三羽の鶴は二度、羽ばたかない。   作:小池蒼司

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2.池袋最強とは1

 

 

ーーチャットルーム

 

甘楽《聞きましたー? 今夜、とうとう来良学園の生徒が斬り裂き魔にやられたって!》

 

太郎【え? マジですか?】

セットン[物騒ですねえ]

 

甘楽《マジマジの大マジンですよー! 一年生の女子生徒だって!》

みっつん〈え、学生まで?〉

 

太郎【すいません。ちょっと電話するんでROMります】

 

内緒モード 甘楽《安心しなよ。君の彼女じゃないらしい》

内緒モード 太郎【あ……どうも。でも、一応心配なんで】

 

みっつん〈身内にそういうことやりそうな人いるから、違うといいなーって思っちゃう〉

 

甘楽《ええっ!? みっつんさん、さらっとすごいこと言ってません!?》

 

みっつん〈いや、さすがに日本刀持って通り魔はしないと思うけど〉

 

甘楽《日本刀じゃなければするんですか?》

 

みっつん〈そこ掘り下げないでw〉

甘楽《気になりますよー! 身内って、ご兄弟とか?》

みっつん〈ノーコメントで〉

甘楽《否定しないんですねぇ》

みっつん〈甘楽さん、こういう時ほんと食いつくね〉

 

甘楽《だって心配ですもん! みっつんさんまで襲われちゃったら大変じゃないですか!》

みっつん〈ほんと、そういうのもう勘弁してほしい〉

 

セットン[んー、どの辺か解りますか?]

 

甘楽《えっと、南池袋の、都電の雑司ヶ谷駅から少し離れたとこですけど》

甘楽《あの辺りにいけば、まだパトカーとか集まってるからすぐわかると思いますよ》

 

セットン[そうですか……。あ、すいません。ちょっと落ちますね]

甘楽《やっだー! セットンさん、野次馬ですかー?》

セットン[いや、そんなんじゃないですよ]

 

みっつん〈気をつけてね。犯人まだ近くにいるかもしれないし〉

セットン[ありがとうございます]

セットン[とりあえず、またー]

 

――セットンさんが退室されました――

 

甘楽《あー。もう!》

みっつん〈私もちょっと身内に連絡してみる〉

甘楽《犯人かどうか聞くんですか?》

 

みっつん〈無事かどうか!〉

 

甘楽《ああ、そっちでしたか☆》

みっつん〈そっちです。じゃ、また〉

甘楽《連絡つくといいですねー!》

 

――みっつんさんが退室されました――

 

太郎【すいません、私もちょっと落ちます】

甘楽《えー、電話、つながったんですか?》

 

太郎【それが、今警察だとかなんとか……現場を目撃しちゃったみたいなんで……】

太郎【ちょっと行ってきます】

甘楽《ホントですか!?》

 

――田中太郎さんが退室されました――

 

甘楽《それなら、今日会うのは無理なんじゃ》

甘楽《あ、行っちゃったか》

 

甘楽《じゃあ、私も落ちちゃおっかなー》

 

――罪歌さんが入室されました――

 

罪歌〔かた〕

甘楽《おや?》

 

罪歌〔今日〕

罪歌〔斬た〕

 

甘楽《あーッ、昨日も来てた荒らしの人ですねー! ダメですよ! プンプン!》

 

罪歌〔斬るた〕

罪歌〔斬るッた〕

罪歌〔斬った〕

 

甘楽《もう、そもそもどうやってここのアドレス探したんですか?》

 

罪歌〔違た〕

罪歌〔違〕

罪歌〔弱い、違う、支配、できない〕

罪歌〔愛、足りない、愛〕

 

甘楽《なんか、他の池袋関係の掲示板も荒らしてるでしょ、あなた》

 

罪歌〔愛、したい、人間〕

罪歌〔斬った、だけど、違った、足りない〕

 

甘楽《えいッ》

 

甘楽《……強制アク禁しちゃいました。テヘッ☆》

甘楽《これで安心ですね。それじゃー》

 

――甘楽さんが退室されました――

 

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

 

――罪歌さんが入室されました――

 

〔もっと〕

〔もっと、強い〕

〔強い、愛、望む〕

〔望む、は、欲しい〕

〔もっと、強い、愛が、欲しい〕

 

〔愛、したい〕

〔愛した、い〕

〔愛したい、強い、人〕

〔人間、強い、誰、聞く〕

〔聞きたい、誰、強い〕

〔池袋〕

〔望み、私、母、母〕

母母母母母………母母

 

――罪歌さんが退室されました――

 

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

――現在、チャットルームには誰もいません――

 

・

・

・

・

 

△▽

 

 

私はただ、知りたかっただけなのだ。

 

 眉唾ものの噂話ばかりを扱う三流雑誌の記者として――と言うより、今回は純粋な好奇心からだった。

 

 池袋で、最も強い人間は誰なのか。

 

 三十を過ぎた私に、まだそんな少年じみた問いに胸を躍らせる余地があったとは、自分でも意外だった。

 

 春先の首無しライダーの騒動には、ここまで興味を惹かれなかった。ああいうものは、オカルトや暴走族を専門に扱う連中の領分だ。

 私の雑誌でも記事にはするが、その手の話に詳しい記者には敵わない。

 

 私はただ、この街で起きた事件を、読者が楽しめるように書けばいい。

 

 しかし、今回の池袋特集について、編集長が持ち出したテーマは、妙に私の心を掴んだ。

 

『最強』

 

 単純な言葉だ。

 けれど、誰を思い浮かべるかは人によって違う。

 

 腕力なのか。喧嘩の巧さなのか。

 人数を動かせることなのか。それとも、誰にも逆らわせないことなのか。

 

 池袋の住民に尋ねると、実に様々な答えが返ってきた。

 

「あれだよあれ! あの黒いバイクに乗った奴……!」

「さあ……その辺のヤーさんなんじゃないっすか」

「やっぱサイモンだろ」

「んー……素人は知らんだろうけどさ。今は新宿に行っちまってるけど、折原臨也ってぇ奴がいてな……」

「ダメダメ、今の最強はダラーズを創った奴さ」

「今、黄色いバンダナしてる奴ら、よく見かけるっしょ?」

「やっぱ官憲だよ、警官だね警官。そこの交番にいる葛原って警官はスゲーよ。もう一族全部警官でさ、子供の三人兄弟も、全員将来は警官になるって言ってる筋金入りさ」

 

 確かな根拠があるのか怪しい答えも多かったが、誰もが、それなりの確信を持って名前を挙げる。

 分からない、と首を傾げる者は少なかった。

 

 そして、何度か耳にしたのが、金髪にバーテン服という、妙に目立つ男の話だった。

 

「自販機投げる奴だよ。あいつに決まってんだろ」

「平和島静雄。名前は平和そうだけどな」

 

 その名前を書き留めていると、隣にいた男が、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そういや、あいつの横にいる女も、結構すごいんじゃねえの」

 

 私は顔を上げた。

 

「女?」

「最近戻ってきた子。三鶴って呼ばれてたな」

「ああ、あの子か」

 

 もう一人も頷いた。

 

「静雄に普通に文句言ってたぞ。この前も、店で邪魔だから詰めろって」

「言われた方も、黙って椅子ずらしてたしな」

 

 二人が笑う。

 私は手帳へ、その名前を書き加えた。

 

「その人も、喧嘩が強いんですか?」

「いや、やってるところは見たことねえ」

「でも、あいつが怒ってても逃げないんだぜ? 俺なら絶対近づかねえよ」

 

 喧嘩の強さとは、少し違う話らしい。

 それでも、先ほどまで男の腕力を熱心に語っていた二人が、その女の話になると、どこか面白がるような顔をするのが気になった。

 

「友達なんじゃないですか?」

「そうなんだろうけどさ。友達なら誰でもできるか、あんなこと」

 

 もっともな疑問だった。

 

 ただ、その女が強いから男も逆らわないのか、単に親しい間柄だからなのか。今の話だけでは、何も判断できない。

 

「どこへ行けば会えますか?」

「古今東西ってラーメン屋。最近、そこで働いてるの見たよ」

 

 私は店の名前も書き留めた。

 

 直接会えば、何か分かるかもしれない。

 少なくとも、平和島静雄について話を聞く相手としては、悪くないだろう。

 

 街の人々が挙げる『最強』は、同じ意味ではなかった。

 一人で何人も倒せる男もいれば、姿さえ見えない組織のリーダーもいる。警察を挙げる者も、情報屋を挙げる者もいた。

 

 その中に、恐ろしい男の隣で平然としているだけの女まで加わった。

 

 では、名前を挙げられた本人たちは、どう思っているのだろう。

 

 私はその疑問を確かめるため、彼らへの接触を試みることにした。

 

△▽

 

 目出井組系 粟楠会幹部

 四木氏の談話

 

「喧嘩の話ですか……うーん。今はもう、そういう時代じゃないってのは解りますよね? そりゃ勿論、なめられたら終わりですから、いざ殺りあうとなったら勝つまでやりますよ。たとえ素人さんでも、向こうから売ってきた喧嘩なら、人数を集めようが、刃物を出そうが、拳銃を持ち出そうが、家族に手を出そうが……絶対に相手を潰しますよ。まあ、そうなる事は滅多に無いですけどね。こっちだって後味悪いですから」

 

「……誰が一番強いか?……さっきも言いましたけど、我々の商売ってのは、もう誰が喧嘩強いだのどうこうじゃないんですよ。……え? 素人さんも含めて、ですか」

 

「……」

 

「……うーん」

 

「ここから先は、記事にしないで下さいよ」

 

「いえね、そりゃ建前上は堅気に手ぇ出したりはしませんよ。ですが、さっきも言いましたけど、向こうから喧嘩を売ってきた場合は別です。……ただ、ねえ。いるんですよ。なるべく揉めたくない素人さんってのも」

 

「そりゃ、数を集めて得物を持てばなんとでもなりますけどね。単なる喧嘩なら……いや、一対一ならマシンガン持っても勝てるかどうかって奴はいますよ」

 

「え? サイモン? ああ、あの寿司屋ね。あいつは気のいい奴ですから揉めるって事はまずありません。まあ、喧嘩になったらそりゃ強いでしょうよ。なんせバイクをバーベルみたいに持ち上げられるなんて噂もありますから。ただ、負ける気もありませんけどね」

 

「でも、遠くは無いなあ。そのサイモンとつるんでる奴なんですけどね……」

 

「――平和島静雄」

 

「こいつには手を出すなって、若いもんには言ってます」

 

「まあ、少しでも静雄の喧嘩を見た事があるなら、解るんですけどね……かっこいい喧嘩するんですよね。……綺麗な喧嘩ってわけじゃあないんですがね。荒々しいっていうか……ゴジラ……そう、ゴジラ見て子供がかっこいいって思う感覚。あれですかね。もう、とにかく無茶な野郎でねえ」

 

「カッコいい奴には、なかなか喧嘩って売れないもんですよ。ちょっと離れたところで見てた方が楽しいっていうかね。向こうはこっちの商売の邪魔するわけじゃなし」

 

「私もね、少し憧れてはいるんですよ。あんなに好き勝手に暴れられりゃあなあ……って」

 

 四木氏はそこで、僅かに口元を緩めた。

 

 私は手帳へ視線を落とす。

 平和島静雄。その下には、街で聞いた女の名前が書かれていた。

 

「その平和島さんと親しい、三鶴という女性の話も聞いたのですが」

 

 四木氏は私の手元から顔へ、ゆっくりと視線を移した。

 

「……どういう話です?」

「平和島さんが怒っていても、平気でそばにいるとか。普通に叱ったりもするそうですね」

 

「それで、彼女も強いんじゃないかと?」

「そう言う人もいました」

 

 四木氏は少し考えるように黙った。

 

「長い付き合いなら、そういう事もあるでしょう。静雄だって、誰にでも見境なく喧嘩を売るわけではありませんから」

 

「では、その女性についてはご存じない?」

「名前は聞いた事がありますよ」

 

 答えはそれだけだった。

 

「今はラーメン屋を手伝っているそうですが」

「でしたら、そちらでお聞きになればいい」

 

 穏やかな口調だった。

 私は頷いたものの、もう一つだけ尋ねた。

 

「彼女も、揉めたくない相手なんでしょうか」

 

 四木氏は私を見た。

 

「店で働いている女性に、何をして揉めるつもりです?」

 

「いえ、そういう意味では……」

 

「失礼。ですが、親しい相手の評判だけで、その方まで同じように扱うのはどうでしょうね」

 

 私は返事に詰まった。

 

 確かに、彼女が何かを壊した話も、人を殴った話も聞いていない。

 私の手帳にあるのは、恐れられている男に気安く接している、というだけの話だった。

 

「……おっしゃる通りです」

 

 そう答えると、四木氏は小さく頷いた。

 

「まあ、今の話は胸にしまっといて下さい」

 

「……」

 

「ねえ、ブンヤの旦那。あなたの娘さん、今確か、高校に通ってましたよね。ええと……来良学園でしたっけ?」

 

 私はペンを止めた。

 

「こっちも、連絡もらったときから、そちらさんの事は色々調べさせてもらったんですわ」

 

「そう怖い顔しなさんなって。こっちにもこっちの情報網ってのがあるんです」

 

「安心して下さいよ。素人さんを脅す程、腐っちゃいませんや」

 

「ただし――そっちが我々に喧嘩を売らなけりゃ、の話ですがね」

 

「記事にしないって話……よろしくお願いしますよ」

 

 私は頷いた。

 手帳を閉じる時、三鶴という名前が目に入った。

 

 街で聞いた時には、少し変わった友人関係の話だと思っていた。

 今も、それ以上の事実を得たわけではない。

 

 ただ、四木氏がその名前を聞いてから、私に尋ねた言葉が気になった。

 

 ――どういう話です?

 

 彼は、私が何を聞いてきたのかを確かめていた。

 

 私は閉じた手帳を鞄へしまった。

 ラーメン屋を訪ねる時には、まず客として行こうと思った。

 

△▽

 

結局、録音した話の大半は使えなくなってしまった。

 

 前半部分は記事にしてもいいという事だったが、平和島静雄についての詳しい話は、他の相手から聞き直す必要がある。

 三鶴という女性についても、分かったのは、四木氏がその名前を知っているという事だけだった。

 

 もっとも、街の人間から同じ名前が出るのなら、話は別だ。

 

 そこで私は、静雄と親しいという『サイモン』に接触する事にした。

 

「ハイ、オジサン。スシ、イイヨー」

「あ、いや、個人的にお話を伺いたいと……」

「社長サン、一名、ゴアンナーイ」

 

 断ろうとしたのだが、強引な勧誘に負け、いつの間にか寿司屋のカウンターへ座らされていた。

 

 ロシアの宮殿を思わせる内装に、和風の寿司カウンターが取り付けられている。座敷には大理石と畳が同居し、天井からは『安心料金! オール時価!』という垂れ幕が下がっていた。

 

 安心していいのかどうか、私には判断がつかなかった。

 

 ただでさえ経費の少ない取材である。自腹を切る覚悟をしながら話を聞くと、店主とサイモン氏はロシアの同郷だという。

 その詳しい事情は、今回の取材には関係がないので、別の機会に聞く事にした。

 

 寿司をいくつか摘んだあと、客引きから戻ったサイモン氏に、平和島静雄について尋ねた。

 

「オー。シズオ。私ノマブダチヨー」

 

 どうやら、知り合いなのは間違いない。

 私は手帳を開いた。

 

「よく、こちらにいらっしゃるんですか?」

「来ルヨー。スシ食ベル。酒モ飲ム」

「三鶴という女性も、一緒に?」

 

 サイモン氏は、私の顔を見た。

 

「ミツル? オー、帰ッテキタ。妹ト来タヨー」

「妹さんと?」

「二奈。ラーメン屋。オジサン、寿司ノ次、ラーメン食ベル?」

「あ、いえ。今日はもう……」

 

 これ以上、食事代を増やすわけにはいかなかった。

 

「その三鶴さんは、静雄さんが怒っていても怖がらないと聞いたのですが」

「友達ダカラネー」

「友達なら、平気なものですか?」

「シズオ、友達ニ会ウ。嬉シイ。ミツルモ嬉シイ。仲良ク、イイヨー」

 

 それは、ひどく簡単な説明だった。

 

 街で聞いた話だけなら、誰も近づけない男を手懐ける女のように思えた。

 だが、サイモン氏の口から聞けば、久しぶりに再会した友人同士というだけの話になる。

 

「では、彼女が喧嘩をするところは?」

「オー、喧嘩、ヨクナイヨー。セナカとオナカ、癒着シテオショクジケンコー。オショクジ、寿司ネ、タベル、イイヨー」

 

 そう言いながら、サイモン氏は板前にウニとイクラを頼み始めた。

 

 冗談ではない。

 私は慌てて財布の中身を確かめた。

 

「お客さん……サイモンは平和主義者だから、喧嘩の話なんか駄目だよ」

 

 事情を察した店主が、流暢な日本語で声をかけてきた。

 

「い、いや。私はただ、この辺で一番喧嘩が強い人を知りたいだけで……」

「平和島の大将の事か? さっきあんた、自分で話してたじゃないか」

「えッ」

 

 唐突に話が繋がった。

 困惑する私に、店主は続ける。

 

「サイモンに平和島の事を聞いたってなにも出てこないよ。いい奴としか言わない。本当に平和島の事を詳しく知りたいなら――」

 

「三鶴さんですか?」

 

 思わず、先に名前が出た。

 

 店主は少し眉を上げ、それから笑った。

 

「あの子にも聞けるだろうね。昔からの友達らしいから」

「やはり、普通の友人なんですか?」

「普通じゃない友人って、どんなのだい?」

 

 私は返答に詰まった。

 

「いえ、静雄さんに平気で文句を言うというので」

「文句くらい言うさ。酒飲んで騒いでりゃ、こっちだって言うよ」

 

 店主の笑いにつられて、サイモン氏も頷く。

 

「ミツルモ飲ム。二奈、怒ル。シズオモ飲ム。皆、寿司食ベル。仲良シヨー」

 

 彼の中では、どうやら全員が同じ話に収まるらしい。

 

 私は手帳を見下ろした。

 腕力の話を聞きに来たはずなのに、増えていくのは、誰が誰と親しいかという情報ばかりだった。

 

「三鶴さん本人に、お話を聞いてみたいのですが」

「なら、妹の店を訪ねてみればいい。ただ、忙しい時は邪魔しないようにな」

 

 私は頷き、店の名前を確かめた。

 

 古今東西。

 街で聞いたものと同じだった。

 

 その名前を囲んだところで、サイモン氏がカウンターへ身を乗り出した。

 

「オジサン、ミツルニ喧嘩サセナイヨ」

「……させませんよ。話を聞くだけです」

 

 サイモン氏は満足そうに頷いた。

 

「オー。ソレ、イイヨー」

 

 そして私の前に、新しい皿が置かれた。

 

 取材が進んでいるのかどうかは分からない。

 だが、勘定だけは確実に増えていた。

 

△▽

 

私は手帳を閉じかけ、もう一度、店主へ顔を向けた。

 

「ほかに、平和島さんの事をよく知っている方はいませんか?」

 

 店主は少し考えてから、ある男の名前を挙げた。

 

 折原臨也。

 

 街で話を聞いた時にも、何人かが口にしていた名前だった。

 私は店主に教えられた連絡先へ電話をかけ、後日、新宿にある事務所を訪ねる事になった。

 

 

△▽

 

「誰から、俺の話を聞きました?」

 

 手で将棋の駒を弄びながら、その男は淡々と尋ねた。

 

「住所まで知ってる人間は、よほどのお得意さんという事になるんですがねぇ……」

 

 想像していたより、遥かに若い男だった。

 

 高級マンションの一室を事務所にしている事も、様々な裏情報を扱うという仕事も、外見には似つかわしくない。

 テーブルには将棋盤が置かれていたが、何故か王将が三つも存在していた。

 

「まあ、情報元は秘密ですから……」

 

 寿司屋の事を伏せると、折原氏は真意の読めない笑顔を浮かべ、ソファーに腰を下ろした。

 

「情報屋に対して『情報元は秘密』ときましたか……ま、いいですけどね」

 

 私は今回の取材の経緯を説明した。

 すると、彼は私の雑誌について、既に知っているようだった。

 

「東京災時記、ですよね。東京で起こった妙な事件とか、チーマーとかを紹介して回る……。そういえば、次号は雑誌をあげて池袋特集とか書いてありましたね」

「ええ、それが解っているなら、お話は早いかと思いますがね」

 

 少し安心した。

 だが、その安心は長く続かなかった。

 

「高校生のお子さんはお元気ですか?」

「なッ……」

「粟楠会の四木さん、優しい人だったでしょう?」

「……」

 

 そこで私は、全てを理解した。

 

 四木氏の言っていた情報網。

 その中に、目の前の男がいたのだ。

 

 自分の情報を売った相手に、そうとも知らず取材を申し込んでいた。

 怒りと悔しさ、それに僅かな恐怖が入り混じり、私は返す言葉を失った。

 

 折原氏は、そんな私を気にする様子もなく、駒を指先で転がしている。

 

「ま……いいですけどね。池袋最強、ねえ。あの街で強い人はそれこそゴロゴロいますけど……そうですねえ、一人だけっていうなら……。素手の喧嘩ならサイモン。何でもありなら――シズちゃんだなぁ……やっぱり」

「シズ……ちゃん?」

「平和島静雄。今は何の仕事してるのかは知らないね。知りたくもないし」

 

 また、その名前だった。

 

 こちらが切り出す前から、誰もが同じ男の話をする。

 けれど、その人物像は、まだはっきりしない。

 

「あの……そのシズオさんっていうのは、どういう人なんですか?」

「話したくもないね。あいつの事なんて俺が知ってれば十分だ」

「いや、そこをなんとか」

「俺は奴が苦手だから奴の情報を知ろうとするけど。それだって十分不快なんだよ……」

 

 私は手帳へ目を落とした。

 静雄について聞けないなら、もう一人の名前を尋ねてみようと思った。

 

「では、三鶴という女性については?」

 

 駒を転がしていた指が止まった。

 

「……三鶴?」

 

 折原氏が、初めて私の手帳へ視線を向ける。

 

「彼女も最強候補なの?」

「街で名前を聞きまして。平和島さんと親しいそうですね」

 

 折原氏は短く笑った。

 

「それで? 何を聞いたの?」

「彼が怒っていても怖がらないとか、普通に文句を言うとか……」

「ああ。そういう話」

 

 再び、駒が指の間で動き始めた。

 

「昔からだよ。あの二人、高校の同級生だから」

「あなたも、彼女をご存じなんですか?」

「もちろん。俺も同じ学校だったしね」

 

 静雄の話をしていた時とは、声の調子が違った。

 私は少し身を乗り出した。

 

「では、三鶴さんはどういう方なんでしょう」

「君は、どういう人だと思った?」

 

 質問が返ってきた。

 

「まだ会っていないので、何とも。ただ、普通の人ではないのかと」

「シズちゃんの友達だから?」

「それもありますが……」

 

 四木氏の反応を話すべきか迷った。

 その僅かな間を、折原氏は見逃さなかったようだった。

 

「四木さんにも聞いたんだ?」

「……ええ」

「彼、何て言ってた?」

「親しい相手の評判だけで、その人まで同じように扱うのはどうか、と」

 

 折原氏は笑みを浮かべた。

 

「親切だねえ」

 

 その言い方が気になった。

 

「何か、私の知らない事情があるんですか?」

「人間なら、誰だってあるだろう? 君だって、雑誌の記者というだけで全部説明できるわけじゃない」

 

 それ以上は答えないらしい。

 私は質問を変えた。

 

「彼女にも直接、お話を伺いたいと思っています」

「へえ。どこで?」

「古今東西という店を訪ねるつもりです」

 

 折原氏は私を見た。

 笑顔のままだったが、次の言葉が出るまで、少し間があった。

 

「もう約束はしたの?」

「いえ、まだです。店を手伝っていると聞いただけで」

「いつ行くつもり?」

「それも、まだ決めていませんが……」

 

 取材をしているのは私のはずなのに、いつの間にか、こちらが答えてばかりいる。

 

「三鶴についても、記事にするつもり?」

 

 折原氏の問いに、私は首を振った。

 

「話を聞いてから判断します。ただ、本人が断れば無理には」

「そう。それがいいね」

 

 彼は駒を盤上に戻した。

 三つある王将の一つが、指先で少し動かされる。

 

「彼女、帰ってきたばかりなんだ。まだ落ち着いてないだろうし」

 

「それなら、時期を改めた方が?」

「いや。会える時に会っておいた方がいいんじゃないかな」

 

 どちらを勧められているのか、よく分からなかった。

 

「君が行った時、誰と何を話していたか、あとで教えてよ」

「……それも情報になるんですか?」

「なるよ。俺にはね」

 

 折原氏は、当然のように答えた。

 

 その返事を聞いて、私は三鶴の名前の横に書き足しかけたペンを止めた。

 彼女への取材が、この男にとって何の役に立つのか。今の私には分からなかった。

 

 しばらく粘ってみたが、静雄についての話は、そこから進まなかった。

 

 やがて折原氏は、不意に笑みを浮かべた。

 

「解ったよ。俺も色々忙しいから、あいつと仲がいい奴を紹介してやる。……そんなに知りたいんだったら、あとはそいつに聞きな」

 

「三鶴さんですか?」

「彼女の事まで聞くなら、まず別の友達からにしたら?」

 

 彼は連絡先を書いた紙を、テーブル越しに差し出した。

 

 私はそれを受け取るしかなかった。

 

 新宿まで来て、静雄について分かった事はほとんどない。

 一方、三鶴については、会って話を聞くつもりだっただけなのに、その予定を折原氏へ伝えてしまった。

 

 紙を手帳に挟みながら、私は考えた。

 

 ラーメン屋で会えたとしても、彼女が誰と話していたかまで、この男に報告する必要はないだろう。

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