アイドルマスターシャイニーカラーズ 短編集 作:むらくもさん
「果穂。俺な、結婚するんだ」
──プロデューサーさんのその言葉を聞いた時、最初は自分の耳を疑った。
聞き間違いでないことを認識して、改めてその意味を頭の中で噛み砕いて。
途端に心の中のお日様に雲が掛かり、たちまち暗く、黒く心を塗りつぶしていく。どす黒い感情が胸の内を支配しようとする。
「……ッほんとですか!?プロデューサーさん、おめでとうございますー!」
「ああ、ありがとう果穂。祝ってもらえて俺も、彼女もきっと嬉しいよ」
だが、それでも。泣き叫びたくなる心を無視して、いつも通りの「小宮果穂」として接してみせた。
それは彼を困らせたくないという心からの思い、更に言えば出会った頃よりも少しだけ大人になった自分の理性が、尊敬する彼に「結婚なんかしてほしくない」と情けなく泣きつく姿など見せたくないとして選んだ、半ば意地に近い反応だったのだろう。
「はい、結婚式には絶対呼んでくださいね!あたし、幸せそうなお二人のお姿を見たいです!」
「結婚式にはぜひ果穂も、と言うより283プロの皆は呼ぶつもりだ。また日取りとか決まったら、教えるからな?」
「分かりました、楽しみにしてます!」
──あたし、小宮果穂が14歳になる春の出来事だった。
プロデューサーさんの結婚式自体は、その年の6月に滞りなく行われた。
6月の花嫁、ジューンブライド。伝説に準えた時期に結婚式を挙げた新郎と新婦の姿は、とても、とても幸せそうで。
赤いドレスに身を纏った私は、放課後クライマックスガールズや283プロの皆とそんな二人を眺めていて。
凛世さんも、ちょこ先輩も、樹里ちゃんも、夏葉さんも、社長もはづきさんも皆が祝福していて。
チャペルの中、新郎と新婦が神父と神に永遠の愛を誓い、指輪を交換した後、そっと誓いの口付けをする。
プロデューサーには「見たい」と言って呼んでもらったのに、あたしはそれを見たくなくて、こっそりと教会の窓から外を見る。
幸せの鐘が鳴り響く中、6月にも関わらず梅雨の切れ間として晴れ渡った空の青が──何故だか、無性に腹立たしかった。
――――――――――――――――
──その翌年。15歳になった夏の日の事。
「──えっ!?プロデューサーさん……事務所、辞めちゃうんですか!?」
事務所の中、あたしの出した大声が響く。
「あぁ……、妻の実家の家業をどうか継いでくれないか、って懇願されてな。正直迷ったけど、受けることにした」
「そんな……!放課後クライマックスガールズはまだまだこれからなのに、プロデューサーさんが居なくなっちゃうなんて……!」
「そうだよな、不安に思うよな……でも、社長には話してあるし、後任のプロデューサーももう引継ぎは出来てるからさ。悪いけど果穂、どうか分かってくれ……」
それは勿論、本心からの言葉だった。放課後クライマックスガールズの今の人気は彼の尽力あってのもので、このタイミングで別れてしまう事に対する不安は非常に大きいのもまた事実。
「……わかり、ました。あたしがプロデューサーさんを引き留めるのも違いますから……奥様のご実家のお仕事、慣れなくて大変だと思うけれど、頑張ってください!」
それでも、その心の更に奥底で泣き叫び慟哭する「あたし」は敢えて無視する。この想いは、すでに既婚のプロデューサーには猶更見せるわけにはいかない一面だからと必死に感情に蓋をして。
彼の知る物分かりが良くて快活な少女の「小宮果穂」を演じてのけた。その反応を見て、プロデューサーは微笑み頭を撫でてくれる。それが堪らなく嬉しくて。けれど、どこか物足りない気がする理由は、もう少し大人にならなければわからなかった。
それにまだまだ放課後クライマックスガールズは仕事も年々増えていて、人気もそれに比例して上がっていって、高校生とアイドルの二足の草鞋を履くのはとても大変だったけど。
これは凛世さんやちょこ先輩、樹里ちゃんもやってたことだから、と時には歯を食いしばって学生とアイドルを両立させていた。新しいプロデューサーも彼ほどではないがしっかりと仕事はこなしていて、皆に認められるのもすぐだった…あたしは少しだけ時間がかかってしまったが。
この頃の私の変化と言えば、あれほど好きだったジャスティスV、ひいては特撮物を見なくなったことだろうか。
別に、嫌いになったわけじゃない。ただ見ていたシリーズが終わって、次回作が始まった時最初は見ようと思っていた。だが、新規層を狙う為キャストも声優もストーリーすらも一新した新シリーズを見た時に、アレだけ好きだったジャスティスVはもう終わってしまったんだな、と。
そう思った瞬間にそれまで熱く燃えていた心がすっと冷え、特撮物に対してもどこか冷めた、萎えたような目でしか接せなくなっていた。
――――――――――――――――
――更に4年が経って、19歳になった。
放課後クライマックスガールズは人気絶頂の最中、夏葉さんが有栖川グループの仕事に専念するために惜しまれながらも引退して。その後暫くは4人で活動していたが、ある時全てをやり切ったというように誰からともなく解散の話が出て。
解散後、樹里ちゃんと凛世さんは放課後クライマックスガールズの終わりがアイドル人生の終わり、と決めていたらしく、そのまま引退。
ちょこ先輩もしばらくはソロで頑張っていたが、程なくして良縁に恵まれ、結婚と言う形で芸能界を退いた。
そして私も、少しの間だけソロで歌手活動やグラビアアイドルなど幾らかの仕事をこなした後、どの仕事にも情熱を感じられなくなって引退していた。
親元を離れて一人暮らしをし、大学に通いながらアルバイトをして。そんな当たり前の生活も、子供の頃の自分……まして、アイドルをしていた頃の自分では想像もつかなかったほどズレた、でもこれが人にとっては当たり前の日常で。
そうして大学生としての日常を送っていると困ったことがあった。……やたらと男性に言い寄られることだ。
まぁ、気持ちも分かる。自慢ではないが子供のころからスタイルは良い方だと……自覚の有無はあったにせよ思っていたし、何よりも自分を知る物なら必ずと言って良いほどに「元放課後クライマックスガールズのリーダー」「元アイドル」という、今の自分にとってはレッテルに近いブランドが付与されているのだ。
その上で、今は引退して一般人なのだから世の男どもは放っておかないということか。大学の同期、先輩、果てはアルバイト先のお客さん迄が自分に好意を向けて、交際を迫ってくるのだ。
だがどれだけ魅力的とされている男性に求愛されても、あたしは全て断っていた。……別に、求愛されること自体は嫌ではない。自分を好きだと言ってくれること自体はとても嬉しいし、別段男性嫌いでもない。
──ただ、誰に対しても恋愛感情につながるような「良いな」という感情を持てなかった。
無論、このままでは不味いかもしれない、と断る前に少しデートでもと少し相手を知ってみる努力をしたこともある。だが、結果は駄目だった。不快に思うことは無くとも、「この人を男性として好きになるだろう」という熱がどうしても持てなかったのだ。
それは何故か、という疑問は少し考えればわかった。何故ならデートをした相手の男性が何をした時にも、悪くはないと思いながらも常に「だが、彼なら……プロデューサーさんなら……」と無意識のうちに思ってしまっていたからだ。
子供の頃からとっくにきっかけは出来ていて。けれど子供故に気付けず、気付いた時には状況が「それ」を表に出すことを許さず思わず見て見ぬ振りをし続けてきた感情。
この時初めて、アタシは「初恋」と向き合っていた。そして、後悔した。何故彼を好きになってしまったのか。何故気付いた時には彼は結婚して手の届かないところへと行ってしまったのか。
向き合ってしまえばそれは途端に針の筵となってあたしの心を傷つけ、日常を過ごしながらも、常にある種の寂しさと痛みを抱えて生きていかなければならない状態へと勝手に追い込まれてしまっていた。
──そんな折、ある秋の日の事だった。友達と街で夕食を取り、少し遅く、寒くなり始めた夜の帰り道。家の近くの公園を通りがかった時、近くのベンチに転がっている人を見かけて。
それは紛れもない親切心、あたしが子供のころからこれだけは欠かさずに持っていた信条、一日一善。そのつもりで、風邪を引いてしまわないよう起こしてタクシーでも呼んであげようと近づいた時。
「……え?プロデューサー、さん!?」
「…んぁ、果穂……なんだと、果穂か!?」
それが、とても憔悴しきって酔っぱらっては居るけれど紛れもなくプロデューサーさんだと気付いた時、心臓が跳ね上がる気持ちだった。
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「……はい、プロデューサーさん。お水です」
「……悪い、それから、もう俺はプロデューサーじゃないから」
「何言ってるんですか!あたしにとっては、いつまで経ってもプロデューサーさん、ですよ」
あれから、酔っぱらったプロデューサーさんを自分が住んでいるアパートに連れて帰ってきて、介抱する。
久しぶりに会った彼はなんだか弱っていて。けれど、少し歳を取って少し人相が変わったような気がしても、その眼は間違いなくプロデューサーさんで……あたしの、初恋の人の眼だった。
「それで、何があったんですか?あたし相談に乗りますよ?」
「……いや、こんなこと果穂には話せないよ。悪いからさ」
「むぅ……あたし、もう19歳です。あの頃と違って、勢いだけじゃなくちゃんと解決策も考えられますから。それに、話せばきっと楽になります!だから話してみてください、ね?」
答えようとしたが言い淀む彼にあたしはグイ、と切り込んでいく。子供の頃は何も考えていなかったが、彼の人を思うあまり相談したくてもできない所があることは知っていたし、そんなところも好きだった。
そうして彼はぽつりぽつりと、ああなっていた原因を教えてくれた。曰く、妻の実家の家業を継いだはいいが、実際は体の良い労働力且つ後継ということで何かあれば責任を負わされる立場に過ぎず、実際には義両親が実権を握っていること。
そして義両親からの仕事に対してのいびりがあり、妻やその両親の為どれだけ頑張っても認めてはもらえないこと。更にその姿を見て、最初は庇っていた妻すらも段々と冷たくなっていったこと。
更にもう5年も経つというのに、子宝に恵まれず。そのことで更に義両親からは責められ、妻からは失望される日々。
今日はそんなボロボロの日々の中でも数少ない休日だから、と飲みに出て、少しストレスからか飲みすぎてしまった……という事だった。
「はは、情けないよな……俺。アレだけ皆に祝福されて、果穂にも背中押してもらってプロデューサーを辞めて、今はこんな姿を見せちゃってさ……」
涙こそ流していないが、泣きそうな顔でしょげている彼を見て……アタシの胸中は未だかつてないほどに荒れ狂っていた。
──それは、親愛なる彼を取り巻く理不尽に対する「ふざけるな」という正義心から来る怒り、義憤。
──それは、憧れの彼がこれほどまでに弱り、しかし自分を信じて弱さを見せてくれたという後ろ暗い愉悦の心。
──それは、決して許されることではないタブーを望む気持ち。即ち、今ならば行動を起こせば、彼を手に入れることができるのではないかという薄汚い女の情念だった。
あらゆる感情が綯い交ぜになった中、勝ったものはどれか。アタシはそんなプロデューサーにそっと身を寄せる。肩が触れ合い、温もりが共有される。公園で暫しを過ごした彼の身体は少し冷えていて、という事は彼にとっては今の自分はとても暖かいはずで。
「果穂……?」
「……プロデューサーさん。あたしには、今まで一回も、誰にも言ったことがない秘密があるんです。聞いてくれますか?」
そのまま、至近距離で彼の目を見る。真正面から見つめあうと彼は申し訳なさそうに、しかし照れたかのように目を逸らした。その反応が可愛くて、くすりと笑みが漏れてしまう。
「あたし、プロデューサーさんの元でアイドルをやっていたころから、プロデューサーさんの事がずっとずっと好きだったんです。ただ、それをいつ言おうと考えているうちにプロデューサーさんが結婚する、なんて言いだしちゃって」
言いそびれちゃいました、と告げれば彼の目が見開かれる。これまで完璧に隠し通して、隠しきれない所も無邪気なフリで覆い隠して見えないようにしてきたそれ。それを初めて伝えられて、彼の視線が思わず泳ぐ。あたしの目、顔……そして宙を経由して、着替えた薄手のルームウェアに包まれた身体と、ショートパンツからスラリと伸びた白い太腿。他の男性にそういう視線で見られるのは、アイドル時代からのグラビアで慣れてはいたが嫌だっただろう。だが彼に限っては、そんな不快感は一切なかった。
「プロデューサーさん。プロデューサーさんが最後にあたしと会ったのは、4年前でしたよね?……あたし、もう大人になりました。元々大きな体でしたけど、今は更に女の子らしく、なったと思ってます」
「……」
「アイドルを引退してから、いろんな男の人に言い寄られました。真剣に交際をしてほしいと言ってくれる人や、最初っからあたしの身体目的で言い寄ってくる人なんかも居たりして……でも、全部断ったんです。なんでかわかりますか?」
「……」
視線を逸らす彼の横顔をじっと眺めて、言葉を紡ぐ。敢えて彼の中の熱を煽るように、そそる様に。彼の喉元が動く。ごくり、と生唾を飲む音がした。
「えぇ、わからないと思います。あたしも、考えてみるまではなんでかはわかりませんでしたから。でも、今はわかります……」
彼の身体が緊張か、強張っている。あたしはそんな彼の耳元へ顔を寄せた。身体が触れ、それなりにはあるあたしの胸が彼の肩に触れ、ふに、と柔らかく潰れた。その姿勢のまま、耳元でそっと囁く。
「全ては今、この時の為だったんですね……プロデューサーさん……」
「果穂……!」
「……我慢、しなくていいですよ?」
拒絶の声を上げかけた彼が、ぴたりと止まる。最後のその言葉が、引き金だったんだろう。彼が再び動く。声を出すこともなく、あたしの肩を掴むと強引に唇を重ね、そのまま組み敷き……ルームウェアの裾へと手を掛ける。
床に背を押し当て、あたしは彼の目を見た。血走った目。雌を襲う雄の獣の目。その眼には、あたししか映っていなかった。
その日、あたしはついに長年心を苛んできた棘を抜くことができた。痛みも背徳感も、全てはその快楽のためのスパイスでしかなかった。
――――――――――――――――
「……以上が、事の顛末です。何か質問とかはありますか、奥さん……いや、__さん?」
――冬の日。寒い外の寒気に負けぬよう暖かくされた喫茶店の中で、あたしはプロデューサーの妻と対峙していた。
プロデューサーとの関係はあの後も続き、そしてバレて。そうして呼び出されたこの場所で、促されるままに彼女に話し終えて。
眼前の彼女のそれなりに整った顔は、今や憤怒に染まっている。食いしばった口がようやく開き、出てきた言葉は。
「……誑かしてくれたな、ですか。あたしに言わせてもらえば、最初に彼を誑かしたのは貴女の方なんですけど……まぁ、それは良いです。最終的に彼はあたしの方を選んでくれてるので、さっさと別れて彼を解放してあげてください?」
目の前の女の憤怒を煽る。女は同性にマウントを取ることで優越感を得、また同性にマウントを取られることが最大の屈辱であると何時だったか聞いたことがある。今までの自分であれば考えもしなかったことだが──なるほど、悪くない。
「えぇ。弁護士をお付けして、ぜひ慰謝料請求をどうぞ?裁判には持ち込まないのが一番ですが、こちらも弁護士は付けさせていただきますし……こんなこと言うのも何ですが、あたしはアイドル時代のおかげで蓄えこう見えても蓄えが都市不相応にありますので。なんなら、相場以上の額は問題なく出せますよ?」
「えぇ、えぇ!そのくらいでも余裕で出しますよ、あたし子供のころから物欲とかなくて……まぁ生まれて初めてこれほどまでに欲しいと思ったものを後腐れなく手に入れるチャンス、お金を惜しむ道理なんかないですからね。それに、あたしはもうアイドルも引退して復帰の予定もない一般人ですから。スキャンダルやその影響とも、殆ど無縁なので無駄な努力はなさらぬようにお願いしますね?」
「泥棒猫、ですか。理詰めで勝てないと悟るや罵倒に走るなんて、お里が知れますね」
嗚呼、なんて馬鹿な女なんだろう。目の前で喚く女を見て心底軽蔑する……彼を苦してきた女が吠える様を見て、改めて誓う。あたしは彼をいかなる代償を払ってでも救い出す。それこそが、かつての自分も持っていた正義と信じて。
「そういえば、5年も連れ添っておいて……子供、出来なかったらしいですね?」
あたしの言葉に、それまで喚いていた女がぴたりと動きを止める。動きを止めながらも、その眼だけは鋭くあたしを睨むが、別段怖くもなんともなかった。
「貴女やご両親は彼だけを徹底して非難していたそうですが……本当に彼に原因があったんですか?案外貴女の方にこそ原因があったりして……あぁ、別に良いですよ?何も言わなくても」
その物言いに憤慨したか、反論しようとする女にの前に掌を上げて制止する。そう、そんな反論は聞きたくはないし意味もない。だって。
「あたしが言いたいのは、彼には問題がなかったようですよ、という事実だけです――あたし、彼の赤ちゃんを身ごもってますから」
あたしの間髪入れぬ宣告に、今度こそ目の前の女はぽかん、と口を開け目を開き唯々こちらを見る。その間抜け面に、思わず吹き出しそうになるのを堪える。
しばらく硬直した後、女は今度こそ撃沈、という風にゆっくりとうなだれていった。あたしはその姿を見て満足し、立ち上がる。
「ではこれ以上話すことは無いと思うので、私はこれで。次から連絡される際は弁護士を通すことをお勧めします」
それだけ伝えると、慈悲のつもりで2人分のコーヒー代を支払い、喫茶店を後にする。外は雪が降り始め、街路樹の並ぶ地面を濡らしている。
純白になり損ねた泥色の地面を転ばぬよう注意しながら歩き、口はいつしか歌を口ずさむ。
「――夢は 絶対 一切 離さなーい……♪」
それはかつてあたしがアイドルだったころの代表曲。彼と無邪気なままに過ごせていた時期の象徴。
そうだ、歌の通り。あたしはあたしの正義の為だけに、シアワセも強さも手に入れてみせた。
達成感の余りに思わず笑みが漏れ、口からは笑い声が飛び出してくる。腹の底から、胸の内から飛び出した笑い声は自分には長らく出せなかった、まるで12歳くらいの無邪気な子供だった頃のそれを彷彿とさせる笑い声だった。