慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第五話 堅甲(前編)

 布団の中で寝息を立てて眠る韻牙を爪磨は心配そうに見つめる。

 魔獣装甲を操る人間・“一番”との戦闘の後、気を失った彼女を連れて自宅に戻った爪磨は、直ぐに布団へ寝かせた。

 一番の焼死体の一部も採取しておく腹積りであったが、ホラーを宿していたためかその肉体は程なく塵となって消滅した。

 止むなく、彼はその場を後したものの謎は解けるどころか更に複雑に絡み合う。

 韻牙の背から生え、怪魚ホラー・マツヤを取り込んだ“灰色の腕”。あれは間違いなく….…。

 

『あの腕は、小娘の体内に宿るホラーのものだろうな』

 

 爪磨の心を読んだかのように、先を語るゾルバ。

 魔導輪もまた、目の前で巻き起こった現象について、思考を巡らせていた。

 

「魔胎……。あの魚鱗の魔獣装甲の男と同じなら、この子も安全ではなくなるかもね」

 

 すうすうと規則的な吐息を漏らす彼女を眺めながら、爪磨は自分の手が自然と剣に伸びるのを感じた。

 殺すべきか。生かすべきか。選ぶなら意識を失っている今だ。彼女が気絶した瞬間にあの灰色の腕が消失した以上、意識がない時は発生しない可能性は高い。

 逆にいうなら、韻牙の意識がある時に彼女へ危害を加えれば、あの腕はマツヤと同じように己の宿主を守ることだろう。

 彼女を始末するなら今を置いて他にはない。餌として遊ばせておくにはあまりに危険だ。

 偃月魔戒剣の柄を右手で強く握り締め……、その手を緩やかに離した。

 

『斬らないのか? 冷徹な貴様らしくもない甘い対応だ。小娘に情でも湧いたか?』

 

 ゾルバの問いに笑って答える。

 

「いいえ、これは打算よ。この子は奴らにとっては大切なものらしいみたいだから、まだ手元に置いておくことにするわ」

 

 彼の顔にはいつもの飄々とした余裕の色が戻っていた。

 しかし、ゾルバにはその台詞が本心からのものではないと察せられた。

 彼は恐れている。韻牙の中に宿るホラーにではなく、彼自身が彼女を手に掛けてしまうことを。

 忌避していると表現してもいい。それが不利に繋がるというのに、それでもなお避けた。

 解せない事実に魔導輪に埋め込まれた魔獣は苦悩する。

 爪磨自身は半分は紛れもなく人である魔胎を斬ることを拒絶してはいない。実際、彼は魔獣装甲を纏った魔胎に手を下した。

 害意云々を抜かしても、守りし者としては、その事実に対して反応が薄過ぎるのだ。

 ならば韻牙本人に特別な感慨を抱いているかといえば、これもまた違う。

 本当に彼女に情があるなら、危険度の高い囮役になどしないはずである。

 だとするなら、彼がこうも韻牙を斬りたがらないのは、この状況自体に起因するものであろう。

 

『さては貴様……ホラーに憑依された肉親を斬った経験があるのだな?』

 

 常に張り付いている笑顔の防壁が僅かに崩れた。

 剣呑な眼差しがゾルバへと向けられる。

 精神的な弱点を見つけ、突いてやろうと考えていた下世話な感情が霧散する程の憤怒の光彩。

 ホラーであるはずの彼が、初めて爪磨に恐怖した。

 己は凶暴な狼の尾を踏んでしまったのだと、後悔と焦りの念が滲む。

 

『いや……俺が悪かった。不用意な発言をしてしまった』

 

 謝罪を述べると彼は、怒気を孕んだ眼球を取り替えたかのように柔らかい笑みを浮かべる。

 

「もう、ゾルバちゃんたら、乙女の秘密に踏み込んちゃダメよ。そういうデリカシーの欠けた子はモテないわ」

 

『……そうだな。以後、気を付ける』

 

 間違いなく、あれより踏み込んでいた発言をすれば、自分の身が危なかったとゾルバは感じていた。

 だが、同時に九曜爪磨という魔戒騎士の核が垣間見えた気がした。恐らく彼は肉親もしくはそれと同等の関係性を持つ相手を殺したのだろう。

 本意か不本意かまでは不明だが、その過去が彼の在り方を致命的なまでに歪めてしまったことは想像に難くなかった。

 人間界の不法侵入者であるプリズンホラーの力を借り、自分の系譜ではない鎧を所持した元魔戒法師。

 これ程までに普通でない男のたった一つの目的は闇に堕ちた暗黒魔戒騎士を追うことのみ。

 ますます、彼への謎は深まるばかりだが、ゾルバはこれ以上はまだ踏み入れる範囲にないと線引きした。

 

『それで、次はどうする? 敵の出方を待つか?』

 

 露骨な話題転換ではあったが、爪磨はすぐに話に乗ってくる。

 彼もまたあの話題を続けたくはなかったのだろうことは反応から見て取れた。

 

「それよね。この状態の韻牙ちゃんを無理に起こす訳にもいかないけど、家に留守番させるのはもっとないわよねぇ」

 

『魔戒法師の手解きを受けているなら、結界を張る程度の法術は使えるだろう?』

 

「相手がただのホラーならそれでいいんだけど、魔胎は半分は人間なのよ? それ用に強力なものにすれば、彼女にまで危害が及ぶわ』

 

『なるほどな。小娘に害がない程度であれば、奴らも素通りできる訳か』

 

 得心が行ったゾルバだったが、現状下手に動けないことが判明しただけであった。

 手も足も出ないまるで甲羅に身を隠した亀のような状況。それを打開するにはこの事件の渦中に居るらしき韻牙の目覚めを待たねばならなかった。

 

 

 ***

 

 

 中央に円卓がある真っ白い会議室。

 そこには八人の男女が席に着いていた。

 まず最初に背の低い小男が口を開く。

 

「一番が新しく街に来た魔戒騎士に敗北した」

 

 その知らせを耳にした残りの七人は騒めくこともなく、平坦な態度で受け止めた。

 

「まあ、“五番”の見た情報なら間違いないだろ。あいつ、雑魚の癖に粋がってたからな」

 

 室内にも拘らず、長い両刃の斧を肩に担いだ男はそう言って、片方の脚を円卓の縁に乗せた。

 

「それで十番は未だ魔戒騎士の手元にある訳か。……それより“六番”、その汚い脚を退けろ。机が汚れる」

 

「“七番”よぉ。お前、自分の方が数字が上だからって、ひょっとして俺より強いつもりか? 番号なんざ、ホラーの力を手に入れた順だろうが」

 

 六番が七番へと突っかかるが、彼は肩に乗っている白い毛玉のような生物の頭を撫でていて、相手にしてはいなかった。

 それを見て、六番は苛立ちを隠さずに七番へ言う。

 

「大体汚いだの何だの言うなら、お前のその肩の埃を真っ先に捨てて来いよ」

 

「……私の霊獣を埃と言ったか?」

 

「気に障ったかよ。なら、ここでお前と俺、どっちが上か白黒付けるか? なあ?」

 

 一触即発の空気になるが、それを遮ったのは白衣姿の女性だった。

 

「お止めなさい、二人共。もうすぐ先生がここへ訪れます。見っともない真似はおよしなさい」

 

 丁寧な口調ではあったが、有無を言わせぬ強制力を持った声。

 隣に座る上下黒で統一した男もこくりと頷いた。

 

「“九番”の言う通りだ。先生の前で醜態を晒す気はお前たちにもあるまい?」

 

 白衣の女性“九番”と黒衣の男性“八番”に窘められ、二人は互いにそっぽを向いた。

 しばらく、沈黙が場に流れた後、五番が話を再開する。

 

「私には、一番を狩った魔戒騎士の居場所が分かる。ここは我々、総出で奴を排除し、十番を奪還すべきだと思う」

 

「待てよ、五番。俺一人で充分だろ? ちょっくらその騎士倒して、十番回収しに行ってやるよ」

 

 六番はそう言いつつ、席から立ち上がる。当然、五番はそれを止めようと口を挟んだ。

 

「しかし、六番。それでは確実性に欠ける。ここは全勢力で一気に……」

 

「八人がかりで騎士一人潰すってのがフェアじゃないだろ。そんなんで勝っても気分悪い」

 

 勝手な言い分ではあるものの、こうなってしまった彼を押し留める力は五番にはなかった。自分以上の番号の者へ助けを求めて、視線を向けるが、三人共制止させる気は皆無で目を合わせてくれない。

 だが、六番がドアノブを捻る前に扉は開かれた。

 開いた先に立っていたのは眼鏡を掛けた初老の男性だった。

 九番と同じく白衣を来た初老の男性は、温和な笑みを湛え、六番の肩へ優しく手を乗せる。

 

「六番。気持ちは嬉しいが、まだ君の番ではないよ」

 

「先生! でも、俺が……」

 

「私は同じ発言を二度も繰り返す人間ではないよ、六番」

 

 食い下がろうとした六番だったが、初老の男性の気迫に押されて押し黙る。

 彼以外の全員は敬愛する“先生”の登場に立ち上がって、頭を垂れようとするが、それを手で制した。

 

「そのままで結構。番号持ち(ダシャーヴァターラ)諸君、君らは特別な人間だ」

 

 円卓に座る全員の顔を見渡し、片手を広げて演説を始める。

 

「二百五十人の被験者の中から、残った選ばれた人間。君らの役目は人類をホラーという病から救うことだ。故に君らの行動には責務が伴う。勝手な行動は慎んでくれたまえ」

 

 初老の男性の言葉を肯定するように、彼らは頷いた。

 その態度に満足する彼は、円卓に座る一人を指名する。

 

「二番。この件は君に任せよう。他の者は手出しは無要だ。いいね?」

 

 指名された長身の人物は恭しく承る。

 

「はい、先生。この二番、必ずやあなたのお役に立ってみせます」

 

 台詞回しこそ少ないが、その声音からは喜びの感情が隠し切れなかった。

 尊敬する人物から期待され、大役を名指しで任されるこの状況は二番にとって人生で最高の瞬間だった。

 肩に手を置かれたままの六番は、そんな二番を横目で一瞥する。

 その眼差しはほんの僅かだが、哀れみの色が混ざっていたことに二番は気付くことはなかった。

 

 

 ***

 

 

 爪磨の借りている安アパートに玄関チャイムの音が鳴る。

 昼食を適当に済ませた彼は、韻牙の経過を観察しつつ、買い置きしていた食材を煮込んでシチューの下拵(したごしら)えの真っ最中であった。

 

「ゾルバちゃん。代わりに出てー」

 

 刻んだ野菜を圧力鍋に投入しながら、己の魔導輪に無理難題をさらりと課す。

 

『無理を言うな。……それより外に居るのは貴様の待っていた客だぞ?』

 

 ゾルバの含み有る台詞を聞き、ガスコンロのノズルを摘まんで炎を消した。

 その発言の意味することはつまり、魔胎であることの暗喩。無言で両手を腰の後ろに手を回して、着けていたエプロンの紐を解く。

 鳴り響くチャイムの音は一定の間隔で、部屋に反響している。

 爪磨は一度布団に寝ている韻牙を見つめてから玄関前に進み、玄関のロックを外した。

 かちゃりと金属の音が聞こえた後、ドアノブが外側から回され扉がゆっくりと開く。

 訪問者が扉を開けようとしていることを確信した瞬間、爪磨は扉ごとその相手を思い切り蹴り飛ばした。

 激しい衝撃音と共に木製の扉は大きく開いて、訪問者を吹き飛ばす。

 即座に自分も外へ飛び出して、抜剣する。踏み込んだとほぼ同時の居合術。

 人影に対して回避不能の一刀を叩き込む。

 重心、速度を兼ね備え、偃月魔戒剣の反りのある刃を限界にまで生かした一撃。

 しかし、その一撃は目標を両断することは叶わなかった。

 避けたのではない。躱されたのではない。武器や防具で防がれたのでもなかった。

 直撃した上で、()()()()()()()のだ。

 

「……ご挨拶だな。こちらは呼び鈴まで鳴らしての訪問だというのに」

 

 切断された衣服の隙間から、紺色の装甲が覗いていた。

 色は違うが一番の纏っていたもの同じ生物の質感を持つ鎧、即ち――魔獣装甲!

 刃に合わせて衣服に隠れた胴体のみを部分的に魔獣装甲で纏ったのだ。

 並のホラーであれば決着が付いていた一太刀を直に受け、傷を付けられなかった相手。

 強敵と言わざるを得ないその人物に向けて、彼は気負うことなく、こう言う。

 

「あら? 最近物騒だからねぇ。アタシったらてっきり悪い人かと思って焦っちゃったわ。……こんな()()()()だって分かったら紅茶の一杯でもご馳走したのに」

 

 偃月魔戒剣を身体で受け止めた長身の女性に向けて、笑みすら浮かべてみせる。

 お嬢さんと揶揄された二番は、歯軋りをして、爪磨を威嚇した。

 髪こそ短く切り揃えられているが、服の下から覗く胸や臀部の曲線は女性特有の丸みを帯びていた。

 くすんだ青いコートの下から盛り上がる紺色の魔獣装甲が衣服を引き裂き、手や足にまで広がってゆく。

 爪磨はその隙にズボンのポケットに入れていた魔導八卦札を引き抜いて、人払いの簡易結界を張り巡らせた。

 

「女であれば、何だと言う? よもや、加減したなどと言うつもりではないだろうな……」

 

「いーえ。敵意を持ってホラーの力を持つ者に男も女もオネエもないわ。ただただ、斬る。あなただって、そのつもりでここに来たんでしょう?」

 

 完全に肉体を紺色の装甲で覆った二番に、爪磨は微笑みを向けた。

 一番の魚鱗のような装甲に比べて、彼女の魔獣装甲はゴツゴツと角ばった岩のような厳ついものだった。

 特に胴体は堅牢な甲殻に覆われ、背中からは甲羅のようなものがせり出している。

 一番の姿が魚を彷彿させる見た目であれば、二番のそれは亀のような相貌であった。

 ゾルバが叫ぶ。

 

『魔戒騎士! 前回の戦いで分かったが、こいつらの魔獣装甲は宿した固有のホラーを肉体に顕現させるようだ。奴の装甲の特徴と異様に硬い身体から見て、元になったホラーは堅甲ホラー・クールマだ』

 

「クールマ? そのホラーは強いの?」

 

『ホラーの強さなど憑依した人間の陰我によっていくらでも上下する。ただし、特徴としては非常に厄介だろう。クールマの強固さは外殻ホラー・ハンプティに匹敵する。ソウルメタルの剣でも奴に傷を付けるのは難しいだろう』

 

 魔獣装甲・二番はその両手の指を握り合わせて、会話中の爪磨へと振り下ろす。

 一番とは真逆で防護に特化したせいか、その動きは鈍重で躱すことはそれ程の難しくはなかった。

 だが、避けた場所にはちょっとしたクレーターレベルの(くぼ)みが作られていた。

 

『その硬さを活かした戦いは重たい打撃を繰り出す。まともに喰らえば魔法衣など何の足しにもならないぞ』

 

「一目で分かるような有益な情報ありがと。ねえ、もっとマシなアドバイスはないの?」

 

『ええい煩い。そうだな……“魔導馬”の蹄音(ていおん)により強化された『斬馬剣』であれば、さしもの奴の装甲でも切断できるはずだ』

 

 ゾルバの助言を聞いて、ますます爪磨の眉の間に皺が寄る。

 曲がりなりにも魔戒騎士の端くれである彼にも、魔導馬の存在自体は知っていた。

 動物の死骸に獣型のホラーを封印した、魔戒獣という分類に分けられるものであり、その肉体は騎士の鎧と同じくソウルメタルで覆われている、魔戒騎士の騎馬。

 しかし、その魔導馬を手に入れるにはとある試練を乗り越えなくてはならない。

 その試練を受けるための最低条件は、ホラー百体の浄化及び封印なのである。

 爪磨は呆れ気味にゾルバへと尋ねる。

 

「ねえ、鎧だって借り物の元魔戒法師のアタシがホラー百体も倒してると本気で思う?」

 

『ああ! 思っていなかったわ! 俺は奴を倒せる方法を挙げただけだ!』

 

「でしょうねぇ……」

 

 魔導輪に逆上され、苦笑いをする爪磨。

 そんな彼を睨む二番は、緩慢な動作で窪地から埋まった腕を引き抜く。

 

『作戦会議は終わったか? ならば、行くぞ!』

 

 凄まじい装甲の強度を攻撃に転換させ、彼女は爪磨へと襲い掛かる。

 純然たる“硬さ”という武器を前にして、彼の表情には苦みが増した。

 




やはり戦闘描写を入れると話が長く伸びてしまうので前後編スタイルで書いていこうと思います。

ちなみにもう出す機会がないのでここで死亡したキャラをご紹介します。

・間沼
 魔獣装甲・一番の本名。
 元ヤクザの下っ端であり、組織に隠れて麻薬を横流ししていることが発覚する。
 ケジメとして組織に水責めの拷問を受けていたところに魔胎の実験をしようとしていた“先生”と偶然出会い、魔胎成功例一号として魔獣装甲を得た。
 その力でその場にいたヤクザ全員を抹殺。その後、先生の配下になった。
 
・怪魚ホラー マツヤ
 鯉に似た大きな魚の姿をしたホラー。間沼の「死にたくない、この場から逃げ出したい」という陰我から、彼が水責めにあっていたバケツの水をゲートに現れたホラー。
 先生が余計なことをしたせいで、憑依しても肉体を乗っ取れず、逆に間沼に力を奪われる結果になった。
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