慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

20 / 23
第二十話 騎士(前編)

 夜のビル街、武蔵は魔戒文字が刻まれた細長い長方形の箱を握り締め、佇んでいた。

 

『本当に使う気か。そんな不粋な物を……』

 

 戦斧ホラー・パラシャが宿主であり、自身の使い手でもある武蔵へ不快気に問う。

 彼は何も答えず、眉間に皺を寄せている。

 武蔵とて、この道具を使うことに思うところはあった。

 しかし、それを踏まえて尚、手放せずに居る己に嫌気が差す。

 これは必要なことなのだと偽ってみせても、半身たるパラシャは誤魔化せない。

 

「……使うっつったらお前はどうするよ」

 

『どうもできんさ。我輩は今やお前の武具。武具は担い手によって運用されるのみだ』

 

 パラシャの投げやりな台詞に一層苛立ちが募る。

 いっそ、頭から否定してくれたなら開き直れただろうが、己が得物はそれすら許しはしない。

 恥辱だ。こんな屈辱があっていいはずがない。

 

「俺は……っ! そんなこと聞いてんじゃねぇんだよ!」

 

『ククッ。武蔵、お前は我輩に何を期待しているのだ? 激励がほしいのか? それとも共感か? ハハハッ、我輩はホラーだぞ。お前の友人でもなければ家族でもない。謂わば、単なる寄生虫だ。そのような人間性を求められても困るな』

 

 嘲笑を受けた武蔵は、改めて、ホラーという存在の悪辣さを理解する。

 人間に匹敵する知性と言語を共有する知能を持ちながら、決して人間に迎合しない精神構造。

 正しく、魔獣という表現が適切だ。

 

「……お前に聞いた俺が馬鹿だった」

 

『うむ。理解してくれたのであれば行幸。であれば、友人を頼れ、武蔵。獣ではなく、人の友をな』

 

「人の友……?」

 

 尋ね返してもパラシャはそれ以上何も口にしなかった。

 上着のポケットに箱を押し込み、その場から立ち去る。

 彼の脳裏には己の人生で唯一掛け値なしに友と呼べる相手の顔が浮かんでいた。

 

 

 

 駅前まで徒歩でやって来た武蔵は辺りを見渡す。

 終業後の草臥(くたび)れたスーツ姿のサラリーマンたちが、駅の中から重たい足取りでバス乗り場まで向かって行く光景ばかりが視界を横切る。

 そんな中でやや古ぼけた公衆電話を見つけると、早足で透明なボックス内へ入った。

 通信端末機器の類を持たない彼には昨今数を減らし続けている公衆電話に頼らざるを得なかった。

 財布から取り出した百円玉の硬貨を入れて受話器を取った後、電話番号を思い出しながらボタンを押下する。

 ……繋がる訳がない。

 知っている親友の携帯電話の番号は中学生時代のもの。十年以上も昔の番号を彼が使っているとは思えない。

 そう思いながらも武蔵は番号を入れて、受話器を耳に当てた。

 出なくてもいい。繋がらなくてもいい。

 ただ、唯一覚えている表の世界との接点にもう一度だけ手を伸ばしたかった。

 この行為に意味があるとすれば、それは決別に他ならない。

 己が居る場所を改めて認識し、世界の繋がりを断ち切る。

 そうなれば、もはや“箱”の封印を解くことに何ら躊躇はなくなるだろう。

 しかし、何度目かの呼び出し音の後に受話器から聞こえてきたのは、懐かしい名前だった。

 

『はい。夕田です』

 

 やや大人びて低くなった友の声に、武蔵は一瞬だけ怯んで言葉を失う。

 

『もしもし、聞こえてますか? ……ひょっとして悪戯電話か?』

 

「いやっ……悪戯じゃ、ないんだ」

 

 無言でいれば通話を切られてしまうと思い、咄嗟に喋り出すが二の句が告げない。

 あまりにも長い間、離れていた友人に対し、何と切り出せばよいのか判断が付かなかった。

 

「俺は……」

 

『その声は……もしかして“むっさん”?』

 

 かつての渾名(あだな)で呼ばれた武蔵は懐旧の念が込み上がるのを感じた。

 胸に(つか)えていたものが嘘のように消え、清々しい気持ちで名前を呼び返す。

 

「久しぶりだな。“まっさん”」

 

 不思議と口元は弛んでいた。

 それからの会話は中学生時代の延長のような他愛もないものが続いた。

 当時の教師の悪口から最近嵌っている楽曲まで続き、途切れることなく弾んだ。

 

「それにしても」

 

『うん?』

 

「十年以上も同じ電話番号使ってんだな」

 

『いつか君から電話が掛かってくる気がしたからかな……。僕が転校してから、むっさんは音信不通になっちゃったから』

 

 少しだけ責めるような声音に、武蔵は思わず謝った。

 

「悪かった。でも、俺にも色々あったんだ……」

 

『お母さん、亡くなったんだって?』

 

 母親の自殺のことは伝わっていたらしく、夕田は心配そうに尋ねて来る。

 魔戒騎士だった父親と違い、表の人間である母親の死は隠されることもなく、当時の新聞にも載った。

 

「ああ……」

 

『ご愁傷だね。今はお父さんと一緒に暮らしてるの? 確か肉体労働のある公務員って聞いてたけど』

 

 彼は警察官のようなものを連想していることが電話越しでも伝わってきた。

 武蔵は自嘲気味に笑ってしまいそうになる。

 魔戒騎士を含む守りし者の給金は秘密裏に政府から出されている。

 遥か過去に魔女狩りのように異端者として世の統治者に迫害された教訓から、官僚や大臣クラスのような重鎮には魔戒騎士の存在が認知されようになったそうだが、武蔵にはもはや関係のないことだった。

 

「親父も死んだよ。お袋よりも早くな」

 

『ごめん。言いたくないことだった?』

 

「いや、誰かに聞いてもらいたかったのかもな」

 

 もう一枚百円玉を投入口に入れてから、一つ息を吐いた。

 

「俺が今日まっさんに電話したのは、今やってる仕事について相談がしたかったからなんだ」

 

 武蔵が切り出すまで夕田は一切仕事に関することを聞いて来なかった。

 古い友人だからこそ分かる気遣いだろう。昔から彼は話を聞くのが上手だった。

 だが、いつまでもそれに甘えていることはできない。

 

『……聞くよ』

 

「ありがとよ。俺はさ、両親が死んでからある人のお世話になってたんだ。何て言えばいいんだろうな……恩師、みたいもんか。その人の恩義ある師の手伝いを今してるんだ」

 

 可能な限り魔戒に関することを伏せ、彼に己の現状を話して聞かせた。

 育ててくれた恩義に報いるため、恩師の力になりたいと思っていること。

 そのために自分の意に反することをしなければならないということ。

 そして、自身が迷っていること。

 最後まで聞き終えた夕田は、武蔵に尋ねた。

 

『ねえ、むっさん。むっさんがやらなければいけないことっていうのは、絶対に必要なこと? それともやった方が効率が良かったり、優先順位として高いこと?』

 

「どういう意味だ?」

 

『本当にしなければいけないことなら、やるかどうか悩めないはずだよ。でも、やらない選択肢があるってことは()()ではない。――違う?』

 

 夕田の言葉に武蔵は再度思考を巡らせる。

 言われてみれば彼の言う通りではある。“箱”は手渡されただけであり、絶対に使わなければならないものではない。

 “先生”――師であり、尊敬する騎士でもある斗掻(とがき)(けい)から直々に渡されたことで「使わなければならない」という固定概念に縛られていた。

 あくまでもこの箱は、魔獣装甲・十番の足止めとして、「使用した方が都合がいい」というだけでしかない。

 前回のように閃光騎士・ロードとの闘いに邪魔が入る可能性が出て来るが、それでもこんなものに頼るよりはマシだ。

 ついさっきまで袋小路に居たような心持ちだったにも拘わらず、あっさりと答えを得てしまった武蔵はしばし言葉を失った。

 

『どうかな?』

 

「やっぱ、まっさんは頭がいいな。カウンセラーとか向いてると思うぜ」

 

『もうやってるよ。僕の仕事は心療内科医だからね』

 

「親父さんと同じ仕事か」

 

『まあ、父さんは精神科医だけど大枠的には大体同じかな。むっさんはどうなの? あの頃は君のお父さんの仕事に憧れを持っていたよね?』

 

 父親の話を振られ、思わずまた黙り込む。

 あの頃、魔戒騎士や守りし者に無邪気にも憧れを懐いていた。

 ホラーの被害から無辜の人々を守る父親、サガミを誇りに思っていた。

 だが、それは守りし者の隠蔽体質を知らない子供だったからに過ぎない。

 サガミを殺した魔戒法師たちはもちろん、その事実さえも覆い隠した守りし者も今となっては軽蔑しか感じない。

 だからこそ、武蔵は奎に従い、元老院を襲撃したのだ。

 元老院付きの魔戒騎士や法師をそれこそ一々数えるのが馬鹿らしくなるほど殺した。

 

「……昔の話だ」

 

『ねえ、むっさん。今の君は、君のお父さんに恥ずかしくないように生きてる?』

 

「…………何だよ、急に」

 

『いや、ただむっさんは昔から図星を指されると口数が極端に減るからね。少し気になっただけだよ』

 

 電話越しでも何かを感じ取った夕田はそう指摘する。

 武蔵は言い返そうと言葉を探すが、上手い返しが見つからない。

 『救いし者』としての理念はホラーの人的被害をゼロにすることだ。

 それは守りし者が数千年以上の長い歴史を掛けても実現できなかったもの。

 今の武蔵の方が、一介の魔戒騎士だったサガミよりも遥かに多くの人間の命を救うことができる。

 しかし、その過程で流れた血は、奪われた命は決して少なくはない。

 儀式に使われる魔胎を作るためにホラーの陰子に適合できなかった人々。

 魔獣装甲を育てるために喰らうホラーの餌になった人々。

 将来的な被害減少を言い訳に、罪のない人間が数多く死んでいった。

 サガミが今の武蔵を見たら何と言うだろうか。

 そう(よぎ)ってしまった。

 

「……小銭がなくなった。もう切るぞ」

 

『あ、待って。最後に一つ』

 

 また何か痛いところを突かれる前に通話を終わらせたかったが、夕田の制止を無視してまで会話を切ることはできなかった。

 

「何だよ」

 

『僕、来月結婚するんだ。むっさんも式に来てほしい』

 

「はあ……! マジかよ!?」

 

『マジだよ』

 

 何でもないことのようにあっけらかんとした態度で言う夕田に、武蔵は面食らった。

 口が上手く昔から女子に好かれていた男だったが、彼はいつも一歩引いていて特定の異性に執心するような種類の人間ではなかった。

 それ故に誰か一人の女性と結ばれたと聞いても信じられずにいた。

 

「まっさんは恋人はできても結婚はできないタイプの男だと思ってたわ……」

 

『失礼だな。まあ、言わんとすることは分からなくもないけどね。僕だってもう中学生じゃない。色々と変わるさ。それで、来てくれる?』

 

 少しだけ言うの躊躇ってから答えた。

 

「いや、無理だ。来月は……予定が合いそうにない」

 

 来月にはもう武蔵はこの世にはいないだろう。

 何故なら彼はこれより計画通りに魔獣装甲・十番の(にえ)とならねばならないのだから。

 

『具体的な日付はまだ言ってもないのに?』

 

「……来月はとにかく駄目なんだよ。何日だろうと駄目なんだ」

 

『むっさん』

 

「悪いが、もう切るぞ」

 

『電話ありがとう。話せてよかった』

 

 しんみりとした声でそう告げられて、武蔵は何度目かになる沈黙で返した。

 察しの良い友人はもう会話をする機会がないことに気付いている。

 だから、これ以上の言葉は要らない。

 そのまま、受話器を置いて通話を終える。

 透明なボックス内から出た武蔵は静かに夜空を仰いだ。

 駅の光で星々が霞む見応えのない夜空がとても美しく感じられた。

 

 




少し期間が空いてしまいましたが、どうにか投稿できました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。