三羽の鶴は二度、羽ばたかない。   作:小池蒼司

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9.後日談

 新宿の、とあるマンションの一室。

 

 折原臨也は、盤上の駒を指先で弄んでいた。

 

 その背後では、矢霧波江が書類を整理している。

 紙を捲る音と、駒を置く音だけが、しばらく部屋に響いていた。

 

「……何がそんなに楽しいの」

 

 波江は手を止めずに尋ねた。

 

「楽しいことがあったからね」

「見れば分かるわよ」

 

 臨也は笑い、駒をひとつ動かした。

 

「街にはいろんな人間がいる。仲良く暮らしているように見えても、それぞれ隠していることがあるだろ? 今回は、それが少し表に出てきたんだ」

「それで?」

「知らずに友達でいられた人たちが、知った後も同じようにいられるのかなって。気にならない?」

「ならないわ」

「君ならそう言うと思った」

 

 波江は揃えた書類を机へ置いた。

 その拍子に、臨也の袖へ目が留まる。

 

「それ、血?」

 

 黒い袖口に、乾いた染みが残っていた。

 

「俺のじゃないよ」

「でしょうね。怪我してそんなに機嫌がいいなら、いよいよおかしいもの」

 

 臨也は袖を見下ろした。

 指先で触れると、布が少し硬くなっている。

 

「誰の?」

「三鶴ちゃん」

 

 波江が眉を寄せた。

 

「あぁ、例のオキニね。またあなたが何かしたの?」

「酷いなあ。今回は助けてあげたんだけど」

 

 臨也は椅子の背へ身体を預けた。

 

 

 

△▽

 

ーー数時間前

 

 古今東西の扉が開くと、二奈が息を切らして現れた。臨也から連絡を受けて店に戻ってきたのだ。

 

「お姉ちゃん!?」

 

 臨也に抱えられた三鶴を見て、その顔から血の気が引く。

 

「……何、これ。どうしたの」

「話は後。中に寝かせられる場所、ある?」

 

 傍にいた笹木が、すぐに店の奥へ動いた。

寄せられた椅子の上へ、臨也は三鶴を横たえる。

 

 二奈が駆け寄り、姉の顔へ手を伸ばした。

 

「お姉ちゃん、聞こえる? ねえ」

 

 返事はない。

 臨也はその横で携帯を取り出した。

 

「新羅? 今、古今東西に来られる?」

 

 電話の向こうから返ってきた声を聞きながら、三鶴の顔を見る。

 

「三鶴ちゃんが刺された。意識はないけど、息はしてる。……うん、何か所か」

 

 二奈が顔を上げた。

 

「早く来て。電話で俺に説教してる間にも、血は出てるよ」

 

 臨也の声から、笑いが消えていた。

 

 彼は新羅の指示を聞き、二奈へ伝える。

 笹木が持ってきた清潔な布を受け取ると、傷へ当てた。

 

 二奈の手が、その上から重なる。

 

「……誰がやったの」

 

 臨也は彼女を見た。

 

「お姉ちゃんを、誰がこんなにしたの」

「それは、本人が起きてから聞いた方がいいんじゃない?」

「臨也さん」

「今は手を離さない方がいい。新羅が来るから、落ち着きなよ」

 

 二奈は唇を噛み、三鶴へ向き直った。

 

 臨也も、布を押さえたまま動かなかった。

 

 意識を失う直前まで、自分を睨んでいた目。

 その目が閉じているだけで、ずいぶん静かだった。

 

「……三鶴ちゃん」

 

 呼んでも、彼女は怒らない。

 上着を掴むことも、離せと叫ぶこともない。

 

 臨也はもう一度、その顔を見た。

 

 

△▽

 

 

「助けた、ね」

 

 波江の声に、臨也は顔を上げた。

 

「妹にやられたんでしょう?」

「……どうしてそう思うの?」

「あの子が帰ってきた時、機嫌がよかったから」

 

 臨也は黙って、手元の駒を盤へ戻した。

 

「あなた、あの子に何を言ったの」

「大切にするって言ったかな?」

 

 波江は呆れたように息を吐く。

 

「ろくでもない男」

「三鶴ちゃんにも言われたよ」

 

 臨也は笑った。

 机の上の携帯には、まだ新羅からの連絡が来ていなかった。

 

 

△▽

 

 

目が覚めた時、三鶴は病院のベッドにいた。

視界には白い天井と、腕には点滴の針。そして、横を向くと見知った人達がいた。

 

『目を覚ましたのか、気分はどうだ』

「セルティ……」

 

掠れた声で、名前を呼ぶ。慌ててナースコールを押すのを見て、何となく大事だったのを察する。

 

向けられたPDAに手を伸ばすと、セルティはその手を掴んだ。

 

『ほんとにお前は、生きててよかった』

「うん……」

 

まだ、身体中が痛い。包帯だらけの身体を見て、あの時を思い出す。

 

「三鶴さん!大丈夫ですか!?」

 

不意に、セルティの横から帝人が顔を出した。

どうしてここに、という前に帝人は話し始める

 

「友達がこの病院にいて、三鶴さんも入院してるって聞いたから慌てて来ちゃいました。実はその子もお礼が言いたいらしくて…」

 

帝人が言い終わる前に、後ろから病院着姿の少女が現れる。

少女はおずおずと横たわる三鶴にお礼を言った。

 

「助けてくれて、ありがとうございました」

 

三鶴は少女の顔を見た。眼鏡の奥でこちらを伺う目。古今東西へ戻る前、車の傍まで連れていった少女だった。

 

「あ……あの時の」

 

 少女が頷いた。

三鶴は少し身体を起こそうとして、脇腹の痛みに顔を歪める。

 

「っ……」

『動くな。寝たままでいい』

 

 セルティに肩を押さえられ、三鶴は枕へ頭を戻した。

 

「ごめんね、こんな格好で」

「いえ……私こそ、すみません。お休みのところ」

「いいよ。……そっちは大丈夫だった?」

 

 少女は一度自分の病院着を見下ろしてから、頷いた。

 

「はい。もうすぐ退院できるそうです」

「そっか。よかった」

 

 三鶴が笑うと、少女は少しだけ肩の力を抜いた。

 

「あの、私、園原杏里といいます」

「杏里ちゃんね。私は……三鶴でいい」

 

「三鶴さん……」

 

 杏里は確かめるように名前を呼んだ。

 

「あの時、前に立ってくださって……」

「ああ。でも、結局止めたのは静雄たちだからね。私はほとんど何も」

「そんなことないです」

 

思ったよりもはっきりした声だった。

三鶴は杏里へ目を戻す。

 

杏里は両手を身体の前で握っていた。

 

「私を、置いていかなかったので」

 

三鶴は、すぐには返事をしなかった。

その横で、帝人が頷く。

 

「僕も園原さんから聞きました。三鶴さんが庇ってくれたって」

「……そっか」

 

 三鶴は布団の上の手を見た。

包帯に覆われた右腕。指を曲げるだけでも、少し痛む。

 

「間に合ってよかったよ」

 

 杏里は深く頭を下げた。

 三鶴はそれを見て、慌てて笑う。

 

「そんなに畏まらなくていいって。またどっかで会ったら、普通に声かけてよ」

「……はい」

「帝人くんも、わざわざありがとね」

「いえ! 目が覚めてよかったです。本当に」

 

 帝人の声に、セルティも隣で大きく頷いた。

 

 

△▽

 

 

 二人が病室を出ていくと、急に静かになった。

 三鶴は小さく息を吐く。

 セルティが椅子を寄せ、PDAをこちらへ向けた。

 

『疲れたか?』

「ちょっと。でも、会えてよかった」

 

 セルティは頷いた。

 それから、少し迷うように指を止める。

 

 三鶴はその手元を見ていた。

 

『2日も、眠っていたんだぞ』

「そんなに?」

 

 黒いヘルメットが、こちらを向く。

 

『静雄も凄く心配していた。後で連絡してやってほしい』

「はは……ごめんねほんと」

 

 セルティはしばらく動かなかった。

 やがて、画面へ文字を打つ。

 

『何があったかは聞かない。でも、もう少し頼って欲しい』

 

 三鶴は唇を結んだ。

 

「ありがとう」

 

 セルティが、布団の上の手を握った。

 

『三鶴が私達を大事にしてくれるように、私達も三鶴が大事なんだ』

 

静雄のメールを思い出して、少し目が潤んだ。

 

 

 

△▽

 

 

 

「まあ、こうやって盤面を上から見てるとさ、自分が神様だっていう錯覚に陥ってなかなか気持ちいいもんだよ」

 

 三角形の将棋盤を弄びながら、臨也は無邪気な笑みを浮かべた。

 

「神様アターック、えいやー」

 

 気の抜けた掛け声と共に、オイルライターの油を盤へぶちまける。

 部屋に油の匂いが広がったが、臨也は構わず駒へ指を添えた。

 

 三方向に分かれていた王将を、それぞれ中央へ寄せ集める。

 

「三つ巴っていいね。しかも、それぞれのリーダー同士が密接にくっついてる」

 

 臨也はマッチを取り出した。

 その先に火を灯すと、先ほどまでとは違う笑みを浮かべる。

 

「蜜月が濃ければ濃いほど、それが崩れた時の絶望は高く高く燃え上がるもんだよ」

 

 マッチが盤へ投げ込まれた。

 

 青い炎が三角形の盤上に広がる。

 ガラスのテーブルの上で、木製の駒が焦げ始めた。

 

「ハハハハ! 見ろ、駒がゴミのようだ!」

 

 臨也の笑い声を聞きながらも、波江は炎へ目を向けなかった。

 

「そりゃ燃えたらなんだってゴミよ。片付けといてね」

「ちッ。つまんない女だよねえ、相変わらずさあ」

 

 臨也は心底つまらなさそうに首を振った。

 しかし、すぐに気を取り直し、手元から一組のトランプを取り出す。

 

「さて……あとはそれぞれ『駒』以外のカードがどう動くかだよねえ……遊馬崎達に、岸谷新羅、サイモンに粟楠会の四木の旦那……警官……ええと、キングはシズちゃんかな、やっぱ」

 

 キングのカードを抜き、あっさりと炎の中へ投げ込んだ。

 

「ジョーカーはやっぱセルティか……いや、セルティはクイーンだな。じゃあ、ジョーカーは……ネブラにいる、岸谷の親父さんか……まあ、どうでもいいや」

 

 残ったカードを眺めていた臨也の指が、ふと止まった。

 

「……三鶴ちゃんは、どこに置こうかな」

 

 波江が顔を上げる。

 

「まだ巻き込むつもり?」

「もうここから外すのは無理だね。愛刀まで持ち出したんだから」

「その結果、刺されたんでしょう」

「うん。そっちは俺も、あそこまでやるとは思わなかったけど」

 

 臨也は手元のカードを一枚抜き、眺めた。

 自分の言葉に腹を立てながら、それでも街へ出てきた。

 他人を守るためにナイフを持ち、妹にはそれを向けられなかった。

 

 血を流しながら、最後まで自分を睨んでいた。

 

「……本当に、バカだよね」

「あなたが言うと、腹が立つわね」

「三鶴ちゃんもそう言うだろうね」

 

 臨也は笑った。

 

 机に置かれた携帯は、静かなままだった。

 画面を確かめることもなく、彼は抜いたカードを束へ戻す。

 

「そのカードは燃やさないの?」

「これは、まだ使うから」

 

 それだけ答え、残りのトランプを纏めて火の中へ放り込んだ。

 

 紙が反り返り、炎の勢いが増す。

 

 臨也は燃えていくカードを眺めていたが、やがて隣へ顔を向けた。

 

「楽しくなってきたよねえ……君も、そう思うだろう?」

 

 傍らに置かれた、美しい女性の生首。

 その顔が、ほんの僅かに震えたような気がした。

 

 

 

△▽

 

三鶴が目を覚ました翌日。

三鶴の無事と目覚めを聞きつけた人達が代わる代わるお見舞いへとやってきた。

 

「やほー、お姉ちゃん」

「二奈」

 

お見舞いに来た二奈は、花瓶の花を変えてから、りんごの皮を剥き始めた

 

「店は?」

「笹木とやってるよ。他にも従業員いるし大丈夫。だから、ちゃんと治してから帰ってきて」

 

 二奈が言った。

 三鶴はその顔を見て、小さく頷く。

 

「シゲさんもすぐ退院したらしいよ。シズ先輩にやられた怪我がなんとかかんとかってセルティが言ってたかな?」

「あぁ、無事だったんだ良かった」

 

シゲさん。なんとか無傷で拘束しようとしたけれど、結局静雄に怪我させられたならもう少し手荒にやっても良かったな。

 

「折原臨也から連絡きた時、ほんっとびっくりしたんだから」

「え?」

「意識がないお姉ちゃんを、折原臨也がおぶって店に連れてきたんだよ」

 

「……あいつが?」

「うん。新羅さんにも電話してくれて。とりあえず処置して、それから病院に運んだの」

 

三鶴は、布団の上へ目を落とした。

 

 覚えているのは、あの笑顔までだった。

 その後、自分をどうしたのかまでは知らない。

 

「そっか……」

「お姉ちゃんを助けてくれたのは、ありがとうって思うけど」

 

二奈はりんごを切り分け、皿へ置いた。

 

「あの人、何があったか全然教えてくれなかったんだよね」

 

三鶴の指が、布団を掴んだ。

二奈はそれを見て、少し声を落とす。

 

「……今は聞かないよ」

「二奈」

「でも、いつか教えてね。私にも」

 

 三鶴は妹の顔を見た。

二奈は笑っていたが、目の下には薄く隈ができている。

 

「……ごめん。心配かけた」

「ほんとだよ」

 

 二奈が皿を差し出した。

三鶴はりんごを一切れ取り、口へ運ぶ。

 

 甘かった。

 噛む音が、静かな病室に響いた。

 

「お姉ちゃんが守りたいって言ってくれたの、嬉しかったよ」

 

 二奈はナイフを片付けながら言った。

 

「でも、お姉ちゃんが帰ってこないなんて、もう嫌だからね」

 

 三鶴は手を止めた。

 

 この店を、二奈を守りたかった。

 そう言って持ち出したナイフは、一度も人を斬らなかった。

 

 それでよかったのか。

 今も、答えは出ていない。

 

 けれど、目の前の妹をこれ以上心配させたくはなかった。

 

「……うん。ちゃんと帰るよ」

「約束ね」

「分かった。退院したら、また皿洗いでも何でもする」

「じゃあ、溜めとこうかな」

「それは洗っといてよ」

 

二奈が笑った。三鶴も、つられて笑う。

 少し傷が痛んだが、今度は二奈が慌てるほどではなかった。

 

 窓の向こうには、池袋の街が見えていた。

 

 まだ一姫のことは話せない。

 臨也に、言い返したいことも残っている。

 

 それでも、今は二奈の持ってきたりんごを食べようと思った。

 

「もう一個、ちょうだい」

 

 二奈は嬉しそうに、皿を差し出した。

 

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