慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第四話 怪魚(後編)

「……ゾルバちゃん。アタリはどう?」

 

 しばらく、韻牙と路地の裏手で散歩を楽しんでいた爪磨、ぽつりと小声で尋ねる。

 優秀な彼の魔導輪は、待ってましたとばかりに答えた。

 

『とうの昔に食い込んだ。五十メートルほど距離を離して尾行しているようだが、俺の鼻は欺くのは無理だな。ただ臭いが妙だ』

 

「……妙?」

 

 その反応に、彼は既視感を覚える。

 ちょうど隣で弾む足取りで歩く少女と出会う前にも聞いた煮え切らない物言い。

 まさか、とあまり嬉しくない予想が脳裏を過る。

 その瞬間、ゾルバが叫ぶ。

 

『魔戒騎士! 臭いが急激に近付いて来るぞ!』

 

 偃月魔戒剣が鞘から抜かれた時、襲撃者との距離は数メートルにまで近付いていた。

 振り向きざまに刃が振り下ろされる。剣先に手応えはない。標的は斬撃を(かわ)し、大きく後退した。

 

「おいおい。真昼間から剣なんぞ振り回すか、普通」

 

 痩せこけたチンピラのような風貌の男は地面に足を着けてはいなかった。

 中空にて、滞空するように浮かんでいる。飛行ではなく、浮遊である。爪磨はその男に対し、水槽に浮かぶ水母を想起した。

 

「わっ、人が浮いてますよ、爪磨さん!」

 

 目の前の光景を眺め、刀剣を抜き身で持つ彼に興奮したように報告する韻牙。

 致命的に感性がズレているのだが、その客観的事実を彼女に向けるものはこの場には居なかった。

 

「そうね。でも、少し離れて見ててもらえる? 怪我しちゃうから」

 

 朗らかな笑みでそう言って彼女を下がらせてから、爪磨は浮かぶ男を観察する。

 マジックショーで見るような糸で身体を浮かせているのではない。正真正銘、空中浮遊。

 明らかに人間技ではない所業。だが、念のために魔導火によるホラーの確認を行う。

 開いた蓋から燃え上がる黄色の炎は、その男の片眼のみに不気味な紋様の浮かび上がらせた。

 

『魔胎か。だが、これではっきりしたな』

 

「ええ、そうね」

 

 ゾルバの言葉に爪磨は頷く。 

 韻牙に続くホラーに喰われず、憑依された人間。

 それが同じ街でこれほど短い間に二人も居るということは、彼らの状態が偶発的に生まれたのではないという証明であった。

 この『魔胎』は何者かが作為を持って発生させたものだ。

 

「おめえが新しく街に来た魔戒騎士か。前の奴よりは楽しませてくれよ」

 

 嘲りに満ちた視線を向ける男、“一番”はそう言った。

 

「前の奴、ね。この街を担当していた魔戒騎士はあなたが殺したって訳?」

 

「ああ。ホラーを狩る戦士サマだと聞いたから、どんなに強え奴かと思いきや何のことはねぇ。雑魚だったぜ、ざぁこ! うひゃひゃひゃひゃっ」

 

 下品な笑い方をする一番から目を逸らさずに、爪磨はその言動からいくつかの情報を抜き出す。

 聞いたということは即ち、ホラーや魔戒騎士の情報を持つ存在がおり、男はその存在と協力関係にあるということ。

 こうなれば個人の犯行ではなく、組織という線も候補に挙がってくる。

 そして、何より目の前の男は魔戒騎士を倒すくらいの実力を持っているという事実が理解できた。

 

「浮き輪みたいにプカプカ浮かんでるその力はホラーのものかしら?」

 

「表現が馬鹿にしてるみたいで気に喰わねぇが、概ね正解だ。浮かぶ以外にもこんなことができるがなぁ!」

 

 ぬるりと一番の身体が空中で()()()

 まるで水中を泳ぐ魚の如き動きで、爪磨へと急激に接近する。

 先ほどの一瞬で距離を詰めたトリックはこれだった。走るのではなく、泳ぐ移動法。風の空気抵抗さえ無視した無重力な動きは縦横無尽に宙を舞う。

 男の爪が長く伸びて、爪磨の額を貫かんと振るわれた。

 

「っちぃ……!」

 

 だが、爪磨は宙を泳ぎ、接近する一番に対して迎え撃つのではなく、演舞を行なうように偃月牙狼剣を振るい始めた。

 目視してからの迎撃では間に合わぬ間合いを、剣舞にて防ぐ。白刃を回しながら己の身体の軸をもずらして、狙いを外させてゆく。

 彼の魔戒剣が鉤爪と激突し、火花に似た発光が度々巻き起こる。

 彼の指に収まっているゾルバは気付く。これは無骨で実直な魔戒騎士のする戦法ではない。

 このしなやかさを兼ね備えた変幻自在の型は魔戒法師が得意とする動きだ。

 魔戒法師。剣ではなく、法術を主体として騎士を影から支える存在。そのルーツは魔戒騎士よりも古く、かつてホラーから人々を守護していたのは彼らだった。

 肉体を鍛え、近接格闘に特化した騎士とは異なり、様々な種類の術を使い、ホラーを翻弄する技術者。

 ゾルバリオスの名で人間に恐怖を撒き散らしていた頃、幾度が対峙したことがあったので、克明に覚えている。

 その認識が正しかったことはすぐに証明された。

 

「ぐおっ、何だこりゃ……身体に何か巻き付いてやがる!」

 

 宙を泳ぎ、鉤爪での攻撃を絶え間なく続けていた一番は自分の身体に黒い光の線のようなものが絡み付いていることに気が付いた。

 墨汁をたっぷり吸った筆で書いたかのような、太い光の線は一番の肉体を締め付けるかのように伸縮する。

 網にかかった魚のように彼を拘束せしめた黒い光の線は、偃月魔戒剣の切っ先から流れ出ていた。

 

「『魔導縛(まどうばく)の術』よ。魔戒騎士と戦ったことはあっても魔戒法師との戦ったのは初めてのようね」

 

 爪磨が剣を振るうと、黒い光の拘束はより強く一番の肉体を軋ませる。

 

「ぐががぁっ、て、てめえっ……魔戒騎士じゃねぇのか⁉︎」

 

「お生憎様。アタシは元法師なの。魔戒騎士としてより、魔戒法師として訓練してた時間の方が遥かに長いわ」

 

 苦しむ一番を横目にゾルバは、その発言に納得していた。

 封印状態とはいえ、ホラー本体を魔導具に埋め込むなど、魔戒騎士に為せる(わざ)ではない。随分と芸達者な騎士だとは思っていたが、魔導力に長けた魔戒法師であれば説明も付く。

 捉えたホラーもどきに対し、爪磨は用意していた質問を投げかける。

 

「はい。質問、あなた……どうやってホラーの力を使ってるの? 一応、まだ人間よね?」

 

「ハッ。舐めるんじゃねぇ、カマ野郎。簡単に俺が吐くと思うか?」

 

 一番は今にも噛み付かんばかりの目付きで彼を睨んだ。

 

「でも、このままじゃ、別のものを吐いちゃうかもしれないわぁ?」

 

 剣の先をぐいと下げると、巻き付いた光の線は更に引き絞られていく。

 一番の身体は水を絞られる雑巾のように捻り上げられた。その表情には苦悶の色が浮かぶ。

 

「がああッ。てめえらは掟とかいうので、人間は殺せないはずだろ……? 前の騎士だって、それで……」

 

「……簡単にヤれたって? あなた、運が良かったわね。その騎士が掟を大事にする偉い人で。でも、もしあなたの前に居るのが掟を平然と破るイケナイ魔戒騎士だったら――どうする?」

 

 微笑みを浮かべているが、爪磨の両名は冷徹に開かれたまま、細まってはいない。

 俗にいう“目の笑っていない笑み”をした彼は、話さなければ容赦しないと言外に物語っていた。

 

「わ、分かった分かった……」

 

 捻り上げられた一番は苦痛に表情を歪ませて何度も頷いた。

 その返答に満足した彼は、再度質問の答えを相手に言わせようと促す。

 当然、魔導縛の術は一切緩めない。優勢な立場になろうとも、魔胎という情報の少ない相手への警戒は微塵も怠らなかった。

 

「そう。じゃあ、質問の答えを……」

 

「てめえは皮を剥いで内臓を抉り出しやらなきゃ気が済まねぇってことがなぁ……ッ!」

 

 爪磨の言葉を遮って、一番が怒号を上げる。

 一瞬の逡巡なく、彼は魔導縛の術を強め、人間ではあれば肉体がひしゃげる程の強度で締め上げた。

 この相手は捕虜にするには気性が荒すぎる。半分は人間だとしても野放しにして置くには危険が高い。

 ならば、どう始末を付けるかは言うまでもないだろう。情報が聞き出せなかったのは残念だが、ここが引き際だ。

 ぶちり、と何かが千切れる音が響いた。

 

「ッ……!」

 

 捻じられた筋線維が切断した音ではない。

 それは――魔導縛の術が破られた音だった。

 黒い光の線が弾けた場所には、黒い西洋甲冑に似た人型が浮かんでいる。

 ホラー、ではない。肉体に生物感のある独特のぬめり気があったが、それは人体に纏わせた鎧であった。

 スケイルアーマーのように魚鱗状に全身を覆う、黒っぽい装甲は鯉を思わせる意匠。

 

『これは……! 馬鹿な、あり得ない。魔胎とはいえ、人間が魔獣装甲を身に着けるだと!?』

 

 ゾルバの発言に爪磨はその単語がどれ程の脅威かを理解する。

 魔獣装甲。それはホラーに呑まれずにホラーの邪気を鎧として身に着ける秘術。

 その昔、メシアに加担した神官の従者が体現させたという情報は知っているが、その従者は人ともホラーとも異なる存在だったという。

 機密文書に記された元老院でも一握りの騎士や法師しか知り得ない隠蔽された歴史。しかし、ゾルバを持ち込んだ際に、暗黒騎士の情報を探していた爪磨はそれを元老院の宝物庫の中で偶然目にしていた。

 

『この姿になった俺はもう止められねぇ……死んだぞ、てめえ?』

 

 啖呵を切る魔獣装甲・一番を視界に捉えた状態で爪磨は後ろへ多く退きつつ、空中に剣先で円を刻む。

 深緑の鎧を召喚するや否や、翡翠騎士ジェイドになって、慈英剣を構えた。

 魔獣装甲・一番が空中を()()する。先ほどとは違い、腕を大きく動かしたバタフライ泳法のような動きと共で水掻きの付いた腕を回す。

 

「なッ……」

 

 衝突した、という感覚が鎧越しに肉体へ届いたのはジェイドの身体が吹き飛んだ後だった。

 

『おいおい。まだ終わらせねぇぞ! オラァッ!』

 

 吹き飛んでいるはずのジェイドの背後に先回りした魚鱗の甲冑は背中を鉤爪で引っ掻いた。

 魔獣装甲により鋭さを増した五指の爪が、ソウルメタルで構成された騎士の鎧を削り取る。当然、その衝撃は鎧の中に仕舞われた爪磨の肉体にまで響いた。

 

「くうッ……!」

 

 振り向いて回転斬りを行なうが、既に後ろには一番の姿はない。

 

『こっちだぜぇ! ノロマァ!』

 

 ジェイドの真下へと身を滑らせていた一番は地面へ着く前に、足を掴んで路地の壁へと叩き付けた。

 苦悶の表情を浮かべるのは今度は彼の番だった。背中に直撃する衝撃は鎧の中で掻き混ざり、内臓を乱雑に揺らす。

 込み上げる吐き気を裂帛(れっぱく)の気合で嚥下(えんげ)して、ゾルバに助言を求めた。

 

「うっ……ゾルバちゃん。何か、いい案ないかしら」

 

『魔獣装甲の強度や速度はホラーの比ではない。だが、奴の移動法は水だ』

 

「水……?」

 

『装甲を纏う前から奴は、邪気で作った水の粒を周囲に散布させ、疑似的な水中を作り出している。この邪気の水の粒を浄化すれば、あの妙な移動法は使えなくなるはずだ』

 

 ゾルバとてただ両者の戦闘を観戦していた訳ではなかった。

 一番が使用している移動能力に着眼し、その原理を解き明かしていたのだ。

 

『烈火炎装だ! あれならば、邪気の水の粒を燃やして一度に浄化できる』

 

「烈火炎装ね……。あれ、実戦で使ったことまだないのよね」

 

『言ってる場合か。来るぞ』

 

 上下逆さまになった魔獣装甲・一番は膝を突いたジェイドを馬鹿にしたように笑う。

 

『うひゃひゃひゃひゃ。どうだぁ、カマ野郎。俺の強さに手も足も出ねぇようだな』

 

 自分が優勢になった途端にこれでもかと、己の強さを誇示してくる。

 内心でその幼稚な態度に感謝しつつ、身を起こしたジェイドは慈英剣を構え直した。

 ソウルメタルの内側から魔導火を出現させると、左手の親指で蓋を開ける。

 日光の下で、黄色の炎はぼうと深緑の鎧を照らした。

 

「ぶっつけ本番ね。まったく、やんなっちゃう」

 

 魔導火の炎が慈英剣を炙る。黄色の炎は深緑の三日月を太陽のように輝かせていく。

 その眩さに一番もようやく、ジェイドが何かを行なおうとしていることに気付き、慌てて止めを刺そうと空中を泳いだ。

 だが、その判断を下すにはあまりにも悠長過ぎた。自らの強さを自慢した代償を彼は身を以って味わうことになる。

 黄色の炎を纏った慈英剣が大きく振るわれた。

 魔界の炎たる魔導火をソウルメタルに纏わせて、威力や強度を上げる魔戒騎士の奥義。

 それが――『烈火炎装』。

 剣の軌跡が黄色の炎を宙へとばら撒く。放出された魔導火は空中に散布された邪気の水を一瞬にして燃やし尽くす。

 邪気から邪気へ炎は燃え広がり、一番の逃げ場を無くしてゆく。

 

『な、なんだ。こりゃあ。熱い! 熱いぞぉ! うわあ!』

 

 自在に宙を泳いでいた怪魚は、煮えたぎるその空中から無様にも転げ落ちた。

 その先で待っていたのは、彼を(さば)く炎の刃。

 燃える慈英剣は容赦なく、一番を二枚に下ろす。

 

「さようなら。魔界の炎にご用心」

 

『うぎゃあああああああ!』

 

 断末魔を上げながら、頭から真っ二つされた魔獣装甲は黄色く燃える空中を背景にして地面へと崩れ落ちた。

 空中を汚していた邪気を燃やし尽くすと、黄色の炎は役目を終えて消滅するように消える。

 ジェイドの鎧を魔界へ返還した爪磨もぐらりと身体を揺らす。辛うじて魔戒剣を地面に突き立てて支え、倒れ伏すのは回避した。

 烈火炎装は凄まじい威力を持つ奥義であるが、反面、無視できない欠点も存在する。その欠点が正に彼の身体に降りかかっていた。

 烈火炎装が持つ最大の欠点は、使用した魔戒騎士の体力を激しく消耗させてしまうことだった。

 

「やっぱりこれ、欠陥技だわ。正しく諸刃の剣ね。反動がキツ過ぎる……」

 

『喜ぶのは速いぞ、魔戒騎士。見ろ』

 

「……え?」

 

 ぐったりと地面に目を落としていた爪磨がゾルバの言葉に顔を上げる。

 顔を上げると、まずに視界に映り込んだのは、二つに裂けた一番の焼死体。いや、より観察すれば、その裂け目から、何かが顔を出しているのが分かる。

 それは黒い稚魚のような形状の生き物の頭部だった。

 

「これ……ひょっとしてホラー?」

 

『そうだな。こいつは怪魚ホラー・マツヤ。道理であの水の結界に見覚えがあると思えば、こいつの能力だったか。ただ、かなり縮小しているのを見るに宿主と共に烈火炎装で焼かれ、衰弱しているのだろう』

 

 解説を疲れた頭で聞きながら、止めを刺そうと爪磨は体勢を立て直し、偃月魔戒剣の柄を握り締める。

 だが、それよりも早くマツヤは死体から飛び出して、どこかへ逃げ出そうと跳ねた。

 

「あ、待ちなさい……」

 

 逃げたマツヤを斬り裂こうとして、剣を持ち上げるが往生際悪く跳ね回るマツヤは、あろうことか離れて見ていた韻牙の方へ逃げた。

 彼女のことを喰らって、消耗した力を再び取り戻そうとしているのだ。

 まずいと、飄々としている爪磨にしては珍しく本気で焦っていた。

 まっすぐに立つ体力もない肉体に鞭を打ち、大きく駆け出して、剣を突きの姿勢で構える。

 しかし、マツヤの方が一手早かった。

 韻牙の目と鼻の先まで跳ね、その矮躯(わいく)からは想像もできない程巨大な顎を飛び出させて、彼女の頭に齧り付こうとした。

 だが、それよりも更に早く――彼女の背中から灰色の腕が一本生えていた。

 

「え……?」

 

 思わず呆然する爪磨。

 そんな彼を余所目に灰色の腕はマツヤを鷲掴みにすると、生えてきた速度と同じ速さで巻き戻る。

 瞬く間に、マツヤもそれを掴んだ腕も爪磨たちの視界からは消えていた。

 唯一、それを最後まで間近で見ていたであろう韻牙は、当然意識を失ったように身体を傾がせる。

 

「あっ、ちょっと!」

 

 彼女がアスファルトで舗装された地面に倒れ落ちる前に、抱き留めることには成功するも、爪磨の脳裏には疑問符だけが無数に浮いていた。

 魔胎。魔獣装甲。それに引き続いて、韻牙の背中から出て来た灰色の腕。

 何もかもが分からないまま、彼はそっと彼女の背中に手を回す。

 そこには先ほどまでホラーを握り潰した腕など影も形も有りはしなかった。

 




『ゾルバだ。この世には脆いものばかり溢れている。だが、時にはどう足掻いても砕けぬものというのも存在する。この俺の矜持などは正にそうだ。次回「堅甲」。魔戒騎士の走狗になど誰がなるか!』
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