仔犬指揮官はお姉さんが苦手です   作:Tico Ruzel

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新入りの戦闘要員であるDSR-50。
彼女の働きで要撃部隊は危地を脱した。

なんとかお礼を言いたいコリンは
誘われるままに黒髪美女の部屋を訪れるが……

どうなる、コリン君の貞操! どうする、お姉さん達!

そして本当に怖い人ははたして――第4話後編!


ep.4 ピーチジュースがやって来た! -後編-

「ここ……だよね?」

 予備宿舎の前で、コリンは首をかしげた。

 

 使われていないはずの区画であり、通路の照明は最低限しか灯っていない。

 時間が夜の八時ということもあって、遠くの暗がりが薄気味悪かった。

 

 意を決して扉のコールを鳴らすと、すぐに返事があった。

「……コリン指揮官ね? どうぞ入っていらして」

 

 あでやかな声がして、扉が静かに開いた。

「おじゃまします」

 

 そう言って部屋に足を踏み入れたコリンは驚いた。

 

 本来なら、がらんとしているはずの予備宿舎が、豪奢な一室になっていた。

 きらびやかだが、決して派手ではなく、品の良さが目につく。

 

 そんな部屋の感じをコリンは知っていた――

 ハワーズ一族の本家邸宅。エヴァン伯父が持ち主だった館の一室だ。

 上流階級に連なる者ならではのこだわりが見られる。

  

 部屋の真ん中にはゆったりしたソファが置かれている。あちこちカーテンや衝立で仕切られており、全体は見渡せないが、たぶん他の家具や設備もあるだろう。

 

「いつの間に、こんな……」

「ふふっ、お気に召しました?」

 くすぐるような女性の笑い声。

 

 コリンが目を向けると、右手でグラスを二つはさみ、左手で何かのボトルを持ったDSR-50が悠然と姿を現した。黒系統でまとめられた普段の衣装とは違う。私服なのだろうか。たっぷりフリルをあしらった、ノースリーブの純白のワンピースを着ている。

 

「びっくりした? 先の物資入れの時、“ほんの少し”私物を持ち込んだの」

「私物、ですか……」

 

「ええ。本来ならグリフィンで戦う必要はないくらいの財産はあるのよ?」

 そう言って、美女は艶めいた笑みを浮かべた。

 

「それより、安心したわ。副官さんから厳しく言われて、来なかったらどうしましょう、って、本当に心配だったもの……」

 黒真珠の瞳を揺らして、彼女が顔をうつむけた。

 絹のように光る長い黒髪が幾筋かはらはらと、その顔に影を落とした。

 

「だ、だいじょうぶです! すみません、今日の皆さんの対応はちょっとやりすぎだと思うんです。ぼくは、それじゃダメだと思って、その――」

 

 声を上ずらせながら、少年は懸命に声をかけた。

「――どうであれ、成果はちゃんと認めないとダメだと思うんです!」

 


 

 それを聞いて、美女が顔をあげた。幾分、表情が晴れやかになったように見える。

「ありがとう――やっぱり優しい子ね、あなた……さあ、そこで立ったままじゃ申し訳ないわ。そこのソファに腰かけてくださいな、コリン指揮官?」

 

 促されて少年はソファに歩み寄り、ちょんと腰を下ろした。

 その彼の目の前で、美女のしなやかな指がグラスを置く。

 

 そして、ごとりと重い音をさせて、ボトルが置かれた。よく冷やしてあったのか、表面がほのかに露に濡れていた――少年が用心深ければ、ボトルを置く音にかぶせて、部屋の扉が施錠された音が鳴ったことに気づいたはずなのだが。

 

 ただ、この時の彼の注意は、ソファの隣に腰かけた美女に向いていた。ゆったりしたワンピースだが光の加減で身体の線がシルエットになって見えていた。豊満で丸みを帯びたゆるやかな曲線を見て、思わずドキドキしてしまう――

 

 少年は自分に言い聞かせた。頭の中で掛け算をする。相手の身体を見ないように、でも目も合わせないように、あごの先あたりに視点を合わせる。

  

 そんな彼にはお構いなしといったふうに、DSR-50はボトルを開けた。

 ふわりと、華やかだが甘く、フルーティな香りが漂う。

 

「これ……なんですか?」

「ふふっ、心配なさらないで。桃のジュースよ。ちょっと贅沢仕様だけど」

 

 美女が艶然と笑みながら、ボトルからグラスに注ぐ。かすかにピンクがかった、とろみがある感じの白い液体がグラスを半分まで満たす。

 

「まず祝杯をあげましょうか、コリン指揮官」

「祝杯……ですか?」

「ええ、わたしの戦果と、ご許可くださったあなたの決断に」

「け、決断とか、そんな――」

 

「だめよ、もっと自信をもつことだわ。あなたが決めたからこそ、みんな助かることができたの。そのことはちゃんと自分で認めてあげなきゃ……ね?」

 

 美女の言葉は、その声音以上に、内容で少年をくすぐってきた。

 ここに来て、自分は子供だと思い知らされて、それに甘んじていたのではないか。

 

 もっと指揮官らしくすべきではないか――ひそかに抱いていた想いをそっとつつかれ、コリンはこそばゆく感じた。ひょっとしたら、あるいは……この女性は、皆が言うような人ではなく、もっと真面目なプロフェッショナルではないか。そう思った。

 

「じゃあ、乾杯しましょう――ほら、グラスをかかげて」

「あ……はい」

 

 うながされて、少年は言われるがままにグラスを持ち上げた。

 美女が黒真珠の瞳を煌めかせて、自分のグラスを少年のグラスに当てる。

 

 カツンと星が鳴るような涼やかな音が響く。

 

 彼女がグラスを傾けるのに合わせて少年もジュースを口に含んだ。

 驚くほど、美味しかった。しっかり冷えているのに、どこか暖かみさえ感じる味わい。なんだか、ほっとする味わいだった。思えば、ここに来てからはコーヒーが多くて、子供らしくジュースを飲むのはひさしぶりだったかもしれない。

 

「……すごい。こんなの、初めてです!」

「あら、それじゃおかわりがいるかしら」

「えっと……もし、よろしければ」

 

「ふふふっ、欲しがりさんね」

 少年のグラスのジュースを再び注ぎながら美女は言った。

 


 

「じゃあ、もっと美味しい飲み方、おしえてあげる」

 

 その言葉と共に――なぜか美女は自分で少年のグラスを取った。

 彼が目をぱちくりしている前で、そのグラスを自分の唇へと傾ける。

 

「えっと……あれ? あれれ?」

 

 状況がつかめていない少年に、黒髪の美女がぐいと身体を寄せた。

 

 右の手はしっかり少年の腕をつかみ、身動きできないように。

 左の手は少年の頭をそっと抱き寄せる。

 

 何が起きているのか彼がわからないまま――

 

 

 美女はおもむろに少年の唇を奪い、含んでいたジュースを流し込んだ。

 


 

 不意をつかれた唇が、すぐに割られる。

 束の間、舌が歯をなぜたかと思うと、甘味が口内へ、喉へ、流れ込んでくる。

 

 コリンは目をみはってみじろぎしたが、関節を押さえられて身動きできない。

 

 流れ込んできたのはただのジュースではない。

 彼女の――DSR-50の湿潤液でもっとトロトロになり、別の味付けがされた何か。

 

 飲み終えた後も、彼女は唇を離してくれなかった。

 ふくよかな彼女の唇が、少年の未熟な唇をゆっくりねぶっていた。

 

 たっぷり――ずいぶんとたっぷり経ってから、美女はようやく唇を離した。

 

 荒く息をつく少年の耳元で、くすぐるようにささやく。

「ふふっ、美味しかったでしょう? わたしも、美味しかったわ」

 

 その言葉に少年は何か言い返そうとして――しかし、できなかった。

 

 すぐに、彼女のしなやかな指が少年の口に入ってくる。

 人差し指と中指。細やかながら無遠慮な侵入者が少年の口内をなぶる。

 

 舌をつまみ、歯茎をそうっと撫でていく。

 

 その感触――初めての感覚に、少年はお尻から頭に向かって、何かが背中をぞぞっと伝っていくように思えた。それは、いわゆる快楽であり、愉悦であったのだが――コリンのたかだか十年の人生では、いまだ味わったことのないものだった。

 

 気持ちいいという思いと、どうなってしまうんだという恐怖。

 それがないまぜになって頭の中をぐるぐる巡り、体内の熱が高まっていく。

 

「あ……えう、こえ、なんえ、やえ……」

 なんとか止めなければと思って、声を出すが言葉にならない。

 口の中をいいようにもてあそばれ、少年はよだれを次々と垂らした。

  

 その様を美女が黒真珠の瞳で見つめている――妖しい光をたたえた眼差しだ。

 

「ふふっ、みっともないわね、こんなにべとべとにしちゃって。でもね、まだまだこれからよ……もっともっと昂らせてあげる。今夜はまだ下ごしらえでしかないわ。極上のラム肉を手に入れておいて、塩コショウだけ振ってフライパンで焼くなんて、そんな野蛮な食べ方はしてあげない……わたしは美食家(グルメ)なんだもの」

 

 そう言って、空いている方の手が少年の身体をそっとつつき、指先がくすぐるように服の上から撫でていく。首筋、鎖骨、脇腹、へその周り、腰骨の辺り、そして内腿。何かの流れを作るかのように、幾たびもなぜていき、その都度、少年はぴくぴくと震えた。

 

 抜け出そうとしても身体が動かなかった。もう彼女の手は少年を押さえつけていない。だが、口内をねぶりつづける指が、着衣越しにくすぐる指遣いが、全身にまとわりつくかのようで、まったく動けなかった。

 コリンは感じていた――自分の中で、熱がとぐろを巻いていくのを。

 

 息が浅く頻繁になり、まるで物欲しそうな犬みたいになっている。

 高まった熱が徐々に身体の一部に――自分の下腹部へ集まっていく。

 

「あう……やえ……やえて……おえあい……」

 

 涙を浮かべながらうめくコリンに、美女はかぶりを振って笑んだ。

 

「んふっ、何を言ってるのか聞こえないわ……それに、ねえ? 自分でもだんだんわからなくなっちゃってるでしょう? いいのよ、あなたみたいにおつむの出来がいい子は、普段から自分を縛り付けているから、解き放つことをおぼえないと――ほら、もっともっとわからなくしてあげる。考えられなくしてあげる。初めての感覚は言葉にできない方が、鮮烈に記憶に残るものだから――ほら、もっと、感じていいのよ。がまんしなくて、いいのよ」

 

 美女がささやくうちに、少年の頭は真っ白になっていった。

 彼の中で整然と構築されていた思考の城壁が、次々に押し流されていく。

 

 快楽と愉悦という洪水に。それに押し流されて、彼は溺れかけていた。

 

 自分の頭の中で、熱にうかされながら、必死に手を伸ばす。

 

 かすかに光が見える――太陽だろうか、月だろうか……金色の、光だ。

 曖昧な意識の中で、その光は――誰かを、思い出させた。

 

「……えくたあ……はふけへ……」

 

 言葉にならない声を、救いを求める声をあげた――その時だった。

 

 

 

 天使の進軍ラッパさながらに、短機関銃の連射音が鳴り響いたのは。

 


 

 弾倉をまるまるひとつ撃ち尽くして扉のロックを物理破壊。

 

 つづく渾身のひと蹴りで扉を破り、銀髪金瞳の乙女が殴り込んできた。

 不愛想な顔で、少年の痴態をちらと見て――眉ひとつ動かさない。

 

 これみよがしに弾倉を入れ替えてみせて、淡々と言った。

「コリンから離れなさい。いますぐ。ただちに。すみやかに」

 

 Vectorの言葉に――少年をもてあそぶ指を止めずに、DSR-50は嗤った。

「本気? どんな弾か知らないけど、この子も怪我するわよ」

 

「だから警告してる。あなたも、彼を物理的に傷つける気はないでしょう」

「……あなたが撃てないまま、目の前で続けると言ったら?」

 

「その時はもう一人がゴム弾であなたの頭をノックアウトよ」

 Vectorが淡々と告げると、その後ろからもう一人、のっそりと姿を現した。

 

 手には散弾銃を提げ、飴玉を口の中で転がしながら、彼女はうなった。

「まったく……ドア抜きは任せておけって言ったのに、室内の音を聞いた途端、ぶっ放すんだもんなあ……コリン絡みだと、なんか君って妙に熱いぞ」

 

「別に熱くなっていないわ。いたって冷静よ」

「いや、まあ、うん……分かっていないなら、別に構わない」

 

 AA-12はため息をひとつつくと、言った。

「さて、というわけだ。ゴム弾は撃てるけど、当たれば痛いのは確かだし、コリンについては骨折の心配もある――ちょいと坊やを離しておとなしく連行されてくれないかなあ」

 

 目の隈美人はそこまで言うと、ぐっと握った拳を出してみた。

「ちなみに格闘戦で無理やりという手もある。ただ、狙撃手の君と違って、こちとら前衛二人なので肉弾戦は戦場仕込みだ。あと、割といまの状況……ムカついているからな? 本気の本気で取っ組み合いになったら、たぶん関節キメて、腕とか脚とかへし折るから」

 

「脚じゃぬるいわ。首を折ろう、AA-12」

「やめろって――コリンがトラウマになっちゃうだろ」

 

 二人の乙女がそれぞれ言うのを聞いて――DSR-50は、もてあそんでいた指を少年から離した。コリンが「きゅう」とうめきながら、ソファの上に転がり、うずくまるように身体を丸め、震えている。

 

「これでいいかしら? それで、わたしはどうなるの?」

「とりあえず連行して副官殿のところへ。そこからたぶん営倉に入って、処分待ちかなあ――まあ、あの人も色々相談したいだろうからな」

 

「……わたしは“普通の人形”みたいに簡単に処分はできないわよ」

 あごをそらして言ってみせるDSR-50に、Vectorが答えてみせる。

 

「知っている。あなたは“名持ち”。だからグリフィン本部か、そこから権限移譲された別の指揮官が判断を下すわ――AA-12、こいつを連れて行って。わたしは仔犬くんをどうにかするから」

 

「あー……丁寧に扱うんだぞ? 君、ほんとに遠慮がないからな」

「わかってる」

 Vectorがくいとあごで黒髪の痴女を指し示す。

 

 AA-12は散弾銃を構えたまま、言った。

「じゃあ、両手を頭の後ろで組んで、立って歩いて。わたしが付き添うから、一緒にスプリングフィールドのところまで行くんだ」

 

 促されて、DSR-50が立ち上がり、部屋から出ていく。

 だが、戸口のところで振り向くと、艶然と嗤った。

 

「惜しいところまで行ったわね――また愉しみましょう、坊や?」

 

 ぬけぬけという黒髪の美女、もとい痴女をAA-12が散弾銃で遠慮なく小突く。

「またも次もあるわけないだろ、覚悟しておけ」

 

 二人が廊下を歩いていく音が遠ざかっていく。

 

 

 しんと静まり返った部屋で、銀髪金瞳の乙女はそっと声をかけた。

 

「……コリン? わたしの声、聞こえる?」

 


 

 Vectorの呼びかけに返ってきたのは、すすり泣きだった。

 

「うぇ……ひぅ……うぅ……見ないで、くださいよぉ……」

 コリンは胎児のようにうずくまって、乙女から顔を隠していた。

 

 いや、おそらく隠したいのはそれだけではあるまい。

 少年の両手は折った胴の下へもぐりこみ、何かを抑えるかのようだった。

 

 束の間――Vectorはライブラリを検索し、可能性のある生理現象を検索する。

 おそらくはと見当がつくが、さてどう訊ねたものか。

 

 めずらしく、数瞬ためらって――乙女は少年にそっと問うた。

 

「……ひょっとして、発情した?」

 

 なるだけ彼女なりに言葉を選んだつもりだったが――

 

 どのみち、傷口に塩ではあったらしい。

 少年が、伏せていた顔を少しだけ覗かせる。

 涙と鼻水と汗でぐしゅぐしゅになったまま、彼女を睨みつける。

 

「ひとを動物みたいに言わないでくださいッ! ばかぁ!」

 

 言うや、またおんおんと泣き始める。

 Vectorはフォローのつもりで言葉を続けた。

 

「ねえ、コリン――人間も動物の仲間なのよ?」

「……そんなんじゃないですッ」

「人間は刺激を遮断できないから、反応するのは当たり前で――」

「――だからちがくて!」

 

 少年はわめくと、まためそめそと泣いた。

 弱々しい声で、懇願するようにうめく。

 

「お願いです……そっとしてください……こんなみっともない姿、やだ……」

 それを聞いてVectorは眉をひそめた。

 

 少年を放置する気など彼女には毛頭ない。

 保護倫理コードの発動か、それとも、また別の何かなのか。

 ひとまず――彼が苦しんでいるのは、ほっておけなかった。

 

 再びライブラリを検索する。そこに記されている対処法の中で、一番効果的で、いますぐに適用でき、かつ子供に施しても問題のないもの。

 

 あてはまったそれを確認すると、宿舎をぐるっと見渡す。

 

 案の定、ただの寝泊まり所にしては、贅沢な設備があった。

 

 少しの間、必要なものを部屋から拾い集めて準備をすると――

 Vectorは、事前の呼びかけもなしに、少年を抱きかかえた。

 

「ふ、ふえ!?」

 まるまったままの少年が、あっけにとられた声をあげる。

 

 乙女は彼を刺激しないように、はっきりと、だが静かな声で言った。

「なんとかしてあげる……あばれちゃだめ」

 

「あ、あの、Vectorさん!?」

「変なことは一切しないから、安心して」

 なだめるように声をかえて、少年を抱えて目当ての設備の前まで運ぶ。

 

 室内向けのシャワーユニットであった。

 その前でそっと少年を下ろす。こわごわと身を起こす彼に、乙女は告げた。

 

「はい、服を脱いで」

「え、えええ」

「ほら早く。たぶん、裸の方が効果はあるから」

「な、な、なにをするんですかぁ」

「自分で脱げないなら、わたしが脱がせるわよ」

「あ、あの、こういうのは自分で――」

 

「処理できるの? やり方知っているの?」

「……いいえ」

 

「心配しなくていいわ。あなたが考えていることとは、たぶん全然違う」

 

 そう言って、Vectorはバスタオルを広げ、自分と少年の間を遮るように掲げた。

「目隠ししてあげるから、早く脱ぎなさい。脱ぎ終わったらくるんであげる」

 

 不愛想に、淡々と、乙女は促す。

 少年はうつむいた。ほどなく、タオルの向こうで衣擦れの音が聞こえてくる。

 

「あ……あの――ぬ、脱ぎました」

 少年の声がかすかに震えている。

 

 そんな彼に、乙女は広げていたバスタオルをふわりとかけた。

 頭だけを出して、てるてる坊主ができあがる。

 

 自分の表情を見られまいと、少年は顔をうつむけた。

 上気して紅色が差した褐色の頬のまま、わずかに声を絞りだす。

 

「えっと、あの……Vectorさん――?」

「まだ終わってない。次よ。ユニットに入って」

 

 乙女は容赦なかった。

 少年の背をくいと押して歩かせ、ユニットに入れる。

 そのまま、すかさず肩をつかんで奥を向かせた。

 

 シャワーヘッドを手に取り、給湯パネルを操作するや、

 

「じゃあ、始めるわ」

 言うや、おもむろに彼の身体を隠していたバスタオルを取り払った。

 

「ひゃッ!?」

 ユニットのアクリル壁に映る自分の裸身に少年が目を丸くする暇もなく、

 

「――冷たいけど、ちょっと我慢なさい」

 乙女は、おもむろに冷水を彼にかけ始めた。

 

「わあああ! つ、つめ、つめたあぁぁあい!」

「あばれると見えちゃうわよ」

「うぐ……ううう……」

 

「身体のほてりを取らなきゃだめだもの。それに――あなたのは体組織の一部が充血して発生している生理現象だから、血管を収縮させれば鎮まるはず……どう? 小さくなった?」

 

「お、おもむろに訊かないでください!」

「いつまで冷水浴びせっぱなしは問題よ。事実確認してるだけ」

 

「……ちぢんで、きました……」

「そう。なら、ぬるま湯に変えるわね」

 

 乙女はすっと目を細めると、パネルを操作する。

 たちまちに冷水がほんのりした暖かみのあるお湯に変わる。

 

「ふわあああ……」

 緊張がほどけるような心地よさに少年は思わず嘆息したが、

 

「――はい、終わり」

 乙女は無情に宣告すると、お湯を止めた。

 

 そのまま、またバスタオルで少年をくるんだ。そのまま、拭くというより吸い取らせるように、タオルを少年の身体に触れさせる。タオル越しにVectorの指も触れているはずなのだが、あまりにてきぱきとしすぎて、少年はどぎまぎする暇もなかった。

 

「じ、自分で拭けるのに……」

「いいのよ、まかせておきなさい」

 

 乙女はぶっきらぼうに言うと、バスタオルを再度剥いだ。

 少年が何か声をあげる前に、すっぽりとバスローブを羽織らせる。

 

「ちょっと大きいけど、まあ、この後を考えると構わないわよね」

 

 彼女はそうつぶやくと、やおら少年を抱きかかえた。

 いわゆる、お姫さま抱っこの形である。

 

 自身の腕にすっぽり収まり、バスローブが産着のようにさえ見える少年。

 

 そんな彼をじっと金の瞳が覗き込み、訊ねた。

「――どう、落ち着いた?」

 

「はい……なんていうか、あの――」

 コリンはオニキスの瞳を少し揺らしながら、答えた。

 

「――勝手に引き出しを開けられて、中の洋服を手当たり次第に散らかされていたのを、あっという間に無理やり整理整頓された感じです……」

 

「……そこまで乱れてなかったようには思えなかったけど?」

「ぼくにとっては充分すぎたんです!」

 

 思わず声をあげる少年に、乙女はふんと鼻を鳴らした。

「そこまで『キャン』と吠えられるなら、だいじょうぶね」

 

「あの……すみません。皆さんが注意しておきながら、ぼく――」

 

「悪いオトナには注意よ。人形には人間の未成年の倫理コードが設定されているはずだけど、曲げて解釈するヤツもいるから」

 

「Vectorさんは――」

 コリンが、少し眉をひそめて訊いた。

「――その倫理コードがあったから、助けにきたんですか?」

 

 少年の問いに、乙女は目をぱちぱちとさせた。

 ややあって、口にした返事は、なぜかためらいがちだった。

  

「……だと、思う。他の子供が、同じ目に遭っていても――」

 

 そこまで言って、乙女は奇妙な違和感をおぼえた。

 

 見ず知らずの子供なら? 面識のない子供なら?

 人命的に害がないと判断すれば、自分は放置するのではないだろうか。

 他人事に首を突っ込むほどのお節介ではないはずだ。

  

 だとしたら――自分にとって、この褐色黒髪の少年は何なのだろう。

 

 そこまで考えて、思考回路を警告に近い何かが走った。

 この先は、考えてはいけない。なぜか、そう思えた。

 

「――とにかく、あなたを部屋に運ぶわ」

 

 乙女はそう言って、ゆったりと歩き出した。

 

 揺られながら、腕の中から少年が彼女の顔をじっと見つめている。

 しばらくそうしていた彼は、なにか得心したようにつぶやいた。

 

「ああ……やっぱり、あの時のおひさま……たぶん、きっと――」

 

 その言葉は、続くあくびにかき消されてしまった。

 

 

 乙女が少年の私室へ着いた時には――

 

 彼は、穏やかな寝息をたてて夢の世界にいたのだった。

 


 

 スプリングフィールドは大きく深呼吸して、モニタに向かった。

 

 不届き者の痴女はひとまず営倉に入れたが、本人はけろりとしていた。

 過去にそういう扱いが何度かあって、完全に慣れているふうだ。

 おそらく、こういう展開も織り込み済なのだろう。

 

 だとしたら、今回のことは最後でなく、むしろ繰り返す恐れがある。

 

 コリンは歳の割に知性は早熟で、理性は期待できるのだが――

 それだけに、いったん深みにはまって溺れると危うい。

 

 なればこそ、いまのうちに手を打つ必要がある。

 

 今から通信する相手なら、とうにその方策を思案に入れているに違いない。

 コリンの指南役。L211基地指揮官、ロゼ・ローズ。

 

 エヴァンが生前に言っていた言葉を思い出す――

 「彼女にとってはすべて織り込み済みか、または織り込んでしまうんだよ」

 

 運命の輪(ホイールオブフォーチュン)を統べるがごとき思考と、理屈の無理付け。

 “カサンドラ”ロロは、実に度し難い女性なのだ。

 

 通信回線をコールする。

 いつもならすぐに応答があるはずが、たっぷり十分近く待った。

 

 ようやく繋がった回線は、なぜか音声のみで画像が来ない。

「はい……こちらロロ――あ、もうッ、通信中にオイタしないッ」

 

 応答の返事――といえるのだろうか。

 

 普段は余裕たっぷりの笑みをたたえているロロの声が、なぜか少し上ずり、しかも誰かをたしなめている。いや、それだけではない。誰かが何か話しながら、ささめき笑う声がする。それに、認めたくはないのだが――ぴちゃぴちゃという水音のような何か。

 

 概ね状況を察して、スプリングフィールドの目がたちまち三角になる。

 どうして、こちらもあちらも色ボケしかいないのか。実に頭が痛い。

 人形に“頭痛”は本来ないはずだが、思考回路に負荷を感じると似た感覚になる。

  

「……翌朝に改めましょうか?」

 

 

 可能な限り平静な声で訊いてみると、相手側の答えは、

 

「いや、この時間によりによって“きみ”が通信してくるのは概ね見当が――あふッ、こら、だからダメだって、スオミ。拗ねないの、もぉ。構ってくれないからって……おふっ、指を三本も入れて、舌までつかうんじゃあないッ」

 

 ロロの声は、嬌声交じりだった。

 どこからどう聞いても、睦み事の最中である、

 

「……ちゃんとお話しできる様子ではないと思いますけれど」

 

「ああ、心配ない……こういう時に備えて、裏技が――」

 数秒ほどロロが沈黙する。

「――よし、切り替わった。オーケー、これでまともに話ができる」

 

 先ほどとは打って変わって、落ち着いた声。

 いつもの、余裕たっぷりの彼女であった。

 

「なにをなさったんですか……?」

「まあ、詳しい説明は省くけど、わたしの身体の神経系は、天然と人工の二重構造になっていてね。いまリンクを遮断して、愛撫されている感覚が中枢系に昇ってこないようにした。とはいえ――」

 ロロの声に、若干の苦笑の色が混じる。

 

「――切り離した人工神経側に刺激がどんどん溜まるから、再度リンクした時にとんでもないことになるんだけどね……ああ、この子ったら、そのへん分かって結構むちゃくちゃしてくれてるな」

 頭が色ボケかと思ったから、身体の作りまで色ボケだったとは。

 

「用件は手早く済ませよう。DSR-50のことだね? “黒薔薇ドロシー”、登録されている市民名は、“ドロテーア・レオンチェフ”。まあ、ドイツとロシアとか、名前がミックスにも程があるってもんだが――そっか、コリン少年に手を出したかァ」

 

 こともなげに推測してみせたロロに、スプリングフィールドはたまらず怒鳴った。

「分かっていたら、どうしてあんな女を補充に寄こしたんですかッ!」

 

「あんな女ねえ。そう呼ばわる前に、きみは彼女のことをちゃんと調べたのかな?」

 その言葉と共に、端末でチャイム音が鳴る。

 

 それを見て、スプリングフィールドは目を丸くした。

 くだんのDSR-50――ドロシーに関する非公式の身上調査レポートだった。

 

「わたしが調べた資料だよ。今回の人員補充に関してすべての候補者についてこれを作っている。ドロシーはとんでもない癖者に見えて、実は御することができるトラブルメーカーのたぐいだ。そのあたりも考えているよ、ちゃんとね」

 

「……なら、どうしてこの資料を前もってこちらに――」

 

「――まずは彼女自身の腕前を実感してもらうのが必須だと思ってネ。夕方に来たばかりの戦闘詳報を見ていないとでも? 彼女の銃弾がなければ、B122の要撃部隊はちょっとまずいことになっていた。いや……それ以前にも、実はVectorのピンチを助けたりしているんだけどさ」

 

「――戦闘要員としては得難い技量だと思います」

 スプリングフィールドはきっぱりと声をあげた。

「でも、モラルを守らないスタッフはそれだけで問題です!」

 

「勘違いしちゃあいけない。グリフィンは民間軍事会社。戦争業者だよ? 規律はあっても、モラルなんてものが存在していると思うのかい。人形が指揮官に“従いやすい”から、一見ちゃんと回っているように見えるが、ちゃんと配下に『ボスは誰か』ってことを教え込ませる必要は、時としてあるんだ――それだけのハナシさ」

 

「コリンは……まだ子供です。とてもそんなことは」

「なら、君が分からせればいい。コリンの副官であるきみを認めるということは、つまり、きみが従うコリンにも従うってことさ」

 

「……何を、おっしゃりたいのですか?」

 

「きみはエヴァンと親密な仲だった。そして、その前は“マデレン”――うちの基地のリー・エンフィールドとも懇意だった。説得のコミュニケーションが単なる言葉だけによらないことを、“身に沁みて”分かっているはずだよ」

 

 ロロの言葉に、スプリングフィールドは唇を固く結んだ。

 

「まあ、きみがどうしてもイヤだと言うのなら、翌朝もう一度連絡をくれるといい。そうしたらグリフィン本部へ配置替えの申請を出そうじゃないか。ただ――コリン少年がここでやっていくには、有能な手駒が必要だ。それはエヴァン・ハワーズの遺言状を目の当たりにした、きみ自身が一番よくわかっているんじゃないか?」

 

 その指摘に、乙女は自分の胸元に手を当て――きゅっと拳を握った。

 

「ローズ指揮官……あなた、どこまでご存じなのですか」

 

「ンンンッフ、どこまでだろうね。ただひとつ、憶えておくといい」

 途端、ロロの言葉が真剣そのものになる。

 

「エヴァン・ハワーズには随分と借りがある。だから、コリン少年にも、きみにも、わたしは味方になると決めている――死者との約束ほど、重いものはないからネ」

 

 そこまで言うと、あとはいつもの飄々とした口調だった。

「まあ、事態がうまく転がることを期待しているよ……ンッ、まずいな。神経遮断もそろそろもたない。みっともない声を聞かれたくないから、これで通信を切るとしよう……では、“メラニー・ハワーズ”さん――どうぞ、がんばりなさい」

 

 ぷつんと回線が切れた。

 直前にあられもない嬌声がかすかに聞こえたが、気のせいだろう。

 

「メラニー・ハワーズ……ですか」

 

 スプリングフィールドは、自嘲気味に笑んだ。

 その名前が確かなものなら、ここまで思い悩むことはなかっただろう。

 

 乙女はもう一度、深呼吸した。

 ロロが送りつけてきた資料をサーチしてみる。

  

  

 話をつける前に、相手のことは知っておく必要があったからだ。

 


 

「あら、副官さん。なあに、こんな夜更けにお説教の続き?」

 

 訪れた営倉で、DSR-50は実に悠々とした様子だった。

 まるで、どこにあっても自分の城といわんばかりだ。

 

「あなたのことについて、少し知りました。ドロテーア・レオンチェフ」

 

 スプリングフィールドが口にした名前に、DSR-50は艶然と笑んでみせた。

「ふふっ、それが出てくることは、わたしとグリフィンとの関係もご存じ?」

 

「ええ。新興財閥の資産家だったヴィクトル・レオンチェフが晩年に買い求めた愛玩用兼介護用人形。それがあなた――でも、よほど尽くしぶりがよかったのか、それとも血縁関係に恵まれなかったためか、ヴィクトル老人は亡くなった際に、あなたに莫大な遺産と市民権を残した。実体のある事業や形のある資産は分け前をほしがる親戚連中に景気よく配った後、あなたはちょっとした個人投資家になる……グリフィンが増資を募った際も、個人枠でかなりの額を出資しているわね」

 

「んふふ、その通り。ただ、そのあたりはIOPのオーナーの依頼もあったのだけど」

 

「そして、少ししてあなたはグリフィンと契約関係を結んだ。もちろん備品としての人形ではないし、普通の“名持ち”――市民権保有の人形としての雇用関係でもない」

 スプリングフィールドの鶯色の瞳が、黒髪美女をにらみつける。

「個人投資家たちの委任状を山ほど抱えて、あなたはグリフィン本部と交渉した。組織における一種の特権階級――現場の指揮官がちゃんと仕事をして利益に貢献しているかをチェックする、監視役として加えるように迫った」

 

 副官の言葉に、黒髪美女はすっと目を細めた。

「その言い方は心外だわ。これはグリフィン本部にも好都合なのよ。グリフィンの担当区域は広がる一方で、各地の基地指揮官たちが独断専行する恐れがあったもの。いちはやく問題のある基地に潜りこみ、そこのボスを“ちょっと揺すって”あげる――ボロを出すようなら本部が首をすげかえる口実になる。なかなか便利でしょう?」

 

「――コリン指揮官も、同じように揺らしてみたというんですか?」

 

「いえ、とんでもないわ。ちょっと素質があるか確かめただけよ」

 黒髪美女はそう言うと、舌なめずりをしてみせた。

「ウブすぎる反応だけど、それだけに仕込み甲斐はありそう。おつむが良い分だけ、バカになってしまうかもだけれど、うまく育てば……」

 

「……パートナーとして組めるかもしれない、と?」

 副官の言葉に、美女は艶然と微笑んだまま答えない。

 

 スピリングフィールドはふうと息をついた。

「あなたも結局、人形なのね。わたし達は自然と、仕える対象を探してしまう。人間の本質が好奇心だとすると、人形の本質は奉仕――わたし達に魂があってたとしても、そう鋳造されている」

 

「あら、あなたもそれは同じでしょう?」

「そうね……私の心はまだあの人に捧げられている。だからこそ……」

 

 スプリングフィールドが、つかつかとDSR-50に歩み寄った。

 鶯色の瞳が、黒真珠の瞳をじっと見つめる。

 

「……あの人が願いを託したコリンを支える。あの子にとって必要なら、わたしは自分にできることなら、どんな手だって使うわ」

 

「あらあ、いったいなにを――」

 問いかけて、しかし、黒髪美女は言葉を発することができなかった。

 

 副官の乙女が、彼女の唇をおもむろに奪っていた。ただの口づけではない。

 

 むさぼり、ねぶり、奪いつくすかのような――深い深い接吻(ディープディープキス)

  

 DSR-50が不意をつかれた隙を、スプリングフィールドは逃さなかった。

 腰に手をやり、体重を乗せ、足をかるくひっかけ、営倉のベッドの上に黒髪美女を押し倒す。押し倒してなお、執拗な口づけは続き――DSR-50の眼に涙があふれてきてから、ようやく止んだ。

 

「な、なかなかやるじゃないの……どこで、こんな――」

 

 DSR-50が息を荒げながら訊ねる目の前で、スプリングフィールドは結わえていた栗色の髪をほどいた。つややかな髪を解き放った瞬間、鶯色の瞳にまごうことなきオンナの眼差しが現れる。紺のジャケットを脱ぎ捨て、DSR-50の肢体を抱きすくめて、乙女は耳元でささやいた。

 

「エヴァン・ハワーズはわたしの大切なひと。尊敬できる主、頼れるパートナー。尽くしてもなお足りないひと。けれども――ベッドの上ではむしろ、“わたしが彼を抱いていた関係”だったのよ」

 

 ささやきながら、ちろりと出した舌が美女の耳朶を舐めていく。

 組み敷かれた下で、DSR-50のカラダはぴくぴくと震えた。

 

「それに、人形にとって、どこが弱いのかもわきまえています――さあ、お説教を始めますよ。あなたが誰に従うべきか、カラダへ直に教え込んであげましょう」

 

 

 乙女の声は、抜き身のサーベルのように冴え冴えとしていた。

 


 

 論理時計で時間を確かめて、乙女はベッドから身を起こした。

 

 早朝の五時。たっぷり四時間は“啼かせっぱなし”だったということだ。

 

 

 じっとり湿った寝台を離れ、自分が持って来たバスケットへ歩み寄る。

 乙女は一糸まとわぬ裸身で、薄闇の中でほのかに光るかのようだった。

 

 営倉の床には服や下着があちらこちらに散乱している。

 うっかり踏んでしまわないように、気を付ける足取りは実に確かであった。

 

 バスケットから、水分補給のボトルを二本取り出す。

 

 そのうち、一本はその場でごくごくと飲み干した。

 もう一本をつかんで再びベッドへ戻ると、端に腰かける。

 

 びしょ濡れで息を荒げている豊満な美女を、冷ややかに見下ろして言った。

 

「……もう少し粘ると思いましたが、意外と早く陥落しましたね――電解水、補充しますか? それだけ湿潤液を放散しては、いまごろ自己診断のアラートが赤く点滅しているでしょう」

 そう言って、ボトルを差し出す。

 

 黒髪もさんざん乱れた美女は、おぼつかない手つきでボトルをつかもうとする。

 見かねた乙女が持たせてやると、ようやく手に取って口元へ運んだ。

 

 ごくごくと喉を鳴らして流し込む音がして、ほどなく消え入りそうな声がした。

「……愉しむつもりでいたのに、そっちは最初から命を獲る気で来るんだもの……」

 

「真剣での果し合いに、木剣かざしてくる方がわるいのよ」

「まるでダマスカスブレードみたいな斬れ味……こわいオンナだわ」

 DSR-50は恨めしそうに言うと、ふうと息をついた。

 

「いいわ、分かった……あなたを、ボスと認める。だから、あなた――スプリングフィールドが従うコリン・ハワーズに、わたしも従う。ちゃんと敬意と礼節をもって扱うわ」

 

「それだけじゃありませんよ。あの子を食べるのはもちろん、舐めるのも齧るのもいじるのもくすぐるのもからかうのも厳禁ですからね」

 

 乙女がそう言って、美女の豊かなヒップを平手打ちした。

 小気味いい音と共に、DSR-50が嬌声じみた悲鳴をあげる。

 

「ひあ! はぁ、あぁ――ひとつだけ、訊いていいかしら」

「なに?」

 

「あなた……これだけドロドロした欲求を抱えておきながら、どうしてあの少年に手を出さないの? ちょっといい気にさせれば、あの子はきっと拒まない……そうすれば、あなたは三つの物を手に入れられる――市民権と、ハワーズの家名と、そして“基金”も」

 

「――あなたがB122に来た目的は、それなの?」

「それもある、が正しいかしら。“基金”の管理者が誰になるかは、その筋の社交界ではちょっとした話題だもの。あの少年がこんなところで指揮官ごっこしているのも、結局はそれ絡みの騒動に関係しているんでしょう?」

 

 滔々と話す黒髪の美女に一瞥をくれて――鶯色の瞳の乙女は天を仰いだ。

 灰色の強化プラスチックの天井が、いまにも迫ってきて押しつぶそうに見える。

 

 乙女は、ため息をひとつついて、言った。

 

 

「そこまで察しているなら、わたしとコリンの役に立ちなさい――いいこと?」

 

「……イエス、マム」

 ベッドに顔を伏せたまま、DSR-50はくぐもった声で応えた。

 


 

 翌朝、というべきなのかしらね。

 身だしなみを整えなおしたら、もう十時を回っていたのだけれど。

 

 指揮官室へ出頭したわたしは、コリン坊やに謝罪した。

 

 てっきり怯えた顔でも見せるかと思ったのだけれど――

 

 わたしを見て、一瞬驚いた顔をして、すぐにいったん目を閉じて。

 再び目を開けてわたしに向き直った彼は、穏やかな顔つきで応じた。

 

 あまりにも意外だったので、ちらと副官の彼女に目をやったのだけれど――

 

 スプリングフィールドは軽くかぶりを振ってみせた。

 

 

 認識を、改めなくてはならなかったわ。

 

 この少年は思ったよりもタフでしなやかな精神を持っていること。

 そして、彼を庇護する者が、鶯色の瞳の乙女だけではないこと。

 

 だとしたら――

 エヴァン・ハワーズの見立ても、正しかったということだろうか。

 

 指揮官室を出て、自室へ戻りながら、わたしはそっとつぶやいた。

 

「コリン・ハワーズ……か」

 

 ここは、思ったより面白い場所かもしれない。

 

 期待していた愉しみはないかもしれないけれど。

 別の享楽を体験できるのなら、それも悪くない。

 

 それに――もしかしたら、旅のゴールが見つかるかもしれない。

 

 そのためにも、いまはあの少年に忠を尽くすとしましょう。

 

 

 そう思うと、なぜか自然と口元がほころんだ。

 

 趣味に合わないはずなのに、なぜか感情パラメータが跳ねたのよね。

 


 

 同時刻、L211基地。

 

「――で? これが“基金”の全貌ってわけかい」

 

「あの……指揮官? ひとの資産を覗き見るのはよくないですよ」

 

「失礼なこと言わないでくれ。公開情報を丹念に紐づけしてマッピングしただけさ。しっかしまあ……額もたいしたものだけど、突っ込んでいる先がどこもヤバイな」

 

「ヤバイ、ですか」

「絡んでいるところが厄介すぎる――このあたりとかつついたら、元特殊部隊の怖いおじさんが団体で来るね」

 

「……そんなにですか」

 

「ヘリアンさん……いや、これは社長だなァ。こういう事態になってなお、なんとかできると思われているのか。やれやれ、わたしは便利屋じゃないんだぞ」

 

「えっと、指揮官……だいじょうぶ、ですか?」

 

「だいじょうぶな気がしないけど、なんとかしなきゃあ――スオミ、最優先命令」

「――はい」

 

「第一部隊は、以降の出撃予定はすべてキャンセルして、基地待機。担当予定だった任務は第三舞台に引き継がせて。きみ達の武装はCパックとGパックでそれぞれ準備」

 

「……何が起こるんですか?」

「というより、いつ起こるかだね――コリン君が赴任してどのくらい?」

「ええと……もう十週間になりますね」

 

「でしょ? そろそろしびれを切らしたバカが出てくる頃合いだ」

 

 

 

「――やれやれだよ、エヴァン・ハワーズ。友人の誼で約束は果たすけれど、文句が山脈ひとつぶんはあるぞ。まあ、わたしは人間の天国にはいけないから、あの世で面と向かって言えないのは、残念だけどネ……」

 

 

 

〔Ep.4「ピーチジュースがやってきた!」 End〕

 

〔――Next Ep.「いつものコーヒーが苦い件 part.1」〕




まあ鉄板のお約束なんですが、
書き終わって「普段穏やかな人は怒らせたらアカン」と思ったTicoです。

次回、いよいよスポットが当たる人はもちろん――?

第5話、「コーヒーが苦いのはイヤだから」、お楽しみに!
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