ーーチャットルーム
甘楽《聞きましたー? 今夜、とうとう来良学園の生徒が斬り裂き魔にやられたって!》
太郎【え? マジですか?】
セットン[物騒ですねえ]
甘楽《マジマジの大マジンですよー! 一年生の女子生徒だって!》
みっつん〈え、学生まで?〉
太郎【すいません。ちょっと電話するんでROMります】
内緒モード 甘楽《安心しなよ。君の彼女じゃないらしい》
内緒モード 太郎【あ……どうも。でも、一応心配なんで】
みっつん〈身内にそういうことやりそうな人いるから、違うといいなーって思っちゃう〉
甘楽《ええっ!? みっつんさん、さらっとすごいこと言ってません!?》
みっつん〈いや、さすがに日本刀持って通り魔はしないと思うけど〉
甘楽《日本刀じゃなければするんですか?》
みっつん〈そこ掘り下げないでw〉
甘楽《気になりますよー! 身内って、ご兄弟とか?》
みっつん〈ノーコメントで〉
甘楽《否定しないんですねぇ》
みっつん〈甘楽さん、こういう時ほんと食いつくね〉
甘楽《だって心配ですもん! みっつんさんまで襲われちゃったら大変じゃないですか!》
みっつん〈ほんと、そういうのもう勘弁してほしい〉
セットン[んー、どの辺か解りますか?]
甘楽《えっと、南池袋の、都電の雑司ヶ谷駅から少し離れたとこですけど》
甘楽《あの辺りにいけば、まだパトカーとか集まってるからすぐわかると思いますよ》
セットン[そうですか……。あ、すいません。ちょっと落ちますね]
甘楽《やっだー! セットンさん、野次馬ですかー?》
セットン[いや、そんなんじゃないですよ]
みっつん〈気をつけてね。犯人まだ近くにいるかもしれないし〉
セットン[ありがとうございます]
セットン[とりあえず、またー]
――セットンさんが退室されました――
甘楽《あー。もう!》
みっつん〈私もちょっと身内に連絡してみる〉
甘楽《犯人かどうか聞くんですか?》
みっつん〈無事かどうか!〉
甘楽《ああ、そっちでしたか☆》
みっつん〈そっちです。じゃ、また〉
甘楽《連絡つくといいですねー!》
――みっつんさんが退室されました――
太郎【すいません、私もちょっと落ちます】
甘楽《えー、電話、つながったんですか?》
太郎【それが、今警察だとかなんとか……現場を目撃しちゃったみたいなんで……】
太郎【ちょっと行ってきます】
甘楽《ホントですか!?》
――田中太郎さんが退室されました――
甘楽《それなら、今日会うのは無理なんじゃ》
甘楽《あ、行っちゃったか》
甘楽《じゃあ、私も落ちちゃおっかなー》
――罪歌さんが入室されました――
罪歌〔かた〕
甘楽《おや?》
罪歌〔今日〕
罪歌〔斬た〕
甘楽《あーッ、昨日も来てた荒らしの人ですねー! ダメですよ! プンプン!》
罪歌〔斬るた〕
罪歌〔斬るッた〕
罪歌〔斬った〕
甘楽《もう、そもそもどうやってここのアドレス探したんですか?》
罪歌〔違た〕
罪歌〔違〕
罪歌〔弱い、違う、支配、できない〕
罪歌〔愛、足りない、愛〕
甘楽《なんか、他の池袋関係の掲示板も荒らしてるでしょ、あなた》
罪歌〔愛、したい、人間〕
罪歌〔斬った、だけど、違った、足りない〕
甘楽《えいッ》
甘楽《……強制アク禁しちゃいました。テヘッ☆》
甘楽《これで安心ですね。それじゃー》
――甘楽さんが退室されました――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――罪歌さんが入室されました――
〔もっと〕
〔もっと、強い〕
〔強い、愛、望む〕
〔望む、は、欲しい〕
〔もっと、強い、愛が、欲しい〕
〔愛、したい〕
〔愛した、い〕
〔愛したい、強い、人〕
〔人間、強い、誰、聞く〕
〔聞きたい、誰、強い〕
〔池袋〕
〔望み、私、母、母〕
母母母母母………母母
――罪歌さんが退室されました――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
――現在、チャットルームには誰もいません――
・
・
・
・
△▽
私はただ、知りたかっただけなのだ。
眉唾ものの噂話ばかりを扱う三流雑誌の記者として――と言うより、今回は純粋な好奇心からだった。
池袋で、最も強い人間は誰なのか。
三十を過ぎた私に、まだそんな少年じみた問いに胸を躍らせる余地があったとは、自分でも意外だった。
春先の首無しライダーの騒動には、ここまで興味を惹かれなかった。ああいうものは、オカルトや暴走族を専門に扱う連中の領分だ。
私の雑誌でも記事にはするが、その手の話に詳しい記者には敵わない。
私はただ、この街で起きた事件を、読者が楽しめるように書けばいい。
しかし、今回の池袋特集について、編集長が持ち出したテーマは、妙に私の心を掴んだ。
『最強』
単純な言葉だ。
けれど、誰を思い浮かべるかは人によって違う。
腕力なのか。喧嘩の巧さなのか。
人数を動かせることなのか。それとも、誰にも逆らわせないことなのか。
池袋の住民に尋ねると、実に様々な答えが返ってきた。
「あれだよあれ! あの黒いバイクに乗った奴……!」
「さあ……その辺のヤーさんなんじゃないっすか」
「やっぱサイモンだろ」
「んー……素人は知らんだろうけどさ。今は新宿に行っちまってるけど、折原臨也ってぇ奴がいてな……」
「ダメダメ、今の最強はダラーズを創った奴さ」
「今、黄色いバンダナしてる奴ら、よく見かけるっしょ?」
「やっぱ官憲だよ、警官だね警官。そこの交番にいる葛原って警官はスゲーよ。もう一族全部警官でさ、子供の三人兄弟も、全員将来は警官になるって言ってる筋金入りさ」
確かな根拠があるのか怪しい答えも多かったが、誰もが、それなりの確信を持って名前を挙げる。
分からない、と首を傾げる者は少なかった。
そして、何度か耳にしたのが、金髪にバーテン服という、妙に目立つ男の話だった。
「自販機投げる奴だよ。あいつに決まってんだろ」
「平和島静雄。名前は平和そうだけどな」
その名前を書き留めていると、隣にいた男が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういや、あいつの横にいる女も、結構すごいんじゃねえの」
私は顔を上げた。
「女?」
「最近戻ってきた子。三鶴って呼ばれてたな」
「ああ、あの子か」
もう一人も頷いた。
「静雄に普通に文句言ってたぞ。この前も、店で邪魔だから詰めろって」
「言われた方も、黙って椅子ずらしてたしな」
二人が笑う。
私は手帳へ、その名前を書き加えた。
「その人も、喧嘩が強いんですか?」
「いや、やってるところは見たことねえ」
「でも、あいつが怒ってても逃げないんだぜ? 俺なら絶対近づかねえよ」
喧嘩の強さとは、少し違う話らしい。
それでも、先ほどまで男の腕力を熱心に語っていた二人が、その女の話になると、どこか面白がるような顔をするのが気になった。
「友達なんじゃないですか?」
「そうなんだろうけどさ。友達なら誰でもできるか、あんなこと」
もっともな疑問だった。
ただ、その女が強いから男も逆らわないのか、単に親しい間柄だからなのか。今の話だけでは、何も判断できない。
「どこへ行けば会えますか?」
「古今東西ってラーメン屋。最近、そこで働いてるの見たよ」
私は店の名前も書き留めた。
直接会えば、何か分かるかもしれない。
少なくとも、平和島静雄について話を聞く相手としては、悪くないだろう。
街の人々が挙げる『最強』は、同じ意味ではなかった。
一人で何人も倒せる男もいれば、姿さえ見えない組織のリーダーもいる。警察を挙げる者も、情報屋を挙げる者もいた。
その中に、恐ろしい男の隣で平然としているだけの女まで加わった。
では、名前を挙げられた本人たちは、どう思っているのだろう。
私はその疑問を確かめるため、彼らへの接触を試みることにした。
△▽
目出井組系 粟楠会幹部
四木氏の談話
「喧嘩の話ですか……うーん。今はもう、そういう時代じゃないってのは解りますよね? そりゃ勿論、なめられたら終わりですから、いざ殺りあうとなったら勝つまでやりますよ。たとえ素人さんでも、向こうから売ってきた喧嘩なら、人数を集めようが、刃物を出そうが、拳銃を持ち出そうが、家族に手を出そうが……絶対に相手を潰しますよ。まあ、そうなる事は滅多に無いですけどね。こっちだって後味悪いですから」
「……誰が一番強いか?……さっきも言いましたけど、我々の商売ってのは、もう誰が喧嘩強いだのどうこうじゃないんですよ。……え? 素人さんも含めて、ですか」
「……」
「……うーん」
「ここから先は、記事にしないで下さいよ」
「いえね、そりゃ建前上は堅気に手ぇ出したりはしませんよ。ですが、さっきも言いましたけど、向こうから喧嘩を売ってきた場合は別です。……ただ、ねえ。いるんですよ。なるべく揉めたくない素人さんってのも」
「そりゃ、数を集めて得物を持てばなんとでもなりますけどね。単なる喧嘩なら……いや、一対一ならマシンガン持っても勝てるかどうかって奴はいますよ」
「え? サイモン? ああ、あの寿司屋ね。あいつは気のいい奴ですから揉めるって事はまずありません。まあ、喧嘩になったらそりゃ強いでしょうよ。なんせバイクをバーベルみたいに持ち上げられるなんて噂もありますから。ただ、負ける気もありませんけどね」
「でも、遠くは無いなあ。そのサイモンとつるんでる奴なんですけどね……」
「――平和島静雄」
「こいつには手を出すなって、若いもんには言ってます」
「まあ、少しでも静雄の喧嘩を見た事があるなら、解るんですけどね……かっこいい喧嘩するんですよね。……綺麗な喧嘩ってわけじゃあないんですがね。荒々しいっていうか……ゴジラ……そう、ゴジラ見て子供がかっこいいって思う感覚。あれですかね。もう、とにかく無茶な野郎でねえ」
「カッコいい奴には、なかなか喧嘩って売れないもんですよ。ちょっと離れたところで見てた方が楽しいっていうかね。向こうはこっちの商売の邪魔するわけじゃなし」
「私もね、少し憧れてはいるんですよ。あんなに好き勝手に暴れられりゃあなあ……って」
四木氏はそこで、僅かに口元を緩めた。
私は手帳へ視線を落とす。
平和島静雄。その下には、街で聞いた女の名前が書かれていた。
「その平和島さんと親しい、三鶴という女性の話も聞いたのですが」
四木氏は私の手元から顔へ、ゆっくりと視線を移した。
「……どういう話です?」
「平和島さんが怒っていても、平気でそばにいるとか。普通に叱ったりもするそうですね」
「それで、彼女も強いんじゃないかと?」
「そう言う人もいました」
四木氏は少し考えるように黙った。
「長い付き合いなら、そういう事もあるでしょう。静雄だって、誰にでも見境なく喧嘩を売るわけではありませんから」
「では、その女性についてはご存じない?」
「名前は聞いた事がありますよ」
答えはそれだけだった。
「今はラーメン屋を手伝っているそうですが」
「でしたら、そちらでお聞きになればいい」
穏やかな口調だった。
私は頷いたものの、もう一つだけ尋ねた。
「彼女も、揉めたくない相手なんでしょうか」
四木氏は私を見た。
「店で働いている女性に、何をして揉めるつもりです?」
「いえ、そういう意味では……」
「失礼。ですが、親しい相手の評判だけで、その方まで同じように扱うのはどうでしょうね」
私は返事に詰まった。
確かに、彼女が何かを壊した話も、人を殴った話も聞いていない。
私の手帳にあるのは、恐れられている男に気安く接している、というだけの話だった。
「……おっしゃる通りです」
そう答えると、四木氏は小さく頷いた。
「まあ、今の話は胸にしまっといて下さい」
「……」
「ねえ、ブンヤの旦那。あなたの娘さん、今確か、高校に通ってましたよね。ええと……来良学園でしたっけ?」
私はペンを止めた。
「こっちも、連絡もらったときから、そちらさんの事は色々調べさせてもらったんですわ」
「そう怖い顔しなさんなって。こっちにもこっちの情報網ってのがあるんです」
「安心して下さいよ。素人さんを脅す程、腐っちゃいませんや」
「ただし――そっちが我々に喧嘩を売らなけりゃ、の話ですがね」
「記事にしないって話……よろしくお願いしますよ」
私は頷いた。
手帳を閉じる時、三鶴という名前が目に入った。
街で聞いた時には、少し変わった友人関係の話だと思っていた。
今も、それ以上の事実を得たわけではない。
ただ、四木氏がその名前を聞いてから、私に尋ねた言葉が気になった。
――どういう話です?
彼は、私が何を聞いてきたのかを確かめていた。
私は閉じた手帳を鞄へしまった。
ラーメン屋を訪ねる時には、まず客として行こうと思った。
△▽
結局、録音した話の大半は使えなくなってしまった。
前半部分は記事にしてもいいという事だったが、平和島静雄についての詳しい話は、他の相手から聞き直す必要がある。
三鶴という女性についても、分かったのは、四木氏がその名前を知っているという事だけだった。
もっとも、街の人間から同じ名前が出るのなら、話は別だ。
そこで私は、静雄と親しいという『サイモン』に接触する事にした。
「ハイ、オジサン。スシ、イイヨー」
「あ、いや、個人的にお話を伺いたいと……」
「社長サン、一名、ゴアンナーイ」
断ろうとしたのだが、強引な勧誘に負け、いつの間にか寿司屋のカウンターへ座らされていた。
ロシアの宮殿を思わせる内装に、和風の寿司カウンターが取り付けられている。座敷には大理石と畳が同居し、天井からは『安心料金! オール時価!』という垂れ幕が下がっていた。
安心していいのかどうか、私には判断がつかなかった。
ただでさえ経費の少ない取材である。自腹を切る覚悟をしながら話を聞くと、店主とサイモン氏はロシアの同郷だという。
その詳しい事情は、今回の取材には関係がないので、別の機会に聞く事にした。
寿司をいくつか摘んだあと、客引きから戻ったサイモン氏に、平和島静雄について尋ねた。
「オー。シズオ。私ノマブダチヨー」
どうやら、知り合いなのは間違いない。
私は手帳を開いた。
「よく、こちらにいらっしゃるんですか?」
「来ルヨー。スシ食ベル。酒モ飲ム」
「三鶴という女性も、一緒に?」
サイモン氏は、私の顔を見た。
「ミツル? オー、帰ッテキタ。妹ト来タヨー」
「妹さんと?」
「二奈。ラーメン屋。オジサン、寿司ノ次、ラーメン食ベル?」
「あ、いえ。今日はもう……」
これ以上、食事代を増やすわけにはいかなかった。
「その三鶴さんは、静雄さんが怒っていても怖がらないと聞いたのですが」
「友達ダカラネー」
「友達なら、平気なものですか?」
「シズオ、友達ニ会ウ。嬉シイ。ミツルモ嬉シイ。仲良ク、イイヨー」
それは、ひどく簡単な説明だった。
街で聞いた話だけなら、誰も近づけない男を手懐ける女のように思えた。
だが、サイモン氏の口から聞けば、久しぶりに再会した友人同士というだけの話になる。
「では、彼女が喧嘩をするところは?」
「オー、喧嘩、ヨクナイヨー。セナカとオナカ、癒着シテオショクジケンコー。オショクジ、寿司ネ、タベル、イイヨー」
そう言いながら、サイモン氏は板前にウニとイクラを頼み始めた。
冗談ではない。
私は慌てて財布の中身を確かめた。
「お客さん……サイモンは平和主義者だから、喧嘩の話なんか駄目だよ」
事情を察した店主が、流暢な日本語で声をかけてきた。
「い、いや。私はただ、この辺で一番喧嘩が強い人を知りたいだけで……」
「平和島の大将の事か? さっきあんた、自分で話してたじゃないか」
「えッ」
唐突に話が繋がった。
困惑する私に、店主は続ける。
「サイモンに平和島の事を聞いたってなにも出てこないよ。いい奴としか言わない。本当に平和島の事を詳しく知りたいなら――」
「三鶴さんですか?」
思わず、先に名前が出た。
店主は少し眉を上げ、それから笑った。
「あの子にも聞けるだろうね。昔からの友達らしいから」
「やはり、普通の友人なんですか?」
「普通じゃない友人って、どんなのだい?」
私は返答に詰まった。
「いえ、静雄さんに平気で文句を言うというので」
「文句くらい言うさ。酒飲んで騒いでりゃ、こっちだって言うよ」
店主の笑いにつられて、サイモン氏も頷く。
「ミツルモ飲ム。二奈、怒ル。シズオモ飲ム。皆、寿司食ベル。仲良シヨー」
彼の中では、どうやら全員が同じ話に収まるらしい。
私は手帳を見下ろした。
腕力の話を聞きに来たはずなのに、増えていくのは、誰が誰と親しいかという情報ばかりだった。
「三鶴さん本人に、お話を聞いてみたいのですが」
「なら、妹の店を訪ねてみればいい。ただ、忙しい時は邪魔しないようにな」
私は頷き、店の名前を確かめた。
古今東西。
街で聞いたものと同じだった。
その名前を囲んだところで、サイモン氏がカウンターへ身を乗り出した。
「オジサン、ミツルニ喧嘩サセナイヨ」
「……させませんよ。話を聞くだけです」
サイモン氏は満足そうに頷いた。
「オー。ソレ、イイヨー」
そして私の前に、新しい皿が置かれた。
取材が進んでいるのかどうかは分からない。
だが、勘定だけは確実に増えていた。
△▽
私は手帳を閉じかけ、もう一度、店主へ顔を向けた。
「ほかに、平和島さんの事をよく知っている方はいませんか?」
店主は少し考えてから、ある男の名前を挙げた。
折原臨也。
街で話を聞いた時にも、何人かが口にしていた名前だった。
私は店主に教えられた連絡先へ電話をかけ、後日、新宿にある事務所を訪ねる事になった。
△▽
「誰から、俺の話を聞きました?」
手で将棋の駒を弄びながら、その男は淡々と尋ねた。
「住所まで知ってる人間は、よほどのお得意さんという事になるんですがねぇ……」
想像していたより、遥かに若い男だった。
高級マンションの一室を事務所にしている事も、様々な裏情報を扱うという仕事も、外見には似つかわしくない。
テーブルには将棋盤が置かれていたが、何故か王将が三つも存在していた。
「まあ、情報元は秘密ですから……」
寿司屋の事を伏せると、折原氏は真意の読めない笑顔を浮かべ、ソファーに腰を下ろした。
「情報屋に対して『情報元は秘密』ときましたか……ま、いいですけどね」
私は今回の取材の経緯を説明した。
すると、彼は私の雑誌について、既に知っているようだった。
「東京災時記、ですよね。東京で起こった妙な事件とか、チーマーとかを紹介して回る……。そういえば、次号は雑誌をあげて池袋特集とか書いてありましたね」
「ええ、それが解っているなら、お話は早いかと思いますがね」
少し安心した。
だが、その安心は長く続かなかった。
「高校生のお子さんはお元気ですか?」
「なッ……」
「粟楠会の四木さん、優しい人だったでしょう?」
「……」
そこで私は、全てを理解した。
四木氏の言っていた情報網。
その中に、目の前の男がいたのだ。
自分の情報を売った相手に、そうとも知らず取材を申し込んでいた。
怒りと悔しさ、それに僅かな恐怖が入り混じり、私は返す言葉を失った。
折原氏は、そんな私を気にする様子もなく、駒を指先で転がしている。
「ま……いいですけどね。池袋最強、ねえ。あの街で強い人はそれこそゴロゴロいますけど……そうですねえ、一人だけっていうなら……。素手の喧嘩ならサイモン。何でもありなら――シズちゃんだなぁ……やっぱり」
「シズ……ちゃん?」
「平和島静雄。今は何の仕事してるのかは知らないね。知りたくもないし」
また、その名前だった。
こちらが切り出す前から、誰もが同じ男の話をする。
けれど、その人物像は、まだはっきりしない。
「あの……そのシズオさんっていうのは、どういう人なんですか?」
「話したくもないね。あいつの事なんて俺が知ってれば十分だ」
「いや、そこをなんとか」
「俺は奴が苦手だから奴の情報を知ろうとするけど。それだって十分不快なんだよ……」
私は手帳へ目を落とした。
静雄について聞けないなら、もう一人の名前を尋ねてみようと思った。
「では、三鶴という女性については?」
駒を転がしていた指が止まった。
「……三鶴?」
折原氏が、初めて私の手帳へ視線を向ける。
「彼女も最強候補なの?」
「街で名前を聞きまして。平和島さんと親しいそうですね」
折原氏は短く笑った。
「それで? 何を聞いたの?」
「彼が怒っていても怖がらないとか、普通に文句を言うとか……」
「ああ。そういう話」
再び、駒が指の間で動き始めた。
「昔からだよ。あの二人、高校の同級生だから」
「あなたも、彼女をご存じなんですか?」
「もちろん。俺も同じ学校だったしね」
静雄の話をしていた時とは、声の調子が違った。
私は少し身を乗り出した。
「では、三鶴さんはどういう方なんでしょう」
「君は、どういう人だと思った?」
質問が返ってきた。
「まだ会っていないので、何とも。ただ、普通の人ではないのかと」
「シズちゃんの友達だから?」
「それもありますが……」
四木氏の反応を話すべきか迷った。
その僅かな間を、折原氏は見逃さなかったようだった。
「四木さんにも聞いたんだ?」
「……ええ」
「彼、何て言ってた?」
「親しい相手の評判だけで、その人まで同じように扱うのはどうか、と」
折原氏は笑みを浮かべた。
「親切だねえ」
その言い方が気になった。
「何か、私の知らない事情があるんですか?」
「人間なら、誰だってあるだろう? 君だって、雑誌の記者というだけで全部説明できるわけじゃない」
それ以上は答えないらしい。
私は質問を変えた。
「彼女にも直接、お話を伺いたいと思っています」
「へえ。どこで?」
「古今東西という店を訪ねるつもりです」
折原氏は私を見た。
笑顔のままだったが、次の言葉が出るまで、少し間があった。
「もう約束はしたの?」
「いえ、まだです。店を手伝っていると聞いただけで」
「いつ行くつもり?」
「それも、まだ決めていませんが……」
取材をしているのは私のはずなのに、いつの間にか、こちらが答えてばかりいる。
「三鶴についても、記事にするつもり?」
折原氏の問いに、私は首を振った。
「話を聞いてから判断します。ただ、本人が断れば無理には」
「そう。それがいいね」
彼は駒を盤上に戻した。
三つある王将の一つが、指先で少し動かされる。
「彼女、帰ってきたばかりなんだ。まだ落ち着いてないだろうし」
「それなら、時期を改めた方が?」
「いや。会える時に会っておいた方がいいんじゃないかな」
どちらを勧められているのか、よく分からなかった。
「君が行った時、誰と何を話していたか、あとで教えてよ」
「……それも情報になるんですか?」
「なるよ。俺にはね」
折原氏は、当然のように答えた。
その返事を聞いて、私は三鶴の名前の横に書き足しかけたペンを止めた。
彼女への取材が、この男にとって何の役に立つのか。今の私には分からなかった。
しばらく粘ってみたが、静雄についての話は、そこから進まなかった。
やがて折原氏は、不意に笑みを浮かべた。
「解ったよ。俺も色々忙しいから、あいつと仲がいい奴を紹介してやる。……そんなに知りたいんだったら、あとはそいつに聞きな」
「三鶴さんですか?」
「彼女の事まで聞くなら、まず別の友達からにしたら?」
彼は連絡先を書いた紙を、テーブル越しに差し出した。
私はそれを受け取るしかなかった。
新宿まで来て、静雄について分かった事はほとんどない。
一方、三鶴については、会って話を聞くつもりだっただけなのに、その予定を折原氏へ伝えてしまった。
紙を手帳に挟みながら、私は考えた。
ラーメン屋で会えたとしても、彼女が誰と話していたかまで、この男に報告する必要はないだろう。