三羽の鶴は二度、羽ばたかない。   作:小池蒼司

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3.折原臨也

 

 

一仕事を終え、ようやく帰り着いたセルティを、新羅が出迎えた。

 

「よっ、お疲れさん。おやおや、何か苛立っているようだね。これはいけない。カルシウムの摂取が必要かな」

 

 セルティは返事の代わりに、新羅へ手を差し出した。

 

 話を聞いてほしい、と察した彼は、部屋の隅にあるパソコンデスクの椅子を引く。

 声を持たないセルティにとって、文字は大切な会話の手段だった。腰を下ろし、仕事先であったことを打ち込んでいく。

 

 しかし、やり取りを続けるうちに、話は思わぬ方へ転がった。

 

 新羅の返事にセルティが反論し、その反論に新羅がまた言葉を重ねる。帰ってきた時よりも、苛立ちが増していた。

 

 セルティは一度、キーボードから手を離した。

 

 少し間を置いて、別のことを尋ねる。

 

『三鶴はどうした?』

「部屋で寝てるよ。君の帰りを待っていたかったみたいだけど、眠そうだったからね。寝るように言っておいた」

『そうか』

「それより、もうちょっと女の子らしくしたら?」

 

 せっかく話を変えたのに、新羅は懲りずに続けた。

 

 セルティは短く打ち込んだ。

 

『もういい。シャワーを浴びてくる』

 

 椅子から立ち上がる。背後で新羅が何か言ったが、振り返らなかった。

 

 

 シャワー室へ向かう途中、セルティは三鶴のいる部屋の前で足を止めた。

 起こさないよう、そっと扉を開ける。

 三鶴はよく眠っていた。

 

 布団は半分ほど蹴り落とされ、片腕を大きく広げている。起きている時の賑やかさを思えば、この静けさが少しおかしかった。

 

 近づいて布団を引き上げると、三鶴が小さく身じろぎした。

 

「……ん」

 

 寝ぼけた声が漏れる。

 

 セルティは手を止めたが、三鶴は目を開けず、そのまま規則正しい寝息に戻った。

 布団から出ていた腕をそっと収め、肩まで掛け直す。

 

 まるで母親になったような気分だった。

 穏やかな寝顔を見ていると、彼女がこれまで殺し屋として生きてきたことが、ひどく遠い話に思える。

 

 けれど、それも三鶴の人生なのだ。

 

 辞めたいという言葉を、セルティは高校生の頃から聞いていた。

 

 そして今日、ようやく辞められるのだと、彼女は笑った。

 

 今度こそ、その願いが叶ってほしい。

 

 ただ、仕事を失ったからといって、過去まで消えるわけではない。三鶴を知る人間も、彼女の腕を当てにする人間も、この街にはいる。

 

 セルティに、その全てを遠ざけられるわけではなかった。

 

 せめて、ここへ来た時くらいは、安心して眠れるように。

 

 彼女は布団の端を整え、静かに部屋を出た。

 

 扉を閉める頃には、新羅への苛立ちも少し薄れていた。

 

 明日の朝、三鶴が起きたら、また話をしよう。

 

 そう思いながら、セルティは改めてシャワー室へ向かった。

 

 

▽▽

 

 

「今日は出かけて、そのまま二奈のところに戻るよ。泊めてくれてありがとう! 楽しかった!」

 

 玄関でキャリーバッグを引き寄せながら、三鶴は二人に笑いかけた。

 

『こちらこそ。何なら、昔みたいに住んでもいい』

「もう遠慮しとくわ。新羅に」

「僕!?」

 

 三鶴は声を上げて笑い、手を振った。

 新羅も手を振り返す。その隣で、セルティはどこか落ち着かない様子だった。

 

「まるで子供を送り出すみたいだね」

『三鶴は、無理をしているように見える』

「今は、したいようにさせておけばいいよ。本当に駄目になったら、君に飛びついてくるさ」

『だといいが』

 

 二人は並んで、三鶴がマンションを出ていくのを見送った。

 

 そんな姿は、まるで夫婦のようだった。

 

▽

 

 今日の三鶴は、珍しく白いワンピースを着ていた。

 

 鏡の前で少し迷ったが、せっかく出かけるのだからと選んだものだ。キャリーバッグさえなければ、デートへ向かうようにも見えたかもしれない。

 

 久しぶりに歩く池袋は、思っていた以上に楽しかった。

 

 昔よく通っていた店が、まだ残っている。その隣には、知らない店ができていた。懐かしい看板を見つけるたびに足を緩め、新しい店の窓を覗いては、また歩き出す。

 

 そうして気の向くまま歩いているうちに、見覚えのある店先に着いた。

 

 ――とらのあな。

 

 三年前、よく連れてこられた店だった。

 

 誰に連れてこられていたかまで思い出し、三鶴は少し笑った。

 

 せっかくだし、一冊くらい買っていこう。

 

 中へ入ると、棚には同人誌や本がずらりと並んでいた。見覚えのある作品もあれば、知らないものもある。

 

 気になった一冊へ手を伸ばした、その時だった。

 

 隣から伸びてきた手が、三鶴の指に触れた。

 

「すみません、どうぞ」

「すみません、どうぞ」

 

 同じ言葉が重なった。

 

 二人は驚いて顔を見合わせる。

 

「あれ……三鶴ちゃん?」

 

 相手の女性が、口元へ手を当てた。

 三鶴もつられて、同じ仕草をする。

 

「狩沢ちゃん……!」

 

 数秒、互いの顔を確かめるように見つめ合った。

 

「きゃー! 久しぶり!」

 

 また声が重なった。

 

 そして、ここが店内だと思い出すのも同時だった。

 

 二人はぴたりと口を閉じ、周囲を見回した。

 

 だが、声は既に届いていたらしい。

 

「どうしたんすか、狩沢さん――って、うわ!」

 

 棚の向こうから顔を出した遊馬崎が、目を丸くした。

 

「桜庭さんじゃないすか! 三年ぶりくらいっすかね?」

 

 その後ろから、門田も姿を現す。

 

「久しぶりだな」

 

 小さく微笑まれ、三鶴は少し照れくさくなった。

 

「ど、どうも~……帰ってきましたよ~」

「いつ帰ってきたの? ずっとこっちにいる?」

 

 狩沢に顔を覗き込まれる。

 

「この間。とりあえず、二奈のところで働く予定」

「古今東西? じゃあ会いに行けるね!」

 

 その言葉に、三鶴の頬も緩んだ。

 狩沢は何かを思い出したように、軽く手を合わせる。

 

「そういえば! さっき紀田君に会ったのよ」

「え、紀田君って……紀田正臣?」

 

 思わず聞き返した。

 

 紀田正臣。

 

 三年前、いろいろと関わりのあった少年だ。

 

 互いに苦手な相手が同じだったこともあり、三鶴は彼に、姉のようなつもりで接していた。

 

 最後に会った頃の顔を思い浮かべる。

 逃げるように池袋を離れた自分を、正臣はどう思っているのだろう。

 

 何か恨まれていなければいいのだが。

 

「久しぶりに会ってきたら? 私たち、買い忘れた本を買いに戻っただけだから。後でゆっくり話しましょ! 多分、まだ遠くには行ってないと思うし」

「そうだね。うん、顔見たいし、そうする! ごめんね、また今度!」

 

 狩沢たちに手を振り、三鶴は店を出た。

 

 

 

 

 キャリーバッグを引きながら、通りを見渡す。

 

 正臣と初めて会った時、彼はまだ中学生だった。

 場所は、三鶴が依頼を終えたばかりの現場。

 そこには、彼女が殺した人間が倒れていた。

 

 見られたら、目撃者も消す。

 

 そう教えられてきた三鶴は、その時も同じようにするつもりだった。

 けれど、少年は逃げなかった。

 

「お姉さん、何してんの? うわ、人死んでんじゃん……まさか、例の殺し屋、斬鬼?」

 

 まるで道端で知り合いに会ったような調子で、へらっと笑った。

 その顔を見ているうちに、なぜか殺す気が失せてしまった。

 

 今でも、あの時のことはうまく説明できない。

 

 あとになって、彼が黄巾賊という組織のリーダーだと聞いた時には、不思議と納得した。

 普通の少年のように話すのに、妙なところで肝が据わっている。人を引きつける何かが、正臣にはあった。

 

 それから、三鶴は彼に姉のようなつもりで接するようになった。

 池袋を離れてからも、最初は連絡を取っていた。ただ、最近はそれも途絶えている。

 

 久しぶりに会えば、何を言われるだろう。

 

 そんなことを考えながら探したが、正臣らしい姿は見当たらなかった。

 まあ、歩いていれば会えるかもしれない。

 三鶴が再び足を動かした時、背後から声がした。

 

「ミツル、ヒサシブリ」

 

 振り返ると、大柄な男が客引きのチラシを手に立っていた。

 板前姿の、見慣れた顔。

 

「うっわ、サイモン!? やだ、超久しぶり!」

 

 サイモンがにこりと笑った。

 彼の寿司屋にも、昔はよく通っていた。今日は懐かしい顔にばかり会う。

 

「三鶴、ナツカシイね。オー、そういえば、さっきキダに会ったよ」

「紀田君に!? どっちに行った?」

 

 サイモンは通りの先を指さした。

 

「遠く、行ってない」

「おっけ、ありがとう! 今度、お寿司食べに来るから!」

「ワカッタよ。待ってる」

 

 三鶴は手を振り、教えられた方へ歩き出した。

 ようやく、正臣に近づけた気がした。

 

 

サイモンと別れ、三鶴は少し足を速めた。

 キャリーバッグの車輪が、歩道の継ぎ目で跳ねる。

 

 通りの先に、見覚えのある後ろ姿があった。

 歩き方も、隣の相手へ顔を向ける仕草も、覚えている。

 

「紀田君!」

 

 呼ばれた少年が、驚いて振り返った。

間違いない。探していた紀田正臣だ。

 

 隣にはもう一人、少年が立っていた。友達なのだろう。

 

「紀田、君……!」

 

 三鶴は二人の前で足を止め、息を整えた。

 正臣は目を丸くして彼女を見つめる。

 

「三鶴さん……! 帰ってきてたんすか!」

 

 驚きは、すぐに嬉しそうな笑みへ変わった。

 

「うん。狩沢ちゃんたちに会って、さっきまで一緒だったって聞いたから。ずっと探してたよ。元気そうで何より」

「連絡してくれればよかったのに!」

「ごめんごめん。……えっと、そっちは?」

「ああ、こいつは俺の友達。竜ヶ峰帝人っす」

 

 正臣が親指で隣を示す。

 紹介された少年が、ぺこりと頭を下げた。

 

「初めまして……あ」

 

 三鶴も、その顔を見て瞬いた。

 

「あれ。駅でぶつかった子?」

「はい。その時は、すみませんでした」

「いいって。こっちもよそ見してたし」

「何だ、もう会ってたのかよ」

 

 正臣が二人の顔を交互に見る。

 帝人も、少し不思議な気持ちで三鶴を見ていた。

 

 つい先ほど、正臣から聞いたばかりだったのだ。

 この街には、桜庭三鶴という、すごく格好いい女性がいたのだと。

 

 ただ、今は池袋にいないとも聞いていた。

 

 駅ですれ違った女性が、その人だったとは思わなかった。

 

「竜ヶ峰帝人、か。何か格好いい名前だね!」

「ありがとうございます」

 

 桜庭三鶴も綺麗な名前だと思ったが、初対面同然の相手に言うのは気恥ずかしく、帝人は笑うだけにした。

 

「えっと、桜庭さんは、今は池袋にいないって聞いてたんですけど……」

「ああ、仕事の都合で戻ってきたの」

 

 答えた三鶴の笑顔が、少しだけ曇った。

 それ以上は聞かない方がいいのかもしれない。

 帝人が別の話題を探していると、背後から声がした。

 

「やあ」

 

 気軽な、よく通る声だった。

 

 誰かが知り合いを見つけて、挨拶した。それだけに聞こえた。

 

 けれど、正臣の顔から笑みが消えた。

 

 三鶴も同じだった。

 

「……臨也」

 

 小さく呟いた彼女の手が、キャリーバッグの持ち手を握り直す。

 帝人が振り向くと、黒い服を着た青年が近づいてきていた。

 

「あれ、三鶴ちゃんじゃない? 帰ってきてたんだ」

 

 青年は笑いながら、まっすぐ三鶴を見る。

 

「そうそう、ちょっと話したいと思ってたんだよね。連絡先――」

 

 腕へ手が伸びた。

 

 触れられる寸前、三鶴は身を引いた。

 キャリーバッグを引き寄せ、そのまま踵を返す。

 

「三鶴さん!?」

 

 正臣が呼び止める間もなく、彼女は人の間を縫って走り去った。

 

「あーあ。また逃げられちゃった」

 

 残された青年は、少しも残念そうではなかった。

 笑っている。

 

 正臣は三鶴が消えた方を見つめた。

 

 ――俺らを置いていきやがった。

 

 ようやく会えたと思ったら、これだ。

 

 その隣で、帝人は何も言えずにいた。

 青年は三鶴の姿が見えなくなるまで眺めてから、くるりと正臣へ向き直った。

 

「久しぶりだね、紀田正臣君」

 

    

 

 

 

△▽

 

 

 三鶴は角を曲がり、ようやく足を緩めた。

 

 キャリーバッグを引いて走ったせいで、腕も肩も疲れている。

 

 後ろを振り返る。

 追ってくる姿はなかった。

 

 息を吐いて、持ち手を握っていた指を一本ずつ緩めた。

 

 今日は、懐かしい人に何人も会った。

 

 会えて嬉しかった。

 

 だからといって、あいつにまで会いたかったわけではない。

 

 臨也の拠点は新宿だ。池袋に来ることもあると分かっていたが、帰ってきて早々に出くわすとは思っていなかった。

 

 あと少しで、腕を掴まれるところだった。

 

 三鶴は自分の腕へ目を落とし、唇を噛んだ。

 

 高校時代の、あの出来事以来だ。

 

 臨也の視線が自分に向くと、知られたくなかったことまで、もう全て知られているのだと思い出す。

 

 何を言われるのか。

 何をさせられるのか。

 

 考えるより先に、体が逃げていた。

 

 人を殺す現場でさえ、これほど動揺することはなかった。

 それなのに、折原臨也が笑って手を伸ばしてくるだけで、足が止まらなくなる。

 

「……最悪」

 

 呟いてから、三鶴はもう一度、通りの向こうを確かめた。

 

 正臣たちを置いてきたことを思い出したのは、その後だった。

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