三羽の鶴は二度、羽ばたかない。   作:小池蒼司

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6.早い連絡

 

 

 三鶴は一姫と会った後、古今東西へ帰ってきた。

 扉を開けても、いつもの賑やかさはなかった。

 空いたカウンター席。注文を待つ必要のない厨房。

 

 二奈はカウンターに肘をつき、暇そうにテレビを見ていた。画面では、また切り裂き魔について報じられている。

 

「おかえりー。セルティさん、大丈夫そうだった?」

「うん。自分も斬られたって聞いた時はびっくりしたけどね」

「そっかそっか」

「新羅と付き合ったのも聞いたし。……セルティもーー」

「大丈夫? なんかあったでしょ」

 

 三鶴は、途中で言葉を止めた。

 二奈はテレビから目を離し、姉を見ている。

 

「……そんな顔してた?」

「してる。セルティさんのこと?」

「ううん。それは大丈夫」

 

 鞄を置き、三鶴はカウンターの椅子を引いた。

 座ってから、少し迷う。

 二奈の腕には、もう包帯がなかった。

 

「帰りに、一姫に会ったんだ」

 

 二奈が姿勢を起こした。

 

「……あそこに来てたんだ」

「出口で待ってた」

「何かされた?」

「何もされてないよ。話しただけ」

 

 二奈は姉の顔を確かめ、それから視線を落とした。

 

「そう」

 

 三鶴は鞄の持ち手から手を離した。

 

「連絡先、教えてって言われて」

「……教えたの?」

「うん」

 

 二奈はすぐには何も言わなかった。

 テレビの音だけが、二人の間に流れる。

 

「臨也に渡すかもしれないのは、わかってる」

 

 三鶴が先に言うと、二奈は小さく息を吐いた。

 

「たぶん、もう渡してるよ」

「……そうだね」

「お姉ちゃんが嫌がってるのも、知ってるくせに」

 

 三鶴は俯いた。

 一姫に向けられた言葉だとわかっていても、何も返せなかった。

 二奈は姉を見て、少し声を和らげる。

 

「別に、お姉ちゃんを責めてるんじゃないよ」

「でも、勝手に教えちゃった」

「お姉ちゃんの番号でしょ」

 

 二奈はカウンターを回り、三鶴の隣へ来た。

 

「ただ……また嫌な思いするの、わかってるから」

 

 三鶴は頷いた。

 一姫が約束を守ると、信じ切っていたわけではない。

 臨也の名前を出した時の、あの僅かな間も覚えている。

 

 それでも、番号を渡した。

 

「何かあった時、私に連絡できないのは……嫌だったんだよね」

「うん」

「あの子から親を奪ったのは、私だから」

 

 二奈が、姉の方へ顔を向けた。

 

「……私が、ちゃんとしないとって」

「お姉ちゃん」

 

 静かな声に、三鶴は口を閉じた。

 二奈は隣の椅子に座った。

 

「いっちゃんのこと、放っておけないのはわかるよ。私だって、妹だし」

 

 そこで一度、言葉を切る。

 

「でも、お姉ちゃんが嫌なことまで、全部我慢しなくていいんだよ」

 

 三鶴は、二奈の腕へ目を落とした。

 

「二奈には、怪我までさせちゃってさ」

「それはいっちゃんがやったこと!」

 

 二奈は、はっきりと言った。

 

「番号を教えるのと、あの子のしたことを許すのは別でしょ?」

「……うん」

「じゃあ、それは別にしよう」

 

 二奈は立ち上がり、厨房へ戻った。

 冷蔵庫を開け、何かを取り出している。

 

「ご飯食べた?」

「まだ」

「じゃ、食べて。暇だから、今ならすぐ作れる」

 

 三鶴が顔を上げると、二奈はいつもの調子で笑った。

 

「お客さん来ないの、こういう時だけ助かるね〜」

「……それ、喜んでいいの?」

「よくない。だからお姉ちゃんが食べて」

 

 三鶴は、ようやく小さく笑った。

 その時、ポケットの中で携帯が震えた。

 

 二人の視線が、同時にそちらへ向いた。

 三鶴は取り出しかけて、画面を見た途端に顔を引きつらせた。

 

 登録していない番号。

 

 つい先ほど、一姫に連絡先を教えたばかりだ。

 

「……絶対、臨也じゃん」

 

 二奈が厨房から顔を出した。

 

「早かったね」

「早すぎるでしょ」

 

 三鶴は通話を拒否し、携帯をカウンターへ伏せた。

 

 ひとまず、これでいい。

 

 そう思った数秒後、また震え始めた。

 

 二奈と顔を見合わせる。

 三鶴は画面を確かめ、同じ番号だとわかると、もう一度切った。

 

「出ないってわかるでしょ、普通」

「相手、折原臨也だよ?」

「……はぁ」

 

 三度目の着信。

 三鶴は無言で切った。

 携帯を鞄へ戻そうとする。その途中で、また手の中から振動が伝わってきた。

 

「うっざ……」

 

 三鶴はとうとう通話ボタンを押した。

 

『もー、酷いよ三鶴ちゃん! こういうのはワンコールで出ないとダメなんだよ。大切な取引先だったら大事だよ』

「あぁ、出なきゃ良かった」

『酷いなぁ、君に有益な情報をあげようと思っただけなのに』

「それに一姫を使うのはどうなの?」

 

 三鶴は声を低くした。

 臨也は、少しも困った様子を見せなかった。

 

『連絡先を聞いてきてもらっただけだよ。君が俺にも教えてくれてたら、頼む必要はなかったんだけどね』

「頭悪いね、教えたくないから教えてないんでしょ」

『ははは、でもちゃんと一姫ちゃんには教えただろ?』

「あの子が困った時、連絡できるようにね。臨也に渡すためじゃない」

『うん。そういうところ、変わらないね。だから一姫ちゃんを使ったのは正解だった』

 

 三鶴は口を閉じた。

 その返事だけで、番号を渡すまでのやり取りを見られていたような気がした。

 

「……あの子が何したか、知ってるよね」

『二奈ちゃんのこと? 知ってるよ。ただ、俺は居場所を調べてほしいと頼んだだけだ。刺せなんて言ってない』

「それで済ませるつもり?」

『一姫ちゃんが自分でやったことまで、俺の指示にされても困るなあ』

 

 厨房で、器の触れ合う音が止まった。

 三鶴は二奈の方を見ずに、携帯を握り直した。

 

「もう、私に何かさせたい時は、私に言って。妹達を間に入れないで」

『じゃあ、こうして電話して正解だ』

「……臨也」

『こうして今、君に話してるだろ?』

 

 軽い声だった。

 三鶴が黙ると、臨也はそのまま話を続けた。

 

『――最近の切り裂き魔について、興味ない?』

 

 不意に変わった話題に、三鶴の視線がテレビへ向いた。

 音を絞った画面では、事件現場の映像が流れている。

 

「……何か知ってるの?」

『君に有益な情報があるって、言ったじゃないか』

「先に内容を言って。聞くかどうかは、それから決める」

 

臨也は、笑いながら続けた。

 

『お店、随分寂しそうじゃないか』

 

 三鶴は、ばっと顔を上げた。

 入口のガラス。その向こうを行き交う人影。店の隅へ視線を走らせると、厨房にいた二奈が怪訝そうな顔をした。

 

『お店の中を見てるわけじゃないよ、三鶴ちゃん。まあ、見る必要もないね』

「どこまで嗅ぎ回ってんだ、お前」

『やられた常連、みんな共通して腕がいい奴らだよね』

 

 三鶴の視線が、空いた席で止まった。

 

 刃物を持った相手に、何もできずにやられるような連中ではない。二奈から聞いた顔ぶれを思い返せば、確かにそうだった。

 

「……それが?」

『たまたまにしては、随分偏ってると思わない?』

「強いやつを狙ってるって言いたいの?」

『君もそう思う?』

「先に言い出したのは、そっちでしょ」

 

 臨也は笑った。

 

それから、妖刀――罪歌について話し始めた。

 

 人を愛する刀。

 

 斬った相手を支配し、その相手を通して、さらに人を斬る。

 

 三鶴は黙って聞いていた。

 

にわかに信じ難いそれも、セルティを思い出せば何とか飲み込めた。

 

『そのままにしておけば、店のお客さんも困るだろうね』

「……」

『訳ありの店に通う客は、それこそ訳ありだからね』

『シズちゃんも。いくら強くても、事情を知らずに巻き込まれるのは厄介だろ?』

 

この妖刀をどうにかしないと、と臨也は言う。

 

「私に、どうして欲しいの?」

『決まってるじゃないか、"普通"になるのをやめるだけさ』

 

 

 

△▽

 

 

 ギラリと光る、銀の刃。

 返り血に濡れても目立たないようにと選ばれた、赤い持ち手。

 三鶴の愛刀だったロングナイフ。

 

 幾度となく人を斬り、刺してきたそれを、もう使わずに済むよう、しまっていたはずだった。

 

 三鶴は持ち手を握った。

 指が、慣れた位置に収まる。

 何も考えなくても持ち方を覚えていることが、少し嫌だった。

 

 臨也の言葉が、耳に残っている。

 

 ――“普通”になるのをやめるだけさ。

 

 そんなつもりはない。

 

 この街に帰ってきたのは、また人を殺すためではなかった。

 けれど、古今東西の空いた席を思い出す。

 二奈の困ったような笑顔も、チャットに繰り返し書き込まれた静雄の名前も。

 

 事情を知った今、何もせずに待つことはできなかった。

 臨也に言われたことが、きっかけではある。

 それでも、身近な人達へ迫っている危険を、何とかしたいと思ったのは本当だ。

 

 三鶴は刃を見つめた。

 

 これを持って出れば、解決するとは限らない。

 また使わずに済むなら、その方がいい。

 そう思いながらも、置いていくことはできなかった。

 

「……行こう」

 

 小さく呟き、ナイフを鞘へ収める。

 向かう先は、池袋の街だった。

 

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