慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第二十一話 騎士(中編)

 茶色のチェロケースを背負い、夜道を歩く武蔵は己の在り方を改めて鑑みる。

 元老院付きの魔戒騎士ですら容易く捻る実力は既に身に着けている。戦士としては最高峰の一角に居ると自負している。

 だが、親友に言われた父親に恥じない生き方をしているかとの問いに答えることができなかった。

 割り切ったつもりだった。とっくに覚悟を決めていたはずだった。

 まだ己の中にそういった煮え切らない感情が残っていることに驚いてさえいる。

 ……まだ騎士としての在り方に未練があるとでもいうのだろうか。

 答えの出ない思考の袋小路に嵌っていると、不意に脇から声を掛けられる。

 

「あのー、ちょっとすみません」

 

 そこに居たのは懐中電灯を持った青い制服姿の年配の男だった。

 魔戒の人間とは違い、認識阻害の魔法衣を纏わない武蔵は一般人の目にも留まることがある。

 

「……職質ですか?」

 

「まあ、そんなとこです」

 

 年配の警官は人の良さそうな笑みを浮かべながら頷いた。

 

「最近、この街で行方不明者が多発してましてね。それでこの辺りを通る人に注意喚起を促しているんですよ。ほら、この道狭くて暗いでしょ? 夜は特に危ないんですよ」

 

 武蔵はそれに適当に相槌を打つ。

 この街は魔胎を育てるための餌場だ。行方不明者が増えたのも陰我の籠ったオブジェを街中に設置し、ホラーを魔界より誘致しているせいだろう。

 何よりも元老院を襲撃したことで魔戒騎士の全体数が激減している。死んだのは元老院付きの騎士とはいえ、担当の番犬所の負担が増えたせいで各地でホラーの討滅が滞っているのが現状だ。

 

「それで一応、見回りしてるんです。申し訳ありませんが、お名前とご職業をお聞かせ願えませんか?」

 

「大和武蔵。職業は売れない音楽家……って言いたいところですけど、実際のところはフリーターです」

 

 背中のチェロケースを揺すって顎で指し示す。

 実際は中に入っているのは戦斧(パラシャ)なのだが、下手に隠そうとするよりもあえて自ら言及することで、不信感を持たせずにやり過ごそうとした。

 感心したように年配の警官は尋ねる。

 

「ほお。重そうですね。私は楽器には疎いんですが、お弾きなるのはチェロですか? コントラバスですか?」

 

「……チェロですよ」

 

「いいですね。クラシック音楽は好きなので、私もこの仕事を退職したら初めてみるのもいいかもしれません」

 

「…………」

 

 武蔵が黙り込んでしまったため、長話に気分を害したと思った年配の警官は、申し訳なさそうに笑って頭を下げた。

 

「すみません。余計なお話をしてしまいましたね。ご協力感謝します。それでは」

 

 お辞儀をしてから立ち去ろうとする彼を、武蔵は呼び止めた。

 

「待ってください」

 

「はい? 何でしょうか」

 

「お巡りさんはその……定年が近いんですか?」

 

「ええ。御年五十九歳なので来年には定年退職になりますが……それが何か?」

 

 何故そんなことが気になるのかと、不思議そうな顔で武蔵を見上げている。

 武蔵は思い切って尋ねた。

 

「何でわざわざこんな面倒で危険なことしてるんですか? もう少しで定年ならもっと楽で簡単な仕事をして過ごすことだってできるんじゃないですか?」

 

 不躾な質問だと思ったが、それでも聞かずには居られなかった。

 彼とサガミが重なって思えたからかもしれない。

 年配の警官は少しだけ考え込んだ後、柔和な表情で答えた。

 

「そうですね。そういう過ごし方もできたかもしれません」

 

「なら……」

 

「ただ、私は私なりに職務を全うしたいんですよ」

 

「職務を全う……?」

 

 オウム返しで呟く武蔵に警官は頷いた。

 そして、僅かに恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「私はこの年まで結局出世とは縁のない人間でした。それでもこの仕事に誇りを持っています。だから、最後まで責任を以って働きたいんです」

 

「……っ!」

 

 武蔵の脳裏でサガミの姿が浮かぶ。

 称号もなく、さほど優れた血筋もでもない一介の魔戒騎士。

 彼はそれでも自らの職務に――守りし者としての使命に懸命だった。

 己に欠けていたもの。それはきっと職務への誇りだ。

 どれだけ強くなっても、どれだけ勝利を重ねても心の飢えは癒えることはなかった。

 それはきっと己の行いに誇りを持てなかったからだ。

 

「大和さん? 大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ……平気です。こんな失礼な質問に真面目に答えてくださって、ありがとうございました」

 

 心配するように覗き込む警官に礼を言って、彼を見送った。

 彼が去った後もしばらく武蔵はその場に佇んでいた。

 

 

 ***

 

 

 懐中電灯の明かりで足元を照らして歩きながら、年配の警官は自身の発言に苦笑する。

 若者の問いに年甲斐もなく、職務に対する誇りを熱く語ってしまった。

 実際はそこまで格好の良いものではない。

 妻には先立たれ、他に熱意を入れて打ち込める趣味も持たない彼は自然と仕事以外にやることがなかっただけだ。

 それこそ退職するまでに何か新しく趣味を見つけなければと考えているが、どうにもしっくりくるものがない。

 いっそ、仕事しかない自分のような老人には、警備会社辺りで再就職する方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えていると、数メートル先で何か動くものが見えた。

 アスファルトの地面の上で何者かが背を向けて屈み込んでいる。

 影になって鮮明に見ることは叶わなかったが、横たわる人間の上に馬乗りになって座っているようだった。

 喧嘩か、泥酔した酔っ払いから財布でも抜き出そうとしていると認識した警官は、明かりで照らして一喝した。

 

「こらっ! そこで何を……」

 

 している、と続けようとして台詞を呑み込む。

 照らされたそれは、巻貝に似た形状の頭部を持った異形だった。

 生物感はなく、光沢を放つ結晶状の表面は懐中電灯と光を乱反射している。頭から下は無数の連なった紐状のものがローブのように身体を覆っており、遠目で見ると悪趣味なテルテルボウズにも映った。

 我に返った彼は、被りものだと思い、気を取り直してそれに近付いた。

 

「何をしているんだ!」

 

 変質者として断定した警官は、詰め寄ろうとして……それに気付く。

 アンモナイトの怪人が乗っているものが、干からびた男性の変死体だということに。

 

「ひっ……!」

 

 人形でも特殊メイクの類でもない、本物の死体。

 末端とはいえ、長年警察組織に属している以上彼も変死体の一つや二つ資料でも閲覧したことがある。

 だからこそ、分かる。分かってしまう。

 これが紛れもなく、本物だということを否応なく理解してしまう。

 

『……何かと思えば、ただの人間。ようやく魔戒騎士に巡り会えたかと楽しみにしておりましたのに』

 

 ノイズが掛かった歪な声音。

 しかし、何故だか警官にはそれが女性のもののように聞こえた。

 

『ワタクシ、グルメでして、弱き下賤な魂はなるべく食したくありませんの。今なら見逃してあげますわ』

 

 細長い紐状の触手を干からびた死体から引き抜きながら、彼にそう告げる。

 逃がしてやると言われ、警官は僅かに後退ろうとした。山中で熊に遭遇した時の対処法と同じく、背を向けずにゆっくりと逃げようとしたのだ。

 しかし、二歩ほど下がった辺りで彼の足は止まった。

 

『……? 如何しましたの、人間。もうお前にようはなくってよ』

 

 ホラー・カルセンティンは彼が恐怖や怯えから足を止めたのだと思った。

 もしくは本当に見逃してくれるのか不安になったのだと。

 呆れた話だ。理性の薄い素体ホラーならいざ知らず、高尚たるこの自分が人間如きに嘘を吐く道理がない。

 彼女には魔獣らしからぬ一つの流儀があった。

 それは弱者は極力襲わず、強者のみを選別し、自らの手で倒して喰らうこと。

 本来であれば、魔戒騎士や法師以外は食す気すら起きないのだが、ゲートを通り、人界に来てから待てど暮らせど、彼らに巡り会うことはなかった。

 不服ではあったが、ホラーの身で人界を訪れた以上は人間の魂を喰らう必要に迫られる。故に彼女はやむなく一般人を捕食するはめになったのだ。

 

『わざわざお前たちの言語に合わせているのだから、きちんと理解なさい。早々に失せなさい』

 

 だが、警官は立ち止まった姿勢で懐中電灯を地面に置き、腰に差してある銃身の短い回転式拳銃をカルセンティンに向けた。

 痙攣でも起こしているかのように小刻みに震える両脚は、彼が恐怖の直中に居ることを端的なまでに表していた。

 

『……何の真似ですの?』

 

「私は……警察官だ! お前が何なのかも分からないが、このまま野放しにして置けないことは分かる! だから」

 

 拳銃の撃鉄を手前に降ろし、照準をカルセンティンへと定めた。

 そして、引き金を引こうと指を掛けた時……。

 光沢を放つ巻貝の頭部が僅かに揺れた。

 カチンと引き金を引く小さな音が響いた。

 けれど、同時に響くはずの発砲音が聞こえなかった。

 

「あ、れ……?」

 

 撃った瞬間に目を瞑ってしまった警官は、目蓋を開く。

 視界に映った回転式拳銃は先ほどよりも()()なっていた。

 引き金から上が斜めに切断され、分かたれた弾倉が見事な断面図を露出している。

 一拍遅れてアスファルトの地面に切り落とされた銃身が落下音を立てて転がった。

 カルセンティンの触手でできたローブの前部が開かれ、頭部と同じく光沢を身体が見える。

 波打つような縦じまの曲線で構成された意匠は中世の西洋甲冑を思わせた。

 大きく横に伸ばされた右腕には一本の両刃剣が握られていた。

 拳銃はあの剣で斬り落とされたのか……。そう認識するまでに数秒の時間を要した。

 

「あ、あ……」

 

 思わず、後ろへへたり込む警官に無機質めいた巻貝の頭部が囁く。

 

『弱く卑しい者とはいえ――このワタクシに牙を剥いた以上は容赦はしませんことよ?』

 

 口調は静かだが、明確な怒気を含ませているのが分かった。

 己よりも遥かに矮小なものが分を弁えずに攻撃してきた。それは強さを至上とするカルセンティンにとって、この上ない侮辱であった。

 警官の瞳が何かに気付いたように多く見開かれる。

 震える唇で言葉を紡ごうとするが、緊張と恐怖心のせいで上手く声にならなかった。

 命乞いだとカルセンティンは思った。

 矮小で貧弱な単なる人間風情が、自らの愚行を理解し、許しを得るために平伏すそうとしているのだろう。

 ――許すものか。

 下賤な弱者がどう言い(つの)ろうと決して許しはしない。

 この人間はそれだけの行いをしたのだ。せめて、卑小な命を散らし、溜飲を下げさせるために死を献上するのが道理だ。

 しかし、カルセンティンの予想はまたもや裏切られる。

 

「に、逃げるんだ! こっちに来ちゃいけない! 早く、逃げてくれぇっ!」

 

 警官の言葉は彼女ではなく、彼女の背後から現れた一人の青年に向けて投げ掛けられたものだった。

 振り向いたカルセンティンの視界には、チェロケースを背負った青年が静かな足取りでこちらに向かって歩いて来る光景が映り込んだ。

 青年の瞳には、恐怖も好奇の色もなく、ただ鋭い眼光を(たた)えていた。

 




今回、登場したオリジナルホラーは、navahoさんが送っていただいたホラーです。
navahoさん、改めてご応募ありがとうございました。
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