慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第十七話 炎人(前編)

 黒い炎の波に呑まれ、大号竜・リグルは巨体を沈めていく。

 真なる魔界の火焔、魔獣火を前にしては如何に魔導の(すい)を結集して作られた号竜と言えども無力。

 炙られた紙屑の如く、形を崩し、燃焼するそれを魔獣装甲・六番は兜の奥の目で眺めていた。

 

『布道レオ……。号竜共々大したことはなかったな』

 

 自らの奥の手であるこの秘技、『邪念炎装』をわざわざ使うまでもなかったかと独りごちる。

 父の仇が作ったと聞いた大号竜に怒りで我を忘れかけてしまった。我が事ながら未熟と言わざるを得ない。

 赤い鎧武者に似た装甲を覆う魔獣火が消える。連動するように燃え広がっていた炎も燻ることなく、一瞬で鎮火した。

 

『武蔵』

 

 肉体に共生している相棒兼得物の戦斧ホラー・パラシャの声が掛かる。

 

『無駄に力を使わせたな、パラシャ。もうこの場所には用はねぇ』

 

『否……! 新しい敵が現れたぞ。上をよく見るがいい』

 

『何だと⁉︎』

 

 言葉につられて視線を上げる。

 黒い岩だけが固定されたように宙に浮かぶ、モノトーンの空間。

 そこに灰色の何かが揺蕩(たゆた)うように存在していた。

 人型の異形。ホラーではないそれは紛れもなく、魔獣装甲……!

 

『見たことのねぇ魔獣装甲だ。いや、それよりも何であいつは、布道レオを抱きかかえてやがる!』

 

 灰色の魔獣装甲はその腕に燃やし尽くしたはずのレオを抱えている。

 黒いジャケットの魔法衣は表面を焼かれ、(すす)けていた。だが、彼の身には火傷の跡すら付いていない。

 小さく(うめ)いたレオはゆっくりと目蓋を開き、己を抱える異形を見つめる。

 

『気が付いたかよ、オッサン。一応、無事って扱いでいいのかね、これ』

 

 頭部が馬に似た灰色の人型。馬の獣人とでも呼べばいいのか、外皮は生物感は薄く、静謐な印象がする。

 口調は男性的だが、響く声音は女性のものだった。

 声のトーンや喋り方は全く別だが、レオは彼女の声に聞き覚えがあった。

 二十分前ほど前に会話をしていた相手。

 

「まさか、君は……韻牙さん、なのか?」

 

『あー……。どう答えるべきなんだろうな。この身体は間違いなく韻牙のものではあるし、俺もある意味韻牙とも言える訳だから……』

 

 彼女に憑依したホラーかと警戒したが、それにしては敵意や悪意の類は伝わって来ない。

 加えて、どのような思惑があったとしても絶体絶命の窮地から救ってくれたのはこの腕の持ち主だ。

 

「何故、僕を助けたんだ?」

 

『頼まれたからだよ、その韻牙にな』

 

 灰色の魔獣装甲はそう答えた。

 

 

 ***

 

 

 一人、スイーツショップに取り残された韻牙はレオが呑み込まれた床に手を触れる。

 表情は硬く、彼が消えた場所に手を置いて、そっと目を瞑った。

 韻牙には魔戒のことには疎い。一応、ホラーと呼ばれる魔獣の存在は爪磨たちから一通り聞かされたが、知識としてはほとんど素人同然だ。

 しかし、レオがそのホラーに類する者の手によってこの場から消えたことは察せられた。

 だとするならば、彼女にできることはない。

 ()()()()

 硬く目を閉じて、己が内に問いかける。

 

〈あの、聞こえてますか? 私の中に居る人。もしこの想いがあなたに伝わっているのなら、私のお願いを聞いてくれませんか?〉

 

 彼女は気が付いていた。自分の中に誰かが居ることに。

 今まで会話をしたことはなかったが、気を失っている間、自分以外の誰かが代わりに身体を動かしていることを何となく理解していた。

 爪磨から直接何か聞いた訳ではないものの、それが超常の存在であることも、自分を害する気がないことも分かっていた。

 だからこそ、今の今まで何も知らない振りを続けていたのだ。

 けれど、今回は事情が異なる。

 その誰かの協力が必要だ。

 ざわめく周囲の客の喧騒を一切遮断して、自分の内面へと語り掛け続ける。

 

〈もし、あなたにレオさんを助ける力があるのなら、それをどうか貸してください……〉

 

 無意味かもしれない。

 応えてくれないかもしれない。

 それでも自分にできることをすべてやってから諦めたかった。

 何も分からないから、何もできないから、だから何もしないなんて嫌だった。

 自分には記憶がない。だから、せめて出会って、親切にしてくれた人が危険な目に合っているなら、少しでも力になりたい。

 心の底から彼女はそう願っていた。

 やや間が合って、心の最奥から返答が返って来る。

 

『……ああ、分かったよ』

 

 その途端、眠るように韻牙の意識は薄れてゆく。

 両目が再び開かれた時、彼女の目付きは鋭く変化していた。

 

「俺の可愛いお姫様の頼みだ。仕方ねえ、やれるだけ頑張るとするかな」

 

 右腕が灰色の手甲に包まれ、レオたちが消えた床に押し込んだ。

 より正確には手を置いた場所にできた己の影の中へと手を伸ばす。

 その光景を目撃した来店客が更に後ろで騒ぎ立てるが、彼女は無視して、床の中へとずるりと潜り込む。

 潜水ならぬ潜影。

 床板を砕いたのではなく、影を起点にして作られたゲートを無理やりこじ開け、侵入してゆく。

 店内の照明が消え、視界情報は漆黒に彩られる。まるで墨汁でできた黒い海を泳いでいる気分だった。

 もう一人の韻牙もまた現状すべて把握できている訳ではない。

 知っているのは自分が特別なホラーだということ。そして、ホラーの力を利用する組織的な集団に付け狙われている程度のもの。

 そもそも己の正体すら正しく理解しているとは言い難い。

 何故、己が韻牙の中に居るのかも不明だ。彼女の精神からこの自我が生まれたのか、それとも何らかの手段で彼女の中に埋め込まれたのかも分からない。

 しかし、それでも一つだけ己の中で絶対の不文律がある。

 それが、『韻牙の願いを聞き届けること』。

 彼女が望むのなら、何が起きるとしても、どういう事態に向かうとしても、実現させてみせるだけ。

 いつしか灰色の装甲は右腕から肉体を覆い尽くし、彼女のシルエットをより攻撃的なものへと進化させてゆく。

 可憐な少女の身から、馬の頭部を持つ灰色の魔獣装甲へと……。

 

 

 ***

 

 

「頼まれた……それは彼女はあなたの存在を認識している、という意味で間違いないか?」

 

 窮地を救われた相手とはいえ、レオには韻牙の声音で話す灰色の魔獣装甲に未だ警戒心があった。

 仮に韻牙が魔胎だと仮定するなら、この人格は彼女の肉体に巣食うホラーのものであるということになる。

 魂が喰われていないとしても、ホラーであれば魔戒騎士の敵であり、人類を脅かす捕食者に他ならない。

 ……爪磨はこの事実を知っていたのだろうか。

 愛弟子への不信感が彼の中に募る。

 

『マカイキシ? ……のアンタにとっては俺の存在は許し難いものなのかもしれないけどさ。ちょいと話は後回しにさせてくれよ。(やっこ)さん……相当御冠(おかんむり)だぜ?』

 

 灰色の魔獣装甲は顎で真下を差す。

 レオが目を向けると、そこには戦斧を担いだ魔獣装甲・六番がこちらを見上げていた。

 

『てめえ、何モンだァ? 他人(ひと)の獲物、横取りする気か!?』

 

『いや、何者かって聞かれても俺が聞きたいぐらいなんだが……。とりあえず、このオッサンは殺させないぞ。こいつが死ぬと泣く奴が居るからな』

 

 怒鳴る六番に対し、灰色の魔獣装甲はあくまでも落ち着いた態度で返す。

 深紅の外骨格で覆われた牙が激しい音と立て軋む。

 僅かに六番が膝を落とし、屈んだ。

 次の瞬間、灰色の魔獣装甲が浮かぶ場所へと跳ね上がる。

 

『じゃあ、死ねよ』

 

『……!』

 

 驚くべき跳躍力。ホラーの力で身体能力が極限にまで引き上げられているとしても、埒外の速度だった。

 事実、灰色の魔獣装甲の眼球で跳ね上がった瞬間を視認することができなかった。

 撃ち放たれた弾丸の如き速度で宙へと跳んだ六番は、戦斧を縦に振るった。

 回避不能の一撃。

 歴戦の魔戒騎士であるレオですらそう思うほどの素早さとキレのある一振りだった。

 だが――。

 

『……っち』

 

 戦斧はただ空を切るに終わった。

 灰色の魔獣装甲が六番の一振りを避けたのだ。

 滑らかな動きで水の中を泳ぐように移動してみせた。

 飛行ではない。水泳ならぬ空泳。

 六番にはその奇妙な移動法に覚えがあった。

 

『そいつは魔獣装甲・一番の奴が持ってた能力……ってことはあれか? お前が噂の()()だな?』

 

『ジュウバン? そいつが俺の名前なのか?』

 

 黒と白の世界を背景にレオを抱えたまま、灰色の魔獣装甲は宙を泳ぐ。

 六番は手ごろな大きさの浮遊している岩に飛び乗ると戦斧を担ぎ直し、親指で額を叩いた。

 

『面倒だな、八番の野郎。何でこいつを中に居れやがった? こいつは必要な器じゃなかったのかよ、ったく……』

 

 激昂していた感情を抑え込み、何やら思案するように六番は佇む。

 けれど、灰色の魔獣装甲にはその隙を見逃す手はなかった。レオを浮遊する岩の一つに置くと反転し、六番へと突撃しに向かう。

 空中遊泳能力を行使しながら、装甲を硬質化させての突進。

 灰色の巨大砲弾と化したそれは一直線に六番へと飛来する。

 

『二番の装甲が持つ硬質化まで使えるのかよ。……予定通りに芸達者に育ってるって訳か』

 

 戦斧を使い、狭い足場だというのに六番はそれを難なく受け流す。

 突進の衝撃は雨水が斜面を流れ落ちるように斜め後ろへと滑ってゆく。

 しかし、灰色の魔獣装甲もまたただでは転ばない。

 接触の最中、身体を捻って六番の手首を左手で握り締める。

 

『……掴んだぜ、赤いの』

 

『掴んだだけでどうにかなるとでも思って……なっ!?』

 

 掴まれた手を跳ね除けようとした六番だったが、灰色の腕は張り付いたように離れない。

 深紅の手甲に融合するかのように灰色の指先が埋まり始めている。

 魔獣装甲・四番。厳密に言えば、ホラー・ナラシンハが持っていた同化能力。

 

『しまっ……!』

 

 張り付いた灰色を削ぎ落すように戦斧の刃を動かすが、それは致命的な悪手だった。

 もしも六番が冷静な思考を保っていたならば、刃は相対する本体に向けられていただろう。

 如何に自在に宙を泳ぐとはいえ、六番の卓越した斧術であれば、今度こそ必中で一撃を決められていた。

 だが、肉体を侵蝕されるという異常事態に彼の本能が異物の排除を優先してしまった。

 灰色の魔獣装甲はその隙に右手を僅かに肥大化させ、側面から六番の頭蓋に拳を叩き付ける。

 激しい衝撃音を伴った打撃が六番の顔面に炸裂。

 黒い血飛沫が宙を舞う。

 堅甲ホラー・クールマの硬質化された拳が、野猪ホラー・ヴァラーハが持つ剛力を以って放たれた。

 弾き飛ばされた六番の肉体は空中に浮遊する岩石を砕きながら、真下へと落下して行った。

 やや離れた岩の上で攻防の一部始終を目撃していたレオは驚愕を隠せない。

 自ら戦ったからこそ六番の強さは彼が文字通り身に染みて分かっている。

 故にその相手を殴り飛ばした灰色の魔獣装甲の強さに目を剥いた。

 

「様々な能力を自在に使えるのか……」

 

 多様多種な能力を持つホラーは知識として認識しているが、あそこまで複雑で特殊な力を持つ一個体のホラーなど歴史上にすら存在していなかった。

 使徒ホラーと呼ばれる強大なホラーでさえ、自らが属するエレメント以外の能力は使えなかった。

 ならば、己が目視しているあの灰色のホラーは……。

 

『あんなホラー、アタシですら見たことないよ』

 

 魔界の生き字引とも言える魔導輪エルバもまたレオと同じく、新たな存在として認めていた。

 新種と認定された灰色の魔獣装甲は地上へと落下した六番へと視線を落とす。

 黒い大地に叩き付けられた陥没した兜を手で押さえながら、戦斧を握り締めた。

 

『パラシャァ! 魔獣火をありったけ絞り出せ! あのガキ、骨まで燃やし尽くしてやる!』

 

 激情の籠った叫びを相方である戦斧へ掛ける。

 

『承知。これほどの強敵を前にできるとは……吾輩も(たぎ)って来たぞ!』

 

 黒い炎が刃に灯ると同時に深紅の装甲の表面を塗り潰してゆく。

 それを上から目撃したレオは表情を硬くした。

 あの黒い魔界の火焔を使う気なのだ。今度は前よりも遥かに炎の量が多い。

 漆黒の地表を舐め取るようにより黒い炎が照らしている。

 灰色の魔獣装甲がどれだけ多彩な能力を保持していようとも、あらゆるものを燃焼させるあの炎にだけは勝ち目が薄い。

 魔獣火の鎧、『邪念炎装』に身を包んだ六番は再び、灰色の魔獣装甲の元へと跳ぼうとした時。

 

「六番……貴様、何のつもりだ?」

 

 その背後に黒衣の男が地面から這い出るように出現した。

 

『決まってんだろ、あのガキを燃やして……』

 

「ようやくあそこまで成長した『救世の器』を燃やすと? 貴様は本気でそう言っているのか?」

 

 淡々とした口調であったが、無表情の顔から滲んでいるのは静かな怒り。

 あるいは殺意。

 憤怒に支配されていた六番の感情さえも凍結させるかような、絶対零度の言葉。

 

「お前は俺を怒らせる気か?」

 

『…………』

 

 背を向けたまま、押し黙る六番を刺すように告げる。

 

「先ほど五番が役目を終えた。順番としては今、ここでお前を俺が殺しても構わんのだぞ?」

 

『分かったよ、八番。アンタのが格上だ。従うさ』

 

 吐き捨てるように呟くと装甲を覆うように燃えていた魔獣火が一瞬で鎮火する。

 それを冷めた目で一瞥(いちべつ)した黒衣の男、魔獣装甲・八番は、上を見上げた。

 宙を漂うように浮かぶ灰色の魔獣装甲へと視線を向けて、しばし観察するように眺めた。

 表情からは彼が何を思っているのか感じ取ることはできない。

 しかし、その眼差しには害意や敵意は含まれていないように感じられた。

 

「この場は撤収するぞ。流石に今火羅人(ホラービト)まで喰わせるのは時期尚早だ」

 

『あいあいさ。そんで、先生の息子の方はどうするんだ?』

 

「放置だ。五番は引き込みたかったようだが、別に先生は臨んでいない」

 

 それだけ言うと黒衣の男は六番の肩に触れた。そして、もう片方の手で指を鳴らす。

 パチンと軽い音がした後、一瞬の間が合って、モノトーンの異空間は歪んで消えた。

 周囲は異様な背景ではなく、さっきまで食事をしていたスイーツショップへと戻っていた。

 床に膝を突いていたレオはそのことに気が付くと、すぐにあの灰色の魔獣装甲の姿を探す。

 見回せば、急に消えたと思えば突然現れたレオに驚き戸惑っている来店客の中、床に蹲るようにして眠っている韻牙が目に留まった。

 急いで駆け付けると、彼女は健やかな寝息を立てていた。

 安堵したレオのすぐ近くで男子トイレの扉が開く。

 中からハンカチで手を拭う爪磨が足で扉を開けながら、顔を出した。

 

「すっごいの出たわ。あら、二人ともどうしたの?」

 

「こっちも凄いのが出たよ……」

 

 溜息を漏らしながら、レオは韻牙を片手で抱きかかえながら懐に手をやった。

 焼け焦げたライダージャケットの内側から八卦札の束を店内にばら撒いた。

 札が店内で騒ぐ来店客や店員の一人一人の頭上に飛ぶと、淡い光を放ち始める。

 こちらを向いて騒いでいた彼らは何故自分たちが騒いでいたのかも忘れ、各々の活動を再開した。

 

「爪磨。この子のこと、色々と聞かせてもらうよ」

 

「ま、何があったかは想像が付くわ。いいわよ。そろそろ情報共有しないとまずいって思ってたしね」

 

 深緑のコートのポケットにハンカチをしまった爪磨は悪びれた様子もなく、そう答えてみせた。

 




慈英怒は今回が今年初の更新になります。
他の連載小説も書いているので更新速度は遅めになると思いますが、お付き合いいただけたら幸いです。

ちなみに活動報告の方でオリジナルキャラを応募しています。
役柄としては新しい番犬所の神官です。
もし興味がある方がおられましたらご応募お待ちしております。
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