アイドルマスターシャイニーカラーズ 短編集 作:むらくもさん
夢を、見ていた。
それはどことも分からぬ闇の中、遠くにぼんやりと光を放つ少女の姿。
「──ぜ、──!」
俺は少女に向って呼びかけ、駆け寄ろうと必死に走るが、距離は一切縮まらず。
やがて少女は悲しげな表情を見せると、背を見せ闇へと消えていく。
「──!──!?──んぜ!」
俺はそれが辛くて、辛くて胸が張り裂けそうな思いに声を上げて速度を上げようと脚を懸命に動かすが、いつしか脚は、その身体は泥の中を歩くように重く、距離は無常に離れていき。
──やがて少女の光は闇へと融けてしまい、辺りを暗黒と静寂が包んだ。絶望のままに絶叫し、その残響だけがただ虚しく──。
「……──凛世!」
自分の口から出た音、出た声の大きさで目を覚ます、などという経験は果たしていつぶりか。
夢見は良い時もあれば悪い時もある。ただ、今日のそれはあまりにも夢見心地が悪すぎた。
意味は分からない、ただ鮮明に覚えているのは夢の中の少女──凛世の悲しそうな表情と、消えゆく背中。
夢だと分かっていてもあの謎の焦燥感と絶望は、目覚めて尚引き摺る様に俺の心にずっしりと重い物を抱えさせていた。
「……はぁ。よりによって今日こんな夢を見るなんて、不吉というかなんというか……」
手帳のスケジュールを確認して、思わずため息が出た。ページに示された日付は十月十九日、見出しには大きく「凛世の誕生日」とあった。
────────────────────────────────────
「おはようございまーす……」
いつも通り、始業時間よりは幾分早く出社して今日のスケジュールの再確認やメールチェックを行う。
担当のアイドル達が事務所に来れば、基本的に彼女たちに付いて行くことが殆どなので、残業以外では早朝のこの時間が自分一人の仕事を進めるチャンスだった。
と、甲高い音がオフィスに鳴り響く。見れば備え付けの電話が鳴っていた。アイドルどころか、まだ事務員すらも出社していないこの時間帯に電話をしてくるというのは。
「……ッ──はい、283プロダクションです」
絶対に厄介ごとだよなぁ……と少し気が引けながらも、出ないわけにはいかず受話器を取った。
『もしもし、私だ。この時間から出社しているとは、やはり早いな』
「社長?おはようございます、どうしましたか?」
『あぁ、そっちにも連絡が来ているかは分からんが、先ほどはづきが熱を出したから今日は休むと連絡が来た』
「え、はづきさんが? お休みですか」
『そうだ。ただはづきには今日何件か、外回りの仕事を頼んでいてな……知っての通り、私も今日は出張の真っ最中だ。……頼めるか?』
「え、あー……」
自分のスケジュールを確認する。幸いにもアイドルに付く仕事こそなかったが、自身の仕事もそれなりに詰まっていた。
確認すれば、多少時間を調整すれば外回りはタイトなスケジュールながら全てこなせる。ただ、すぐにでも事務所を出て向かわねばならず、全ての外回りを終えた後事務所に戻って来るのは夜遅く。更にそこから書類仕事を行えば確実に日を跨ぐ。
──今日は事務所に居る時間もあったから、そこで言葉とプレゼント、渡したかったんだけどな……
「はい、問題ありません。はづきさんの分の仕事、引き継ぎますよ」
『そうか、すまんな。では、私は失礼する』
電話が切れ、押し当てた耳には無機質な音が規則正しく聞こえた。
「……はぁ」
受話器を置いて、出てきたのはため息だった。
「……すまん、凛世」
後でメッセージでも入れて、埋め合わせは明日にもきっちりとしよう。そう腹に決めて、俺は事務所を出た。
────────────────────────────────────
既読 「凛世、おはよう。朝早くに済まない」
『おはようございます。どういたしましたか?』
既読 「今日は凛世の誕生日だから、お祝いしようと思ってプレゼントまで用意してあったんだが……すまない。社長もはづきさんも居ない関係で、仕事が立て込んでいて今日はとても凛世と会えそうにないんだ」
『分かりました。凛世は気にしておりませんので、どうかお気をつけ下さいませ』
既読「本当にすまない。何分事務所に帰れるのが夜遅くてな……明日にでも必ず埋め合わせ、させてもらうよ」
『楽しみに、しております』
────────────────────────────────────
すっかり陽も暮れ、夜の静けさと冷たい空気が辺りを包む。
ここ数日で一気に冷え込んだのを感じ、そろそろもう一段厚着をすべきか、と考えながら事務所への帰路を歩く。
仕事こそ自分の分とはづきさんから引き継いだ分を完璧に回って見せたが、完璧にスケジューリングしても予想通り時刻は21時を越え22時にも近くなっていた。
「これで戻ってもまだやることあるな……帰れるの1時過ぎか……?」
流石に今日は事務所に泊まることも考慮すべきか、いやでも『泊まり込みすぎだ』と社長やアイドル達に苦言を呈されたばかりだしな……とあれこれ考えながら歩いていると、事務所が見えてきた時、微かに感じていた違和感に気が付いた。
「あれ、電気が付いてる……?」
事務所の窓からは光が漏れ、確かに電気がついていた。
今日は事実上事務所にアイドルの子たちしか居なかったであろうとはいえ、彼女達もとうに帰っているはずの時間だ。故に、電気がついているというのは妙だった。
消し忘れならば最後に帰った子が分かれば一言くらいは言っとかないとなぁ……と扉に手を掛け、鍵も掛かっていないことに気付いた。
「誰か居るのか?」
こんな時間に?と自分でも疑問に思いながら、事務所の中へ入るとそこに居たのは。
「……凛世?」
「おかえりなさいませ、プロデューサーさま……」
──凛世だった。予想もしていなかった人物がいたことに、動揺を隠すことが出来ず。
「なんでこんな時間に事務所に居るんだ……?寮の門限とか……あ、ほら皆が祝ってくれただろう?」
「はい……。お仕事の後、寮にて皆さまが凛世のお祝いパーティーを開いてくださり、楽しいひと時を過ごさせていただきました……ですが」
ですが、と凛世は此方を見やる。その頬はやや赤く、手指がどこか恥ずかしそうにもじもじと身体の前で組み絡んでいる。
「ですが……凛世も、今日はその……少し、我儘になろうと思いまして……」
「プロデューサーさまは明日埋め合わせを、と言ってくださいましたが……どうしても今日、貴方さまの口から直接、お祝いの言葉を頂きたく……」
そこまで言って、照れたのか俯いてしまう。視線は下へ下がり表情の全てを伺うことはできないが、深い黒髪から覗く耳は赤く、朱に染まっていた。
「なるほどなぁ……この時間まで待っててくれた、と……」
確かに、思い悩むあまりに涙を流して感情を吐露してくれたいつかの凛世に対し、我儘になってもいい、と言ったことはあったが。
こうやって自分の欲求に素直になってくれる姿を、更に心を開いてくれたと喜ぶべきなのだろうか。
「じゃ、じゃあ改めて……。──凛世」
「っ……は、はい」
だが、そんな彼女が見せた滅多に見せることない我儘、叶えぬわけにもいかないと気を取り直し、凛世の肩に手を置き呼びかける。
凛世も顔を上げ、正面から見つめあう格好となった。鬼灯の様に赤く染まった頬、潤んだ瞳。まだまだ女性としては未完成ながらも愛らしさと美しさを両立させたその顔を正面に捉えて幾ばくかの気恥ずかしさを覚えながらも、口を開いた。
「少し遅くなってしまったけれど、誕生日おめでとう。凛世が今日というこの日に生まれて来てくれたことは、俺にとっても喜ばしい事だった」
「──ありがとうございます、プロデューサーさま。凛世の我儘、凛世の願いが……貴方さまによって叶えていただけたことを、何よりも……嬉しく……!」
「っと、凛世?」
言葉の最中、声が上擦ったかと思えば。凛世は突如としてこちらに身を委ね、こちらの胴に手を回す。結果として俺は凛世に抱き着かれる形となり、彼女の顔は俺の胸に押し付けられて表情も見えない。
「プロデューサーさま。どうか、どうか凛世を……つかまえていって、くださいませ……」
そう告げる凛世の表情は、依然として胸に押し当てられていて分からない、ただ、彼女の華奢な体から、微かな震えが走っているのに気が付いた。
「凛世は今……貴方さまから直接お祝いを頂けたことが嬉しく……それだけで、とんでいってしまいそうな心地ゆえ……ぁ」
「……分かったよ、凛世」
彼女に言われるまでもなく、彼女のしてほしい事などとっくに分かっていた。細い体を慈しむように、腕を回して包み込む。
数分か、それとももっと長くか。暫しの時間を体温を共有するかように優しく抱き合って過ごし。
「その、プロデューサーさま……幾つもの我儘を聞いてくださり、ありがとうございました」
「良いよ。今日は凛世の誕生日なんだから。凛世の願ったことは何でも叶えられるべき日なんだからさ……と」
そういえば、と思い出したように足元の鞄に手を掛ける。中から取り出したのは、小包が二つだった。
「これ、凛世への誕生日プレゼント」
「二つも、頂けるのですか……?」
お礼と共に、開けてみても?と聞く凛世に、俺は当然どうぞと促す。一つ目の小包は、桔梗を模った髪飾りだ。
「とても、素敵な髪飾りと……これ、は……?」
「本当は、髪飾りだけ渡して終わりにしようかな、とも思ったんだけどさ……さっきの凛世の言葉を聞いたら、渡したくなってさ」
「ゆび、わ……」
飾り気こそあまりないが、シンプルな美しさが際立つプラチナリング。それが2つ目の小包の中身だった。
「……その、ちょっと重いかなとも思ったんだ。だから、渡すか少しだけ迷った」
流石にこれを渡すのは気恥ずかしかったが、それでも渡したのは、他に理由もない。
「凛世が、つかまえてくれって言ったからさ。それが、その繋がりが……つかまえたことになってくれれば、と思って」
俺の言葉を聞いてか聞かずか、凛世は指輪を眺めたまま暫し呆然とし。やがてほう、と息を吐いて此方を見る。
「プロデューサーさまの、仰られた通りでございました……今日は、今日という日は」
そして、彼女は今日という日で一番の笑顔を見せたのだろう。
「凛世の願ったことが、全て……叶う日だったのですね」
それは見る者の疲れなど簡単に吹き飛ばすほどに活力があり……成程確かに、掴まえておかねば飛んで行ってしまいそうなほどに、眩しい笑顔だった。