慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第十四話 預言(中編)

「じゃあ、爪磨さんって昔は無口な人だったんですか⁉︎」

 

 テーブルに身を乗り出して尋ねる韻牙に、レオは苦笑する。

 

「そうですね。出会った頃はずっと無表情というか、笑わない子でした。事務的な返答はしてくれたけど、自発的に話しかけてくれたのは僕が彼を引き取ってから、確か三ヶ月くらいは経ってからのことでしたね」

 

 爪磨が手洗いに立った隙を狙い、韻牙がレオに彼の昔の頃のことを聞くと懐かしむような目で彼と会った日を思い起こす。

 

 

 それはもう十二年も前のことになる。あの日はとても雨が強い日だった。

 魔戒法師としてだけでなく、魔戒騎士としての心身の修行を兼ねて向かった先――深山幽谷(しんざんゆうこく)(おもむ)いていた。

 魔道具による補正なく、自らの剣技を磨くべく、レオは自然の中で今一度自分を見つめ直そうと考えた。

 目を瞑り、雨の音に包まれた中、気配のみで雨風で剥ぎ取られる木の葉を斬る鍛錬。

 降りしきる雨に打たれることで身に着けた魔法衣は濡れ、重みと冷たさを感じながら、ひたすらに意識を鋭敏化させてゆく。

 都会の喧騒にはない、自然界の音だけに耳を澄ませ、その身を世界と融和させる。時間という概念を置き去りにして、レオは魔戒剣を振るう以外のすべてを思考から完全に排除していた。

 鋭くなった五感は、雨音の雑音の中から木々のしなる音や森に棲まう小動物たちの呼吸音さえ感じ取る。

 自己という意識が拡大したかのような認識の中、剣の業を磨いていた彼は確かにそれを聞いた。

 

「……!」

 

 不規則な弱々しい息遣い。最初は手負いの獣の呼吸かと思ったが違う。

 小型の小動物ではないが、大型の動物でもない。

 この呼吸音は人間特有のもの。それも成人した大人ではなく、子供のものだ。

 両目を見開いたレオは、剣を振るう手を止めて、彼の知覚が認識した呼吸の元へと走った。

 水分を多分に含み、抜かるんだ地面を危なげなく、駆けながら再び、意識を耳へと集中させる。

 近くの茂みへと踏み込むと、そこにはほとんど襤褸切(ぼろき)れと化した衣服を着た少年が倒れていた。

 一目で相当衰弱していることが見て取れた。

 

『レオ。こんなところに子供が居るのは不自然じゃないかい。用心した方がいい』

 

 魔導輪・エルバがそう指摘したが、レオはその少年に迷わず駆け寄っていた。

 裸足の足は皮が破け、血が滲んでいた。触れた身体は冷やしたゴムのように固くなっている。

 熱というものはほとんど感じられなかった。発見するのが後少し遅れていれば、このか細い呼吸さえも絶えていたことだろう。

 

「……この子は人間だ。邪気も感じない。一刻も早く、温かい場所に連れて行かないと」

 

 そうレオが彼を抱き上げた時、少年の瞳が薄っすらと開いた。

 

「意識はありますか? 今、僕が助けますから、少しじっとして居てください」

 

 優し気にそう言って、レオは魔戒道への入口をエルバに開かせようとした。

 しかし、少年の青くなった唇から漏れた呟きは思いも寄らないものだった。

 

「放っておいて、ください……僕は死にたいんです。できるだけ苦しんで、辛い思いをしながら死んでいきたいんです……」

 

 生気のない人形のような瞳。何もかもに疲れ果てた眼差しは年端もいかない子供がするものではなかった。

 この少年は死を望んでいる。いや、生を放棄している。

 世界の全てに絶望し切った表情とでも呼べばいいだろうか。それほどまでに少年の心は朽ち果てていた。

 そう直感したレオは、彼を優しく抱えて、言った。

 

「いいえ。君はまだ息をしています。君の意志が生を諦めても、その肉体は死を望んではいません。それを守るのが、僕ら『守りし者』の役目です」

 

「……『守りし者』。そんなもの、どこにも居ない。魔戒騎士も、魔戒法師も……何も、守れない……」

 

 寒さで強張った少年の表情筋が自嘲するような笑みを形作る。

 それはひどくうんざりとしたような、どこか悲痛な声音だった。

 

「君は……」

 

「開けたよ、レオ。さあ、早く」

 

 魔戒の者を知る彼の口ぶりに一瞬だけ、驚愕したレオだったが、魔戒道を開き終えたエルバの言葉で気を取り直し、当時住んでいた住居へと少年を連れて戻った。

 そして、彼を着替えさせた際に纏っていた衣服が、魔戒騎士の子息が身に着ける修練着だとレオは気付いた。

 修行場で渡されるものではなく、親が子に贈り物として授ける称号ある騎士の紋章の入った修練着。

 紋章は一番大きな頂点を真下に据えた五角形。

 その紋章の称号名は金剛騎士・ダイヤ。

 元老院を治める四大議長が一人、白虎議長・斗掻(とがき)(けい)の持つ称号だった。

 

 

 ***

 

 

 手洗い場で用を足した爪磨は、鏡を見ながら髪型を整えていた。

 やや襟足と前髪の長い女性的なヘアスタイルの彼は、鏡に映る己を見つめて丹念に毛先を(くし)()かしている。

 しかし、筋肉質かつ骨太の骨格の彼から立ち昇る男性らしさは一向に減らない。それどころか、かえって彼の逞しさを一層際立たせる結果になっていた。

 

「やだわ。前の戦闘で霊獣のウィッグと一緒に、地毛までちぎれちゃってる。アタシのキューティクルはもうボロボロ。こんなんじゃ、お嫁に行けないわぁ……」

 

 どこまで本気で言っているのか判別できない泣き言を吐いていると、彼の指に嵌められたゾルバは呟いた。

 

『先ほどの会話を聞いて分かったぞ。魔戒騎士』

 

「アタシのスリーサイズが?」

 

『貴様が手に掛けた、ホラーに堕ちた肉親は弟だ。貴様は実の弟を斬った。そうだな?』

 

 爪磨の冗談にも付き合わず、ゾルバはそう言って退けた。

 勝ち誇ったような声色で言い放ったゾルバだったが、鏡に映し出された爪磨の顔には図星を指されたような動揺はなかった。

 むしろ、皮肉げな薄ら笑いさえ浮かべていた。

 彼は鏡に映る自分を見つめて、答える。

 

「半分だけ正解ってとこかしらね」

 

『どういう意味だ?』

 

 正解を確信していた故に肩透かしを食らったゾルバは彼に尋ねる。

 

「ホラーに憑依されたのはアタシの母よ。それを斬ったのもアタシ」

 

 そして――……。

 

「弟を……駆騎(かるき)を斬ったのもアタシ」

 

 鏡の中の虚像は笑う。

 酷薄に自嘲するように嘯く爪磨。

 ゾルバはそんな彼の態度に押し黙る。

 ホラーである彼は爪磨の心情を(はか)りかねていた。

 陰我に付け入るため、軽口混じりに過去に触れた時は怒気を孕んだ眼差しを向けられたが、今回はあえなくいなされたようにも感じる。

 

『随分と口が軽くなったようだな。何時ぞやのように怒りを露わにしたと言うのに』

 

「そうね。あの時よりはゾルバちゃんのことを信用できたからかもしれないわ」

 

 ……信用だと? 愚かなことだ。

 内心でゾルバは失笑した。

 魔界より人を喰らいにこの地に降り立ったプリズンホラーであるこの身を、不倶戴天(ふぐたいてん)の魔戒騎士が信用するなど笑い話にもならない。

 このゾルバリオスを侮っているのか。それとも気が弛んだのか。

 どちらにせよ、自分としては好都合だ。

 魔導輪に封じられ、縛り付けられてはいるが、折を見て爪磨の肉体に憑依してくれる……。

 密かな邪心を抱いていたゾルバはその時、微かに漂ってきた匂いに勘付く。

 

『後ろだ。魔戒騎士!』

 

 その言葉と同時に爪磨の視界には鏡に映った黒衣の男の姿を目にしていた。

 流れるような動作で腰元に携えた偃月魔戒剣を抜き取り、振り向き様に一閃。

 しかし、手応えはない。刀身は空を切っただけに留まった。

 一瞬だけ鏡の中だけに存在する、異相空間を操る類のホラーかとも思ったが、もしそうならば、ゾルバの嗅覚は背後ではなく、鏡から伝わったはずだ。

 

「透明化……? いいえ、違うわね」

 

 呟きと共に自身の足元へとソウルメタルの刃を床へと突き立てる。

 より正確に表すなら、自分の足元から伸びる影へと剣を刺し入れた。

 途端、水面のように何の抵抗もなく、偃月魔戒剣を受け入れた。

 

『影を……異空間のゲートにしているのか』

 

 ゾルバの言葉に呼応するように、爪磨の影が広がり、円を描くように変形してゆく。

 その縁に沿うように闇が魔界文字を刻まれていた。

 内容は、『一人で来られたし、ダイヤの系譜の者よ』。

 

『金剛騎士……? その称号は貴様が追っていた暗黒騎士の……』

 

 怪訝そうに漏らしたゾルバにも返答せず、爪磨は剣を影のゲートから引き抜くとその中へと降りようとするかのように進む。

 

『何をするつもりだ。魔戒騎士!? こんな見え透いた罠に自ら掛かる気か?』

 

「見え透いた罠でもこれを書いた奴には会う必要があるわ」

 

『待て。せめてもう一人の魔戒騎士に伝えてから、あ、おい、待て、早まるな!』

 

 ゾルバの制止の声にも耳を貸さず、爪磨は闇のゲートへと自ら乗り込んだ。

 視界は一瞬で暗闇に塗り潰され、数瞬後、開けた場所に辿り着く。

 見上げればどこまでも続くモノトーンの空間。白と黒の絵の具がマーブル上に入り混じり、時には分離して形を変えていく。

 どれほどに交じり合っても決して灰色にはならない異質な色の集合。

 その中でテーブルに付き、長椅子に腰を掛けている中年くらいの小男が居た。

 

「初めまして、斗掻(とがき)爪磨殿」

 

 ローブの下から見える癇に障る薄笑いを向けた。

 

「……呼びつけて置いて、人の名前を間違えるのは常識が足りないんじゃない? アタシの名前は()()爪磨よ」

 

 珍しく吐き捨てるような嫌悪の籠った口調で爪磨は言い放つ。

 すると、小男。魔獣装甲・五番は慇懃無礼に謝った。

 

「これは失礼致しましたな。てっきり偉大なる御父上の名前を名乗っているのかと」

 

「偉大なるゥ? 裏切り者の屑、の間違いでしょ?」

 

 口の端を上げて、爪磨は皮肉気な笑みを漏らす。

 ぴくりと五番の目蓋が痙攣するように動く。明らかに怒りを感じている相手を見て、口元に手を当てて笑ってみせた。

 

「あらぁ。お気に召さなかったかしら。あなたはその屑の下僕だものね。これは失礼。でも失礼なのはお互い様だから許してね」

 

 そう言いつつ、目の端で周囲を細かに観察する。

 先ほど御手洗で見たのはこの小男ではなく、黒衣の男だった。

 であれば、この空間にはもう一人敵が潜んでいる可能性がある。

 目の前に居る分かりやすい相手と舌戦を繰り広げて注意を引きつつ、この場における情報を少しでも観察していた。

 決して長い付き合いではないとはいえ、ゾルバも爪磨の戦い方が分かっていたため、彼に乗っかるように五番へと話しかけた。

 

『その恰好。魔戒導師の魔法衣だな。この時代にもまだ存在していたとは驚きだ。てっきりとっくに絶滅したと思ったが』

 

「っく。魔導輪の分際で魔戒導師を愚弄するつもりか!?」

 

『悪かったな。根が素直で思ったことを口に出してしまうんだ』

 

 内心でゾルバに感謝しつつ、爪磨は情報把握に努める。

 恐らくはホラーの力を使って作られた結界内のような場所だ。

 あの小男が持ち込んだテーブルや椅子以外には宙に浮く、岩のような漂流物しか見当たらない。

 もしかしたら、ダイヤが居るかもしれないと淡い期待を懐いていたが、それもなさそうだ。

 先ほどと同じく黒衣の男はこの黒い世界に沈んで潜伏しているかもしれないが、少なくとも殺気らしきものは感じられない。

 粗方観察が終わったところで改めて、小男を観察する。

 ゾルバが口にした通り、その服装は魔戒法師の魔法衣とは異なり、どちらかというと古典的な占い師のような格好をしている。

 魔戒導師に対してさほど知識がない爪磨でも、格闘や身体を動かす法術には不向きだというのが見て取れた。

 

「それで魔戒導師サマとやらがアタシを呼びつけて何の用かしら? それともあなたはただの受付でアタシを呼んだのはさっきの黒衣の彼かしら?」

 

「いいえ。あなたを呼んだのはこの五番です。八番ではありません」

 

 番号……。コードネームみたいなものかしら。

 彼らは自分たちを番号で呼び合っている。数字の大きい方が上なのか、それとも逆なのかはさておき、五と八なら、その間に六と七が居るのだろう。

 この前自分やレオが合った魔獣騎士たちがその番号に割り振られるのかもしれない。

 呼び名から彼らの組織のことを分析していると、五番は言った。

 

「爪磨殿。こちらに与する気はありませんか?」

 

「というと……?」

 

「『救いし者』へ入る気はないかと、そうお聞きしてるのですよ」

 

 彼の目がフードの奥で妖しく光った。

 

 

 ***

 

 

 爪磨と出会った時の思い出を反芻していたレオだったが、彼の魔導輪エルバが声を掛ける。

 

『レオ。何だか、変な気配がする……薄っすらとだけどこの感覚は魔胎のものだよ』

 

「そうか。分かった」

 

 即座に意識を魔戒騎士として研ぎ澄ませると席を立ち、韻牙を庇うように周囲に目を向けた。

 それなりに客も入っているスイーツバイキング。この中の誰かがホラーをその身に宿した魔胎の可能性がある。

 ホラーと違い、日中でも活動できる上に魔導輪でも気配を完全に察知することができない奴らは奇襲という一点に限ればこの上なく厄介だ。

 それに加え、先の戦いで鎧と剣が大破したレオは現在鎧の召喚ができない状態にあった。

 

「レオさん……どうしたんですか?」

 

「いや、韻牙さんは座っていてください。くっ、こんな時に爪磨はまだトイレに居るのか。……いや、まさか!?」

 

 既に爪磨が襲われているとすれば、彼は今戦っている最中かもしれない。

 急いで御手洗の方へ向かおうとしたレオだったが、入店して来た客の一人にぶつかりそうになる。

 チェロかコントラバスでも入れているのか、大きなケースを持った青年だ。

 

「すみません」

 

 軽く頭を下げた後、脇を通ろうとしたが、青年が突き出した脚がそれを阻む。

 

「おいおい。ぶつかっておいてそれはないだろ?」

 

「本当にすみません。ですが今は少し急いでまして……」

 

「安心しろ。九曜爪磨はまだ生きてる」

 

「!? 何を……」

 

 穏便に謝罪をして爪磨の元へ向かおうとしたレオに青年はそう言ってレオの顔を殴り付ける。

 姿勢を崩しそうになった彼だが、後ろへ距離を青年を見据えた。

 ざわつく店内の客を余所に、大きな楽器ケースを蹴飛ばして開けると、そこには一本の戦斧が仕舞われていた。

 それを取り出して、肩に担いだ青年はにやりと笑って、誰かに声を掛けた。

 

「おい。俺らも頼むぜ。()()

 

「八番……? 何を言って」

 

 レオは魔法衣の袖口から魔導筆を取り出して、訝しんだ時。

 

「これは貸しだぞ。六番」

 

 レオと青年の影から何者かの腕が伸び、二人を影の中へと引きずり込んだ。

 店内から忽然と消えた二人を見て、慌てる店員や客たち。事の成り行きを見守っていた韻牙だけはただ冷静にレオたちが消失した床を眺めていた。

 




前後編ではまとめきれなくなったので、今回は中編です。
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