今夜、絶対絶対絶対空けといて。
二奈の言葉に、何の疑問も持たず「OK!」と承諾したのだが。
『貸切』の札がかかっている古今東西を見て、三鶴は少し首を傾げた。
予約が入っているなら、手伝ってほしいということだろうか。
ーーそれなら、もう少し早く来ればよかった。
携帯で時間を確かめてから、戸へ手をかける。
「二奈、お待たせ。今日って――」
「おかえりー!」
声と同時に、ぱん、と音がした。
「わっ!?」
「「「三鶴、おかえりー!!」」」
目の前に色とりどりのリボンが広がる。
三鶴が目を瞬かせていると、肩に落ちた一本を狩沢が摘まみ上げた。
「あはは、びっくりした?」
「……した。何、どうしたの?」
狩沢の後ろから、遊馬崎が空になったクラッカーを掲げる。
「三鶴さんのおかえりの会っすよ!」
「ほら、入口塞いでないで入れ」
門田に促され、三鶴はようやく店内へ目を向けた。
いくつかのテーブルが繋げられ、その周りに見知った顔が並んでいる。
渡草が片手を上げ、サイモンが大きく手を振った。
「ミツル、おかえり。今日ハお祝いネ」
「やあ、三鶴。ちゃんと時間通りだね」
新羅の隣で、セルティが携帯をこちらへ向ける。
『おかえり』
その少し向こうに、静雄もいた。
目が合うと、小さく頷く。
「……よう」
三鶴は一人ずつ顔を見て、それから厨房の入口に立つ二奈を見た。
「二奈、これ……」
「お姉ちゃん、こっちに帰ってきたでしょ?」
二奈は笑って、壁を指さした。
紙の輪を繋げた飾りの下に、文字が並んでいる。
『三鶴、おかえり!』
「だから、みんなでおかえりって言おうと思って」
三鶴はその文字を見つめた。
字の形が、途中で何度も変わっている。
最後の感嘆符だけ、妙に大きかった。
「これ、みんなで書いたんだよ。シズ先輩にも一文字書いてもらったの!」
「……どれ?」
「『鶴』」
三鶴はその字を見た。
一文字だけ、やけに慎重に書かれている。
静雄が顔を逸らした。
「難しい字、回しやがって」
「はは!静雄らしくていいんじゃない?」
三鶴は思わず笑って言った。
「というか、みんな今日暇だったの?」
三鶴の視線は自然と門田達へと移る。
「そこで俺達を暇人の集まりにすんじゃねえよ」
門田が椅子を引く。
「都合つけたんだ。座れ」
引いた椅子に座ると、全体が見えて何だか瞳が潤む。
「ちょっと、まだ早いよ?」
狩沢が顔を覗き込む。
「え?」
「泣くの。まだ始まってないんだから」
「……泣いてないよ」
そう答えた声が少し怪しくて、三鶴は慌てて笑った。
「でも、びっくりした。みんな、いつの間に集まってたんだ」
「三鶴さんが来るより前ですよ。当然ながら!」
厨房の奥から紀田が顔を出す。その横にはせっせと盛り付けをしている帝人もいた。
「俺なんか、危うく飾りつけの全責任を負わされるところでしたからね」
「自分で『任せてください』って言ったんじゃない」
二奈に返され、紀田はすぐに三鶴へ向き直った。
「というわけで、おかえりなさい、三鶴さん。今度はちゃんと、歓迎させてもらいますよ」
「紀田君……!」
三鶴は笑った。
やっと、いつものように。
「ただいま」
二奈が傍へ来て、彼女の鞄を受け取った。
「今日は手伝わなくていいからね」
「まだ何も言ってないよ」
「そのつもりだったくせに」
図星だった。
三鶴が黙ると、二奈はふっと笑い三鶴の分のコップを置いた。
「お姉ちゃん、何飲む?」
「みんなと同じのでいいよ」
「今日はそういうのなし。お姉ちゃんが飲みたいもの」
「……じゃあ、」
「ビール、でしょ?」
二奈がウインクをして、ビールをコップへ注ぐ。
聞かれる前から分かっているなら、聞かなくてよかったのに。思考がバレていることに三鶴は少し照れた。
その隣に、帝人が料理の皿を置いた。
「これ、ここで大丈夫ですか?」
「あ、うん。ありがとう。帝人君まで手伝ってくれてたんだね」
「いえ、僕は盛り付けくらいで……」
「俺は味見も担当しました!」
後ろから紀田が胸を張る。
「正臣、それは手伝いに入らないと思う」
「厳しいな、帝人。客観的な評価って大事だぞ」
「つまみ食いって言うんだよ、それは」
三鶴が笑うと、紀田は少し大袈裟に肩を落とした。
「三鶴さんまで……せっかく俺が厳選した料理なのに」
「二奈が作ったんでしょ?」
「もちろん。俺はそのおいしさを、身をもって確認したわけです」
「じゃあ、もう確認は終わりね。座って」
二奈に背中を押され、紀田もようやく席についた。
テーブルには、三鶴の好きなものがいくつも並んでいた。
昔、店でよく頼んでいたもの。家で二奈が作ると、つい食べすぎてしまったもの。
「二奈、これ全部、覚えてたの?」
「忘れるわけないでしょ」
何でもないように言って、二奈は厨房へ戻っていった。
三鶴がその背中を見送っていると、隣からPDAが差し出された。
『お前に気づかれないように準備するの、大変だったぞ』
「セルティも手伝ってくれたんだ」
『もちろん。危うく新羅が喋るところだったけどな』
「いや、僕は三鶴の予定を確認しようとしただけだよ」
『どうして、当日の夜に誰と会うかまで聞いたんだ』
「念には念を、というやつで――」
「ああ、昨日の電話。それでだったんだ」
三鶴が頷くと、新羅は困ったように笑った。
「……驚いてもらえたなら、成功ということにしようか」
「とってもね」
△▽
「じゃあ、そろそろ始めるか」
門田の声に、二奈もエプロンを外して席へ来た。
「よし、乾杯の音頭は任せてくれ」
新羅が立ち上がった。
手には飲み物の入ったグラスがある。
全員の準備ができたのを確かめ、三鶴へ笑いかけた。
「三年ぶりに戻ってきた友人を、こうして迎えられるのは喜ばしいことだね。三鶴がいない間にも、池袋には色々な変化があったわけだけど――」
「…あー、長くなるやつ?」
三鶴が聞くと、静雄がグラスを持ったまま頷いた。
「なるな」
「まだ何も言ってないじゃないか。これは昨日の夜から何度も練習して…」
『新羅、乾杯が先だ』
「セルティまで……」
新羅は少し肩を落としたが、すぐ笑顔へ戻った。
「じゃあ、細かい話はあとで。三鶴、おかえり」
皆がグラスを持ち上げる。
三鶴も慌てて自分のコップを取った。
「三鶴の帰還を祝して」
「おかえり、三鶴ちゃん!」
「「「乾杯!」」」
あちこちでグラスが触れ合った。
隣の二奈と合わせ、その向こうの狩沢へ手を伸ばす。セルティとも軽くグラスを合わせたあと、近くにいた門田とも目が合う。
紀田が遠くから腕を伸ばしてくるので、三鶴は笑いながら少し身を乗り出した。
「こぼすよ、紀田君」
「ここは届かせたいところでしょう!」
「回ってくればいいじゃねえか」
門田に言われ、紀田は素直に立ち上がった。
一回りして、最後に静雄がグラスを差し出す。
三鶴は彼を見上げた。
「来てくれてありがとう」
「礼言われるほどのことじゃねえよ」
軽く音を立てて、グラスが触れる。
「……ちゃんと食えよ。お前、ちょっと痩せたろ」
「そうかな?」
「前より」
三年も前の自分と比べているのだと分かって、三鶴は少し驚いた。
「静雄、よく覚えてるね」
「昔からお前の事はすぐ分かる」
それだけ言って、彼は自分の席へ戻った。
三鶴は手元のコップへ目を落とす。
口元が緩むのを、飲むふりで少しだけ隠した。
△▽
会が始まると、話はなかなか一つにまとまらなかった。
狩沢が最近の出来事を話している横で、遊馬崎が別の説明を始める。
渡草が訂正を入れ、門田が順番に話せと言う。
隣の席へ、正臣が椅子を寄せてくる。
「三鶴さん。今度、帝人に昔の俺の格好いい話、してくださいよ」
「え、どれ?」
「幾つかある感じでお願いします」
「注文が多いなあ」
「三鶴さん、正臣って昔からこんな感じだったんですか?」
帝人に聞かれ、三鶴は頷いた。
「うん。口がよく回るところは、会った時から」
「ちょっと、格好いい話!」
三鶴が笑うと、帝人もつられて笑った。
ーー知らない顔が、一人、知っている顔になる。
離れていた時間に増えたものを、少しずつ見せてもらっている気がした。
「そうだ、博多はどうでした?」
「うん。いいところだったよ」
「向こうで誰か、いい人とかできなかったんですか?」
狩沢がぴたりと話を止めた。
「え、何それ。聞きたい」
「いないよ」
「即答だねえ」
「ほんとにいないから」
確かに、"いい人"と言えば何人か頭に思い浮かぶ。いつも赤ジャージで気だるげな同い年の殺し屋や、金髪マッシュルームヘアのハッカーに、博多弁が特徴的な気のいい探偵……(どことなく声が静雄に似ていたような気もするが)
どれもこれも紀田がいうようないい人ではない。
「じゃあ俺にもまだ――」
「紀田君、帝人君が何か言いたそうだよ」
紀田が隣を向く。
帝人は呆れた顔で、空になった彼の取り皿を指さした。
「それ、使ってないなら下げるけど」
「相棒の恋路への反応が薄い!」
三鶴が声を出して笑った。
博多もそれなりに楽しい日々だったが、やはり池袋の方が安心できる
△▽
途中で狩沢が、昔の写真を取り出した。
「見て、これ!」
「何それ。いつの?」
「三鶴ちゃんがまだいた頃。ほら、こっち向いてないのがシズちゃんで、三鶴ちゃんはここ」
差し出された写真を覗き込む。
今より短い髪。
伊達眼鏡をかけていない自分が、何かに大笑いしていた。
「そういえばなんで伊達メガネするようになったの?なくても可愛いのに」
「イメチェンと、身バレ防止的な?」
ふぅん、と狩沢が写真と交互に見る。
「……てか、こんなの撮ってたんだ」
「渡草がね」
「俺、撮る側だからほとんど写ってねえんだよな」
渡草の言葉に、三鶴は写真から顔を上げた。
「じゃあ、今日は写ろうよ」
「お、いいね!」
狩沢がすぐに立ち上がる。
「カメラあるよ!全員で撮ろう! ほら、みんなこっち!」
椅子が引かれ、人が動く。
カウンターの前へ並ぶだけで、随分時間がかかった。
サイモンの隣へ遊馬崎が立ち、正臣が帝人を引っ張る。
新羅はセルティの傍を離れず、狩沢が位置を調整していた。
三鶴は端へ立とうとして、二奈に腕を引かれる。
「お姉ちゃんは真ん中」
「でも、背が――」
「真ん中」
押し切られて、中央へ収まる。
二奈が片側に並んだ。
もう片方にはセルティが来て、少し後ろに静雄が立つ。
「静雄、ちゃんと入ってる?」
「入ってんだろ」
「頭、切れそう」
「じゃあ、お前がもうちょっと寄れ」
軽く肩を押され、三鶴は二奈の方へ身を寄せた。
二奈がその腕を掴む。
撮影の準備を終えた渡草が走って戻ってきた。
「十秒!」
「間に合うっすか、それ」
「いいから詰めろ!」
「やばーい!」
慌てた声が重なって、三鶴は笑ってしまった。
その時、二奈が小さく言った。
「おかえり、お姉ちゃん」
三鶴は隣を見た。
ここへ戻ることに、不安がなかったわけではない。
昔と同じように話せるのかも、自分の座る場所があるのかも、確かめるのが怖かった。
けれど今は、少し狭い。
肩が触れて、腕を掴まれて、後ろからも人の気配がする。
「うん」
三鶴は前を向いた。
「ただいま」
シャッターが切られた。
△▽
写真を確かめた狩沢が、満足そうに頷いた。
「いいじゃん。三鶴ちゃん、すごく笑ってる」
「私にも見せて」
カメラを受け取り、画面へ目を落とす。
皆が写っていた。
少しぶれている人も、目線が違う人もいる。
だけど、真ん中の自分は、確かに笑っていた。
その顔を見ているうちに、急に視界が滲んだ。
「……三鶴ちゃん?」
「ごめん」
三鶴は慌てて瞬きをした。
「何か、思ってたより……嬉しくて」
言い終える前に、二奈が腕へ抱きついた。
狩沢が反対側から肩を抱く。
セルティも傍へ来て、三鶴の背中へ手を置いた。
「ちょっと、みんな……」
「今日はいいの」
二奈が言った。
「お姉ちゃん、おかえりって言われるの、全部受け取って」
三鶴はカメラを胸元へ寄せた。
何度も言われて、そのたびに返してきた言葉が、今になってようやく身体に馴染んだ気がした。
門田が少し離れたところから、穏やかに声をかける。
「また顔見せろよ。何かあった時だけじゃなくてな」
「……うん」
「連絡もな」
静雄が付け加える。
三鶴は泣きながら笑った。
「分かった。今度は、ちゃんとする」
正臣が、すぐに手を上げた。
「じゃあ、まず俺に! さっきから順番待ってるんですけど!」
「はいはい。今、教えるよ」
三鶴は袖で目元を押さえ、携帯を開いた。
帰ってきてから新しくした連絡先に、一人ずつ名前が増えていく。
途中で二奈が隣から覗き込み、登録された自分の名前を見つけて笑った。
その肩へ寄りかかったまま、三鶴も笑った。
△▽
「ボス、表にこれが」
笹木が店へ入ってきたのは、皆の話がひとしきり盛り上がった頃だった。
手には、小さな紙袋がある。
「店の前に置いてあったんですが……姉御宛てみたいです」
「私?」
三鶴が振り返る。
持ち手に結ばれたカードには、確かに自分の名前が書かれていた。
受け取ろうとして、その筆跡に手が止まる。
「……やっぱり、いらないかも」
「まだ中見てないじゃん!」
狩沢が隣から身を寄せた。
三鶴は嫌そうな顔をしながら、カードを開く。
『おかえり、三鶴ちゃん。
俺の知らないところで楽しそうなことしてるね。
引っ越し祝い兼、帰還祝い。大事に使ってよ。
折原臨也』
「何で知ってるの……」
その名前を見て、静雄が顔を上げた。
「臨也?」
「いないよ。本人はいないからね?」
三鶴がすぐに言い添える。
静雄は入口へ向けかけた身体を戻したが、眉間の皺はそのままだった。
「あいつ昔から三鶴にしつこいのはなんでだ?」
門田が少し離れたところからつぶやくように言った。
「何送ってきやがった」
「まだ見てない」
紙袋をテーブルへ置く。
中から出てきたのは、綺麗に包装された箱だった。
「開けてみようよ」
「狩沢ちゃんが開ける?」
「三鶴ちゃん宛てでしょ!」
包装を解くと、茶色のショルダーバッグが出てきた。
金具は小さく、飾りもほとんどない。
普段の服に合わせやすそうで、三鶴は一瞬、何も言えなかった。
「え、可愛いじゃん!」
狩沢が身を寄せる。
「三鶴ちゃん、こういうの好きでしょ?」
「……うん」
認めてから、しまったと思った。
二奈が、椅子にかかった姉の鞄へ目を向ける。
「今の、肩紐のところ擦れてるもんね」
「まだ使えるよ」
「でも、新しいの探してたでしょ」
「……二奈、どこかで言った?」
「言ってないよ。あの人と話してないし」
だったら、見ていたのだ。
三鶴の腕に鳥肌が立った。
「きも!!」
思わず声に出た。静雄が「あいつ殺しに行くか」と戦闘態勢にはいるので、それは慌てて止めたが。
三鶴はバッグのファスナーを開けた。
内ポケットがある。
携帯と財布を入れても、まだ少し余裕がありそうだった。
「使いやすそうだね」
二奈に言われ、三鶴は手を止める。
「……そうなんだよね」
「好みもわかってて、使いやすいのを選んでくるあたりガチだね。使う?」
「今、考えてる」
狩沢が頬杖をついた。
「返品するなら、箱に戻した方がいいよ。三鶴ちゃん、さっきから肩にかける長さに直してるけど」
三鶴は、ベルトの金具を持ったまま固まった。
「ものに罪は無いので!!」