを撮影して、裏取引しているんだろう。シャワーとか寝顔とかは末端価格で高値がついていることをお約束するよ」
「な、ななななな……」
たちまち顔を真っ赤にするコリンに、ロロは肩をすくめてみせた。
「ま、そのへんの風紀問題はスプリングフィールドに任せたまえ。実のところ、彼女のことだから、もう動いているとは思うけど――それはそうと、若きパダワンとしては、気になるあの子の真意を知りたいところじゃないかな?」
「Vectorさんのことですか」
「そう。押しかけてきた子の意見に君は明確な返事を出せなかった。彼女が指示を無視している事実はあるにせよ、君なりに感じ取っているものがあるんじゃないか?」
ロロの紫の瞳が煌めいた。
知性を秘めたパープルタイガーアイの光が、少年の迷いを射抜く。
コリンは、眉をひそめつつも、こくん、とうなずいた。
「はい……でも、それがなぜか、自分でもわからなくて」
「そういう時は先人の知恵に頼るんだよ。エヴァン・ハワーズの遺産にね」
「伯父さんの……?」
「具体的には作戦報告書だね。元はアルファラインを受け持っていた拠点だ。それはもう部隊運用の宝の山だよ。そこでVectorが参加した作戦について、どんな様子で展開したかを読み解くといい――とはいえ、あんな眠くなる代物、子供にとってはいささか難物すぎるだろう。そこで、だ」
ロロが制御卓を軽やかに操作する。
専用回線を通じてコリンの手元に来たのは、謎のアプリケーションだ。
「……これ、何ですか?」
「とある筋にお願いしていた、一種のデコーダーでね。これに作戦報告書のデータを通すと、〔ウォー・チェス〕の再現ゲームの形に置き換えられる。つまり、君の大得意分野というわけだ。これならバッサバサ読み解けるだろ」
「こんなすごいの――グリフィン本部のスタッフですか?」
「開発元は秘密だよ。まあ、取引の材料として、天然材料の高級キャットフードを用意する必要があったけどね。あ、お金とか気にしなくてイイよ。ブツ自体はわたしがとある筋から入手したものの、処分に困っていてね」
言いながら、ロロが口の端をにんまりと吊り上げてみせる。
詮索無用――そう感じたコリンは、ひとまず頭を下げた。
「ありがとうございます、師匠。助かります」
「いいのいいの。これもパダワンが立派なジェダイになるための修行だ」
ロロが二本指で軽く敬礼してみせる――いつもの挨拶だ。
「では、少年。自由研究、がんばりたまえ」
通信を終えた途端、ロロは大きく背を伸ばしてうなってみせた。
「だァァァァ! なんでこう毎回疲れるんだい! ホントに!」
「師匠キャラ作っているというのもあるんでしょうけれど」
副官のスオミが淹れたての紅茶を差し出しながら、言った。
「たぶん、人間の子供と真剣に向き合う機会がなかったからじゃないでしょうか――大人になってからはもちろん、ご自身の子供時代でも」
「……スオミちゃん、最近ズバリ見抜くようになってきたよネ……」
「そうじゃないとあなたのパートナーはつとまりませんから」
涼しい顔で答えてみせた少女だが、すぐに小首をかしげてみせた。
「あれ? そういえば、うちの基地だと指揮官の隠し撮りとか聞きませんね」
「そりゃあ正規品が流通しているんだもの――ほら」
「……なッ、なんですか、この基地内サイト! 指揮官の写真が堂々と売られているじゃないですか!? え、水着姿に下着姿にセミヌードにお風呂とか、大盤振る舞いじゃないですかあ!」
「言ったじゃん、正規品だって。ピンナップ的にみんなが保存できるように、ちゃんとした機材を持ち込んで撮影してるの――あ、そこの“隠し撮り”ってやつは、それっぽく見えるように工夫したやつで、ちゃんと私も了承済みだよ」
「な、ななな、なんでこんな――」
「――盗み撮りなんて、わたしの肖像権をネコババする行為を許すわけないじゃん。一斉摘発した時に、撮影組の下手人と話をつけて、正式に契約を結んだんだよ。売り上げの半分をロイヤルティとして頂いている。でも、写真の価格は良心的でしょ?」
「それは……そうですけど――」
亜麻色の髪の少女は、じとりとした目つきでパートナーをにらんだ。
「そのお小遣い、何に使ってらっしゃるんですか」
「半分は違法撮影の取り締まりの手当に充てて、もう半分はファンサービス」
「……ファンサービス?」
「写真をいっぱい買ってくれる子にはね、プレゼントと直筆のメッセージを送っているんだ。その子の普段の活動ぶりを褒める内容にしてあげてね。いやー、おかげで貰った子が口コミで広めるもんだから写真の売れ行きも好調! だっはっは」
「はあ……やっぱり人形たちに還元していたんですね」
「当たり前じゃん。彼女達の給料は彼女達のものなんだからサ」
「わたしとしては、ちょっと複雑な気分ですけど――」
「察しておあげ。きみみたいに飛び込んでこれる子ばかりじゃない。遠くにあってそっと想うのも、慕い方や愛し方のひとつだと思うヨ」
言われてスオミはぷうと頬をふくらませたが――すぐに嫣然と微笑んでみせた。
いたずらを企むような、どこか意地の悪い笑みである。
「それはつまり……わたしの機嫌を損ねちゃったぶん、今夜のベッドでは大サービスしてくれるって意味ですか?」
少女のアイスブルーの瞳が艶めいて光る。
「あ、いや、それとこれとは、また話が……」
「わたしもあなたの写真がほしいです。さんざんいじくられてふにゃふにゃになってる、ロロのカワイイ顔を写真に収めておきたいです……うふふふっ」
「えっと。その……本気で?」
「イヤだというなら、泣いてもイカせてあげませんよ?」
「……アッ、ハイ」
L211基地の指揮官、ロゼ・ローズ――通称“ロロ”。
その彼女にだって、弱い相手という者はいるのである。
「はい、コリン。コーヒー淹れましたよ」
スプリングフィールドがそう言って、陶器のマグカップをそっとデスクに置く。
いつもなら振り向いて笑顔を見せるコリンだが、この時ばかりは違った。
顔は画面に向いたまま、目は展開される〔ウォー・チェス〕の駒の動きから離そうとしない。
ワンテンポ遅れて、少年は応えた。
「ああ、うん。ありがとう……あとでいただきます」
その横顔に――スプリングフィールドは思わず見とれてしまった。
あどけないながらも真剣な表情には、あの人の精悍な面影が確かにあった。
何よりも、その眼差し。一瞬たりとも何物も見落とすまいと、知性と洞察力をフル回転させて、作戦画面に見入るその眼光は、エヴァン・ハワーズのそれを思い起こさせるのに十分であった。
スプリングフィールドの感情パラメータが、とくんと跳ねた。
思わず彼女は自分の胸元に手を当てた。収められている“それ”を確かめつつ、大きくひと呼吸する。エヴァン・ハワーズは、もういない。コリンも、エヴァンその人ではない。
それでも――こういう時の彼女の役割は、きっと同じだ。
モニタの光を反射して、乙女の鶯色の瞳に優しい光が灯る。
集中している殿方の邪魔にならぬよう、さりとて気が付くように――
そっと、すべりこませるように声をかけた。
「指揮官、ご休憩になさいませんか? わたしからも報告がありますから」
そう言われて、初めて気づいた、という感じでコリンが振り向いた。
少しあっけにとられた顔をしてから――軽く、苦笑い。
そんな仕草まで本当に、亡くなったエヴァンそっくりだった、
「ごめんなさい――ちょっと、はいり込んじゃっていて」
「いいんですよ。でもコリンは無理しちゃダメです」
スプリングフィールドは嫣然と微笑んでみせた。
「とりあえずコーヒーを飲みながら、報告は聞いていてください……あ、お砂糖かなり多めにしていますよ。きっと脳が糖分ほしがっていますから」
「ふわ……ほんとだ。すごく甘いです」
「うふふ、ほっこりしたところで始めましょうか。隠し撮りの件です」
乙女が話題に触れると、コリンの眉がぴんと立ったかのようだった。
「実は前任のエヴァンがいた頃にひそかに監視カメラ網にバックドアがしかけられていたようです。やらかした当の人形は電子戦が得意分野ですけど、この基地がいったん清算に入った際、早々に他の基地へ転属になっています」
「逃げた、ってことですか?」
「いえ、単に戦闘でも優秀な子だったから、自分を高く評価してくれる指揮官のところへ早々に売り込みをかけたのでしょう。実際、エヴァンは自分にもしもがあったら人形達の転属先は本人の希望を尊重してほしい、と本部にかけあっていましたから。ただ――」
「――ただ?」
「当の人形が、ここを去る際に基地内フォーラムにバックドアへのアクセス法を置いていったようなんです。だから、今回の件で明らかになるまで、実は監視カメラは基地のほとんどの人形が覗き見可能な、駄々洩れ状態でした」
「だ、駄々洩れ……」
コリンの顔がたちまち赤面する。副官の乙女は慌てて言った。
「あ、いえ、大丈夫です! 指揮官室とプライベートルームに枝はついていませんでしたから、少なくともシャワーとか寝顔とか寝起きとか、そういうものは心配ありませんから!」
つまり、それ以外での基地内のあれこれは、見られ放題だったわけである。
コリンは思わず記憶を探ろうとして――だが、やめた。恥ずかしい振る舞いがあったかどうかに限らず、戦術人形達にとっては年端のいかない可愛らしい男の子というだけで、それはもう極上のエンタメであったに違いない。
世の中のお姉さんは大なり小なり、心の奥に少年愛を秘めているのだ。
コリンが憮然とした顔をしていると、スプリングフィールドが続けて言った。
「バックドア自体はすでに無効化していますし、基地内のネットワークに散らばっていた隠し撮りの画像はすべて削除しています。各人形達の携帯端末にもリモート管理で当該画像を消していっています――ただ、その……」
「……人形たちが自分のメモリに入れちゃった画像でしょう?」
「はい。一応、デフラグである程度の削除は可能なのですけれど、強制的な外部処理は悪影響も懸念されます。ですから、実際、どこまで対処できるかといえば――」
「――いいよ、もうそのままで」
コリンは苦笑いを浮かべて、ため息をついてみせた。
「これに関しては、ぼくは自分が“可愛い仔犬ちゃん”だってことを認めないといけないみたいですから――正直、とても悔しいけれど、少なくとも“生意気なガキ”だと思われるよりもまだしもマシだって思うことにします」
少年の言葉に、スプリングフィールドは目をぱちくりとさせた。
「……ここに来た当初から、だいぶ変わりましたね、コリン」
「ロロさんに毎回してやられているし、自分の未熟さを感じることが多いんだけれど……なんていうか、変なこだわりを捨てたら、ここにはすごく学べることがたくさんあるって思ったんです」
そう言って、少年が再度モニタに顔を向ける。
オニキスの瞳は好奇心と驚きできらきらと輝いていた。
「あの人が言うように、宝の山です。エヴァン伯父さんは、本当にすごい」
少年の言葉に、乙女も横から画面を覗き込んでみた。
地形図は表示され、駒に見立てられた各陣営の戦力が配置される。
赤色でそこかしこに展開しているのは〔鉄血〕。
対して、敵陣に楔のように撃ち込まれるのがグリフィンの部隊だ。
「エヴァン伯父さんのすごいところは、最低限の指示しか出していないんです」
少年は、興奮を抑えられないように声を弾ませていた。
「チームとしての目標と、各ユニットへの大まかな方針。あとは人形任せなんです。けれども、丸投げではなくて――人形が何か行動を変える時は手短に報告を挙げてくるんですけれど、伯父さんは『よろしい』の一言で応えています。もし問題があっても、頭ごなしに命令するのではなくて、優先順位を確認させて人形から自発的に変えさせるようにしています」
そこまで一気に話して、少年は大きく息をついた。
「こういう指揮は〔ウォー・チェス〕でもたまに見かけます。駒の動きをAIに任せて、大まかな“方向”だけ示すやり方。ただ、ゲームでは初心者向けというか、カジュアルに楽しみたい人向けの方法で、ランキングを狙うプレイヤーは事細かに指示を出します」
言いながら、コリンがにんまりと笑みを浮かべている。
エヴァン・ハワーズと同じ表情――思わぬ気付きを得た時の顔だ。
「でも……それじゃダメなんだ――実際に戦うのは人形。戦場の空気を知っているのも人形。指揮官が気づくよりも、人形が感知する方が早いことだってある。そうだ。だから、エヴァン伯父さんは、Vectorさんに敢えてこんなポジションを――」
画面に見入って、コリンが熱に浮かされたようにつぶやきだす。
そんな少年を見て、スプリングフィールドは肩をすくめると――
やおら、指揮官卓のチェアをくるりと回した。
「ひゃあ!? な、なに?」
突然のことに目を白黒させる少年。
彼のおでこをつんとつついて、乙女は言った。
「夢中になると時間を忘れてのめりこむのは、どの殿方も一緒ですね。熱中するのは結構ですけれど、時計を見て下さい――子供はもう寝る時間です」
言われてコリンはちらと時計に目をやって、口をとがらせた。
「まだ夜の九時じゃないですかっ」
「もう夜の九時ですよ。シャワー浴びたりしてるうちに、十時になっちゃいます」
乙女は腰に手を当てて身をかがめ、目線を合わせて少年を見つめた。
「子供は寝るのも仕事です。ほらほら、店じまいしてください」
鶯色の瞳は柔和な光を帯びつつも、有無を言わせぬ圧がある。
彼女の双眸に思わず射すくめられ――少年は、こくりとうなずいた。
翌朝。コリンは植物の生い茂るスペースにいた。
温かみのある木製のベンチに腰かけて、待ち合わせをしているのだ。
少年は周囲を見回してみた。ちゃんと樹が数本生え、その隙間を埋めるように草花がにぎやかに植わっている。天井は一面が明るいが、聞くところによると光ファイバーを用いて実際の日光を取り込んでいるらしい。このスペース、というよりも部屋自体が、いわば人が入れるテラリウムのようなものなのだろう。
「こんなところがあるなんて……」
少年は、思わず嘆息した。
グリフィン基地でもしっかりした設備ならたまにお目にかかれる贅沢な場所のひとつ。天然物の植物を堪能できるがゆえに、かえって余人を遠ざけてしまい、本来のリラックスの用途を果たせていないここは、戦術人形の間では“
スライド式のドアが開く音がした。
コリンが目を向けると、天井の灯りにさざめいて輝く銀の髪が見える。
「……冗談でしょ? こんなところに呼び出すなんて」
やってきたVectorは、どこかあきれた口調だった。
いや、顔も声も相変わらずの不愛想ではあるのだが――
彼女の言葉の尻尾にほのかに混じるため息が、少年にそう感じさせた。
「何か、マズかったですか? リラックスして話せる場所と思ったんですけど」
「あのね……ここの“
コリンが目を丸くして、ふるふるとかぶりを振る。
それを見たVectorはふんと鼻を鳴らすと、少年の隣にすとんと腰をおろした。身体と身体が触れ合うほどの近さ。小声とささやきの境界線上のような声で、静かに少年に告げた。
「ここはね、人間にとっても人形にとっても、めったに拝めない自然の緑を体感できる。だから、なにか特別なことがなきゃ使っちゃいけないって不文律になっているの。そう、たとえば――恋人同士の愛の語らいとか、または指揮官と人形が誓約を結ぶ、とか」
「せい……やく……」
聞かされてコリンの目が思わず点になる。
「そうよ。だからここであなたが待っているとメッセージが入った時、あたしでも三度は読み返したもの。いくら何でも早すぎない?って。たぶん分かっていないんだろうなとは見当ついていたけど」
淡々と語る乙女の隣で、コリンの頬がたちまち赤くなっていく。
「す、すみません! ぼく、ぜんぜん知らなくて、その――」
「まあ、いいわよ。最初から期待とかしていないし」
そう言ってから、乙女の金の瞳が、少年のオニキスの瞳をじっと見つめる。
「でも、ここにわたし達がいることは見られていそうだから、変な勘違いとかされそうよね……」
「わわわ! で、出ましょう! いますぐ場所を変えましょう!」
上ずった声で少年は立ち上がったが――
すぐに乙女が服をつかんでベンチへと引きずりおろした。
「ひゃあ! な、何するんですか!」
「どんと構えて座っていなさい。いま慌てて出ていったら、それこそ変な方へ噂がこじれるわよ。あなた、おつむは出来がいいのに、そのあたりは本当に肝が据わっていないんだから。堂々としていなさい、堂々と」
「う……わかりました」
座りなおしたコリンだが、ややあってVectorとの距離を少し空けた。
と、すかさず彼女が詰めてくる。
「あああ……なんで、なんで」
「間を空けたら携帯端末が見えづらいでしょう。当たり前のことよ」
言われてコリンは、ばつの悪そうな顔をした。
手持ちの鞄から携帯端末を取り出すと、ワイドモードでモニタを展開する。
「――気づいていたんですか」
「というより、副官どのから教えてもらったの。あなたが昨夜、エヴァン指揮官の作戦報告にかぶりつきだったんですよ、って」
「ううう……スプリングフィールドさんってば」
悶えうめきながらも、コリンが端末を操作して、〔ウォー・チェス〕の画面を展開してみせた。表示される地形図と、駒の配置を見るや、すかさずVectorが言った。
「あら、懐かしい。半年前の45戦区での作戦よね」
「やっぱり……“分かってしまう”んですね」
コリンは言いながら、端末をぽちぽちといじる。グリフィン側の青い駒に吹き出しで短いワードが添えられ、そして駒のひとつになにやら猫耳のマークがつく。
「……これは?」
「えっと、吹き出しは指揮官――エヴァン・ハワーズから受け取っている指示を表示しています。それで、このマークがついているのが、Vectorさんです」
「どうして猫なの?」
「えっと……なんとなく。わかりやすいかな、と。か、かわいくないですか?」
「人形にかわいいも何もないわよ」
Vectorの声はいつも通りそっけないが、少年の頬を金色の視線でちろりと撫でた。
「ただ、仔犬くんがわたしを猫に見立てた心理は、弁明がほしいわね」
「と、とりあえず! 画面を見ていてくださいっ」
青い駒が動き出す。楔となって赤い敵性に殴り込みをかけていく。
適宜、駒の頭に吹き出しが付く。付いた途端、駒の動きがガラッと変わる。
やがて、十倍はある敵に対して、大した損害はなく撃退に追いやった。
キルレートで考えれば相当な戦いぶりだ。
画面を見ていたVectorが顔をあげて、少年をじっと見る。
「これが、どうかしたの?」
「あの――Vectorさん、エヴァン伯父さんから指示をもらっていませんよね?」
コリンがきりと表情を改め、乙女を見つめ返す。
オニキスの瞳は新月の夜のようであった。真っ黒な空に、知性の星が煌めく。
「これだけじゃありません。他にも同じケースはいくつもありますし、指示をもらっても一回だけというケースもありました。エヴァン伯父さんの作戦報告書では、あなたのポジションは〔
真剣な眼差しで、漆黒の瞳が金色の瞳を上目遣いで覗きこんだ。
「――実際のところは〔
少年の言葉に、Vectorはすっと目を閉じた。
いや――かすかにまぶたは開けている。雲の切れ間から差す陽光のように、細めた目から金色の瞳を覗かせていた。
「ふうん……あなた、やっぱり大したものだわ。さすがあの人の甥っ子ね」
乙女はそう言うと、足を組んで、その膝の上に手を置いてみせた。
少しくつろいだ様子で、聞かせるような、独り言のような――そんな声を発した。
「わたしはその場に応じて最善と信じる行動をとるの……予測演算を働かせ、手持ちのデータを常に参照しながら、どうすれば指揮官が判断する時間を稼げるか。それを第一に考えて動いている。エヴァン・ハワーズはそのあたりが分かっていた。『君は放し飼いにしておくことが、どうやら一番みたいだ』……これは、あの人の評価ね」
乙女の隣で少年がうなずく。
そして、言葉を発した。いささか、硬い、緊張に満ちた声で。
「でも、一部のエリート人形でもない限り、そんな演算は大変です。だから、あなたに訊きたいんです――Vectorさんって、もしかして……」
少年の問いに――乙女は、答えた。いつも通り、淡々とした声で、無感動に。
だが、彼女の言葉を聞いた少年はうなずきながらも――
大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら、泣き出してしまったのだ。
泣きじゃくる少年に、乙女は怪訝そうな顔をした。
ただ、すべきことはわかっていたので――彼の背をそっと撫ででやった。
その二日後の早朝である。
要撃部隊が、出動する事態となったのは。
(後編へ続く)
第三話後編は明日夜に更新です!
不和の火種を残したまま、要撃任務に出動する乙女たち。
作戦にあたって、コリンは驚くべき役割をVectorに託していた。
相次ぐピンチでVectorが見せた強さの証とは?
そしてそれを裏付けるために、彼女が犠牲にしているものとはいったい?
お楽しみに!