慈英怒〈JEIDO〉-翡翠の三日月-   作:唐揚ちきん

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第六話 堅甲(後編)

 健康になりたい。丈夫な身体がほしい。

 それがその女の望みだった。

 女は昔から身体が弱く、無菌状態の病院でしか生きられない脆弱な人間だった。

 生存し続けることだけですら、鼻や口から大量のチューブを生やす必要がある程、その肉体は欠陥だらけであった。

 物を食べることはおろか、呼吸する度に臓腑が傷んだ。食事と言えるものはチューブから流れてくる流動食のみ。寝返りを打つことも叶わず、許されたのは僅かな身動ぎだけであった。

 “生きている”のではなく、“生かされている”状態。

 激痛が体内を這い回っている間はいっそ殺してくれと願うのに、いざ死が近付くと恐怖で気が触れそうになる。

 針の(むしろ)の上で生と死の狭間を転がり続ける。

 次第に心は酷直し、感情までもが鈍くなる。家族は当にそんな病弱な女への見舞いには来なくなった。

 女にできることは、一人きりに個室で孤独に死を待つことだけだった。

 そんな絶望の淵に現れたのが、“先生”だった。

 いつもの様にベッドの上でまんじりともせずに横たわっていた彼女の病室に突如現れた眼鏡をした初老の男。

 最初は新しい主治医かと思ったが、すぐに違うと悟った。

 医者であれば、患者へ対して絶対に口にしないことを彼は初対面で口走ったからだ。

 

『君はこのままだと確実に死ぬ。それも惨めに、ひっそりと、誰の役にも立てずに死ぬ』

 

 女は絶句した。

 それから激しい怒りが朽ちかけた肉体の内側から爆発した。

 長年、使っていなかった感情を司る脳の部位が、急速に動き始める。

 女は初老の男に向け、あらん限りの罵倒を吐いた。

 自分の境遇への憤りを、自分の肉体を癒せない現代医療と無能な医者への激怒を、自分と違って健康に生きている全ての人間への憎悪を心の中から取り出して叫んだ。

 だが、初老の男はその返答に大いに満足し、女に贈り物を授けた。

 

『その陰我なら、君には健康な肉体を得る資格がある。これを与えよう』

 

 渡されたのは黒い液体の入った小瓶だった。

 液体は、時折亀に似た生き物の形に固まっては、再び液状に戻る。

 形成と液化を繰り返す様は、生に縋っては死を求める自分のように思えた。

 

『それは試練を受けるための道具だよ。もしも君が試練に打ち勝てば、君の望む頑健な肉体が手に入るだろう。さあ、飲みたまえ』

 

 女はその言葉に従った。男の発言が嘘で、小瓶の中身が毒であろうとも構わなかった。

 鼻に入れてある医療器具を引き抜き、枯れ枝のような細い腕で蓋を取ると、無我夢中でそれを喉奥へと流し込む。

 喉を通り、液体が胃の淵に落ちた時。激しい熱が全身に広がる感覚を覚えた。

 熱い。熱い。熱い。辛い。

 体調が悪化した際に出る高熱とは種類が異なる、肉そのものが鉄板でやられるような身を焦がす熱。

 痛い。痛い。痛い。苦しい。

 女は正気を失いそうになる中、必死に歯を食い縛った。今まで感じたことない執念じみた思考が彼女を動かしていた。

 しかし、生きているという実感があった。水槽で買われた小さな生き物のように管理された養殖の生ではなく、自然の中で常理に抗う野生の生を体感していた。

 どれくらい激しい熱に炙られていたのだろうか。気が付けば、身を焼くような熱さは余韻さえ残さずに消えていた。

 荒い息をしていた女は、呼吸をしているにも関わらず痛みが発生しないという未知に驚く。そして、空気というものがこれ程に美味であることに涙した。

 腐った血生臭い味と臭いしか知らなかった彼女は、生まれて初めて世界の本当の香りを味わった。

 初老の男は女に手を差し伸べた。彼女はその手を取り、ベッドから立ち上がる。

 車椅子なしで直立した女は、その時ようやく自分が試練に打ち勝ったことを理解した。

 

『おめでとう。君は二番目に試練を潜り抜けた人間だ。君はもう病に悩まされることはない。何故なら選ばれた存在なのだから』

 

 女は初老の男に(かしず)いた。

 彼女にとって、彼こそが絶対だった。死ぬ運命であった自分を救い出し、導いてくれた救世主。この方のために生きて尽くそうと心に誓った。

 それが“先生”と“二番”の出会いであった。

 

 

 ***

 

 

 魔獣装甲・二番は敬愛する恩人のために、目の前に居る魔戒騎士を排除しようと腕を振るう。

 自身の硬度が同じ魔獣装甲を持つ番号持ち(ダシャーヴァターラ)の中でもトップクラスであると自負していた。

 魔戒騎士の剣であってもこの身を傷付けることは不可能に近い。まして、相手は鎧を未だ装着すらしていない生身。

 仮に鎧を召喚しても、一番との戦闘で消費した制限時間は回復し切っていない。

 先生から聞いて、二番は知っていた。

 魔戒騎士が魔界から喚び出した鎧を身に付けられるのは99.9秒の間だけ。その制限時間を一度消費してしまえば、返還し、再召喚したとしても使用できる制限時間は完全に回復しない。

 一番との戦闘で消費した時間は一分を超えていたはず。であるなら、鎧を召喚して戦える時間は三十秒にも満たない。

 例え万全の状態であっても損傷を与えることができないこの装甲に、たったそれだけの時間で手傷を負わせることなど不可能である。

 万が一、相手が逃げたとしても韻牙(十番)は回収できる。どう転んでも自分は負けない。失敗はしない。取り(こぼ)しは起きない。

 二番は、己が成果を尊敬する先生に持ち帰れることを確信し、内心で喜びに打ち震えた。

 振るった拳は魔戒騎士の髪先を掠る。男にしては長く伸びた頭髪が触れた瞬間の拳圧で数本引き抜けた。

 爪磨は二番を非難するように睨む。

 

「いったぁ。髪は乙女の命なのよ!」

 

『知ったことか。大体、お前は男だろうが。私なんて髪など……』

 

 数か月までの自分は生命維持の投薬のせいで髪など抜け落ちていたことを思い出し、不愉快な気分になる。

 女として着飾る余裕など二番には一瞬たりともなかった。鏡を見たのも魔胎となってからしかない。

 この男の毛根を頭皮ごと頭蓋から引き剥がしてやる。思い出したくもない過去を思い出させた罰として、その乙女の命とやらを奪ってから止めを刺そうと決めた。

 そのためには一撃で撲殺してはならない。片手で身体を押さえ付けてから、もう一方の手で頭部の皮膚を剥ぎ取る必要がある。

 そう考えた二番は指先を開いて狙いを定めようとしたその時。

 

『……!? 何だ、これは!』

 

 指の隙間に黒い紐が絡んで硬直する。

 妙な術を使うとの情報を五番から伝え聞いていたため、爪磨の剣先には注意を光らせていた。

 一番の動きを縛った技は受けてはいないはずなのだ。

 敵の身体と接触したことすら、先ほどの髪に触れたぐらいのもの……。

 

『まさか……!』

 

「あら、気付いちゃったぁ?」

 

 にやりと爪磨の表情が、悪戯の露呈した子供のような黒い笑みを浮かべる。

 先ほどの抜けた毛髪。あれこそが彼の策略の一部であった。

 正確に述べるのなら、抜けたのは爪磨自身の髪ではなく、霊獣という魔界の生物の体毛を黒く染めたもの。

 要するに着け毛(ウィッグ)だ。

 魔法衣や魔戒法師の主武器である魔導筆にも使われる霊獣の体毛は、魔導力を伝導させる性質を持っている。

 つまり、二番の片腕には魔導力の受信先が生まれたということ。

 

『お前ぇ、私を謀ったのか!?』

 

「やぁね。ウィッグだって、乙女の一部よ。……ハァッ!」

 

 魔導力を飛ばし、霊獣の体毛が巻き付いた二番の拳を操作する。

 狙うは己の腹部の装甲。ソウルメタル製の刃でも通さぬ強固な外殻と言えども、同じ硬さの拳で殴られれば、当然無事では済まない。

 鈍い音が一度、二度と響く中、紺色の装甲には罅が入り、表面が削れてゆく。

 

『がぁッ! このッ、クソォ!』

 

 己の身体を自身で傷付ける二番は、もう片方の腕で掴み、押さえ付けた。

 尚も腹部へ向かおうとする腕を力尽くで、頭の方にまで持ち上げると、口に当たる部位が開き、その拳を喰いちぎった。

 ホラーの黒い血と人間の赤い血が、地面へ零れてぼたぼたとマーブル模様を描いている。

 

『ああ……。これで、どうだぁ! もう私の腕は操れまい!』

 

 自傷すら厭わない不退の覚悟。それを見た爪魔は問う。

 

「……どうして、そこまでするの?』

 

『何がだ!』

 

「あなたをそこまで駆り立てている原動力は何? ホラーの力に魅入られているにしては、覚悟が固まり過ぎてるように見えるわ」

 

 拭えぬ疑問。解せない謎。

 魔胎が定義された通り、本当にホラーと人間の精神が拮抗している状態であっても、爪磨には彼女が戦士としての心得のある人間には見えなかった。

 敵地にわざわざ玄関の呼び鈴を鳴らして入るようなこの女性は、戦いに身を置くにしてはあまりに不用意で正直者だった。

 剛直。それが二番という女を表す端的な単語。

 だからこそ、この戦士に向かない彼女の異様な執念の出所が分からない。

 魔獣装甲を得る前が一般人であるなら、己が手を喰いちぎってでも挑む気迫が真に入り過ぎていた。

 

『私は……あの人の……“先生”の盾であり、剣! 先生が望むなら、私は何だってするんだぁ!』

 

 要点の纏まらない答えにならない答え。

 だが、それ故に爪磨にはその発言に一切の嘘や誤魔化しがないと感じた。

 “先生”とやらが、どのような人物かは皆目見当が付かない。しかし、彼女にとっては何においても優先すべき人物だということだけは伝わって来た。

 

「あなた、本当に()()()()なのね……」

 

『何を……』

 

 そして、やはり彼女は戦士ではない。

 もしも二番が戦士としての精神を持って居たなら、戦闘の最中に敵の話に意識を回すなどという愚行は犯さなかっただろう。

 

『はっ……! 何だ、この四角い箱は!?』

 

 二番はそこでようやく足元に落ちている異物の存在を認めた。

 黒い魔戒文字が浮かぶ、手のひら大の奇妙な正方形の箱。

 咄嗟に彼女が連想したのは爆弾の類だった。飛び退くこともせず、腹部の損傷箇所に守りを固めたのは、自身の硬さへの信頼か、元一般人故の反応か。

 されども、箱は爆弾でも火薬でもなかった。

 小さな四角い箱は、瞬く間に何倍にも膨れ上がり、変形する。

 巨大なルービックキューブを思わせるそれは、正方形から音を立てて形を変え、魔獣装甲を纏う二番よりも大きな異形となる。

 能面じみた女性の仮面を持つ、翼を畳んだ大型の鳥類とでも言い表せば良いだろうか。歪な造形の異形は胴に付いた一対の鎌状の腕を彼女へと振り下ろす。

 あまりの光景に唖然とする二番より先に、ゾルバが混乱したように声を荒げた。

 

『何だあれは⁉︎ 魔導馬でも、グラウ竜でもない……俺の知らない魔戒獣だと⁉︎』

 

「あれはとある天才魔戒法師が発明した次世代の魔戒獣『号竜』の一種。名を“鉄騎”と呼ぶわ。この子はアタシのお手製だけどね」

 

 現代の通信端末機器の知識はあるゾルバだが、新時代の魔戒獣である鉄騎を目の当たりにするのはこれが初めてであった。

 彼が元老院の宝物庫の中で眠っていた間にこのようなものが時代遅れの魔戒法師が作り出していた事実に驚きを隠せない様子だった。

 

「……本当はまだ隠しておきたかったけれど、彼女の本気を見せられたらこっちもそれなりの本気を出さないと――いけないわよねぇ!」

 

 鎧を魔界より召喚し、翡翠騎士ジェイドとなった爪磨は鉄騎の背に飛び乗る。

 

『クソッ、まだこんな隠し玉を!』

 

 鉄騎の鎌に装甲を擦られるが、それでも二番の堅牢な甲殻に致命傷を与えるには至らない。

 実のところを言えば、爪磨が卑劣な手段を使えば、切り札の一枚である鉄騎の存在を明かすことなく、決着を付けられた。

 そうしなかったのは二番という剛直な女性に敬意を懐いたからだ。

 戦士でもない素人が見せた執念に、一人の騎士として真正面から打ち破ぶらなければならないと思った。

 この短時間に住居を特定し、襲撃して来たということはこの戦闘さえも何処かで観察されていると考えていい。

 それを充分に理解しても、爪磨は飛び切りの隠し玉を披露する。

 

「見せて、ううん。()()()()()あげるわ! 鉄騎・アルマ……〈カワセミ〉!」

 

 鉄騎の面の額にある切れ込みに、慈英剣の柄を鍔まで差した。

 三日月の角を得た鉄騎・アルマは純白の装甲を鮮やかな水色へと変化させる。

 

『何をしたぁ!』

 

「あなたの覚悟に答えたまでよ」

 

 水色の両翼が多く展開され、鉄騎・アルマは空へと飛び立った。

 前面部にある二本の鎌が二番を逃がさずに固定する。

 急上昇しながら、深緑の三日月が紺色の魔獣装甲へと突き立てられる。

 慈英剣から流される爪磨の魔導力が、鉄騎・アルマを高速の世界へと飛翔させた。

 堅牢な装甲は空へと連れ去られながら、抉り削られ、砕け散る――!

 ジェイドはその深緑色の鎧を返還した。

 

「さようなら。名前も知らない、強い女性(ひと)……あなた、とっても頑丈だったわ」

 

 その下から現れた風に揺られる爪磨の横顔は酷く寂しげなものだった。

 アルマを降下させ、地上へ戻ろうと彼は方向転換をする。そこで爪磨は落下してゆく紺色の小さな亀を目にした。

 ゾルバもそれに気付き、彼に報告する。

 

『魔戒騎士。あれが堅甲ホラー・クールマの本体だ』

 

「今度はちゃんと斬るわ!」

 

 アルマの額に刺さっていた偃月魔戒剣を抜き取り、回転しながら落ちてゆくクールマを追う。

 魔導力の供給が断たれたせいで、速度が極端に落ち込み、元の色に戻ったアルマは翼を広げて、敵を追跡した。

 地面が近付くと、即座に爪磨はアルマを元の箱状に戻し、飛び降りる。

 剣を握ったまま、受け身を取って、クールマを切り捨てようと駆けるが、それよりも早く、落ちたクールマの傍に立っている人物が居た。

 

「……韻牙ちゃん?」

 

 ボーイッシュな服装の彼女は、眉を顰める爪磨を無視して、ひっくり返ったクールマを胡乱気(うろんげ)な瞳で見つめている。

 危ないと諫める前に、韻牙の背中から灰色の腕が出現した。

 

『ホラーの腕……! また縮小したホラーを喰らうつもりか?』

 

 ゾルバがそう呟くと、回答するように時を同じくして、灰色の腕がクールマを掴む。

 が、それよりも先に爪磨は彼女から伸びる腕を斬り落とした。韻牙にホラーの血が掛からぬように細心の注意を払い、角度を調節した上での回転斬り。

 しかし、予想に反して斬られた腕からはホラー特有の黒い血液は一切漏れず、はらはらと霧のようにぼやけて消えてゆく。

 

「二度も同じことをさせる程、アタシは甘くないわ」

 

 そう言って、邪気を振り払うように偃月魔戒剣をもう一度振った。

 その時、近くで不機嫌そうな声が聞こえた。

 

「いってぇな。大根じゃないんだから、人の腕、スパスパ斬るんじゃねぇよ」

 

「……!」

 

 振り向くと、右手に灰色の()()()()()()韻牙がクールマを握っていた。

 温和な目付きの普段の彼女とは異なり、擦れた眼差しを浮かべている。

 

「あなた……韻牙ちゃんの中のホラーね?」

 

 爪磨が尋ねると、彼女は面倒そうに答える。

 

「あー……知らねぇよ。アンタらが俺を何て呼んでるかなんて興味ねぇ」

 

 反対側の手で乱暴に後ろ頭を掻きながら、爪磨の方を見て言った。

 

「俺が興味あるのは喰うことだけだ。コイツらを、な」

 

 クールマを握り潰すように吸収する。

 口部を使わないホラーの食事。初めて見る方法での吸収に爪磨はもちろん、ゾルバさえも驚愕した。

 

『こんなホラー、俺ですら初めて見たぞ。正体が掴めない』

 

「ホラーホラーってうるせぇ奴らだな。アンタらの方こそ、何者なんだよ。あいつに名前しか説明してねぇだろ。それなのに家に連れ込みやがって、説明ならまずそっちが先だろ?」

 

 手甲をした韻牙は、そう言って爪磨たちを指差した。

 “あいつ”というのは恐らくは、文脈から鑑みて韻牙のことだろう。

 その発言を受けて、爪磨は一つ頷いた。

 

「……一理あるわね」

 

『そこは納得するのか……』

 

 ゾルバは妙なところで律儀な彼に呆れ、魔導輪の身でありながら溜息を吐いた。




『ゾルバだ。魔導輪として魔戒騎士への助言も慣れてきた。奴はおかしな奴だが、愚かではない。こんな妙な守りし者に一体誰が育てたのか。次回「師匠」。あの男の師だと? どうせ碌な奴ではあるまい』
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