古より伝わる魔界からの侵入者。人の負の思念・『陰我』を門として現れる人喰いの魔獣。
それが“ホラー”である。
その魔獣を狩るべく人間界の番人たる存在を、魔を戒める騎士。即ち、魔戒騎士と呼ぶ。
ホラーと魔戒騎士との戦いは数千年にも及ぶ永い歴史となり、今尚続いている。
「……というのがアタシね。まあ、派生というか、大元には魔戒法師というのもあるんだけど、今は省いておくわ」
「なるほどな。そんでその指輪が協力してるホラーって訳か」
「まあ、人間に友好的なホラーも居るからね。そうした友好ホラーを封じた道具を魔導具って言うのよ。ゾルバの場合は指輪だから魔導輪ね」
爪磨の説明に韻牙は納得する。
今の彼女は、出会った時と言葉遣いや雰囲気が別人のようであった。
当初は韻牙の中に宿るホラーだと考えていた爪磨であったが、魔戒騎士の説明を必要とする程に彼女の知識は欠如していた。
ホラーであれば、魔戒騎士や魔戒法師といった守りし者の知識は常識である。
それらの最低限の知識なく、人間界に来るホラーは存在しないと言っても過言ではなかった。
一応、あれから魔導火によるホラーの識別を行ったものの、未だ韻牙の片目にしかホラーの証たる光彩は検出されずにいた。
つまりは、韻牙はまだ完全なる憑依には至っていない『魔胎』であることを証明していた。
『それで貴様は何者なのだ? 小娘とは根本的に気配が違う。奴よりもホラーとしての臭い濃い……』
ゾルバは思う。
この存在こそ、メシアが我が子と呼んだホラーなのではないかと。
少なくともホラーを喰らっていた以上は人間ではあり得ない。魔界に由来するものであることは確かと言えた。
聞かれた彼女は唇から言葉を漏らす。
「メシアの
「……っ‼︎」
爪磨の目が剣呑な光を帯びる。
片手に握っていた偃月魔戒剣へ掛かる握力が増した。
間合いは三メートルにも満たない至近距離。彼が刃を滑らせれば、韻牙の頭は一呼吸の間もなく、首から転がり落ちるだろう。
だが、爪磨はあえて剣を鞘に収めた。その行動に理解が及ばず、ゾルバは彼へ声を投げる。
『魔戒騎士……?』
「ブラフでしょう。あの時に話していた内容を聞いて、適当吹かしてるだけよ」
その回答に満足したようで、韻牙は赤く短い舌を出してネタばらしをする。
「バレたか。実を言うと俺自身、俺が何者なのか分からねぇんだ。ま、アンタが馬鹿じゃなく、あいつごと俺を斬らない度量があることは判ったがな」
悪びれた風もなく、そう述べる彼女に爪磨は肩を竦めた。
韻牙の肉体の主導権を握っている謎の存在。しかし、彼女は自分の身を危険に晒してでも爪磨という人間を試した。
そんな危ない橋を渡った理由があるとすれば……。
「アタシと協力したいのね?」
「有り体に言えばそうだな。こいつを連れ出してやったが、生憎と俺には何もしてやれねぇ。こいつを守ってくれる誰かが必要なんだ」
こくりと頷いた彼女はそう言って、手甲のある手で反対側の手を撫でた。
その手付きは優しく、歳下の身内を撫でるような慈愛を感じさせるものだった。
韻牙は誰かが自分を施設から連れ出してくれたと話していたが、その誰かとは彼女なのだろう。
そんな彼女を何処か複雑な表情で見つめていた爪磨は、やがて右手をそっと差し出した。
その行動に韻牙は訝しんだ様子で、視線を向ける。
「何の真似だ?」
「握手も知らないの? 協力の承諾を意味するボディランゲージよ」
「だけど、右手は……」
「あら? 手甲が着いてる方が利き手だと思ったのだけど、逆だったかしら?」
異形の右手を恐れることなく、触れようする爪磨。
韻牙は自分の手で触れることに少し迷っていたが、覚悟を決めて手甲のある手で彼の手を握った。
硬い硬質でありながら脈動する甲殻は、それが生物の皮膚なのだと否応なく爪磨に感じさせる。しかし、彼は表情を嫌悪に歪めることなく、あくまで優しく握り返した。
「あ……」
驚いた声を上げたのは、むしろ韻牙の方だった。
「どうしたの?」
「いや……手、あったかいなって思ってさ」
純真な感想を伝えてくる彼女に対し、爪磨は違和感を感じた。
今まで相対してきたホラーとは根本的に違う、純粋無垢な反応。まるで親の温もりを知らない幼児のように見えた。
彼は手を離すと、彼女に手短にこれからやるべき内容を伝える。
「とりあえず、ここに長居するのは危険よ。あなたたちを追っている連中にはアタシの住居は突き止められてるみたいだから、居所を移さなきゃならないの」
「何処に行くんだ?」
「音声も聴かれているかもしれないから、口では教えられないわ。……はい。これ、持って。左手でね」
そう言って、爪磨は韻牙に一枚の八卦札を手渡した。
風を表す魔界語が書かれているその札を目にして、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「何だよ、このミミズが暴れたようなのが書かれた紙は?」
魔界語が読めるのかカマを掛ける意図もあり、あえて反応を待ったのだが、演技ではなく心底そう思っている様子だった。
「それは八卦札、もしくは界符の一枚。『
正確に説明すれば、巽の札は二枚で一組の札であり、陰と陽に分かれている。
陰の札を出口として座標を固定することで、陽の札が入口として機能するというものなのだが、詳しい内容は省いて教えた。
韻牙はよく理解していないようではあったが、爪磨が空間転移のためのチケットみたいなものと言うと何とか呑み込めた。
「じゃ、移動するわよ」
「あ、待ってくれ。もうここには戻って来ないんだよな? じゃあ、持って行くものが一つあるんだ」
「……? なら、取って来ていいけど、早くしてね」
韻牙にそういうと、彼女は威勢良く「うん!」と答えて、アパートの中に戻って行った。
あの子に荷物なんてあっただろうかと、爪磨が首を傾げて待っているとすぐに彼女は戻って来る。
手には札以外持っていなかったが、その頭には灰色のキャップを被っていた。
「これで準備万端だぜ」
誇らしげに胸を張る韻牙。
余程その帽子が気に入っていたのだろう。もう一人の彼女のためというより、自分が気に入っていたから取りに戻ったようだった。
「可愛いとこ、あるのね」
「は? 格好良いだろ、この帽子」
微笑を浮かべた爪磨に、彼女は不満げに口を尖らせた。
意味合いが食い違っていたが、それには言及せずに彼ははにかむ。
「フフ。さ、それじゃあ、今度こそ行くわね」
彼もまた巽の札を手に持ち、自分と韻牙の二枚に魔導力を流し込んだ。
その瞬間、二人の姿はアパート前から消失する。
次に彼らが現れた場所は、薄暗い小道だった。まだ日没前だというのに小道の先は真っ暗な闇に繋がっている。
その暗闇を見て、ゾルバが真っ先に慌てた。
『ここは“魔戒道”に通ずる場所だぞ! おい、魔戒騎士! よもや貴様、番犬所に行くつもりではないだろうな?』
「マカイドー? バンケンジョ? 何だよ、またよく分かんねぇ専門用語使いやがって」
文句を言う韻牙だったが、今度は誰も説明はしてくれなかった。
「番犬所を通しての移動なら、補足されずに県外の自宅に戻れるわ。襲撃されたあそこに留まる訳にはいかないでしょ?」
『だからと言って、ホラーを連れて番犬所に行く魔戒騎士が何処に居る⁉︎ それとも俺たちを神官共に売り渡すつもりか?』
ゾルバとしては死活問題だった。
己がプリズンホラーだと知れれば、再封印の後、魔界へと送還される。そうなってしまえば、数百年は意識を保ったまま、魔界の大地に転がるオブジェと成り果てるだろう。
死の概念がないホラーであっても、身動き一つできずに縛られ続ける苦痛は耐え難いものであった。
「大丈夫。あなたはアタシの魔導輪ゾルバ。神官にも手出しできないわ。それに番犬所を通過するだけだもの。別にあそこで暮らす訳じゃないんだから」
『この小娘の中の暫定ホラーはどう説明する気だ? こいつの存在が暴かれれば俺の存在だって芋蔓式に露見しかねないぞ!』
韻牙を
爪磨とゾルバはもはや運命共同体なのだ。そして、彼が韻牙を連れて行くのなら、彼女もまた共同体に入ることとなる。
「韻牙ちゃんは協力者という位置付けでいいと思うわ。過去にホラーの気配を探知する表の人間に協力を仰いだ事例があるの。番犬所に通すのは異例だろうけど、記憶消去の術が使えるアタシなら認めてもらえる……はず」
『はずぅ⁉︎ はずと言ったのか? 有無を言わさず、処断されるかもしれない状況で、よくもそんな博打に出るものだな。尊敬するぞ!』
「魔導輪にリスペクトされちゃったわ。絆っていうのは互いを尊重し合うことで生まれるのね。ステキ……」
『皮肉で言ったのだ! この大戯けが! まったく……』
そこで口論を続けていた二者を見ていた韻牙は感心したように呟いた。
「アンタら、仲良いんだなぁ」
「そう?」
『何処がだ!』
のらりくらりと受け答えする爪磨のせいで、すっかり突っ込み癖が付いてしまったゾルバ。
不本意ながら、自分でもこれ以上は墓穴を掘るだけと思い、彼は諦めて爪磨の賭けに乗ることを承諾した。
半ば、なし崩し的に受け入れはしたが、それでも神官への釈明のための設定は詰めるべきだと主張する。
「じゃあ、こういうのはどう? 韻牙ちゃんは……」
思い付いた案を爪磨は開示した。
『とんでもない所に着地したな!』
「俺は別にそれでもいいけど……腕を見られる訳にはいかないから、結局はあいつ次第だ」
ゾルバは仰天し、韻牙は思案げに腕組みをする。
各自、その提案を受けて考えを巡らせるが、代案は出てくる気配はなかった。
「まあ、うまく言いくるめてくれよ。俺はこいつの中に隠れてるから」
一方的にそう言い残すと、韻牙は目を閉じた。右腕の灰色の手甲は風に溶けるように消えてゆく。
再び、両目を見開いた時、彼女の表情は元の韻牙に戻っていた。
周囲を過敏に見回すと、要領が掴めないという顔で爪磨を見る。
「こ……ここ、何処ですか? あれ? 確か私、新しい服でお散歩してて……それで」
混乱している彼女の肩を爪磨は優しく叩いた。
「韻牙ちゃん。よく分からないだろうけど、ちょっとアタシに協力してくれない?」
「頼み、ですか?」
「ええ。少し演技をしてもらうことになるから簡単じゃないけど……いいかしら?」
爪磨からの頼み事。それは韻牙に取っては願ってもないことだった。
記憶のない身で保護してもらっただけでなく、食事や新しい服まで世話になっている。
何か彼にお返しができればと考えていた韻牙には渡りに船とすら言えた。
「私で良ければ喜んで!」
「ありがと。恩に着るわ」
事情を知らない彼女を巻き込むことに多少思うところはあったが、爪磨は割り切り、彼女に演じてもらいたい役柄を伝えた。
目を丸くして驚いたものの、力強く頷いてみせた。
「分かりました! 頑張ります」
『頼むぞ。俺たちの命運は貴様に掛かっている』
かくして、一同は魔戒道を通り、番犬所へと足を運んだ。
番犬所という機関を一言で表すならば、魔戒騎士や魔戒法師を束ねている
元老院という名の中央組織から割り振られた管轄地域を管理する役割を持つ。
かつては東西南北の四つの管轄で分かれていたが、とある事件の影響により元老院の権力が弱体化し、それに伴って番犬所は細かく分裂してしまった。
現在では方位ではなく、色にて管轄が分化されている。
この街の管轄を行なっているのは『白の番犬所』と呼ばれる番犬所だった。
「ごめんくださいねぇ」
黄緑色の外套を揺らす爪磨は、韻牙を連れて白の番犬所へと踏み込んだ。
韻牙は肩を抱かれて、緊張した面持ちで床を踏み締める。
番犬所内は想像していたものよりもずっと薄暗く、怪しげな空間だった。
壁と呼ぶべきものは一切存在せず、背景には言い知れぬ暗黒だけが延々と広がっている。
中央にせり出した台座が一か所。他は狼の頭を模した大きなレリーフが置いてあるだけで何もない。
建物ではなく、切り離された異空間と表現するしかない様相である。
「……ここが番犬所、ですか」
ぽつりと零した韻牙の言葉のすぐ後に、シャンという金属の輪をいくつかぶつけ合わせたような音が響いた。
気付けば、台座の上には白髪の長い髪の女性が錫杖を握り締めて立っていた。服装は中世ローマを思わせる純白のトーガを身に着けている。
右目が隠れる特徴的な髪型の怜悧な美貌の女性は爪磨たちを恫喝するように睨んだ。
「何者だ! ここを何処と考える!」
「あなたがここの神官さん? アタシは九曜爪磨。翡翠騎士ジェイドの称号を持つ魔戒騎士よ」
韻牙は彼女に気圧されて硬直していたが、爪磨はいつもと変わらぬ口調でフランクに答えた。
白い女性は、片手を顎に当てしばし思考を巡らせた後、シャンと上部に輪の付いた錫杖の柄をぶつけた。
「聞かない称号だ。さぞや弱小の騎士の系譜と見た。神官は忙しい。即刻立ち去れ」
「あら、失礼ね。言われなくともそうするわ。魔導火の炎、少しもらうわよ」
「好きにしろ。神官は忙しいのだ」
あくまでも威圧的な態度を崩さない白い女性に、気分を害すこともなく、感謝の言葉を述べる。
狼のレリーフの傍に近寄ると、狼の口元に蓋を開けた魔導火を寄せた。
開いた口元から黄色の炎が湧き出し、物理法則を無視したように魔導火の中へ吸い込まれていく。
許容限度まで黄色の炎を補充し終えた彼は魔導火の蓋を閉じた。
「じゃあね。不愛想な神官さん」
「待て。その横に連れている女は何だ? 何故部外者を番犬所に連れ込んでいる!? 貴様、ここを何処と心得ている!」
韻牙の存在にようやく気付いたらしい白い女性は、爪磨に対して不敬だと騒ぎ立てる。
しかし、その直後に彼女とは別の声が番犬所内に響き渡った。
「それについては私も知りたいね。“神官見習い”のスコル」
決して声高に叫んでいる訳でもがなり立てている訳でもないのに妙に浸透するその声は、スコルと呼ばれた女性よりも幼い声音をしていた。
スコルは威圧的なむ仏頂面を真っ青に変えて、上を見上げる。
「お、お姉様……起きて来られたのですか?」
つられて爪磨たちも上を向くと、空中に浮かぶ円盤に左目を前髪で隠した十二、三歳くらいの少女が腰掛けている。
髪型はスコルと左右対称だが、着ているトーガは遥かに少女の方が煌びやかな装飾が施されていた。
彼女は静かだが、怒気を孕ませた気配を漂わせている。
「見習いの分際で独断で何をしようとしているの? スコル」
「も、申し訳ありません。その、お姉様はご就寝になったと思い、神官の業務は私めが捌こうと……」
「あのね。気持ちは嬉しいけど、それでもし取り返しの付かないことになった場合、責任を取るのは私なの。魔戒騎士が来たなら、今度からすぐに起こしなさい」
スコルは少女に平謝りをして許しを乞うた。
見てはいけない職場事情を目撃してしまった爪磨たちはバツが悪そうに視線を逸らした。
少女は座っている円盤ごとくるりと回り、彼らの方を向く。
「身内が失礼をした。あの子に変わって謝るよ。私が白の番犬所の神官、ハティだ」
「あー、いえ。まあ、こういうのは誰にでもあることだわ。失敗をして成長するものだもの」
「そう言ってもらえて助かるよ。出来の悪い妹だけど、可愛い子なんだ」
ハティは微笑みを見せる。それは幼い容姿に似合わない、年を経た女性の笑みだった。
間違いなく、実年齢は外見年齢の数倍はあるだろう。爪磨はスコルではなく、彼女が出て来てしまったことに内心で舌打ちをした。
ハティの方が余程老獪な相手であることが手に取るように感じられた。
「それで先ほどの話の続きなのだが、そちらのお嬢さんを紹介してほしい。構わないかな? 翡翠騎士」
「彼女は韻牙ちゃん。アタシの協力者よ」
「協力者……。なるほど、しかし、魔戒騎士の掟では人間社会への干渉を禁じている。稀に例外もあるけれど、少なくとも表の人間を番犬所へ招き入れる行為は許されていない。知っていたよね?」
ハティを乗せていた円盤が変形し、側面から槍の先のようなものが顔を覗かせる。
神官専用の武装であろうか、魔戒法師として師の元で魔道具造りに精を出していた彼でさえ見たことのない兵器であった。
だが、彼はそれにも臆することなく、韻牙を両手で抱き締めて、堂々と答える。
「ええ。でも例外はあるわよね。表の人間でも魔戒の者と婚姻を結び、一族の身内にすれば、その掟の適応外。……韻牙ちゃんはアタシの嫁よ!」
台座の上に居るスコルが素っ頓狂な声を上げる。
すぐに宙へ浮かぶ姉へと呼び掛けた。
「はああああああああああ? 何を言い出すかと思えば、この無名の魔戒騎士め。なんとふざけた発言を! お姉様、この魔界騎士、私たちを
「スコル。黙ってて」
「はい。お姉様の仰せの通りに」
破裂した風船のように溜めた言葉をぶち撒けようとしていたスコルは姉の命令に従い、ぴたりと発言を止めた。
己の額を叩きながら、ハティは韻牙の方に問いかけた。
「韻牙さんだったね。今の話本当かな?」
表情こそは柔らかだが、眼球の奥の脳まで突き刺さるような視線だった。基本的に物怖じしない韻牙でもその視線だけは、恐ろしく感じられた。
口の中がぱさぱさになる感覚を感じながら、声が裏返らないよう慎重に言葉を紡ぐ。
「ほ、本当です……私は、爪磨さんの、奥さんに……なります、です」
震えるようなか細い声。しかし、目線だけは彼女から離さぬようにしっかりを定めて言い切った。
ハティはそれを聞いて、何度も反芻するように頷いた。
「そうかそうか。うん、なら実にめでたいね。何せ、魔戒騎士の数は年々減少している。おまけに一年前の元老院で起きた反乱によって元老院付きの魔戒騎士が減ってしまった」
爪磨は一瞬だけその最後の発言に反応しそうになったが、同じく首を縦に振って返す。
「ええ。そうねぇ。忌まわしい事件だったわ。まさか、元老院の議長から闇に堕ちた者が出るなんて……」
「そうだね。最近もその元老院の混乱に乗じて、宝物庫から保管物を持ち出す不届きな輩まで出たそうでね」
「あら、やだ。怖いわぁ……アタシも自宅に帰って泥棒に入られてないか調べないと。という訳でさようなら」
手を振りつつ、韻牙と共に自分の家がある魔戒道へと進もうとする。
ハティはその背を見送ろうとして、ふと思い出したように呟いた。
「そうだ。九曜爪磨。君が来たら知らせてくれと言っていた者が居たの思い出したよ」
「……どなたかしら?」
「自分で聞くといい」
その言葉と共に白い円盤がもう一つ、番犬所の宙に出現する。
円盤には黒いジャケットを着た一人の男が乗っていた。彼を視認した刹那、爪磨は八卦札を取り出して、男へ向けて投げた。
男もまた同じように八卦札を投げて寄こす。
空中でぶつかり合い、火花を起こすのは二枚とも“艮《ごん》の札”。
札の効果は張った者の動きを封じるというもの。
相殺された札同士は効力を失い、地面へと落ちる。
黒いジャケットの男は腰元から魔戒剣を引き抜き、真下に居る爪磨へと飛んだ。
爪磨もまた韻牙を庇うように前へ出ると偃月魔戒剣を抜刀し、相手の剣へと刃を振るう。
ソウルメタルで作られた刃がお互いに衝突し、激しい金属の歌を奏でた。
曲剣である偃月魔戒剣の形状を利用して、刃を滑らせて指先を狙うが男もまた刃の位置を調整しながら、後ろへ跳んだ。
「……いきなりのご挨拶ね。
「数年間、君に魔道具の作成法や法術を教えてきたけど、その呼び方をされるのは初めてだね。爪磨」
「だって、レオさん。師匠って呼ぶには可愛すぎる顔立ちなんですもの。むさ苦しい呼び方は似合わないわ」
爪磨はそう言って、己の魔戒法師としての師、
本編で語られなかった人物等
・阿久原
魔獣装甲・二番の本名。
実は十九歳なので未成年。ほぼ病院のベッドで人生を費やした女性なので、魔胎としてから外界に出て初めて社会を知った。
病名は出さないが、現代では治療不可能のものである。
“先生”を神のように崇めていたが、向こうからはさして特別な存在とは見られていなかった模様。
・堅甲ホラー・クールマ
本来のホラー形態では魔獣装甲の時よりも甲羅が大きく、もっとずんぐりむっくりした体形になる。
首や手足を引っ込めて、回転しながら敵を襲う攻撃を得意としたが、魔獣装甲にされて本来の力を発揮できずに韻牙に喰われた。