1.セルティ・ストゥルルソン
「それじゃあ、行ってらっしゃい、セルティ」
『行ってくる』
PDAの画面を新羅に見せて、私は玄関を出た。
今日も、いつものように仕事へ向かう。
バイクで街を走れば、道行く人々がこちらを振り返る。『首無しライダー』という声が聞こえてくるのも、すっかり日常の一部になっていた。
今日の依頼は、至って簡単なものだった。
キャリーバッグを探し、指定の場所まで届けてほしい。
依頼人は池袋へ着いたものの、どこかに荷物を置き忘れてしまったらしい。
駅で最後に見たというので、まずはそちらへ向かった。
しかし、教えられた場所にキャリーバッグはなかった。
…まあ、そうだろう。人の多い駅で、いつまでも置きっぱなしになっているとは思えない。
近くの交番で尋ねると、幸い、それらしい落とし物が届いていた。依頼人に連絡を取り、確認を済ませてから受け取る。
あとは届けるだけだ。
そう思って指定の場所へ向かった私は、ベンチに座る女性を見つけ、足を止めた。
長い茶色の髪を、高い位置で一つに結んでいる。丸い伊達眼鏡の奥には、見覚えのある顔。
――桜庭三鶴だ。
三年前、池袋を出ていった時と変わらない姿で、彼女はそこに座っていた。
こちらからは見えない携帯の画面を眺めている。私が隣に腰を下ろすと、何気なく顔を上げ、それから目を丸くした。
「あ、セルティ?」
続いて、その視線が私の持ってきた荷物へ移る。
「てか、私のキャリー! あったんだぁ」
驚いたと思ったら、もう嬉しそうに笑っている。
忙しい奴だ。そういうところも、ちっとも変わっていない。
『お前が依頼したんじゃないのか』
キャリーバッグを指さし、PDAを見せる。
「そうだよ。でも、セルティが来るとは思ってなかった」
三鶴は荷物を引き寄せ、持ち手を握った。
「ありがと。助かった」
聞きたいことは、いくらでもあった。
いつ帰ってきたのか。博多での生活はどうだったのか。これから、どうするつもりなのか。
けれど、道端のベンチで立て続けに尋ねるのも落ち着かない。
『積もる話もあるだろう。うちに来ないか?』
新羅も、三鶴が帰ってきたと知れば喜ぶだろう。
彼女は画面を読んで、少し考えるように首を傾けた。
私はもう一言、打ち込んだ。
『どうせ、行く宛てはないんだろう』
「ああ、まあ、最初はそうだったんだけど。今は二奈のとこにいるんだ」
『二奈? 古今東西で働くのか?』
「その予定」
妹の店に落ち着いたというなら、ひとまず安心してよさそうだった。
それでも、なぜ帰ってきたのかは気になる。
最後に会ったのは、彼女が池袋を離れる直前だ。あの時、私に仕事を頼んで以来、一度も連絡を寄越さなかった。
……その理由は、分かっているが。
今、目の前にいる三鶴は、キャリーバッグが戻ってきたことに満足しているらしかった。
私はPDAに視線を落とした。
『三鶴にラーメン屋が務まるとは思えない』
「おいおい! 失礼だな。私だって頑張ればできるっつーの」
勢いよく言い返す彼女に、私は肩を揺らした。
「まあ、今日やることないし。お邪魔しようかな」
三鶴は少し申し訳なさそうに言った。
今さら遠慮することもないだろう。学生時代には、ちょくちょくうちへ来て、そのまま泊まっていくこともあったのだから。
『新羅も喜ぶよ』
「ほんと? じゃあ、何か買ってく?」
『いい。お前はその荷物を忘れずに持ってこい』
「もう忘れないって」
三鶴は笑いながら立ち上がり、キャリーバッグの持ち手を伸ばした。
私もPDAをしまい、立ち上がる。
三年も会っていなかったのに、少し話せば、こんなふうに気兼ねなく言い返してくる。
それに、ほっとしている自分がいた。
▽
「で、いつ帰ってきたんだい? 何があったか教えてよ」
新羅は向かいのソファに腰を下ろすなり、そう尋ねた。
セルティに連れられて歩いた道も、この部屋も、三年ぶりだった。見覚えのあるものが目に入るたびに懐かしくて、少し気を緩めたら涙が出そうになる。
座るように促され、目の前にはお茶まで用意された。
新羅はいつも、こうして歓迎してくれる。ありがたい。
「帰ってきたのは昨日。元々、お金が貯まったらこっちに戻るつもりだったんだけど、その前に会社が襲撃されて、なくなっちゃって」
『なくなることがあるのか』
隣に座ったセルティが、PDAの画面をこちらへ向けた。
「それが、社長がちょっとやんちゃしたみたいで。相手が社長もろとも全滅させちゃったの」
「……君は?」
「私は戸籍を変えたばっかりだったし、向こうでは死んだ扱いになってたから、セーフ。みたいな?」
新羅とセルティが、揃ってこちらを見る。
そんな顔をされても、無事だったのだからいいじゃないか。
『……まあ、辞めたがっていたし、よかったのか?』
「うん。それは、ほんとに」
セルティは少し首を(ないけど)傾げるような仕草をした。
高校生の頃から、ずっと辞めたいと言っていたのを覚えていてくれたらしい。
「あれ、そういえば、どうして博多に行ったんだっけ?」
新羅に尋ねられ、カップへ伸ばしかけた手を止めた。
確かに、急に池袋を離れた理由を、新羅にはちゃんと話していなかった気がする。
何と答えようか迷っていると、横からPDAが差し出された。
『折原臨也と、いざこざがあったと聞いた』
「あー……うん。間違ってはないっていうか。私が逃げたかったっていうか」
「折原君と喧嘩したっていうのは、僕も聞いたよ。本当だったんだね」
「いや、喧嘩っていうか……」
新羅によれば、私が池袋からいなくなったあと、いろいろな噂が流れていたらしい。
元々この街を拠点に仕事をしていたのだから、急に姿を消せば、裏稼業の連中も何かと勘繰るのだろう。
中でも、よく聞いたのが、折原臨也と揉めたという話だったそうだ。
「まあ、臨也といろいろあったのは本当。でも、あんまり聞かないで。あいつの話するとムカつくの」
『まるでどこかのバーテンダーだな』
「それ、前にも誰かに言われた気がする」
セルティのツッコミに磨きがかかっている。三年で成長したのか。
私がカップを持ち上げると、新羅は軽く手を打った。
「とりあえず、三鶴も戻ってきたことだし。また昔みたいに遊びに来なよ」
セルティを見ると、彼女も頷いた。
『遠慮せず、気軽に来い』
差し出された画面を読んで、ようやく肩の力が抜けた。
「ありがとう。二人はほんと優しいな。どっかの誰かさんにも学んでほしいよ」
「はは。連絡しようか?」
「やめて!」
思わず腰を浮かせた私を見て、新羅が笑った。
セルティまで肩を揺らしている。
「冗談だよ」
「新羅の冗談、たまに冗談じゃないから嫌なんだよ」
携帯に手を伸ばしていないことを確かめてから、私はソファに座り直した。
「てかさ、帰ってきてたなら、僕たちにも連絡してくれればよかったのに」
新羅が拗ねたように言った。セルティまで頷くので、私は少し気まずくなった。
「したかったんだけど、向こうに行ってから連絡先を一新したし。こっちで連絡取れるの、二奈くらいだったから」
カップの縁に指を添え、少し声を落とす。
「……あとはまあ、何かの拍子に、臨也に連絡が行くのが嫌だったっていうか」
『また付きまとわれたら、たまったものじゃないな』
「そうそう。あいつ、博多まで来そうじゃん? あー、やだやだ」
想像しただけで背筋がぞわっとして、私は自分の腕を抱えた。
セルティが手元で文字を打ち、再び画面をこちらへ向ける。
『臨也が嫌いなのは分かるが、あいつのところには、お前の妹がいると言っていなかったか?』
私は画面を読んで、小さく頷いた。
「ええと、一番下の妹だっけ。三鶴、二奈……」
「一姫」
新羅の言葉を引き取る。
「……それも、あいつが嫌いな理由なんだよ。私を追い回すために、一姫を洗脳して利用してる」
口にすると、また腹が立ってきた。
「臨也さんが正しい、臨也さんはそんなことしないって。何を言ってもそればっかり。私があいつを悪く言うと、私の方が怒られるの」
新羅は口を挟まずに聞いていた。
「一姫が自分でそう思ってるつもりなのも、嫌なんだよ。あいつは、それが分かってて使ってるくせに」
私は腕をほどき、膝の上に手を置いた。
「だから、あいつから離れたくても、一姫のことは放っておけない」
『これからどうするつもりなんだ?』
話を区切るように、セルティが画面をこちらへ向けた。
「とりあえず、殺し屋はもう卒業。これからは坂堂芹奈として生きていくよ。憧れの、普通の女の子にね!」
少しおどけて言うと、新羅が笑った。
「あはは。頑張ってね、としか言えないや」
『この街に戻ってきたのは間違いだったな』
「……だよねえ。私も着いてから思った」
否定できないのが悲しい。
知っている道も、迎えてくれる人もいる。帰ってきてよかったと思う瞬間は、今日だけでも何度かあった。
ただ、会いたくない奴まで同じ街にいる。
「ま、二奈がうちで働けって言ってくれたし。せっかく帰ってきたんだから、もうちょっと頑張ってみるよ」
『そうか』
セルティは頷き、続けて文字を打った。
『困ったら連絡しろ。今度は連絡先を消すなよ』
「うん。ありがと」
私は携帯を取り出した。
まずは、この二人の連絡先を登録するところからだった。