アイドルマスターシャイニーカラーズ 短編集 作:むらくもさん
※プロデューサーに関してはいつも以上に独自設定を盛りまくっているので、注意してください。
ジワジワとした蒸し暑さと夏の強い日差しが俺を灼く。暑さに耐えかねて背広は脱ぐも、尚耐えがたき暑さに吹き出た汗がシャツを濡らす。
汗ばみ、嫌な冷たさと共に肌に貼り付く衣服の感触も、耳障りな声を上げ鳴き続ける蝉も。今この場を構成しているなにもかもが不快で堪らなかった。
しかしその一切を無視した炎天下の中、手を抜くことなく丹念に掃除を終え、すっかりきれいになった墓石の前に供え物の饅頭と酒、花を置き線香を焚いた。
煙がゆらりと天へ上っていくように消えていく様を暫し眺めて。やがて手を合わせ目を瞑る。黙祷中の瞼の裏に広がる闇の中で、かつての母の言葉がリフレインする。
――人を恨まず生きなさい。優しく生きれば、きっと人生は豊かで幸せなものになるから。
「……悪いな母さん。その言葉、どうにも守れそうになくなった」
思わず、口から言葉が漏れる。その声は地の底から響くように低く、硬く。自分の喉から、腹からこんな声が出るものだと、くつくつと喉を震わせ自嘲した。
いざ思い返してみれば。俺の人生は、何も始まりから壊れていたわけではなかったと思う。
規模は小さいながらも多くの仕事を地元で請け負い、それなりに繁盛していた金属加工業を営む家に生まれた俺は、両親や家族同然の従業員達に可愛がられて愛されて。
物心ついたころから不満や不自由などはなく、人並みの贅沢もできた覚えがある。両親とデパートへ買い物に行った記憶、遥かに年上の従業員達に可愛がられ、遊びに連れて行ってもらった週末の記憶。あの頃は毎日が楽しく、全てが光り輝いていた。
だが、それも20年前。大企業がさらに勢力を伸ばすべく、地元に大きな工場を作ったのが終わりへの始まりだった。
その工場は大企業が金に物を言わせただけの事はあり、設備も最新の物を取りそろえた、まさに一流の大工場と呼ぶに相応しい物で。
最悪なのは、その大企業の方針でその工場がウチより遥かに低価格であらゆる仕事を請け負い始め……言葉を選ばず言うならば、仕事を奪いに掛かったことだ。
商品の品質ならば負けていなかった、と皆は言う。子供であった俺にはわからなかったことだが、皆が言うならばきっとそうなのだと思っていた。
だがそれでも、潤沢な設備投資の下で替えなどいくらでも居る程の豊富な人員により、24時間体制で昼夜を問わず稼働ができる向こうの工場の方が。安く、速く、多く、ニーズに合う物を顧客に提供することができた。
初めの内はまだ良かった。地元にはいきなりしゃしゃり出てきた大工場にえも言えぬ反骨心を覚え、信用という大義の元で頑なにこちらの工場へ仕事を持ってきてくれた人たちもいた。
だが、それも2年もすれば皆気不味そうな顔で向こうへと仕事を持っていくようになった。これは後で知ったことだがどうやら向こうの工場から、首を縦に振らざるを得ない程の何かを提案されたらしかった。
「腕では決して負けていなかった」 誰もが口を揃えてそう評したが、その腕の差は設備と人数の差の前に易々と屈することとなった。財力という地力の差をまざまざと見せつけられた、父の屈辱と絶望は如何程のものだっただろうか。
やがて仕事という仕事の一切が失せ。工場の維持費や運営費、社員への給料といった経費を捻出するのに苦心するようになったころ、更に悪いことに腕の良い職人が一人、また一人と辞めていった。
──あいつら、あっさりと社長を裏切って向こうへ付きやがった。金と待遇に目がくらんで家族も同然な人を裏ぎるたぁ、人情の欠片もねぇ連中だ。
最後まで残っていてくれた社員達が怒りと嫌悪感を隠そうともせずに話していたのを物陰に隠れて聞いた時、俺は全てを察した。辞めていった彼らは件の企業に引き抜きを打診され、それを受けたのだと。
大人になった今ならばその掌返しも無理なきことだと理解はできる。だが当時小学生であった自分にそれを理解し、納得しろというのは随分と酷な話であり。
そして何よりも、職人の引き抜きなどという手で入念に父の工場を潰しにかかる企業の悪辣さには、今なお腹が立って仕方がなかった。
結局、仕事も職人の殆どをも喪った父の工場は限界を迎え、3年そこらで閉鎖せざるを得なくなった。数代を重ねて培ってきた信用があればこそ、最初の内は資金繰りも効き、皮肉にも務めている人数が減ったことで結果的に必要経費が少なくなるなど、耐えること自体は出来ていた。
それでも。あれ程に見込みがなくなってしまえば、銀行もやがて助けの手を差し伸べたくとも出来なくなり。
父も最早これまで、と悟ったのだろう。これ以上無理を重ねて借金にまみれるよりはと工場を閉鎖することを決定し、土地と建物を売った金で残った社員への退職金を支払う事に決めたのだ。
それを決意してからの父の行動は極めて迅速だった。件の大企業に打診し、代々続けてきた工場の土地を売り渡し、心ばかりの退職金を最後まで残ってくれていた社員に支払い。皆涙ながらに最後くらいは笑顔でいよう、と酒盛りをし。
そうしてそれぞれの道へ進もうと解散した。事が起こったのは、その翌朝の事だった。
酒は飲めない身分までも大いに騒ぎ、盛り上げた疲れからぐっすりと眠っていた俺の意識を急激に覚醒させたのは耳を劈く女の悲鳴。
不意に耳に飛び込んできた衝撃に思わず飛び起きた俺は、しかし寝起きで思考がぼんやりとしており。今しがた己を叩き起こしたそれが母の悲鳴であることに気付くまでに数秒の時を要した。
すわ何事か、と声のした方へ歩く。庭に出て見れば、納屋の前で母がくず折れて泣いていた。一体何故、いやそれより寝ていた自分が飛び起きるほどの母の悲鳴を父は聞かなかったのか、と納屋の前に立つ。
──きい、きい、と上で何かが軋む音。足元に横向きに転がる脚立。だらり、と力なく吊り下がった手足。重力に引かれて伸びた背筋。縄に繋がれ、身体の重みに耐えられず幾分引き延ばされた首。
血が遮断されたから、なのだろうか……血色のない土気色の顔。死した父の光無き目が、力無く俺を見降ろしていた。
俺はきっと、あの光景を一生忘れることはできないだろう。学生の若い身で味わうにはあまりにも分不相応なその光景は強烈なトラウマとなって、残影となりて今尚脳裏に焼き付いているのだから。
父の葬儀を終えてから、俺を取り巻く生活は何もかもが変わったと言っても良い。父は資金繰りの限界を迎える直前に工場を閉めた。そのため幸いにして大きな借金を自分たちに残すという、いかにもありがちな展開に陥ることはなかった。
が、それでもまともな収入は無く。稼ぎ頭であった父も喪った今、俺の学費などを稼ぐために母はあくせくと働くようになった。
俺とて母だけに苦労を背負わせるなど到底我慢できるはずもなく、中学を出たら高校に行かず働きに出ると母に意思を伝えたが、母は決してそれを聞き入れなかった。何があろうとも金は用意するから、なんとしても大学へ行けと言うのだ。
「母さんね、お父さんがまさか死ぬことを選ぶくらい絶望してるってことまで分かってあげられなかったのを今でも後悔してるのよ。きっとお父さん、工場を閉めたらもう自分の価値なんて、次の道なんてないって。そう決めつけちゃってたのね……」
「ほら、あの人は子供のころから職人に混じって工場で働いてたから。工場がなくなっちゃったら、他に自分に可能性なんてないってそう思っちゃったんだと思う。だから母さん、あんたにはなるべく大学まで行って沢山の可能性を持ってほしいの」
俺もそこまで諭されればむやみやたらに反論することも出来ず。ただ母だけに苦労をさせるというのはどうしても出来なかったので、高校に上がってからは学業の傍らでアルバイトをして、少しでも家計の足しになるようにと俺も懸命に働いた。
高校は進学校であるために本来はアルバイトが禁止されていたが、事情を説明して『成績に問題がない限り』という条件で許可をもらっていた。
それ故に放課後は友人と遊ぶこともせず、所謂青春などとは無縁のまま3年間を学業とアルバイトだけに費やした。まともではなかったと言っても過言ではない程、多忙な3年間だったと記憶している。
そうして、来たる18の春。合格発表の確認に赴いた大学構内にて見事受かったことを確認し。自分でも十分に満足のいく大学に行ける喜びと、これまでの感謝を母に伝えるべく大急ぎで帰宅した時。母が、床に倒れている様を目の当たりにした。
慌てて救急車を呼び、駆け込んだ病院で母の死亡が確認されたとき、最初に胸に浮かび上がった感情が何だったか、今でも思い出すことはできない。ただ、医師から詳細を聞いた時に浮かび上がったのはぶつけ先も分からぬ悔恨と怒りだった。
「病状的には、そう急なものではなかったでしょう。ゆっくりと蓄積してこのような状態に……お母様はおそらく、かなりの期間苦しんで来られたと思われます。せめて早いうちから治療を受け、適切な手術をされていれば……」
その言葉を聞いて、俺は全てを理解した。母は医者に掛かる金惜しさに無理を押していたのだ──他ならぬ、俺の負担にならぬように。
或いは、俺が大学を出て社会人となるまで耐えぬけば経済的には相応に負担も減るから、それから改めて病院にと考えていたかもしれない。だがそれはあまりにも無理で、無謀で、無茶な試みで……結果としてその目論見は失敗したのだ。
母の葬儀を終え、灰と骨の詰まった壺と仏壇を前に、俺は夜が明けるまで慟哭した。父の自死を目の当たりにしたトラウマに続き、母の死に目にすら逢えなかった事実は20代にも満たない若者には到底耐えられない苦しみと悲しみだった。
それからの大学生活、それは死んだように生きているという表現がまさしく的確であったと思う。ただ母の命を懸けた思いを、意思を無駄にしたくないからという理由だけで勤勉に学び、生活費などを捻出するためだけにアルバイトをこなす毎日。
俺は学費こそ奨学金を取っていたが、卒業後に返せるだけ返すべく余った金は全て貯金していた。どの道、生きるため以外に金を使う気など以前にも増して起きなかった。
やがて大学を危なげなく卒業し、内定を貰っていたイベント系の企業で激務を超えた激務に追われ。度を越したブラック気質な社内風土と殺人的な業務量にも一切の弱音を吐くことなく、生きるために働くのか働いた末に死のうとしているのかさえ分からなくなって。
そのまま働き続ければ最終的に過労死すると確信し、父と母の顛末とさほど変わらない終わりを自分もまた迎えるのだな、と全てを諦めていたころ、何の前触れもなく上司のミスの人柱として抜擢され、突然解雇された。
それ自体には何の感慨も湧かず、大した反論も弁解もせずに会社を追われ。図らずも生まれてしまった暇と虚無感を前に、さてどうしようかと考えていたところ。予想外の転機が訪れた。
「──仕事を探しているのであれば、私のプロダクションで働く気はないか?」
無職となった俺に誘いを掛けたのは、以前に仕事で知り合った程度の間柄に過ぎない、立ち上げたばかりでまだまだ新興の頃の283プロ──その社長だった。
何故俺に声を掛けてくれたのか当時は分からなかったが、それでも少しの期間仕事も何もしなかった時間が生まれたことでほんの少しだけ人の心を取り戻したか。
少なくとも今すぐに死のうという気概も失せていた俺は、生きるために仕事を探す手間が省けたとばかりにそれを快諾し。晴れて283プロ所属のプロデューサーとなった。
アイドルのプロデューサーなどという、以前は欠片も考えていなかった職に就いた当初こそ大層戸惑ったが……社長やはづきさんのサポートを受けて、更には担当となったアイドルともコミュニケーションの中で時に喜び、時に悲しみ、時にほんの少しの衝突をして二人三脚でやっていく中であらゆる経験を吸収し。
プロデューサーとして問題なく一人でやっていけるようになった頃には、俺もすっかり心を……感情というものを取り戻していた。その頃にはこの仕事を心から楽しいと思え、母の言っていた可能性というのとは、まさにこういう事を指すのだとさえ考えていた。
そんな折である。スカウトやオーディションで283プロ入りし、自身が担当していた四人のアイドル。ソロで売り出そうとも考えていた彼女たちに、さらにもう一人加えた五人ユニット『放課後クライマックスガールズ』を結成する、という企画が決まった。
自分が企画提案し、社長がそれを受けて承認する。会議は終わり、早速準備に取り掛かろうとしたところで社長に声を掛けられた。
「ちなみにだが教えてくれ。この企画の為に新しく迎え入れる一人、どのように選抜するつもりだ?」
社長の問いかけは此方を試すようでもあり、それでいて此方と彼方の認識の齟齬を測るための物だという事が直感で分かった。
是か非かは置いておき、ここは自身の意見を率直述べるべきだと判断した俺は、思いの丈を正直に告げる。
「そうですね……ひとまずはオーディションを開催してみようと考えています。現在決まっている四人が12歳の果穂、それから高校生の三人なので……そうですね。彼女たちよりはもう少し年上、20前後……概ね大学生くらいの娘で探せれば、ってイメージですかね」
「なるほど……悪くない。候補が出来たら、私にも見せてくれ。信用している以上、仔細は任せるつもりだが一応確認だけはさせてもらおう」
「承知しました、どうぞお任せください。必ず、ご期待に沿えるようなメンバー候補を見つけますよ」
各所に掲載するためのオーディションの募集要項、その原稿を作りながら考える。社長も随分と自分を信頼して仕事を任せてくれるようになったし、事実信頼に見合った働きは自分でも出来ているつもりだと思う。
これまでに担当となったアイドル達とも、それなりには良好な関係を築けているつもりだ。それもこれも、283プロに入って自分というものを多少取り戻せたからだろう。
少なくとも、母が死んで以来は久しくこんなに何かが楽しいとも思わなかったし、人に優しくしようという気も起きなかった。ただ、流されるようにして日々を無為に過ごすだけの人生であった。
283プロに来て、俺はようやく人間に戻れたのだ。願わくばずっとこんな日々が続けば良い……そう切に思いながら、まだ見ぬ新たなアイドルが見つかることを祈って原稿を書き綴っていた。
──────────
レッスン場への道を足早に歩く。いつもより革靴が地面を打つ音が大きく聞こえる気がして思わず立ち止まり、自分が無意識の内に強く地面を踏み鳴らして歩いていることに気が付いた。
何を焦っているのか、と思わず自嘲の笑みを浮かべながらも──その実目は笑っていないのだろうな、という確信があった。
『有栖川夏葉』 ──有栖川グループ。それこそが我が家系に続いた工場を潰し、父を自死に追いやり、母を死に至らしめた大企業の名だった。
書類審査の為に送られてきた履歴書の中で、その名前を見つけた時は思わず思考が停止して暫しの時を呆けてしまったものだ。
その後に感じたのは283プロへと転職してからは一度も表出することがなかった、ともすれば幼少の頃より熟成されてきた、笑ってしまうほどに純粋な感情──怒りだった。
有栖川、などという名字はそうそう居るものではない。故にその名を聞いて連鎖的に蘇るのは父と母、それぞれの死に目と死に顔。
まさか。自身の両親を死に至らしめた元凶たる存在に連なる女という、格好の感情のぶつけ先が自ら目の前に現れることがあるなど、一体誰が想像できるというのだろうか。
283プロで健全に精力的に働くことが結果的に精神的な療養となり、暗い感情は捨て去って過去を乗り越えられた気になっていた。
しかしその、同じ苗字を一目見ただけで狂乱しそうなほどの情動と憤怒に支配されかねない程になるとは。結局のところ、俺は自分の中にいる根源的な感情たる憤怒を消せても乗り越えられてもいなかったのだ。
……或いは、多少なりとも283プロでの生活で心にゆとりを作れていたからこそ、この程度の動揺で済んでいたとも言えるか。少なくとも、同姓の可能性を考え踏みとどまるだけの自制心が残っていたことに、その際は安堵したものだ。
一応、オーディションはあくまでも公正に行ったつもりだった。初めて顔を合わせた時の自信に満ちた顔と言動に内心湧き上がる理不尽な怒りを理性で必死に抑え込み、笑顔の仮面を張り付けて応対、その後選考。
『有栖川夏葉は283プロへ迎え入れるに値する、才に満ち溢れたアイドルの卵である』という結論に至ったのは、俺のプロデューサーとしてのプライドが仕事に不平を許さなかったからか……あるいは復讐心が顔を出した結果の贔屓目なのか。最早自分でも分からなかった。
ただ、念のためにと極秘に興信所を雇い彼女の身辺調査を依頼した。依頼の内容とて何のことはない、「ただ親族関係を洗ってほしい」というだけ。これだけならば仮に社長や当人にバレたとして幾らでも言い訳は付くし、そもそもそれ以上の情報にも興味はなかった。
彼女が果たして『あの』有栖川なのか、それが知りたかっただけだ。そしてもしも単なる同姓というだけであったならば。彼女には悪いが適当に理由を付けて合格は2番候補の子にさせてもらおうとも思っていた。
それは結局、『有栖川』という名前を見ただけで気分を害しかねない自分が、無用に関係のない人を傷つけるかもしれないという最後の理性だったのだろう。
──かくして興信所から結果は届き、俺は合格通知を出した。
そして今日が283プロとアイドル候補としての契約を交わした後の初めての顔合わせ、というわけだ。担当プロデューサーと顔合わせをするよりも先にダンスレッスンとは、やる気の程が透けて見える熱心さじゃあないか──社会人としては落第だがな、と心の中で毒づきながらも表情や態度にはおくびにも出さず、彼女がレッスンに熱中するを眺めていた。
やがてダンスレッスンを終え、タオルで汗を拭きながら彼女がこちらへ近づいてくる。
「アナタが私のプロデューサーね?」
「あぁ、オーディションでも一度顔を合わせているね。君が──」
「いい?目指すならトップだけよ!」
此方の言葉を遮り、おもむろに目標を掲げられて思わず呆ける。なんだ、この女は?挨拶もろくに出来ないのか、と心の中に湧き上がる悪意と嫌悪感に顔が歪みそうになるが鋼の意志でそれを堪える。
「……え、えーっと?」
「あら、何を呆けているのかしら。当然のことでしょう!アイドルだろうとなんだろうと、世界一以外の目標はあり得ないわ!」
代わりに柔和な笑みを崩さぬまま、困惑した姿を見せてやると、こちらの皮肉な態度にも自信満々な笑みを崩さぬまま、目の前の女は高説を垂れる。なんという自信家、これが有栖川のお嬢様か……口の端がひくりと動いたのを自分でも感じられた。
「アナタも私のプロデューサーになるのならば、そのつもりでいなさい!」
「……分かった、俺もそのつもりでやらせてもらうよ。これからよろしく、有栖川さん」
「夏葉で良いわ!こちらこそよろしく頼むわね、プロデューサー!」
握手を求め差し出されたその手を、ガッチリと握り返す。……そうだ、こちらもそのつもりでやらせてもらう。ここまでプライドの高い女だ。こいつを貶めるのに最適な復讐の方法、その算段が瞬時にはじき出された。
こうなれば何が正しくて何が間違っているかなど、最早関係ない。有栖川夏葉は人生の絶頂を迎える、まさにその瞬間に破滅してもらう。それこそが家族を死へ誘った有栖川への復讐だと、そう胸に刻み込む。
アイドルのプロデューサーという自身の誇る職業倫理と才能、敬愛する社長や283プロの皆の信頼、そして何よりも己の命。俺は俺の持ちうる全てを使って彼女をプロデュースし、そして彼女から全てを奪うと決めた。
それからの俺は他のアイドルのプロデュースも十全なほどに行いながらも、夏葉になるべく多く付き添うようにして彼女の成長の為の努力を惜しまなかった。
破滅を望んでいながら熱心に育てあげるという矛盾に自嘲したことも一度や二度ではないが、これに関して言えば自分の中でも既に結論は付いていた。これは頂点に立つその瞬間に全てを奪われ破滅する夏葉が見たい、というだけではない。
手塩に掛けて育てあげたアイドルが自らの采配で破滅するその様が見るという、プロデューサーとしての自殺行為も最早目標に入っていたのだろう。この復讐を完遂したその時に俺は283プロを辞め、きっとどこかでひっそりと死ぬだろうことを確信していた。
他のアイドル達からの贔屓だという声や不平、不満は出てこなかった。当然だ、彼女たちに対してもこれまで以上に深く接するようにはしていたし、そのために休みを削ることは、父が死んで以来労働に身をやつしすぎるほどに費やしてきた日々を耐えてきた身からすれば痛くもなかった。
それほどの覚悟を以て、俺はこの復讐を完遂させようとしているのだ。全ては両親の無念を晴らし、俺自身の人生の恨みと禍根を晴らす為に。そう割り切り、俺は懸命にスケジュールの調整をして夏葉を売り込み、仕事を取って来た。
「やったわ、プロデューサー!オーディション合格ですって!」
「おお、やったか!流石だな夏葉!」
「正直今回はどう振舞えばいいか難しくって、少しだけ不安だったの。でも、アナタのアドバイスのおかげで合格できたわ」
「何言ってるんだ。俺はちょっとアドバイスをして背中を押しただけ……あとは夏葉の頑張りの賜物だよ」
「そう、かしら……?でも、やっぱり私はプロデューサーのおかげだと思うわ、だからお礼くらい言わせて頂戴」
「はは……向かって言われると、なんだか照れくさいな」
「良いのよ、謙遜しなくても。アナタはこの私を見事導いた名プロデューサーなんだから! 堂々としなさい、ね?」
──時には難関とされるオーディションに悩む夏葉を、これまでの経験と人脈から審査員の傾向を読み取ってアドバイスすることで見事合格へと導き。
「ごめんなさいプロデューサー……」
「気にするな、俺は今回の夏葉のパフォーマンスも決して悪くはなかったと思う」
「そうね、けれど」
「ただまぁ、そうだな。確かにもう少し最後の方の振り付けとか、詰めれてればとは思ったよ」
「流石、よく見ているのね……そうよ、私もそう思っていたところだったの」
「反省点はしっかりと見えている。なら落ち込むより優先してやるべきことがある。それが有栖川夏葉、だろ?」
「……えぇ、全くもってその通りだわプロデューサー。アナタは……いつも私の掛けてほしい言葉をくれるわね」
「だろうな。良いプロデューサーってのは、アイドルに火をつけるのが上手いんだよ。俺にもこう見えて、何人もプロデュースして見せてる実績と経験があるんだ」
「なんだか見透かされているようなのはちょっとだけ悔しいけど、敵わないわね……けど、アナタの言う通りよ。私はトップになるの……そのためにもこんなところでクヨクヨなんてしていられないわ!」
──時には失敗して落ち込む夏葉へ、的確に欲しいであろう言葉を投げ掛けることで発破を掛けて立ち直らせた。
そんな風に二人三脚を演じて数か月。卒なく、それでいて無駄のない気遣いの数々に夏葉も自分に随分と気を許すようになって久しく。ついにその時はやって来た。
「夏葉、ついにこの時がやって来た。いよいよW.I.N.G.決勝だがコンディションの程はどうだ?」
全てはこの時の為、新人アイドルの祭典であり最も分かりやすくトップが決まる場……W.I.N.G.の決勝へ進んでもらうために俺は自分の全てを掛けて夏葉を育て上げたのだ。
「プロデューサー……これ以上ないほどに仕上げて来たつもりよ。アナタに貰ったアドバイスの通り、ダンスのキレもこれ以上ないほどに高めて来たわ」
「その意気だ。ここで一位を取れれば俺たちが目指したトップの座を手に入れられる、自分の全てを出し切ってこい、夏葉!」
「えぇ、行ってくるわ。私が頂点に立つところ、しっかりと見てなさい!」
笑顔で啖呵を切り、ステージへと駆け上がっていく夏葉の背を見送りながら、思わず口元は薄く笑みの形を浮かべ──笑みは深まり続けて歪な歪みを表出させた。
「あぁ、行ってこい夏葉──念願のトップが決まるこの場所で、どうぞ見当違いのパフォーマンスを披露して挫折してくれ」
それは先ほどまで見せていた夏葉用の柔和な笑み……それが剥がれた下に座する、本心からの笑みだった。
──俺はオーディションに参加する審査員のメンバーから、凡そどういった要素を重視してアピールすれば好感触を得られるか、という予測を立てるのが得意だった。
それなりの学が備わっていることや、それまでの人生経験から情報と要素を揃えた上での予測と分析全般が得意だった、と言い換えてもいいだろう。
事実その才能はプロデュースの面において非常に役に立つ。現に夏葉へアドバイスをし、それを守らせて臨んだオーディションは全てダントツで勝って来た。
だが、今回に限っては俺は夏葉に嘘を吐いた。『ダンスのキレこそが最大のアピールポイントとなる』といつものようにアドバイスとして伝えたが、実際の審査員の傾向は……彼らは全員、歌声の善し悪しで順位を付けるタイプの評論家だ。
勿論、これまでもアドバイスだけが勝因とは思ってはいない。夏葉の才能も並のアイドル以上にあるし、何より本人のトップアイドルを目指すという心意気は本物であり、その努力は相当なものだったが……それを加味しても、これまで俺のアドバイスを守ったオーディションはさぞかし勝ちやすかったことだろう。俺に言わせれば、これまでの半分くらいは卑怯な手で楽に勝ちすぎているほどだ。
それだけの成功体験を事前にさせているのだ。人は勝負に勝つためならば躊躇うことなく甘い方へと流れるもの。これまでの経験から、夏葉は今回も勝つために俺のアドバイスを守って臨むだろう。
──故に、それこそが罠。まさしく甘言に惑わされて、彼女は失墜することになる。
きっと夏葉は、異様なやりにくさの中で必死に俺の教えを守って見当違いのパフォーマンスをし、そうして審査員からは見向きもされずに終わるだろう。
彼女が失意に沈み、絶望したその様を見届けたら……そうしたら、俺はその場を去る。そして283プロも辞めて、どこかでひっそりと死ぬか、あるいは無為に生きるか。
復讐を完遂した後の事を考えていて、突如湧いた歓声に顔を打たれた。思わず目の前のステージを見やると、にわかに信じられない光景が広がっていた。
『審査の結果──優勝は有栖川夏葉さんです!おめでとうございます、ここがアイドルの頂点です!!』
司会の声が大きく響き渡る。夏葉が用意された檀上へ上り、歓喜と自信に満ち溢れた表情で頂点に立っていた。
「な──」
──そんな馬鹿な。思わず叫びそうになった己が口を掌で抑え込む。それは周囲にはどう見えたか。ともすれば、担当のアイドルが頂点に立った姿を目にして感涙にむせび泣いているようにも見えただろう。だが、現実はそうではない。
動揺治まらぬ中、電子パネルにて公表された審査員の批評を見る。メンバーは事前に確認した情報と同じ、ならば彼らの嗜好は歌にこそあるはずだ。同時に今回の決勝には、優勝候補とも評された稀代の歌姫が居たはずだ……そこまで思考を巡らせつつ、本文を見る。
内容を搔い摘めば、夏葉優勝の決め手となったのは間違いなく「ダンスのキレ」であること。審査員の想定していた基準を遥かに上回るそれを目にして、気が付けば審査員全員が嗜好を越えて投票していた……それほどまでに心を奪われた完成度こそが優勝の理由である、という事。
……そこまで読んで天を仰ぐ。会場のライトが眩しく光り、思わず手で視界を遮った。やはり、周囲からは感涙に咽ぶように見えるのだろう。今この時、俺は自身の敗北を悟った。悟らざるを得なかった。
──────────
「──プロデューサー。私、アナタには本当に感謝しているの」
表彰を終えて。優勝後のインタビューは本人の疲労も鑑みて、後日改めて行うとしてマスコミを程々に捌き、夏葉の着替えを待って帰路に着く。
疲れているだろうからタクシーをと言う俺に対し夏葉は「少し歩きたい」と告げ、今こうして夜道を上機嫌に歩いている。俺はその後ろを規則正しいリズムで、足をただ動かす様にして歩いていた。
「またそれか?俺は感謝されるようなことは一切していないよ。この優勝も夏葉の実力あってのものだろう」
全てを掛けた復讐も失敗に終わった今となっては彼女の事を気に掛ける必要など特にはなかったが、最早ここまで来て邪険にする気力もなかった。萎び切った心をどうにか押し込め、普段通りに接して見せる。
それに、こうして夏葉と触れ合うのも今日が最後と決めていた。夏葉が満足いくまで付き合い、送り届けて別れたらそれで終わりだ。
……明日には俺は283プロへの辞表を送り、住んでいた家も引き払ってどこか誰も知らぬ場所へと向かうだろう。
そうして、何も成し遂げられなかった無為な人間として死ぬか。それすら出来ず生きて彷徨うのも、復讐に失敗した男の末路としては上等だろう。
「……ねぇ、プロデューサー」
不意に、夏葉の声が掛かる。それに呼応するように内面へ向けていた意識を前方へと戻せば、夏葉が振り向き真剣な表情でこちらを見ていた。
「どうした?そんな真剣な表情で。折角トップアイドルになったんだ、今日くらいは笑顔を崩さずに」
「アナタ……アナタは、どうして私をここまで気に掛けてくれたのかしら?」
「どうして……どうしてって。それは夏葉がアイドルとしての才能に溢れていて、俺が夏葉を全力でサポートしようって決めていたからだ。他に理由がいるか?」
いつになく真剣な眼差し、何か言葉以外に問うような口調に、多少の動揺を覚えながら、当たり障りのない答えを返す。妙な胸騒ぎは、悟られぬようにねじ伏せた。
「本当?……いいえ、きっと違うわ。アナタは、私が『有栖川』だからこれほどまでに気に掛けた、違うかしら?」
はっきりと耳に聞こえた、ドクンと鳴ったのは自分の心臓か。それを理解するのに数秒を要するほど、動揺したのが自分でも分かる。何故だ。何故そんなことを聞いてくる? 予想外の事態に脳が麻痺て口が乾く。舌の根がべったりと口蓋に貼りついて気持ちが悪い。
「な、何を言っているんだ……? 夏葉、君が有栖川の令嬢であることは勿論把握している。だが、だから手塩に掛けたなんて言うのは心外だ……これまでの付き合いでそれが分からない夏葉じゃあないだろう? 一体なんのつもりでそんなこと……?」
胸騒ぎが止まらない。心臓が激しく脈動し、嫌な予感は全身を悪寒の形で駆け巡る。もう疑念は確信へと変わっていたが、それを聞くのが怖かった。
「アナタにはずっと黙っていたわ……けれど、今この瞬間だからこそアナタには言わないといけない。──私は、アナタの過去を知っている」
それでも尋ねたのは。心のどこかで、復讐対象たる彼女は復讐者たる自分の過去など知るはずもないという驕りがあったからだ。
「──────」
最早、言葉は無かった。全て知られていたという事実が俺の脳を焼き切り、思考を完全に停止させていた。
「……プロデューサー、大丈夫?」
夏葉の声で現実に引き戻される。目の前に立っている夏葉は復讐者たる俺を恐れるでも怒るでもなく、ただ心配するような、憐れむような眼で見ていた。
「……何時からだ?」
俺の問いに対して夏葉はふいと視線を外し、申し訳なさそうに答える。
「……アナタの過去を把握したのは、つい先月の話よ。誓うわ、それより前は全く知ることも悟ることもなかった」
「そうか。……じゃあ次の質問だ、一体何故分かった? 俺は過去の事はおろか、なるべく自分の話もしないようにしていたはずだ。万一にもボロを出したことはないはずだが……」
「私は有栖川の娘として、グループ企業の偉い方が集まるパーティに参加することが多いわ。それはアナタも知っているでしょう?」
「あぁ、それで何度かスケジュールを調整したことがあるからな……まさかとは思うんだが、そこで? 正直、有栖川の人間が10年以上前に潰した町工場の事を覚えてるとは思えないが」
「有栖川の傘下にある、加工業の社長さん。もう随分とご年配の方だけれど……──さん、って名前に聞き覚えはないかしら? 正直そんなに多く居そうな名前ではないわよね?」
夏葉が出した名前に、思わず目を見開いた。それは、父の工場で働いていた職人の名だったからだ。
彼の名前の響きは珍しく、他に同じ名の人がいるとも思えない。彼は父の為によく働き、俺の事も良く可愛がってくれ……そして最後は、父を裏切って最初に有栖川の工場へと鞍替えした男だった。
「酔っぱらったあの人が私に絡んだわ。普段なら適当にあしらうつもりだったけれど……」
夏葉はためらいがちながらもそのパーティーで聞いた話を話す。それは酒の力に負けてくだを巻いた老人の、涙ながらの過去の懺悔だった。
──信頼してもらっていた町工場を裏切って早々に有栖川に付いた。好待遇をちらつかされて魔が差した。工場は潰れたがその時は後悔などなかった。
──後に、当時の職人仲間と偶然出くわした時、胸倉を掴まれて。社長が自殺し、数年の後に奥方が亡くなられたという事実を叩きつけられたとき。自分が敬愛した彼らの死の一因を担ったのだということに気付き、恐ろしいほどの後悔の念が渦を巻いた。
──縋るような思いで、社長の息子さんはどうなった? と聞けば、あくまで風の噂だがどこかの芸能プロダクションでプロデューサーをやっているという。
──何度も、探し出して謝ろうと思った。だが今更謝って何になる?そう自問自答を繰り返すあまり、彼に会うのが怖くて探すことさえできやしない……
「正直、彼の話を聞いたその瞬間はアナタがその一人息子だなんて考えもしなかったわ」
夏葉はすっかり黙り込んだ俺に言葉をかける。その話しぶりは、まるで沈黙を恐れるかのようだった。
「けれどどうしても気になった。芸能プロダクションでプロデューサーをやっている男性なんて、探せばその一人息子と同世代の人はきっとかなりの数が居る。そもそも本当にプロデューサーをやっているかどうかすら分からないと彼は言っていたけど……それでも万が一、という事もある」
「それで調べたというわけか。参ったな、こういう時も夏葉の勘はずば抜けていたというわけだ」
へら、と笑って見せる。両手を掲げ、降参のポーズ。おどけて見せないと、どんな感情が飛び出すか分からない。
俺はここに来てなんの感情も夏葉に見せたくなかったのだ。話を聞き流している内、最早何を知られていようと今夜が終われば明日には俺は消えるという諦観の境地に自分を立たせた。
既に復讐は失敗している。ならばその後は言わせておけばいい、というくらいの気分で。
「それで? 夏葉が知った通りの過去を通って来た俺は、簡単に言えば復讐者だ。有栖川が憎くて憎くて堪らないし、その縁者である夏葉にも今日の決勝、正直に言えば負けてくれと思って頓珍漢なアドバイスをしたつもりなんだがな」
否。当然腹の内はそこまで穏やかではなく、この態度は精いっぱいの虚勢だった。そう自分を納得させなければならなかった。
「……私は有栖川として、アナタに謝りたいの」
「は?」
だが、夏葉の言葉は俺の虚勢を吹き飛ばすには十分だった。
俺の素性を知った夏葉がどうするかなど、考えたことも無かった。一度でも考えてシミュレートしていれば、きっと予想が出来ていた筈なのに。
ここに来てバレているはずがないという絶対の自信が最悪の想定を怠った。そして、そのツケが今めぐって来たのだ。
おどけた笑みが、感情の色が顔面から一瞬で抜けたのを自分でも感じた。全ての表情筋は即座にニュートラルの状態へ移行し、一瞬自分が能面を被った錯覚を覚えた。
「勿論私が謝ったってなんにもならないことくらいは分かっている。当事者でもなく、ただ有栖川というだけで謝ることがアナタにとって慰めにならないことも分かっている。けれど……」
「そこまで分かっていながら……敢えて俺に謝るってのか……?」
「へ──」
夏葉の言葉を遮った地鳴りのような低い唸り。それが自分の口から出た意味のある呪詛であるという事に気が付いた時には、もう抑えるのは不可能だった。
「お前がしようとしていることが、俺にとって、どれだけ残酷なことか……考えなかったのか!!!!」
電流の様な怒りが痛みと共に全身を駆け巡り、喉を焼いて雷鳴となりて口から飛び出す。それを一身に受けた夏葉は、初めて俺の前でびくりと身体を緊張させた。
「お前が謝って何になる? 俺から全てを奪い去った有栖川が、謝るだと? 馬鹿にするのも大概にしろ……!!」
夜道に俺の怒号が響き渡る。最早近所迷惑か、などと考える思考は吹き飛んでいた。ただ目の前の『有栖川』が、よりにもよって同情と憐憫を以て自分に謝罪しようとしている姿が、どこまでも癪に障った。
「いいか。お前が、ひいては有栖川が俺に謝ったところでなんにもならないんだよ。父も母も帰ってくることはないし、子供の頃に大好きだったあの環境が戻ってくることは二度とない。お前らが取り返しのつかない形で俺から奪ったからな」
「お前たち有栖川が俺にできる唯一の贖罪はな。父と同じように自死を選び、母と同じように苦しんで逝き、工場の様に潰れて俺の様に壊れていくことだけだ……! それをお前らは、俺の人生に消えない傷を残したお前らがよりにもよって同情を以て何の形にもならない謝罪をするってのか……? 下らない事ばかり好き勝手に言いやがって。結局貴様ら有栖川は、俺たち弱者に対して上から目線を崩さなかったな。自己満足の為に俺から全てを奪った次は自己満足の為に謝罪したいってか? どれだけ人をコケにする気だ、お前たちは!」
「──ぁ、待って……違うのプロデュ……」
それだけ吐き捨て、未だ硬直する夏葉を置いて一人歩き去ろうとする。数秒後に思考が復帰したらしい夏葉が、追いすがる様に駆け寄ろうとするのを振り向き視線で制す。それだけで、蛇に睨まれた蛙の如く動けなくなった。
「何が違う!? 少しくらい違うかもしれないと思っていたが、結局お前は有栖川だ。お前が謝る理由は同情以外には一切無いんだよ、残念ながらな!」
「──あぁそうだ。有栖川が俺の前に再び現れることさえなければ、俺は283のプロデューサーとして自分の人生をようやく取り戻せていたんだ。それを、お前がやって来たことで俺は復讐の事しか考えれらなくなってしまった……」
「お前が、お前さえ居なければ……っ!」
激情のあまりに呪詛をこれでもかと叩きつけて、夏葉に背を向け走り出す。久々の全力疾走ですぐに胸も足も痛むが、怒りを原動力としているだけあってぐんぐんと速度を上げて走ることができた。
……そうだ。夏葉さえ居なければ、いずれは俺は有栖川への復讐心を捨て去れる時が来たかもしれない。そうすれば、きっとアイドルのプロデュースに精を出し、担当のアイドルや優しい同僚に囲まれて俺は幸せな人生を送ることができたのだろう。
だが、本当はそれを夏葉に醜くぶつけたくはなかった自分も確かに居た。彼女とて後からそれを知った身で、今日まで言い出せなかったのは負い目ゆえなのだろう。
同情で謝ろうとしたことにこそ腹は立つ。だが、本当に許せないのは──
「……って……!」
そこまで考えて、背後から聞こえる声に気付く。
「……デュ―サ―……待って……!」
微かに聞こえるそれが、多少ではあるが近く、大きくなっていく。
疲れから限界を迎えて速度は徐々に鈍り、やがて立ち止まる。張り裂けそうな心臓に大きく息切らせて振り返り見れば。
「──プロデューサー!……お願いだから……待って……!!!」
夏葉が、必死に駆けて追いかけてきていた。自分は思った以上の速度で走っていたらしく、距離は少し空いているが……それでも夏葉もかなりのスピードで駆け寄ってくる。
パンプスで良くもまぁあんな速度が、と息も絶え絶えに場違いなことを考えてぼんやりと眺めて──瞬間、ぞわりと全身の肌が粟立った。
駆け寄る夏葉、信号は赤、走るトラック、気付かない、速度も緩まない、迫るトラック、気付く、クラクション、硬直、間に合わない、いや、俺は──考える前に、身体が動いていた。
「──夏葉!!」
全力疾走で疲れ果てていた身体の限界を超えた速さで駆け寄り、夏葉を渾身の力で突き飛ばす。それが限られた時間の中でできる全てだった。
直後──衝撃、暗転。
──────────
「……ぁ」
「――……!」
何か、長い夢を見ていたような気がする。ぼんやりとした思考の中で目を開くと、目の前には泣き叫ぶような夏葉の顔が。
「……ぉ」
どうしたんだ、と言おうとして。まるで声が出ず、かひゅ、と気が抜けるような音が微かに出ただけだった。
妙な息苦しさと酷い寒気、けれど妙に心地良い眠気にどうにか抗いながら視線を動かして周囲を見る。
人だかり、血溜まり、トラック。思考ははっきりとは働かないが──嗚呼、俺は夏葉を庇って轢かれたんだな、ということだけは分かった。
「……──!──……」
夏葉が眼前で何かを叫んでいるが、何も聞こえない。その原因も分からなかったが、とりあえず起き上がろうとして、ぴくりとも動かない身体に気が付いた。
──困ったな。声も出ないし聞こえない、身体も動かないんじゃ何にも伝えられそうにない。
本当は夏葉は悪くないんだ。有栖川だからって俺は夏葉を恨むべきではなかった。夏葉自身の事は俺はとっくに許せていたのに、怒りと復讐の事ばかり考えてそのことから目を背けていた自分こそが俺は許せなかったんだ。
それだけは何とか伝えたくて、動かない身体をそれでも頑張って動かそうとすると、なんとか右手が動いた。中空に伸びた傷だらけのそれを、夏葉がしっかりと握りしめる。
握られた感覚はもうなかったけれど、それはとても温かかった。何となく寒くなっていく身体に手から熱を貰って。なんだか安心できる温かさだなと思うと同時に、一気に意識が眠りへと向かっていくのを感じた。
安心したままに、表情が緩む。穏やかな微笑みを俺は正しく浮かべられているだろうか。彼女に少しでも俺の意図は伝わっているだろうか。
「……ぇ」
少しだけ寝たら、夏葉ともう一度話をしてみよう……有栖川は依然として許せないけれど、夏葉には……閉じていく視界と落ちていく意識の中で、そのことがぼんやりと頭の中に浮かんで消えて。視界が暗くなって、ゼロになった。
「……プロデューサー?」
「ねぇ……プロデューサー、起きてよ……」
「……ぁぁ……」
「ああぁぁぁぁ………!!!!」
──────────
春の陽気が身体を優しく包み込む。冬は終わり、蕾が花開く頃、私はプロデューサーのお墓参りに来ていた。
彼が私を庇って亡くなってから、凡そ半年。本当に色々なことがあったし、私自身にも相当な変化があった。
彼を喪ってふさぎ込んだ私。W.I.N.G.優勝者がまさにその日の帰りに事故に遭い、プロデューサーが身を挺して庇い死亡……遺された当人はすっかりと塞ぎ込んでしまった、という悲劇性はマスコミの格好のネタだった。
暫く事務所も対応に追われてしまった事、本当に申し訳なく思う。所属していたほかのアイドル達も信頼していたプロデューサーが突然この世を去ってしまったという喪失感に対し、様々な反応を見せたという。
結局私が復帰できたのは、気持ちの整理におよそ2月を要した後だった。
彼が導いてくれた道を、踏み外すことは最早許されないだろうと思う。真に身勝手な話だが、自分は彼が導いてくれた通りのアイドルを張り続けることが私なりの贖罪だと信じていた。
かくして有栖川夏葉は芸能界に堂々と復帰を果たし、それまで以上に目覚ましい活躍を成してきた。
掃除を終えて奇麗になった墓前にしゃがみ、線香をあげて手を合わせる。
「──プロデューサー。アナタは、最期に私を許してくれたと信じているわ。だって最後に見せてくれたあの微笑みは、恨みを持っていてはとてもできないほど穏やかだったもの……」
「だから、私は私であり続ける。私たちはアナタから何もかもを奪っていってしまったけれど、アナタは最後に私を遺した。遺された者の責任として、終わるその時まで絶対にトップであり続ける」
「それが、アナタが作り上げたトップアイドル『有栖川夏葉』としての矜持よ。だからどうか……どうか、見守っていて頂戴」
立ち上がり、墓地を後にする。正面から吹く柔らかな風が、花弁を含んで私の背後へと消えていった。