誰からも必要とされない道具は存在しないと変わらない。
用途のないガラクタは廃棄された方が良い。無用の長物はあるだけ無駄だ。
カラン、と軽い音を立てて、転がる飲料水の空き缶を小男は拾う。
背丈は低く、百五十目センチにも満たない小柄なその中年男性は、埃と垢で薄汚れた衣服を纏い、道端に放置された空き缶を集めていた。
服装や立ち振る舞いから見ても浮浪者でしかない小男は、おずおずと空き缶を拾い集め、透明なゴミ袋に詰め込んでいく。
「久しいな、バリス。最後の魔戒導師よ」
背後から掛けられた声に、小男は振り返った。
足音一つ立てずに背後まで接近していた声の主を認めて、反射的に片膝を突く。
「白虎議長……。どうして、貴方様のような方がこのような場所に?」
魔戒の人間を執り仕切る最高機関に位置する元老院。
その中でも最も権力を持つ四名の議長の一人にして、西方を司る聖獣の名を冠する守りし者。
守りし者としての立場を失ったバリスにも未だ敬意を向けるべき相手であった。
白虎議長は穏やかな声音で語る。
「君を探していたんだ。どうか私に手を貸してはくれないだろうか?」
まるで雷に打たれたような衝撃を受けた。
寄る辺を失い、浮浪者に身を
「わ、私には何の取り柄もございません……。魔戒導師にできることは、皆魔戒法師で事足ります」
縋りたい。そう思いながら卑屈な言葉が口を突く。
惨めな己があり得ぬ期待をして傷付くことを恐れた防衛反応だった。
しかし、白虎議長は彼の発言に首肯する。
「確かに魔戒導師という存在は法師の下位互換だろう。だからこそ、衰退し、廃れてしまった」
胸の奥底では言葉を否定してもらいたかったバリスは消沈し、俯きがちに問うた。
「……そうでしょう。だから私には」
「しかし、バリス。君は今なおホラーに魅入られてはいない」
俯いてしまったバリスが顔を上げると、白虎議長は微笑を
慈愛と信頼に満ちた表情は泥の中に埋まっていた魔戒導師の矜恃を刺激する。
「表の世界にも馴染めず、守りし者にも戻れない苦痛を感じながら十年余りもの歳月を耐え忍んできたのだろう? それは騎士にも法師にも務まらない。君だ。君だから耐えられた。魔戒導師という職を貫き通したからこそ、ホラーにならずに済んだのだよ」
決して大きな声でも、語調を強めている訳でもない。
なのにバリスの鼓膜は彼以外の声しか入らなくなっていた。
耳からその声が枯れていた心に染み込み、潤いを与えてくれた。
「私には君のような信念ある者が必要なのだよ」
白虎議長は懐から黒い液体の入った小瓶を取り出して、バリスの眼前に見せ付けた。
透明な小瓶の中では液体が腕や脚、人体の一部に酷似した形状をとっては崩壊を繰り返している。
「それは……」
「“ホラーの
「陰子、ですか……」
聞いたことはあった。
ホラーが侵入するために開く魔界へのゲート、正確にはゲートとなり得る陰我のあるオブジェに特殊な法術を施すことで、ホラーを封印させずに留めることができるのだと。
中世のヨーロッパでとある闇に堕ちた魔戒法師が編み出したとされる禁忌の術。
本来の用途はホラーの力を維持したまま、魔導具の動力源として使うためだったとされているが定かではない。
「これを体内に入れ、自らの意志で捻じ伏せることができれば魔胎となる。だが、もしホラーの意志に呑まれれば、直ちに肉体は憑依され、単なるホラーとなるだろう」
ごくりと生唾を呑んだ。視線が小瓶から逸らせない。
穏やかな言葉は最後に尋ねた。
「これを受け入れる覚悟はあるか? 最後の魔戒導師よ」
バリスはそれを一瞬の逡巡すらなく、受け取り、中身を煽った。
彼に恐れはなかった。もしあるとするなら、それは目の前の男に失望させることだろう。
体内でホラーが広がり、蠢く。小瓶から解放された喜びを満たすために。活動するための器を得るために。
水が汚染させるように、邪気が肉体に練り込まれる。強烈な激痛と不快感が全身を駆け巡った。
しかし、バリスの意志がホラーに塗り潰されることはなかった。
身体中の汗腺から汗が噴き出し、足元も覚束なくなるほど平衡感覚が失われたものの、彼はホラーを制し魔胎へと至っていた。
バリスが白虎議長の顔を見上げると、彼は満足げに頷いた。
自らの表情に光が灯るのを感じた。
彼は恭しく、お辞儀をし、内心を語る。
「私で役に立つのなら何なりとお使いください」
「ありがとう、バリス。いや、これからは五番と呼ばせてもらおう。私のことは以後、“先生”とでも呼んでくれ。これで君にも話せるな。私の目的を……」
白虎議長は、これから行おうとしている儀式とその目的をバリス――、魔獣装甲・五番へと教えた。
全てを聞き終えた五番は彼を見上げて言う。
「……白虎議長。あなたは神をお創りになるつもりなのですか?」
五番からしてみれば、本音での質問だったが、彼はつまらない冗談を聞いたかのように苦笑した。
「そんな大それたものじゃない。そうだな……私が生み出そうとしているのは言うなれば、ワクチンだ」
「ワクチン……?」
「ああ。ホラーという病を駆逐するためのワクチンだ」
そういった彼の顔はとても清々しい表情をしていた。
五番はそれ以上何も問わなかった。問う必要がなかった。
必要なことは全て聞き終えた。後は黙って従うだけ、期待に応えるだけでいい。
この身は道具。主人の希望を叶えるために道具でいい。
「ならば、その儀式。必ずや私が実現させてみせましょう」
「それは誓いか? 五番」
「いいえ、先生。これは予言でございます」
それだけが、道具の存在理由なのだから。
***
「このお菓子、皆好きに取っていいんですか!?」
長いテーブルの上に乗せられたスイーツが所狭しと並べられている。
甘い香りが漂うこの空間に足を踏み入れた韻牙は瞳をきらきらと輝かせた。
「まあ、食べ放題だからね。時間内でなら好きに食べていいと思うわよ。もちろん、他のお客さんのことも考えた取り方しないと駄目だけど」
「スイーツバイキングか……。僕も知り合いの魔戒騎士に連れて来てもらったことがあるけど、こういう女性をメインターゲットに据えた場所って男性が入るのは抵抗があるよね」
爪磨に続いて入店したレオがそう
すると、不思議そうな表情で韻牙が振り返った。
「そうなんですか? 爪磨さんも?」
「いや、アタシはないわね。下着も普通に女性専門店で買ってるくらいだし」
衝撃的な告白をした爪磨に、レオは表情を引きつらせた。
「……まさかとは思うけど今も女性用下着を身に着けているんじゃないだろうね?」
「あら、乙女のどんな下着を身に着けているか聞くなんてレオさんもスケベねぇ」
さらりと明言を避けられたことに更なる恐怖を感じたレオだったが、そんな彼を余所に爪磨は適当なテーブル席に腰を掛ける。
韻牙に好きなものを取って来るように言った後、レオへと向き直った。
その表情は普段のおちゃらけたものではなく、真剣な面持ちへと変わっている。
「それより話しておくべきことがあるんじゃないのかしら?」
「……ああ、そうだね」
気を取り直して対面する席に座った彼は爪磨へと尋ねた。
ちらりと無邪気にケーキに目を奪われている韻牙を一瞥しながら声を潜める。
「神官見習いのスコルは一命を取り留めたよ。もっとも君の応急処置がなければ、助からなかっただろうけどね」
「そう。それは良かったわ」
少しだけ安堵したように口元を緩める。
魔獣装甲・三番によって、瀕死の重傷を負っていたスコルの安否は彼の懸念事項の一つでもあった。
爪磨も可能な限りの治癒術は施したが、心身共に深傷を負った彼女はレオの伝手を辿り、魔戒法師の隠れ里“
「魔戒法師を辞めたアタシには顔を出せない場所だからね。レオさんが連れて行ってくれて助かったわ。邪美さん辺りに会ったら間違いなくしばかれるもの」
「君のもう一人の魔戒法師としての師なんだから、最終的には会いに行くべきだと思うよ。実際、邪美さんに会った時に爪磨のこと問い詰められたよ。『あのオカマ、魔戒騎士に鞍替えして戻って来たらしいけど、アンタ何か知らないかい』って凄い剣幕でね」
「嫌よ。あの人、容赦ないんだもの。修行時代も顔が腫れ上がるほど魔戒旗でしばかれたの軽くトラウマなのよ。もう母親なんだから大人しくなってくれないものかしら」
閑岱でも指折りの女魔戒法師・邪美を思い出し、爪磨は身震いする。
かつて、法師として修練を積んでいた時のことを思い出す。
魔戒法師も前線に出て魔戒騎士を援護できるようにと、白兵戦を嫌というほど学ばされた。
破滅の刻印事件を知った今となっては、騎士に劣等感を懐く法師を減らそうとした結果なのかもしれないと思えるが、あの頃はただただ理不尽な修行にしか感じられなかった。
特に爪磨は邪美に体術の才能を見込まれ、徹底的に
レオが魔導具作りを始めとする「裏方の魔戒法師」としての師であるなら、邪美は近距離戦闘を主とした「表方の魔戒法師」としての師と言えるだろう。
「……それより、リンはどうしてた? 勝手に魔戒法師を辞めてから顔も合わせてなかったけど、やっぱり怒ってたかしら?」
少しだけバツが悪そうに仲の良かった同期のことを尋ねる。
すると、レオは呆れたように眉を動かした。
「知らなかったのかい? リンさんならもう閑岱には居ないよ。称号持ちの魔戒騎士と組んで、赤の管轄で活動しているよ」
「へえ。あの過保護な翼さんがよく許したわね」
「そこは邪美さんが説得したらしいよ。僕も実際にそこに居合わせた訳じゃないけど……」
「尻に敷かれてるものねぇ、ふふ」
言いづらそうに言葉をぼかしたレオの二の句を継いで、爪磨はおかしそうに噴き出した。
閑岱を守る専属の魔戒騎士である“白夜騎士・
殊にリンとは同じ砂を噛んだ同期の桜でもあり、盟友と呼べるほどに信頼関係を結んでいた。
宗旨替えして騎士になった今、もしも顔を合わせればどれだけ責められるだろうか分かったものではない。
老齢になった魔戒騎士が法師になることは合っても、魔戒法師が騎士へとなるのはその道を究めんとする者からすれば裏切り以外何物でもないだろう。
そういう意味でも明確に決別してしまった閑岱に向かう訳には行かなかったのだ。
爪磨は思い出に浸るのを一時中断し、話を変えることにした。
「それよりも、あの子を追う魔胎たちの件ね。そっちも元魔戒騎士の魔獣装甲とやり合ったんでしょ?」
「……そうだね。なかなかの手練れだったよ。爪磨の方も弓使いの魔獣装甲と対峙したらしいね」
お互いに出会った魔獣装甲の話を改めて交換する。
白の番犬所がほぼ壊滅状態にあったために、事後処理に追われ、詳しい内容をやり取りする時間はなかったため、互いに大雑把な概要だけしか伝えきれていなかった。
「それにしても魔獣装甲の騎士とはね……ホラーに堕ちた騎士よりも厄介だ。何せ、魔戒騎士としての技術や知識をそのまま持っているんだから」
「縮めて『魔獣騎士』とでも呼称しておきましょうか。最低でも二人は居るようだけど、どっちも一筋縄じゃ行かなそうよね。多分、本気でぶつかり合ったら一対一でも負けるわ」
それなりに腕の立つ騎士であるからこそ、二人とも対峙した魔獣騎士の実力を身に染みて理解していた。
レオに至っては不意を突かれたとはいえ、魔戒剣を圧し折られている。
その実力は紛れもなく、本物と言わざるを得ない。
それに加えて、弓使いの魔獣騎士が語った台詞が爪磨の中で反響していた。
『ホラーが人に憑依しない世界の創造』。
それが自分たちの組織“
「分からないわね、奴らが何を考えているのか」
そして、――それは韻牙に魔胎のホラーを喰わせ続けることで起きることなのか。
脳裏に映るのは全てを捨ててでも倒さなければならない相手、暗黒騎士・ダイヤの姿だった。
二人でそう話を続けていると、大皿を抱えた韻牙が戻って来る。その更にはこれでもかというほどスイーツが山盛りによそわれ、零さないように慎重な足取りでテーブル席へと近付いている。
「お、お待たせしましたぁ」
「あらあら、そんなに持って来ちゃってまあ。食いしん坊さんねぇ」
険しくなっていた表情を一瞬で拭き取り、少し呆れたように呟くと彼女の持つ大皿を受け取って、テーブルへと置いた。
韻牙ははにかんだ笑みを浮かべた後、またささっと足早に去ってから、人数分のフォークを取って来て、テーブルに並べる。
爪磨の隣に座ると、嬉しそうな表情でスイーツに手を付けることなく、二人の横顔を眺めた。
「食べないのかい?」
一向に大皿に手を伸ばす気配を見せない彼女の行動を不思議がって、レオが尋ねると韻牙は無邪気に微笑んだ。
「爪磨さんやレオさんが先に選んでください。私はその後に食べますから」
そう言って、二人がスイーツに手を付けるのをにこにこと眺めている。
「もしかして、こんなに多く持って来たのって、アタシたちのため?」
彼女の行動に思い当たった爪磨がそう聞くと、照れたように頭を頬を掻いた。
「二人ともどんなお菓子が好きなのか分からなかったので、取りあえず、全種類持って来たんですけど……やっぱり多すぎました」
恐らくは遠目で二人の会話を見ていたのだろう。
重苦しい雰囲気で話し合う爪磨たちを気遣って、二人の好きなものを持って来たかったのだ。
単なる目移りで大量に持って来たとばかり思っていたレオは韻牙の気遣いを分からなかった自分を恥じた。
「ありがとうございます、韻牙さん。では、失礼して、これを」
レオは彼女の優しさに礼を述べて、彼から見て一番取りやすい位置にあったショートケーキをフォークで一切れ割いて、口に運んだ。
「うん。美味しいです。ほら、爪磨も」
「うーん。そうねぇ……」
スイーツの山に目を向けてから、目に留まったものをフォークで突いた。
苺のタルト。然程珍しくもないそれを彼はじっと見つめた後、口に入れる。
韻牙は彼の顔を眺めていた。
記憶のない彼女には魔戒のことも、自分を取り巻く状況も未だ完全には理解できていない。
把握していることといえば、ただ自分の身が狙われていることと、爪磨が自分を守ろうとしてくれていることだけである。
だからこそ、彼には少しでも安らいでほしかった。
何も分からない自分を身を削って助けてくれる爪磨を僅かでも労わりたかった。
「それ、好きなんですか?」
「どうかしらね。……でも、弟は母が作った苺のタルトが好物だったわ」
爪磨は懐かしむような眼差しを浮かべた。
その台詞にレオは少し動揺したように視線を逸らす。
「弟さんが居るんですか? じゃあ、爪磨さんってお兄ちゃんなんですね! 優しくて面倒見がいいですから、凄く分かります」
「いいえ……アタシは」
彼の瞳に憂いが混じる。
負の感情を表情に浮かべることのない爪磨にしては酷く珍しい光景だった。
韻牙はその瞳に宿る感情の意味が分からず、困惑する。
「あの、どうかしたんですか……?」
不安そうげに彼女が聞くと、爪磨はパッと表情を明るく変えて言う。
「お兄ちゃんじゃないわ。お姉ちゃんよ。韻牙ちゃんたら失礼しちゃうわね。もう」
ふざけた調子で彼が言うと、韻牙がホッとしたように胸を撫で下した。
「すいません。お姉ちゃんでした」
「いや、そこで納得するもおかしいと思いますよ」
微笑む彼女にレオは唇に付いた生クリームを拭き取りながら静かに突っ込みを入れる。
そこから和やかな彼のトークにつられて、先ほどの雰囲気は霧散して行った。
久しぶりの投稿になります。
設定は大体決まっているのですが、どう表現しようか悩んでいる内に日にちが経ってしまいました。