慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第十話 猛進(後編)

 湖底に座す正八面体の拠点が凄まじい速さで下から持ち上げられている。

 直径百メートル以上もあるそれを、あたかも田畑に植えられた大根のように引き抜いたのは紫の魔獣装甲。

 尋常ならざる膂力(りょりょく)を以って、魔獣装甲・三番はレオが作りあげた魔導拠点を水上へと運び出す。

 魔導の力で三百メートルを優に超す水深に設置されていた建造物は僅か数分足らずで水面へと浮上した。

 水中から浮き上がった魔導拠点は、水柱のような極太の飛沫を上げ、湖面に浮かぶ。

 紫色の剛力は力の限り、魔導拠点を岸辺へと放り投げた。正八面体はサイコロのように転がって、近くに生えた木々をいくつもへし折り、静止する。

 陸に上がった魔獣装甲・三番は水浴びを終えた獣のように大きく身体を振動させて、水気を飛ばした。剛毛の先に付着していた水滴が雨のように周囲に舞う。

 

『この中にボクの恋人が囚われているんだ……。ボクが救い出してあげないと』

 

 誰に言うでもなく妄執じみた独り言を吐いて、緩やかな歩みから徐々に加速する。

 勢いを付けた紫の異形は、直線に疾駆。速度という力を纏い、正八面体に衝突する寸前――右肩にある猪の頭部を模した肩当てが前を向く。

 巨猪(きょちょ)如き怒濤の突撃。耳をつんざくような破砕音が響き渡る。

 脆い陶芸品を金槌でかち割るように、衝突面を中心にして罅が入った。

 直後、跡形もなく粉々に砕け散る。

 当然、そのような威力で破壊すれば、中に居る者もただでは済まない。救い出すはずの相手を死の危機に合わせかねないというのに、三番はまるで配慮した様子はなかった。

 いそいそと彼は外壁の砕けた魔導拠点の隙間から内側に侵入する。

 

『……?』

 

 だが、三番が入った先には瓦礫を除けば、中央にある正方形のオブジェと掌大の黒い球体がいくつか転がっているだけで、人の気配は一切感じられなかった。

 中に居た者たちは何処へ消えたのか。その疑問が三番の思考に僅かな空白を作った。

 その隙を見計ったように、正方形のオブジェは溶鉱炉に入れられた鉄の如く真っ赤に発光する。

 

『何が起きて……いや! 逃げないとッ!』

 

 野生の勘か、あるいは何かある度に逃避することで生きてきた彼の経験則からか、三番は一目散に逃げようとした。

 しかし、彼の身体は石になったかのように硬直していた。転がっていた球体は眼球のような瞳孔を向けて、音もなく浮遊すると彼の視線を釘付けにしている。

 鶏蛇の義眼。爪磨が組み上げた視線を合わせた者を石化させる魔導具。

 それを十個近く、魔導拠点の中に転がしてあった。魔導力により、肉体の自由を奪うこの魔導具は如何に魔獣装甲といえど無効にはできない。

 身動きの取れない三番へ極限まで光を凝縮させた正方形のオブジェ、魔導拠点の制御核が爆ぜる。

 音もなく収束された力の塊が、光の柱となって天へと昇った。周囲の薙ぎ倒された木々は光に呑み込まれるように消え失せる。

 その光景を離れた丘から眺めているのは爪磨たち一行。

 彼らは既に、八卦札を使い、魔導拠点が浮上する前に脱出を果たしていた。

 爪磨に手を引かれている韻牙は何が起きたのか分からず、彼に問いかける。

 

「え? あれ……何かすごいことになってませんか?」

 

「大丈夫よ。この辺りは人里離れた山奥だから」

 

「はあ……なら、大丈夫、なんですかね」

 

 韻牙としては、具体的に何が起きたのか把握できなかったが、現状もっとも頼りになる爪磨が問題ないというのならそれ以上言及する気はしなかった。

 端的に何をしたのか一文で纏めるなら、魔導拠点の中枢たる制御核に溜めてあった魔導力を逆流させ、暴発させた。それを細かに説明しても魔戒の知識のない韻牙には到底理解できないという配慮も含まれていた。

 

「やれたと思う?」

 

 話を後ろで周囲を警戒しているレオに尋ねると、彼は向き直って首を横に振る。

 

「いいや。如何に魔導力の大量放出を浴びても、相手はホラーの力をその身に宿した人間。これくれいでは倒せてはいないだろうね」

 

「でも、無傷って訳でもないでしょう? アタシが言って止めを刺してくるわ。この子、頼める? あいつらは()()()韻牙を狙っているみたいだから」

 

 爪磨はそう言って、彼女をレオに預けようとした。

 多少手に入れた情報は共有したとはいえ、韻牙もまた魔胎であるという事実は彼には伏せていた。

 真っ当な魔戒騎士のレオに彼女の内部に居るホラーの存在を明かせば、間違いなく彼女は処断されてしまう。

 よくても封印という形で意志を奪われて、元老院に連れ去られる。そうなれば、爪磨の目的は結果的にさらに遠退くことになる。

 韻牙を求める連中の先に、彼が斬らねばならない暗黒騎士ダイヤが居る。推測の域を出ないにも関わらず、爪磨には確信があった。

 韻牙の身を案じてという理由もなくはない。

 下手に密告しては彼女の内に潜むホラーが、完全に彼女を支配し、自分たちに牙を剥きかねない。

 故にレオにはあくまで韻牙は理由不明で狙われた少女と認識してもらいたかった。

 

「爪磨」

 

 だが、まだ少年だった時に魔戒法師としてのイロハを叩き込んだ師はそう簡単には欺けない。

 鋭い眼光を彼に差し、レオは射抜くように見つめた。

 

「……何か僕に隠していることがあるんじゃないか?」

 

「良い女には秘密が多いのは当然でしょ」

 

 爪磨もその程度の追及で己の内情を全て吐き出すほど甘くない。年齢にそぐわぬ辛酸や苦痛を舐めて、出戻った彼には純真さとは程遠い。

 しばしの睨み合いを続けていると、韻牙はおろおろと彼らの顔を交互に眺めた。

 

「あの、喧嘩は良くない……と思います」

 

「いやね、韻牙ちゃん。ただのにらめっこよ。ねえ、レオさん?」

 

 そう嘯く弟子を見て、レオは嘆息した。

 拾った時から陰のある人間だとは見抜いていたが、未だにその本意までは見抜けない。

 

「そうだね。喧嘩じゃないよ。……でも、爪磨。君は奴の討滅には僕が行く。君は彼女を連れて、白の番犬所に向かってくれ」

 

「いいの?」

 

「僕も魔胎というものを調べる必要がありそうだからね。それよりも僕の言葉の意味、分かっているだろう?」

 

「もちろん」

 

 レオの目配せに頷いた。

 魔戒道を通ってやって来た秘密の拠点が敵に露見していた。

 探査が能力云々ではない。明らかに魔戒の情報が洩れているということだ。

 そして、この短期間でそれができるのは白の番犬所であった神官たちのみ。

 その事実を調べるために先に行けとレオは言っているのだ。

 爪磨は韻牙を連れて、丘の上にある大岩に魔導輪を翳した。魔戒騎士であることを認識した魔戒道は入口を彼らに示す。

 そこへ足を踏み入れる直前、韻牙がレオにぺこりとお辞儀した。

 

「あの、湖の中のお家、とってもすごかったです。本当にありがとうございました」

 

 年恰好よりも幼さの滲む彼女の姿に、レオの頬はほんの少し和らいだ。

 

「僕としてももう少し君と話してみたかったのですが、今はまだ難しそうです。合流したらゆっくり聞かせてもらえるでしょうか?」

 

 その言葉に元気よく頷いて韻牙は答えた。

 

「はい! 私も、爪磨さんのお師匠さんのレオさんともっとお喋りしたいです!」

 

 童女のような純粋さに眩しさを感じて、彼は手を振って別れた。

 記憶がないという話は爪磨から聞いていたが、精神年齢も幾分退行しているように感じられた。

 見た目では十五、六歳ぐらいだが、口を開くとそれより十歳は幼い印象がする。

 そんなことを考えていると、凄まじい咆哮が丘の上にまで響き渡った。

 

『オオォオオオオオオオオォオオォオオオォオオオオオオオオオオォオオォォオオォォオオオオオオォ‼』

 

 耳をつんざくような(いなな)き。獣性を塗り固めて、喉から吐き出したような声。

 叫びは次第に大きくなり、岩盤を叩くような音が重なって聞こえてくる。

 音は丘の下に続く崖から発せられていた。

 

「エルバ。奴は……」

 

 指に嵌めた魔導輪に呼び掛けると、エルバは鋭く叫ぶ。

 

『レオ! 気配が途轍もない速さで上って来てる! 敵は崖をよじ登ってこちらに向かって来てるわ!』

 

 その発言が言い終わるや否や、崖の下から何かが跳ね上がった。

 紫色の人型の影がレオ目掛けて突進する。

 

『オオォオオオォオオオオオ!』

 

 

「くッ……」

 

 片手に握っていた魔導筆を魔戒剣へと変化させ、真後ろに飛び退く。

 突撃した場所にめり込むように四つ脚を付けているのは魔獣装甲・三番。

 紫色の剛毛を逆立て、剣山のようになった体毛をレオへと飛ばしてくる。針と化した毛は標的である彼を蜂の巣に変えようと襲い来るが、それより一手早くレオは魔戒騎士の鎧を召喚していた。

 土砂降りの雨のように降り注ぐ紫色の毛針。しかし、薄紫の鎧に阻まれ、毛針は全て地面へと弾き落とされた。

 閃光騎士・狼怒(ロード)。魔戒騎士の頭部は例外なく狼を模しているが、ロードの前方に突出した両耳は、狼のそれよりも牛の両角に酷似していた。

 青竜刀に似た片刃の剣に変化した魔戒剣・閃光剣を握り、閃光騎士は三番へ向けて立ち向かう。

 

「はああ!」

 

 四つん這いの格好の三番はその一太刀を肩から生えた猪の顎を使い、受け止めた。

 猪の牙がしっかりと閃光剣の刃を咥え、完全に押さえ付けている。

 

『どうして……』

 

「……?」

 

 唐突に発せられた人語に一瞬だけ、ロードの気が逸れる。

 

『どうしてボクの邪魔をするんですか! 何の権利があってボクを彼女から遠避けるんだぁぁぁ‼︎』

 

 静かな問いから一転して、大音量で喚き散らす魔獣装甲・三番。

 両腕を無軌道に振り回して、叫ぶその様は駄々を捏ねる子供そのもの。しかし、ホラーの力を宿した彼の拳は容易に人体を損壊する威力を秘めていた。

 閃光剣を手放し、上空へ跳ぶロード。振りかぶられた三番の腕は魔戒道の入り口に使われた大岩をいとも容易く打ち砕く。

 粉砕された岩を見て、改めてその剛力に目を見張った。

 エルバの助言がロードに送られる。

 

『猪の意匠に、あの怪力……奴の中のホラーは恐らく、野猪ホラー・ヴァラーハ! あの怪力を直に受ければソウルメタルでも耐え切れるか分からない。レオ、術を使って翻弄してやりな!』

 

 魔導輪の台詞に力強く首肯したロードは、奴の肩の猪が咥えている閃光剣を魔導筆へと変化させる。僅かに牙の間に隙間が生まれた時、それを見計って法術で筆を呼び寄せる。

 牙の間から抜け出し、飛来する魔導筆を手の中に収めた瞬間、再び閃光剣へと形を戻した。

 空中で落下しながら、三番の背中に斬りかかる。

 黒い血液が丘の上に撒き散らされた。

 

『うわあああああああああ! 痛い痛いっ痛いよぉぉ!』

 

 傷を負った三番は激痛に悶えて、地面を転がる。

 ……浅かった。魔獣装甲の硬度を鑑みても、その一撃は致命には至らない。

 魔胎という存在。人であり、ホラーでもある者を斬る覚悟が今一歩足りていなかった。

 彼もまだ人間としての魂が残っているのなら本当に討滅していいのか。その考えが閃光騎士の剣を鈍らせていた。

 しかし、ホラーとしての人外めいた気迫もなければ、戦士としての矜恃も持たない三番は己の痛みに嘆くばかりで反撃して来ない。

 このまま、一気に討滅を、と着地したロードが刃を構え直す。

 

『や、やめてよぉ! ボクは被害者なんだ! ボクは自分の中に居るホラーに操られているだけなんだよ!』

 

 跪いて三番は命乞いを始めた。

 魔獣装甲を頭部のみ解除し、少年の顔を露わにした彼は涙を浮かべている。

 

「聞いて、聞いてください! ボクは何一つ悪くないんです。皆、ホラーが悪いんです。おじさん、魔戒騎士なんですよね? なら、ボクは助けるべき対象ですよね……?」

 

 媚びた笑みを浮かべ、自分は庇護対象だと唱えてくる。

 事の成り行きを黙って見ていた薄紫の狼は彼に一つだけ質問をした。

 

「正直に答えてください。君は……人を喰らったことはありますか?」

 

「え……あ……ホ、ホラーに操られて……。で、でも、ボク、本当はすごく嫌だったんです! 本当ですよ! だって、ボクは一度だって自分の意思で人を食べたことはないんです」

 

 しどろもどろに弁明をする彼をロードは無言で見ていた。

 だが、魔獣装甲の肩の猪が魔戒語で言葉を発した。

 

『斬ってくれ……もうこの人間の中は嫌だ……。自分の所業どころか内なる陰我さえ我らホラーのせいにして、目を向けることさえしない……魔界ですらこんな醜い魂の持ち主は居なかった……』

 

「あ、ホラーも自分が悪いって言ってますよね? だからボクのことは助けてくれますよね?」

 

 魔戒語を理解しない三番はヴァラーハの言葉を都合よく受け止めて、ロードに愛想笑いを浮かべて見せた。

 閃光騎士は哀れなる者の声を聞き、返答を授けた。

 

「分かりました……」

 

「助けてくれるんですね? ありがとうごさ」

 

「その陰我、——僕が断ち切る!」

 

 決断は下された。閃光剣が振り下ろされる。

 全力を一刀に込めて、打ち払われた一閃は魔獣装甲を両断した。

 斬ったのは身勝手な人の業か、はたまたホラーを縫い止めていた枷か。

 どちらにしてももはや形をなさない断片でしかない。

 二つに分かれた装甲は煮込みすぎた野菜のように溶けて、地面に吸い込まれてゆく。

 その内側から、小さな紫色の猪がぬうっと這い出てきた。

 

『それがヴァラーハの本体だろう。望み通りにしておやり』

 

「ああ」

 

 ヴァラーハの本体を斬り、剣へ封印を試みようとした時。

 ロードの背後から声が響いた。

 

『そいつを斬られるのは困るな』

 

「……⁉︎」

 

 振り向いた先に見えたものは、振りかぶられた大きな斧だった。

 薄紫の鎧に垂直に振るわれた戦斧は、防いだ閃光剣ごとロードの身を切り裂いた。

 

「ぐうう……」

 

 ソウルメタルを削り、火花の如き魔導力が発光した。

 その隙にヴァラーハは何処かへと飛び去って行く。斧の持ち主、魔獣装甲・六番はそれを見送るとロードへと向き直った。

 

『そんじゃ、ちょいと遊ぼうぜ? 布道シグマの弟さん』

 

 真紅の鎧武者に似た魔獣装甲は、嘲るようにそう呟いた。

 




『神官。それは魔戒騎士や魔戒法師の上に就き、奴らを管理する者。だというが、俺から見れば奴らもまた守りし者としての使命に支配された飼い犬だ。そんなだから、時折反旗を翻すのも頷ける。「次回 同化」。俺は何にも飼いならされない。何故なら、俺こそ野生を体現した存在だからだ!』
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